2025年11月14日金曜日

半藤一利『それからの海舟』

先月軽井沢を訪れた。
カフェ・ギャラリー軽井沢はなれ山クラブで開催していた長野四人展、長野五人展という展示を見に行ったのである。軽井沢を中心とした県内の画家が思い思いに描いた作品が並ぶ。一昨年、昨年と前期後期にわけて長野四人展を開催していたが、今年はメンバーがひとり増え、四人展と五人展になった。一昨年ギャラリーの方からフライヤーのデザインを頼まれ、以降作家さんたちから作品の画像データやプロフィールを送ってもらい制作している。メールや電話でのやりとりなので作家さんには誰ひとりお会いしたことがなかったが、今年はようやくお目にかかることができた。
歴史好きの友人が何人かいるが、幕末に関しては海舟ファンが圧倒的に多いように思う。赤坂氷川町の勝海舟邸跡地や洗足池のほとりにある墓所を訪ねる者もいる。洗足池は勝が新政府軍の本陣である池上本門寺を訪れる際立ち寄って気に入った場所だという。その後明治になって勝はこの地に別荘を構えている(現在の大田区立大森第六中学校)。
言うまでもなく勝海舟は、幕末の、倒幕か佐幕かで混乱していたさなかで日本の行く末のために注力した人物である。新政府軍が押し寄せてくる。列強の支援を得て戦うという選択肢はもちろんあった。しかしながら勝が選んだのは江戸城無血開城。そして徳川の家臣として暗躍し、慶喜を守り抜いた。さらには旧幕臣の生活を支え続けたのである。それからの海舟はそれまでと同様、徳川のために働いた。
半藤一利も勝海舟ファンのひとりだった。この本に限らず、幕末関連の著作を読めばよくわかる。ふたりとも本所の出身。半藤にとって勝は同郷の大先輩だった。江戸を乗っ取った長州、薩摩に対する反骨精神が共通している。
10月末の軽井沢はそろそろ紅葉のシーズンであろうと楽しみにしていたが、朝晩はかなり寒かったものの少しはやかったようである。雲場池が色づいたのはその一週間後だった。

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