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2025年9月9日火曜日

宗像誠也『教育行政学序説』

9月になっても暑さは収まるところを知らない。連日35℃を超える、あるいは迫る毎日である。せめて朝晩だけでも凌ぎやすくなってくれたらいいのにと思うが、夜遅くなっても申し訳程度に気温が下がるだけである。熱帯夜が続いている。
大学に進んで、少しは本でも読まなきゃなと思っていた。主に読みはじめたのは明治図書の教育学関係の翻訳古典。ヘルバルトとかコメニウスとか。正直遠い世界の話でピンと来なかった。古典より先に少し現代の話を知ろうと思い、読みはじめたのが宗像誠也である。長く東京大学教育学部で教育行政学を専攻された。この本が刊行されたのが1954年。増補版が69年に出ている。当時からしても決して新しい本ではなかった。
終戦後まもなく教育改革がなされ、新たな制度が生まれた。その内容も民主国家日本の確立をめざすものであったに違いない。自由と自主を重んじる教育体制のスタートも中華人民共和国の成立や朝鮮戦争の勃発によって雲行きが怪しくなる。マッカーサー解任後、戦後教育改革の再改革の動きが示されてくる。ひとつには教科書の検定制度・国定制度の検討が行われ、教育委員会も全市町村ではなく、人口15万人程度の都市にのみ限定設置をし、教育員は首長が議会の承認を得ての任命制になる。宗像が当時の教育行政への痛烈な批判を繰り返すのにはこうした時代背景があった。教科書検定制度、教育委員会公選制のほか、教員の勤務評定批判や全国学力テスト批判も再三行われている。憲法と教育基本法の理念を大切に、子どもたちを二度と戦場に送り込んではならない、根本的にはそういった主張だったように記憶している。
当時はあまり深く物事を考えなかった。教育行政への批判の背景にあるものなんてほとんど知らなかった。ただただ、これはよくない、理想はこうだ、みたいな主張をするのが心地よかった。もう一度この本を読んでみたら当時とは違った感想を持つかもしれない。

2024年11月26日火曜日

スティーヴン・キング、ピーター・ストラウブ『タリスマン』

今月、定年退職を迎えた。退職に伴う諸々の手続きを済ませ、会社に残してきた荷物を整理した。映像制作を生業としてきた関係でキャビネットのなかは絵コンテなど紙資料とビデオテープがほとんどである。かつてフィルムの時代もあった。作品集と称する十六ミリのリールも持っていた時代もある。どの制作会社にも映写機があった。
映像制作の現場にPCが導入され、普及していったのは1980年代の終わり頃だったと思う。15秒の映像をデータにして電話回線で送るなんて(理論的には可能だったろうが)現実的ではなかった。それだけの容量を格納できる記憶媒体もしかり。
今、プレビューのためのメディアはビデオテープではなくなった。ハードディスクなどの記憶媒体が使われる。データはネットワークで流通する。紙資料にしても同様。デジタルの時代、すべてはデータ化され、カタチもなければ重さもない。
会社に置いてあったテープ類、紙類は処分してもらうことにした。テープの中身はすべてではないが、以前データ化してもらっている。紙資料もあらかたPDF化している。持ち帰るものは何もない。もちろん持ち帰ったところで再生する術もない(そしてもう一度見でみようとはおそらく思うまい)。
ふりかえって見ると僕は人生の大半をカタチも重さも手ざわりも、当然のことながらにおいもないものをつくるために費やされてきたのだ、結果的に。そう思うと少し寂しい。
スティーブン・キングをよく読んだ時期があった。『スタンド・バイ・ミー』『キャリー』『シャイニング』『クリスティーン』など。1990年代半ばくらいだったろうか。そのなかでもお気に入りがこの本だった。
リアルな世界とダークな世界を行き来しながら旅をする少年の物語である。この本はピーター・ストラウブとの共著(マッキントッシュのデータをやりとりしていたと聞いている)であるが、キングの作品をもう一度読むなら断然この作品だ。


2024年11月19日火曜日

森村誠一『人間の証明』

子どもの頃はよく映画を観た。月島のおばちゃん(母の叔母)に連れていってもらった築地の松竹でガメラを観たし、大井町にも映画館がいくつかあった。映画は僕らの世代でも身近な娯楽だった。
中学生、高校生になって映画は観なくなった。この時期は本も読まなくなったし、当時何をしていたか思い出せないけれど、娯楽のない毎日を過ごしていた。
高校時代、唯一観てみたいなと思った映画がある。「人間の証明」である。テレビコマーシャルで大々的に宣伝され、話題作となった。テーマ曲もヒットした。いわゆる角川映画の嚆矢ともいえる作品である。そんな宣伝文句に惹かれて久しぶりに映画を観に行こうと思ったのだ。監督は佐藤純彌、脚本は松山善三。もちろん彼らがすごいスタッフだと知ったのはずっと後のことだけれど、これまでにないスケールの大きな映画という印象を受けた。
映画が公開されたのがたしか1977年。大学受験を控えた高校3年生だった。原作はそれより前に出たのではないか。僕は角川文庫で読んだ。まず本で読むというのは昔からの悪い癖で野球の本や剣道の本、卓球の本など新しいスポーツに興味を持つとまず指南書のような書物に頼ってしまうのである。こういう頭でっかちはたいてい上達なんぞしない。
そういえば作者の森村誠一は昨年亡くなった。没後一年ということで縁のある町田市の市民文学館で森村誠一展が開催されているというニュースが流れていた。行ってみたい気もするが、『人間の証明』しか読んだことのない薄い読者としては敷居が高い。むしろ三鷹市に今年できた吉村昭書斎に行ってみたい。こっちはそれほど敷居が高くない。
『人間の証明』を読んだ記憶はあるが、中身はさほど憶えていない。映画も結局ロードショーで観ることはなく、ずっと後になってテレビで観た。そこでああ、こんなお話だったんだっけと思い出したのである。
母さん、僕のあの記憶どうしたでせうね?

2024年10月30日水曜日

家永三郎『太平洋戦争』

暑い10月だった。
それももう終わろうとする頃になって、ようやく気温が下がってきた。それでも南の海上では台風が発生し、少しずつ日本列島に向かっている。
先日総選挙が行われた。大方の予想通り、与党の大敗。過半数を割った。裏金問題を収支報告書不記載問題と言い換えたりしてるんだから勝てるはずもない。自民党ではペナルティとして非公認や比例代表との重複を認めないなどしていた。裏金をつくった議員が多く落選していた。非公認ながら当選した人もいる。どうなんだろう。起訴されなかったとはいえ、政治生命は終わっているはず。おそらく今後政治家を続けたとしても大きな汚点を残した議員たちは要職には付けないだろう。大方の民意が拒否したのに当選させた地元っていうのもなんだか恥ずかしい気がする。
家永三郎の名は高校生のときから知っていた。当時教科書裁判所という訴訟が争われていたからだ。しかも氏は高校の大先輩にあたる人でだった。
教科書裁判について詳しいことは知らないが、1962年の教科書検定で家永らが執筆した日本史の教科書が不合格となったことが発端であるらしい。たしか戦争の記述に関することだったと聞いたことがある。
大学2年の夏休みだったか、書店でこの本を見つけた。日本史は好きな科目ではあったが、近現代史は不勉強なこともあり、手に取ってみたのである。へえ、そういうことだったのかとただただ感心しながら読んだ記憶がある。この本が上梓されたのは1968年。戦争が終わって23年後にはこのような考察がなされていたのである。その後史料も増え、より精度の高い著作も生まれたかもしれないが、僕にはじゅうぶん過ぎる内容だった。
大学生になって少しは専門的な本を読むようになった。おそらくこの本が最初だったと思う。読み終わったとき、俺は家永三郎の『太平洋戦争』を読んだぞ、という自信が沸いたことを今でもしっかり憶えている。本の中身はさておいて。

2024年10月27日日曜日

梶井基次郎『檸檬』

昔(少なくとも僕の10代から20代前半の頃)と比べると都内にも新しい駅がつくられ、新しい駅名が付けられている。浮間舟渡のようなふたつの地名が合成された駅名もあれば、天王洲アイルという意味不明な駅名もある。天王州でよかったんじゃないか?アイルを付けることで企業誘致にひと役買ったのだろうか。
東京メトロ東西線の九段下駅は東西線が高田馬場から延伸した1964(昭和39)年に開業している。これだって九段でよかったんじゃないかと思う。どうしてわざわざ「下」を付けたのだろう。
九段下駅は靖国通りを横切って南北に走る目白通りに沿ってある。日本橋川とほぼ平行している。昔は日本橋川を東に渡れば、神田区だった。九段下は麹町区にありながら、その縁に沿っており、だから九段ではなく九段下が相応しいと考えられたのかもしれない。だったら神楽坂駅は神楽坂上じゃないのか?
九段下駅を降りて、靖国通りを西進すると右に靖国神社、左に北の丸公園がある。通勤通学で利用する人以外はおそらくこのどちらかに向かう可能性が高い。公園内にある日本武道館でコンサートなどイベントがあると田安門の辺りにまるで桜が満開を迎えたみたいに大勢の人でごった返す。このようなたまにしかこの駅を訪れることがない人に駅を降りたら坂道がありますよ、平坦な道ではないですよと乗客にわかりやすく暗示するための「下」なのかもしれない。
坂の上には僕が通った高校がある。大して思い出はないのだが、夏休みか何かの課題で梶井基次郎の『檸檬』を読んで感想を書けという。あまり読書する習慣のなかった僕には辛い課題だった。多分、表題作の「檸檬」と他のいくつかの短編を読んでお茶を濁したような気がする。梶井基次郎のファンだという同級生がいて、どんな話なのかと訊いてみたが、そいつの話もよくわからなかった。
ときどき九段下駅で降りて、あの坂道を登ると昔のことを思い出す。

2024年10月20日日曜日

井上靖『楊貴妃伝』

日曜日が祝日だと月曜が振替休日になる。よって、土日月と三連休になることが多い。9月に二度あり、10月に一度あった。11月にもある。
今月の三連休は用事があって軽井沢に出かけた。連休ということで人が多く、店も道路も混んでいた。
用事を済ませ、新幹線の自由席に乗ったが、空席がない。嫌になっちゃったので高崎で降りることにした。降りたところで行く当てもない。とりあえず改札を抜けると上信電鉄乗り場という案内が出ている。高崎から下仁田までの単線の私鉄である。途中上州富岡駅から徒歩で富岡製糸場に行けると案内に書かれている。単線のローカル鉄道はのどかでいい。コインロッカーに荷物を預け、一日乗り放題切符を買って、次に発車する電車を待つ。
調べてみると木造駅舎の駅があるようだ。上州一ノ宮駅と上州福島駅。このふた駅で下車し、写真を撮るなどして過ごす。というかそれ以外にすることもない。
上信電鉄の「信」は信州のことだが、この路線は長野県に通じていない。終点の下仁田から峠を越えて、今のJR小海線の駅につなぐ計画があり、社名を上野(こうずけ)鉄道から上信電気鉄道に変更したそうだ。
中学高校時代はほとんど本を読まなかった。夏休みの宿題で読まされることはあったが。ただ記憶しているのは井上靖の本を何冊か読んだことだ。おそらく中学のと『しろばんば』『夏草冬濤』を読んでいて著者に親しみを持っていたのだろう。中国の歴史にも多少興味があった。この本を読む前後に『天平の甍』『蒼き狼』あたりを読んでいたのかもしれない。いずれまた読みかえしてみたい。
高校時代は現代国語も古文もさっぱりだったが、漢文だけは好きだった。『楊貴妃伝』のおかげかもしれない。
新幹線がまだなかった頃、高崎から軽井沢へは横川経由だった。今では新幹線であっという間だ。下仁田から峠を越えて佐久、小諸に向かうルートで軽井沢に行けたらさぞ楽しい旅になったろうと思う。

2024年9月20日金曜日

クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』

9月も半ばを過ぎたというのに猛暑が続いている。さすがに朝晩は凌ぎやすくなったというものの湿度は高く、涼しさも生温い。暑さ寒さも彼岸までと昔の人は言ったものだが、もう少し夏が続きそうである。
近年の傾向として、春から急激に真夏になり、夏から短い秋を経て冬が訪れる。陽気のいい春と秋が極端に短く感じられる。日本という国家の将来も心配だが、日本の気候も同様に悩みの種である。
1980年頃から構造主義という学術思想のジャンルを耳にするようになる。僕がわからないなりに構造主義に関心を持ったのは82年に『野生の思考』を読んでからだ。どうしてその本を手にとったのか、当時のことはまったく憶えていない。テレビかラジオでその存在を知ったのだろうか。
それまで学んだことは西洋の思想であり、文学であり、科学であった。あくまで西洋文明が前提となっていた。非西洋であるアジア、アフリカ、南アメリカ、オセアニアに文明があるとは信じられていなかった。そうではない、非西洋にも西洋と同じものの考え方や風習、制度があるということを示してくれたのが構造主義だった(と、おそらくその程度の理解しか持っていなのだが)。
今の世の中は弱者に手厚い。女性や子ども、障がい者たち、近年では性的少数者にも光を当てている。こうした一面的なものの見方を克服してきた背景には構造主義的な考えがあるのではないだろうかとひとり勝手に思っている。
『野生の思考』以後、構造主義入門であるとか構造主義とは何かといったタイトルの本を何冊か読んでみた。深い理解は得られなかった。そんな流れでクロード・レヴィ=ストロースのもうひとつの大作『悲しき熱帯』に出会った。
これは文化人類学や構造主義の専門的な本ではなく、著者がブラジルを旅した紀行文である。気楽に読めて、未開文明に対する興味が自然に湧いてくる。レヴィ=ストロースの懐の深さが感じられる一冊である。

2024年9月1日日曜日

ジャン=ジャック・ルソー『新エロイーズ』

8月はあっという間に過ぎ去っていった(今年の8月に限ったことではないけれど)。
別段、何かしていたわけでもない。この暑さのなか迂闊に外出はしないよう気をつけていた。母が入院していた病院に支払いに行った。南房総に墓参りに行った。図書館まで予約した本を借りに行き、返却に行った。母が退院するので手続きに行った。郵便局と銀行を何度か往復した。少し仕事もした。それくらい。後はオリンピックを見て、高校野球を見て、MLBを見て、じっとして動かない台風10号を見て、要するにテレビを視ているいるうちに8月が終わってしまったのだ。
それにしても今年の甲子園は接戦が多く、ジャイアントキリングが何試合かあってずいぶん楽しめた。霞ヶ浦、小松大谷、大社が印象に残る。来月以降もとっとと過ぎ去ってはやいとこ甲子園がはじまらないかとさえ思う。
ジャン=ジャック・ルソーの『新エロイーズ』を読んだのは大学3年生のときだ。卒業論文はルソーについて書こうと朧気ながら考えていて、すでに何度か読んでいた『エミール』以外の作品を読んでおこうと思ったのかもしれない。
ルソーというと『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』などやや小難しい著作もあるが、『新エロイーズ』は書簡体の恋愛小説である。高貴な女性と貧しい男性との恋はスタンダールの『赤と黒』を思い出させるが、当時の読書記録によるとスタンダールを読んだ直後に『新エロイーズ』を読んでいる。立て続けに読んだので印象がごっちゃになっている。
ルソーの本をもう一度読んでみるならこの本だろうと思う。手もとに岩波文庫が4冊ある。しかしながら頁をめくった途端にその字の小ささに気が遠くなるのである。当時の僕にはこれくらいの大きさの文字が苦も無く読めたのだ。
21歳の8月は今よりもっと時間がゆっくり流れていたに違いない。暇で暇でたいしてすることもなかったという点は今も昔も変わらないとして。

2024年1月20日土曜日

半村良『戦国自衛隊』

斎藤光正監督「戦国自衛隊」が公開されたのが1979年12月。僕が20歳のときである。文庫本と映画がコラボレーションする、いわゆる角川映画のひとつだった。角川映画は角川書店(現KADOKAWA)が映画をベースにしたメディアミックス展開として知られていた。
第一作は市川崑監督「犬神家の一族」(原作横溝正史)だそうだが、第二作の「人間の証明」(佐藤純彌監督)が話題になった。森村誠一の原作もジョー山中が歌った主題歌もヒットした。1977年。僕は高校三年生だった。
五作目にあたる「戦国自衛隊」に興味はそそられたが、劇場でこの映画は観ていない。当時あまり映画を観る習慣がなかったのである(後にテレビで視たが鮮明な記憶は残っていない)。
年が明けて1980年。読書記録によれば、この年の1月にこの本を読んでいる。映画を観る前に原作を読んでおこうと思ったのか、映画を観るお金がなかったから文庫本だけで済ませようと思ったのか。季節的には学年末の試験やレポートなどに追われていた頃だと思う。あと三カ月で大学三年生になる。今となっては遥か彼方の遠い記憶であるが、学生時代ももうじき折り返しかと思うとちょっと憂鬱な心持になる、そんな時期だった。
半村良という作家は当時も今もくわしくは知らない。『戦国自衛隊』から30年経って、『葛飾物語』を読んだ。葛飾の長屋を舞台に昭和の庶民を描いた素敵な小説だった。その後『小説浅草案内』を読む。ここに登場する粋で素朴な浅草っ子がいい。僕にとって、半村良は決してSF作家ではないが、遠い昔に『戦国自衛隊』との出会いがなければ、半村良の描く東京の東側にはお目にかかれなかったかもしれない。つまり『戦国自衛隊』の半村良という記憶があったから、彼の描く下町に出会えた気がするのである。
そういえばパスティーシュの名手清水義範の師匠が半村良だったっけ。清水義範のSFのなかでは『イマジン』が好きだ。

2023年12月21日木曜日

ハーマン・メルヴィル『白鯨』

サマセット・モームは1954年に『世界の十大小説』というエッセイを上梓している。
その内訳は、ヘンリー・フィールディング『トム・ジョーンズ』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、スタンダール『赤と黒』、オノレ・ドゥ・バルザック『ゴリオ爺さん』、チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』、ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』、ハーマン・メルヴィル『白鯨』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、レフ・トルストイ『戦争と平和』である。
モームのエッセイは、岩波文庫にあるそうだが、この十大小説のうち僕は半分しか読んでいない。
二十代に読んだのはスタンダールとメルヴィル。後は結構大人になってからだ。『カラマーゾフの兄弟』なんて光文社の古典新訳シリーズで刊行されなければおそらく読む機会はなかっただろう。
『デイヴィッド・コパフィールド』は二十代の頃、当時絶版になっていた新潮文庫(記憶違いかもしれないが)を仕事場近くの小さな書店で見つけて、買うだけ買っておいたものをずっと後になって読んだ。もっとはやく読めばよかったと思うが、こんな長編を読む暇はなかった。『赤と黒』は二十代の頃、岩波文庫で読み、五十を過ぎて光文社の古典新訳で読み直した。
小説を読むようになったのは大学2年の終わりごろから。大江健三郎を読んで、開高健を読んで、スタインベック、ノーマン・メイラーと海外の小説を読みはじめるようになった。そしてどういう経緯かは忘れたが、『白鯨』にたどり着く。おそらくこの本がアメリカ文学の最高峰であるとかなんとか吹き込まれたのではないかと思う。モビー・ディックに復讐心をたぎらせるエイハブ船長。一頭の鯨をめぐる心理戦。まるでミステリー小説を読んでいるようなハラハラドキドキ感を(それだけを)今でもおぼえている。もう一度読む機会は果たしてあるだろうか。

2023年11月19日日曜日

フランツ・カフカ『変身』

大学に入学したのは1978年のことである。
そこは教員養成系の大学だった。特段、教員になりたいという希望はなかった。それどころか、将来自分が何になりたいかということをあまり考えていなかった。とりあえず受かりそうな大学を選んで受験し、結果的に教員養成系の大学に合格したのである。
高校時代の成績不振により、理工系を断念。文系学部に志望を変えたのだが、法律や経済はどことなく近寄りがたく、かといって文学部をめざすほどでもない。文学部に憧れはあったものの、もう少しお手軽な学部はないかと模索していたのである。もちろん教育学部がお手軽とは今でも思っていないが。
近所に東京教育大学を卒業し、出版社に勤務している方がいた。学業優秀でたしか中学から国立に通っていたと聞く。文学部に憧れたのもこの人のせいかもしれない。そんなこんなで教育系の大学を受験したのかもしれない。
入学して一、二年は教育学の概論的な本や当時明治図書から出版されていた世界教育学選集(コメニュウス『大教授学』やコンドルセ『公教育の原理』など)を読んでいた。そのうち大江健三郎を読みはじめ、その後小説が多くなる。海外の小説も読みはじめたが、カフカの『変身』は比較的はやい時期だった。そのすぐ後にカミュの『異邦人』を読んでいる。たぶん実存主義とか不条理文学なるものに多少は関心を抱いた頃なのかもしれない。
それにしてもグレゴール・ザムザの、この物語は冒頭のインパクトが強すぎて、その後どうなったのか、最後はどうなったんだっけといった部分の記憶が飛んでいる。朝起きたら虫になっていたってどういうことなんだ、明日もし俺が朝起きて虫になっていたとしたら、俺はどうやって生きていけばいいんだと考えているうちに物語は後半を迎える。もういちど読んでみようかと思うけれど、再読したところでやはり冒頭のインパクトによって後半を忘れてしまいそうなのでよしておく。

2023年10月30日月曜日

大江健三郎『個人的な体験』

昨年夏は3回ほど軽井沢を訪ねたが、今年はコロナウイルス感染症が5類感染症に移行したこともあり、海外からも含め、観光客が一気に増え、宿泊の予約がなかなかとれない。結局今月になって訪れることになった。どうせなら紅葉の季節と思っていたが、10月20日過ぎ頃はまだまだ見頃とはいえない。それでも地元の人に言わせれば日一日と色づいてきているという。さすがに10月の軽井沢は寒い。日中はそうでもないが、日が落ちたとたん冬になる。セーターを持って行ってよかった。
軽井沢に行くとついでに観光する。今回は佐久市内にある旧中込学校を見た。明治8年築の木造校舎で長野県の県宝に指定されている。木の廊下、当時の机やオルガン、教科書などが展示されている。昔の校舎の匂いがする。
帰りに長野に立ち寄って、善光寺にお参りに行った。せっかく信州に来たのだからと、軽井沢で二軒、長野で三軒の蕎麦屋に寄った。食べくらべてみると軽井沢の蕎麦は東京の蕎麦で、長野の蕎麦は信州の蕎麦であることがなんとなくわかる。信州の蕎麦は繊細さより力強さ、質朴さがある。ざるやとろろが主で、つゆも薄く、蕎麦をどっぷり付けて食す田舎風の食べ方をする。信州では蕎麦は生活の一部だったのだと思う。
中学高校時代にほとんど読まなかった本を、大学生になって多少は読まなければと思って、教育学の概論や昭和史、太平洋戦争史などを読んでいた。小説はまったくといってくらい読まなかったが、10代の終わりに突然大江健三郎を読みはじめた。そのきっかけは思い出せない。先輩に読めと言われたのかもしれない。周囲に大江を読む友人はいなかった。
『個人的な体験』は著者自身の体験をベースに書かれている。1963年に大江健三郎の長男が知的障害をもって生まれたことはよく知られている。このブログを書くにあたって、単行本をひさしぶりに開いてみた。そうそう、主人公の名は鳥(バード)だった。

2023年9月30日土曜日

ジョン・スタインベック『二十日鼠と人間』

明石町の聖路加タワー最上階のお店で会社の新入社員歓迎会が行われた。新型コロナ感染拡大以降ほぼ全員の社員が集まる会食ははじめてである。コロナ以降入社して、いちどもこうした経験のないまま辞めていった社員もいる。
聖路加国際病院のことをたいていの人は「せいろか」と呼んでいる。僕もそのひとり。正しくは「せいるか」である。「せいろか」というと正露丸と語源が同じか近いのかとも思ってしまう。正露丸は昭和24年まで征露丸だった。勝鬨橋が近いからそんなふうに思ってしまうのかもしれない。というようなつまらないことを考えながら、明石町から西銀座まで歩いて地下鉄に乗って帰った。
大学に入っても一般教養で英語の授業を受けなければならず、億劫に思っていた。それでも小説や戯曲を読む授業をたまたま選んで、よかったと思うこともあった。テネシー・ウィリアムスの『ガラスの動物園』やアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を読む授業もあった。難解だった。
二年生のとき選んだ英語の授業ではスタインベックの「赤い仔馬」を読んだ。ジョディ少年の物語だ。おそらくはスタインベックの自伝的な小説であろう。今でも西部の果てしない農園と牧場が続く景色と赤い仔馬を引く少年の姿が目に浮かぶ。それまで知らなかった作家、スタイベックを俄然好きになってしまった。
それからスタインベックの作品を積極的に読むようになる。最初に読んだのが『真珠』で民話的な物語。次に読んだのがこの『二十日鼠と人間』である。農場で雇用される男たちを見舞う悲劇とでもいおうか。大作『怒りの葡萄』に通じるテーマを感じる。大作といえば『エデンの東』もよかった。
スタインベックを起点として、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーなども読むようになった。大学生の頃、スタインベックに出会わなければ、アメリカ文学の旅に出ることは、おそらくなかったのではないかと思う。

2023年9月26日火曜日

ジャン=ジャック・ルソー『エミール』

以前、通勤していた頃は行き帰りの電車のなかで本を読む習慣があったから、それほど多くはないけれど月に何冊か本を読むことができた。在宅になってからもなるべく本を読む時間を確保しようと思い、午前中であるとか就寝前とか本を読むようにしている。それにしても読書量は減っている。一日仕事に追われて、まったく読めない日だってある(というほど忙しい日はかなり少ないのだが)。歳相応に小さな字が見づらくなってきたせいもある。
今、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を読んでいる。岩波文庫で4冊あるが、僕が読んだ1980年当時は8冊だった。翻訳も古いうえ、昔読んだことなんてこれっぽちもおぼえていないのでなかなか読みすすめない。
昔読んだ本をもういちど読みなおそうと思うようになってずいぶん経つ。夏目漱石や太宰治を読みかえしたりしてきた。そしてどういうわけか『ジャン・クリストフ』が読みたくなった。
というわけで最近新しい本を読んでいないので、このブログも開店休業状態である。まったく書かないというのもよくないと思い、「昔読んだ本」というラベルをつくって、思い出話を添えてみることにする。
ルソーの『エミール』は大学一年の終わり頃に読んでいる。
その昔、子どもは「小さな大人」だった。子どもは人間の発達過程で「子ども」という段階を経て、成長していく。そうした子ども時代を発見したのがルソーだといわれている。ルソーの少し前にイギリスのジョン・ロックという人も『教育論』を著している。ルソーにも多大な影響を与えた本だと思われるが、微妙に子ども観が異なる。
『エミール』はその後何度か読みなおしている。卒論のテーマにルソーを選んだからである。なぜルソーを選んだかというと、ルソーに関する著書や論文は多く、うまいこと継ぎ接ぎすれば卒論なんて簡単に書けてしまえそうに思えたからだ。
そんな姑息な学生時代を思い出させてくれる一冊である。