2025年8月5日火曜日

古谷経衡『激戦地を歩く レイテ、マニラ、インパール 激戦の記憶』

大叔父がフィリピンで戦死している。戸籍には「昭和弍十年六月参十日フィリピンルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」と記されている。ビノンというのはどんな地域なのか、大叔父はどのようにして戦死に至ったのか。
レイテ島の戦いが終わり、連合国軍はルソン島を攻める。レイテ戦に大きな戦力を費やした日本軍はあっという間にマニラ陥落を許す。以後、敗残兵は北へ北へと逃走する。当時の陸軍の用語でいえば転進である。北部のアパリに行けば、台湾からの援軍が期待できるとでも思ったのだろうか。5月末から6月初頭にフィリピン戦の終結が告げられている。その後しばらく抵抗したのかもしれない。小規模の夜襲、突撃はあったはず。米軍から援助を受けたゲリラに襲われたのか、夜襲突撃に駆り出されたのか、餓死したのか、マラリアに侵されたのか。大叔父戦死の真実はわからないままである。
もっとはやくに大叔父の戦死に興味を覚えるべきであった。生前の父から話を聞くことができたはずだ。不勉強であったが、家族のなかで大叔父の戦死を避けているような雰囲気もあったことも事実だ。大叔父は名前で呼ばれず、「兵隊さん」と呼ばれていた。兵隊さんの話をするのはどことなくタブーな雰囲気があったのだ。
古谷経衡をラジオで知ったことは以前書いた。いつも聴いている番組で10分程のコラムを担当している。この本はその番組で紹介されていた。精力的に現場に足を運ぶ。フィリピンにはもう何十回と訪ねている。現地を見ないで何を書けるというのか、というのがモットーである。インパールも訪ねている。共感できるスタンスだ。
先日、大叔父が戦死したルソン島のビノンという町を地図で見つけることができた。グーグルマップで見ると山間ののどかな集落だった。キリスト教国フィリピンらしい教会もあった。一度慰霊に訪ねてみたい気になった。今さら行ってみたところでどうにかなるわけでもないのだが。

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