2024年4月29日月曜日

川端康成『みづうみ』

ゆうちょ銀行のキャッシュカードが、頻繁に使わないせいか、すぐに磁気が弱くなる。磁気を読みとるATMのセンサーとの相性があり、使えるATMと使えないATMがあるという声もネットにはある。使えたり使えなかったりするということは要するに「使えない」ということだ。ついでに言えば通帳も読みとれなくなったこともある。
調べてみると郵便局のATMで磁気修復ができるという。手順がまだわからなかったので少し遠いが大きな郵便局まで歩く。近所の郵便局にはATMが一台しかない。操作に手こずっているうちに行列ができてはプレッシャーがかかる。思っていた以上に操作は簡単で、カードを入れて、暗証番号を入力したらすぐに修復された。それにしてもATMで磁気不良が修復できます、なんてことをホームページに掲載している時点でゆうちょ銀行は「負け」である。以前(おそらく1~2年前)同じようにカードが使えなくなったときは窓口に行った。また使えなくなったらいちいち郵便局に行かなくちゃならないのかと思うとどんなに丁寧に、親切に対応されても憂鬱な気分になる。
川端康成は軽井沢に別荘を持っていた。1940年に英国の宣教師から購入したという。場所は万平ホテルの北側、幸福の谷(ハッピー・バレー)と呼ばれていた辺りになる。住民有志らが移築保存を模索していたが、2021年9月解体されることになったという記事を読んだ記憶がある。
この小説は軽井沢滞在中に書かれたという。今の言葉でいえば、主人公はストーカーだ。誰しも無意識に持っている人間の陰湿な部分を描いているのだろう。川端作品のなかでは評価の高い作品であるらしい。僕の好みではないが。
いろいろ付き合いというものがあって、年金の振込をゆうちょ銀行にしようと考えていた。磁気不良の機会も増えることだろう。僕自身もこの先どんどんポンコツになっていく身である。仕方ない、相哀れみながら生きていこう。

2024年4月21日日曜日

長谷川四郎『九つの物語』

東京の桜はビークを過ぎて、葉桜となる。少し寂しい。
若い頃は歳をとった後の生活をイメージできなくて、大江健三郎や太宰治の全集を買い揃えたり、これは老後にもういちど読むぞと思い、捨てずに文庫本を残しておいた。とてもじゃないが、字の小さい本は今となってはお手上げだ。目測を誤った。
最近は昔読んだ本を読みかえすことを主としている。キンドルで無料の夏目漱石や芥川龍之介など。去年、半年近くかけて読み直した『ジャン・クリストフ』も無料だった。
こないだソファの肘掛に古い本が置いてあった。長谷川四郎『九つの物語』である。長女がどこかの古書店で見つけたのだろう、百十円という値札が付いていた。刊行は1980年だ。装幀は安野光雅。とても魅力的な本に仕上がっている。娘はこうしたいいものを見抜く力を小さい頃から持っていた。せっかくなので読んでみる。
時代も場所も特定できない九つの物語が並んでいる。強いて言えば東京の下町か、あるいは多摩川沿いの武蔵野かもしれない。いずれも心を穏やかにする小品である。著者も心穏やかに書いたに違いない。九つの物語というタイトルから想像したのは、J・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』である。もうすっかり忘却の彼方に消えた本を思い出させたのは単にタイトルの類似によるのだろう。サリンジャーは第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦に参加していた。先日、NHKの「映像の世紀」で紹介されていた。それで思い出しただけだ。
20代最後の年に広告会社に転職した。クリエーティブという部門である企業のPR動画を制作していた。そのカメラマンが長谷川元吉だった。映画やCMの世界ではベテランだった。この本を読んで長谷川四郎について少し調べてみた。元吉は四郎のご子息であった。残念ながら、お話しする機会はなかった。
長女がどこかから拾ってきた一冊の書物からの古い記憶を辿ることができた。

2024年4月14日日曜日

安西水丸『水丸劇場』

横浜に行ったのは2019年5月以来だと記憶する。
以前読んだ北浦寛之『東京タワーとテレビ草創期の物語』に取り上げられていた昭和33年の東芝日曜劇場「マンモスタワー」を視たいと思い、横浜の放送ライブラリーを訪れた(おそらくここでしか視聴できないはず)。
テレビ番組のほとんどが生放送だった時代、少しだけ普及しはじめたVTRがこのドラマで部分的に使われている(インサートやオープニングなど)。ドラマの主要部分は生放送だから、台詞の言い間違いなど明らかなNGシーンもそのまま放映されていた。この頃のテレビ番組はほぼアーカイブが残されていないが、今でも視聴できるこのドラマは奇跡と言っていい。主演は人気絶頂の映画スター森雅之。特別出演の森繁久彌が存在感を放っていた。
70分のドラマを見終わって、ふと、去年ある放送局を定年退職した高校バレーボール部の後輩Nからもらった年賀状を思い出した。再就職し、勤務地は横浜だと記されていた。それってもしかして、ここ(放送ライブラリー)じゃないかなと不思議に勘が働いて、物は試し、受付でN〇〇〇さんってこちらにいらっしゃいますかと訊ねてみた。するとどうだろう、内線電話をかけはじめるではないか。
5分後、30数年ぶりでNと再会を果たすことができた。
電車のなかで安西水丸を読む。この本は安西の没後、「クリネタ」というニッチな雑誌に特集された記事を中心にまとめられ、急遽刊行されたものだ。
氏の書いた4コマ漫画やフィクション、カレーライスのこと、眼鏡のことなどさまざまな切り口から生前の安西を忍んでいる。和田誠、黒田征太郎、大橋歩らの追悼文のほかに南青山にあったバー、アルクール店主の勝教彰、水丸事務所を支えた(今でも支えている?)大島明子のコメントも載っている。
あれから10年。多くのファンにとってと同様、安西水丸は僕にとっても忘れられない、忘れてはいけない存在なのである。

2024年4月10日水曜日

今尾恵介『地名の楽しみ』

沓掛(くつかけ)という地名がある。街道の、たとえば峠の入り口や暴れ川の近くなど交通の難所に多いという。旅人はそこで草鞋(沓)を新しくし、履きつぶした草鞋を木に掛けて、その先の安全を祈願したというのがその由来である。
ときどき散歩に出かけるのだが、清水という町がある。かつて井伏鱒二が住んでいた。地名の起こりとなった湧き水のある場所に案内板があり、この辺りが以前、豊多摩郡井荻村沓掛と呼ばれていたことが記されている。古い地図で見ると昭和40年くらいまでたしかに沓掛町という町が存在している。昭和7年に東京市に編入されるまで杉並町と井荻町の境界があったあたりである。
今は住宅地になっており、沓掛町と呼ばれるようになった言われはまったくわからない。土地はほぼ平坦である。町の北側に妙正寺川が流れている。今は護岸が整備されているが、最上流の地域でもあり、川幅は狭い。もしかするとかつては暴れ川だったのかもしれない。古くは街道があって、多くの旅人が行き交ったのだろうか。その面影は皆無である。
地名は面白い。江東区はかつて深川区と城東区が合併した。下町で水路が多くあるので深川と呼ばれる川があったのだろうと思っていたら、そうではなくその辺りを開拓した深川八郎右衛門にちなむという。城東区には砂町がある。見渡す限りの砂地だったのだろう思っていたが、この地も砂村新左衛門という人が開拓したことで砂村と呼ばれるようになり、その後、大正時代の町制施行で砂町になってしまったというのだ。
今、東京で人気の町、恵比寿も恵比寿ビールの工場があり、出荷を担う駅ができ、その後地名も恵比寿になってしまった。それまであった小さな町の名前は消えてしまった。
地名は先人からのメッセージと言われる。古い地名を訪ねる旅は面白い。沓掛という地名は小学校の名前に遺されている。杉並区立沓掛小学校である。古い地名を辿るのに小学校の名前は貴重だ。

2024年4月5日金曜日

川端康成『山の音』

ドジャースに移籍した大谷翔平。オープン戦は好成績をマークし、期待は膨らむばかりだった。
開幕してみると一番バッターのベッツが絶好調であるせいもあり、大谷が本調子には見えないのである。ヒットは一日に1本か2本。なによりもホームランが打てていない。まるでこの春の選抜高校野球から採用された低反発バットを使っているようだ。何億という莫大な年俸をもらいながら、平凡な記録でシーズンを終えたらこれまでの賞賛が非難の声に変わる。そんなことまで心配してしまう。
常勝球団に移籍したことがプレッシャーになっているのではないかとも思う。これまでは(失礼な話だが)勝てば儲けもの、みたいなチームに所属していた。今年は違う。勝たなければいけないチームの一員であり、主力なのである。もちろんその程度の環境の変化で押しつぶされる選手ではないとは思うが、これだけ打てないと邪推もはたらく。単なる通訳以上のパートナーだった水原一平の事件もある。野球には集中していると本人は取材に応えているようだが、尋常でない金額を最も信頼していた男から騙し取られたとなれば、本当に大丈夫なの、と思ってしまう。
と、ずっと心配していたドジャースタジアムでの開幕シリーズ。チームは好調で勝ち星を重ねながらも、打てない大谷が気がかりでならなかった。
4月3日(日本時間4日)、開幕41打席目にしてついに今季初アーチ。
うれしかった。
成瀬巳喜男監督の「山の音」を観たのは10年近く前になる。
戦後の混乱がようやく収まりつつある時代。鎌倉のある一家の舅と嫁の心の交流が描かれている。この構図には既視感があった。小津安二郎の「東京物語」でも舅と戦死した次男の嫁が心を通わせる。奇しくも嫁役は原節子である。映画の公開は「東京物語」が一年はやいが、脚本執筆時に小津は『山の音』を意識していたのかもしれない。
映画を観て、原作を読みたいと思った。ようやく読み終えた。