2026年6月30日火曜日

志坂圭『滔々と紅』

昨年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」では吉原の遊女らが登場したことで話題になった。吉原は言わずと知れた江戸で最大の遊郭であった。吉原遊郭の話は映画などでは取り上げられることはあったけれど大河ドラマで扱われるとは思いもしなかった。
遊郭には遊郭なりのしきたりがある。序列があったり、独自の生活様式があったり。
古典落語に「紺屋高尾」という噺がある。神田の染物屋で働く職人久蔵は3年間、酒も博打も絶って50両の金を貯めて吉原に行く。正直で純朴な久蔵に心打たれた高尾太夫は年季が明けたら女房になると約束し、3年後その約束を果たす。町人受けするなかなかいい噺である。そのなかで吉原遊郭のしきたりがいくつも紹介されている。廓噺も寄席では行われているのだろうが、テレビなどではなかなかお目にかかれなくなっている。
この本の主人公駒乃は東北の飢饉の村から吉原の大見世に売られてくるが、読んでいてさほどの悲惨さはない。駒乃は何度か名前を変えながら成長し、花魁となる。そのなかで遊郭の日常が描かれている。女郎の生活というのがたえず死と隣り合わせであることが語られる。足抜けしそこなって、自ら命を絶つ女郎がいる。病に斃れる女郎がいる。こうした事件が淡々と語られる。駒乃自身も楼主に逆らってひどい折檻を受ける。絢爛豪華な花魁の生活は地獄と隣り合わせである。
あるとき駒乃は日暮里の医者の息子林太郎に足抜けをそそのかされる。周到な計画で大門を抜けた駒乃はしばらく江戸市中に潜伏し、機を見て長崎に旅立つ。林太郎は長崎の高名な医師に師事することになっていたのである。「紺屋高尾」に勝るとも劣らないハッピーエンドな物語だった。
小説にしろ、古典落語にしろ吉原遊郭のしきたりや生活が今に伝わっているのは当時の様子が克明に記され、遺されているせいではないかと思う。江戸時代最大の遊郭は膨大な史料とともに今という時代を生きている。

2026年6月27日土曜日

森沢明夫『ロールキャベツ』

50年近く前、大学生だった。当時、何をして、どんなことを考えていたかくわしく憶えていない。その記憶は小学校中学校時代と同じのように曖昧なままだ。
僕が通った大学は教員養成系の大学ですべてではないがほとんどが卒業後、教職に就く。そういった仲間が多かったせいもあるが将来に関してなかなか広い視野を持つことが難しかった。特にやってみたい職業もなく、自分にどんな資質があるかもわからず、ぼんやりと過ごして、いずれは教員になるのだろうと漠然と考えていた。その一方でみんなと違った生き方をしたいという希望も持っていた。それでずるずると4年生になってしまった。一般の大学にすすんだ高校時代の友人たちは就職活動をスタートさせていた。
森沢明夫は2冊目になる。大学3年生になったシェアハウス仲間の3人の男子とひょんなことから知り合った同学年の女子ふたり。主人公を除くとそれぞれ明確にやりたいことを持ち、得意技を持っている。何の取柄もない主人公マックだけが自らの資質や将来像を思い描くことができないでいる。それでも立ち上げたサークルのホームページをデザインしたりなど器用な側面を持っている。
振り返って、自分の大学時代はそんなこと考えもしなかった。おいしいコーヒーを淹れる喫茶店のマスターやトレーダーをめざすなんてことやアーティストになるとか農家レストランを営みたいとか。小説の登場人物に過ぎないのだが、近頃の大学生はしっかりしているなと思う。いちばんしっかりしていないマックでさえ、多少の技術とそれなりの人柄を持っている。まったくうらやましい大学生活だ。
この青春小説は大学3年生の春から夏を舞台にした5人の男女の物語。主人公マックと書いたが、5人それぞれが主人公といっていい。登場人物ひとりひとりにスポットを当てるのは以前読んだ『大事なことほど小声でささやく』でもそうだった。登場人物を大切にする作家なのかもしれない。

2026年6月18日木曜日

小川洋子『とにかく散歩いたしましょう』

犬を飼うようになってじきに16年になろうとしている。うちには雄のチワワが2匹いる。いっしょに生まれた。義妹の飼っているチワワがたくさん仔犬を産み、雄2匹をうちで引き取ることになったのだ。
犬のいる生活は楽しいものだった。もちろん今でも手間がかかるけれども楽しい。Gは小さい頃から活発で愛想を振りまいていた。Jというもう1匹はわが道をゆくであまり構われたがらない。同じ親犬から産まれたのにずいぶんと違う。そしてそれぞれ年を取ってきて、それぞれ薬やサプリメントなどのお世話になっている。
Jは大抵の餌を食べるが、Gはなかなか面倒で昨日食べた餌を今日食べなかったり、餌の時間はほとんど食べず、真夜中に起きてきては突然食べはじめたりする。そしてGは心臓の薬と利尿剤を摂っているせいもあるが、けっこう頻繁に粗相する。年を取ったなと人のこと、いや犬のことは言えないが。
新型コロナ感染拡大で在宅ワークになった頃は毎日のように散歩に連れて行った。それまでは仕事が休みの土日にしか散歩に連れて行けなかったのだ。着替えなどしていると散歩だと気づくのだろう。わんわんきゃんきゃんはしゃいで玄関に向かっていた。外に出るやぐいぐいリードを引っ張って歩き出す。
2~3年前くらいからGが散歩に出なくなった。行こうといえば玄関まで来る。リードをつける。門まで歩く。外に出る。するともう帰ると引き返す。仕方ないからまた玄関に戻って、脚を拭いて部屋に戻す。それからJと散歩に出かける。Jの歩く距離も少しずつ短くなる。小さい頃は1~2キロくらい平気で歩いてたのに、それが1キロになり800メートルになり、500メートルになり、やがて300メートルになり。去年の夏の猛暑でサボりがちになり、今ではたまに外を好きに歩かせるだけである。散歩していた頃がただただ懐かしい。
小川洋子のエッセイを読む。うちの犬たちが毎日元気に散歩していた頃を思い出した。

2026年6月12日金曜日

吉田篤弘『月とコーヒー』

吉田篤弘の本をはじめて読む。最近は題名や装幀を見ただけで読みはじめることが増えている。大抵の場合、どの本もおもしろく、楽しませてもらっている。この本も例外ではない。
舞台が抽象的な空間で不思議な感覚にとらわれる。商店街や踏切があったりするのにどことなくリアルでない空間に思えてくる。登場人物の名前も何か奥深いところで意味を持っているのではないかと思わせる。一編一編がきわめて短く、不思議な感覚のまま読み終えてしまう。どこがというわけではないが、村上春樹を読んでいる感じに近い。『街とその不確かな壁』を読んでいるような気持ちになる。
どの小編もすばらしいのだが、「青いインク」「青いインクの話のつづき」「ヒイラギの青空」が特に気に入った。小さな町の小さな工場で何年も何十年もつくられてきた青いインク。大きな町の老舗文具店でそのインクを売っている女性店員がインク工場に見学に出かける。電車やバスの駅もなく、役所や銀行や郵便局もない不思議な町。道という道は迷路のよう。その工場は細い路地の奥にあった。
青いインクで思い出すのはイラストレーター安西水丸だ。安西はカラートーンを使った作品が多く知られているが、ブルーのインクだけで描いたイラストレーションも味わい深く、いい。生前は定期的に「ブルースケッチ」という展示を南青山のスペースユイで行っていたことを思い出す。旅先の風景を青の万年筆でスケッチした作品である。
安西の最初のエッセイは深川、赤坂、九段など思い出の地を歩いてはスケッチし、文章を綴った『青インクの東京地図』だ。そのせいもあって僕のなかでは安西水丸は青インクの人なのである。この本を読み終えて、彼の使っているインクはこのインク工場でつくられていたのではないかと思えてきた。いつも大きな町の歴史ある文具店で購入していたのではないか。あるいは小さな工場まで足を運んだかもしれない。などと想像してみる。