欧米ではどんな小さな道にも必ず名前が付いていて、その道の何番目かという数字が住所になると聞いたことがある。すべてがそうとは限らないだろうが、なんとかストリート、なんとかアベニューの何番という住所はよく見かける。日本の場合はある一定の区画に町名を付けて、さらに何丁目と区分していることが多い。道が境界線になっている。道一本隔てただけで○○町は、東○○町になったり、本○○町になったりする。
運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。
ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。
著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。
ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。
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