今の東急大井町線と池上線は別々の鉄道会社が経営していて、大井町線には東洗足という駅があり、池上線には旗が岡という駅があった。その後乗り換えできるように統合され、旗の台駅になった。実相寺昭雄『昭和鉄道少年』にそんなことが書いてあった。
旗の台は品川区民にはよく知られた地域である。区内で随一といっていい昭和大学病院が聳え立っているからである。池上線のホームとつながった改札から降りた乗客の多くは中原街道方面に歩く。おそらくは昭和大学病院に向かうのであろう。
旗の台駅から僕の実家までは2キロ弱。大井町線の隣駅荏原町を横に見ながら商店街をすすんでいく。第二京浜国道を渡ってさらに直進する。道は一直線である(三間通りと呼ばれている)。学区域が違うので友人や知人はいないが、昔から身近な地域だった。
広告制作の仕事をしてきてよかったと思うのは、いろんな業種の人たちと話ができたことだ。食品会社の人、製薬会社の人、金融関係の人、石油会社の人や官公庁の人たちなど枚挙にいとまがない。もちろん広告を通じてということだから、広告とあまり関係のない仕事には接することはなかった。たとえば医療関係者や学芸員、図書館司書など。
出版関係には友人が何人かいたが、裏方ともいえる校閲担当の人とは接点はなかった。どんな仕事なのか興味を持ったのは以前に読んだ牟田都子著『文にあたる』を読んだときだ。この本は校正や校閲を担当するものとしての心がまえみたいなことが語られている。今回読んだのは実際の校閲者が具体的にどんな事例に出会い、どう対処してきたかというきわめて実務的な現場のお話である。臨場感がある。
細々とブログを続けてきたが、僕の文章なんて小っ恥ずかしい赤字の宝庫なんだろうな。まったくもって汗をかく一冊だ。
さて、その日は旗の台で用事を済ませた後、実家まで歩いて、父に線香をあげる。父の誕生日も近かったから。
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