2026年7月31日金曜日

半村良『戸隠伝説』

毎年7月に南青山のギャラリースペースユイで安西水丸展が開催される。今年も2日から25日まで「村上春樹さんとのお仕事」というタイトルで展示が行われた。
文・村上春樹、絵・安西水丸という出版物は多い。いずれのイラストレーションもなつかしい。
2014年3月。村上は水丸の仕事場に電話をかける。夏にセロニアス・モンクの本を出版するので装幀をお願いしたい、ついては来週どこかで打合せがてらお昼でも食べませんかと。約束は果たされなかった。その翌週、水丸は帰らぬ人となったのである。
水丸とモンクのエピソードを村上は何度も聞いていた。ニューヨーク、ビレッジ・バンガード。最前列で熱演を聴いていた水丸はモンクに煙草をねだられる。持っていたハイライトを一本すすめ、マッチで火をつけてあげる。モンクはうまそうに一服した。
装幀の仕事は盟友である和田誠に引き継がれる。『セロニアス・モンクのいた風景』の表紙はモンクにハイライトをすすめる水丸が描かれている。裏表紙には水丸の描いたモンクの後ろ姿。
僕はこの本が村上春樹・安西水丸コンビの最後の仕事だと思っている。次回同じタイトルで開催されるのであれば、ぜひ和田誠の表紙イラストレーションも展示してほしいものだ。
スペースユイから叔父の眠る墓は近い。毎年、叔父が亡くなった3月と誕生月である7月に墓参りをしているが、わけあっ墓所を訪ねるのは去年の3月以来である。
信州には神話・伝承が多く遺されているという。戸隠の鬼女紅葉伝説や岩戸伝説はよく知られるところである。物語は有栖川記念公園にある都立中央図書館の出会いからはじまる。中央図書館は高校生の頃から何度か訪れている。館内の描写になつかしさを感じる。井上とユミとのロマンチックなお話かと思っていたら、あれよあれよという間に舞台は戸隠。古い神と新しい神の戦争がはじまる。奇想天外な物語だった。
墓参りを終え、神保町でカレーライスを食べた。

2026年7月23日木曜日

半村良『雨物語』

新宿に野菊という酒場があった。
1990年頃、CM制作会社の社長Nさんに誘われて行ったのが最初だと思う。Nさんは大手広告会社のコピーライターUさんに連れてきてもらったという。Uさんは上司のOさんに連れてこられた。ややこしい話だが、Oさんはその後会社を移り、当時僕の上司になっていた。
野菊は新宿区役所前の道をゆるやかに下って、ゆるやかに上ったあたりにあった。バッティングセンターの向かい側のビルである。何階にあったかは憶えていないがエレベーターに乗ったことはたしかだ。十何人かが座れるカウンターだけのお店でたいていの場合、ママがひとりで取り仕切っていた。バーというのかスナックというのか、明確な定義はわからないが、ふらっと立ち寄ってお酒を飲むだけだ。どちらでもかまわなかった。当時ママは何歳くらいだったのだろう。もちろん直接年齢を訊いたことなどない。ご存命ならかなりの高齢になっているはず。
たまたま手に取った半村良の小説がなつかしい酒場を思い出させてくれた。物語の舞台である雨女(うめ)というお店はカウンターの他にテーブル席もある。バーテンダーもいる。野菊より少しだけ規模の大きい店のようだ。時代は平成のはじまり。時代的にも僕が頻繁に野菊に立ち寄りはじめた頃である。バブル経済はまだ崩壊していなかった。登場人物の一人ひとりになつかしい時代の匂いを感じる。雨の日の出来事を綴っているせいか、流れる空気に程よい湿気を感じる。
先日読んだ『どぶどろ』も以前読んだ『小説浅草案内』も酒場のシーンが多くあった。まだ読んでいないタイトルにも多くの酒場が散見される。半村はお酒と酒場をこよなく愛した作家だったに違いない。これから半村良と少しづつ酒場めぐりをしたいものだ。忘れてしまった酒場をまた思い出させてくれるかもしれないから。
不安定な天気が続いていた。この本を読み終えた翌日、関東地方も梅雨明けした。

2026年7月20日月曜日

半村良『どぶどろ』

母が亡くなって一年になる。
去年の今頃はあわただしく葬儀を済ませ、区役所に行って年金や保険の手続きをしながら、四十九日の準備をはじめたところだった。8月に納骨を終え、次は一周忌。実家を片付けて、とっておくものは千葉の父の実家に送り、要らないものは処分する。5月までには終わらせようと思っていた。その間、父の実家もフローリングにしたり、エアコンを取り付けてもらったり、壊れたところを直してもらったり。荷物の移動は6月になってしまったが、先週無事一周忌を執り行うことができた。あっという間の一年だった。次は来月の新盆の準備だ。
半村良は映画化もされて話題になった『戦国自衛隊』の印象が強いせいか、SFの作家という認識でいた。何年か前に『小説浅草案内』『葛飾物語』を読んで下町の風情や人間を描くことのできる人という印象に変わった。
この本はいくつかの短編=人情噺とひとつの長編からなる連作小説である。長編はちょっとしたミステリーで登場人物は短編で紹介されている。
長編では銀座の町役人のもとで働く半吉が殺人事件に引きずり込まれる。時代劇ミステリーといったところか。事件や結末のことは置いておいて、興味深かったのは、半吉が何度も銀座と深川を往復する場面だ。田沼意次から松平定信の時代に移った頃の話だから、銀座から深川へは、勝鬨橋と相生橋を渡って越中島に出るルートはない。京橋から霊厳島、永代橋を渡っていく。洲崎、今の東陽町あたりは海に面した波打ち際だった。そんな情景を思い浮かべながら読みすすめるのが楽しい。
石島町の長屋を訪ねる場面がある。じめじめ貧乏長屋の道ばたに搔きあげてあったどぶどろに半吉は草履を突っ込んでしまう。この物語のなかの象徴的なシーンである。石島町という地名は今も残っている。仙台堀川、大横川、小名木川に囲まれた小さな町である。
半村良は葛飾出身。深川あたりを詳しいのはそのせいかもしれない。

2026年7月9日木曜日

賽助『君と夏が、鉄塔の上』

先日、中学校時代の同級会があった。先日といっても3月末のことだから、もう3か月以上も前のことだ。月日が経つのはあっという間である。中学時代の仲間と集まるのはこれで三度目か四度目になる。
小学校の頃や高校生になってからだといくらか記憶があるのだが、中学生時代の記憶はほとんどない。まるで12歳から15歳までどこか異次元の世界に住んでいたのではないかと思えるほどだ。小学生のときは放課後どこかに遊びに行ったり、野球をしたりした。高校時代は部活の帰りに近隣の大学の食堂に行ったり、喫茶店に立ち寄るなどした憶えがある。そういった思い出らしきものが中学時代にはない。本当になかったのか記憶にないだけなのかわからないが憶えていないんだからなかったのだろう。そう思うしかない。
何年か前も中学時代の同期が集まり、そのうち何人かで二次会のカラオケに行った。深夜、実家まで歩いて帰ろうとしていたら、途中までいっしょに帰ろうぜと声をかけられた。そいつの名前がわからなくて当たり障りのない会話するのに苦労した。今回も大勢集まったが、だいたい(特に男子は)顔と名前がわかった(小学校がいっしょだったりすると女子もわかる)。それでも放課後とか遊びに行ったりした記憶はよみがえってこない。
大学生が登場する本を読むと自分が大学生の頃を思い出すし、高校生の話だと高校時代を思い出す。この小説は困ったことに中学生が主役である。思い出そうにもこっちには思い出すものがないのだ。
それにしても世の中に鉄塔ファンなるものがあることを知って驚いた。鉄道マニアも多くいるのだから、鉄塔の写真を撮り歩く人がいてもおかしくない。何のマニアになるかは人それぞれなのである(ちなみに僕は一時期区界の写真を撮るのにハマっていた)。
鉄塔好きで中学生。あまりにも僕と接点のない小説だったが、時折青空にそびえる鉄塔を仰ぎ見る中学生になったつもりで読み終えた。