母は二男五女の七人きょうだいの五番目。昨年他界したが、きょうだいのなかではいちばん長生きした。12年前に末の弟を亡くし、7年前にすぐ上の姉とすぐ下の妹を亡くした。とりわけ仲のよかった姉、妹がいなくなった後は少し気持ちも落ち込んでいたように思う。
すぐ上の姉は南房総千倉町の大川という集落に嫁いでいた。大川と東側の千田と西側の白間津はかつて七浦村と呼ばれていた。七浦村は後に千倉町に併合される。地名としての七浦はなくなってしまったが、小学校、中学校の名として残った。そして学校もやがてなくなった。今となってはかろうじて郵便局と漁港にその名を残している。大昔のこと過ぎて自慢にもならないのだが、僕の曽祖父(母型の祖母の父)は七浦村の村長だった。
大川には母のすぐ上の姉ともうひとり、いちばん上の長女も嫁いでいた。大川にはふたりの伯母がいた。
毎年お盆になると伯母の家を訪ねて、線香をあげる。従兄によく冷えた麦茶やアイスコーヒーなどを出してもらって、世間話をし、座敷に飾られた遺影を眺めたりして。母の長姉にあたる伯母は母とよく似ていた。母と顔立ちが似ているのはこの伯母と末っ子の叔父である。子どもの頃、まだ生きていた頃から母によく似た伯母さんがいるんだなと思ったものだ。母のすぐ上の伯母はあまり似ていない。似ていないけれどもどこかで見たような顔立ちである。しばらくしてからふと思った。伯母は向田邦子に似ていると。ここでようやく向田邦子にたどり着く。
最晩年のエッセイを再読する。
文章で身を立てた著者であるから、数多くの読書体験があり、映画、演劇、ドラマなども多く見聞きしてきたであろう。その生き方も自立する女性として憧れの的だったことは間違いない。それでもこの人の文章の根っこには昭和の暮らしが色濃く残る。中流のサラリーマン家庭に育ち、父親の転勤によって日本全国各地を転々とした経験が活かされているのかもしれない。
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