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2025年5月17日土曜日

ロバート・ホワイティング『野茂英雄ーー日本野球をどう変えたか』

ロバート・ホワイティングの本を読んでいるのには理由があって(以前にも書いたと思うが)、3月に行われたとあるパーティーで本人をお見かけしたのである。氏を知っているわけではなく、その友人である故松井清人氏を知っていた。ご近所さんであった。清人氏とは歳も離れていたのでほぼ面識はないのだが、清人氏の母上とはときどき会話を交わしたし、僕の母とも親しかった。そんなこんなでホワイティング氏に声をかけ、翻訳家の松井みどりさんのご主人の実家の近所に住んでいた者です、などとややこしい挨拶でもしたかったのである。
とはいえ、氏の著作を読んだ記憶がない。この本を以前楽しく読ませていただきました、つきましては...と声をかけるのがいいに決まっている。読んでもいないのにいきなり、翻訳家の方と、これこれこういう繋がりがありまして、ではちょっとかっこ悪い。でもまあ、そのうちまたお目にかかれる機会もあるかもしれない。そのときに著書を何冊か拝読しましたとスムースに挨拶できるように読んでおこうと思ったのだ。
ホワイティング氏はMLBの生き字引みたいな人で一人ひとりのプレーヤーをきちんと見ている。多くの日本人メジャーリーガーに厳しい目を向けながらも、野茂、イチロー、松井秀喜、井口資仁を評価している(もちろん厳しく見るところもある)。とりわけ開拓者である野茂には好意的で同じ考えを持っている僕は大いに共感できるのだ。野茂が日本プロ野球にノーを突きつけ海を渡らなければ、後に続く日本人メジャーリーガーは生まれなかった。著者は野茂の野球殿堂入りの議論さえ掲載している。反論も多いが、これは過度の期待を持たせないためという意図が感じられる。おそらく彼に投票権があれば間違いなくイエスと答えるかのようだ。
さて、読み終わって、いつも通り読書メーターに登録しようとした。そこでようやく気付く。2019年に僕はこの本を読んでいたのである。

2025年4月6日日曜日

吉村昭『長英逃亡』(再読)

吉村昭の小説でもう一度読みたい作品は多い。先日はテレビドラマ「坂の上の雲」が再放送されていたこともあって『海の刺激』を再読した。その後奥田英朗の『オリンピックの身代金』を読み、警察に追われる主人公島崎国男の逃走から小伝馬町の牢を抜け、逃亡を続けた高野長英を思い出す。
日本は治安のいい国であるといわれるが、すでに江戸時代から犯罪人の取締りに関しては一等国だったと言っていい。長英は張り巡らされた捜査の網をかいくぐり、6年にわたり、逃亡生活を送る。
人生には運不運は付きものだが、破獄後の長英の逃亡は幸運に恵まれた。ひとつは門人内田弥太郎の庇護である。常に冷静に逃亡先を考え、長英の妻子を支援する。内田なくして長英の逃亡はなかったろう。入牢中に出会った米吉も長英の逃亡を支えた。米吉は仙台の侠客鈴木忠吉の子分だった。長英は裏社会とのつながりを持つことで直江津から奥州へ送り届けられ、母親と再会する。米沢から江戸へ戻るのも米吉の力なくしては叶えることはできなかった。江戸に戻り、宇和島藩、薩摩藩に接近することができたのも幸運だった。長英は招かれて宇和島に旅立つが、宇和島藩の藩医富沢礼中とともに箱根と今切の関所を越える。逃亡劇の中でももっとも危険な賭けだった。
一方、長英にとって最大の不運は破獄後2カ月で長英に永牢(終身刑)を言い渡した南町奉行鳥居耀蔵が失脚したことだ。結果論ではあるが、破獄など試みず、後少し牢の生活を堪えていればおそらくは釈放されたであろう。何しろ高野長英は日本屈指の蘭学者だったのだから。
直江津や米沢でゆったり過ごすこともできたとはいえ、長英の旅は至って過酷だった。精神的な消耗も激しかったに違いない。それでもかつての門人やその伝手で出会った人びとが身の危険もかえりみずに匿ってくれた。長英が牢を破って逃亡したことで得たものは人の心のあたたかさを知ったことだったのではあるまいか。

2025年3月31日月曜日

奥田英朗『オリンピックの身代金』(再読)

吉見俊也の『東京裏返し』を読み、ついでに歴史のおさらいをしようと半藤一利の『昭和史』を読んだ。昭和の東京の風景を見たくなり、14、5年くらい前に読んだこの本をもう一度読んでみる。
1964(昭和39)年のオリンピック開催に向けてぎりぎりまで準備がすすめられる。著者は僕と同世代。知る由もない当時の都内各地がよく再現されている。本郷、西片町、千駄ケ谷、代々木ワシントンハイツ跡、糀谷、羽田、御徒町などまるでタイムスリップして見てきたようである(もちろん僕にはそうした風景の記憶はないのだが)。オリンピックを人質にしたテロを目論む東大大学院生島崎国男は、さらに三河島、江戸川橋、赤羽、大久保、晴海に潜伏する。以前読んだときはこれらの土地を散策した。京急六道土手駅まで行って、島崎がダイナマイトを入手した北野火薬を探したこともあった。
この小説はふたつの層から成る。地形的には台地(高台)と低地(下町)。繁栄に向かう東京と貧困に喘ぐ地方の農村。特権的な公安と刑事部。捜査一課の刑事落合昌夫らも旅の途中で知り合ったスリの常習犯村田留吉も下層の存在である。出稼ぎ労働者らも。一方で島崎の同級生須賀忠(彼の父須賀修二郎は警視庁の上層部で東京五輪警備のトップであるのだが)は秘匿される事件に関心を持ち独自に詮索をはじめる。動くたびに公安に尾行され、結果的に捜査に協力してしまう。学生運動に傾倒する文学部のユミもしかり。江戸川橋の、当時最新の高層アパートに住み、東大文学部に通う。明らかに上流家庭の子女である。彼女も泳がされた挙句、逃走する島崎を追い詰めてしまう。これもまた貧困層を追い込む富裕層といった対立図式になっている。復興と繁栄の象徴であるオリンピックは多くの下層民が人柱となって支えた。その疑念が島崎の犯行を後押しする。
印象に残ったのは、そのオリンピックと島崎国男を救ったのが共犯者村田留吉であったことだ。

2025年1月8日水曜日

村上春樹『パン屋再襲撃』

2025年を迎えた。ぼんやりしているうちにもう1週間が過ぎている。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。

2024年7月4日木曜日

J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

『ライ麦畑でつかまえて』を読む。1964年に刊行されている。僕が読んだのは白水Uブックスという新書サイズの文庫になってからだ。ジョン・アップダイクもカート・ヴォネガットも入口は白水Uブックスだった。
2003年に同じ白水社から村上春樹訳が出る。出版社が同じなのはおそらく契約の関係か。
それまで40年近く、ホールデン・コールフィールドの語りは野崎孝が担当していた。別に吹き替えの声優が代わったわけでもないけれど、僕は新たな気持ちで村上訳を読んだ。野崎訳とくらべてみようなんて気もなかった。村上春樹は小説をはじめ多く読んでいたから、違和感もなく、すんなり受けとめた。ホールデンが新しくなったわけでもなかったし。
村上訳も野崎訳も何度か繰り返し読んでいる。先日、村上訳を読み直して、野崎訳をもう一度読んでみたいと思った。ブルーのカバーはなくなっていたけれど『ライ麦畑』は書棚にあった。両者の訳文をくらべるのはたいして意味はないと思ったが、続けて読んでみるとそれぞれのホールデン像が微妙に異なることに気付く。
作家の兄を持ち、英作文を得意とするホールデンは未成熟な少年でありながら、語彙も豊かで文章も巧みなはずだ。父親は弁護士でアッパーイーストサイドの(高級そうな)アパートメントに住んでいる。どんなに心が破綻していても一定水準以上のインテリジェンスを彼に与えなければならない。村上訳にはそういった意図が感じられる。単なるクレージーボーイの独白に止めたくないという意思が。まるでホールデンの弁護人みたいに。題名の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』もまんまといえばまんまだが、少し知的な感じがする。
野崎ホールデンと村上ホールデン。僕たちの世代でいえば、前者が圧倒的な多数派であるに違いない。将来はどうだろうか。この先新たな翻訳は生まれないだろう。そのうち村上訳がスタンダードになるかもしれない。
それはそれでいい。

2024年6月30日日曜日

村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』

「めくらやなぎと眠る女」という短編小説が短編アニメーション映画になり、近く公開されるいう。監督はピエール・フォルデス。作曲家として、また画家としても活躍するアーティストであるらしい。題名はめくらやなぎであるが、いくつかの短編のエピソードが加えられており、東京を救うカエルくんも登場する。むしろ監督のオリジナルストーリーといえそうだ。
それはさておき、久しぶりに村上春樹の短編集を読む。装幀はイラストレーター安西水丸。今ではほとんどすべての装幀を社内で行っている新潮社であるが、この本が刊行された1984年はまだ外部のアートディレクターやイラストレーターなどが担当していた。新潮社の装幀室ができて、クレジットされるようになったのは1990年代になったからだと思う。それにしても1980年代の安西水丸は多忙をきわめていたのだろうか、手書き文字だけの実にあっさりとしたデザインだ(3年後に文庫化されたが、その表紙にはおそらくめくらやなぎをイメージした思われるイラストレーションがあしらわれている)。
それもさておき、この短編集にはいくつかの興味深い作品が収められている。後の『ノルウェイの森』につながる「蛍」やウィリアム・フォークナーの短編「バーン・バーニング」と同じタイトルを付けられた「納屋を焼く」、初期村上ワールドの源泉ともいえる像工場が登場する「踊る小人」などである。
「めくらやなぎと眠る女」は1990年代に書き直され、『レキシントンの幽霊』という短編集に収められた。そのときタイトルは「めくらやなぎと、眠る女」と改められている。またこの短編は2000年代に英訳され、海外でも多く読まれたらしい。映画化につながったのにはそのような背景があるのだろう。
「めくらやなぎと眠る女」と「めくらやなぎと、眠る女」はどう違うのだろう。今度『レキシントンの幽霊』を探し出して読み直してみようと思う。

2024年6月20日木曜日

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

「成熟」という言葉を辞書で引いてみると「穀物や果物などが十分熟すること」、「人の心や身体が十分に成長すること」とある。もともとは農作物に対して使われていた言葉がたとえとして人間に使われるようになったのかあるいはその逆なのかはわからないが、はじめに示されるのは「穀物や果物」である。
人は成熟していく。とりわけ大きく成熟を遂げるのは十代や二十代の少年期や青年期だろう。心や身体が十分に成長することによってさまざまな知識や技能を獲得し、経験を積んでいく。ただ六十年以上生きてみるともっと年齢を重ねても成熟することはある。たとえば五十歳を過ぎてから山登りや楽器の演奏をはじめた、なんて人たちだ。はじめのうちは慣れなかったり、身体が思うように動かなくてもある程度反復することでそれまでなかった能力を身に付けることは可能だ。もちろん若い頃にくらべれば時間はかかるだろうけれど。人はたえず未成熟と成熟の間に生きている存在なのかもしれない。
ラスト、フィービーが乗る回転木馬のシーンが好きでこの本をもう何度も読んでいる。
ホールデン・コールフィールドはクリスマス前のとある深夜にかつての英語の先生アントリーニに会いに行く。この教師はホールデンの破綻を熟知している。アントリーニはホールデンに「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」と書いた一枚のメモ書きを渡す。ライ麦畑のキャッチャーになりたいと成熟することを頑なに拒み続けるホールデンにアントリーニ先生は卑しく生きていく術を説いたのだ。
この作品の成功の後、ある事件をきっかけにサリンジャーは隠遁生活を送る。まるで大義のために高貴なる死を求めたかのように。ホールデン・コールフィールドはサリンジャーに乗りうつって、未成熟なまま生き続けたのかもしれない。

2024年6月10日月曜日

村上春樹『1Q84』

人生のなかで村上春樹の作品に出会えたことは大きい。多くの読者がそうであるように村上ワールドに魅せられてきたひとりである。いちど読んだきりではもったいないと思い、長編小説は二度三度と読むようにしてきた。
『海辺のカフカ』を再読したあと、『1Q84』が刊行された。一気に読みほした。つい最近のことように思っていた。気がつくとこの本が出版されてから十数年が経つ。ついこのあいだ読んだ本、観た映画が十年以上前だったことはよくある。クォーツ時計の水晶に誰かが規格以上の電圧をかけたに違いない。
タイトルから伺い知れるようにジョージ・オーウェルの『1984』が着想にかかわっているようだ。残念ながらまだ読んでいない。
ふと思い立って二度目を読む。大筋は憶えてはいるものの、細部の記憶が欠落している。たとえば教団の起こりやリトル・ピープル、空気さなぎあたりは読み流したのだろう。もちろん完璧に流れを記憶していたら再読する意味はない。文章と自らの記憶を照合しながら読みすすめる。
この物語の中心人物ではないが、ふたりのプロフェッショナルが起伏を生み出している。興味深いキャラクターだ。幾多の苦難と経験を血肉に換えてきたセキュリティのプロであるタマルと高度な知性に裏打ちされた鋭利な勘を持つ元弁護士牛河である。慎重すぎるほど慎重に青豆を保護するタマル。そして青豆を追い詰める牛河。思わず固唾を呑んでしまう。そして牛河が見せた一瞬の隙をタマルは見逃さない。皮剥ぎポリスが乗り移ったかのようだ。
僕は『ねじまき鳥クロニクル』に匹敵するくらいの傑作であると思っているが、それでも出版以前に起こったカルト教団の事件や当時から多く報道されていたDV問題など具体的ではないにせよ、重い題材を扱っている。NHKの過剰な集金体制や「福助」頭なども含め編集者はずいぶん気を遣ったことだろう。
初読から十数年。読み手もそれなりに大人になっている。

2023年12月4日月曜日

ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』

ものみなことごとくはじまりがあって、終わりがある。終わってしまうのは寂しいし哀しい。いつまでも終わりが遠くにある長編小説を読む楽しみとはいつまでたっても終わりがやってこないことではないだろうか。
ときどき果てしなく長い小説を読みたくなる。
最近では浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズ。これはひとつのタイトルではなく、続編の形で進んでいく壮大なドラマであるが。古くはルソーの『新エロイーズ』、ディケンズの『デイヴィット・コパフィールド』、スタインベックの『エデンの東』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、司馬遼太郎の『坂の上の雲』などなど。
1980年11月から12月にかけて、『ジャン・クリストフ』という大河小説をはじめて読んだ。今も岩波文庫にラインナップされているこの名作は、当時8分冊だった。今では4分冊になっている。
まだ若かったのだろう、古くさくて、難解な(といっては名訳を世に遺した豊島与志雄には失礼もはなはだしいが)翻訳をすいすいとではないが、坂道を昇るように読みすすんだ。当時はあまり理解できなくてもずんずん読んでいった。
今回の再読は7月から読みはじめ、5カ月かけてようやく読み終える。
ロマン・ロランはクリストフのモデルはベートーベンではないと明言しているが、僕はいやいやベートーベンでしょうと思って読んでいたように思う。それくらいしか記憶に残っていない。あらためて読んでみると、クリストフの生きた時代背景など気になることが多い。あきらかに18世紀末から19世紀はじめが舞台となっているのだ。そんなことも理解しようともせず、学ぼうともせずに読んでいた自分が恥ずかしい。
1980年にはこのほか、モンテーニュの『エセー』、ルソーの『告白』を読んでいる。それなりに感銘を受けたつもりでいるが、果たしてきちんと理解していたのだろうか。再読してみたいとは思うものの、ちょっと怖い気もする。

2019年2月14日木曜日

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』

昔読んだ本をもういちど読んでみる。
本は同じでも読み手の環境が変わっている。まったく違う印象を得ることもある。それも読書の醍醐味か。
この本は10代のうちに読んでおくべきだ、中学生のうちに読むべきだ、みたいな本がある。少年少女向きであったとしても大人が読んでいけないこともない。むしろ年を取ってから読んだ方が響くことが多いかもしれない。書物は万人に開かれている。
『ジェイルバード』はたしか20代のなかばにいちど読んでいる。四半世紀をとっくに超えての再読になる。
ジェイルバードとは囚人という意味である。ロバート・フェンダーという朝鮮戦争中に反逆罪に問われた終身刑の男が登場する。主人公ではなく、単なる脇役である。支給室(受刑者の私服の受渡しをする部屋)で係員をつとめている。一日中エディット・ピアフのレコードをかけることを許されている。長年聴きつづけたので物悲しい調子のフランス語を流暢にあやつる。
30年前の僕がエディット・ピアフを知っていただろうか。レコードプレイヤーから流れる《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》を口ずさむことができただろうか。30年前に受け流した一節がぜんぜん違う風景に見えてくる。これを主人公ウォルター・F・スターバックの台詞を借りていえば「長生きは勉強になる」である。
エディット・ピアフを聴くようになったのはいつ頃からだろうか。
2007年にオリヴィエ・ダアン監督「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」を観た。マリオン・コティヤールがエディット・ピアフになりきっていたのが印象に残る。エンディングで流れる曲が《ノン、ジュ・ヌ・ルグレット・リアン》、邦題は「水に流して」である。おそらくこの頃、CDを買って、くり返し聴いていたのだと思う。
この一冊を通じて、僕はエディット・ピアフを知らなかった頃の僕に出会うことができた。これからも似たようなことがあるかもしれない。
しばらく再読はやめられない。

2019年2月8日金曜日

カート・ヴォネガット『母なる夜』

ここのところ、電子書籍で読むことが多くなった。
もちろん紙でしかない本もあるから、電子版ばかり読んでいるわけではない。しおりを挟んだりする必要がないのはたしかに楽だ。夜、そのまま眠ってしまっても翌朝そのページを憶えていてくれる。ありがたい。
最近、昔読んだ本を再読する機会が増えた。ときどき書棚をのぞいてみる。文庫本はかなり処分したけれど、いずれもういちど読もうと思っていた単行本はそのまま残されている。
白水Uブックスという新書サイズの本がある。今はデザインが変わったけれど、昔はブルーとグレーのツートーンの装幀でよくデザインされていた。
デザインのいい本に弱い。つい手が出てしまう。読んでいるだけなのにちょっとセンスがよくなったような錯覚を与えるのである(それは暗示にかかりやすいという個人的資質にもよるのだろうが)。
さほど多くはないけれど、何冊か読んでいる。ジョン・アップダイク『走れウサギ』、J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、ジョン・ファイルズ『コレクター』など。カート・ヴォネガットの『母なる夜』もそのひとつだ。
カート・ヴォネガットというとSF作家という印象が強いけれど、この作品はそうではない(宇宙へ行ったり、時空間を行き来したりしない)。幼少の頃、アメリカからドイツに渡り、売れっ子の劇作家となるハワード・W・キャンベル・ジュニアはナチの広報員となる一方でアメリカのスパイとして活動する。ラジオパーソナリティとして人気を博しながら、本人がそれと把握することなくアメリカ本国へ暗号を送る。もうこれだけで複雑な物語の様相を呈する。
ハワードが実在の人物であったかどうかはわからない。モデルとなる人がいたのではないかと思う。それくらいリアルに構成されている。
本の見返しに「870208」と記されている。32年前の今日、読み終わったということか。
残念ながら記憶はほぼ消滅している。

2019年1月30日水曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』

「あの日にかえりたい」という荒井由実の名曲がある。
「青春の うしろ姿を 人はみな 忘れてしまう あの頃の わたしに戻って あなたに 会いたい」という歌詞をおぼえておられる方も多いことと思う。青春のうしろ姿を忘れてしまうことはない。ただ不正確におぼえているだけだ。人間の記憶力というものはそんなものである。それに人は本当にあの頃に戻りたいと思うのだろうか。仮にこの歌の「わたし」があの日に戻れたとしても、結局泣きながら写真をちぎって、手のひらの上でもういちどつなげてみるだけなのではないか。もういちど同じ目に会うくらいなら、戻れたとしても戻らない方がいい。
とはいうものの長いことブログを続けていると書くこともなくなってくるので、昔話が多くなる。ついついあやふやな記憶をほじくりかえしては適当に再構築する。正確不正確はともかくとして、それはそれで楽しい。ちょっとした時間の旅でもあるのだ。
カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』は、第二次世界大戦に従軍した検眼医ビリー・ピリグリムの時間旅行を描いた小説。ヴォネガットファンの多くがおすすめする名作のひとつである。1945年のドレスデン、架空の惑星トラルファマドール星、ニューヨーク、ニューシカゴ…。転々と時間を飛びまわる。
1945年2月、連合国軍によって行われたドレスデン無差別爆撃は東京大空襲を上まわる被害をもたらしたというが、戦後しばらくその状況は秘匿されていたという。当時捕虜としてドレスデン爆撃を経験したカート・ヴォネガットは貴重な証言者のひとりである。
この小説は「スティング」や「明日に向かって撃て」でおなじみのジョージ・ロイ・ヒルの手によって映画化もされている。まだ観ていないが、たぶん難解な映画になっているのではいだろうか。タイムスリップものはたいてい難しい。
今年は1980年代後半によく読んだカート・ヴォネガットを再読しようと思っている。

2019年1月17日木曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』

今年の正月休みは長かったせいもあり、録りためた映画を観たりしてのんびり過ごした。暮れにiPadを購入して、絵の練習などもずいぶんした。何を言わんとしているかというと本を読まなかった正月の言い訳をしているのである。
昨年の忘年会でヴォネガットファンのUさんに会う。Uさんは原書でSFを読む筋金入りの読書家である。年明けはカート・ヴォネガットを読もうと決めた。
僕が主に早川書房の翻訳ものを読むようになったのは、1980年代のなかばくらい。書店で見かけた和田誠の装丁が気に入って読みはじめた。SF好きでも現代アメリカ文学にこれといって深い興味があるわけでもなかった。和田誠の装丁や表紙のイラストレーションはいつも僕に「この本おもしろいから」と呼びかけていた。
『猫のゆりかご』はおそらく再読になると思う。早川書房から出版されている小説は片っ端から読んでいた。1986年、当時の最新作だった『ガラパゴスの箱舟』の翻訳が出るやいちはやく読み、それを最後にヴォネガットは読んでいない。
と、思ったら1993年10月に『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んでいる。7年ぶりに読んだと当時のメモが残っている。和田誠の装丁やイラストレーション、レタリングが好きで読むようになったことも記されている。
やれやれ。
猫のゆりかご=CAT'S CRADLEとはあやとりのこと。読んでいるとわかるのだが、和田誠はちゃんと表紙に描いている。著者のセンスが絵になっている。おそるべしである。
日本に原子爆弾が投下された日がこの物語の端緒。はるかかなた、遠くにあるSFの世界ではなく、するっと入りこめる。
1993年の『スラップスティック』以後、著者名であるカート・ヴォネガット・ジュニアの名からジュニアが消える。このことはつい最近ウィキペディアで知った。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2018年11月28日水曜日

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

11月は忙しい。
まず初旬に自分の誕生日がある。気圧配置が冬型になり、冷たい北風がその年はじめて吹く、そんな季節だ。誕生日ないしはその前後の休日は好き勝手に過ごす。野球を観に行く。町歩きをする。写真を撮る。ビールを飲む。もっと若い頃は自分へのプレゼントとしてレコードを一枚買ったりしたものだ。
中旬になると明治神宮野球大会がはじまる。ここ何年かは仕事を休んで平日も観戦している。学生野球の締めくくりの大会である。最後の試合、大学の部の決勝戦が終わるとネット裏のアマチュア野球ファンたちが「よいお年を」とか「センバツ(甲子園)で会いましょう」などとあいさつをして帰路につく。野球の大晦日みたいな大会だ。
長女の誕生日や母の誕生日もある(もう大騒ぎをすることもないけれど)。それ以外にも飲み会など集まりも多い(今年は高校のクラス会があった)。ただでさえあわただしい12月より11月の方がゆっくり話ができそうな気がするからだろうか。
その間に来年の準備もはじまる。仕事場の先輩の年賀状はもう十年以上も前からつくっている。ちょっとした絵を描いたり、タイポグラフィーをデザインしたり。仕事場の年賀状も任されている。干支にちなんだビジュアルを考える。毎年のことだがどのみちたいしたデザインではない。
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』を再読する(「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭のお客」は川本三郎訳でも読んでいるので再々読になる)。
少年時代のカポーティ(バディ)も11月にはミス・スックと感謝祭の準備をしたり、フルーツケーキやクリスマスツリー、そしてプレゼントにする凧をつくるなど忙しかったことがうかがえる。
来年も、再来年も、そろそろツイードのジャケットに袖を通そうか思う11月になったらこの本を読もう。そのうちミス・スックとバディからフルーツケーキが届くかもしれない。

2018年11月15日木曜日

ウィリアム・フォークナー『八月の光』

高校のクラス会があった。
3年から5年くらいの周期で開催されている。以前はあまり顔を出していなかった(部活の先輩後輩たちとの集まりと日程的にかぶることが多かった)が、最近は出席するようにしている。
教室にいつもいて、同級生たちと話し込むというタイプでもなかったし、目立つ方でもなかったので卒業してからはじめて話をしたという者も少なくない。そのせいか「今、なにをやってるの?」「学校の先生になったんじゃなかったの?」と訊かれる。会うたびに訊かれる。何年か前にもそんな話したよね、みたいな話をくりかえされる。卒業して10年かそこいらだったら、進学した大学と就いた仕事にギャップがあればそんな疑問も持たれるだろうが、もう40年も過ぎてなんでそんなことを訊ねるのだろう。
はじめのうちは広告会社でデザイナーをしている親戚がいて…などとそれなりにきちんと話していたのだが、最近ではまともに答えるのもつまらないだろうと思い、うちの家訓はこうだからとか、大学4年のとき枕辺に宇宙人があらわれてだとか適当に答えるようにしている。
どうせまた次回会ったときに訊かれるんだから。
フォークナーを何冊かまとめて読んだ時期があった。『怒りと響き』『サンクチュアリ』そして『八月の光』だ。残されているメモによると(ご丁寧にも読んだ本の著者名題名はノートに書いてあった)30数年前になる。
今年の5月に光文社の古典新訳文庫で刊行された。当初8月に読もうと思っていたのだが、『跳ぶが如く』や『西郷どん』を読んでいたせいで遅れた。
読んでも読んでも昔読んだ記憶が呼びさまされない。立ち止まって思い出そうと思っても、よみがえってこない。もしかしたら今回初読なのか。それならそれでかまわないのだが。たしかにスタインベックやヘミングウェイらとくらべるとフォークナーは少し複雑で難解だ。
20代半ばの若造の記憶にはなにも残していかなかったのである。

2018年3月26日月曜日

アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

9月末から10月にかけてアニメーションの仕事をしていた。
1センチにも満たない小さなチョコレートが集まって、何らかのカタチになる。実際には最初につくったカタチを少しずつ崩していく。逆再生すればいい。
理屈は簡単だが、実際は難しい。ひとつひとつのチョコレート(ジグソーパズルみたいなカタチ)をピンセットや爪楊枝で少しずつ動かしていく。2~3ミリほど動かしたり回転させてはシャッターを切る。大きく動かさないほうがいい。小さく少しずつ動かすことで動きがスムースになる。さじ加減が難しい。
溶けにくい製法のチョコレートなのだが、ほおっておくとピンセットにくっついたりして微妙な動きを阻害する。気持ちが焦る。無理をして舞台にしているアクリル板を動かしてしまう。カメラを固定した三脚を蹴飛ばしてしまう。すべてがやり直しだ。
アニメーションというのは何かを動かすことだと思っていたが、むしろカメラや背景など動かしてはいけないものをどうやって動かさないかが大切だと知る。
1,000枚を超える写真を撮り、よさそうなものを選んで編集ソフトに貼り付けていく。実際に使用した写真は300枚くらいか。その都度再生し、動きをチェックする。
パズル型のチョコレートは水色、ピンク、黄色、チョコレート色の4色。そのうち水色とピンクの発色がよくないという。なんとかならないかと相談される。フォトショップというソフトで水色とピンクだけ切り抜いて、色を濃くすればいい。300枚という量だけが問題だ。
一枚一枚の写真に対峙してみると撮影時にはわからなかった小さなゴミだとか、数ミリの動きで生まれるパースの変化に気付く。カメラとレンズによって映し出された写真に奥行きがあることを今さらのように知る。
編集を終えて音をつけた。ナレーションと音楽と効果音。アニメーションがさらに楽しく仕上がった。
『老人と海』を読む。本のことはいずれ書くことにする。

2017年6月27日火曜日

ウィリアム・サマセット・モーム『月と六ペンス』

2009年、国立近代美術館でゴーギャン展を観た。
「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」が日本ではじめて公開された。1897~98年に描かれたこの作品は世界的に高く評価されている。ボストン美術館まで出向かずに観ることができたのはラッキーだった。
ポール・ゴーギャン(ゴーガン)のタヒチでの日々は自伝的回想『ノアノア』に描かれている。
モームの『月と六ペンス』をはじめて読んだのはいつ頃だろうか。新潮文庫で読んだ記憶がある。装幀に特徴があったからだ。いつしか光文社の古典新訳文庫シリーズの一冊として上梓されていた。ゴーギャンをモデルにした小説だったことは憶えてはいたものの、あらためて読み直してみると人の記憶なんてこんなものかと思う。
ゴーギャン(もちろんチャールズ・ストリックランドのことだ)がこの世のものとは思えないくらい最低な人間として描かれている。突如として迸り出た主人公の天才、その深さ奥行を際立たせる演出かも知れないが、あんまりだ。モームが本当に描きたかったのは実はストリックランドと対比される凡庸な人びと(妻を寝とられた友人ストルーヴや突如裕福な生活が舞い込んできた夫人)だったのだろうか。
僕の記憶の中のストリックランドはある日才能にめざめ、タヒチにわたって開花した天才画家というストーリーでしかなかった(世界的に認められたのはその死後であるけれど)。おそらく年月とともに読んだ当時の記憶が薄れ、その後作品を観たり、別の本を読んでいくうちにいやな人ではなくなってしまった。『月と六ペンス』もゴーギャンの伝記的小説でしかなくなってしまった。
それでしばらくぶりに読み直してみたら「あれ、こんなひどい人間だったっけ」となってしまったわけだ。
そういえば昔タヒチを訪れたことがある。ゆるやかな時間が流れていた。
ゴーギャンの時代はマルセイユから2か月かかったという。
きっと心が洗われる旅だったにちがいない。

2017年2月17日金曜日

浅田次郎『月島慕情』

動画のシナリオや広告コピーを書くことはあるとしても文章を生業にしているという意識はあまりない。
ただ、人様に文章をお見せする仕事をしている以上、表記には気を遣う。とりわけ外来語(カタカナ語)が厄介でJIS(日本工業規格)には「アルファベットをカタカナで表記する場合、2音の用語は長音符号をつけ、3音以上の用語の場合は長音符号を省くと定められいるそうだ。たしかに車はカーだし、コンピューターではなくコンピュータという表記をメーカーはしている。お客様センタと表記する会社もある。複合語の場合は省かないというルールもあって、ハイブリッドカとはならない。ん?メーカーはメーカではないのかな。
文化庁のガイドライン(1991)では外来語の表記として、英語の語末が-er、-or、-arなどに当たるものは、原則ア列の長音とし長音符号「-」を用いて書き表し、慣用に応じて省くことができるのだそうだ。この影響を受けて、JISの規格も2005年以降、長音は省いても誤りではないと修正されたという。そのせいか最近、サーバーとかプリンターとか長音を付けた表記をよく見かけるようになったが、実は文化庁のガイドラインだけではないらしい。
2008年にマイクロソフトが「マイクロソフトの製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について」を発表した。マイクロソフトの方針転換が大きな影響を及ぼしているらしいのだ。たしかにインストーラよりインストーラーの方がちゃんとインストールしてくれそうだし、ブラウザよりブラウザーの方がゆったり検索できそうな気がする。
しかしだ、これら複数のガイドラインをどうこなしていけばいいのか。ハードウェアとしてはサーバ、その機能の話をするならサーバー。いやいやそんな使い分けをしていたら文章が先に進まない。
浅田次郎の『月島慕情』を読む。再読である。
久しぶりに月島を歩いてみようと思った。

2013年4月25日木曜日

村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』


デジタルカメラはこれまで2台買っていた。
最初は仕事でテキサスに行くのに簡単に撮れるデジタルカメラが欲しいと思って、キヤノンのパワーショットS10という今にしてみるとかなりごっついカメラを買った。2000年頃の話。ズームは35ミリ換算で35-70と比較的穏便な仕様。ワイド端が物足りないといえば物足りない。ニコンの一眼に24ミリを付けていた頃と比べるとあまりに物足りなかった。ちなみに24ミリだとたとえば東京ディズニーランドでミッキー、ミニーに子どもたちが群がって記念写真を撮るときに他の親たちよりももう一歩前に出られるのだ。子どもたちが小さい頃、僕の後頭部はずいぶん多くのカメラにおさまったにちがいない。
2台めのデジカメはやはりキヤノンのIXY DIGITAL 900ISだった。ワイド端28ミリのデジカメは当時それほど多くなかったので、案外迷うこともなく決めた。これは今でも現役で町歩きの友である。
デジカメは消耗品だ。フィルムで撮るときのような緊張感もない。そんな気楽に使えるデジカメを、特にこだわることもなくしばらく使いつづけていた。ところが昨年、尊敬するクリエーティブディレクターKさんの持っていたオリンパスのミラーレス一眼を見て、俄然欲しくなってしまった。そのカメラはオリンパスのペンミニだった。何が気に入ったかというとアクセサリーシューに付いていたファインダーだ。モータードライブやレンズフードなど、実を言うと機械に付けるアクセサリーに僕はめっぽう弱いのだ。ペンミニが欲しいということは、あのファインダーを付けたいということなのだ。
先に記したことだが、「蛍」をもういちど読んでみようと思った。『ノルウェイの森』は「蛍」の延長上にある作品だが、その原点にある短編をもういちど。で、結局一冊まるまる再読してしまったというわけだ。
ただでさえ、儚くみずみずしい長編の原型は旧ザクのように多少の荒っぽさを残しながら、それはそれで味わい深い。
ペンミニ+ファインダーは魅力だが、Kさんとまったく同じカメラを持つっていうのもちょっと癪に障る。どうしようかと頭の中をミラーレス一眼のかけめぐる日々がはじまった。

2013年4月21日日曜日

村上春樹『ノルウェイの森』


家にキヤノンデミというハーフサイズのカメラがあった。
ハーフサイズなんてのももう死語かもしれない。35ミリのフィルム1コマぶんを半分にして撮影するエコノミーな規格のカメラだ。36枚撮りのフィルムで72枚撮影できる。もちろん紙焼きの量も値段も倍になる。
子どもの頃はそのカメラを手に大井町の東海道本線に架かる歩道橋の上や品鶴線という貨物線の沿道で列車を撮っていた。それも小学生までの話。中学、高校あたりになるとそろそろ一眼レフが普及しはじめてきた。簡単なカメラでは恰好がつかなくなってきた。カメラを手にすることはなくなった。
20代の半ばを過ぎて、テレビコマーシャルの制作会社に入って、ふたたびカメラを手にすることになる。もちろん、カメラマンとしてではない。CMもその当時は35ミリ、ないしは16ミリのフィルムをまわしていた。露出であるとか、画角であるとか、カメラの知識が皆無では太刀打ちできないのだ。そんなわけでニコンのFM2という一眼レフを購入した。レンズは会社に何本かあったので、とりあえず50ミリを買った。当然中古である。
以来、基礎教養としてのカメラいじりが、85ミリ、35ミリ、135ミリ、28ミリ、24ミリ…、とレンズを買い足すごとにたちの悪いに趣味になっていく。それも子どもが小さいうちまで。そもそもレンズを何本も持って移動することがつらくなってきたのだ。仕事でカメラを持っていってもフィルムは入れない。画角を見るだけ。
『ノルウェイの森』はもう何度読みかえしたことだろう。
たしかに村上春樹の本流の小説ではないけれど、今でも多くの読者を惹きつけてはなさない不思議な魅力を持った長編だ。今回は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』でそのプロトタイプとして書かれた「蛍」と読みくらべてみようと思い立って、またページを開いてみた。
子どもたちが大きくなってからはもっぱらコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)でカバンのポケットにいつも入れていた。旅行にでも行かない限り、写真はさほど撮らなくなった。
カメラの話はまた後日ということで。