2026年8月18日火曜日

安西水丸『POST CARD』

8月の13~15日を南房総で過ごした。昨年他界した母の新盆だったのだ。
今年のお盆は一昨年、昨年ほどの猛暑ではなかったが、不安定な天候だった。13日は朝雨がぱらついたが、昼間は雲が多いものの晴れ間がひろがった。午後4時過ぎにそろそろ迎え火を炊こうかと思っていたら、激しい雨が降ってきた。仕方なく軒下で小さな迎え火を炊いた。雨は降りやまず、小雨になってそろそろやむかもと思った頃、墓参りに出る。土地の慣習で新盆の家は切子提灯を持って行くのだが、雨なのでやめた。祖父母、両親の墓に線香をあげた後、親戚の墓をまわった。その間強く降ることはなかったが、びしょ濡れになって家に戻った。
夕飯を終えて、姉と姪家族が館山のスーパー銭湯に行くという。雨が小やみになったところで出かけて行った。それからしばらくして豪雨になった。深夜になっても帰ってこない。土砂崩れや道路の冠水もあったようで、道中のコンビニの駐車場で明るくなるのを待つという。真っ暗な田舎道を走るより真っ当な判断だ。コンビニの駐車場なら必要なものがすぐに買えるし。空が白んできた頃、出発し、5時近くに戻ってきた(僕は寝ていたので覚えていない)。
一夜明けて記録的集中豪雨の被害の大きさを知る。翌日は鉄道がほぼ全滅。高速道路も通行止めが多い。南房総もかなり降ったが、千葉県北部の方が被害が大きかった。床上浸水があり、停電があった。土砂崩れで道路は寸断され、冠水で動けなくなったクルマが2000台以上もあった。死亡者も出ている。
とんでもないお盆のスタートだったが、14日、15日と不安定な天候は徐々におさまってくる。時折雨がぱらつくものの、穏やかなお盆になった。
実家から運び込んだ母の荷物のなかに安西水丸の本が何冊かあった。暇にまかせて『POST CARD』を読む。1986年に刊行されたこの本はイラストレーションの人安西水丸を文筆家にした最初の本だと思っている。

2026年8月10日月曜日

朝井リョウ『スター』

40年以上、映像制作の仕事に携わってきた。今でこそ映像はスマホやデジカメで簡単に撮影できるが、1980年代半ばくらいまではフィルムを感光させていた。ムービー撮影専用のカメラが必要だった。フィルムにどのように写っているかはファインダーを覗くカメラマンしか確認できなかった。
撮影されたフィルムは現像にまわされる。翌日、現像されたネガとプリントされたポジ(ラッシュと呼んでいた)が現像所から届く。ムビオラというフィルムビューワーで映像を確認しながら、ラッシュを切り刻んで編集する。編集室は手作業の場であり、いちばんフィルム制作らしい現場だった。
編集されたラッシュは試写された後、オバーラップなどの加工やタイトルを載せるためふたたび現像所に送られる。現像所の作業もムービーカメラと同様ブラックボックスである。
80年代の終わり頃から、撮影したフィルムをビデオテープに転写して編集するようになった。映像はデータ化され、ユニックスのワークステーション上のソフトで処理される。今ではカメラもSDカードのような記憶媒体にデータ収録されるようになっている。現場からフィルムもビデオテープもなくなった。
SDからHD、さらには4K、8Kと画質もよくなり、データ量も増えていく。4K映像はHD映像の4倍ほどのデータ量になる。記憶媒体が高価な時代には普及し得なかった。
古くから映像制作の世界にいたのに映像制作に携わる人が主役の小説を読むのははじめて。フィルムフェスティバルでグランプリを獲ったふたりの大学生、尚吾と紘。作品は共作だが、祖父とともに名画座で数多くの名作にふれて育った尚吾は細部を見つめる能力に長けている。島で育った紘は美しいものや一瞬の表情に深い洞察力を持っている。尚吾は巨匠監督の助手になり、紘はネット配信動画の世界に飛び込んでいく。
ネット時代。映像制作の進化とこれからについて考えさせられる一冊だった。

2026年7月31日金曜日

半村良『戸隠伝説』

毎年7月に南青山のギャラリースペースユイで安西水丸展が開催される。今年も2日から25日まで「村上春樹さんとのお仕事」というタイトルで展示が行われた。
文・村上春樹、絵・安西水丸という出版物は多い。いずれのイラストレーションもなつかしい。
2014年3月。村上は水丸の仕事場に電話をかける。夏にセロニアス・モンクの本を出版するので装幀をお願いしたい、ついては来週どこかで打合せがてらお昼でも食べませんかと。約束は果たされなかった。その翌週、水丸は帰らぬ人となったのである。
水丸とモンクのエピソードを村上は何度も聞いていた。ニューヨーク、ビレッジ・バンガード。最前列で熱演を聴いていた水丸はモンクに煙草をねだられる。持っていたハイライトを一本すすめ、マッチで火をつけてあげる。モンクはうまそうに一服した。
装幀の仕事は盟友である和田誠に引き継がれる。『セロニアス・モンクのいた風景』の表紙はモンクにハイライトをすすめる水丸が描かれている。裏表紙には水丸の描いたモンクの後ろ姿。
僕はこの本が村上春樹・安西水丸コンビの最後の仕事だと思っている。次回同じタイトルで開催されるのであれば、ぜひ和田誠の表紙イラストレーションも展示してほしいものだ。
スペースユイから叔父の眠る墓は近い。毎年、叔父が亡くなった3月と誕生月である7月に墓参りをしているが、わけあっ墓所を訪ねるのは去年の3月以来である。
信州には神話・伝承が多く遺されているという。戸隠の鬼女紅葉伝説や岩戸伝説はよく知られるところである。物語は有栖川記念公園にある都立中央図書館の出会いからはじまる。中央図書館は高校生の頃から何度か訪れている。館内の描写になつかしさを感じる。井上とユミとのロマンチックなお話かと思っていたら、あれよあれよという間に舞台は戸隠。古い神と新しい神の戦争がはじまる。奇想天外な物語だった。
墓参りを終え、神保町でカレーライスを食べた。

2026年7月23日木曜日

半村良『雨物語』

新宿に野菊という酒場があった。
1990年頃、CM制作会社の社長Nさんに誘われて行ったのが最初だと思う。Nさんは大手広告会社のコピーライターUさんに連れてきてもらったという。Uさんは上司のOさんに連れてこられた。ややこしい話だが、Oさんはその後会社を移り、当時僕の上司になっていた。
野菊は新宿区役所前の道をゆるやかに下って、ゆるやかに上ったあたりにあった。バッティングセンターの向かい側のビルである。何階にあったかは憶えていないがエレベーターに乗ったことはたしかだ。十何人かが座れるカウンターだけのお店でたいていの場合、ママがひとりで取り仕切っていた。バーというのかスナックというのか、明確な定義はわからないが、ふらっと立ち寄ってお酒を飲むだけだ。どちらでもかまわなかった。当時ママは何歳くらいだったのだろう。もちろん直接年齢を訊いたことなどない。ご存命ならかなりの高齢になっているはず。
たまたま手に取った半村良の小説がなつかしい酒場を思い出させてくれた。物語の舞台である雨女(うめ)というお店はカウンターの他にテーブル席もある。バーテンダーもいる。野菊より少しだけ規模の大きい店のようだ。時代は平成のはじまり。時代的にも僕が頻繁に野菊に立ち寄りはじめた頃である。バブル経済はまだ崩壊していなかった。登場人物の一人ひとりになつかしい時代の匂いを感じる。雨の日の出来事を綴っているせいか、流れる空気に程よい湿気を感じる。
先日読んだ『どぶどろ』も以前読んだ『小説浅草案内』も酒場のシーンが多くあった。まだ読んでいないタイトルにも多くの酒場が散見される。半村はお酒と酒場をこよなく愛した作家だったに違いない。これから半村良と少しづつ酒場めぐりをしたいものだ。忘れてしまった酒場をまた思い出させてくれるかもしれないから。
不安定な天気が続いていた。この本を読み終えた翌日、関東地方も梅雨明けした。

2026年7月20日月曜日

半村良『どぶどろ』

母が亡くなって一年になる。
去年の今頃はあわただしく葬儀を済ませ、区役所に行って年金や保険の手続きをしながら、四十九日の準備をはじめたところだった。8月に納骨を終え、次は一周忌。実家を片付けて、とっておくものは千葉の父の実家に送り、要らないものは処分する。5月までには終わらせようと思っていた。その間、父の実家もフローリングにしたり、エアコンを取り付けてもらったり、壊れたところを直してもらったり。荷物の移動は6月になってしまったが、先週無事一周忌を執り行うことができた。あっという間の一年だった。次は来月の新盆の準備だ。
半村良は映画化もされて話題になった『戦国自衛隊』の印象が強いせいか、SFの作家という認識でいた。何年か前に『小説浅草案内』『葛飾物語』を読んで下町の風情や人間を描くことのできる人という印象に変わった。
この本はいくつかの短編=人情噺とひとつの長編からなる連作小説である。長編はちょっとしたミステリーで登場人物は短編で紹介されている。
長編では銀座の町役人のもとで働く半吉が殺人事件に引きずり込まれる。時代劇ミステリーといったところか。事件や結末のことは置いておいて、興味深かったのは、半吉が何度も銀座と深川を往復する場面だ。田沼意次から松平定信の時代に移った頃の話だから、銀座から深川へは、勝鬨橋と相生橋を渡って越中島に出るルートはない。京橋から霊厳島、永代橋を渡っていく。洲崎、今の東陽町あたりは海に面した波打ち際だった。そんな情景を思い浮かべながら読みすすめるのが楽しい。
石島町の長屋を訪ねる場面がある。じめじめ貧乏長屋の道ばたに搔きあげてあったどぶどろに半吉は草履を突っ込んでしまう。この物語のなかの象徴的なシーンである。石島町という地名は今も残っている。仙台堀川、大横川、小名木川に囲まれた小さな町である。
半村良は葛飾出身。深川あたりを詳しいのはそのせいかもしれない。

2026年7月9日木曜日

賽助『君と夏が、鉄塔の上』

先日、中学校時代の同級会があった。先日といっても3月末のことだから、もう3か月以上も前のことだ。月日が経つのはあっという間である。中学時代の仲間と集まるのはこれで三度目か四度目になる。
小学校の頃や高校生になってからだといくらか記憶があるのだが、中学生時代の記憶はほとんどない。まるで12歳から15歳までどこか異次元の世界に住んでいたのではないかと思えるほどだ。小学生のときは放課後どこかに遊びに行ったり、野球をしたりした。高校時代は部活の帰りに近隣の大学の食堂に行ったり、喫茶店に立ち寄るなどした憶えがある。そういった思い出らしきものが中学時代にはない。本当になかったのか記憶にないだけなのかわからないが憶えていないんだからなかったのだろう。そう思うしかない。
何年か前も中学時代の同期が集まり、そのうち何人かで二次会のカラオケに行った。深夜、実家まで歩いて帰ろうとしていたら、途中までいっしょに帰ろうぜと声をかけられた。そいつの名前がわからなくて当たり障りのない会話するのに苦労した。今回も大勢集まったが、だいたい(特に男子は)顔と名前がわかった(小学校がいっしょだったりすると女子もわかる)。それでも放課後とか遊びに行ったりした記憶はよみがえってこない。
大学生が登場する本を読むと自分が大学生の頃を思い出すし、高校生の話だと高校時代を思い出す。この小説は困ったことに中学生が主役である。思い出そうにもこっちには思い出すものがないのだ。
それにしても世の中に鉄塔ファンなるものがあることを知って驚いた。鉄道マニアも多くいるのだから、鉄塔の写真を撮り歩く人がいてもおかしくない。何のマニアになるかは人それぞれなのである(ちなみに僕は一時期区界の写真を撮るのにハマっていた)。
鉄塔好きで中学生。あまりにも僕と接点のない小説だったが、時折青空にそびえる鉄塔を仰ぎ見る中学生になったつもりで読み終えた。

2026年6月30日火曜日

志坂圭『滔々と紅』

昨年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」では吉原の遊女らが登場したことで話題になった。吉原は言わずと知れた江戸で最大の遊郭であった。吉原遊郭の話は映画などでは取り上げられることはあったけれど大河ドラマで扱われるとは思いもしなかった。
遊郭には遊郭なりのしきたりがある。序列があったり、独自の生活様式があったり。
古典落語に「紺屋高尾」という噺がある。神田の染物屋で働く職人久蔵は3年間、酒も博打も絶って50両の金を貯めて吉原に行く。正直で純朴な久蔵に心打たれた高尾太夫は年季が明けたら女房になると約束し、3年後その約束を果たす。町人受けするなかなかいい噺である。そのなかで吉原遊郭のしきたりがいくつも紹介されている。廓噺も寄席では行われているのだろうが、テレビなどではなかなかお目にかかれなくなっている。
この本の主人公駒乃は東北の飢饉の村から吉原の大見世に売られてくるが、読んでいてさほどの悲惨さはない。駒乃は何度か名前を変えながら成長し、花魁となる。そのなかで遊郭の日常が描かれている。女郎の生活というのがたえず死と隣り合わせであることが語られる。足抜けしそこなって、自ら命を絶つ女郎がいる。病に斃れる女郎がいる。こうした事件が淡々と語られる。駒乃自身も楼主に逆らってひどい折檻を受ける。絢爛豪華な花魁の生活は地獄と隣り合わせである。
あるとき駒乃は日暮里の医者の息子林太郎に足抜けをそそのかされる。周到な計画で大門を抜けた駒乃はしばらく江戸市中に潜伏し、機を見て長崎に旅立つ。林太郎は長崎の高名な医師に師事することになっていたのである。「紺屋高尾」に勝るとも劣らないハッピーエンドな物語だった。
小説にしろ、古典落語にしろ吉原遊郭のしきたりや生活が今に伝わっているのは当時の様子が克明に記され、遺されているせいではないかと思う。江戸時代最大の遊郭は膨大な史料とともに今という時代を生きている。

2026年6月27日土曜日

森沢明夫『ロールキャベツ』

50年近く前、大学生だった。当時、何をして、どんなことを考えていたかくわしく憶えていない。その記憶は小学校中学校時代と同じのように曖昧なままだ。
僕が通った大学は教員養成系の大学ですべてではないがほとんどが卒業後、教職に就く。そういった仲間が多かったせいもあるが将来に関してなかなか広い視野を持つことが難しかった。特にやってみたい職業もなく、自分にどんな資質があるかもわからず、ぼんやりと過ごして、いずれは教員になるのだろうと漠然と考えていた。その一方でみんなと違った生き方をしたいという希望も持っていた。それでずるずると4年生になってしまった。一般の大学にすすんだ高校時代の友人たちは就職活動をスタートさせていた。
森沢明夫は2冊目になる。大学3年生になったシェアハウス仲間の3人の男子とひょんなことから知り合った同学年の女子ふたり。主人公を除くとそれぞれ明確にやりたいことを持ち、得意技を持っている。何の取柄もない主人公マックだけが自らの資質や将来像を思い描くことができないでいる。それでも立ち上げたサークルのホームページをデザインしたりなど器用な側面を持っている。
振り返って、自分の大学時代はそんなこと考えもしなかった。おいしいコーヒーを淹れる喫茶店のマスターやトレーダーをめざすなんてことやアーティストになるとか農家レストランを営みたいとか。小説の登場人物に過ぎないのだが、近頃の大学生はしっかりしているなと思う。いちばんしっかりしていないマックでさえ、多少の技術とそれなりの人柄を持っている。まったくうらやましい大学生活だ。
この青春小説は大学3年生の春から夏を舞台にした5人の男女の物語。主人公マックと書いたが、5人それぞれが主人公といっていい。登場人物ひとりひとりにスポットを当てるのは以前読んだ『大事なことほど小声でささやく』でもそうだった。登場人物を大切にする作家なのかもしれない。

2026年6月18日木曜日

小川洋子『とにかく散歩いたしましょう』

犬を飼うようになってじきに16年になろうとしている。うちには雄のチワワが2匹いる。いっしょに生まれた。義妹の飼っているチワワがたくさん仔犬を産み、雄2匹をうちで引き取ることになったのだ。
犬のいる生活は楽しいものだった。もちろん今でも手間がかかるけれども楽しい。Gは小さい頃から活発で愛想を振りまいていた。Jというもう1匹はわが道をゆくであまり構われたがらない。同じ親犬から産まれたのにずいぶんと違う。そしてそれぞれ年を取ってきて、それぞれ薬やサプリメントなどのお世話になっている。
Jは大抵の餌を食べるが、Gはなかなか面倒で昨日食べた餌を今日食べなかったり、餌の時間はほとんど食べず、真夜中に起きてきては突然食べはじめたりする。そしてGは心臓の薬と利尿剤を摂っているせいもあるが、けっこう頻繁に粗相する。年を取ったなと人のこと、いや犬のことは言えないが。
新型コロナ感染拡大で在宅ワークになった頃は毎日のように散歩に連れて行った。それまでは仕事が休みの土日にしか散歩に連れて行けなかったのだ。着替えなどしていると散歩だと気づくのだろう。わんわんきゃんきゃんはしゃいで玄関に向かっていた。外に出るやぐいぐいリードを引っ張って歩き出す。
2~3年前くらいからGが散歩に出なくなった。行こうといえば玄関まで来る。リードをつける。門まで歩く。外に出る。するともう帰ると引き返す。仕方ないからまた玄関に戻って、脚を拭いて部屋に戻す。それからJと散歩に出かける。Jの歩く距離も少しずつ短くなる。小さい頃は1~2キロくらい平気で歩いてたのに、それが1キロになり800メートルになり、500メートルになり、やがて300メートルになり。去年の夏の猛暑でサボりがちになり、今ではたまに外を好きに歩かせるだけである。散歩していた頃がただただ懐かしい。
小川洋子のエッセイを読む。うちの犬たちが毎日元気に散歩していた頃を思い出した。

2026年6月12日金曜日

吉田篤弘『月とコーヒー』

吉田篤弘の本をはじめて読む。最近は題名や装幀を見ただけで読みはじめることが増えている。大抵の場合、どの本もおもしろく、楽しませてもらっている。この本も例外ではない。
舞台が抽象的な空間で不思議な感覚にとらわれる。商店街や踏切があったりするのにどことなくリアルでない空間に思えてくる。登場人物の名前も何か奥深いところで意味を持っているのではないかと思わせる。一編一編がきわめて短く、不思議な感覚のまま読み終えてしまう。どこがというわけではないが、村上春樹を読んでいる感じに近い。『街とその不確かな壁』を読んでいるような気持ちになる。
どの小編もすばらしいのだが、「青いインク」「青いインクの話のつづき」「ヒイラギの青空」が特に気に入った。小さな町の小さな工場で何年も何十年もつくられてきた青いインク。大きな町の老舗文具店でそのインクを売っている女性店員がインク工場に見学に出かける。電車やバスの駅もなく、役所や銀行や郵便局もない不思議な町。道という道は迷路のよう。その工場は細い路地の奥にあった。
青いインクで思い出すのはイラストレーター安西水丸だ。安西はカラートーンを使った作品が多く知られているが、ブルーのインクだけで描いたイラストレーションも味わい深く、いい。生前は定期的に「ブルースケッチ」という展示を南青山のスペースユイで行っていたことを思い出す。旅先の風景を青の万年筆でスケッチした作品である。
安西の最初のエッセイは深川、赤坂、九段など思い出の地を歩いてはスケッチし、文章を綴った『青インクの東京地図』だ。そのせいもあって僕のなかでは安西水丸は青インクの人なのである。この本を読み終えて、彼の使っているインクはこのインク工場でつくられていたのではないかと思えてきた。いつも大きな町の歴史ある文具店で購入していたのではないか。あるいは小さな工場まで足を運んだかもしれない。などと想像してみる。

2026年5月29日金曜日

原田マハ『さいはての彼女』

1988年12月にそれまでいた制作会社を辞し、翌月から広告会社に移ることになっていた。ところが11月の給料日に来月から出社しなくていいと社長に言われ、その足で旅行代理店に行って、札幌行きの寝台特急券を購入した。
11月30日。最後の仕事を終え、そのまま上野駅へ。寝台列車のなかでその年の師走を迎えた。
北海道といっても特段行きたい土地はなかったが、高校の後輩が釧路の放送局にいたので訪ねてみるのもいいかと札幌から釧路行きの特急に乗り換えた。
何日か市内を散策したり、湿原に行ったりして過ごし、後輩と酒を飲んだりした。聞いてみると高校の先輩がアナウンサーとして勤務しているという。それで先輩後輩と3人で飲むことになった。
先輩によるとタンチョウヅルを目の前で見ることができる場所があるという。放送局勤務だからそういった撮影スポットをいくつも持っていたのだろう。翌朝、さっそく先輩のクルマで湿原に向かう。滞在中雪はほとんど降らなかったから、この本に出てくる鶴居村の風景には出会えなかった。それでも枯野に舞うタンチョウを見て、北海道にいるんだなと実感できた。
タンチョウヅルにはさほど関心はなかったが、それ以上に興味がないのがオートバイだ。ハーレーダビッドソンだろうが、ドゥカティだろうが、まったく関心がない。僕のような無関心な人間も多いぶん、熱烈な愛情を持つ人間も多いらしい。ハーレーフリークが大勢集まるふたつの短編の中心にいるのがナギという名の女性ライダーである。ナギはハーレーのカスタムビルダーで要はオーダーメードのハーレーを組み立てる職人のようだ。先に書いたように僕はハーレーダビッドソンに興味もなければ知識もない。それでもナギが颯爽と跨り、エンジンをかけて北海道の大地を走る風景は読んでいてくっきりとイメージできる。道がどこまでも続いていくようにそのイメージはどこまでも果てしなくカッコいいと思えるのだ。

2026年5月23日土曜日

朝井リョウ『星やどりの声』

昭和ひと桁世代の父と母はともにきょうだいが7人いた。きょうだいが大勢いたのは当時の地方では当たり前だったのかもしれない。父方のいとこは11人、母方のいとこは17人いた。母方のいとこが多いのは地元に嫁いだ伯母が3人いたせいだと思っている。17人のうち11人は南房総で生まれ育っている。
都内で小学生時代を過ごした。ひとりっ子もいたし、ふたりきょうだいの子、3人きょうだいの子もいたが、仲がよかったもっちゃんは兄ふたり、姉ふたりの5人きょうだい。いちばんきょうだいが多かった。まだまだ少子化なんてことが取り沙汰される前の時代だ。大学時代にも4人きょうだいの友人がいたが、きょうだいはたいてい3人以内だった。長女が幼稚園に通っていた30年前には3人きょうだいは珍しかった。
長女琴美、長男光彦、次女小春と三女るり(このふたりは双子)、次男凌馬、三男真歩。きょうだいが6人いるってどんな感じなんだろう。僕がこのきょうだいの一員だとしたら、何番目なんだろう。この本を読みながらずっとそんなことを考えていた。6人きょうだいに対して実感は湧かないけれど一人ひとりの個性やつながりに関しては大いに共感できる。そういった意味ではリアルな家族だ。
父親が若くして亡くなり、生活も楽ではない。それでも不幸を感じさせないのはこの家族の団結力のせいだろう。とてもすがすがしいひと夏の物語だった。もし映像化されるとしたら、主役は長女役だろう。物語ではきょうだいそれぞれにスポットを当てているが、扇の要に位置しているのは亡き父と深く交流のあった長女琴美だと思うから。きょうだい以外にもいい脇役が必要だ。琴美の夫孝史、ブラウンおじさん、光彦の教え子あおい、るりの同級生ユリカ、短い期間だったが真歩の同級生だったハヤシなど。
朝井リョウの本は2冊目。まだ読んでいない話題作も多い。これから一つひとつ読んでいくのが楽しみになった。

2026年5月18日月曜日

青崎有吾『地雷グリコ』

次女がまだ小さかった頃、住んでいたマンションの階段を使い、グリコで遊んだ。僕はずっとチョキを出し続ける。勝てばチヨコレイトで6段上がる。負けても娘はグリコで3段。そのうちパパはチョキしか出さないと気が付く。グーを出し続け、3段ずつ上っていく。6段差がついたところでパーを出す。パイナツプルで並ぶ。こんな大人げないやり方で子どもたちと遊んできた。考えてみれば、しりとりで語尾を「る」にする「る攻め」も大人げなかった。
この本を知ったのは毎日聴いているラジオ番組で紹介された時だと記憶している。著者本人が出演していたのか、どこかの出版社の編集者が紹介していたのか記憶は定かでない。そのタイトルからいつか読んでみたいなと思っているうちにすっかり忘れてしまっていたが、あるときパソコンの画面に書影があらわれた。それで思い出したように読んでみた。
考えさせられたのはゲームとルールだ。スポーツをはじめてとして、あらゆるゲームにルールがある。ルールには明文化されたルールと暗黙のルールがある。「公序良俗に反する行動言動は慎まなければならない」などというルールが明文化されているスポーツなんておそらくないだろう。
いつの頃からか、コンプライアンスが重視されるようになった。社会が窮屈になり、テレビはおもしろくなくなった。微に入り細に渡って明文化されたルール。暗黙のルールは排除される。保険の定款のようながんじがらめの、隙間のないルール。
地雷グリコにはじまるゲームの数々。はじめのうちは大人しかったが、徐々にエスカレートし、危険になっていく。しまいにはルールに抵触しなければ何をやってもかまわないことになる。ルールで制限されていないことは無制限なのだ。
決められたことだけ守っていれば、後は何をしたって自由だという考え方は今どきの若者たちの特徴なんだろうか。ジェネレーションギャップを大いに感じさせてくれた一冊だった。

2026年5月11日月曜日

向田邦子『眠る盃』

実家の片付けをしていたところ、大きめの金庫と小ぶりな金庫が戸袋にしまわれてあった。大きい方には父の相続関係や登記関連の書類が入っていた。小さい方は持っただけでじゃらじゃら音がするので小銭だろうと思われた。案の定、その中には100円硬貨がじゃらじゃら入っていた。1964年東京五輪の1000円硬貨も何枚か見つかった。昔のお金は買取店に持って行ってもほぼ額面通りでしか買い取ってくれないと知人に聞いたことがある。まあ、額面通りでもお金には違いないからありがたく受け取ることにした。家を片付けてくれてありがとうの気持ちをこめてくれた両親からのお駄賃だと思って。
後日思い立って、「昭和32年 100円」で検索してみた。そのときは買取価格630円だった。よくよく調べてみると昔の100円は銀だった(たしか60%)ので銀地金としての価値があるということらしい(溶かして形を変えることは日本の法律は禁止しているが)。今の100円硬貨は白銅(銅とニッケルの合金)でできている。金属としての価値はほぼない。
100円銀貨は10年前は150円から200円程度で取引されていたようだが、今では500~800円になっている。何百枚と持っているわけではないが、100円玉1枚が600円だと思うとちょっとうれしい。
「荒城の月」のめぐる盃を眠る盃と聴き違えていた少女の頃の思い出を軸に書かれたエッセー集。聴き違えは誰にもある。幼少期の身近な経験だ。僕も「君が代」のさざれ石の巌となりてはさざれ石の岩音なりてだとずっと思っていた。平和な時代に育ったからいいものをその前の時代だったら非国民と罵られたかもしれない。
今の100円硬貨が流通するようになったのは昭和42年。もう60年近い付き合いであるが、僕らが幼少の頃から親しんだ(そんなに多くお小遣いをもらわなかったが)100円銀貨は当時から500円以上の価値があったように思う。

2026年5月6日水曜日

朝井リョウ『世にも奇妙な君物語』

桃太郎は時代によって、地域によっていろいろなストーリーになっている。手の付けようがない悪童だったため鬼退治に行かせたという話を昔何かで読んだ記憶もある。
僕たちが親しんだ桃太郎は雉、猿、犬を従えて鬼ヶ島に鬼退治に行き、鬼の財宝を持ち帰って幸せに暮らすという勧善懲悪の物語である。正義の味方にしておくことが教育的だった時代だ。今もそうかというとそうじゃないらしい。桃太郎は雉たちにきびだんごを与えることで主従関係を結ぶが、今は猿も犬も自主的に協力者になるようだ。鬼も退治されない。話し合いの末、共存する道を選ぶ。財宝は桃太郎が持ち帰り、持主に返すということになっているそうだ。昔の桃太郎で育った世代には「なんだこれ?」って感じだ。
さるかに合戦も猿は反省し、かにたちの仲間になる。考えが違う人間とはわかり合えないということを子どもたちに刷り込まないよう配慮されている。シンデレラだっていじわるをしてきた継母や姉たちとみんなで幸せに暮らすという。
僕たちの時代から二宮金次郎の銅像はあまり見かけなかったが、まだあった小学校でも撤去が続いているという。本を読みながら、薪を背負って歩くという行為が危険であり、ながらスマホを助長するという声があるという。俄かには信じ難いが、こうした声に配慮して座って読書する二宮金次郎の銅像もある。薪を背負ったまま座っているのと薪をおろしているのと二種類あるという。座って本を読むのに薪を背負い続けるのはちょっと笑える。
世の中が変われば、ものの見方も変わる。本来あったものが違う解釈を加えられ、変形していく。本来あったものも変化する社会の中で生きていかなければならないのだ。
朝井リョウをはじめて読む。若くして直木賞を受賞し、先日本屋大賞を受賞した話題の作家だ。
桃太郎など絵本の話はそのなかの短編で読んだ。
たまには新しい本を読まないと世の中の変化に追いつけなくなる。

2026年5月1日金曜日

喜多川泰『手紙屋』

夜の校舎窓ガラス壊してまわったり、盗んだバイクで走り出すことが僕たちの育った時代では当たり前だった(そんなにしょっちゅう起こっていたわけではないが)。体制とか権威とか何かに反抗して生きる時代だった。高度経済成長期で豊かな時代であったにもかかわらず、豊かさに比例するように不平不満も増大していた。

経済が滞り、時代や社会に抗う姿が見られなくなった。こんな世の中とどう協調していくかが若い世代の課題になった。ゆとり世代、ミレニアム世代、Z世代は僕たちのように管理の厳しい教育を受けていない。彼らはなんで窓ガラスを壊してまわらなけりゃならないの、と思うそうだ。

先日ニュースで見たが、近頃の新入社員は管理職になりたいと思わないのだそうだ。責任とプレッシャーを避けたいとか見合った報酬が貰えないとか、そんな理由があるらしい。

喜多川泰の著書を読むのはこれで3冊目。

僕たちの時代ではなく、今の若者たちの立場で読みすすめる。どのようにすれば充実した人生を得ることができるか、そのために何をしなければならないのか。『きみが来た場所』では祖父母が、『運転者』ではタクシーの運転手が主人公を導いてゆく。この本でその役割を担うのは手紙屋である。

読んでいて、思い出したのは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』だ。そのせいか手紙屋は主人公に近い人ではないかとうすうす推察できた。

手紙が媒介する世界なので広がりに欠け、ややもすると理屈っぽくなりがちだ。『きみが来た場所』では想像力的な空間が主人公に啓志を与え、『運転者』ではダイナミックな空間移動が物語をしっかり支える。まったく同じ主題ではないから比較するのも野暮な話だが、やっぱり手紙のやりとりは地味だなと思う。

それでも手紙屋というユニークな着想を得て、若い人たちの「生きる」を支えていく文章は心地いい。ついつい引き込まれ、読みすすめてしまう10通の素敵な手紙だった。


2026年4月26日日曜日

ライフサイエンス編『おもしろ雑学日本地図のすごい読み方』

けっして得意ではなかったが、好きな科目だったのが地理だ。もともと地図とか地名には興味があった。子どもの頃から時刻表の路線図を眺めるのが好きだったせいもある。
ある地名がどうしてそのように呼ばれるようになったのかみたいなことに興味をそそられる。江東区の砂町は江戸時代に砂村新左衛門という人が開拓したことで砂村と呼ばれるようになった。それが町制施行時に砂町にされてしまったのである。いわれを知らない人が単純に村を町に置き換えたのだろう。同じく江東区深川も川から来た地名ではなく、開拓者のひとりである深川八郎右衛門の名前が由来だ。
地名は新しく生まれたり、なくなったりする。僕が生まれ育ったのは品川区二葉。小学校は豊町にあった。二葉も豊町ももともとは蛇窪という町だった。宅地化がすすむなかで蛇窪ではいかがなものかという声があがり、上神明町、下神明町を経て、二葉と豊町になった。いわゆる瑞祥地名である。最近でもないが上神明天祖神社が蛇窪神社と呼称を変えて、古い地名が復活した。この社は最近テレビ番組で取材されたりしたせいか参拝客が増えているという。
母の生まれは千葉県南房総。七浦村の白間津という集落で育った。千田、大川、白間津からなる七浦村は千倉町と合併し、地図上で七浦という地名はなくなった。小学校も中学校もなくなった。かろうじて漁港と郵便局に七浦の名前が残っている。
千葉県習志野市の津田沼は沼があったわけではなく、谷津村、久々田村、鷺沼村の合併によって生まれた合成地名である。杉並区の井荻も井草村と荻窪村の合併で生まれた合成地名だ。合成地名は比較的新しい地名だから古い建物には付いていない。津田沼神社も井荻神社もない(たぶん)。
久しぶりに地図の本。飛地なども含めた県境の不思議や地名の謎など網羅的ではあるが、この手の本は読んでいておもしろい。疲れない。地名と地図はいくつになっても楽しいものだ。

2026年4月20日月曜日

喜多川泰『運転者』

「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど」というのはさだまさし作詞・作曲・歌の「無縁坂」であるが、自身の運に関して真剣に考えたことはない。まあその時々で出会った不運について、「チェッついてねえなあ」くらいに思ったことはきっと何度もあるだろうけれど、たいがいのことはもう忘れている。思い返してみると僕の場合、運がよかった。こんな僕がよく高校に受かったなとか大学に受かったよなと思う。ギリギリのところで運に恵まれたとしかいいようがない。
うまくいかない日々を送っている主人公はある時、不思議なタクシー運転手に出会う。運転手はさまざまな場所に主人公を連れていき、「運」について考えさせる。いつも上機嫌でいること、運はいい、悪いではなく、貯めるもの、使うものである。努力は報われる。たとえその人が報われなくても貯めた運はいつか自分ないしは後の世代が使うことになる。俄かには信じられないが、これが著者の考える運の構造である。
たとえば僕が運を使ってきたのは、両親や祖父母による運の貯めこみ=誰かのために努力することを怠らなかったせいかもしれない。だとしたら僕の後の世代のために僕はどれほどの運を貯めこんできたのかちょっと自信が持てない。
運を貯めるという行為は利他的だと思う。最澄における忘我利他、空海の自利利他に通じるところがある。利他は己を忘れたところにあり、自他ともに利するのが利他である。そして利他的行為は報酬を求めることがない。利己になってしまうから。利他は何かに突き動かされるように沸き起こり、その時点でその行為が利他であるかはわからない。偶然に支配されているのだ。
運を貯める=利他という仮説が正しいかどうかはともかくとして、誰かのために何かを行うということ。そうすることで人は知らず知らずのうちに運を貯めこんでいく。果たして僕はどれくらい運を貯めこんでいるのだろう。皆目わからない。

2026年4月13日月曜日

向田邦子『夜中の薔薇』(再読)

母は二男五女の七人きょうだいの五番目。昨年他界したが、きょうだいのなかではいちばん長生きした。12年前に末の弟を亡くし、7年前にすぐ上の姉とすぐ下の妹を亡くした。とりわけ仲のよかった姉、妹がいなくなった後は少し気持ちも落ち込んでいたように思う。
すぐ上の姉は南房総千倉町の大川という集落に嫁いでいた。大川と東側の千田と西側の白間津はかつて七浦村と呼ばれていた。七浦村は後に千倉町に併合される。地名としての七浦はなくなってしまったが、小学校、中学校の名として残った。そして学校もやがてなくなった。今となってはかろうじて郵便局と漁港にその名を残している。大昔のこと過ぎて自慢にもならないのだが、僕の曽祖父(母型の祖母の父)は七浦村の村長だった。
大川には母のすぐ上の姉ともうひとり、いちばん上の長女も嫁いでいた。大川にはふたりの伯母がいた。
毎年お盆になると伯母の家を訪ねて、線香をあげる。従兄によく冷えた麦茶やアイスコーヒーなどを出してもらって、世間話をし、座敷に飾られた遺影を眺めたりして。母の長姉にあたる伯母は母とよく似ていた。母と顔立ちが似ているのはこの伯母と末っ子の叔父である。子どもの頃、まだ生きていた頃から母によく似た伯母さんがいるんだなと思ったものだ。母のすぐ上の伯母はあまり似ていない。似ていないけれどもどこかで見たような顔立ちである。しばらくしてからふと思った。伯母は向田邦子に似ていると。ここでようやく向田邦子にたどり着く。
最晩年のエッセイを再読する。
文章で身を立てた著者であるから、数多くの読書体験があり、映画、演劇、ドラマなども多く見聞きしてきたであろう。その生き方も自立する女性として憧れの的だったことは間違いない。それでもこの人の文章の根っこには昭和の暮らしが色濃く残る。中流のサラリーマン家庭に育ち、父親の転勤によって日本全国各地を転々とした経験が活かされているのかもしれない。

2026年4月9日木曜日

矢野帰子『駅物語』

子どもの頃、日曜日になるとカメラを手に大井町駅近くの歩道橋に行った。朝、次から次へと寝台特急ブルートレインが九州から東京駅めがけて走ってくる。「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「あさかぜ」といったヘッドマークを付けた電気機関車EF65が牽引していた。
列車や時刻表を眺めるのは好きだったけれども機関車を動かしたり、駅で働きたいとまでは思わなかった。好きではあったが、生活の一部とするような身近なものとは思えなかった。
高校の同級生坂田は大学卒業後、国鉄に就職した。聞けば父親も祖父も国鉄に勤務していたという。鉄道は幼少の頃から密接につながっていた身近な職業だったのかもしれない。
入社後、坂田は九州に配属されたが、民営化の直前に名古屋に異動し、以後JR東海の一員として活躍したようだ。その後キオスク東海や名古屋駅構内のレストランの運営会社に重役として出向したと聞いている。民営化によって鉄道は安全にモノと人を運ぶ装置だけではなくなってきたのだろう。顧客の利便性に加えて、さまざまなサービスが提供されている。
バックヤードという言葉がある。顧客の目にふれない裏方の空間とでもいおうか。駅員でなければ見ることができないバックヤードが駅にはある。ましてや東京駅のような巨大なステーションには複雑怪奇な迷路のような通路が幾重にも重なっているような気がする。
この本のおもしろさは一般乗客が見ることのできないバックヤードが詳細に描写されている点にある。もちろん寸分の狂いもなく安全に列車を運行させる業務は緊張感の連続であり、簡単な仕事ではない。そんな苦労も含めてこの本はバックヤードの物語なんだなと思うのだ。
主人公をめぐるあれやこれやのエピソードにも興味をそそられたが、駅という巨大で複雑な空間につい興味がいってしまう。悩み苦しむ主人公と彼女を支える仲間たちの成長の物語なのに申し訳ない気持ちでいっぱいである。