2019年7月30日火曜日

山本周五郎『人情武士道』(再読)

夏の甲子園出場校が決まった。
昨年は記念大会で出場校が多かったが、公立校は8校。金足農が決勝戦まで駒を進めたことは記憶に新しい。今年は49の出場校のうち、公立は14校。佐賀北、米子東、広島商、宇和島東が甲子園に戻ってくる。静岡、高松商も、センバツ準優勝の習志野、同じく4強の明石商も出場を決めた。その他、秋田中央、飯山、高岡商、鳴門、熊本工、富島と県立・市立勢の活躍が楽しみである。
東東京も小山台が決勝に進出。惜しくも敗れたけれど2年連続準優勝は立派な成績だ。西東京でも本命視されていた国士館を日野が破った。ベスト16に進んだ都立校は東3校、西6校とまずまずの成績だった。
東東京は二松学舎、城東などがはやく姿を消したものの関東一は春の実績校として順当な勝ち上がりだったが、西は国士館が初戦敗退、日大三、早実が準々決勝敗退、さらには第一シードの東海大菅生が準決勝で敗れ、秋春8強の国学院久我山が創価に勝って甲子園を決めた。春二回戦で桜美林に敗れて今回ノーシードとなった創価だったが、準決勝では大差でリベンジを果たした。
秋から春、そして夏に向かってチームは様変わりする。昨秋全国を制した札幌大谷が南北海道大会本大会の初戦で敗退し、春センバツ優勝の東邦が愛知県大会予選で敗退。今夏の選手権大会でいちばん注目を集めるのは金沢星稜であることに間違いないだろうが、これまで大きな期待を背負った幾多の選手が短い夏を終えていった。
ここのところ読まなければいけない本がないと山本周五郎の短編ばかり読んでいる。2年前に読んだ初期の短編集『人情武士道』を読む。主に30歳代に書かれた佳作を収録している短編集である。
以前読んだときには気がつかなったが、あらためて読み直してみると、文章に若さが感じられる。小気味よく、勢いがある。気負いといってしまえばそうかもしれないが、ストーリーにのめり込んでいく若き日の周五郎がそこにいる。

2019年7月26日金曜日

山本周五郎『ひとごろし』

テレビのカラー放送がはじまったのが日本では1960年だという。
昭和天皇ご成婚をきっかけにテレビがいっせいに普及したと言われているけれど、カラーテレビはまだまだ一般的ではなかったようだ。続く国家的イベントである1964年の東京オリンピック時にもカラーテレビは広まらなかった。カラー放送される番組が圧倒的に少なかったからだという。そしてカラー放送が増えはじめたのが68年以降。ナショナルのパナカラー、日立のキドカラーなど各社からカラーテレビが出そろった。
実家の向かいにコウちゃんというひとつかふたつ年上の男の子がいて、カラーテレビを買ったから見に来いという。いつもよりはやめに夕飯を済ませて、コウちゃんの家に行ってテレビを視た。灯りの消された薄暗い部屋で「仮面の忍者赤影」を視た。
赤影は特撮忍者ドラマで赤、白、青の仮面を付けた忍者が活躍する。それまでモノクロテレビで視ていたから、仮面がちゃんと赤白青だと知ったのはコウちゃんと視たその日がはじめただ。ものすごく感動したかというと案外そうでもない。モノクロだろうがカラーだろうがストーリーにそれほど影響はなく、ただ画面に色がついている、程度の感慨だったと記憶している。おそらく67年ごろのことではないか。
父がソニーのトリニトロンカラーテレビを買って帰ってきたのは69年の秋頃だと思う。どうしてそんなことを憶えているかというと最初に視たのが当時の人気アニメーション番組「巨人の星」で大リーガーオズマの褐色の肌が強く印象に残っているからだ。どういうきっかけで、何を思って父がカラーテレビを購入したのか、それはわからないままだけれど。
ここのところ時間があると山本周五郎の短編を読んでいる。
周五郎の短編は名作が多い。とりわけこの短編集は佳作ぞろいで読みごたえがある。
初版は1967年というから、僕が特撮忍者ドラマにうつつを抜かしていたころの作品集だ。

2019年7月16日火曜日

沢木耕太郎編『山本周五郎名品館1おたふく』

法事があって、南房総を訪れる。
8月のお盆や彼岸、5月の連休などに墓参りに出かけるが、7月に訪れるのは久しぶりである。夏が夏になり切れていない中途半端な季節ともいえる。青くひろがる海もまだ水温は低そうに見える。
込み入った事情があって、もともとあった墓所から菩提寺の境内に移設した。法要とともに新しい墓への納骨も行った。昨年の夏に寺の住職に相談を持ちかけたから、およそ1年がかりの移設だった。以前の墓所もそうだったが(南房総の小さな集落はどこでもそうだろうが)、海が見わたせて気持ちがいい。ご先祖様も満足してくれたのではあるまいか。前日までの雨が嘘のようにあがり、青空に白い雲が浮かんでいた。
道すがら、山本周五郎を読む。久しぶりの周五郎である。たしか1年ほど前に『正雪記』を読んだ憶えがある。この短編集は沢木耕太郎が編んだもので、はじめて読む短編もあれば、以前読んだものもある。いい話は何度読んでもいい。「あだこ」「晩秋」「おたふく」「雨あがる」…。いずれの物語にも人として生きる道すじのようなものが示されている。それも押しつけがましくなく、くどくなく。さらりとかすかに心に残る。その短編の数々は酒に似ている。口あたりのよさにつられて、盃を重ねるごとに知らないうちに酔いがまわっていい気持ちになる。そして翌朝になっても残像のように酔いが残っている。
沢木耕太郎は20代の頃『深夜特急』の旅の途中、アフガニスタンからイランに入ったところで文庫本の『さぶ』を譲り受けた。これが沢木にとって周五郎とのはじめての出会いだったという。日本の活字に飢えていた沢木は冷たい水をがぶ飲みするようにその文庫本を読んだに違いない。
周五郎のおすすめはと訊ねられるとその答は難しい。『樅ノ木』か『赤ひげ』か、あるいは『青べか』『長い坂』『五辯の椿』…。もしかするとイチ押しは短編作品のなかにあるのではないか。
そんな気もしている。

2019年7月8日月曜日

獅子文六『箱根山』

東京で生まれ育ったので、小学校の頃、林間学校(たしか区の施設があった)や修学旅行で訪ねた箱根や日光は比較的身近な観光地である。
とりわけ箱根は小田原から湯本に出て、スイッチバックの登山電車で強羅、ケーブルカーで早雲山、ロープウェイで湖尻、遊覧船で関所や元箱根を観光して、というコースが確立している。乗りもの好きでなくても気持ちが高揚してくる。駅前で蕎麦を食べ、場合によっては温泉に浸かり、ゆでたまごを食べて日帰りすることもできる。よくできた観光地だ。
江戸時代は関所で栄えた箱根も明治時代になってからは交通の便が悪く、衰退していったという。大正になって、国府津から熱海線というローカル線が敷かれ、東京、横浜から直通の列車が小田原に乗り入れるようになる。さらに昭和に入り、丹那トンネルが開通したことで小田原、熱海は東京に近い温泉保養地としてふたたび注目を集めることになる。そして小田急や大雄山鉄道など交通網が整備され、発展を遂げる。
箱根の山はケンカのケンと呼ばれたくらい20世紀以降の箱根は小田急、西武鉄道、東急が入り乱れて鉄道や道路、遊覧船の航路をはじめ観光施設の建設を競い合ったという。当時の熾烈をきわめるケンカは時代とともに忘れ去られつつある。その記憶を今に伝えているのが(もちろんそれが主たる目的ではあるまいが)この『箱根山』という小説。
娯楽文芸の大家(と勝手に呼んでいる)獅子文六作品だけに肩ひじ張らずに読むことができ、微笑ましい登場人物たちに共感をおぼえる。『てんやわんや』『自由学校』『七時間半』などと同様、映画化もされている。映画(監督は「特急にっぽん」の川島雄三)はまだ観ていないが、加山雄三と星百合子のコンビに老舗旅館の女主人が東山千栄子とキャストを眺めるだけで期待が高まる。
獅子文六のすぐれた作品を最近ちくま文庫が装いも新たに発刊している。随所に昭和のにおいが感じられ、読んでいて楽しい。

2019年7月1日月曜日

あずみ虫『ぴたっ!』

7月はイラストレーター安西水丸の誕生月ということもあり、カレーライスを食べて偲ぶことにしている。命日のある3月も積極的にカレーライスを食べるけれど、時期的にもむしむしする7月はカレーライスを食べるにはうってつけの季節だ。
特別なカレーライスを食べるわけではない。定食屋であるとか蕎麦屋であるとか、あるいはカウンター席がメインのチェーン店であったり、なにもわざわざ南房総を訪れてサザエカレーを食べたり、神宮前のギーに出向くようなことはしない(安西水丸がよく通った伝説の店ギーはもうない)。南青山にあるやぶそばのカレーライスみたいなごくごく普通のものでじゅうぶん満足できる。
あずみ虫はコム・イラストレーターズ・スクールや築地のパレットクラブスクールで安西水丸からイラストレーションを学んだイラストレーターである(以前にも書いた記憶がある)。
先月も青山で個展が開催されていたので寄ってみた。
昨年アラスカを旅して、見聞きしたものを作品にしたという。例によってアルミ板を切って、着彩されている。以前はイラストレーションの存在そのものにインパクトがありすぎて、描かれている絵をじっくり眺めていなかったような気がするのだが、最近はよく見るようにしている。ホッキョクグマはホッキョクグマらしい毛並みを持っている。オジロワシは空に向かって羽ばたいている。味わい深い。
あずみ虫は絵本作家でもあり、素敵な絵本を何冊か描いている。そのなかでも僕はこの本が気に入っていて(イラストレーションもさることながらブックデザインが素晴らしい)、知人や後輩に子どもが産まれるとプレゼントすることにしている。いいタイミングで個展など開催されていて、しかもいいタイミングで在廊されていたりすると訪ねてはサインをしてもらう。産まれたばかりの子の名前と(たいていの場合)象の親子を書いてくれる。
贈られた方もたいへんよろこんでくれる。ありがたい。