2013年2月20日水曜日

岸本佐知子『なんらかの事情』


ずっと以前に、ニコルソン・ベイカーの『もしもし』という小説を読んだ。
全米で大ヒットした電話小説という触れこみだったと思う。男女による電話のやりとり、ということ以外、内容はすっかり忘れてしまった。その後、もう一冊同じ作者の小説を読んだ記憶があるが、題名も忘れてしまった。
読んだ本を忘れてしまうというのは、実にもったいない話ではあるのだが、ストーリーだとかどんな人物が登場していたかとか、内容を思い出せないのは仕方ないとして、この本を読んだとき自分はどこで何をしていたかが思い出せないのは少しさびしい。もちろん圧倒的にこの手の本のほうが多いんだけど。
不思議と学生時代に読んだ本でそういうことを憶えていることがたまにある。たとえばフォークナーの『八月の光』とカポーティの『冷血』は夏休みに読んだ。連日暑いにもかかわらず、よく読んだもんだと憶えている。ただそのおかげで内容がしばらくごっちゃになってしまった記憶もある。内容はいまではすっかり記憶のひだの奥の方に入り込んでしまって、引っかき出そうにも出てこない。
で、何の話かというと、ニコルソン・ベイカーだ。じゃなくて『なんらかの事情』だ。
ツイッターでずいぶん岸本佐知子のこの本が話題になっていた。おもしろかったとか、電車の中では読めないとか、そんなつぶやきが多かった。というか、筑摩書房のSNS担当者が頻繁にリツイートしていただけなのだが、そんなのばかり読んでいるとほんとうにおもしろいのではないかと思えてくる。書店に行って、思わず手にとらずにはいられなくなる。そして立ち読みしようとページをめくる。が、待てよと思う。電車の中で吹きだしてしまう人がいるような本をうかつに立ち読みするわけにはいかない。
買って帰って、寝る前に読んだ。一気に読んだ。
おもしろかった。読み終わって、なんらかの事情で思い出した。
この人、ニコルソン・ベイカーの翻訳した人じゃん、と。

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