子どもの頃はよく映画を観た。月島のおばちゃん(母の叔母)に連れていってもらった築地の松竹でガメラを観たし、大井町にも映画館がいくつかあった。映画は僕らの世代でも身近な娯楽だった。
中学生、高校生になって映画は観なくなった。この時期は本も読まなくなったし、当時何をしていたか思い出せないけれど、娯楽のない毎日を過ごしていた。
高校時代、唯一観てみたいなと思った映画がある。「人間の証明」である。テレビコマーシャルで大々的に宣伝され、話題作となった。テーマ曲もヒットした。いわゆる角川映画の嚆矢ともいえる作品である。そんな宣伝文句に惹かれて久しぶりに映画を観に行こうと思ったのだ。監督は佐藤純彌、脚本は松山善三。もちろん彼らがすごいスタッフだと知ったのはずっと後のことだけれど、これまでにないスケールの大きな映画という印象を受けた。
映画が公開されたのがたしか1977年。大学受験を控えた高校3年生だった。原作はそれより前に出たのではないか。僕は角川文庫で読んだ。まず本で読むというのは昔からの悪い癖で野球の本や剣道の本、卓球の本など新しいスポーツに興味を持つとまず指南書のような書物に頼ってしまうのである。こういう頭でっかちはたいてい上達なんぞしない。
そういえば作者の森村誠一は昨年亡くなった。没後一年ということで縁のある町田市の市民文学館で森村誠一展が開催されているというニュースが流れていた。行ってみたい気もするが、『人間の証明』しか読んだことのない薄い読者としては敷居が高い。むしろ三鷹市に今年できた吉村昭書斎に行ってみたい。こっちはそれほど敷居が高くない。
『人間の証明』を読んだ記憶はあるが、中身はさほど憶えていない。映画も結局ロードショーで観ることはなく、ずっと後になってテレビで観た。そこでああ、こんなお話だったんだっけと思い出したのである。
母さん、僕のあの記憶どうしたでせうね?
2024年11月19日火曜日
2024年8月11日日曜日
川端康成『親友』
日本人は惜敗を賞賛する。もちろん懸命に闘った敗者を称えることは悪いことではない。ただ手放しで称えることは如何なものか。
オリンピックの卓球。男子シングルス準々決勝では張本智和が中国の樊振東を最後逆転されたものの追い詰めた。女子団体のダブルスもあと一歩のところで逆転された。スポーツ報道は例によって健闘を称える。2月に行われた世界選手権団体では女子は先に王手をかけたが逆転負け。このときも日本と中国は実力が伯仲してきたなどと報道された。
スポーツ競技で本来目指すべきは勝利ではないのか。もちろん大きく見れば人間的に成長させるという視点も大切だろうが、大きな大会にのぞむにあたり、やはり目標が設定される。卓球でいえば、中国を倒して金メダルということになるだろう。それをオリンピックの度に、世界選手権の度に日本は苦杯を舐めてきた。目標が完遂できなかったからには反省があり、勝利するために強化すべきポイントを掲げ、そのために練習方法を改善する必要があるはずだ。当然相手選手の研究も。どこをどう強化すれば中国卓球に勝てるのか。報道が伝えるべきは、今終わった試合の敗者を称えるだけでなく、相手のどこを攻めればよかったのか、なぜそれができなかったのか、できるようになるにはどのような練習が必要なのか、ではないか。
卓球の大きな大会がある度に日本じゅうが盛り上がり、勝ち進むことで期待が高まり、最終決戦を迎える。ここで王者に悉く敗れる。こんなことをいつまで繰り返しているのだろう。
実況中継で解説者が言う。中国選手は中国製の回転のかかりやすいラバーを使っていると。ならば日本選手だって同じラバーを使えばいいじゃないか。大人の都合で日本選手は日本製のラバーを使わなくちゃいけないとするならば、まず正すべきは「大人の都合」だ。
川端康成の『親友』を読む。少女雑誌に連載されていたという。川端には思いのほかこうした作品が多い。
オリンピックの卓球。男子シングルス準々決勝では張本智和が中国の樊振東を最後逆転されたものの追い詰めた。女子団体のダブルスもあと一歩のところで逆転された。スポーツ報道は例によって健闘を称える。2月に行われた世界選手権団体では女子は先に王手をかけたが逆転負け。このときも日本と中国は実力が伯仲してきたなどと報道された。
スポーツ競技で本来目指すべきは勝利ではないのか。もちろん大きく見れば人間的に成長させるという視点も大切だろうが、大きな大会にのぞむにあたり、やはり目標が設定される。卓球でいえば、中国を倒して金メダルということになるだろう。それをオリンピックの度に、世界選手権の度に日本は苦杯を舐めてきた。目標が完遂できなかったからには反省があり、勝利するために強化すべきポイントを掲げ、そのために練習方法を改善する必要があるはずだ。当然相手選手の研究も。どこをどう強化すれば中国卓球に勝てるのか。報道が伝えるべきは、今終わった試合の敗者を称えるだけでなく、相手のどこを攻めればよかったのか、なぜそれができなかったのか、できるようになるにはどのような練習が必要なのか、ではないか。
卓球の大きな大会がある度に日本じゅうが盛り上がり、勝ち進むことで期待が高まり、最終決戦を迎える。ここで王者に悉く敗れる。こんなことをいつまで繰り返しているのだろう。
実況中継で解説者が言う。中国選手は中国製の回転のかかりやすいラバーを使っていると。ならば日本選手だって同じラバーを使えばいいじゃないか。大人の都合で日本選手は日本製のラバーを使わなくちゃいけないとするならば、まず正すべきは「大人の都合」だ。
川端康成の『親友』を読む。少女雑誌に連載されていたという。川端には思いのほかこうした作品が多い。
2021年11月8日月曜日
吉村昭『蜜蜂乱舞』
はじめてこの本を読んだのは7年前。養蜂のことなど何も知らなかった。
養蜂には同じ場所でさまざまな花の蜜を採取する定置養蜂と花を探しもとめて日本全国旅を続ける移動養蜂がある。移動養蜂は莫大な労力とコストを必要とする。
特攻隊の基地があった鹿児島県鹿屋市。蜂屋の伊八郎は、毎年の菜の花の季節が終わると新たな花を求めて北へ向かう。巣箱は2台のトラックに載せ、採蜜に必要な道具のほか炊事用具、テントもライトバンに積みこむ。7ヶ月におよぶ旅のはじまりである。
蜜蜂は暑さにも寒さにも弱い。巣箱のなかに熱がこもることで死んでしまう。これは蒸殺と呼ばれ、移動中細心の注意が払われる。気温の下がった夜に移動をはじめ、風を通すために極力停車させない。そして夜明け前に蜂場に到着するよう配慮する。採蜜を続けながら、本州へ。長野、青森を経て、連絡船で北海道十勝へたどり着く。
蜜蜂たちの日々の動きを観察することも欠かせない。分蜂という新たな女王蜂の誕生があり、盗蜂といって自分の巣箱以外の蜜を盗む蜂もあらわれる。経験を積んだ鉢屋は次々に起こる事態を冷静に対処する。
花のある場所付近にスズメバチの巣がないかも確認する。見つかった場合はすみやかに処分する。秋になって食べ物を求めて羆があらわれる。蜂蜜を大好物とする羆は蜂だけでなく、人をも襲う。そのためにライトバンには猟銃も用意されている。いのちがけの仕事なのである。
吉村作品にはマグロを追いかけたり、ハブを生け捕りにする話もある。スケール感や恐怖感では蜜蜂の比ではないかもしれないが、この物語には蜜蜂を見つめるまなざしの深さと家族の秩序を常に考える愛情に満ちた伊八郎の生き方がしっかりつながっている。蒸殺で蜂を失った男、家族を捨て殺人を犯した仲間、轢き逃げで刑務所で暮らす長男の妻の兄。伊八郎一家と隣り合わせているこれらの挫折。こうした緊張感が彼ら家族の絆をいっそう深めている。
2020年7月27日月曜日
石井妙子『女帝小池百合子』
怪獣が宇宙から、あるいは地中から、海からやってきて、大勢の人が逃げ惑う。リヤカーや大八車に布団やタンスを載せている人もいる。後方から巨大な生命体が地響きを立てて迫りくる。人々はただ逃げていくだけで、どこへ逃げるかもわからない。
緊急事態宣言という言葉に関して抱くイメージはこんなものであった。
現実の緊急事態は、じっと家の中にとどまっているだけで、リヤカーも大八車も町中で見かけることはなかった。実際に地方に疎開した人もいると聞くが、おそらくは自家用車で移動しただろうし、布団もタンスも持って行ってはいないだろう。
先月末、緊急事態宣言後、熱海に疎開していた内山田東平さんが東京に戻ってきた。
内山田さんは、20年以上前に大手広告会社をリタイアされ、その後しばらく大学で教鞭をとられていた。今は悠々自適の日々であるが、人に頼まれて、コピーなど文章を執筆されている。
ひさしぶりにお昼でも食べましょうということで西荻窪駅で待ち合わせた日はマスクをするのも億劫に感じるほど蒸し暑い日だった。はじめに向かった蕎麦屋は午後一時をまわったというのに店外で待つ人が多く、駅に近い洋食店に向かう。冷たいビールで喉を潤し、ワインとおつまみ2品のセットを注文。近況を報告し合う。何杯かワインをおかわりした後、お腹が空いたねえと店を出て、やはり駅に近いラーメンの店へ。冷や酒を飲みながらラーメンを食べた。いわゆる〆のラーメン。夜みたいな飲み方をしてしまった。
東京都知事選は翌週に迫っていた。
この本はマスコミでずいぶんと話題になっていたが、なかなか読めず、先日ようやく読み終えた。別段、これといって感想はない。こういう人は世のなかにいる。
どうでもいいかなと思ったのは、一方的に小池百合子を「こういう人」だと決めてかかっているところがつまらなかったからだ。もう少し、「いい人」としてもち上げてからでもよかったのではないかと思った。
2020年4月29日水曜日
岡崎武『上京する文學』
すっかり忘れていた。
昨年の10月だったか、はじめてヘリコプターに乗ったのだ。もちろん仕事で、である。東京の海ごみ(そのほとんどがプラごみ)を減らしましょうというキャンペーン動画で海ごみの主な流入口とされる河川を中心に撮影することになり、ともに企画制作を担当する新聞社のヘリコプターに同乗したのである。
羽田を離陸した後、高度規制の関係で多摩川をしばらく遡上して都内に入る。東海道新幹線が見えていたから、おそらく鵜の木から田園調布あたりかと思う。台場から新国立競技場、都庁周辺をまわって、赤羽の水門付近から、荒川を下る。被写体として荒川が選ばれたのは都内の大きな河川で広い河川敷を持っているからだ。そこにはポイ捨てされたプラごみも多い。隅田川は護岸されているし、東京都のキャンペーンなので対岸が他県の江戸川や多摩川だと、それでもかまわないのだが、少し気にかかる。
当日は晴れてはいたけれど、少しガスがかかったような天気で見通しがあまりよくない。一週間先延ばしすればスカッと晴れたのにと、それはもちろん後で思ったこと。
空から眺める東京は小さく感じた。渋滞のないせいもあるけれど、台場~新宿~赤羽~荒川河口があっという間なのである。東京は狭い。
「上京」という言葉にぴんとこないのは、上京した経験がないからだろう。上京者は上京前と上京後というふたつの人生と文化に出会っている。些細なことかもしれないが、この二面性は大きい(と上京経験のない僕は思う)。
本書は「文學」にまつわる上京者の状況を調べ上げている。必ずしも地方出身者に限らないところもおもしろい人選だ。野呂邦暢という名前をはじめて知る。著者が特に力を込めて語っている長崎県出身の(そして上京を経て、長崎を舞台に活躍した)小説家である。
さっそく読んでみた。
著者もそうだが、同世代では奥田英朗も上京者だ。先日読んだ『東京物語』はまさに上京物語だった。
昨年の10月だったか、はじめてヘリコプターに乗ったのだ。もちろん仕事で、である。東京の海ごみ(そのほとんどがプラごみ)を減らしましょうというキャンペーン動画で海ごみの主な流入口とされる河川を中心に撮影することになり、ともに企画制作を担当する新聞社のヘリコプターに同乗したのである。
羽田を離陸した後、高度規制の関係で多摩川をしばらく遡上して都内に入る。東海道新幹線が見えていたから、おそらく鵜の木から田園調布あたりかと思う。台場から新国立競技場、都庁周辺をまわって、赤羽の水門付近から、荒川を下る。被写体として荒川が選ばれたのは都内の大きな河川で広い河川敷を持っているからだ。そこにはポイ捨てされたプラごみも多い。隅田川は護岸されているし、東京都のキャンペーンなので対岸が他県の江戸川や多摩川だと、それでもかまわないのだが、少し気にかかる。
当日は晴れてはいたけれど、少しガスがかかったような天気で見通しがあまりよくない。一週間先延ばしすればスカッと晴れたのにと、それはもちろん後で思ったこと。
空から眺める東京は小さく感じた。渋滞のないせいもあるけれど、台場~新宿~赤羽~荒川河口があっという間なのである。東京は狭い。
「上京」という言葉にぴんとこないのは、上京した経験がないからだろう。上京者は上京前と上京後というふたつの人生と文化に出会っている。些細なことかもしれないが、この二面性は大きい(と上京経験のない僕は思う)。
本書は「文學」にまつわる上京者の状況を調べ上げている。必ずしも地方出身者に限らないところもおもしろい人選だ。野呂邦暢という名前をはじめて知る。著者が特に力を込めて語っている長崎県出身の(そして上京を経て、長崎を舞台に活躍した)小説家である。
さっそく読んでみた。
著者もそうだが、同世代では奥田英朗も上京者だ。先日読んだ『東京物語』はまさに上京物語だった。
2020年4月28日火曜日
牧村健一郎『評伝 獅子文六』
新型コロナウイルスの騒ぎで、多くのイベントが中止や延期になっている。
大相撲春場所は無観客で開催、中央競馬も無観客で日程を消化している(競馬会の収入の柱は勝ち馬投票券なので大きな影響を受けないという)が、選抜高校野球は中止、東京六大学野球、プロ野球は延期、その他スポーツに限らず自粛の嵐が吹き荒れている。このような状況がはたしていつまで続くのか。
先日、全国高校総合体育大会(インターハイ)の中止も決定された。今夏の甲子園にも影響を及ぼすだろう。高校野球はすでに各地の春季大会が中止になっている。練習はおろか、新入部員の勧誘もできないわけだから、部活動とはいえ事態は深刻だ。
2月頃、珍しく仕事に追われ(それだけじゃないのだが)、3月になったら行こうと思っていた神奈川文学館の企画展・収蔵コレクション展18「没後50年 獅子分六展」も会期が短縮され、3月3日で終わってしまった。ひさしぶりに横浜に出かけ、餃子、焼売、サンマーメンでビールを飲もうと思っていた。残念である。
昨秋には、この催しのプレイベント的にラピュタ阿佐ヶ谷で「獅子文六ハイカラ日和」と題する古い映画の特集が組まれていた。12月にはシウマイの崎陽軒とタイアップしたちくま文庫『やっさもっさ』が発売され、話題になった。
大衆小説家として一世を風靡した獅子分六もいつの間やら人気が下火になり、忘れ去られそうになっていた。それでも獅子文六を評価する識者、読者による地道な再発見の努力が重ねられていた。筑摩書房による文庫化、映画の特集や「獅子分六展」もこうした流れのひとつ。そしてこの評伝も。
自粛ムードのなか、ステイホーム週間になってしまいそうなゴールデンウィーク(NHKは頑なにこの言葉を避け、大型連休と呼んでいるが)であるが、黄金週間という言葉を生んだ作家に(厳密には映画の原作者に)あらためて目を向けてみるのはけっして悪いことではあるまい。
大相撲春場所は無観客で開催、中央競馬も無観客で日程を消化している(競馬会の収入の柱は勝ち馬投票券なので大きな影響を受けないという)が、選抜高校野球は中止、東京六大学野球、プロ野球は延期、その他スポーツに限らず自粛の嵐が吹き荒れている。このような状況がはたしていつまで続くのか。
先日、全国高校総合体育大会(インターハイ)の中止も決定された。今夏の甲子園にも影響を及ぼすだろう。高校野球はすでに各地の春季大会が中止になっている。練習はおろか、新入部員の勧誘もできないわけだから、部活動とはいえ事態は深刻だ。
2月頃、珍しく仕事に追われ(それだけじゃないのだが)、3月になったら行こうと思っていた神奈川文学館の企画展・収蔵コレクション展18「没後50年 獅子分六展」も会期が短縮され、3月3日で終わってしまった。ひさしぶりに横浜に出かけ、餃子、焼売、サンマーメンでビールを飲もうと思っていた。残念である。
昨秋には、この催しのプレイベント的にラピュタ阿佐ヶ谷で「獅子文六ハイカラ日和」と題する古い映画の特集が組まれていた。12月にはシウマイの崎陽軒とタイアップしたちくま文庫『やっさもっさ』が発売され、話題になった。
大衆小説家として一世を風靡した獅子分六もいつの間やら人気が下火になり、忘れ去られそうになっていた。それでも獅子文六を評価する識者、読者による地道な再発見の努力が重ねられていた。筑摩書房による文庫化、映画の特集や「獅子分六展」もこうした流れのひとつ。そしてこの評伝も。
自粛ムードのなか、ステイホーム週間になってしまいそうなゴールデンウィーク(NHKは頑なにこの言葉を避け、大型連休と呼んでいるが)であるが、黄金週間という言葉を生んだ作家に(厳密には映画の原作者に)あらためて目を向けてみるのはけっして悪いことではあるまい。
2020年4月21日火曜日
平山三郎『実歴阿房列車先生』
鉄道趣味はある時期、オタク(ヲタク)などと呼ばれることもあり、自ら公言するのは憚られていたように思う。列車の写真を撮影したり、時刻表を眺めていることは好きだったけれど、自分で自分を鉄道ファンだと認めたくないところはあった。まあ、こういうことも不勉強のなせる業であって、歴史を紐解いてみれば、鉄道をこよなく愛する人物がいかに多かったかがわかる。阿川弘之、実相寺昭雄、川本三郎、関川夏央…。
そのなかでも内田百閒は、鉄道趣味普及啓発の父と呼んでもいいくらい鉄道に関する文章を遺している。『阿房列車』と称される鉄道紀行は全15編。新潮文庫で第一から第三まで3巻のシリーズに収められている。その旅のほとんどが無目的。用事がなく、ただただ列車に乗るためだけの旅行である。今でいう「乗り鉄」かというとそればかりではなく、駅のホームにこれから乗車する列車が入線すると、機関車と連結された客車の一両一両を丹念に眺めてまわったというから装置としての鉄道についても深い興味を抱いていたに違いない。
不思議な人物が登場する。ヒマラヤ山系という。日本全国くまなく旅をした百閒先生に付き添って同乗した人物である。後で調べてみるとこの人は、国鉄の職員で戦後、機関誌『國鐵』の編集者として内田百閒と付き合い、長い旅のパートナーとなった平山三郎であることがわかる。この本の著者である。
素人的なイメージでいえば、作家と編集者の関係はある意味主従関係に近いものを感じている。言うことを聞かないわがままな作家先生をおだててなだめて、筆を進ませるのが編集者の仕事ではないかと思っている。あの手この手で締め切りまでに原稿を書かせようと躍起になる姿を想像する。ところが旅の中でヒマラヤ山系=平山三郎は、百閒先生の思い付きやわがままをするりとかわす。先生の思考回路や感情の機微を完全に掌握しているようだ。たよりになる同行者だったことだろう。
そのなかでも内田百閒は、鉄道趣味普及啓発の父と呼んでもいいくらい鉄道に関する文章を遺している。『阿房列車』と称される鉄道紀行は全15編。新潮文庫で第一から第三まで3巻のシリーズに収められている。その旅のほとんどが無目的。用事がなく、ただただ列車に乗るためだけの旅行である。今でいう「乗り鉄」かというとそればかりではなく、駅のホームにこれから乗車する列車が入線すると、機関車と連結された客車の一両一両を丹念に眺めてまわったというから装置としての鉄道についても深い興味を抱いていたに違いない。
不思議な人物が登場する。ヒマラヤ山系という。日本全国くまなく旅をした百閒先生に付き添って同乗した人物である。後で調べてみるとこの人は、国鉄の職員で戦後、機関誌『國鐵』の編集者として内田百閒と付き合い、長い旅のパートナーとなった平山三郎であることがわかる。この本の著者である。
素人的なイメージでいえば、作家と編集者の関係はある意味主従関係に近いものを感じている。言うことを聞かないわがままな作家先生をおだててなだめて、筆を進ませるのが編集者の仕事ではないかと思っている。あの手この手で締め切りまでに原稿を書かせようと躍起になる姿を想像する。ところが旅の中でヒマラヤ山系=平山三郎は、百閒先生の思い付きやわがままをするりとかわす。先生の思考回路や感情の機微を完全に掌握しているようだ。たよりになる同行者だったことだろう。
登録:
投稿 (Atom)