文七元結という噺がある。腕のいい左官職人の長兵衛が賭事に身をやつして無一文になってしまう。それでも援助してくれる人がいて再起するための50両を貸してくれる。その帰り途、本所吾妻橋に身を投げようとしている奉公人らしき若者にばったり。何とか踏みとどませる。聞けば集金してきた50両をどこかですられたらしい、ついては死んで主人にお詫びがしたいと。長兵衛の懐には50両。どうしたものかと逡巡したあげく、彼はその若者文七に押し付けるようにしてくれてやる。長兵衛の50両はひとり娘を吉原の遊郭に人質のごとく預けて得た金である。ここで下手なあらすじを記すのは意味がない。実際に噺を聴いていただきたい。できれば立川談志か古今亭志ん朝で。
聴いていて不思議の思うのはそれだけの大事な大金をなぜ偶然ばったり出会った見ず知らずの小僧にくれたやったかである。今の世の中では当然考えられない。むしろ金に困った若者が通りすがりの職人を刺して強奪する方が(哀しいことながら)今風である。江戸の下町は困った人を放ってはおけなかったのだ。ほとんど無意識のうちに(人助けと思う間もなく)人助けをする町だったのだ。
利他という概念は以前読んだ北村匡一の『遊びと利他』という本で知った。利他の反対は利己であるが、主観と客観みたいな単純な対義語ではない。いくら他人に利する利他的行為もそれが意識してなされる場合、ほとんど利己的なものになってしまう。利他的行為とは何かに突き動かされるように湧き起こる。それが利他であるかどうか、その時点ではわからない。偶然に支配されている。
中島岳志はときどきラジオで聴く。政治学者という肩書きで。インドの政治が専門のようだが今では幅広い領域で活躍している。
利他についてはまだまだ理解しきれていない。人間は自分の意思で自らも世界もコントロールしていると勘違いしている。そんなことはないと利他は教えてくれる。
2025年10月9日木曜日
2024年8月25日日曜日
三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』
お盆。南房総の父の実家に一晩泊まり、墓参りに行く。
朝はやく出かければ日帰りもできるだろうが、慌ただしいのでのんびり東京を出て、その日は父の墓に行き、翌日は隣集落の母方の祖父母伯父伯母の眠る墓所を訪ねる。従兄弟の家をまわり、線香をあげる。
つい何年か前まで房州は昼間はそれなりに暑いけれど日が翳るといい風が吹いて凌ぎやすくなったものだ。窓を開け放つと夜もなんとか眠れる。はずだった。このところの猛暑は情け容赦なく南房総の海辺の町にも襲いかかる。夕食を済ませ、することもないのではやめに寝るとする。ところがこれが眠れない。開け放した窓からほとんど風が入ってこない。扇風機の風を浴びながら何度も寝返りを打つ。夜中にも熱中症になる人が多いと聞く。ときどき起き上がって水を飲む。納戸からもう一台扇風機を出す。
ラジオでも聴こうかとスマホに手を伸ばす。昼間聴きそびれた番組を聴く。それでも眠りは訪れない。ユーチューブで落語を聴く。ときどき水を飲む。とうとうペットボトル2本の水がなくなる。近くの自販機まで買いに行く。時計を見ると午前四時だ。じきに夜が明ける。
先日読み終えたこの本を思い出した。三遊亭圓朝の噺を速記で読みものにしたものだ。録音も録画もない時代に噺を速記で書き留めておく、それだけで圓朝の偉大さがわかる。
ユーチューブには六代目三遊亭圓生の『真景累ヶ淵』がアップされている。たしか三まで聴いている(一から八まである)。四を聴こうかと思ったがやめた。さらに眠れなくなりそうな気がしたから。
結局明るくなるまで起きていた。五時を過ぎていたと思う。白々と夜が明けて来ていた。目が覚めたのは七時過ぎ。少しは眠ったのだろう。
朝食を済ませ、布団をたたみ、夜中に出した扇風機をしまいに行く。納戸には以前叔母が持ってきてくれたポータブルクーラーがあった。昨日のうちに気がついていれば、もう少し快適な夜だったのに。
朝はやく出かければ日帰りもできるだろうが、慌ただしいのでのんびり東京を出て、その日は父の墓に行き、翌日は隣集落の母方の祖父母伯父伯母の眠る墓所を訪ねる。従兄弟の家をまわり、線香をあげる。
つい何年か前まで房州は昼間はそれなりに暑いけれど日が翳るといい風が吹いて凌ぎやすくなったものだ。窓を開け放つと夜もなんとか眠れる。はずだった。このところの猛暑は情け容赦なく南房総の海辺の町にも襲いかかる。夕食を済ませ、することもないのではやめに寝るとする。ところがこれが眠れない。開け放した窓からほとんど風が入ってこない。扇風機の風を浴びながら何度も寝返りを打つ。夜中にも熱中症になる人が多いと聞く。ときどき起き上がって水を飲む。納戸からもう一台扇風機を出す。
ラジオでも聴こうかとスマホに手を伸ばす。昼間聴きそびれた番組を聴く。それでも眠りは訪れない。ユーチューブで落語を聴く。ときどき水を飲む。とうとうペットボトル2本の水がなくなる。近くの自販機まで買いに行く。時計を見ると午前四時だ。じきに夜が明ける。
先日読み終えたこの本を思い出した。三遊亭圓朝の噺を速記で読みものにしたものだ。録音も録画もない時代に噺を速記で書き留めておく、それだけで圓朝の偉大さがわかる。
ユーチューブには六代目三遊亭圓生の『真景累ヶ淵』がアップされている。たしか三まで聴いている(一から八まである)。四を聴こうかと思ったがやめた。さらに眠れなくなりそうな気がしたから。
結局明るくなるまで起きていた。五時を過ぎていたと思う。白々と夜が明けて来ていた。目が覚めたのは七時過ぎ。少しは眠ったのだろう。
朝食を済ませ、布団をたたみ、夜中に出した扇風機をしまいに行く。納戸には以前叔母が持ってきてくれたポータブルクーラーがあった。昨日のうちに気がついていれば、もう少し快適な夜だったのに。
ラベル:
エンターテインメント,
南房総,
日本の小説,
落語
2024年5月31日金曜日
三遊亭圓生『噺のまくら』
高校の同期会があった。本来は還暦同期会という主旨で2020年に開催される予定だった。還暦を迎える年は2019年だったが、全員が60歳になったところで実施しようということで1年遅れで計画されたらしい。世の中にはおかしなことを考える人がいるものだ。当然のことながら2020年はコロナ蔓延で中止。新型コロナの感染が落ち着いてきたところで再度計画され、この5月に開催となった。還暦ではなく、高齢者同期会になった。
同期会とかクラス会にはあまり積極的に参加する方ではない。それでも3回か4回は出席している。同じクラスによくしゃべったりするような親しい人が少なく、卒業後のクラス会ではじめてことばを交わした人も多い。どんな仕事をしているのか、なぜ先生にならなかったのか(僕がすすんだ大学は教員養成系だった)、結婚しているのか、子どもはいるのか、歳はいくつかなどなど、面接みたいな質問を受ける。何年かして顔を出すとまた同じようなことを訊かれる。正直言って煩わしい。共通の思い出のようなものもない。話のきっかけがないのである。
落語で本題に入る前の世間話や小咄をまくらという。いろんな噺のまくらを紹介しているのがこの本である。おそらくは口述筆記であろう、するするとリズムよく読めていい。まるで圓生がしゃべっているみたいだ。
圓生といえば弟子に圓楽がいて、その弟子である楽太郎が圓楽を受け継いだ。それ以外の古い三遊派の名跡は受け継がれていない。園右、園遊、園馬などだ(三代目園右はつるつる頭の噺家でドラマやCMなどによく出演していたのをおぼえている)。若い世代からいい噺家が出てきたら、襲名させるべきではないかなと思うのだが、いかがなものだろう。もちろん大名跡圓朝は永久欠番として。
圓生や圓楽はやはりいてくれた方がいいと思う。
同期会であるが、ちょっと都合がつかなくて欠席した。けっして話題がないからという理由ではない。
同期会とかクラス会にはあまり積極的に参加する方ではない。それでも3回か4回は出席している。同じクラスによくしゃべったりするような親しい人が少なく、卒業後のクラス会ではじめてことばを交わした人も多い。どんな仕事をしているのか、なぜ先生にならなかったのか(僕がすすんだ大学は教員養成系だった)、結婚しているのか、子どもはいるのか、歳はいくつかなどなど、面接みたいな質問を受ける。何年かして顔を出すとまた同じようなことを訊かれる。正直言って煩わしい。共通の思い出のようなものもない。話のきっかけがないのである。
落語で本題に入る前の世間話や小咄をまくらという。いろんな噺のまくらを紹介しているのがこの本である。おそらくは口述筆記であろう、するするとリズムよく読めていい。まるで圓生がしゃべっているみたいだ。
圓生といえば弟子に圓楽がいて、その弟子である楽太郎が圓楽を受け継いだ。それ以外の古い三遊派の名跡は受け継がれていない。園右、園遊、園馬などだ(三代目園右はつるつる頭の噺家でドラマやCMなどによく出演していたのをおぼえている)。若い世代からいい噺家が出てきたら、襲名させるべきではないかなと思うのだが、いかがなものだろう。もちろん大名跡圓朝は永久欠番として。
圓生や圓楽はやはりいてくれた方がいいと思う。
同期会であるが、ちょっと都合がつかなくて欠席した。けっして話題がないからという理由ではない。
2024年5月18日土曜日
三遊亭圓生『江戸散歩』
麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川。東京府に15の区が置かれたのは1878(明治11)年。1889(明治22)年に誕生した東京市はこの15区を市域としていた。府下の荏原郡、南豊島郡、東多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡の町村は1932(昭和7)年に東京市に編入され、新たに20区が新設。東京35区が誕生した。1943(昭和18)年に東京府は東京都となり、東京市は廃止される。35区はその後再編され、今の23区になった。
江戸の市街は概ね東京15区だった。その名残りが多く見られるのがこの地域である。今で言う山手線の内側と日本橋、浅草、本所、深川である。品川の戸越は江戸越えの村というのが地名の由来とされている。この辺りは江戸ではなかったのである。
子どもの頃から落語は細々とながら好きな演芸だった。ユーチューブなどでよく聴くようになったのはここ10年くらいだろうか。大人になってから落語好きな知り合いが多くいたことに驚いている。
この本は三遊亭圓生が訪ねた東京、すなわち江戸の町や寄席などが数々の思い出とともに紹介されている。ラジオやテレビがなかった時代、寄席は映画館とともに娯楽の花形だった。都内各所にたくさんあった。また落語に出てくる町も江戸の町だ。ほほう、あの噺のあの長屋は上野広小路にあったのかなどと思いを馳せる。隔世の感がある。
実は圓生をあまり聴いたことがなかった。古い噺家で好きなのは古今亭志ん生。立川談志や志ん朝を聴くことも多い。圓生は食わず嫌いというか、端正な顔立ちと語り口が軽妙な噺家という印象が強く、そうしたイメージがかえって面白みに欠けると勝手に思い込んでいた。
せっかく圓生に江戸を案内してもらったのだからと思い、「髪結新三」と「紺屋高尾」を聴いてみた。この本の他、著書は何冊かあるようだ。もう少し読んでみたい。
江戸の市街は概ね東京15区だった。その名残りが多く見られるのがこの地域である。今で言う山手線の内側と日本橋、浅草、本所、深川である。品川の戸越は江戸越えの村というのが地名の由来とされている。この辺りは江戸ではなかったのである。
子どもの頃から落語は細々とながら好きな演芸だった。ユーチューブなどでよく聴くようになったのはここ10年くらいだろうか。大人になってから落語好きな知り合いが多くいたことに驚いている。
この本は三遊亭圓生が訪ねた東京、すなわち江戸の町や寄席などが数々の思い出とともに紹介されている。ラジオやテレビがなかった時代、寄席は映画館とともに娯楽の花形だった。都内各所にたくさんあった。また落語に出てくる町も江戸の町だ。ほほう、あの噺のあの長屋は上野広小路にあったのかなどと思いを馳せる。隔世の感がある。
実は圓生をあまり聴いたことがなかった。古い噺家で好きなのは古今亭志ん生。立川談志や志ん朝を聴くことも多い。圓生は食わず嫌いというか、端正な顔立ちと語り口が軽妙な噺家という印象が強く、そうしたイメージがかえって面白みに欠けると勝手に思い込んでいた。
せっかく圓生に江戸を案内してもらったのだからと思い、「髪結新三」と「紺屋高尾」を聴いてみた。この本の他、著書は何冊かあるようだ。もう少し読んでみたい。
2019年12月29日日曜日
古今亭志ん生『なめくじ艦隊』
NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」が低視聴率だったと報道されていた。
いつものような時代劇じゃなかったから面食らった視聴者も多かったのかも知れないし、主役が前半(金栗四三)と後半(田畑政次)でわかれるのがわかりにくかったのかも知れない。いずれにしても視聴率なんてものはテレビを視ていた人の視聴態度を示す数値ではなく、その時間にテレビの電源が入っていて、そのチャンネルのコンテンツが画面に映し出されていたというだけのことだから、関係者もさほど落胆するには及ばない、と思っている。僕個人としては、このドラマは嘉納治五郎の物語でもなければ、金栗、田畑の物語でもなく、古今亭志ん生のドラマだと勝手に思っている。出演者に不祥事があって、代役を立てて、撮り直ししたなんていうのも志ん生の生涯みたいでおもしろかった。
以前読んだ野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』を思い出す。アスリートや大会の運営にかかわるスタッフたちではなく、ホテルの料理長、航空自衛隊、建築家、映画監督、グラフィックデザイナーらにスポットを当てた名著である。「いだてん」にはこうした人たちも(すべてではないけれど)登場する。村上信夫、松下英治、丹下健三、市川崑、亀倉雄策らである。1964年のオリンピックが実に丁寧に描かれている。強いてあげるならば、国際ストーク・マンデビル競技大会にももう少しふれたかったところだろう。
この本は古今亭志ん生の語りを速記したものだ。志ん生らしさが文章からにじみ出ている。志ん生の一生がおもしろいのは、才能もあり、努力も怠らなかったにもかかわらず、自ら破天荒な道を選んで、自爆するように挫折を重ねていったことだ。
普通にちゃんと噺に取り組んでいればもっとはやく芽が出ただろうにと思う。だけどそうじゃなかったところに古今亭志ん生の芸の奥深さがある。美空ひばりじゃないけれど人生って不思議なものですね。
いつものような時代劇じゃなかったから面食らった視聴者も多かったのかも知れないし、主役が前半(金栗四三)と後半(田畑政次)でわかれるのがわかりにくかったのかも知れない。いずれにしても視聴率なんてものはテレビを視ていた人の視聴態度を示す数値ではなく、その時間にテレビの電源が入っていて、そのチャンネルのコンテンツが画面に映し出されていたというだけのことだから、関係者もさほど落胆するには及ばない、と思っている。僕個人としては、このドラマは嘉納治五郎の物語でもなければ、金栗、田畑の物語でもなく、古今亭志ん生のドラマだと勝手に思っている。出演者に不祥事があって、代役を立てて、撮り直ししたなんていうのも志ん生の生涯みたいでおもしろかった。
以前読んだ野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』を思い出す。アスリートや大会の運営にかかわるスタッフたちではなく、ホテルの料理長、航空自衛隊、建築家、映画監督、グラフィックデザイナーらにスポットを当てた名著である。「いだてん」にはこうした人たちも(すべてではないけれど)登場する。村上信夫、松下英治、丹下健三、市川崑、亀倉雄策らである。1964年のオリンピックが実に丁寧に描かれている。強いてあげるならば、国際ストーク・マンデビル競技大会にももう少しふれたかったところだろう。
この本は古今亭志ん生の語りを速記したものだ。志ん生らしさが文章からにじみ出ている。志ん生の一生がおもしろいのは、才能もあり、努力も怠らなかったにもかかわらず、自ら破天荒な道を選んで、自爆するように挫折を重ねていったことだ。
普通にちゃんと噺に取り組んでいればもっとはやく芽が出ただろうにと思う。だけどそうじゃなかったところに古今亭志ん生の芸の奥深さがある。美空ひばりじゃないけれど人生って不思議なものですね。
2019年12月16日月曜日
中野翠『今夜も落語で眠りたい』
寝る前にYoutTubeで落語を聴いていると以前書いたところ、何人かの友人からこの本をすすめられた。著者は30年ほど前から落語の魅力に取りつかれ、カセットやCDで夜な夜な古典の名作を聴いていたという。聴いていたというより落語に恋をしたといってもいい。作者の落語愛を感じる。
寝る前に落語なんて、同じようなことをする人っているものだ。で、古今亭志ん生の噺を聴いていると眠くなってしまうというのも同様。著者は桂文楽や志ん生推しではあるが、当時まだ現役バリバリだった古今亭志ん朝をいちばんのおすすめとしている。かつて僕がテレビコマーシャルの撮影で出会った頃の志ん朝師匠だ。
長年出版社に勤務している高校時代の友人川口洋次郎(もちろん仮名である)は、この本は名著だと言っていた。川口は今僕が読んでいるような本、たとえば吉村昭だとか獅子文六、司馬遼太郎なんかを中学生高校生時代にほぼ読み終えていた文学少年だった。これも後で知ったことだが、落語にも造詣が深い。今でもときどき寄席に足を運んでいるらしい。どうりで現代国語や日本史が得意だったわけだ。剣道も嗜んでいたが、これは当時から知っている。人は見かけによらない。
長年出版社に勤務している高校時代の友人川口洋次郎(もちろん仮名である)は、この本は名著だと言っていた。川口は今僕が読んでいるような本、たとえば吉村昭だとか獅子文六、司馬遼太郎なんかを中学生高校生時代にほぼ読み終えていた文学少年だった。これも後で知ったことだが、落語にも造詣が深い。今でもときどき寄席に足を運んでいるらしい。どうりで現代国語や日本史が得意だったわけだ。剣道も嗜んでいたが、これは当時から知っている。人は見かけによらない。
川口は同じ著者の、やはり落語にまつわる別のタイトルを編集者として担当していたのに自社の著作ではなく、文藝春秋のこちらを「名著」としてすすめてくれた。深川をルーツに持つ江戸っ子気質の川口洋次郎のことだから、照れ隠しに自分の携わった本をすすめなかったのかもしれない。
新書に滑稽新書と人情新書があるとすれば、この本は人情ものにちがいない。著者の噺家への愛情に満ち満ちている。ただの古典落語の紹介本ではない。とりわけ古今亭志ん朝師匠に関するくだりは読む者の涙を誘う。
遅ればせながら川口の言う「名著」の意味がわかってきた。ときどき出かける図書館でいつも「貸出中」になっていることも頷ける。紛うことなき名著である。
遅ればせながら川口の言う「名著」の意味がわかってきた。ときどき出かける図書館でいつも「貸出中」になっていることも頷ける。紛うことなき名著である。
2019年11月19日火曜日
保田武宏『志ん生の昭和』
NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で森山未來とビートたけしが古今亭志ん生を演じている。本来の主眼である東京オリンピックより、志ん生の半生がおもしろい。僕にとってこのドラマは、志ん生の物語だ。
「いだてん」といえば、大塚の足袋専門店播磨屋の店主役に、不祥事で降板したピエール瀧に代わって三宅弘城が抜擢されている。ある薬品会社のテレビコマーシャル制作の仕事で30年ほど前に会ったことがある。バブル経済の時代。コンシューマーに名前の知られていない企業を中心にリクルートCMがさかんに制作され、放映された。僕が担当した薬品会社もBtoB(ビジネス・トゥ・ビジネス)という企業対企業のビジネスを展開する広告主だった。若い人たちに支持されるような広告を打ちたい。知名度を高めたい。当時そうしたオーダーは多かった。
ターゲットに近い年齢の出演者になにがしかおもしろいパフォーマンスをさせてみてはどうかという企画が決まり、オーデションを行った。そこにやってきたのが三宅弘城である。明るくはきはきした性格で小柄ではあったが、圧倒的に目立つ存在だった。なにか他の人にはまねのできないことをやって見せてくれないかと注文したところ、その場でバック転をしてみせた(オーデションはもちろん合格し、撮影本番の日もカメラの前で元気いっぱいにバック転を見せてくれた)。
著者は元新聞記者で演芸に造詣が深い。噺家としての志ん生の成長成熟を事実から迫る。好感の持てる一冊ではあるが、そのぶんドラマティックではない。結城昌治の創作を好むか、ノンフィクションとして仕上げられたこちらを好むかは読者の判断によるだろう。
三宅弘城は、それからしばらく忘れていたけれどそのうちときどきテレビドラマで見かけるようになった。若かりし頃、少し緊張しながらもバック転を決めてくれた三宅君を見るにつけ、たいへんなつかしく思うのである。
2019年11月12日火曜日
結城昌治『志ん生一代』
1993年11月、高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャル撮影のときだ。志ん朝師匠が出演するCMは昔からあったのだが、それからずいぶん年月が経ち、師匠も風格が増してきたので新しく撮りなおすことになった。その絵コンテを描いて、クライアントに提案し、一連の手続きの後、調布のスタジオで撮影本番を迎えることになった。
師匠が座敷でくつろいでいると来客がある。「お客さんかい?何?錦松梅?」どうやら贈りものか手土産が錦松梅だったという話。「錦松梅って、あの錦松梅?あったかいご飯に最高の錦松梅?器もいい錦松梅?上がってもらいなさい上がってもらいなさい」とすっかり上機嫌に。ここで突如疑心がわく。「で、本当に錦松梅なんだろうな」ってさげ(たいしたさげではないが)。
当日演出のI田さんと控室で内容の確認を行う。I田さんは大学時代に落語研究会に所属し、中学生の頃から志ん朝師匠の大ファンだという。傍から見ても緊張しているのがわかる。師匠が言う。「ここんとこですがね、あったかいおまんまじゃだめですかね」と。言われてみれば、ごはんじゃちょっと冷めた感じだし、落語っぽくない。クライアントも同意してくれて「あったかいおまんまに最高の錦松梅」となった。
落語好きだった父は、若手でいいのは談志(立川談志)か志ん朝とよく言っていたっけ。父にとって新進気鋭の噺家も僕が出会った頃はもう貫禄十分、脂が乗り切っていた。面と向かって話をするには恐れ多いくらい輝いていた。そのわりに話しぶりはやさしく、人当たりも柔らかかった。
破天荒な人生を歩んだ古今亭志ん生も次男強次(後の志ん朝)が生まれ、志ん生を襲名したあたりから、芸に磨きがかかったように思われる。その後、慰問で満州に渡り、終戦を迎え、食うや食わずで帰国する。
最愛の次男強次が志ん生をがんばらせたのかもしれないなどと思う。
師匠が座敷でくつろいでいると来客がある。「お客さんかい?何?錦松梅?」どうやら贈りものか手土産が錦松梅だったという話。「錦松梅って、あの錦松梅?あったかいご飯に最高の錦松梅?器もいい錦松梅?上がってもらいなさい上がってもらいなさい」とすっかり上機嫌に。ここで突如疑心がわく。「で、本当に錦松梅なんだろうな」ってさげ(たいしたさげではないが)。
当日演出のI田さんと控室で内容の確認を行う。I田さんは大学時代に落語研究会に所属し、中学生の頃から志ん朝師匠の大ファンだという。傍から見ても緊張しているのがわかる。師匠が言う。「ここんとこですがね、あったかいおまんまじゃだめですかね」と。言われてみれば、ごはんじゃちょっと冷めた感じだし、落語っぽくない。クライアントも同意してくれて「あったかいおまんまに最高の錦松梅」となった。
落語好きだった父は、若手でいいのは談志(立川談志)か志ん朝とよく言っていたっけ。父にとって新進気鋭の噺家も僕が出会った頃はもう貫禄十分、脂が乗り切っていた。面と向かって話をするには恐れ多いくらい輝いていた。そのわりに話しぶりはやさしく、人当たりも柔らかかった。
破天荒な人生を歩んだ古今亭志ん生も次男強次(後の志ん朝)が生まれ、志ん生を襲名したあたりから、芸に磨きがかかったように思われる。その後、慰問で満州に渡り、終戦を迎え、食うや食わずで帰国する。
最愛の次男強次が志ん生をがんばらせたのかもしれないなどと思う。
2019年11月2日土曜日
三遊亭圓朝『塩原多助一代記』
母の実家は久五郎という屋号だった。僕たちは久五郎のおばあさんとか白間津のおばあさんと呼んでいた。白間津というのは千葉県七浦村(現南房総市千倉町)の集落で、白浜町と隣接している。
祖母の実家はもともと庄屋だったのだろうか、門構えのある立派な家だった。曾祖父は村長だった。村の小学校の終業式や卒業式には燕尾服を身につけて、来賓席に座っていたと母が言う。
祖母は長女でしっかり者ではたらき者だった。格式のある家で育ったせいもあるだろうが、家というものを重んじ、跡取りの長男をたいせつにしていた。戦後まもなく祖父が若くして亡くなった。そのせいもあるだろう。
夏休みは南房総で過ごし、伯父の息子きょうだいと姉と僕の4人で遊んだ。祖母の家の玄関には雑巾が置いてある。足を拭いて上がれという意味だ。いとこたちはお構いなしに上がる。姉と僕は足を拭く。座敷の畳に付いた足跡を祖母が見つける。怒られるのはいつも僕だった。姉は女の子だし、如才なく立ち回りがうまい。外孫で愚図で要領の悪い僕が恰好の餌食になる。
母が結婚するのに祖母が強く反対したという話を聞いている。祖母の風当たりが強かったのはそんなことも関係しているのかも知れないが、よくわからない。
『塩原多助一代記』は、昭和のはじめまで修身の教科書にあったという。久五郎のおばあさんがきっと好きだった話に違いない。
その後、祖母は東京に連れてこられて伯父の家で暮らしていた。受験が終わり、大学に受かった話をしに行く。おまえのおっかさんは勉強ができたし上の学校に行きたがってたけど、行かせられなかった、なんて話をする。母が高校に行きたかったという話は本人からなんども聞かされている。そして、それでおまえは何になるんだと訊ねられた。その頃は、何になるつもりもなかったのでうやむやな答しかできなかった。
その恥ずかしさだけが記憶に残っている。
2019年10月28日月曜日
矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』
縁は異なものというが、本のつながりもまたおもしろい。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。
2019年6月20日木曜日
三遊亭圓朝「名人長二」
名人という呼び方は特定分野ですぐれた技芸を持つ人を指す。
囲碁や将棋の世界では最高の地位であり、称号とされているが、落語の大家にも呼ばれる。競馬騎手武豊の父、武邦彦がその昔、名人と称されていた。名人より多くの勝ち鞍を上げた騎手もいるけれど、武邦の容姿や騎乗スタイルなどが名人然としていたことによるのかもしれない。
名人というのはある分野で秀でた技芸を持つ人のことだから、総合的に高い能力などには使われないのだろう。政治家に名人はいないし、俳優や作家にもいない(たぶん)。スポーツの世界で、たとえば体操競技は個人総合と種目別にわかれている。鉄棒とかつり輪、あん馬など特定の種目に圧倒的に高い力量を発揮する選手をときどき見かけるが、名人とは呼ばず、スペシャリストと普通の呼び方をされる。名人には和の雰囲気が感じられる。競馬のジョッキーを名人と呼ぶのに多少の違和感を感じるのはそのせいかもしれない。騎手を名人と呼ぶのがいけないと言ってるわけじゃない。よくぞ武邦彦を名人と呼んだものだと当時のマスコミに感心しているのである。
囲碁や将棋の世界では最高の地位であり、称号とされているが、落語の大家にも呼ばれる。競馬騎手武豊の父、武邦彦がその昔、名人と称されていた。名人より多くの勝ち鞍を上げた騎手もいるけれど、武邦の容姿や騎乗スタイルなどが名人然としていたことによるのかもしれない。
名人というのはある分野で秀でた技芸を持つ人のことだから、総合的に高い能力などには使われないのだろう。政治家に名人はいないし、俳優や作家にもいない(たぶん)。スポーツの世界で、たとえば体操競技は個人総合と種目別にわかれている。鉄棒とかつり輪、あん馬など特定の種目に圧倒的に高い力量を発揮する選手をときどき見かけるが、名人とは呼ばず、スペシャリストと普通の呼び方をされる。名人には和の雰囲気が感じられる。競馬のジョッキーを名人と呼ぶのに多少の違和感を感じるのはそのせいかもしれない。騎手を名人と呼ぶのがいけないと言ってるわけじゃない。よくぞ武邦彦を名人と呼んだものだと当時のマスコミに感心しているのである。
「抜け雀」という落語にも名人が登場する。さんざん呑んで、払えぬ宿代のかわりに絵を描いて帰る。その絵が評判を呼ぶ。そんな噺。左甚五郎の「竹の水仙」もそうだが、名人(というよりこの場合は名工といった方がいいか)の噺は多く、興味深い。
古今亭志ん生の動画がYouTubeにあって、通しで聴いてみた。全部で2時間以上ある。落語というより、芸術だ。書きものがあると聞いてさがしてみたら、青空文庫になっていた。
名人の仕事は後世に遺る。「素人には分からねえから宜いと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人も同様だ、手前盗人しても銭が欲しいのか、己ア仔様んな職人だが卑しい事ア大嫌いだ」と言ってつくった書棚を打毀す長二。
長二の生き様を通じて、名人ということばが響く。意気でいなせでいざぎよい。
2019年5月31日金曜日
中野翠『この世は落語』
先日も40代のCMプロデューサーに小津の映画ってやっぱりいいですかなどと訊かれる。そんな古い映画をたいして観てはいないけれど、鎌倉に住む以前の作品の方が僕は好きだな、深川とか本所あたりが舞台で、その方が小津安二郎らしさを感じるんだ、「風の中の牝鶏」なんか素晴らしいねなどと(それくらいしか観てないのに)答える。僕が生まれる10年以上前の映画だ。
どうしてそんなことを訊ねられるかを考えると僕がもう傍目にも年寄りだからだろう。年寄りは年寄りらしく生きなければならないと感じる。ところがこれまで歳をとることに真剣に向かい合って来なかった。どうせ歳をとるんなら囲碁でも将棋でもゴルフでも嗜んでおけばよかったと思う。
映画は昔のものを中心に観ている。新作映画を追いかけるのは疲れる。最近映画何観ました?なんて訊かれてもたいして観てないよとうやむやに答える。ジョーン・フォンテインの「旅愁」を観たよ、ありゃいいね、志ん朝の佃祭を思い出したね、なんて言っても場がしらけるだけである。それに古い映画はなつかしいのがいい(当たり前だ)。
実は落語も僕の年寄りプロジェクトの課題のひとつである。
先だっても山本一力の『落語小説集芝浜』を読んで、寝る前にYouTubeで落語を聴くようになったと書いたら、何人か友人から中野翠の『今夜も落語で眠りたい』(という名著があるらしい)をすすめられた。この本は図書館でも貸出中のことが多く、まだ読んでいないけれど電子書籍で同じ著者の別の本(つまり今回読んだ『この世は落語』ちくま文庫)が見つかった。『今夜も落語で』をすすめたひとりはどことはいわないがC書房という出版社にいる友人なのだが他社(文藝春秋)の本をすすめるあたり、なかなか粋だ。
古い映画と落語。あとはなんだろう。盆栽や庭いじり?クラシック音楽やジャズだろうか。歳をとるのもたいへんだ。
先だっても山本一力の『落語小説集芝浜』を読んで、寝る前にYouTubeで落語を聴くようになったと書いたら、何人か友人から中野翠の『今夜も落語で眠りたい』(という名著があるらしい)をすすめられた。この本は図書館でも貸出中のことが多く、まだ読んでいないけれど電子書籍で同じ著者の別の本(つまり今回読んだ『この世は落語』ちくま文庫)が見つかった。『今夜も落語で』をすすめたひとりはどことはいわないがC書房という出版社にいる友人なのだが他社(文藝春秋)の本をすすめるあたり、なかなか粋だ。
古い映画と落語。あとはなんだろう。盆栽や庭いじり?クラシック音楽やジャズだろうか。歳をとるのもたいへんだ。
2019年4月11日木曜日
山本一力『芝浜』
寝る前に落語を聴くようになった。
以前は読みかけの本を読んでいたが、もう寝るというのに目を酷使するのもいかがなものかと年相応なことを考えるようなった。YouTubeにはたくさんの演目がアップロードされている。タブレット端末にイヤホンを差して聴く。ところが本を読むのも落語も聴くのもさほど変わりはない。すぐにうとうとしてくる。気がつけば画面は真っ暗。最後がさっぱりわからない。落ちていたのは自分だった。
古今亭志ん生の「らくだ」は最後まで聴くのに一週間もかかった。ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を5回観たという。イングリッド・バーグマンがそんなに気に入ってくれたのかと訊くと、がまんできずにすぐ映画館を出てしまうので全部観るのに5回かかったという。志ん生のらくだがつまらないわけではない。ついつい睡魔に負けてしまうのである。
五代目古今亭志ん生は、NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でビートたけしと森山未來が演じている。ドラマのナビゲーター役でもある。次男が高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャルでおなじみだった三代目古今亭志ん朝だ(縁あっていちどお目にかかったことがある)。志ん生は1973年に他界している。リアルタイムで聴いたことはない。
志ん生の落語は聴く側を身構えさせない。自然体で聴くことができる。これが立川談志のようにたたみかけてくるとそうはいかない。聴かなくちゃという思いが強くなる。ついつい最後まで聴いてしまう(もちろんそれでいいに決まっているのだが)。そもそも眠るために落語を聴くという行為自体がおかしいのだが「もう寝よう、でも落語を聴きたい」という相矛盾する願いをかなえてくれるあたりがやはり志ん生の名人たる所以なのかもしれない。
立川談志の「芝浜」はいい話だ。落語は芸術なんだと思い知らされる。ただし寝るとき聴くのはよくない。夢になってしまうからだ。
以前は読みかけの本を読んでいたが、もう寝るというのに目を酷使するのもいかがなものかと年相応なことを考えるようなった。YouTubeにはたくさんの演目がアップロードされている。タブレット端末にイヤホンを差して聴く。ところが本を読むのも落語も聴くのもさほど変わりはない。すぐにうとうとしてくる。気がつけば画面は真っ暗。最後がさっぱりわからない。落ちていたのは自分だった。
古今亭志ん生の「らくだ」は最後まで聴くのに一週間もかかった。ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を5回観たという。イングリッド・バーグマンがそんなに気に入ってくれたのかと訊くと、がまんできずにすぐ映画館を出てしまうので全部観るのに5回かかったという。志ん生のらくだがつまらないわけではない。ついつい睡魔に負けてしまうのである。
五代目古今亭志ん生は、NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でビートたけしと森山未來が演じている。ドラマのナビゲーター役でもある。次男が高級ふりかけ錦松梅のテレビコマーシャルでおなじみだった三代目古今亭志ん朝だ(縁あっていちどお目にかかったことがある)。志ん生は1973年に他界している。リアルタイムで聴いたことはない。
志ん生の落語は聴く側を身構えさせない。自然体で聴くことができる。これが立川談志のようにたたみかけてくるとそうはいかない。聴かなくちゃという思いが強くなる。ついつい最後まで聴いてしまう(もちろんそれでいいに決まっているのだが)。そもそも眠るために落語を聴くという行為自体がおかしいのだが「もう寝よう、でも落語を聴きたい」という相矛盾する願いをかなえてくれるあたりがやはり志ん生の名人たる所以なのかもしれない。
立川談志の「芝浜」はいい話だ。落語は芸術なんだと思い知らされる。ただし寝るとき聴くのはよくない。夢になってしまうからだ。
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