昭和四十七年初場所中日八日目。結びは横綱北の富士と関脇貴ノ花の対戦だった。
立ち合い左四つに組み止めると北の富士は前に出ながら左外がけ。足腰のしぶとい貴ノ花に食い下がられたくない北の富士ははやい決着を望んだのだろう。これを残した貴ノ花に横綱は土俵中央で再度外がけ。今度は右だ。さらに体を預けて貴ノ花をのけぞらせる。勝負あったかと思ったのもつかの間、貴ノ花はのけぞりながら体を入れ替えようと右から投げを打つ。あるいは下手からひねったように見える。北の富士は思わず右手を付いてしまう。貴ノ花の背中はまだ土俵に付いていない。立行司木村庄之助の軍配は西貴ノ花に上がった。
物言いが付いた。蔵前国技館は騒然とした。長い協議だった。ここで議論されたのが「つき手」か「かばい手」かである。押し倒した相手の体が死んでいれば、つまりもう逆転の可能性がない状態であれば優勢な力士の付いた手は「かばい手」となって負けにはならない。相手が死に体でなかったとしたら、それは「つき手」となって負けである。かばい手は勝負が決まった後に相手に怪我をさせないための処置であるとも言える。木村庄之助は北の富士の手を「つき手」と判断したが、審判は「かばい手」であると結論し、行司差し違えで北の富士の勝ちになったのである。
貴ノ花は大鵬引退、玉の海急逝によって寂しくなった土俵を盛り上げた角界のプリンス。大変な人気力士でもちろん僕もファンだった。テレビを見ながら、憶えているのは軍配が貴ノ花に上がって狂喜乱舞したのもつかの間、物言いが付いて行司差し違えで貴ノ花が敗れ、なんだようと不平不満をぶちまけたことだ。今回取り組みを再現するためにユーチューブでこの対戦を見直したが、やはり貴ノ花の体は生きていると思う。
この本の著者内館牧子はこの日この取り組みを見れなかったと書いている。大の相撲通が見損なった一番をライブで見ていたなんて少し鼻が高い。
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