2022年5月29日日曜日

沢木耕太郎『作家との遭遇』

これだけはどうしても読んでおきたいと思う本が少なくなってきた。歳をとって欲がなくなってきたせいもある。
もともとこれを読んだらあれを読もうといったプランをつくって読書しているわけではない。基本、行きあたりばったりである。最近では仕事で必要な書物以外はずっと読まないままでいた日本の名作を開いてみたり、昔読んだ小説を読みなおすなどしている。人が一生に読める本は限られている。これまで読んできた本との出会いは偶然の出会いであり、それはそれでよかったのだろう。
誰かが読んでいた本を読んだことも多かった。昔の同僚や先輩にすすめられたり、影響を受けて読んだ本も多い。沢木耕太郎の『深夜特急』もそのひとつ。沢木耕太郎の名前を見ると当時親しく付き合っていたコグレさんを思い出す。今ごろどこで何をしているやら。
この本はノンフィクション作家沢木耕太郎による作家論。
沢木は、資料を丹念に収集し、読み解き、事実を克明に記していく。筋金入りのノンフィクションライターである。本書で取りあげられた作家一人ひとりの作品にすべて目を通したうえでテーマを絞り込んで綴っている。そのせいかフィクションとノンフィクションに関しては厳格な線引きを行っている。吉村昭や瀬戸内寂聴について語るとき、その厳格さは色濃くあらわれる。ノンフィクションを書くという自身の存在理由が明確なぶん、文章は骨太で力強さが感じられる。『深夜特急』以外の作品を知らなかった僕には新鮮な出会いだった。
この作家論は最近文庫化された。単行本にはトルーマン・カポーティやアルベール・カミュについての論考も所収されているという。まだつづきがあると思うと少しうれしい。
この本を読み終えて、檀一雄『小説太宰治』と瀬戸内寂聴『美は乱調にあり』とその続編である『諧調に偽りあり』を読んでみたくなった。結果的に読みたい本がまた増えてしまった。
無計画な読書は当分続きそうだ。

2022年5月25日水曜日

安藤元博『広告ビジネスは、変われるか? テクノロジー・マーケティング・メディアのこれから』

長く広告の仕事に携わってきたが、広告の未来は、などと訊ねられてもおいそれとは答えられない。僕が主として関わってきたのは広告表現の企画立案、所謂クリエイティブであって、実をいうとそれ以外のこと、メディアやマーケティングのことなどはまったくの素人同然である。
ここ10年ほどで広告やマーケティングの世界にもデジタルの波は押し寄せている。費用対効果の高いメディアを瞬時に選択し、効果的な表現をたえず見直し、スパイラルアップさせて、興味関心のある潜在的な顧客に有効な情報をタイミングよく刷り込んでいく、みたいなことが行われるようになってきている。
これまで主にテレビCMの企画を主にしてきた。ざっくり不特定多数に情報を届けるこのメディアはデジタルの真逆にあった。テレビCMが完成し、オンエアされる。クライアントからは話題になっているとか、注文が増えているとか、社内の評判がいいなどと言われる。それでいて半年後には再び複数の広告会社と競合プレゼンテーションの知らせが来る。広告、とりわけテレビCMに対する厳密な効果測定は、少なくとも僕たちの時代には行われ得なかった。よく伝わる表現があったとしても、しかるべき時間帯にある程度の出稿がなければ、それは届かない。大量に出稿される広告であっても、魅力のない表現、あるいは反感を買うような表現ならばマイナスの効果しか残さない。広告が効果的に迎え入れられるためにあらゆる要素を効果的に組み立てなければならないのだ。そうした意味からするとデジタル化された広告ビジネスは昔にくらべ、格段の進歩を遂げるだろう。効果が測られることによって、表現が萎縮しなければいいと思うし、クリエイティブに携わる人たちのモチベーションが下がらなければいいと思っている。
この本では統合マーケティングのプラットフォームが語られている。専門分化と統合という難しい課題に広告ビジネスはさらされている。

2022年5月23日月曜日

指南役『黄金の6年間 1978-1983 素晴らしきエンタメ青春時代』

今年は沖縄返還50年にあたる。NHK朝の連続ドラマも沖縄を舞台にしてはじまった。
先日の新聞に石垣出身の元ボクシング世界チャンピオン具志堅用高のインタビュー記事が載っていた。沖縄が日本に復帰した年、インターハイに出場するため具志堅は本土に渡る。パスポートはもう要らなかった。
その4年後、1976年10月10日。高校の文化祭が終わった夜、僕はひとり飯田橋でラーメンを食べていた。店内のテレビはボクシングの試合を中継していた。テレビから沸き起こる歓声に加えて、店にいた多くの客たちもどよめく。WBA世界ライトフライ級チャンピオン具志堅用高誕生の瞬間だった。
JR飯田橋駅から九段に向かって歩く途中に「ひろかわ」というとんかつ屋があった。後で知ったことだが、石垣島から上京した具志堅はこの店でアルバイトをしていたという(僕も駅前で何度か見かけたことがあった)。その日歓声を上げたラーメン屋のお客さんは地元で働く具志堅をずっと応援していた人たちだったに違いない。
著者の指南役によれば、「黄金の6年間」とは1978年から83年までの6年間をさす。東京が最も面白く、猥雑でエキサイティングだった時代、音楽や映画、小説、テレビ、広告、雑誌などメディアを横断してさまざまな分野のクロスオーバー化が進み、新たな才能が生み出された時代であるという。TBSテレビで「ザ・ベストテン」や「3年B組金八先生」がはじまり、村上春樹が小説を書きはじめた時代だ。
こういった時代区分は恣意的なものが多いと思われるが、事例が多く積み重ねられることによって不思議と説得力が生まれてくる。それと同時にこの6年間の前後の時代にも光が射し込んでくる。とりわけ黄金時代の夜明け前は興味深い。
どういうわけか、この本を読み終えて、具志堅用高の世界王座奪取を思い出した。それから1年と2ヶ月。黄金の6年間がはじまる。そして4月に僕は大学生になった。

2022年5月22日日曜日

夏目漱石『吾輩は猫である』

一般の人はあまり使う機会はないだろうが、和文通話表という一覧が無線局運用規則に定められている。要するに無線電話で確実にことばを伝えるために制定されたものだ。「朝日のあ」「いろはのい」と念を押すことによって間違って伝達しないための手段である。英語にもある(というか英文通話表=フォネティックコードの日本語版が和文通話表と解釈していい)。「A、アルファ」「B、ブラボー」などと言う。
和文通話表は昭和25年に施行された電波法で定められた。通信や電波はそれまでは逓信省、その後電気通信省、郵政省が管轄していたが、「切手のき」「手紙のて」「はがきのは」「無線のむ」「ラジオのら」と通信関係が多い。地名も「上野のう」「大阪のお」「東京のと」などがある。「ろ」は「ローマのろ」である。ロンドンではなくローマなのである。ましてやロシアでもない。「ぬ」は「沼津のぬ」である。「ぬり絵」でも「ぬかみそ」でもよかったかもしれないが、昭和の初期まで交通の要衝だった沼津が採用されている。
なんだかなあと思われるものもいくつかある。「そろばんのそ」「煙草のた」「マッチのま」「三笠のみ」「留守居のる」などは少し時代に取り残されているような気がする。「千鳥のち」も千鳥にピンとこない人が増えてきたと思う。
日本近代文学のはじめの一歩は間違いなく夏目漱石であろう。その漱石の最初の作品が本書である。恥ずかしながら、ついぞ読む機会がないまま、齢を重ねてしまった。突飛なアイデアから生まれたこのデビュー作はなかなか奥行があり、味わい深いものがある。後々の諸作品のためのいいスタートダッシュだったといえよう。
調べてみると和文通話表は古くは大正14年に制定されているようだ。「明石のア」「岩手のイ」「上野のウ」と地名が多く見られる。それに基づくと夏目は「名古屋のナ」「敦賀のツ」「目白のメ」となる。
どうでもいいようなことを書いてしまった。

2022年5月9日月曜日

山本有三『路傍の石』

読みはじめたものの読み終えていない本がたくさんある。
おもしろそうだとか、これは読まねばと志だけ高くページを開いてみたものの、こんなはずじゃなかったと思った書物の数々。人生も読書もこんなはずじゃなかったの連続だ。たとえばマクルーハンの『メディア論』など。
高校1年の夏休み、大岡昇平の『野火』を読んで感想文を書けという宿題があった。30頁ほど読んで読みきることをあきらめた。とりあえず原稿用紙のマスを埋めて、提出した。どんなことを書いたかも、本当に提出したのかさえもおぼえていない。それでも何とはなしに気がかりだったので3年くらい前に読んだ。
山本有三のこの小説は小学生の頃、子ども向けの日本文学全集か何かで読みはじめた。冒頭の焼き芋屋の話がせつなくて読む気をなくした。それ以来、いちどたりとも手にとることはなかった。記憶はみごとに失われていた。kindleで何か面白そうな本はないかと探していたとき、突然『路傍の石』という文字が目に飛びこんできた。小学生時代に読みはじめたもののやめてしまった記憶とともに。まるでマドレーヌを紅茶に浸したみたいに。
焼き芋屋のくだりをクリアして読みすすむ。悪い話ではない。吾一という少年はきっと将来、幸せになるような予感がした。オリバー・ツイストやデイヴィッド・コパフィールドのように。けっしてハンス少年のように挫折して溺死したり、青山半蔵のように学問にのめり込んだ末に廃人となるようなことはなさそうだ。
紆余曲折がありながら、吾一は人生を切り拓いていく。印刷工として真摯に仕事に取り組み、夜学に通い、事務職となり、やがて出版事業を起こす。もちろんとんとん拍子というわけにはいかないが、あきらめない、希望を捨てないところが吾一なのである。そして、さあこれからというときにこの物語は幕を閉じる。突然に。
未完の小説だったことがわかっただけでもこの本を読み終えてよかったと思う。