2025年12月10日水曜日

若松英輔『はじめての利他学』

さすがに12月になって寒気に覆われるようになった。北海道、東北と日本海側は雪の降る日が多くなった。この時期雪が多いのは日本海の海水温がまだ高く、雪雲がつくられやすいということらしい。
そんななかわが家の給湯器が不調をきわめている。2年ほど前から使っている途中でお湯が出なくなることがあったが、コンセントを抜いて差しなおすと元に戻った。ひと月にいちどくらいは止まってしまっていたのが2週間にいちどとなり、最近では3日にいちどになり、昨日一昨日あたりは数時間おきにお湯が止まるようになってしまった。
安く交換できる会社があるようなので見積りを取って、注文した。今はメーカーから取り寄せ中という。不便は不便なのだが、うちは二世帯住宅で二階に風呂場があり、お湯も出る。石鹸、シャンプー、タオルなどを二階に運び、簡単に掃除してなんとか凌いでいる。
利他に関する本を何冊か読んで、その難解さに辟易している。それでも気になるので読めそうな本を見つけては読んでいる。著者若松英輔は以前読んだ『利他とは何か』の共同執筆者である。
若松によれば利他とはもともと仏教から来ている。最澄は忘己利他を説き、空海は自利利他を説いた。利他は己を忘れたところにあり、自他ともに利することが利他であるという。利他という言葉、概念だけで利他を論じるところに難しさがある。己あるいは自と他は切り離すことはできないのだ。
これまで「利他とは何か」ばかりを考えてきた。利他と対になる概念は何かなど整理整頓して理解しようとしていた。前に読んだ本で若松は「利他という名状しがたい、そしてある意味では姿なき出来事を生々しく感じることなく、概念化するとき、私たちがそこで目にするのは、記号化された利他、さらにいえば死物となった利他であって、『生ける利他』ではありません」と述べている。そういうことかとようやくわかる。
利他はなかなか奥が深いのだ。

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