彦根まで出かけた。
旅行らしい旅行をこのところほとんどしていない。せっかくだから観光らしい観光をしてみたくなった。ホテルの窓から彦根城が見える。お城が好きで日本中の城を訪ねている人も多いと聞く。これまでどれくらいのお城を見てきたか思い出してみる。鶴ヶ城、小田原城、名古屋城、大阪城。鶴ヶ城は中学の修学旅行で行った。それまで修学旅行は京都・奈良だったが、僕たちの学年から東北になった。おそらくろくでもない先輩たちが京都・奈良でろくでもないことをしたせいじゃないかと皆で噂した。
国宝彦根城は金亀山という標高50メートルの山の上にある。ちょっとした山登り気分である。ハアハアゼイゼイしながら山頂にたどり着く。そこに天守閣がそびえている。いい運動になった。
彦根の町を散策しながら、駅まで歩いた。個人商店らしい建物がシャッターで閉ざされているのは東京でも見かける現代の風景である。在来線で米原に出て、新幹線で東京に戻る。車中、ビールを飲みながら読んだのがこの本である。
以前『佃島ふたり書房』を読んで出久根達郎のファンになった。『逢わばや見ばや』『二十歳のあとさき』『逢わばや見ばや完結編』を立て続けに読んだ。おだやかな文章を書く人だ。読んでいて心が安らぐ。
名言に関して、著者はあとがきで「名言というのは、その言葉を発した人によって決まるのであって、非凡な人が当たり前の言葉を語ったとしても、聞く者には非凡なのである」と述べている。というわけでこの本では名言の背景、発した人の経歴や体験などを著者らしいおだやかな文章で綴っている。
全部で56の名言が紹介されている。残念ながら知っていたのは金子みすゞの「ごめんね」っていふと/「ごめんね」っていふだけだった。逆に考えると55もの未知の名言に出会えたということだ。しかもその名言の背景まで教授していただけたのである。久しぶりに心安らぐ読書体験だった。
2026年3月2日月曜日
2026年2月26日木曜日
いしかわゆき『書く習慣』
キャッスルロードは彦根城の堀端から京橋を渡ったあたりからはじまる。白壁に黒格子、いぶし瓦、切妻屋根の傾斜を揃えるなど景観を大切にした町になっている。文豪カフェは京橋に近い。
もともと軽井沢にあった川端康成の別荘を解体した際の建材を一部利用してよみがえらせたという。ネーミングの文豪は川端康成を大いに意識しているのだろう。
文豪と聞くと咄嗟に思い浮かぶのは夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介であるが、パソコンを開いて調べてみると川端康成、太宰治、三島由紀夫などの名前が出てくる。長編の大作を残さなかった太宰は文豪のイメージに乏しい気がする。そのほかには谷崎純一郎、山崎豊子、司馬遼太郎あたりか。現代に文豪はいるのか問われればいないような気がする。というか文豪を呼ばれる人は基本過去の人であり、年を重ねて読み継がれることによって人は文豪になっていくのだろう。
少し前から「書くこと」を考えている。本でもさがしてみようかと思っていたが、「書くこと」の本は哲学的なものだったり、文章術などを紹介した指南書だったりする。片っ端から読んでいけばいいのだろうけれどほかにも読みたい本はまだまだあるのでついつい後回しにしてしまう。
この本を手にしたのは著者を知っていたからでも書評を読んだからでもなくパソコンの画面に出てきたのをついポチッ!としてしまったからである。著者自身書くことが好きで日記をつけ、ネットで公開しているうちに書くことが仕事になったという稀有な人である。文章を書いて生きている人であるにもかかわらず、追い詰められている感じがしない。今日一日をゆっくり振り返りながら日記を書いていたんだろう。リラックスして文章に向き合っている印象がある。よっぽど書くことが好きなんだろうなという雰囲気がうかがわれる。
文豪カフェオープニングイベントの翌日、彦根城を訪ねた。
もともと軽井沢にあった川端康成の別荘を解体した際の建材を一部利用してよみがえらせたという。ネーミングの文豪は川端康成を大いに意識しているのだろう。
文豪と聞くと咄嗟に思い浮かぶのは夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介であるが、パソコンを開いて調べてみると川端康成、太宰治、三島由紀夫などの名前が出てくる。長編の大作を残さなかった太宰は文豪のイメージに乏しい気がする。そのほかには谷崎純一郎、山崎豊子、司馬遼太郎あたりか。現代に文豪はいるのか問われればいないような気がする。というか文豪を呼ばれる人は基本過去の人であり、年を重ねて読み継がれることによって人は文豪になっていくのだろう。
少し前から「書くこと」を考えている。本でもさがしてみようかと思っていたが、「書くこと」の本は哲学的なものだったり、文章術などを紹介した指南書だったりする。片っ端から読んでいけばいいのだろうけれどほかにも読みたい本はまだまだあるのでついつい後回しにしてしまう。
この本を手にしたのは著者を知っていたからでも書評を読んだからでもなくパソコンの画面に出てきたのをついポチッ!としてしまったからである。著者自身書くことが好きで日記をつけ、ネットで公開しているうちに書くことが仕事になったという稀有な人である。文章を書いて生きている人であるにもかかわらず、追い詰められている感じがしない。今日一日をゆっくり振り返りながら日記を書いていたんだろう。リラックスして文章に向き合っている印象がある。よっぽど書くことが好きなんだろうなという雰囲気がうかがわれる。
文豪カフェオープニングイベントの翌日、彦根城を訪ねた。
2026年2月14日土曜日
島崎藤村『若菜集』
ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが開催されている。コルティナは以前にも開催地となっている。そのときはコルチナダンペッツォという表記だったと記憶している。記憶といえばオリンピックの最初の記憶はメキシコ大会であるが、さほど印象に残っていない。道徳の授業でいつも視聴する番組の代わりにメキシコ大会の中継が放映された。
オリンピックの競技をテレビにかじりついて見たのは小学校六年生のときの札幌大会だ。当時のアルペン女王のアンネマリー・モザー=プレルがスイスの伏兵マリー
テレーズ・ナディヒに滑降、大回転の金メダルを奪われ、無冠に終わったこと、三冠をかけた回転でアメリカのコクランが勝ったことなどを憶えている。もちろんジャンプ七十メートル級の金銀銅独占は感動した。
今回の冬季オリンピックを見て思うのは競技数の多さだ。冬の大会といえばスキー。アルペンとノルディック。スケートならフィギュアとスピード、ホッケー。後はボブスレーとリュージュ。そんなものだった。
今はすごいね。以前から競技は増えてきてはいるが、スキーのモーグル、スノーボード、スケートのショートトラックなど。さらに団体戦なども設けられている。カーリングもいつしか人気の話題になっている。目のやり場に困る。どこを見ていいかわからない。
スピードスケートのショートトラックは格闘技のようで偶然性に大きく支配されている。これがスポーツかと思う。モーグルやスノーボードはどこが難しい技なのか、どうやって得点をつけているのかがわからないでいる。
で、結局トラディショナルなノルディック、アルペン、スピードスケート、フィギュアスケートばかりを見ている。
詩集はほとんど読まないが、以前、中原中也を読んだ記憶がある。図書館で朗読のCDを借りて、聴きながら読んだ記憶がある。今回もユーチューブで朗読をさがして音でも楽しみながら読んだ。今更ながら島崎藤村はすぐれた詩人だ。
オリンピックの競技をテレビにかじりついて見たのは小学校六年生のときの札幌大会だ。当時のアルペン女王のアンネマリー・モザー=プレルがスイスの伏兵マリー
テレーズ・ナディヒに滑降、大回転の金メダルを奪われ、無冠に終わったこと、三冠をかけた回転でアメリカのコクランが勝ったことなどを憶えている。もちろんジャンプ七十メートル級の金銀銅独占は感動した。
今回の冬季オリンピックを見て思うのは競技数の多さだ。冬の大会といえばスキー。アルペンとノルディック。スケートならフィギュアとスピード、ホッケー。後はボブスレーとリュージュ。そんなものだった。
今はすごいね。以前から競技は増えてきてはいるが、スキーのモーグル、スノーボード、スケートのショートトラックなど。さらに団体戦なども設けられている。カーリングもいつしか人気の話題になっている。目のやり場に困る。どこを見ていいかわからない。
スピードスケートのショートトラックは格闘技のようで偶然性に大きく支配されている。これがスポーツかと思う。モーグルやスノーボードはどこが難しい技なのか、どうやって得点をつけているのかがわからないでいる。
で、結局トラディショナルなノルディック、アルペン、スピードスケート、フィギュアスケートばかりを見ている。
詩集はほとんど読まないが、以前、中原中也を読んだ記憶がある。図書館で朗読のCDを借りて、聴きながら読んだ記憶がある。今回もユーチューブで朗読をさがして音でも楽しみながら読んだ。今更ながら島崎藤村はすぐれた詩人だ。
2026年1月24日土曜日
高橋源一郎『「書く」って、どんなこと?』
小学生の頃、読書ノートを書いていた。本を読み終えたら、そのあらすじや感想などを書きとめる。そんな面倒くさいことって子どもだったからできたのだろうと思う。そもそもが読書感想文は苦手だった。思ったことを書くというのはちょっと恥ずかしい気がした。
このブログをはじめて20年になる。大人になって読後メモを書くようになったのは30歳を過ぎた頃だった。かれこれ30数年、たいして役に立たないメモを書き続けている。
こういう書き方をすれば長く続けられるかもと思ったのはキネマ旬報の連載「安西水丸のシネマストリート」を読んでからだ。この連載は和田誠による「お楽しみはこれからだ」の後を受けてはじまった連載である。安西も和田に勝るとも劣らない映画フリークだったがまともな映画談議になれば和田のシリーズを越える連載はハードルが高すぎる。安西は作品にまつわる自身の思い出やその映画を見た日のことなどを綴り、「お楽しみは」にはない肩の力の抜けたゆるい連載に仕立て上げた。
先ほども書いたように読書感想文は苦手だ。不得手なものを無理矢理書きとめるよりかはその本を読んで思い出したこと、読んだときの状況なんかを記しておいた方がよほど後々役に立つのではないか。そんな思いではじめた読後ノートがこのブログである。
ところで「書く」って何なんだろう。
以前読んだ『言葉からの自由』で三島邦彦は「書くことは思い出すことに似ている」と述べている。この本はコピーライティングの本である。自らの人生の記憶なかの言葉を拾い集めることで広告コピーは書かれるというわけだ。
高橋源一郎は考えながら書くことがすべてではないという。考えずに書くという行為も存在するらしい。夏目漱石の『坊っちゃん』は考えずに書かれたという(本当か?)。登場人物になり切る書き方とでも言おうか。
僕は今、この文章を考えながら書いている、考えないで書いても同じかもしれないが。
このブログをはじめて20年になる。大人になって読後メモを書くようになったのは30歳を過ぎた頃だった。かれこれ30数年、たいして役に立たないメモを書き続けている。
こういう書き方をすれば長く続けられるかもと思ったのはキネマ旬報の連載「安西水丸のシネマストリート」を読んでからだ。この連載は和田誠による「お楽しみはこれからだ」の後を受けてはじまった連載である。安西も和田に勝るとも劣らない映画フリークだったがまともな映画談議になれば和田のシリーズを越える連載はハードルが高すぎる。安西は作品にまつわる自身の思い出やその映画を見た日のことなどを綴り、「お楽しみは」にはない肩の力の抜けたゆるい連載に仕立て上げた。
先ほども書いたように読書感想文は苦手だ。不得手なものを無理矢理書きとめるよりかはその本を読んで思い出したこと、読んだときの状況なんかを記しておいた方がよほど後々役に立つのではないか。そんな思いではじめた読後ノートがこのブログである。
ところで「書く」って何なんだろう。
以前読んだ『言葉からの自由』で三島邦彦は「書くことは思い出すことに似ている」と述べている。この本はコピーライティングの本である。自らの人生の記憶なかの言葉を拾い集めることで広告コピーは書かれるというわけだ。
高橋源一郎は考えながら書くことがすべてではないという。考えずに書くという行為も存在するらしい。夏目漱石の『坊っちゃん』は考えずに書かれたという(本当か?)。登場人物になり切る書き方とでも言おうか。
僕は今、この文章を考えながら書いている、考えないで書いても同じかもしれないが。
2025年12月23日火曜日
若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』
読みたい本と読まなければいけない本があった。
読まなければいけない本というのは仕事に必要な本でここ何年かで言えば、福祉関連、社会的擁護や認知症普及啓発に関する本が多かった。仕事はまだ続けるつもりだが、読まなければいけない本はそのうち減ってくるだろう。
学生時代、読みたい本は大概小説で、読まなければいけない本は学生としてこれくらい読んでおかなくちゃという古典や学術書だった。残念ながらこれら功利的動機で読んだ本はあまり記憶にとどまっていない。パスカル、カント、サルトル、ベルグソン…。読むことによって読んだつもりにはなったけれど、自らの血肉になったとはとても思えない。
大人になってからは広告の本を読まなければいけないと思って読んだ。すぐれたクリエイティブスタッフが書いた本。大抵は自身の広告作法を理論化して携わった作品とともに紹介する本だったが、いくつかの例外を除くとあまり役には立たなかった。
「読む」とは言葉を扉にした書き手と読み手の対話であると若松英輔は言う。読書は自分を知るための旅であるとも言う。
さほどの読書家ではないけれど、これまでいろんな本を読んできた。影響を受けた本もある。おもしろかった本もある。いつかまた読み返したいと思った本もある。一方で読んだことは身に覚えがあるが、内容をすっかり失念した本もある。読んだことすら憶えていない本だってある。
この哲学入門はソクラテス、デカルト、ハンナ・アレント、吉本隆明を読み解きながら考えることの入り口に導いてくれる。このうちアレントは知らなかったが、興味を持った。吉本隆明は昔も今もよくわからないままでいる。『ソクラテスの弁明』と『方法序説』は読んではいるが、中身はすっかり忘れている。それでも著者の導きによって多少は思い出すところがあった。
巻末に著者によるブックガイドが掲載されている。たぶんもう読まないんじゃないかと思いながら目で追った。
読まなければいけない本というのは仕事に必要な本でここ何年かで言えば、福祉関連、社会的擁護や認知症普及啓発に関する本が多かった。仕事はまだ続けるつもりだが、読まなければいけない本はそのうち減ってくるだろう。
学生時代、読みたい本は大概小説で、読まなければいけない本は学生としてこれくらい読んでおかなくちゃという古典や学術書だった。残念ながらこれら功利的動機で読んだ本はあまり記憶にとどまっていない。パスカル、カント、サルトル、ベルグソン…。読むことによって読んだつもりにはなったけれど、自らの血肉になったとはとても思えない。
大人になってからは広告の本を読まなければいけないと思って読んだ。すぐれたクリエイティブスタッフが書いた本。大抵は自身の広告作法を理論化して携わった作品とともに紹介する本だったが、いくつかの例外を除くとあまり役には立たなかった。
「読む」とは言葉を扉にした書き手と読み手の対話であると若松英輔は言う。読書は自分を知るための旅であるとも言う。
さほどの読書家ではないけれど、これまでいろんな本を読んできた。影響を受けた本もある。おもしろかった本もある。いつかまた読み返したいと思った本もある。一方で読んだことは身に覚えがあるが、内容をすっかり失念した本もある。読んだことすら憶えていない本だってある。
この哲学入門はソクラテス、デカルト、ハンナ・アレント、吉本隆明を読み解きながら考えることの入り口に導いてくれる。このうちアレントは知らなかったが、興味を持った。吉本隆明は昔も今もよくわからないままでいる。『ソクラテスの弁明』と『方法序説』は読んではいるが、中身はすっかり忘れている。それでも著者の導きによって多少は思い出すところがあった。
巻末に著者によるブックガイドが掲載されている。たぶんもう読まないんじゃないかと思いながら目で追った。
2025年12月10日水曜日
若松英輔『はじめての利他学』
さすがに12月になって寒気に覆われるようになった。北海道、東北と日本海側は雪の降る日が多くなった。この時期雪が多いのは日本海の海水温がまだ高く、雪雲がつくられやすいということらしい。
そんななかわが家の給湯器が不調をきわめている。2年ほど前から使っている途中でお湯が出なくなることがあったが、コンセントを抜いて差しなおすと元に戻った。ひと月にいちどくらいは止まってしまっていたのが2週間にいちどとなり、最近では3日にいちどになり、昨日一昨日あたりは数時間おきにお湯が止まるようになってしまった。
安く交換できる会社があるようなので見積りを取って、注文した。今はメーカーから取り寄せ中という。不便は不便なのだが、うちは二世帯住宅で二階に風呂場があり、お湯も出る。石鹸、シャンプー、タオルなどを二階に運び、簡単に掃除してなんとか凌いでいる。
利他に関する本を何冊か読んで、その難解さに辟易している。それでも気になるので読めそうな本を見つけては読んでいる。著者若松英輔は以前読んだ『利他とは何か』の共同執筆者である。
若松によれば利他とはもともと仏教から来ている。最澄は忘己利他を説き、空海は自利利他を説いた。利他は己を忘れたところにあり、自他ともに利することが利他であるという。利他という言葉、概念だけで利他を論じるところに難しさがある。己あるいは自と他は切り離すことはできないのだ。
これまで「利他とは何か」ばかりを考えてきた。利他と対になる概念は何かなど整理整頓して理解しようとしていた。前に読んだ本で若松は「利他という名状しがたい、そしてある意味では姿なき出来事を生々しく感じることなく、概念化するとき、私たちがそこで目にするのは、記号化された利他、さらにいえば死物となった利他であって、『生ける利他』ではありません」と述べている。そういうことかとようやくわかる。
利他はなかなか奥が深いのだ。
そんななかわが家の給湯器が不調をきわめている。2年ほど前から使っている途中でお湯が出なくなることがあったが、コンセントを抜いて差しなおすと元に戻った。ひと月にいちどくらいは止まってしまっていたのが2週間にいちどとなり、最近では3日にいちどになり、昨日一昨日あたりは数時間おきにお湯が止まるようになってしまった。
安く交換できる会社があるようなので見積りを取って、注文した。今はメーカーから取り寄せ中という。不便は不便なのだが、うちは二世帯住宅で二階に風呂場があり、お湯も出る。石鹸、シャンプー、タオルなどを二階に運び、簡単に掃除してなんとか凌いでいる。
利他に関する本を何冊か読んで、その難解さに辟易している。それでも気になるので読めそうな本を見つけては読んでいる。著者若松英輔は以前読んだ『利他とは何か』の共同執筆者である。
若松によれば利他とはもともと仏教から来ている。最澄は忘己利他を説き、空海は自利利他を説いた。利他は己を忘れたところにあり、自他ともに利することが利他であるという。利他という言葉、概念だけで利他を論じるところに難しさがある。己あるいは自と他は切り離すことはできないのだ。
これまで「利他とは何か」ばかりを考えてきた。利他と対になる概念は何かなど整理整頓して理解しようとしていた。前に読んだ本で若松は「利他という名状しがたい、そしてある意味では姿なき出来事を生々しく感じることなく、概念化するとき、私たちがそこで目にするのは、記号化された利他、さらにいえば死物となった利他であって、『生ける利他』ではありません」と述べている。そういうことかとようやくわかる。
利他はなかなか奥が深いのだ。
2025年11月30日日曜日
俵万智『生きる言葉』
30年前のこと。
福井県のPR動画を制作した。県内の風景を織りまぜながら、海辺の道を歩く学校帰りの女子高生を撮った。海を見渡す小高い丘に一輪の水仙が咲いている。女子高生のひとりがその花を見つめる。だいたいそんな構成だった。ナレーションらしいナレーションはなく、「海鳴りに耳を澄ましているような水仙の花ひらくふるさと」という俵万智の歌がタイトルともに聞こえてくる。
俵万智は大阪出身だが、中学高校時代を福井で過ごしている。1995年頃は『サラダ記念日』のブームは去っていたが、現代歌人としての地位を築いていた。というわけで福井県に縁のある俵万智の歌をベースに動画の企画がなされたのである。撮影が終わり、編集をしていた時、どうせならナレーションも本人に読んでもらおうということになり、録音スタジオに呼ぶことにした。
こんな小柄な人なのに、言葉がたくさんつめこまれているのだなと思った。当時の状況はあまり憶えてはいないが、4~5テイクを録って30分ほどで終わったように思う。「水仙の花ひらくふるさと」の「ひらく」のイントネーションが気になったが、自作の歌をどう読むかは本人がいちばんよく知っているはず。あえてリテイクはしなかった。
俵万智の本は『サラダ記念日』を含めて読んだことがない。この本で30年ぶりの初対面を果たしたわけである。言葉をめぐる環境は当時とはずいぶん変わった。ざっくり言えば、紙に書かれる言葉以外の言葉が台頭してきた。いわゆるネットの言葉だ。当時から盛んだったメールや掲示板はメッセンジャーやSNSに変わった。それに伴い言葉も変化してきた。とりわけここ何年かは言葉は扇動したり、威嚇したり、対立と分断を生み出す役割を担ってきているように思える。無駄に先鋭化している。
いやいや、この見方は正しくない。言葉のせいではなく、思いを言葉に変える時の思いが間違っているのだ。すぐれた歌人はこの辺り、的確だ。
福井県のPR動画を制作した。県内の風景を織りまぜながら、海辺の道を歩く学校帰りの女子高生を撮った。海を見渡す小高い丘に一輪の水仙が咲いている。女子高生のひとりがその花を見つめる。だいたいそんな構成だった。ナレーションらしいナレーションはなく、「海鳴りに耳を澄ましているような水仙の花ひらくふるさと」という俵万智の歌がタイトルともに聞こえてくる。
俵万智は大阪出身だが、中学高校時代を福井で過ごしている。1995年頃は『サラダ記念日』のブームは去っていたが、現代歌人としての地位を築いていた。というわけで福井県に縁のある俵万智の歌をベースに動画の企画がなされたのである。撮影が終わり、編集をしていた時、どうせならナレーションも本人に読んでもらおうということになり、録音スタジオに呼ぶことにした。
こんな小柄な人なのに、言葉がたくさんつめこまれているのだなと思った。当時の状況はあまり憶えてはいないが、4~5テイクを録って30分ほどで終わったように思う。「水仙の花ひらくふるさと」の「ひらく」のイントネーションが気になったが、自作の歌をどう読むかは本人がいちばんよく知っているはず。あえてリテイクはしなかった。
俵万智の本は『サラダ記念日』を含めて読んだことがない。この本で30年ぶりの初対面を果たしたわけである。言葉をめぐる環境は当時とはずいぶん変わった。ざっくり言えば、紙に書かれる言葉以外の言葉が台頭してきた。いわゆるネットの言葉だ。当時から盛んだったメールや掲示板はメッセンジャーやSNSに変わった。それに伴い言葉も変化してきた。とりわけここ何年かは言葉は扇動したり、威嚇したり、対立と分断を生み出す役割を担ってきているように思える。無駄に先鋭化している。
いやいや、この見方は正しくない。言葉のせいではなく、思いを言葉に変える時の思いが間違っているのだ。すぐれた歌人はこの辺り、的確だ。
2025年10月9日木曜日
中島岳志『思いがけず利他』
文七元結という噺がある。腕のいい左官職人の長兵衛が賭事に身をやつして無一文になってしまう。それでも援助してくれる人がいて再起するための50両を貸してくれる。その帰り途、本所吾妻橋に身を投げようとしている奉公人らしき若者にばったり。何とか踏みとどませる。聞けば集金してきた50両をどこかですられたらしい、ついては死んで主人にお詫びがしたいと。長兵衛の懐には50両。どうしたものかと逡巡したあげく、彼はその若者文七に押し付けるようにしてくれてやる。長兵衛の50両はひとり娘を吉原の遊郭に人質のごとく預けて得た金である。ここで下手なあらすじを記すのは意味がない。実際に噺を聴いていただきたい。できれば立川談志か古今亭志ん朝で。
聴いていて不思議の思うのはそれだけの大事な大金をなぜ偶然ばったり出会った見ず知らずの小僧にくれたやったかである。今の世の中では当然考えられない。むしろ金に困った若者が通りすがりの職人を刺して強奪する方が(哀しいことながら)今風である。江戸の下町は困った人を放ってはおけなかったのだ。ほとんど無意識のうちに(人助けと思う間もなく)人助けをする町だったのだ。
利他という概念は以前読んだ北村匡一の『遊びと利他』という本で知った。利他の反対は利己であるが、主観と客観みたいな単純な対義語ではない。いくら他人に利する利他的行為もそれが意識してなされる場合、ほとんど利己的なものになってしまう。利他的行為とは何かに突き動かされるように湧き起こる。それが利他であるかどうか、その時点ではわからない。偶然に支配されている。
中島岳志はときどきラジオで聴く。政治学者という肩書きで。インドの政治が専門のようだが今では幅広い領域で活躍している。
利他についてはまだまだ理解しきれていない。人間は自分の意思で自らも世界もコントロールしていると勘違いしている。そんなことはないと利他は教えてくれる。
聴いていて不思議の思うのはそれだけの大事な大金をなぜ偶然ばったり出会った見ず知らずの小僧にくれたやったかである。今の世の中では当然考えられない。むしろ金に困った若者が通りすがりの職人を刺して強奪する方が(哀しいことながら)今風である。江戸の下町は困った人を放ってはおけなかったのだ。ほとんど無意識のうちに(人助けと思う間もなく)人助けをする町だったのだ。
利他という概念は以前読んだ北村匡一の『遊びと利他』という本で知った。利他の反対は利己であるが、主観と客観みたいな単純な対義語ではない。いくら他人に利する利他的行為もそれが意識してなされる場合、ほとんど利己的なものになってしまう。利他的行為とは何かに突き動かされるように湧き起こる。それが利他であるかどうか、その時点ではわからない。偶然に支配されている。
中島岳志はときどきラジオで聴く。政治学者という肩書きで。インドの政治が専門のようだが今では幅広い領域で活躍している。
利他についてはまだまだ理解しきれていない。人間は自分の意思で自らも世界もコントロールしていると勘違いしている。そんなことはないと利他は教えてくれる。
2024年8月2日金曜日
柳田國男『こども風土記』
子どもの頃、馬乗りという遊びをよくした。主に男の子の遊びで冬場にすることが多かった。
どんな遊びかというと(文章で説明するのは大変難しいのだが)だいたい10人前後がふた組にわかれる。馬側と乗り側である。馬側はまずひとり、壁を背にして立つ。残りは馬になる。先頭の馬は腰を折って、立っている子の股間に頭を突っ込む。馬は足を肩幅くらいにひろげる。二番目の馬はやはり腰を折り曲げて、一番目の馬の股間に頭を入れる。そうやって例えば1チーム5人なら4人の馬が連なる。
乗り手は助走をつけて、跳び箱を飛ぶような感じで馬に飛び乗る。5人が乗ったら先頭の乗り手と壁を背にした子がじゃんけんをし、勝った方が乗り手になる。もちろんじゃんけんで決着するのは順当に5人の乗り手が馬に乗れた場合であって、馬の上でバランスを崩してしまう乗り手もいれば、飛び乗ったとき勢い余って横に落ちてしまう乗り手もいる。これは「オッコチ」と呼ばれ、誰かがオッコチした場合、攻守が入れ替わる。また身体の小さい弱そうな子の上に全員が重なるように乗るなどして馬をつぶしてしまうこともある。これは「オッツブレ」と呼ばれ、乗り手側は次も乗り手として遊びを継続する。
なんでこんなことを思い出したかというと、この本に紹介されている「鹿鹿角何本」という広く伝わった子どもの遊びの延長線上に馬乗りという遊びがあるらしいとわかったからだ(馬乗りは地方によっては胴乗りとも呼ばれていたらしい)。昔は乗り手が馬に乗ると指を何本か馬の背に突き当てて鹿鹿角何本と言ったそうだが、僕は知らない。
馬乗りをしていたのは小学生の頃だ。1960年代の後半から70年代のはじめくらい。その後は小学生ではなくなったので、後輩にあたる小学生たちが馬乗りを連綿と受け継いでいったのかどうかは知らない。
馬乗りはまだ子どもたちの間で行われているのだろうか。馬乗りはどこへ行ってしまったのだろうか。
どんな遊びかというと(文章で説明するのは大変難しいのだが)だいたい10人前後がふた組にわかれる。馬側と乗り側である。馬側はまずひとり、壁を背にして立つ。残りは馬になる。先頭の馬は腰を折って、立っている子の股間に頭を突っ込む。馬は足を肩幅くらいにひろげる。二番目の馬はやはり腰を折り曲げて、一番目の馬の股間に頭を入れる。そうやって例えば1チーム5人なら4人の馬が連なる。
乗り手は助走をつけて、跳び箱を飛ぶような感じで馬に飛び乗る。5人が乗ったら先頭の乗り手と壁を背にした子がじゃんけんをし、勝った方が乗り手になる。もちろんじゃんけんで決着するのは順当に5人の乗り手が馬に乗れた場合であって、馬の上でバランスを崩してしまう乗り手もいれば、飛び乗ったとき勢い余って横に落ちてしまう乗り手もいる。これは「オッコチ」と呼ばれ、誰かがオッコチした場合、攻守が入れ替わる。また身体の小さい弱そうな子の上に全員が重なるように乗るなどして馬をつぶしてしまうこともある。これは「オッツブレ」と呼ばれ、乗り手側は次も乗り手として遊びを継続する。
なんでこんなことを思い出したかというと、この本に紹介されている「鹿鹿角何本」という広く伝わった子どもの遊びの延長線上に馬乗りという遊びがあるらしいとわかったからだ(馬乗りは地方によっては胴乗りとも呼ばれていたらしい)。昔は乗り手が馬に乗ると指を何本か馬の背に突き当てて鹿鹿角何本と言ったそうだが、僕は知らない。
馬乗りをしていたのは小学生の頃だ。1960年代の後半から70年代のはじめくらい。その後は小学生ではなくなったので、後輩にあたる小学生たちが馬乗りを連綿と受け継いでいったのかどうかは知らない。
馬乗りはまだ子どもたちの間で行われているのだろうか。馬乗りはどこへ行ってしまったのだろうか。
2024年7月13日土曜日
三島邦彦『言葉からの自由』
三島邦彦の著書を読む。
これまで多くのコピーライターの本を読んできた。そのなかで谷山雅計『広告コピーってこう書くんだ読本!』(この本は最近増補新版が出ている)と小霜和也『ここらで広告コピーの本当の話をします。』の二冊が印象に残っている。
三島のこの著書は理路整然と系統立てた構成を持っているように見えない(もちろん徒然なるままに書かれた本が刊行されることは滅多にないのだが)。コピーについて、言葉について思いついたまま書き連ねていったような印象を受ける。
「書くことは思い出すことに似ている」という。人は文章を書くとき、自らの人生に積み重ねてきた記憶を掘り起こす(文章じゃなくたって、区役所の書類だって、氏名、住所、生年月日を思い出しながら書いている)。
「記憶の中に散乱する言葉を丁寧に拾い集めるようにしてコピーは書かれる」
的確な指摘である。
またコピーを書く上でつくった自分なりの原則を紹介している。
「12歳までの言葉で書くことだ」
コピー年鑑に掲載されているコピーを眺めて気づいたという。この世の美しいものも大切なものもすべて小学生までの漢字で表現できる。
さらにはスキーマにふれる。
スキーマとはひとつの言語の、それぞれの状況で瞬時に身体が反応するような、身体に埋め込まれた意味のシステムである。seeかlookか、hearかlistenが英語を母語とする人は頭で考えることなく無意識に使い分けている。違和感なく聴きとることができる。このようなスキーマは広告コピーにもあるのではないかと三島は言う。そして広告コピーのスキーマを身につけるにはコピーライターの書いた本を読んだり、養成講座などでプロのコピーライターの生の声を聴くことが必要だ。
本書はいつも身近に置いておいて、ときどき拾い読みするといい。コピーライターを目指す者はまず過去のコピー年鑑を頭の中に叩き込み、次のこの本を叩き込むべきだと思う。
これまで多くのコピーライターの本を読んできた。そのなかで谷山雅計『広告コピーってこう書くんだ読本!』(この本は最近増補新版が出ている)と小霜和也『ここらで広告コピーの本当の話をします。』の二冊が印象に残っている。
三島のこの著書は理路整然と系統立てた構成を持っているように見えない(もちろん徒然なるままに書かれた本が刊行されることは滅多にないのだが)。コピーについて、言葉について思いついたまま書き連ねていったような印象を受ける。
「書くことは思い出すことに似ている」という。人は文章を書くとき、自らの人生に積み重ねてきた記憶を掘り起こす(文章じゃなくたって、区役所の書類だって、氏名、住所、生年月日を思い出しながら書いている)。
「記憶の中に散乱する言葉を丁寧に拾い集めるようにしてコピーは書かれる」
的確な指摘である。
またコピーを書く上でつくった自分なりの原則を紹介している。
「12歳までの言葉で書くことだ」
コピー年鑑に掲載されているコピーを眺めて気づいたという。この世の美しいものも大切なものもすべて小学生までの漢字で表現できる。
さらにはスキーマにふれる。
スキーマとはひとつの言語の、それぞれの状況で瞬時に身体が反応するような、身体に埋め込まれた意味のシステムである。seeかlookか、hearかlistenが英語を母語とする人は頭で考えることなく無意識に使い分けている。違和感なく聴きとることができる。このようなスキーマは広告コピーにもあるのではないかと三島は言う。そして広告コピーのスキーマを身につけるにはコピーライターの書いた本を読んだり、養成講座などでプロのコピーライターの生の声を聴くことが必要だ。
本書はいつも身近に置いておいて、ときどき拾い読みするといい。コピーライターを目指す者はまず過去のコピー年鑑を頭の中に叩き込み、次のこの本を叩き込むべきだと思う。
2024年6月25日火曜日
講談社校閲部『間違えやすい日本語実例集』
今の東急大井町線と池上線は別々の鉄道会社が経営していて、大井町線には東洗足という駅があり、池上線には旗が岡という駅があった。その後乗り換えできるように統合され、旗の台駅になった。実相寺昭雄『昭和鉄道少年』にそんなことが書いてあった。
旗の台は品川区民にはよく知られた地域である。区内で随一といっていい昭和大学病院が聳え立っているからである。池上線のホームとつながった改札から降りた乗客の多くは中原街道方面に歩く。おそらくは昭和大学病院に向かうのであろう。
旗の台駅から僕の実家までは2キロ弱。大井町線の隣駅荏原町を横に見ながら商店街をすすんでいく。第二京浜国道を渡ってさらに直進する。道は一直線である(三間通りと呼ばれている)。学区域が違うので友人や知人はいないが、昔から身近な地域だった。
広告制作の仕事をしてきてよかったと思うのは、いろんな業種の人たちと話ができたことだ。食品会社の人、製薬会社の人、金融関係の人、石油会社の人や官公庁の人たちなど枚挙にいとまがない。もちろん広告を通じてということだから、広告とあまり関係のない仕事には接することはなかった。たとえば医療関係者や学芸員、図書館司書など。
出版関係には友人が何人かいたが、裏方ともいえる校閲担当の人とは接点はなかった。どんな仕事なのか興味を持ったのは以前に読んだ牟田都子著『文にあたる』を読んだときだ。この本は校正や校閲を担当するものとしての心がまえみたいなことが語られている。今回読んだのは実際の校閲者が具体的にどんな事例に出会い、どう対処してきたかというきわめて実務的な現場のお話である。臨場感がある。
細々とブログを続けてきたが、僕の文章なんて小っ恥ずかしい赤字の宝庫なんだろうな。まったくもって汗をかく一冊だ。
さて、その日は旗の台で用事を済ませた後、実家まで歩いて、父に線香をあげる。父の誕生日も近かったから。
2024年6月16日日曜日
勝浦雅彦『ひと言でまとめる技術』
近い将来、広告の仕事からリタイアする。それでも広告の本はときどき読むようにしている。コピーやデザイン、映像、コミュニケーションに関するものである。
以前はすぐれたコピーはどうすれば書けるかみたいな内容を自らの経験を踏まえて語られる本が多かった。広告制作のプロフェッショナルがその分野の初心者や志望者に向けて書いていた。最近はコピーを書くためというより、コミュニケーション能力を向上させるための指南書といった趣の本が増えている(ような気がする)。プロのコピーライターが若いコピーライターに向けて、というよりもっと幅広く学生や若いビジネスマンに役立つスキルを提供している。
プレゼンテーションというと広告関係の仕事をしている人にとってはクライアントのコミュニケーション課題にどのような基本的な考え方(ストラテジー)を持って、どう具体的に解決をはかっていくか(表現)を提案する場である。絵コンテやカンプを提示して広告主の理解と納得を得ることが最終的なイメージである。これは広告業界のプレゼンテーションの一例に過ぎず、世の中のどんな業種であれ、依頼主の課題解決のための提案作業は存在する。これら世に数多いるプレゼンターはすぐれたプレゼンターではあるもののプレゼンテーションそのものを語る専門家ではない。もちろんスティーブ・ジョブズのようなクリエイティブな人間もいるにはいるが。
その点、広告クリエイティブを生業としてきた者は「わかりやすく伝える」プロフェッショナルでもある。
著者勝浦雅彦は広告会社の営業からキャリアをスタートさせた。その後クリエイティブの世界に身を投じ、幾多のプレゼンテーションを通して、言語化力、伝達力の重要性を学んできた。それらの経験をとりまとめて後世に遺しておくことは広告制作のプロフェッショナルが果たさなければならない社会貢献なのではないだろうか。
そんなことを思わせる一冊である。
以前はすぐれたコピーはどうすれば書けるかみたいな内容を自らの経験を踏まえて語られる本が多かった。広告制作のプロフェッショナルがその分野の初心者や志望者に向けて書いていた。最近はコピーを書くためというより、コミュニケーション能力を向上させるための指南書といった趣の本が増えている(ような気がする)。プロのコピーライターが若いコピーライターに向けて、というよりもっと幅広く学生や若いビジネスマンに役立つスキルを提供している。
プレゼンテーションというと広告関係の仕事をしている人にとってはクライアントのコミュニケーション課題にどのような基本的な考え方(ストラテジー)を持って、どう具体的に解決をはかっていくか(表現)を提案する場である。絵コンテやカンプを提示して広告主の理解と納得を得ることが最終的なイメージである。これは広告業界のプレゼンテーションの一例に過ぎず、世の中のどんな業種であれ、依頼主の課題解決のための提案作業は存在する。これら世に数多いるプレゼンターはすぐれたプレゼンターではあるもののプレゼンテーションそのものを語る専門家ではない。もちろんスティーブ・ジョブズのようなクリエイティブな人間もいるにはいるが。
その点、広告クリエイティブを生業としてきた者は「わかりやすく伝える」プロフェッショナルでもある。
著者勝浦雅彦は広告会社の営業からキャリアをスタートさせた。その後クリエイティブの世界に身を投じ、幾多のプレゼンテーションを通して、言語化力、伝達力の重要性を学んできた。それらの経験をとりまとめて後世に遺しておくことは広告制作のプロフェッショナルが果たさなければならない社会貢献なのではないだろうか。
そんなことを思わせる一冊である。
2024年5月11日土曜日
山口拓朗『言語化大全』
自民党派閥による政治資金パーティー裏金問題では要領を得ない政治家たちが説得力に乏しい説明を繰り返している。いつどこで誰が何のために慣例化したのか、まったくわからないまま法改正の手続きをすすめている。説明責任を果たさなければならないと言うけれど説明責任なんて果たさなくてもいい。わかりやすく説明してくれればそれでいい。
うまく言語化できないという悩みに応えるのが本書である。言語化力を身につける上で大切なのは語彙力、具体化力、伝達力。とりわけ具体力が鍵を握ると著者は言う。よく整理されていてわかりやすい。具体化力のベースは5W3H。いつどこで誰がなぜ何をどのようにどれくらいでいくらでをできる限り明確にすることが基本である。「説明責任」を果たせない方々にぜひ読んでもらいたい。
若い世代にとってコミュニケーション能力は身に付けたいスキルのひとつになっている。「コミュ力(りょく)」と略されることも多い。
背景にはコミュニケーション能力の必要性が増した社会があるのだろう。適切に言語化することで正確に意思疎通をはからなければならない時代なのかもしれない。曖昧な物言いや仲間内だけにしか伝わらない話し方がここ何年かでずいぶん少なくなってきたような気がする。昔みたいに「言わなくたってわかるだろう」という世の中ではなくなっているのだ。
オフコースのヒット曲に「言葉にできない」(作詞作曲小田和正)があるが、言語化できないのと言葉にできないのとでは少し違うと思っている。世の中のあらゆるものが言語化できるというわけじゃない。事実とか事象ではない事柄、たとえば感情世界や感覚世界などは言語化するのは難しい。もちろん何かにたとえるとか、類似したもので説明することは決して不可能ではないだろう。ただそのものずばり、その本質を言葉にするのは困難な作業だ。
言葉にできないものは言葉にできないままにしておくのがいいと思う。
2023年7月18日火曜日
小藥元『なまえデザイン 「価値」を一言で伝える』
欧米ではどんな小さな道にも必ず名前が付いていて、その道の何番目かという数字が住所になると聞いたことがある。すべてがそうとは限らないだろうが、なんとかストリート、なんとかアベニューの何番という住所はよく見かける。日本の場合はある一定の区画に町名を付けて、さらに何丁目と区分していることが多い。道が境界線になっている。道一本隔てただけで○○町は、東○○町になったり、本○○町になったりする。
運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。
ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。
著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。
ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。
運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。
ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。
著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。
ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。
2023年1月29日日曜日
浅田次郎『珍妃の井戸』
アテネ五輪卓球男子シングルスの決勝は韓国の柳承敏対中国の王晧だった。
日本で実況するとユスンミン対オウコウということになる。実際の実況をおぼえていないのでたしかにそうアナウンスされたかどうかわからない。ただ日本では韓国の人は韓国語読みするのに対し中国人の場合は日本語読みする。リュウショウビン対ワンハオとはならない。韓国の呉尚根はオサンウン、朱世赫はチュセヒョクであり、中国の馬龍はマリュウ、張継科はチョウケイカであって、マロン、チャンジイカではない。どうしてなのかは知らない。
浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズを読んでいる。タイトルは『珍妃の井戸』(チンピのいど)だが、文中で珍妃はチェンフェイである。李鴻章(リイホンチャン)や袁世凱(ユアンシイカイ)など歴史上の人物はすぐにおぼえるが、途中でルビが省略されている人物などは前のページに戻って確認したりなどする。少し手間のかかる読書である。
そういえば山崎豊子の『大地の子』では主人公は陸一心。ルーイーシンであり、リクイッシンであった。中国側の登場人物も中国語読みのルビがふられていて読むのに苦労した記憶がある。当時すでに小さい文字が辛くなっていたのである。余談になるが、もし僕が中国残留孤児になるとしたら、やっぱり陸徳志のような養父に育ててもらいたいと思っている。
『珍妃の井戸』を読み終える。
この作品は『蒼穹の昴』の続編ともいえるし、サイドストーリーともいえる(むしろこの本から読みはじめた読者は理解できるのだろうか)。人の記憶はなんとあやふやで頼りないものなのか、そしていかに自分に都合よく再構成してしまうものなのか。おどろきの中国人は、中華思想のもとに生まれ育っているから、やはりそうなってしまうのか。ただ、ここに登場する証言者は誰ひとりとして嘘をついていないと僕は思っている。
さて次に読むのは『中原の虹』。張作霖はチャンヅオリンと読むらしい。
日本で実況するとユスンミン対オウコウということになる。実際の実況をおぼえていないのでたしかにそうアナウンスされたかどうかわからない。ただ日本では韓国の人は韓国語読みするのに対し中国人の場合は日本語読みする。リュウショウビン対ワンハオとはならない。韓国の呉尚根はオサンウン、朱世赫はチュセヒョクであり、中国の馬龍はマリュウ、張継科はチョウケイカであって、マロン、チャンジイカではない。どうしてなのかは知らない。
浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズを読んでいる。タイトルは『珍妃の井戸』(チンピのいど)だが、文中で珍妃はチェンフェイである。李鴻章(リイホンチャン)や袁世凱(ユアンシイカイ)など歴史上の人物はすぐにおぼえるが、途中でルビが省略されている人物などは前のページに戻って確認したりなどする。少し手間のかかる読書である。
そういえば山崎豊子の『大地の子』では主人公は陸一心。ルーイーシンであり、リクイッシンであった。中国側の登場人物も中国語読みのルビがふられていて読むのに苦労した記憶がある。当時すでに小さい文字が辛くなっていたのである。余談になるが、もし僕が中国残留孤児になるとしたら、やっぱり陸徳志のような養父に育ててもらいたいと思っている。
『珍妃の井戸』を読み終える。
この作品は『蒼穹の昴』の続編ともいえるし、サイドストーリーともいえる(むしろこの本から読みはじめた読者は理解できるのだろうか)。人の記憶はなんとあやふやで頼りないものなのか、そしていかに自分に都合よく再構成してしまうものなのか。おどろきの中国人は、中華思想のもとに生まれ育っているから、やはりそうなってしまうのか。ただ、ここに登場する証言者は誰ひとりとして嘘をついていないと僕は思っている。
さて次に読むのは『中原の虹』。張作霖はチャンヅオリンと読むらしい。
2022年10月23日日曜日
石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』
杉並区内には3つの川が流れている。
昔はもっとたくさんの中小河川があった。埋め立てられたか暗渠になって、今ではそのほとんどが遊歩道などになっている。3つの川は北から妙正寺川、善福寺川、神田川。いずれもおおざっぱに言えば西から東に流れている。善福寺川は中野富士見町あたりで神田川に合流し、妙正寺川も落合で神田川に文字通り落ち合う。
善福寺川沿いを歩いてみる。大きく蛇行をくり返しているところがこの川の魅力だ。杉並区の中心部に多くの緑地や広場、公園、運動場があるのもこの川が流れているからである。妙正寺川も蛇行しているが、大きく蛇行をはじめるのは中野区に入ってから。
今回歩いたのは環状八号線の南荻窪から善福寺池まで。下流に向かえば、前述のように豊かな緑がひろがるのであるが、その日は上流をめざした。この間、善福寺公園までは緑地や公園などない殺風景な道が続く。小さな蛇行に沿って歩く。川幅がだんだん狭くなっていく。
右岸を歩こうか、左岸を歩こうか、迷いながら行ったり来たりをくり返すうちに善福寺公園にたどり着く。善福寺川は下の池(善福寺池は上と下とふたつの池がある)から小さな滝のような段差を伝って流れていた。
文化放送大竹まことのゴールデンラジオを聴いていたら、この本の著者、ノンフィクション作家石井光太が紹介されていた。センセーショナルなタイトルの本でもあり、ついつい聴きいってしまった。
国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」という4つの力からなる能力と文部科学省では定義づけられているという。著者は、以下のように述べる。「私が思うに国語力とは、社会という荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な「心の船」だ。語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる」と。
以前読んだ藤原正彦『祖国とは国語』を思い出した。
昔はもっとたくさんの中小河川があった。埋め立てられたか暗渠になって、今ではそのほとんどが遊歩道などになっている。3つの川は北から妙正寺川、善福寺川、神田川。いずれもおおざっぱに言えば西から東に流れている。善福寺川は中野富士見町あたりで神田川に合流し、妙正寺川も落合で神田川に文字通り落ち合う。
善福寺川沿いを歩いてみる。大きく蛇行をくり返しているところがこの川の魅力だ。杉並区の中心部に多くの緑地や広場、公園、運動場があるのもこの川が流れているからである。妙正寺川も蛇行しているが、大きく蛇行をはじめるのは中野区に入ってから。
今回歩いたのは環状八号線の南荻窪から善福寺池まで。下流に向かえば、前述のように豊かな緑がひろがるのであるが、その日は上流をめざした。この間、善福寺公園までは緑地や公園などない殺風景な道が続く。小さな蛇行に沿って歩く。川幅がだんだん狭くなっていく。
右岸を歩こうか、左岸を歩こうか、迷いながら行ったり来たりをくり返すうちに善福寺公園にたどり着く。善福寺川は下の池(善福寺池は上と下とふたつの池がある)から小さな滝のような段差を伝って流れていた。
文化放送大竹まことのゴールデンラジオを聴いていたら、この本の著者、ノンフィクション作家石井光太が紹介されていた。センセーショナルなタイトルの本でもあり、ついつい聴きいってしまった。
国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」という4つの力からなる能力と文部科学省では定義づけられているという。著者は、以下のように述べる。「私が思うに国語力とは、社会という荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な「心の船」だ。語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる」と。
以前読んだ藤原正彦『祖国とは国語』を思い出した。
2022年10月16日日曜日
牟田都子『文にあたる』
毎日新聞朝刊一面の目立たないところに「毎日ことば」という連載がある。間違いやすい言葉や表記の仕方が複数ある言葉、あるいは本来の意味のとおりに使われていない言葉などを取り上げている。問いを投げかけ、答えは紙面のどこかにといったクイズ形式である。新聞社の校閲部が担当しているのだろうことはすぐにわかる。
校正は主に文字や文章の誤りを正す作業で校閲とは書かれている文章の内容や意味の誤りを正す作業ということらしい。多少の違いはあるもののどちらも原作者の書いた文章を100%の状態で世の中に晒すという点では同じ作業と言えなくもない。出版社などでは校正の担当者が校閲的な作業も受け持つという。この本の著者もそのようである。
広告の仕事を長くしてきた。文字校正(モジコウ)は日常的な作業だった。とはいえ映像媒体の校正と印刷媒体のそれとでは緊張感が全然違う。テレビCMで表示される文字量と新聞広告やカタログなどではくらべものにならない。印刷されて残るものと時間がたてば消えてなくなる(忘れられてしまう)のと違いは大きい(最近はユーチューブなどに長くアップされているCMも多いが)。
表現物の校正くらい消耗するのが広告主に提出する提案書の校正だ。誤字脱字はもちろんのこと、表記にも気を遣う。クライアントのホームページに掲載されている文章を参照する。そこで「子供」と書かれていたら、「子ども」や「こども」にしない。理系の会社のパンフレットなどによくあるのはJIS規格に則った表記である。「デジタル」が「ディジタル」、「ユーザー」が「ユーザ」だったりする。
校正には正解がないとも言われる。それでいて100%を求められる。そして校正紙が世に出ることはない。この本のおもしろさは校正のテクニカルではなく、校正者の毎日が描かれているところだ。
そうか、校正ってTVCMの絵コンテやグラフィックデザインのサムネイルみたいな仕事なんだ。
校正は主に文字や文章の誤りを正す作業で校閲とは書かれている文章の内容や意味の誤りを正す作業ということらしい。多少の違いはあるもののどちらも原作者の書いた文章を100%の状態で世の中に晒すという点では同じ作業と言えなくもない。出版社などでは校正の担当者が校閲的な作業も受け持つという。この本の著者もそのようである。
広告の仕事を長くしてきた。文字校正(モジコウ)は日常的な作業だった。とはいえ映像媒体の校正と印刷媒体のそれとでは緊張感が全然違う。テレビCMで表示される文字量と新聞広告やカタログなどではくらべものにならない。印刷されて残るものと時間がたてば消えてなくなる(忘れられてしまう)のと違いは大きい(最近はユーチューブなどに長くアップされているCMも多いが)。
表現物の校正くらい消耗するのが広告主に提出する提案書の校正だ。誤字脱字はもちろんのこと、表記にも気を遣う。クライアントのホームページに掲載されている文章を参照する。そこで「子供」と書かれていたら、「子ども」や「こども」にしない。理系の会社のパンフレットなどによくあるのはJIS規格に則った表記である。「デジタル」が「ディジタル」、「ユーザー」が「ユーザ」だったりする。
校正には正解がないとも言われる。それでいて100%を求められる。そして校正紙が世に出ることはない。この本のおもしろさは校正のテクニカルではなく、校正者の毎日が描かれているところだ。
そうか、校正ってTVCMの絵コンテやグラフィックデザインのサムネイルみたいな仕事なんだ。
2022年9月8日木曜日
藤田久美子『松本隆のことばの力』
今年になって何回か軽井沢を訪れている。
それなりに用事があって出かけているのであまり観光はしていない。そもそもが軽井沢は、僕にとって降ってわいたような土地であり、多くの観光地、リゾート地同様これまでまったく無縁の町であった。軽井沢まで出かけて、どこか行きたいところはありますか、見てみたいところはありますかなどと訪ねられても咄嗟に答えが思い浮かばない。これが長崎だったら、グラバー邸ですかね、松山だったら道後温泉ですかねなどと恥ずかしながらわずかな知識を絞り出すことはけっして不可能ではない。これまで軽井沢とあまりに接点のない生活を送ってきたせいか、知識がないどころか興味関心がない。
宿所で地図を見る。今ではタブレット端末やスマートフォンで見ることができる。近くに見どころありそうなものはないか眺めてみる。万平ホテルが目に入る。調べてみると由緒あるリゾートホテルのようである。宿所から徒歩15分。朝の散歩にちょうどいい距離だ。
翌朝、川沿いの道を歩いてみる。矢ヶ崎川という。まわりはほとんど別荘か、ときおり企業の保養施設のような建物が見える。木立のなかをリスが走っている。
万平ホテルが見えてきた。フランスの、ドイツとの国境に近いアルザス地方で見かけるような建物である。もちろんアルザス地方に行ったことはいちどもない。軽井沢の町をクルマで移動しているとこのホテルを模した建築物が多いように思った。ある意味軽井沢を象徴する建物なのだろう。
万平ホテルはジョン・レノンの愛した宿として、また宮崎駿のアニメーション映画「風立ちぬ」の舞台として知られる創業130年の名門ホテルである。
「風立ちぬ」といえば、松本隆が作詞し、大瀧詠一が作曲した松田聖子のヒット曲があった。そんなことを思い出す。ここで堀辰雄の『風立ちぬ』を思い出すのが教養ある読書人なのであろうが、そのうちに読んでみたいと思っている。
それなりに用事があって出かけているのであまり観光はしていない。そもそもが軽井沢は、僕にとって降ってわいたような土地であり、多くの観光地、リゾート地同様これまでまったく無縁の町であった。軽井沢まで出かけて、どこか行きたいところはありますか、見てみたいところはありますかなどと訪ねられても咄嗟に答えが思い浮かばない。これが長崎だったら、グラバー邸ですかね、松山だったら道後温泉ですかねなどと恥ずかしながらわずかな知識を絞り出すことはけっして不可能ではない。これまで軽井沢とあまりに接点のない生活を送ってきたせいか、知識がないどころか興味関心がない。
宿所で地図を見る。今ではタブレット端末やスマートフォンで見ることができる。近くに見どころありそうなものはないか眺めてみる。万平ホテルが目に入る。調べてみると由緒あるリゾートホテルのようである。宿所から徒歩15分。朝の散歩にちょうどいい距離だ。
翌朝、川沿いの道を歩いてみる。矢ヶ崎川という。まわりはほとんど別荘か、ときおり企業の保養施設のような建物が見える。木立のなかをリスが走っている。
万平ホテルが見えてきた。フランスの、ドイツとの国境に近いアルザス地方で見かけるような建物である。もちろんアルザス地方に行ったことはいちどもない。軽井沢の町をクルマで移動しているとこのホテルを模した建築物が多いように思った。ある意味軽井沢を象徴する建物なのだろう。
万平ホテルはジョン・レノンの愛した宿として、また宮崎駿のアニメーション映画「風立ちぬ」の舞台として知られる創業130年の名門ホテルである。
「風立ちぬ」といえば、松本隆が作詞し、大瀧詠一が作曲した松田聖子のヒット曲があった。そんなことを思い出す。ここで堀辰雄の『風立ちぬ』を思い出すのが教養ある読書人なのであろうが、そのうちに読んでみたいと思っている。
2022年8月21日日曜日
西武アキラ(絵)こざきゆう(文)矢野貴寿(企画・原案)『いえのなかのぼやき妖怪ずかん』
いつものCMプランナーが大阪から来たという若いコピーライターを紹介してくれた。彼の書いたナレーション原稿をもとに企画の打合せをし、いつしかその仕事は終わっていた。手頃な保険料、手厚い保障をタレントが一方的に語り、フリーダイヤルの番号に資料請求を促すCMだった。収録の現場で熱心にモニターを見入っていた(聴き入っていた)コピーライター氏を思い出す。
少し後で僕が主にテレビCMを担当していた製薬会社のラジオCM原稿を彼が書いていたことを知る。広告主の言いたいことを20秒にまとめさえすればいい。つくり手にとっておもしろくない仕事だ。若きコピーライター氏も会社員だし、こういう仕事もこなさなければならないのだろうなあと思っているうちに、彼が宣伝会議賞(というコピーライターの登竜門的な賞がある)を獲ったと聞く。やるなあ、と思っていたら、今度はTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞する。そして大阪へ帰って行った。そのわずかな東京勤務時代に僕はこの本の原案を担当した矢野貴寿と出会ったのである。
その後も僕は矢野貴寿の仕事に注目していた。電通のコピーライターとしては当然なのかもしれないが、とにかく勉強熱心なのである。人一倍努力家である彼の書くコピーはけっして奇抜なものではない。人をよく観察していて、ああこれってあるよねといった身近なシーンを見い出しては静かに語る。すぐれた目と耳を持っていることはそのコピーを見ればわかる。
この絵本もそうだ。妖怪は非科学的存在。見えないものの見える化された存在だ。心のなかで何となくもやもやしていた気持ちをさりげなく顕在化する。これって「気づき」をたいせつにする矢野貴寿のコピーライティングの作法だ。
矢野貴寿のなかには企業の課題を見出し、コミュニケーションをなめらかにする妖怪がきっと、棲んでいる。
2022年8月3日水曜日
延江浩『松本隆 言葉の教室』
まだ学生だった1981年にはディンギーなどという言葉は知らなかった。
大瀧詠一が歌ってヒットした「君は天然色」という楽曲を聴いていると、「渚を滑るディンギーで」という一節が登場する。渚を滑るディンギーとは何ぞやと思ったものである。ほどなくして当時のナンバーワンアイドル歌手である松田聖子が新曲「白いパラソル」で「風を切るディンギーでさらってもいいのよ」と歌い出した。ディンギーとは何なのか。その頃は特段その意味を知ることが重要とも思えなかったのでほったらかしにしておいた。渚を滑って、風を切るディンギーの何たるかを知らないからと言って大瀧詠一や松田聖子の歌を聴くうえで差し障りはなかったのである。
この2曲。作詞はともに松本隆。
以前『阿久悠と松本隆』という本を読んだ。歌謡曲(流行歌、JPOPなどと呼び方はさまざまであるが)の代表的なつくり手に光を当てながら、ヒット曲の系譜が語られる。時代の渇きを歌にしてきた阿久と時代に寄り添うことのなかった松本隆が対照的に描かれている。
作品のなかでディンギーを軽快に操る松本隆は東京青山生まれ。東京に生まれ育ったものとしては(そうイメージしてしまうのも偏見かもしれないが)、青山生まれで青南小学校から慶應中等部に進んだと聞けば、どんな環境で育ったかたいてい想像がつく。裕福に育ったのだなと思う。裕福なんて言葉を使うと貧乏人のやっかみのように聞こえていやなのだが、松本は物質的に恵まれた生活をしていただけでなく、後に作詞家として大成するだけの素養を少年時代の読書によって育み、バンド活動においても細野晴臣、大瀧詠一ら才能豊かなメンバーと出会うだけのすぐれた資質を育んできたように思える。松本隆のよさのひとつは、何かに没頭できること、没頭できることを見い出す力があったことなのではないか。
あれから何年か経って、ようやくディンギーが小型のヨットと知った。
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