男には男のふるさとがあるという
女には女のふるさとがあるという
なにも持たないのは
さすらう者ばかり
どこへ帰るのかも
わからない者ばかり
こんな歌い出しである。
都会で出会った男と女もそれぞれ生まれ故郷がある。身に染みついた風習なり慣習がある。やがてふたりに対立が生まれる。そんなストーリーを想像する。
この曲を聴いて思い浮かべるのは「さすらう者」林芙美子だ。山口県下関の生まれであるが、以後行商する養父実母とともに各地を転々とする。自分の居場所がない。林芙美子の人生は生まれながら旅の連続だった。
代表作といわれるのは『放浪記』だったり『浮雲』だったり。これも「さすらう者」林芙美子の真骨頂だろう。林の紀行は以前も読んでいる。岩波文庫『下駄で歩いた巴里』にシベリア鉄道の旅などこの本と重複するタイトルがが含まれている。
昭和のはじめ頃、日本からヨーロッパへはシベリア鉄道か船便だった。船の方が時間がかかる(横浜ロンドンで約40日)し、運賃もかさむ。林芙美子が陸路を選んだのはおそらく安くはやく行ける点を考慮したためだろう。三等寝台列車でモスクワをめざしたくらいだから。鉄道は安くはやくなのはたしかだが、重たい荷物を持って乗り換えたり、通関手続き、治安などの点では不便な旅だ。あえてこの面倒を背負いながら列車に揺られたところが林芙美子たる所以か。
昭和6~7年といえばすでに柳条湖事件が起きている。満州は物騒だったに違いない。物騒といえば、ロシアのウクライナ侵攻以後日本ロシア間の直行便は停止している。ウラジオストックへは第三国から入らなければならない。ウラジオストックとモスクワを結ぶ寝台特急列車(走行距離9,259キロ、所要時間144時間)は今も隔日運行されているが、国際情勢的にはシベリア鉄道の旅ははるか遠い存在になってしまった。
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