同業で同い歳のTさんが本を送ってくれた。御岳父の遺品であるという。
同業というのはテレビコマーシャルなどの企画や演出をする仕事で広告会社に在籍し企画やプレゼンテーションを主にしていた僕と異なり、Tさんは大学卒業後制作会社に入り、制作進行という現場の仕切りからキャリアをスタートさせた。ややもすれば頭でっかちな僕とくらべ、現場のたたき上げで演出家になったTさんは映像制作に対する覚悟をもっていたように思う。ふたりで(あるいはもっと複数で)アイデアを持ち寄る打合せを何度も経験したが、互いに企画案を褒め合ったものだ。彼は僕にないアイデアを出し、僕は彼にはないアイデアを出した。そんなこんなで気心知れるようになったのだろう。
それでもふたりの間には実際のところ共通点が少ない。僕は音楽はもっぱら聴くばかりだが、彼はフルートやリコーダーなど楽器に親しむし、熱狂的なサッカーファンである(高校時代は強靭なセンターバックであると聞いている)。僕はひたすら野球を見るだけ。町歩きや鉄道が好きな僕に対して、Tさんは持ち前の行動力を活かして炊き出しなどのボランティアにも積極的に参加する。
ひとつだけ共通点があるとすれば、吉村昭だ。僕はすべてではないが多くの吉村作品を読んできた。そのことでTさんとSNS上でやりとりしたことも多い。それで自分が読み終えた初期の短編集を僕に読んでみませんかとすすめてきたのだ。少し前に『長英逃亡』と『海の史劇』を再読した。次に何を読もうかと思っていた矢先だったのでありがたくいただき、一日一遍ずつかみしめるように読んだ。
吉村昭は戦後まもなくまだ若い頃に肋骨を切除する大手術を受けている。この作品集には生と死の間を彷徨っていた初期の短編で構成されている。いずれも力作である。そして死の匂いがどんよりと漂っている。これまで読んだ短編のなかでは『鯨の絵巻』のなかの「光る鱗」に似た肌触りを感じた。
2025年7月14日月曜日
2025年6月21日土曜日
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』
この本は第1部、第2部が1994年に、第3部が翌年に出版されている。最初に呼んだのは95年だったと思う。一気に読んだ記憶があり、第1部に挟まれていた一枚の紙にその頃の仕事のメモが一枚残されていたからだ。
当時、僕はある鉄道会社のテレビコマーシャルの企画をしていた。その紙切れには割引切符のネーミングやらキャッチフレーズのプロトタイプなど記されていた。それが証拠にはならないだろうけれど、発行の翌年8月に3冊まとめて買って読んだのだろう。
面白かった。村上春樹の小説がついに村上春樹の小説になったと思った。それから数年後にもう一度読んだ記憶がある。というわけで今回読むのは3回目。二十年ほどのブランクがある。例によって内容的にはさして憶えていない。もちろん間宮中尉の話など忘れられない部分はあるとしてもだ。きっかけとなったのは、昨年読んだ短編集『パン屋再襲撃』に収められている「ねじまき鳥と火曜日の女たち」である。
いわゆる村上ワールドは、ある日突然異界に移る。奇妙な人物があらわれ、不思議な事件に巻き込まれる。生活に支障を来たす。この糸のもつれたような複雑多岐がすべてがクライマックスにつながっている。こうした不可思議な連鎖を辿っていくなかで解決の糸口となるようなヒントを探りあてる。そこからたたみかけるように想像力の世界のなかで物語は駆け抜けていく。こうしたパターンが確立されたのがこの作品なのだ。以後、『海辺のカフカ』も『1Q 84』も『騎士団長頃し』もその手には乗らないぞと思いつつ、引き込まれてしまうのが村上ワールドなのだ。
すっかり忘れていたが、この本に牛河が登場する。『1Q 84』で青豆や天吾の周辺を嗅ぎ回る福助頭だ。先日読みかえしたときには牛河が『ねじまき鳥』に登場していることなんかすっかり忘れていた。
再読の楽しみは忘れてしまったことを記憶の層から掘り起こすことなのかもしれない。
当時、僕はある鉄道会社のテレビコマーシャルの企画をしていた。その紙切れには割引切符のネーミングやらキャッチフレーズのプロトタイプなど記されていた。それが証拠にはならないだろうけれど、発行の翌年8月に3冊まとめて買って読んだのだろう。
面白かった。村上春樹の小説がついに村上春樹の小説になったと思った。それから数年後にもう一度読んだ記憶がある。というわけで今回読むのは3回目。二十年ほどのブランクがある。例によって内容的にはさして憶えていない。もちろん間宮中尉の話など忘れられない部分はあるとしてもだ。きっかけとなったのは、昨年読んだ短編集『パン屋再襲撃』に収められている「ねじまき鳥と火曜日の女たち」である。
いわゆる村上ワールドは、ある日突然異界に移る。奇妙な人物があらわれ、不思議な事件に巻き込まれる。生活に支障を来たす。この糸のもつれたような複雑多岐がすべてがクライマックスにつながっている。こうした不可思議な連鎖を辿っていくなかで解決の糸口となるようなヒントを探りあてる。そこからたたみかけるように想像力の世界のなかで物語は駆け抜けていく。こうしたパターンが確立されたのがこの作品なのだ。以後、『海辺のカフカ』も『1Q 84』も『騎士団長頃し』もその手には乗らないぞと思いつつ、引き込まれてしまうのが村上ワールドなのだ。
すっかり忘れていたが、この本に牛河が登場する。『1Q 84』で青豆や天吾の周辺を嗅ぎ回る福助頭だ。先日読みかえしたときには牛河が『ねじまき鳥』に登場していることなんかすっかり忘れていた。
再読の楽しみは忘れてしまったことを記憶の層から掘り起こすことなのかもしれない。
2025年5月9日金曜日
司馬遼太郎『胡蝶の夢』
江戸幕末期の奥医師松本良順に関しては吉村昭の『暁の旅人』で読んでいる。嘉永、安政から維新にかけては様々な人物があらわれ、それも幕府側でない人物のその足跡を辿るのが面白い。川路聖謨や彰義隊の話が今ひとつ盛り上がりにかけると思うのは性格的なものだろうか。最後まで徳川に付いた松本良順にさほど強い印象を残さなかったのもやはり性格か。
司馬遼太郎が良順を追いかけると何故か面白い。司馬は講談師や噺家のように当時の社会を解説してくれる。サービス精神が旺盛なのだ。この話、文庫上下2冊でいいんじゃないか、ってな物語を4冊にする。司馬が高野長英の逃亡劇を書いたらおそらく『ジャン・クリストフ』くらいの大長編になるだろう。
実父は佐倉順天堂の佐藤泰然であり、幕臣の養子になった良順は血統的には申し分ない。徳川慶喜、勝海舟、新撰組らとの接点はあるものの基本、順風満帆なストーリーとなっておかしくない。が、そこに島倉伊之助という異物が混入される。
伊之助は後に司馬凌海という名で歴史に残る人物である。祖父伊右衛門に学才を見出され、子どもらしい時代を過ごすことなく、読書に没頭する。抜群の記憶力を誇り、江戸に出て良順の弟子になる。その後順天堂に学び、一旦佐渡に戻るが、長崎に留学した良順に呼ばれ、オランダの医師ポンペに師事する。長崎ではオランダ語の他、中国語、ドイツ語などをその突出した記憶力でマスターする。社会性という点では致命的に欠落しているにもかかわらず、記憶力に関してはある種の奇形ともいえる。
司馬遼太郎は徳川の身分制度に着目する。士農工商といった固定化された身分があらゆる制度を維持し、長きにわたって政権を支える。諸外国からもたらされた文化によって身分制度が疑問視され、やがて徳川幕府は崩壊する。
良順は平民ですらない者たち、後に言う被差別部落民らとも接触を持ち、その不平等是正に乗り出す。象徴的なエピソードだと思った。
司馬遼太郎が良順を追いかけると何故か面白い。司馬は講談師や噺家のように当時の社会を解説してくれる。サービス精神が旺盛なのだ。この話、文庫上下2冊でいいんじゃないか、ってな物語を4冊にする。司馬が高野長英の逃亡劇を書いたらおそらく『ジャン・クリストフ』くらいの大長編になるだろう。
実父は佐倉順天堂の佐藤泰然であり、幕臣の養子になった良順は血統的には申し分ない。徳川慶喜、勝海舟、新撰組らとの接点はあるものの基本、順風満帆なストーリーとなっておかしくない。が、そこに島倉伊之助という異物が混入される。
伊之助は後に司馬凌海という名で歴史に残る人物である。祖父伊右衛門に学才を見出され、子どもらしい時代を過ごすことなく、読書に没頭する。抜群の記憶力を誇り、江戸に出て良順の弟子になる。その後順天堂に学び、一旦佐渡に戻るが、長崎に留学した良順に呼ばれ、オランダの医師ポンペに師事する。長崎ではオランダ語の他、中国語、ドイツ語などをその突出した記憶力でマスターする。社会性という点では致命的に欠落しているにもかかわらず、記憶力に関してはある種の奇形ともいえる。
司馬遼太郎は徳川の身分制度に着目する。士農工商といった固定化された身分があらゆる制度を維持し、長きにわたって政権を支える。諸外国からもたらされた文化によって身分制度が疑問視され、やがて徳川幕府は崩壊する。
良順は平民ですらない者たち、後に言う被差別部落民らとも接触を持ち、その不平等是正に乗り出す。象徴的なエピソードだと思った。
2025年4月6日日曜日
吉村昭『長英逃亡』(再読)
吉村昭の小説でもう一度読みたい作品は多い。先日はテレビドラマ「坂の上の雲」が再放送されていたこともあって『海の刺激』を再読した。その後奥田英朗の『オリンピックの身代金』を読み、警察に追われる主人公島崎国男の逃走から小伝馬町の牢を抜け、逃亡を続けた高野長英を思い出す。
日本は治安のいい国であるといわれるが、すでに江戸時代から犯罪人の取締りに関しては一等国だったと言っていい。長英は張り巡らされた捜査の網をかいくぐり、6年にわたり、逃亡生活を送る。
人生には運不運は付きものだが、破獄後の長英の逃亡は幸運に恵まれた。ひとつは門人内田弥太郎の庇護である。常に冷静に逃亡先を考え、長英の妻子を支援する。内田なくして長英の逃亡はなかったろう。入牢中に出会った米吉も長英の逃亡を支えた。米吉は仙台の侠客鈴木忠吉の子分だった。長英は裏社会とのつながりを持つことで直江津から奥州へ送り届けられ、母親と再会する。米沢から江戸へ戻るのも米吉の力なくしては叶えることはできなかった。江戸に戻り、宇和島藩、薩摩藩に接近することができたのも幸運だった。長英は招かれて宇和島に旅立つが、宇和島藩の藩医富沢礼中とともに箱根と今切の関所を越える。逃亡劇の中でももっとも危険な賭けだった。
一方、長英にとって最大の不運は破獄後2カ月で長英に永牢(終身刑)を言い渡した南町奉行鳥居耀蔵が失脚したことだ。結果論ではあるが、破獄など試みず、後少し牢の生活を堪えていればおそらくは釈放されたであろう。何しろ高野長英は日本屈指の蘭学者だったのだから。
直江津や米沢でゆったり過ごすこともできたとはいえ、長英の旅は至って過酷だった。精神的な消耗も激しかったに違いない。それでもかつての門人やその伝手で出会った人びとが身の危険もかえりみずに匿ってくれた。長英が牢を破って逃亡したことで得たものは人の心のあたたかさを知ったことだったのではあるまいか。
日本は治安のいい国であるといわれるが、すでに江戸時代から犯罪人の取締りに関しては一等国だったと言っていい。長英は張り巡らされた捜査の網をかいくぐり、6年にわたり、逃亡生活を送る。
人生には運不運は付きものだが、破獄後の長英の逃亡は幸運に恵まれた。ひとつは門人内田弥太郎の庇護である。常に冷静に逃亡先を考え、長英の妻子を支援する。内田なくして長英の逃亡はなかったろう。入牢中に出会った米吉も長英の逃亡を支えた。米吉は仙台の侠客鈴木忠吉の子分だった。長英は裏社会とのつながりを持つことで直江津から奥州へ送り届けられ、母親と再会する。米沢から江戸へ戻るのも米吉の力なくしては叶えることはできなかった。江戸に戻り、宇和島藩、薩摩藩に接近することができたのも幸運だった。長英は招かれて宇和島に旅立つが、宇和島藩の藩医富沢礼中とともに箱根と今切の関所を越える。逃亡劇の中でももっとも危険な賭けだった。
一方、長英にとって最大の不運は破獄後2カ月で長英に永牢(終身刑)を言い渡した南町奉行鳥居耀蔵が失脚したことだ。結果論ではあるが、破獄など試みず、後少し牢の生活を堪えていればおそらくは釈放されたであろう。何しろ高野長英は日本屈指の蘭学者だったのだから。
直江津や米沢でゆったり過ごすこともできたとはいえ、長英の旅は至って過酷だった。精神的な消耗も激しかったに違いない。それでもかつての門人やその伝手で出会った人びとが身の危険もかえりみずに匿ってくれた。長英が牢を破って逃亡したことで得たものは人の心のあたたかさを知ったことだったのではあるまいか。
2025年3月31日月曜日
奥田英朗『オリンピックの身代金』(再読)
吉見俊也の『東京裏返し』を読み、ついでに歴史のおさらいをしようと半藤一利の『昭和史』を読んだ。昭和の東京の風景を見たくなり、14、5年くらい前に読んだこの本をもう一度読んでみる。
1964(昭和39)年のオリンピック開催に向けてぎりぎりまで準備がすすめられる。著者は僕と同世代。知る由もない当時の都内各地がよく再現されている。本郷、西片町、千駄ケ谷、代々木ワシントンハイツ跡、糀谷、羽田、御徒町などまるでタイムスリップして見てきたようである(もちろん僕にはそうした風景の記憶はないのだが)。オリンピックを人質にしたテロを目論む東大大学院生島崎国男は、さらに三河島、江戸川橋、赤羽、大久保、晴海に潜伏する。以前読んだときはこれらの土地を散策した。京急六道土手駅まで行って、島崎がダイナマイトを入手した北野火薬を探したこともあった。
この小説はふたつの層から成る。地形的には台地(高台)と低地(下町)。繁栄に向かう東京と貧困に喘ぐ地方の農村。特権的な公安と刑事部。捜査一課の刑事落合昌夫らも旅の途中で知り合ったスリの常習犯村田留吉も下層の存在である。出稼ぎ労働者らも。一方で島崎の同級生須賀忠(彼の父須賀修二郎は警視庁の上層部で東京五輪警備のトップであるのだが)は秘匿される事件に関心を持ち独自に詮索をはじめる。動くたびに公安に尾行され、結果的に捜査に協力してしまう。学生運動に傾倒する文学部のユミもしかり。江戸川橋の、当時最新の高層アパートに住み、東大文学部に通う。明らかに上流家庭の子女である。彼女も泳がされた挙句、逃走する島崎を追い詰めてしまう。これもまた貧困層を追い込む富裕層といった対立図式になっている。復興と繁栄の象徴であるオリンピックは多くの下層民が人柱となって支えた。その疑念が島崎の犯行を後押しする。
印象に残ったのは、そのオリンピックと島崎国男を救ったのが共犯者村田留吉であったことだ。
2025年3月17日月曜日
村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』
松任谷由実のアルバム「PEARL PIERCE」がリリースされたのが1982年。同梱されている歌詞カードは安西水丸のイラストレーションで飾られていた。当時僕は安西水丸を注視していた。「ガロ」、「ビックリハウス」といった雑誌に四コマ漫画をよく連載していたせいか、この人は漫画家を目指しているのだろうと思っていたがユーミンのアルバムに鮮烈なイラストレーションを描いたことでやはりこの人はイラストレーターなのだ、それもただ者ではないと実感した。
雑誌の表紙を描くことも増えてきて、書店をひと巡りすると安西のイラストレーションをいくつか見かけるようになっていた。ちょうどそんな頃、文芸コーナーで平積みされていたこの本に出会った。すごいじゃん、安西水丸。村上春樹の本の表紙を描いてるじゃん。といささか興奮気味に購入したのを今でも憶えている。村上最初の短編集である。以後コンビを組んで出版された本は多い。
そんなこんなで村上春樹初の短編集は僕にとっても思い出深い一冊で時折書棚から取り出しては1、2編目を通してみたりする。だいたいは「中国行きのスロウ・ボート」だったり「午後の最後の芝生」だったり。全編通して読むのは大変久しぶりのことである。あまり目を通すことがなかった「カンガルー通信」や「シドニーのグリーン・ストリート」などはすっかり記憶から飛んでいる。まるではじめて読むように読んだ。
「中国行きのスロウ・ボート」はその後、『村上春樹全作品1979~1989』に収められるにあたって大幅に加筆修正されている(はず)。以前、単行本と全作品と二冊並べて開いて比較しながら読んだ記憶がある。もちろん読んだことを憶えているだけでどこがどう加筆修正されたのかなんて全く記憶にない。
それにしてももう3月だ。安西水丸が世を去ってはや11年。生きていれば今年で83歳になる。命日にはカレーライスを食べようと思っている。
2025年2月28日金曜日
村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』
昨年定年退職したのだが、まだもう少し仕事もできそうなので、業務委託契約を交わすことにした。フリーランスとしてギャランティを貰うこともできるが、請求書を送るのも面倒だし、担当者に処理させるのも大変だろうから、仕事があってもなくても月々いくらと決めた(それもかなりささやかな額で)。言ってみれば業務のサブスクリプションである。
先月~今月は二本こなした。一本は去年の春から続いている案件でもう一本は新規の競合案件。後者は久しぶりに対面で打合せをした。コロナ禍以降、オンラインの打合せが増えた。それでも仕事のやり方は変わっていない。AIを使って、画像や音声、音楽を生成することに若いスタッフは取り組んでいる。そうした変化もあるにはあるが、お題を渡され、訴求点を整理して、次の打合せまでに表現にして持ち寄るという流れに変化はない。いつまで続けられるかはわからないが、まあ、やれるところまでやってみようと思っている。
講談社から「IN★POCKET」という文庫本サイズの雑誌が出ていた。文芸PR誌とでもいうのか、文庫の新刊情報や作家インタビュー、短編小説などで頁は埋められていた(と記憶している)表紙は安西水丸など当時売り出し中の若手アーティストが担当していた。大手出版社は「波」とか「図書」といったPR誌を発行している。それらにくらべると講談社のそれはカジュアルで若者向けのように見えた。
『回転木馬のデッド・ヒート』に収められている短編の多くは「IN★POCKET」に掲載されたものだ。どの作品にも共通しているのは、人から聞いた話である。聞き手は村上春樹本人だから、いずれも自分が主人公ということだ。ちょっとミステリアスで興味深い話を聞いている。本当に聞いた話なのか、村上自身が創作したのか、実際のところはわからない。
この本は今の仕事をはじめた頃に読んでいる。懐かしい再読であるが、内容はまったく憶えていなかった。
先月~今月は二本こなした。一本は去年の春から続いている案件でもう一本は新規の競合案件。後者は久しぶりに対面で打合せをした。コロナ禍以降、オンラインの打合せが増えた。それでも仕事のやり方は変わっていない。AIを使って、画像や音声、音楽を生成することに若いスタッフは取り組んでいる。そうした変化もあるにはあるが、お題を渡され、訴求点を整理して、次の打合せまでに表現にして持ち寄るという流れに変化はない。いつまで続けられるかはわからないが、まあ、やれるところまでやってみようと思っている。
講談社から「IN★POCKET」という文庫本サイズの雑誌が出ていた。文芸PR誌とでもいうのか、文庫の新刊情報や作家インタビュー、短編小説などで頁は埋められていた(と記憶している)表紙は安西水丸など当時売り出し中の若手アーティストが担当していた。大手出版社は「波」とか「図書」といったPR誌を発行している。それらにくらべると講談社のそれはカジュアルで若者向けのように見えた。
『回転木馬のデッド・ヒート』に収められている短編の多くは「IN★POCKET」に掲載されたものだ。どの作品にも共通しているのは、人から聞いた話である。聞き手は村上春樹本人だから、いずれも自分が主人公ということだ。ちょっとミステリアスで興味深い話を聞いている。本当に聞いた話なのか、村上自身が創作したのか、実際のところはわからない。
この本は今の仕事をはじめた頃に読んでいる。懐かしい再読であるが、内容はまったく憶えていなかった。
2025年2月21日金曜日
吉村昭『海の史劇』(再読)
去年の3月、三鷹市吉村昭書斎が公開された。自宅の離れにつくった書斎を再現したもので、お隣には吉村と表札が掲げられている。京王井の頭線井の頭公園駅から歩いてすぐのところにある。オープンした頃、是非訪ねてみたいと思いながらなかなか機会に恵まれず、ようやく先月訪れた。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
2025年1月25日土曜日
島崎藤村『新生』
2種類の本を読んでいる。今まで読んだことがなかった本と読んだことのある本と。読んでなかった本の方が圧倒的に多い。当然の話だ。最近は昔読んだ本を読みかえすことも増えている。読みかえすと言ってもすっかり忘れてしまっている本の方が多いので再読とは言い難い。新しい本はラジオ番組にゲスト出演した著者の声を聴いて、読んでみようと思うことが多い。
ある程度歳を重ねて、新たに読みたい本もそう多くはない。諦めている本もある。ただ、このくらい読んでおかなくちゃと思う本は少なからずある。去年読んだ大岡昇平『レイテ戦記』もそのうちの一冊だ。振りかえると読んでおけばよかったかなと思う作家も多い。谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか、たぶん読むことはないだろうが、マルセル・プルーストとか。他にもいっぱいいるはずだが、思い出せもしない。ほとんど読まなかった川端康成もここ何年かで少し読むようになった。三島由紀夫も学生時代には読んだが、今はさっぱり読まなくなった。
島崎藤村も読まない作家のひとりだったが、やっぱり日本に生まれたからには読んでおくべきかなと思い立ち、何年か前に『破戒』と『夜明け前』を読んだ。前者は被差別部落出身者が追い詰められていく苦悩の物語であり、後者は時代の移り変わりについていけなくなって精神を蝕まれる男の話。いずれもスケールが大きく、インパクトのある作品だ。ちょっとした狂気を感じとることができる。
主要2作品を読んだので島崎藤村はもういいかなと思っていたが、もう一冊読んでみることにした。この本も常軌を逸している。姪と関係を持ち、妊娠させてしまうのである。そして現実から逃避するように渡仏。兄に手紙でその事実を明かしたのは航海の途中の船の上からだった。もう狂気の沙汰としか思えない。しかも主人公は藤村自身であり、ほぼ事実であるというからさらに驚愕するではないか。
島崎藤村、恐るべき小説家だ。
ある程度歳を重ねて、新たに読みたい本もそう多くはない。諦めている本もある。ただ、このくらい読んでおかなくちゃと思う本は少なからずある。去年読んだ大岡昇平『レイテ戦記』もそのうちの一冊だ。振りかえると読んでおけばよかったかなと思う作家も多い。谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか、たぶん読むことはないだろうが、マルセル・プルーストとか。他にもいっぱいいるはずだが、思い出せもしない。ほとんど読まなかった川端康成もここ何年かで少し読むようになった。三島由紀夫も学生時代には読んだが、今はさっぱり読まなくなった。
島崎藤村も読まない作家のひとりだったが、やっぱり日本に生まれたからには読んでおくべきかなと思い立ち、何年か前に『破戒』と『夜明け前』を読んだ。前者は被差別部落出身者が追い詰められていく苦悩の物語であり、後者は時代の移り変わりについていけなくなって精神を蝕まれる男の話。いずれもスケールが大きく、インパクトのある作品だ。ちょっとした狂気を感じとることができる。
主要2作品を読んだので島崎藤村はもういいかなと思っていたが、もう一冊読んでみることにした。この本も常軌を逸している。姪と関係を持ち、妊娠させてしまうのである。そして現実から逃避するように渡仏。兄に手紙でその事実を明かしたのは航海の途中の船の上からだった。もう狂気の沙汰としか思えない。しかも主人公は藤村自身であり、ほぼ事実であるというからさらに驚愕するではないか。
島崎藤村、恐るべき小説家だ。
2025年1月19日日曜日
新美南吉『ごんぎつね でんでんむしのかなしみ―新美南吉傑作選―』
昨年、65歳になり、定年退職を迎えた。
振りかえってみると僕たちが生まれ育った時代はプラスチックと半導体の時代だったのではないかと思えてくる。弁当箱もバケツもプラスチックになった。ペットボトルやレジ袋が普及した。今でこそ環境へ配慮しているが、使い捨てることに罪悪感をあまり感じない時代もあった。プラスチックは自然界で完全に分解されるまで長い年月を要する。適切に回収、廃棄されなかったプラスチックは海ごみと化す。
僕が気がついたとき、トランジスタラジオが普及していた。もう少し上の世代の人たちは真空管でラジオを組み立てていた。1970年代になるとトランジスタやダイオード、さらには回路を集積したICが電子回路の主役になった。真空管でラジオやアンプをつくるにはコイルやトランスなど流通量の少ない部品を探さなくてはならくなっていた。
半導体はさらに集積を重ね、コンピュータの心臓部になり、今や人工知能(AI)技術にも欠かせない。クルマも電気や水素で走る時代になったが、制御系統は半導体化されている。自動運転を支えているのはセンサーと半導体だ。たしかに便利な世の中が技術によってもたらされている。だが、果たしてそれでいいのか、人々は何か大切なものを失っているんじゃないだろうか。便利さという快楽に知らず知らず飲み込まれて気が付いていないだけじゃないだろうか。
以前読んだ『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に「ごんぎつね」で葬式用の料理をつくる描写を「遺体を煮て殺菌消毒する」と読む小学生が多いことが指摘されていた。そんな話をラジオで聴いて、もういちど読んでみようと気持ちになった。
新美南吉は30年に満たない短い生涯のなかで心あたたまる物語を数多く遺してくれた。「花のき村と盗人たち」「おじいさんのランプ」「和太郎さんと牛」「最後の胡弓弾き」などなど。いずれもプラスチックや半導体がなかった時代のお話である。
振りかえってみると僕たちが生まれ育った時代はプラスチックと半導体の時代だったのではないかと思えてくる。弁当箱もバケツもプラスチックになった。ペットボトルやレジ袋が普及した。今でこそ環境へ配慮しているが、使い捨てることに罪悪感をあまり感じない時代もあった。プラスチックは自然界で完全に分解されるまで長い年月を要する。適切に回収、廃棄されなかったプラスチックは海ごみと化す。
僕が気がついたとき、トランジスタラジオが普及していた。もう少し上の世代の人たちは真空管でラジオを組み立てていた。1970年代になるとトランジスタやダイオード、さらには回路を集積したICが電子回路の主役になった。真空管でラジオやアンプをつくるにはコイルやトランスなど流通量の少ない部品を探さなくてはならくなっていた。
半導体はさらに集積を重ね、コンピュータの心臓部になり、今や人工知能(AI)技術にも欠かせない。クルマも電気や水素で走る時代になったが、制御系統は半導体化されている。自動運転を支えているのはセンサーと半導体だ。たしかに便利な世の中が技術によってもたらされている。だが、果たしてそれでいいのか、人々は何か大切なものを失っているんじゃないだろうか。便利さという快楽に知らず知らず飲み込まれて気が付いていないだけじゃないだろうか。
以前読んだ『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に「ごんぎつね」で葬式用の料理をつくる描写を「遺体を煮て殺菌消毒する」と読む小学生が多いことが指摘されていた。そんな話をラジオで聴いて、もういちど読んでみようと気持ちになった。
新美南吉は30年に満たない短い生涯のなかで心あたたまる物語を数多く遺してくれた。「花のき村と盗人たち」「おじいさんのランプ」「和太郎さんと牛」「最後の胡弓弾き」などなど。いずれもプラスチックや半導体がなかった時代のお話である。
2025年1月8日水曜日
村上春樹『パン屋再襲撃』
2025年を迎えた。ぼんやりしているうちにもう1週間が過ぎている。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。
2024年12月13日金曜日
鷹匠裕『聖火の熱源』
8月頃、フェイスブックで著者自ら、新しい本が出るのでよろしくみたいなポストがあり、さっそく購入した。すぐに読みはじめたかったのだが『レイテ戦記』を読むのに手間取っていたこともあり、なかなか頁を開くことができないでいた。
鷹匠裕の作品は『帝王の誤算』『ハヤブサの血統』に次いで3作目になる。
著者は大手広告会社の制作局に在籍していた。その頃何度か仕事をしている。彼はディレクター的な立ち位置で僕らは具体的なCMの企画を描いて持ち寄った。鷹匠は(すでにそんな年齢でもなかったのだろう)絵コンテを描いたり、コピーを書いたりすることはなかった。彼の表現に接することがなかったので後に小説を書いたと聞いて、どんな文章を書く人なのだろうと興味を覚えた。
清水義範の長編に『イマジン』という小説がある。パスティーシュの名手として知られた清水のSF作品なのだが、奇想天外な結末に驚いた記憶がある。鷹匠裕の新作はそれに匹敵するくらい奇想天外だ。誰がこんなことを考えるんだと思っているうちにストーリーはどんどん展開していく。気がつくと読み終わっている。
この作品は前々回の2020東京五輪に対する痛烈な批判になっている。広告会社が主導する商業的なイベントからアスリートのための本来の姿のオリンピックを取り戻す戦いの物語である。理想の五輪をめざす主人公らの組織はややもすれば青臭いところがある。さまざまな抵抗を受けながらも理想を形にしていく上でITやソーシャルネットワークをフル活用する。ちょっとした近未来小説でもある。その辺りは奇想天外では決してなく、おそらくは2028ロス五輪では現実のものとなるのではないかと期待できる技術だと思う。
巨大で複雑なオリンピックのしくみや裏側はもちろんのこと、最新のテクノロジーに至るまで鷹匠は丁寧に取材を重ねたに違いない。結果として地に足の着いた夢物語を結実させた。渾身の一冊であるといえよう。
鷹匠裕の作品は『帝王の誤算』『ハヤブサの血統』に次いで3作目になる。
著者は大手広告会社の制作局に在籍していた。その頃何度か仕事をしている。彼はディレクター的な立ち位置で僕らは具体的なCMの企画を描いて持ち寄った。鷹匠は(すでにそんな年齢でもなかったのだろう)絵コンテを描いたり、コピーを書いたりすることはなかった。彼の表現に接することがなかったので後に小説を書いたと聞いて、どんな文章を書く人なのだろうと興味を覚えた。
清水義範の長編に『イマジン』という小説がある。パスティーシュの名手として知られた清水のSF作品なのだが、奇想天外な結末に驚いた記憶がある。鷹匠裕の新作はそれに匹敵するくらい奇想天外だ。誰がこんなことを考えるんだと思っているうちにストーリーはどんどん展開していく。気がつくと読み終わっている。
この作品は前々回の2020東京五輪に対する痛烈な批判になっている。広告会社が主導する商業的なイベントからアスリートのための本来の姿のオリンピックを取り戻す戦いの物語である。理想の五輪をめざす主人公らの組織はややもすれば青臭いところがある。さまざまな抵抗を受けながらも理想を形にしていく上でITやソーシャルネットワークをフル活用する。ちょっとした近未来小説でもある。その辺りは奇想天外では決してなく、おそらくは2028ロス五輪では現実のものとなるのではないかと期待できる技術だと思う。
巨大で複雑なオリンピックのしくみや裏側はもちろんのこと、最新のテクノロジーに至るまで鷹匠は丁寧に取材を重ねたに違いない。結果として地に足の着いた夢物語を結実させた。渾身の一冊であるといえよう。
2024年11月30日土曜日
大岡昇平『レイテ戦記』
毎年8月になると戦争に関する本を読もうと思う。必ずしも毎年読んでいるわけではないけれど。今年は思い立って『レイテ戦記』を読むことにした。
大叔父はルソン島で戦死している。そういうこともあって、フィリピンの戦闘に関しては興味があった。大岡の作品では『俘虜記』『野火』を読んでいたこともあって、いつかは読んでみたい作品だった。ところがなかなか読みすすめることができない。小説というより、文字通り戦記なのである。
大岡は膨大な資料を読み解き、時間軸に沿って、また場所ごとに日本軍と米軍の動きを整理した。自身もフィリピンに赴いていた。ミンドロ島で生死の境をさまよい、俘虜となった経験もある。その戦いを明らかにしたい気持ちも強かったに違いない。そこに著者の感情や情緒的な描写はほとんどない。あたかも従軍記者のような淡々とした記述に終止している。
そのことが読みすすめ難かった理由のすべてではない。地図と照合しながら米軍、友軍の動きを追わなければならない。地名もはじめのうちはなかなか覚えられなかった。そもそもが二〜三週間で読み終えられる作品ではなかったということだ。難儀したけれど、むしろこういう本を遺してくれたことを著者に感謝したいくらいだ。
レイテ島では1944年12月に主だった戦闘はなくなり、以後はセブ島への転進作戦に移行する。脱出できたのはごくわずかだった。
アメリカ軍はその後ルソン島に上陸、45年3月にはマニラを奪還。日本軍は山岳地帯のバギオに転進し、反撃を試みる。そしてバレテ峠などで武器弾薬はもちろん食糧の乏しいなか抵抗するが、6月にはほぼ鎮圧される。大叔父の戸籍には「昭和二十年六月三十日ルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」とのみ記されている。斬り込みで殺されたのか、自決したのか、ゲリラに襲われたのか、あるいは病に倒れたのか、餓死したのか。本当のことは何もわからないままである。
大岡は膨大な資料を読み解き、時間軸に沿って、また場所ごとに日本軍と米軍の動きを整理した。自身もフィリピンに赴いていた。ミンドロ島で生死の境をさまよい、俘虜となった経験もある。その戦いを明らかにしたい気持ちも強かったに違いない。そこに著者の感情や情緒的な描写はほとんどない。あたかも従軍記者のような淡々とした記述に終止している。
そのことが読みすすめ難かった理由のすべてではない。地図と照合しながら米軍、友軍の動きを追わなければならない。地名もはじめのうちはなかなか覚えられなかった。そもそもが二〜三週間で読み終えられる作品ではなかったということだ。難儀したけれど、むしろこういう本を遺してくれたことを著者に感謝したいくらいだ。
レイテ島では1944年12月に主だった戦闘はなくなり、以後はセブ島への転進作戦に移行する。脱出できたのはごくわずかだった。
アメリカ軍はその後ルソン島に上陸、45年3月にはマニラを奪還。日本軍は山岳地帯のバギオに転進し、反撃を試みる。そしてバレテ峠などで武器弾薬はもちろん食糧の乏しいなか抵抗するが、6月にはほぼ鎮圧される。大叔父の戸籍には「昭和二十年六月三十日ルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」とのみ記されている。斬り込みで殺されたのか、自決したのか、ゲリラに襲われたのか、あるいは病に倒れたのか、餓死したのか。本当のことは何もわからないままである。
2024年11月19日火曜日
森村誠一『人間の証明』
子どもの頃はよく映画を観た。月島のおばちゃん(母の叔母)に連れていってもらった築地の松竹でガメラを観たし、大井町にも映画館がいくつかあった。映画は僕らの世代でも身近な娯楽だった。
中学生、高校生になって映画は観なくなった。この時期は本も読まなくなったし、当時何をしていたか思い出せないけれど、娯楽のない毎日を過ごしていた。
高校時代、唯一観てみたいなと思った映画がある。「人間の証明」である。テレビコマーシャルで大々的に宣伝され、話題作となった。テーマ曲もヒットした。いわゆる角川映画の嚆矢ともいえる作品である。そんな宣伝文句に惹かれて久しぶりに映画を観に行こうと思ったのだ。監督は佐藤純彌、脚本は松山善三。もちろん彼らがすごいスタッフだと知ったのはずっと後のことだけれど、これまでにないスケールの大きな映画という印象を受けた。
映画が公開されたのがたしか1977年。大学受験を控えた高校3年生だった。原作はそれより前に出たのではないか。僕は角川文庫で読んだ。まず本で読むというのは昔からの悪い癖で野球の本や剣道の本、卓球の本など新しいスポーツに興味を持つとまず指南書のような書物に頼ってしまうのである。こういう頭でっかちはたいてい上達なんぞしない。
そういえば作者の森村誠一は昨年亡くなった。没後一年ということで縁のある町田市の市民文学館で森村誠一展が開催されているというニュースが流れていた。行ってみたい気もするが、『人間の証明』しか読んだことのない薄い読者としては敷居が高い。むしろ三鷹市に今年できた吉村昭書斎に行ってみたい。こっちはそれほど敷居が高くない。
『人間の証明』を読んだ記憶はあるが、中身はさほど憶えていない。映画も結局ロードショーで観ることはなく、ずっと後になってテレビで観た。そこでああ、こんなお話だったんだっけと思い出したのである。
母さん、僕のあの記憶どうしたでせうね?
中学生、高校生になって映画は観なくなった。この時期は本も読まなくなったし、当時何をしていたか思い出せないけれど、娯楽のない毎日を過ごしていた。
高校時代、唯一観てみたいなと思った映画がある。「人間の証明」である。テレビコマーシャルで大々的に宣伝され、話題作となった。テーマ曲もヒットした。いわゆる角川映画の嚆矢ともいえる作品である。そんな宣伝文句に惹かれて久しぶりに映画を観に行こうと思ったのだ。監督は佐藤純彌、脚本は松山善三。もちろん彼らがすごいスタッフだと知ったのはずっと後のことだけれど、これまでにないスケールの大きな映画という印象を受けた。
映画が公開されたのがたしか1977年。大学受験を控えた高校3年生だった。原作はそれより前に出たのではないか。僕は角川文庫で読んだ。まず本で読むというのは昔からの悪い癖で野球の本や剣道の本、卓球の本など新しいスポーツに興味を持つとまず指南書のような書物に頼ってしまうのである。こういう頭でっかちはたいてい上達なんぞしない。
そういえば作者の森村誠一は昨年亡くなった。没後一年ということで縁のある町田市の市民文学館で森村誠一展が開催されているというニュースが流れていた。行ってみたい気もするが、『人間の証明』しか読んだことのない薄い読者としては敷居が高い。むしろ三鷹市に今年できた吉村昭書斎に行ってみたい。こっちはそれほど敷居が高くない。
『人間の証明』を読んだ記憶はあるが、中身はさほど憶えていない。映画も結局ロードショーで観ることはなく、ずっと後になってテレビで観た。そこでああ、こんなお話だったんだっけと思い出したのである。
母さん、僕のあの記憶どうしたでせうね?
2024年10月27日日曜日
梶井基次郎『檸檬』
昔(少なくとも僕の10代から20代前半の頃)と比べると都内にも新しい駅がつくられ、新しい駅名が付けられている。浮間舟渡のようなふたつの地名が合成された駅名もあれば、天王洲アイルという意味不明な駅名もある。天王州でよかったんじゃないか?アイルを付けることで企業誘致にひと役買ったのだろうか。
東京メトロ東西線の九段下駅は東西線が高田馬場から延伸した1964(昭和39)年に開業している。これだって九段でよかったんじゃないかと思う。どうしてわざわざ「下」を付けたのだろう。
九段下駅は靖国通りを横切って南北に走る目白通りに沿ってある。日本橋川とほぼ平行している。昔は日本橋川を東に渡れば、神田区だった。九段下は麹町区にありながら、その縁に沿っており、だから九段ではなく九段下が相応しいと考えられたのかもしれない。だったら神楽坂駅は神楽坂上じゃないのか?
九段下駅を降りて、靖国通りを西進すると右に靖国神社、左に北の丸公園がある。通勤通学で利用する人以外はおそらくこのどちらかに向かう可能性が高い。公園内にある日本武道館でコンサートなどイベントがあると田安門の辺りにまるで桜が満開を迎えたみたいに大勢の人でごった返す。このようなたまにしかこの駅を訪れることがない人に駅を降りたら坂道がありますよ、平坦な道ではないですよと乗客にわかりやすく暗示するための「下」なのかもしれない。
坂の上には僕が通った高校がある。大して思い出はないのだが、夏休みか何かの課題で梶井基次郎の『檸檬』を読んで感想を書けという。あまり読書する習慣のなかった僕には辛い課題だった。多分、表題作の「檸檬」と他のいくつかの短編を読んでお茶を濁したような気がする。梶井基次郎のファンだという同級生がいて、どんな話なのかと訊いてみたが、そいつの話もよくわからなかった。
ときどき九段下駅で降りて、あの坂道を登ると昔のことを思い出す。
東京メトロ東西線の九段下駅は東西線が高田馬場から延伸した1964(昭和39)年に開業している。これだって九段でよかったんじゃないかと思う。どうしてわざわざ「下」を付けたのだろう。
九段下駅は靖国通りを横切って南北に走る目白通りに沿ってある。日本橋川とほぼ平行している。昔は日本橋川を東に渡れば、神田区だった。九段下は麹町区にありながら、その縁に沿っており、だから九段ではなく九段下が相応しいと考えられたのかもしれない。だったら神楽坂駅は神楽坂上じゃないのか?
九段下駅を降りて、靖国通りを西進すると右に靖国神社、左に北の丸公園がある。通勤通学で利用する人以外はおそらくこのどちらかに向かう可能性が高い。公園内にある日本武道館でコンサートなどイベントがあると田安門の辺りにまるで桜が満開を迎えたみたいに大勢の人でごった返す。このようなたまにしかこの駅を訪れることがない人に駅を降りたら坂道がありますよ、平坦な道ではないですよと乗客にわかりやすく暗示するための「下」なのかもしれない。
坂の上には僕が通った高校がある。大して思い出はないのだが、夏休みか何かの課題で梶井基次郎の『檸檬』を読んで感想を書けという。あまり読書する習慣のなかった僕には辛い課題だった。多分、表題作の「檸檬」と他のいくつかの短編を読んでお茶を濁したような気がする。梶井基次郎のファンだという同級生がいて、どんな話なのかと訊いてみたが、そいつの話もよくわからなかった。
ときどき九段下駅で降りて、あの坂道を登ると昔のことを思い出す。
2024年10月20日日曜日
井上靖『楊貴妃伝』
日曜日が祝日だと月曜が振替休日になる。よって、土日月と三連休になることが多い。9月に二度あり、10月に一度あった。11月にもある。
今月の三連休は用事があって軽井沢に出かけた。連休ということで人が多く、店も道路も混んでいた。
用事を済ませ、新幹線の自由席に乗ったが、空席がない。嫌になっちゃったので高崎で降りることにした。降りたところで行く当てもない。とりあえず改札を抜けると上信電鉄乗り場という案内が出ている。高崎から下仁田までの単線の私鉄である。途中上州富岡駅から徒歩で富岡製糸場に行けると案内に書かれている。単線のローカル鉄道はのどかでいい。コインロッカーに荷物を預け、一日乗り放題切符を買って、次に発車する電車を待つ。
調べてみると木造駅舎の駅があるようだ。上州一ノ宮駅と上州福島駅。このふた駅で下車し、写真を撮るなどして過ごす。というかそれ以外にすることもない。
上信電鉄の「信」は信州のことだが、この路線は長野県に通じていない。終点の下仁田から峠を越えて、今のJR小海線の駅につなぐ計画があり、社名を上野(こうずけ)鉄道から上信電気鉄道に変更したそうだ。
中学高校時代はほとんど本を読まなかった。夏休みの宿題で読まされることはあったが。ただ記憶しているのは井上靖の本を何冊か読んだことだ。おそらく中学のと『しろばんば』『夏草冬濤』を読んでいて著者に親しみを持っていたのだろう。中国の歴史にも多少興味があった。この本を読む前後に『天平の甍』『蒼き狼』あたりを読んでいたのかもしれない。いずれまた読みかえしてみたい。
高校時代は現代国語も古文もさっぱりだったが、漢文だけは好きだった。『楊貴妃伝』のおかげかもしれない。
新幹線がまだなかった頃、高崎から軽井沢へは横川経由だった。今では新幹線であっという間だ。下仁田から峠を越えて佐久、小諸に向かうルートで軽井沢に行けたらさぞ楽しい旅になったろうと思う。
今月の三連休は用事があって軽井沢に出かけた。連休ということで人が多く、店も道路も混んでいた。
用事を済ませ、新幹線の自由席に乗ったが、空席がない。嫌になっちゃったので高崎で降りることにした。降りたところで行く当てもない。とりあえず改札を抜けると上信電鉄乗り場という案内が出ている。高崎から下仁田までの単線の私鉄である。途中上州富岡駅から徒歩で富岡製糸場に行けると案内に書かれている。単線のローカル鉄道はのどかでいい。コインロッカーに荷物を預け、一日乗り放題切符を買って、次に発車する電車を待つ。
調べてみると木造駅舎の駅があるようだ。上州一ノ宮駅と上州福島駅。このふた駅で下車し、写真を撮るなどして過ごす。というかそれ以外にすることもない。
上信電鉄の「信」は信州のことだが、この路線は長野県に通じていない。終点の下仁田から峠を越えて、今のJR小海線の駅につなぐ計画があり、社名を上野(こうずけ)鉄道から上信電気鉄道に変更したそうだ。
中学高校時代はほとんど本を読まなかった。夏休みの宿題で読まされることはあったが。ただ記憶しているのは井上靖の本を何冊か読んだことだ。おそらく中学のと『しろばんば』『夏草冬濤』を読んでいて著者に親しみを持っていたのだろう。中国の歴史にも多少興味があった。この本を読む前後に『天平の甍』『蒼き狼』あたりを読んでいたのかもしれない。いずれまた読みかえしてみたい。
高校時代は現代国語も古文もさっぱりだったが、漢文だけは好きだった。『楊貴妃伝』のおかげかもしれない。
新幹線がまだなかった頃、高崎から軽井沢へは横川経由だった。今では新幹線であっという間だ。下仁田から峠を越えて佐久、小諸に向かうルートで軽井沢に行けたらさぞ楽しい旅になったろうと思う。
2024年8月25日日曜日
三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』
お盆。南房総の父の実家に一晩泊まり、墓参りに行く。
朝はやく出かければ日帰りもできるだろうが、慌ただしいのでのんびり東京を出て、その日は父の墓に行き、翌日は隣集落の母方の祖父母伯父伯母の眠る墓所を訪ねる。従兄弟の家をまわり、線香をあげる。
つい何年か前まで房州は昼間はそれなりに暑いけれど日が翳るといい風が吹いて凌ぎやすくなったものだ。窓を開け放つと夜もなんとか眠れる。はずだった。このところの猛暑は情け容赦なく南房総の海辺の町にも襲いかかる。夕食を済ませ、することもないのではやめに寝るとする。ところがこれが眠れない。開け放した窓からほとんど風が入ってこない。扇風機の風を浴びながら何度も寝返りを打つ。夜中にも熱中症になる人が多いと聞く。ときどき起き上がって水を飲む。納戸からもう一台扇風機を出す。
ラジオでも聴こうかとスマホに手を伸ばす。昼間聴きそびれた番組を聴く。それでも眠りは訪れない。ユーチューブで落語を聴く。ときどき水を飲む。とうとうペットボトル2本の水がなくなる。近くの自販機まで買いに行く。時計を見ると午前四時だ。じきに夜が明ける。
先日読み終えたこの本を思い出した。三遊亭圓朝の噺を速記で読みものにしたものだ。録音も録画もない時代に噺を速記で書き留めておく、それだけで圓朝の偉大さがわかる。
ユーチューブには六代目三遊亭圓生の『真景累ヶ淵』がアップされている。たしか三まで聴いている(一から八まである)。四を聴こうかと思ったがやめた。さらに眠れなくなりそうな気がしたから。
結局明るくなるまで起きていた。五時を過ぎていたと思う。白々と夜が明けて来ていた。目が覚めたのは七時過ぎ。少しは眠ったのだろう。
朝食を済ませ、布団をたたみ、夜中に出した扇風機をしまいに行く。納戸には以前叔母が持ってきてくれたポータブルクーラーがあった。昨日のうちに気がついていれば、もう少し快適な夜だったのに。
朝はやく出かければ日帰りもできるだろうが、慌ただしいのでのんびり東京を出て、その日は父の墓に行き、翌日は隣集落の母方の祖父母伯父伯母の眠る墓所を訪ねる。従兄弟の家をまわり、線香をあげる。
つい何年か前まで房州は昼間はそれなりに暑いけれど日が翳るといい風が吹いて凌ぎやすくなったものだ。窓を開け放つと夜もなんとか眠れる。はずだった。このところの猛暑は情け容赦なく南房総の海辺の町にも襲いかかる。夕食を済ませ、することもないのではやめに寝るとする。ところがこれが眠れない。開け放した窓からほとんど風が入ってこない。扇風機の風を浴びながら何度も寝返りを打つ。夜中にも熱中症になる人が多いと聞く。ときどき起き上がって水を飲む。納戸からもう一台扇風機を出す。
ラジオでも聴こうかとスマホに手を伸ばす。昼間聴きそびれた番組を聴く。それでも眠りは訪れない。ユーチューブで落語を聴く。ときどき水を飲む。とうとうペットボトル2本の水がなくなる。近くの自販機まで買いに行く。時計を見ると午前四時だ。じきに夜が明ける。
先日読み終えたこの本を思い出した。三遊亭圓朝の噺を速記で読みものにしたものだ。録音も録画もない時代に噺を速記で書き留めておく、それだけで圓朝の偉大さがわかる。
ユーチューブには六代目三遊亭圓生の『真景累ヶ淵』がアップされている。たしか三まで聴いている(一から八まである)。四を聴こうかと思ったがやめた。さらに眠れなくなりそうな気がしたから。
結局明るくなるまで起きていた。五時を過ぎていたと思う。白々と夜が明けて来ていた。目が覚めたのは七時過ぎ。少しは眠ったのだろう。
朝食を済ませ、布団をたたみ、夜中に出した扇風機をしまいに行く。納戸には以前叔母が持ってきてくれたポータブルクーラーがあった。昨日のうちに気がついていれば、もう少し快適な夜だったのに。
ラベル:
エンターテインメント,
南房総,
日本の小説,
落語
2024年8月11日日曜日
川端康成『親友』
日本人は惜敗を賞賛する。もちろん懸命に闘った敗者を称えることは悪いことではない。ただ手放しで称えることは如何なものか。
オリンピックの卓球。男子シングルス準々決勝では張本智和が中国の樊振東を最後逆転されたものの追い詰めた。女子団体のダブルスもあと一歩のところで逆転された。スポーツ報道は例によって健闘を称える。2月に行われた世界選手権団体では女子は先に王手をかけたが逆転負け。このときも日本と中国は実力が伯仲してきたなどと報道された。
スポーツ競技で本来目指すべきは勝利ではないのか。もちろん大きく見れば人間的に成長させるという視点も大切だろうが、大きな大会にのぞむにあたり、やはり目標が設定される。卓球でいえば、中国を倒して金メダルということになるだろう。それをオリンピックの度に、世界選手権の度に日本は苦杯を舐めてきた。目標が完遂できなかったからには反省があり、勝利するために強化すべきポイントを掲げ、そのために練習方法を改善する必要があるはずだ。当然相手選手の研究も。どこをどう強化すれば中国卓球に勝てるのか。報道が伝えるべきは、今終わった試合の敗者を称えるだけでなく、相手のどこを攻めればよかったのか、なぜそれができなかったのか、できるようになるにはどのような練習が必要なのか、ではないか。
卓球の大きな大会がある度に日本じゅうが盛り上がり、勝ち進むことで期待が高まり、最終決戦を迎える。ここで王者に悉く敗れる。こんなことをいつまで繰り返しているのだろう。
実況中継で解説者が言う。中国選手は中国製の回転のかかりやすいラバーを使っていると。ならば日本選手だって同じラバーを使えばいいじゃないか。大人の都合で日本選手は日本製のラバーを使わなくちゃいけないとするならば、まず正すべきは「大人の都合」だ。
川端康成の『親友』を読む。少女雑誌に連載されていたという。川端には思いのほかこうした作品が多い。
オリンピックの卓球。男子シングルス準々決勝では張本智和が中国の樊振東を最後逆転されたものの追い詰めた。女子団体のダブルスもあと一歩のところで逆転された。スポーツ報道は例によって健闘を称える。2月に行われた世界選手権団体では女子は先に王手をかけたが逆転負け。このときも日本と中国は実力が伯仲してきたなどと報道された。
スポーツ競技で本来目指すべきは勝利ではないのか。もちろん大きく見れば人間的に成長させるという視点も大切だろうが、大きな大会にのぞむにあたり、やはり目標が設定される。卓球でいえば、中国を倒して金メダルということになるだろう。それをオリンピックの度に、世界選手権の度に日本は苦杯を舐めてきた。目標が完遂できなかったからには反省があり、勝利するために強化すべきポイントを掲げ、そのために練習方法を改善する必要があるはずだ。当然相手選手の研究も。どこをどう強化すれば中国卓球に勝てるのか。報道が伝えるべきは、今終わった試合の敗者を称えるだけでなく、相手のどこを攻めればよかったのか、なぜそれができなかったのか、できるようになるにはどのような練習が必要なのか、ではないか。
卓球の大きな大会がある度に日本じゅうが盛り上がり、勝ち進むことで期待が高まり、最終決戦を迎える。ここで王者に悉く敗れる。こんなことをいつまで繰り返しているのだろう。
実況中継で解説者が言う。中国選手は中国製の回転のかかりやすいラバーを使っていると。ならば日本選手だって同じラバーを使えばいいじゃないか。大人の都合で日本選手は日本製のラバーを使わなくちゃいけないとするならば、まず正すべきは「大人の都合」だ。
川端康成の『親友』を読む。少女雑誌に連載されていたという。川端には思いのほかこうした作品が多い。
2024年7月23日火曜日
安西水丸『一フランの月』
安西水丸の書いた本のなかで断然好きなのが『手のひらのトークン』である。
電通を退社した安西は1970年にニューヨークに渡る。グラフィックデザインの仕事を見つけ、71年春までニューヨークで暮らした。安西水丸はまだ渡辺昇だった。『トークン』にはその一年の日々が描かれている。あとがきには90パーセント本当の話と記されている。妻を呼び寄せ、リバーサイドドライブに住み、後にアッパーイーストのアパートに引っ越した。休日には美術館を巡り、イーストリバー沿いの公園を散策した。そんな日々である。そして就労ビザを取得するために手を尽くしたものの翌年の春、ニューヨークを後にせざるを得なくなった。
帰国する際、安西はヨーロッパを周遊する。パリやアムステルダムに立ち寄り、書物でしか知らなかった西洋美術に接する。未完の小説『一フランの月』はこのヨーロッパの旅が舞台になっている。そうした意味ではこの本は『トークン』の続編といえる。
安西水丸はどんな思いから続きを書こうと思ったのだろう。すでに長い時間が経っている。未完とはいえ、実際に読んでみるとありのままの日々を描いた『トークン』にくらべると創作的な要素が多い。主人公の「ぼく」もニューヨーク時代の無垢な安西水丸=渡辺昇にくらべると少し大人になっているように思える。
帰国後、安西は縁あってエディトリアルデザイナーとして平凡社に勤務する。雑誌「太陽」の編集部で嵐山光三郎とコンビを組む。嵐山の伝手もあって、安西はイラストレーターの道を歩きはじめる。渡辺昇は安西水丸になった。
幼少の頃から絵を描く人を夢みていたニューヨーク時代の渡辺昇。ヨーロッパの旅を通じ、西洋美術に刺激され、(どちらかといえばぼんやりした憧れだったイラストレーターをめざそうと決意する。安西水丸はイラストレーターへの道に突き進むきっかけとなった日々をもういちど書き留めておこうと思ったのかもしれない。
電通を退社した安西は1970年にニューヨークに渡る。グラフィックデザインの仕事を見つけ、71年春までニューヨークで暮らした。安西水丸はまだ渡辺昇だった。『トークン』にはその一年の日々が描かれている。あとがきには90パーセント本当の話と記されている。妻を呼び寄せ、リバーサイドドライブに住み、後にアッパーイーストのアパートに引っ越した。休日には美術館を巡り、イーストリバー沿いの公園を散策した。そんな日々である。そして就労ビザを取得するために手を尽くしたものの翌年の春、ニューヨークを後にせざるを得なくなった。
帰国する際、安西はヨーロッパを周遊する。パリやアムステルダムに立ち寄り、書物でしか知らなかった西洋美術に接する。未完の小説『一フランの月』はこのヨーロッパの旅が舞台になっている。そうした意味ではこの本は『トークン』の続編といえる。
安西水丸はどんな思いから続きを書こうと思ったのだろう。すでに長い時間が経っている。未完とはいえ、実際に読んでみるとありのままの日々を描いた『トークン』にくらべると創作的な要素が多い。主人公の「ぼく」もニューヨーク時代の無垢な安西水丸=渡辺昇にくらべると少し大人になっているように思える。
帰国後、安西は縁あってエディトリアルデザイナーとして平凡社に勤務する。雑誌「太陽」の編集部で嵐山光三郎とコンビを組む。嵐山の伝手もあって、安西はイラストレーターの道を歩きはじめる。渡辺昇は安西水丸になった。
幼少の頃から絵を描く人を夢みていたニューヨーク時代の渡辺昇。ヨーロッパの旅を通じ、西洋美術に刺激され、(どちらかといえばぼんやりした憧れだったイラストレーターをめざそうと決意する。安西水丸はイラストレーターへの道に突き進むきっかけとなった日々をもういちど書き留めておこうと思ったのかもしれない。
2024年7月18日木曜日
村上春樹『レキシントンの幽霊』
叔父は七月生まれ。というわけで東京のお盆の時期に墓参りをすることが多い。墓所は青山にあり、墓参りを終えるとカレーライスを食べる。叔父はカレーライスが好物だった。
南青山のギャラリースペースユイで安西水丸Green展が開催されている。墓に行く前に立ち寄る。以前はシルクスクリーンの作品だけだったが、最近はジークレーと呼ばれる新たなプリント方法があるようだ。絵画の世界もデジタルの波が押し寄せている。僕は色鮮やかなジークレーより少しマットで奥ゆかしいシルクスクリーンが好きなのだが。
『レキシントンの幽霊』を久しぶりに読む。
先日『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んで、そのなかの「めくらやなぎと眠る女」のショートバージョンがこの短編集に収められていたことを思い出したのである(『レキシントンの幽霊』では「めくらやなぎと、眠る女」となっている)。それ以外にもミステリアスで興味深い作品が多い。作者自身があえてミステリアスにしたわけでもあるまい。短編小説の特性として、ストーリーの展開や描写は凝縮される。結果的に読者にとっての不思議さ、不可解さも色濃く印象に残る。仮に「氷男」や「トニー滝谷」が長編であったとしたら、その印象は緩やかに、時間をかけて読者に浸透していったのではないかと思う。
「トニー滝谷」は映画化された。公開は2005年前後だったか。滝谷役はイッセー尾形だった。妻役とアルバイト役の女性は宮沢りえが二役を演じた。どちらかといえば、村上春樹の映画化作品というより、市川準監督作品として観た。映画の細かい部分は憶えていない。機会があればもういちど観たい。
墓参りの後、神田神保町のエチオピアあたりでカレーライスを食べようと思ったが、お腹も空いてきたので青山のツインタワー地下のインドカレーの店に入った。辛口のキーマカレーと中辛の海老カレー。チェーン店なのだろうけれど、なかなかおいしいカレーだった。
南青山のギャラリースペースユイで安西水丸Green展が開催されている。墓に行く前に立ち寄る。以前はシルクスクリーンの作品だけだったが、最近はジークレーと呼ばれる新たなプリント方法があるようだ。絵画の世界もデジタルの波が押し寄せている。僕は色鮮やかなジークレーより少しマットで奥ゆかしいシルクスクリーンが好きなのだが。
『レキシントンの幽霊』を久しぶりに読む。
先日『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んで、そのなかの「めくらやなぎと眠る女」のショートバージョンがこの短編集に収められていたことを思い出したのである(『レキシントンの幽霊』では「めくらやなぎと、眠る女」となっている)。それ以外にもミステリアスで興味深い作品が多い。作者自身があえてミステリアスにしたわけでもあるまい。短編小説の特性として、ストーリーの展開や描写は凝縮される。結果的に読者にとっての不思議さ、不可解さも色濃く印象に残る。仮に「氷男」や「トニー滝谷」が長編であったとしたら、その印象は緩やかに、時間をかけて読者に浸透していったのではないかと思う。
「トニー滝谷」は映画化された。公開は2005年前後だったか。滝谷役はイッセー尾形だった。妻役とアルバイト役の女性は宮沢りえが二役を演じた。どちらかといえば、村上春樹の映画化作品というより、市川準監督作品として観た。映画の細かい部分は憶えていない。機会があればもういちど観たい。
墓参りの後、神田神保町のエチオピアあたりでカレーライスを食べようと思ったが、お腹も空いてきたので青山のツインタワー地下のインドカレーの店に入った。辛口のキーマカレーと中辛の海老カレー。チェーン店なのだろうけれど、なかなかおいしいカレーだった。
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