昨年定年退職したのだが、まだもう少し仕事もできそうなので、業務委託契約を交わすことにした。フリーランスとしてギャランティを貰うこともできるが、請求書を送るのも面倒だし、担当者に処理させるのも大変だろうから、仕事があってもなくても月々いくらと決めた(それもかなりささやかな額で)。言ってみれば業務のサブスクリプションである。
先月~今月は二本こなした。一本は去年の春から続いている案件でもう一本は新規の競合案件。後者は久しぶりに対面で打合せをした。コロナ禍以降、オンラインの打合せが増えた。それでも仕事のやり方は変わっていない。AIを使って、画像や音声、音楽を生成することに若いスタッフは取り組んでいる。そうした変化もあるにはあるが、お題を渡され、訴求点を整理して、次の打合せまでに表現にして持ち寄るという流れに変化はない。いつまで続けられるかはわからないが、まあ、やれるところまでやってみようと思っている。
講談社から「IN★POCKET」という文庫本サイズの雑誌が出ていた。文芸PR誌とでもいうのか、文庫の新刊情報や作家インタビュー、短編小説などで頁は埋められていた(と記憶している)表紙は安西水丸など当時売り出し中の若手アーティストが担当していた。大手出版社は「波」とか「図書」といったPR誌を発行している。それらにくらべると講談社のそれはカジュアルで若者向けのように見えた。
『回転木馬のデッド・ヒート』に収められている短編の多くは「IN★POCKET」に掲載されたものだ。どの作品にも共通しているのは、人から聞いた話である。聞き手は村上春樹本人だから、いずれも自分が主人公ということだ。ちょっとミステリアスで興味深い話を聞いている。本当に聞いた話なのか、村上自身が創作したのか、実際のところはわからない。
この本は今の仕事をはじめた頃に読んでいる。懐かしい再読であるが、内容はまったく憶えていなかった。
2025年2月28日金曜日
2025年2月21日金曜日
吉村昭『海の史劇』(再読)
去年の3月、三鷹市吉村昭書斎が公開された。自宅の離れにつくった書斎を再現したもので、お隣には吉村と表札が掲げられている。京王井の頭線井の頭公園駅から歩いてすぐのところにある。オープンした頃、是非訪ねてみたいと思いながらなかなか機会に恵まれず、ようやく先月訪れた。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
2025年2月13日木曜日
吉見俊哉『東京裏返し 社会学的街歩き』
町と街。この使い分けは難しい。以前、よく読んだ川本三郎は町歩きと表記する。街にすることはない。個人的な感覚であるが、町が現代化したものが街ではないかと思っている。懐かしい佇まいを残した店は町中華であり、街中華は似合わない。マンション、戸建ての広告には街が似合う。まあどちらでもいいことなのだが。
時間が空くと知らない町をよく歩いた。この本で紹介されている辺りだ。東京の南西側も、例えば渋谷川に合流する宇田川沿いとか生まれ育った品川区も歩いているが、圧倒的に皇居の北側、東側が多い。そういう点からするとこの本で辿る町、地域には新鮮味はなかったが、無性に懐かしさをおぼえた。
第一日目に訪れる石神井川。板橋駅から加賀公園、そしてその周辺を流れる音無川の谷(石神井川はこの辺りではそう呼ばれる)を辿っていくと飛鳥山に出る。護岸工事はなされているものの川が台地を削ったことがよくわかる、素敵な散歩道だ。桜の季節はいいだろう。ここは是非おすすめしたい。王子駅に向かっての音無親水公園は味気ないが、飛鳥山公園に立ち寄って、上野台地の端っこから眺める下町もいい。その前に赤レンガの図書館に立ち寄るのもいい。駒込に出る商店街を歩くのもいい。王子や赤羽の居酒屋に立ち寄るのもいいし、十条に戻って齋藤酒場に寄るのもいい。
散策を終えて居酒屋に寄るのは川本三郎的であるが、この著者の優れたところは街歩きの指南に終わらないところだ。街を歩き、眺め、歴史の地層を掘り返すことで東京をこれからどうすべきかという未来が見えてくる。要らない首都高速道路はなくす、路面電車を増やすなどすることによって東京の未来の風景が見えてくる。こうした将来像に向かって努力することが東京に課された使命なのだ。
この本はラジオ文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に著者がゲスト出演したことで知った。うちに引きこもっているとラジオから得る情報はありがたい。
時間が空くと知らない町をよく歩いた。この本で紹介されている辺りだ。東京の南西側も、例えば渋谷川に合流する宇田川沿いとか生まれ育った品川区も歩いているが、圧倒的に皇居の北側、東側が多い。そういう点からするとこの本で辿る町、地域には新鮮味はなかったが、無性に懐かしさをおぼえた。
第一日目に訪れる石神井川。板橋駅から加賀公園、そしてその周辺を流れる音無川の谷(石神井川はこの辺りではそう呼ばれる)を辿っていくと飛鳥山に出る。護岸工事はなされているものの川が台地を削ったことがよくわかる、素敵な散歩道だ。桜の季節はいいだろう。ここは是非おすすめしたい。王子駅に向かっての音無親水公園は味気ないが、飛鳥山公園に立ち寄って、上野台地の端っこから眺める下町もいい。その前に赤レンガの図書館に立ち寄るのもいい。駒込に出る商店街を歩くのもいい。王子や赤羽の居酒屋に立ち寄るのもいいし、十条に戻って齋藤酒場に寄るのもいい。
散策を終えて居酒屋に寄るのは川本三郎的であるが、この著者の優れたところは街歩きの指南に終わらないところだ。街を歩き、眺め、歴史の地層を掘り返すことで東京をこれからどうすべきかという未来が見えてくる。要らない首都高速道路はなくす、路面電車を増やすなどすることによって東京の未来の風景が見えてくる。こうした将来像に向かって努力することが東京に課された使命なのだ。
この本はラジオ文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に著者がゲスト出演したことで知った。うちに引きこもっているとラジオから得る情報はありがたい。
2025年2月6日木曜日
島崎藤村『千曲川のスケッチ』
30年以上前、僕は小さな広告会社でテレビコマーシャルなどをつくっていた。
ある日、ベテランの営業担当から声を掛けられた。ペットボトルを製造する機械をつくっている会社がある、企業紹介の動画を制作してくれないかと。数日後、上野発金沢行の特急に乗って、小諸に向かった。長野行の特急も日中何本かあったが、早朝立つには混み合う金沢行しかなかった。新幹線のない時代、高崎、横川、軽井沢を通って小諸駅で下りる。本社と工場は駅の北西方向にあり、タクシーで10分ほどの距離だった。工場を見学させてもらい、動画の主役となる最新の機械について説明を受け、伝えたいことなどを打合せする。構成案を再来週にお持ちします、みたいなことを確認してその日は切り上げた。駅前の蕎麦屋で昼食を摂り、帰京した。
あれは何月だったのだろう。暑くもなく寒くもない普通の一日。天気はよかった。
翌々週、再び小諸。動画の構成案を持参し、多少の手直しがあったが、これで制作してもらいたい、となった。前回同様、営業と蕎麦を食べて帰る。3回目の訪問は制作会社のスタッフらとのロケハンだった。このときの記憶はほとんどない。その後の撮影は営業と制作会社に任せたので小諸に出向くこともなかった。編集、録音、試写も都内のスタジオだった。
小諸の町を散策したことはない。会社員時代はこうした行って帰るだけの出張が多かった。札幌も仙台も岡山も那覇も、夜に飲食した店くらいしか旅の思い出はない。
3年前、軽井沢に行くのに小海線で小諸に出た(遠回りではあった)。駅前を少し歩いて、昔行った蕎麦屋をさがした。見つからなかった。この頃は以前と違って小諸駅のそばに小諸城址懐古園があることも地図で知っていた。ただ訪ねる時間がなかった。
小諸は歩いてみる価値がある。千曲川も近い。島崎藤村が教えてくれた。今度軽井沢を訪ねたら小諸に立ち寄り、千曲の流れをゆっくり眺めてみたいと思った。
ある日、ベテランの営業担当から声を掛けられた。ペットボトルを製造する機械をつくっている会社がある、企業紹介の動画を制作してくれないかと。数日後、上野発金沢行の特急に乗って、小諸に向かった。長野行の特急も日中何本かあったが、早朝立つには混み合う金沢行しかなかった。新幹線のない時代、高崎、横川、軽井沢を通って小諸駅で下りる。本社と工場は駅の北西方向にあり、タクシーで10分ほどの距離だった。工場を見学させてもらい、動画の主役となる最新の機械について説明を受け、伝えたいことなどを打合せする。構成案を再来週にお持ちします、みたいなことを確認してその日は切り上げた。駅前の蕎麦屋で昼食を摂り、帰京した。
あれは何月だったのだろう。暑くもなく寒くもない普通の一日。天気はよかった。
翌々週、再び小諸。動画の構成案を持参し、多少の手直しがあったが、これで制作してもらいたい、となった。前回同様、営業と蕎麦を食べて帰る。3回目の訪問は制作会社のスタッフらとのロケハンだった。このときの記憶はほとんどない。その後の撮影は営業と制作会社に任せたので小諸に出向くこともなかった。編集、録音、試写も都内のスタジオだった。
小諸の町を散策したことはない。会社員時代はこうした行って帰るだけの出張が多かった。札幌も仙台も岡山も那覇も、夜に飲食した店くらいしか旅の思い出はない。
3年前、軽井沢に行くのに小海線で小諸に出た(遠回りではあった)。駅前を少し歩いて、昔行った蕎麦屋をさがした。見つからなかった。この頃は以前と違って小諸駅のそばに小諸城址懐古園があることも地図で知っていた。ただ訪ねる時間がなかった。
小諸は歩いてみる価値がある。千曲川も近い。島崎藤村が教えてくれた。今度軽井沢を訪ねたら小諸に立ち寄り、千曲の流れをゆっくり眺めてみたいと思った。
2025年1月30日木曜日
半藤一利『昭和史 1926-1945』
NHKでスペシャルドラマ「坂の上の雲」を再放送している。以前、まとめて三日くらいで見てしまったが、毎週見ていると次回が楽しみでしようがない。ゆっくり見ることで気づくことも多い。
旅順港の閉塞作戦が失敗し、広瀬武夫が戦死する。陸軍が旅順に総攻撃を仕掛ける。が、堅固な要塞はなかなか陥落しない。愚直に総攻撃を繰り返し、屍の山を築く乃木希典を司馬遼太郎はあまり評価していないようだが、それでも攻撃目標を203高地に切換え、激戦の末、旅順を落とす。次回予告を見るかぎり、来週はそんな話であろう。バルチック艦隊も出撃している。日本海海戦ももうすぐだ。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は近代日本の青春ドラマだ。背景にあるのは近代国家を一途にめざす無垢な心。国民は軍備拡大のための増税に堪えるように働き、前を向いた。一人ひとりが近代国家日本の主役となった。
戦後の講和については小村寿太郎が全権大使として交渉にあたった。吉村昭の『ポーツマスの旗』を読んでその艱難辛苦を知った。それでも日本は朝鮮半島と南満州鉄道の権益を得た。小村外交に批判も強かったが、ロシアという大国に勝利したこと自体が国民を力付けた。
近代国家としてしばらく日本は平和であった。時代は昭和になり、青春時代は終わりを告げる。以後、日本は軍部が台頭し、劣化を続ける。昭和のはじめの二十年は劣悪の時代だ。半藤一利によれば軍国日本を支えた主役は陸軍と新聞である。日露戦争の勝利によって多くの国民が日本は列強のひとつと勘違いしはじめた。煽った新聞もよくなかった。そして浅田次郎の小説によってファンになった張作霖(チャンヅオリン)が爆殺される事件が起きるのである。以後、盧溝橋事件、満州事変と暗雲が立ち込める。
続きは是非この本を読んでみてほしい。とにかくわかりやすく昭和が描かれている。戦前戦中戦後を生きた昭和の論客が後世に遺した揺るぎない名著である。
旅順港の閉塞作戦が失敗し、広瀬武夫が戦死する。陸軍が旅順に総攻撃を仕掛ける。が、堅固な要塞はなかなか陥落しない。愚直に総攻撃を繰り返し、屍の山を築く乃木希典を司馬遼太郎はあまり評価していないようだが、それでも攻撃目標を203高地に切換え、激戦の末、旅順を落とす。次回予告を見るかぎり、来週はそんな話であろう。バルチック艦隊も出撃している。日本海海戦ももうすぐだ。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は近代日本の青春ドラマだ。背景にあるのは近代国家を一途にめざす無垢な心。国民は軍備拡大のための増税に堪えるように働き、前を向いた。一人ひとりが近代国家日本の主役となった。
戦後の講和については小村寿太郎が全権大使として交渉にあたった。吉村昭の『ポーツマスの旗』を読んでその艱難辛苦を知った。それでも日本は朝鮮半島と南満州鉄道の権益を得た。小村外交に批判も強かったが、ロシアという大国に勝利したこと自体が国民を力付けた。
近代国家としてしばらく日本は平和であった。時代は昭和になり、青春時代は終わりを告げる。以後、日本は軍部が台頭し、劣化を続ける。昭和のはじめの二十年は劣悪の時代だ。半藤一利によれば軍国日本を支えた主役は陸軍と新聞である。日露戦争の勝利によって多くの国民が日本は列強のひとつと勘違いしはじめた。煽った新聞もよくなかった。そして浅田次郎の小説によってファンになった張作霖(チャンヅオリン)が爆殺される事件が起きるのである。以後、盧溝橋事件、満州事変と暗雲が立ち込める。
続きは是非この本を読んでみてほしい。とにかくわかりやすく昭和が描かれている。戦前戦中戦後を生きた昭和の論客が後世に遺した揺るぎない名著である。
2025年1月25日土曜日
島崎藤村『新生』
2種類の本を読んでいる。今まで読んだことがなかった本と読んだことのある本と。読んでなかった本の方が圧倒的に多い。当然の話だ。最近は昔読んだ本を読みかえすことも増えている。読みかえすと言ってもすっかり忘れてしまっている本の方が多いので再読とは言い難い。新しい本はラジオ番組にゲスト出演した著者の声を聴いて、読んでみようと思うことが多い。
ある程度歳を重ねて、新たに読みたい本もそう多くはない。諦めている本もある。ただ、このくらい読んでおかなくちゃと思う本は少なからずある。去年読んだ大岡昇平『レイテ戦記』もそのうちの一冊だ。振りかえると読んでおけばよかったかなと思う作家も多い。谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか、たぶん読むことはないだろうが、マルセル・プルーストとか。他にもいっぱいいるはずだが、思い出せもしない。ほとんど読まなかった川端康成もここ何年かで少し読むようになった。三島由紀夫も学生時代には読んだが、今はさっぱり読まなくなった。
島崎藤村も読まない作家のひとりだったが、やっぱり日本に生まれたからには読んでおくべきかなと思い立ち、何年か前に『破戒』と『夜明け前』を読んだ。前者は被差別部落出身者が追い詰められていく苦悩の物語であり、後者は時代の移り変わりについていけなくなって精神を蝕まれる男の話。いずれもスケールが大きく、インパクトのある作品だ。ちょっとした狂気を感じとることができる。
主要2作品を読んだので島崎藤村はもういいかなと思っていたが、もう一冊読んでみることにした。この本も常軌を逸している。姪と関係を持ち、妊娠させてしまうのである。そして現実から逃避するように渡仏。兄に手紙でその事実を明かしたのは航海の途中の船の上からだった。もう狂気の沙汰としか思えない。しかも主人公は藤村自身であり、ほぼ事実であるというからさらに驚愕するではないか。
島崎藤村、恐るべき小説家だ。
ある程度歳を重ねて、新たに読みたい本もそう多くはない。諦めている本もある。ただ、このくらい読んでおかなくちゃと思う本は少なからずある。去年読んだ大岡昇平『レイテ戦記』もそのうちの一冊だ。振りかえると読んでおけばよかったかなと思う作家も多い。谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか、たぶん読むことはないだろうが、マルセル・プルーストとか。他にもいっぱいいるはずだが、思い出せもしない。ほとんど読まなかった川端康成もここ何年かで少し読むようになった。三島由紀夫も学生時代には読んだが、今はさっぱり読まなくなった。
島崎藤村も読まない作家のひとりだったが、やっぱり日本に生まれたからには読んでおくべきかなと思い立ち、何年か前に『破戒』と『夜明け前』を読んだ。前者は被差別部落出身者が追い詰められていく苦悩の物語であり、後者は時代の移り変わりについていけなくなって精神を蝕まれる男の話。いずれもスケールが大きく、インパクトのある作品だ。ちょっとした狂気を感じとることができる。
主要2作品を読んだので島崎藤村はもういいかなと思っていたが、もう一冊読んでみることにした。この本も常軌を逸している。姪と関係を持ち、妊娠させてしまうのである。そして現実から逃避するように渡仏。兄に手紙でその事実を明かしたのは航海の途中の船の上からだった。もう狂気の沙汰としか思えない。しかも主人公は藤村自身であり、ほぼ事実であるというからさらに驚愕するではないか。
島崎藤村、恐るべき小説家だ。
2025年1月19日日曜日
新美南吉『ごんぎつね でんでんむしのかなしみ―新美南吉傑作選―』
昨年、65歳になり、定年退職を迎えた。
振りかえってみると僕たちが生まれ育った時代はプラスチックと半導体の時代だったのではないかと思えてくる。弁当箱もバケツもプラスチックになった。ペットボトルやレジ袋が普及した。今でこそ環境へ配慮しているが、使い捨てることに罪悪感をあまり感じない時代もあった。プラスチックは自然界で完全に分解されるまで長い年月を要する。適切に回収、廃棄されなかったプラスチックは海ごみと化す。
僕が気がついたとき、トランジスタラジオが普及していた。もう少し上の世代の人たちは真空管でラジオを組み立てていた。1970年代になるとトランジスタやダイオード、さらには回路を集積したICが電子回路の主役になった。真空管でラジオやアンプをつくるにはコイルやトランスなど流通量の少ない部品を探さなくてはならくなっていた。
半導体はさらに集積を重ね、コンピュータの心臓部になり、今や人工知能(AI)技術にも欠かせない。クルマも電気や水素で走る時代になったが、制御系統は半導体化されている。自動運転を支えているのはセンサーと半導体だ。たしかに便利な世の中が技術によってもたらされている。だが、果たしてそれでいいのか、人々は何か大切なものを失っているんじゃないだろうか。便利さという快楽に知らず知らず飲み込まれて気が付いていないだけじゃないだろうか。
以前読んだ『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に「ごんぎつね」で葬式用の料理をつくる描写を「遺体を煮て殺菌消毒する」と読む小学生が多いことが指摘されていた。そんな話をラジオで聴いて、もういちど読んでみようと気持ちになった。
新美南吉は30年に満たない短い生涯のなかで心あたたまる物語を数多く遺してくれた。「花のき村と盗人たち」「おじいさんのランプ」「和太郎さんと牛」「最後の胡弓弾き」などなど。いずれもプラスチックや半導体がなかった時代のお話である。
振りかえってみると僕たちが生まれ育った時代はプラスチックと半導体の時代だったのではないかと思えてくる。弁当箱もバケツもプラスチックになった。ペットボトルやレジ袋が普及した。今でこそ環境へ配慮しているが、使い捨てることに罪悪感をあまり感じない時代もあった。プラスチックは自然界で完全に分解されるまで長い年月を要する。適切に回収、廃棄されなかったプラスチックは海ごみと化す。
僕が気がついたとき、トランジスタラジオが普及していた。もう少し上の世代の人たちは真空管でラジオを組み立てていた。1970年代になるとトランジスタやダイオード、さらには回路を集積したICが電子回路の主役になった。真空管でラジオやアンプをつくるにはコイルやトランスなど流通量の少ない部品を探さなくてはならくなっていた。
半導体はさらに集積を重ね、コンピュータの心臓部になり、今や人工知能(AI)技術にも欠かせない。クルマも電気や水素で走る時代になったが、制御系統は半導体化されている。自動運転を支えているのはセンサーと半導体だ。たしかに便利な世の中が技術によってもたらされている。だが、果たしてそれでいいのか、人々は何か大切なものを失っているんじゃないだろうか。便利さという快楽に知らず知らず飲み込まれて気が付いていないだけじゃないだろうか。
以前読んだ『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に「ごんぎつね」で葬式用の料理をつくる描写を「遺体を煮て殺菌消毒する」と読む小学生が多いことが指摘されていた。そんな話をラジオで聴いて、もういちど読んでみようと気持ちになった。
新美南吉は30年に満たない短い生涯のなかで心あたたまる物語を数多く遺してくれた。「花のき村と盗人たち」「おじいさんのランプ」「和太郎さんと牛」「最後の胡弓弾き」などなど。いずれもプラスチックや半導体がなかった時代のお話である。
2025年1月8日水曜日
村上春樹『パン屋再襲撃』
2025年を迎えた。ぼんやりしているうちにもう1週間が過ぎている。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。
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