今年は昭和100年にあたるということで昭和を振りかえるテレビ番組が多い。なかでも昭和の映像を見て、平成、令和時代の若者たちがどんなリアクションをするかといったバライティは数多く放映されている。大抵の映像は昭和40年代後半から50年以降である。
それというのもテレビの世界ではビデオテープは高価な資材だった。保存されることなく、使いまわされる時代が長かったのである。昔のテレビはほとんどが生放送だった。ニュースはもちろん、歌番組もクイズもドラマでさえ生だったのだ。だから昔の番組はほとんどなくなっている。わずかに流通していた家庭用ビデオデッキで録画した番組が今や貴重な資料になっていたりする。フィルムで撮影されたコンテンツは思いの外多く保存されている。C Mやフィルム制作されたドラマやアニメーションがそうだ。労力が要るアニメは安価なフィルムで完パケなければならなかったのだ。昔のニュースだってテレビ局にはほぼ残されておらず、資料として登場するのは映画館用に制作されたニュースだ。だからどうしても映像で振りかえる昭和は自ずと昭和40年代後半から50年以降という偏りが生じる。ちょうど僕が小学校を卒業し、中学生になる頃のことである。そういった意味ではこの本は僕にとってドンピシャリなのであるが。
昭和はもっと広くて深い。テレビを中心にした風俗を追いかけるだけで「不適切」と言い切るのは容易いことだが、こうした「不適切」を許していた時代、社会についてもう少し立ち止まって考えてみてもいいと思う。「不適切」は排除されてしかるべきものとは思うが、その前にもう一度、再利用できないかと思うのである。
ちくまプリマー新書と中公新書ラクレはわかりやすい問題提起があることで僕は高く評価しているが、この本はちょっと物足りなかった。ああ、そんな時代だったね、懐かしいね、不適切だったねで終わらせてしまうのはちょっと勿体ない。
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