2025年7月20日日曜日

古谷経衡『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』

母が亡くなった。90年の生涯だった。
6年前脳疾患で倒れ、後遺症で不自由な身になったが、それでもがんばって生きてくれた。僕は小さい頃、泣き虫で意気地なしだった。外に遊びに行くと十中八九、泣いて帰ってきた。私が死んだらこの子が泣くだろうと思って母はがんばって生きてくれたのかもしれない。
施設からかなり衰弱してきたと連絡があり、会いに行った。俺は大丈夫だよ、おふくろが死んでももう泣かないよ、もう泣き虫じゃないよと最後に伝えた。2日後、息を引きとった。
出棺のとき、母と父の出会いのことを挨拶がわりに披露した。母に伝えたとおり泣くことはなかった。葬儀を終え、ようやく落ち着いた。保険証を区役所に返却し、後は年金の手続きが残っている。
古谷経衡という作家はラジオで知った。ラジオ番組のコラムで聴く限りユニークな視点を持っているという印象である(その後風貌もユニークであると知る)。
先の戦争では軍部の強引かつ無計画な作戦によって多くの将兵が無駄死にしたと思っている。工業力という点で圧倒的に不利な日本軍は斬り込みという無思慮で原始的な作戦を繰り返す。特攻という非人道的な手段を選ぶ。無意味な精神論、非合理的な作戦、物資の不足。よく5年も戦い続けられたと思う。
そんななか、上官の命に抗って撤退したり、持久戦に持ち込んで消耗を避けたり、特攻を拒んで独自に戦術を編み出した指揮官がいる。インパール作戦における佐藤幸徳、宮崎繁三郎、沖縄戦における八原博通、日本海軍芙蓉部隊の美濃部正である。軍部の空気に抵抗した彼らに着目した作者の視点に敬服する。とりわけ、沖縄の持久戦が限界があるとはいえ、続行されていたらと被害者はもっと少なくなったのではないかとも思える(もちろんその持久戦も陸軍の面子で潰されるのだが)。戦時中の日本軍部にも救われる一面があったこと。それだけでも読んでよかったと思う。
母は終戦の年、小学5年生だった。

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