2023年5月30日火曜日

夏目漱石『草枕』

卓球世界選手権が終わった。日本勢は女子シングルスとダブルスで銅メダル、混合ダブルスで銀メダルと健闘した。
テレビ観戦しながら、ふと混合(ミックス)ダブルスってヘンな呼び方だと思った。男女がいっしょにプレーする競技をあえて規定する時代でもあるまい。アイススケートフィギュアで混合ペアというか?混合アイスダンスというか?男子のダブルスがあって、女子のダブルスがあって、さらに混合があるという発想がどうなんだろう。
卓球王国中国では世界ランカー上位選手たちの厳しい予選によってシングルス、ダブルスの代表を選出する。これはどこの国も同じことだ。中国の場合、選に漏れた実力者が混合ダブルスにまわる。日本にとってはチャンスである。東京五輪で金メダルを獲った水谷隼・伊藤美誠ペアは見事だった。
僕が思うに、これからは団体戦も男女いっしょに国別にすればいい。ダブルスもしかり。混合ダブルスという呼び方はやめて、「ダブルス」と称すべきだ。そのなかで男子だけのダブルスがあり、女子だけのダブルスがある。そんな考え方でいいのではないかと考える。男女でペアを組むダブルス=ダブルスという認識が高まれば、中国だって一線級の選手を送り出してくるだろう。日本をはじめ他の国はこれまでのようにこの種目で金メダルと獲りにくくなるに違いない。しかしそれもレベルアップのためには必要なことだ。
智に働けば角が立つ情に掉させば流されるという書き出しだけを何度も何度も読んできた。その先を読んでみるのははじめてである。
この温泉地はどこだろうと気になった。調べてみると熊本であるという。漱石は熊本の第五高等学校の英語教授として、4年ほど暮らしていたのだそうだ。温泉以外にもかつて住んでいた家や散歩道、茶屋などが漱石ゆかりの場所として観光地になっている。熊本にはいちども行ったことはない。もし訪ねる機会があれば、この温泉は要チェックである。

2023年5月28日日曜日

村上春樹『街とその不確かな壁』

実家から歩いて10分ほどの小さな神社のなかに図書館があった。当時わが家からいちばん近い図書館だった思う。そこからさらに5分ほど歩くと大きな図書館があり、神社のなかの図書館はその分館だった。
こじんまりとした木造二階建ては、当時の小学校の校舎を連想させた。一階は大人向けの本が並び、黒光りした木の階段を昇ると絵本や児童書のコーナーがあったと記憶する。今はもうその場所に図書館はなく、記憶も薄れてきているが、そこは僕が生まれてはじめて訪ねた図書館だった。
図書館にはササキさんという中年の男性がいた。不思議なことにはじめて会ったときから僕と姉のことを知っていた。貸し出しカードの名前を見て、ふたりを知り合いの子だと気づいたのだろう。ササキさんは区役所に勤めていて、その頃この図書館に派遣されていたのだった。父と酒場で知り合ったことはずっと後になってから聞いた。
実家からバス通りを避け、裏道を行く。5分ほど歩くと橋が架かっていた。そう、川が流れていたのだ。西から東へ。昭和40年代に暗渠化されて、今ではバス通りになっている。ほぼ川沿いを歩いて、橋を渡ってたどり着く小さな社のなかにある小さな木造の図書館。今にして思えば、なんと神秘的な場所だったことか。
その後、区内に図書館が増えてきた。大きな図書館が近隣にいくつかできて、いつしか神社のなかの図書館に通うことは少なくなり、そしていつしか図書館もなくなっていた。
村上春樹の6年ぶりとなる新作長編を読む。40年以上前に雑誌に掲載され、その後単行本化されなかった中編の書き直しといわれている。きわめて動きの少ない静かな静かな物語だった。そして昔よく行った図書館を思い出させてくれた。
僕がはじめて通った図書館は本当にもうなくなってしまったのだろうか。どこか知らない街にひっそり佇んでいるのではないだろうか。高く不確かな壁に囲まれて、無数の夢を蔵書として。

2023年5月21日日曜日

東京コピーライターズクラブ、鈴木隆祐『コピーライターほぼ全史』

1980年代にコピーライターブームがあった。僕は当時、小さな出版社にでも潜りこんで編集者になろうと思っていた。
大手広告会社でグラフィックデザイナーを経て、やはり大手の出版社でエディトリアルデザイナーでもあった叔父からコピーライターをめざせとアドバイスをもらった。そこで通いはじめたコピーライター養成講座。思っていたほどコピーは書けなかった。出される課題は橋にも棒にもかからない。唯一、たまに佳作として選ばれるのはラジオCMの原稿だった。話しことばより書き言葉の方が得意だと思っていたのに。
電波媒体の広告制作を仕事とするようになったのにはそんな経緯がある。
かつて広告制作に携わる人はアートディレクターと呼ばれていた。アートもだいじだけど、メッセージもたいせつだよねってことで昭和30年代、それまでの広告文案家はアメリカから輸入されたコピーライターという単語で呼ばれるようになった。コピー十日会を前身とする東京コピーライターズクラブが誕生したのもこの頃である。
この本の最初の方に登場してくる方々は、僕が30歳くらいの頃の上司の上司である(僕の上司もTCCクラブ賞をかつて受賞している)。それから若い世代が台頭してきて、スターがあらわれ、名作コピーの数々が誕生した。商品の差別化が難しくなってきて、広告も少しずつ変わってきた。その変化をいちはやく捉えてヒットCMをつくりだす若きコピーライターまでこの本は網羅している。
磯島拓矢の項に「北海道国際空港(現AIR DO)」とあった。おそらく校正漏れだろう。著者はジャーナリストであるという。致し方ないところであるが、コピーライターなら広告主名はまず間違えることはない。タイトルにある「ほぼ」とは、こうした不完全なところがありますよ、ということか。
まあ、別に目くじら立てて非難するわけではもちろんない。完璧な文章は完璧な絶望と同じくらい存在しないのだから。

2023年5月16日火曜日

宮台真司『14歳からの社会学』

大型連休は特に何をするわけでもなく過ごした。横浜で小津安二郎展でも観ようかとも思ったが、何も混雑する連休に行くこともあるまいと先送りする。
鳴らなかったインターホンを直したり、ベランダの詰まった排水溝をほじくったり、本を読んだり。最後の日曜日を除けば天気もよかったので連日犬たちと散歩もした。それなりに忙しく、充実した日々を過ごした(つもりである)。
この本は3月に区の図書館で予約した。大型連休直前の先月末にようやく用意ができましたとメールが届く。
宮台真司は昨年、八王子の都立大学構内で切りつけられた。衝撃的なニュースだった。社会学者で都立大学教授の宮台真司の名前をこのとき知った人も多いかもしれない。それほどの人なら一冊くらい読んでみよう、ついては難解な著作は避けたい、タイトルを見る限り中学生向けかもしれない、ならば読んでみよう。ということで予約が殺到したのではないかと踏んでいる。かく言う僕もできれば簡単に読める著者の本をさがしていたのである。
宮台真司が難しいとは思っていない。社会学という学問に触れる機会がなかったせいだと思っている。社会科学といわれる学問のなかで法学、経済学にくらべると社会学は(少なくとも僕にとって)歴史の浅い混沌とした分野である。学生時代、一般教養の科目としてあったが、僕は選択していない。いわば食べたことがいちどもない料理みたいなものである。うまいかうまくないかもわからないし、仮にうまかったとしてどこがどううまかったのか理解も説明もしようがない。
著者によれば社会学の巨人は、デュルケム、ウェーバー、ジンメルであるという。なんとなく知っている。本を読んだこともある(もちろん憶えていない)。それはともかく宮台真司の主張はすべて、ではないが、所々納得できる。とりあえず、そういうところだけメモを取ってみる。そのうち全体像が明らかになるかもしれない。ならないかもしれない。

2023年5月9日火曜日

中山淳雄『エンタメビジネス全史 「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』

先月、フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案)が成立した。コロナ禍で菅義偉前首相がエンタメ業界はフリーターが多く関与していて、その処遇を改善したいと語っていたことを思い出す。もちろんこれはフリーランスの言い間違いだろう。
今いる会社はテレビCMをはじめとした映像を制作している。ここのところ訳あって、その歴史を調べている。過去を振りかえるといろんな業種で賞を受賞している。CMの世界にはすぐれたCMを評価するコンクールが昔からあったのだ。
入賞作品を見てみると、食品、電機や精密機械のメーカー、男性用かつら、保険・銀行など金融関係、エステティックサロンなど幅広い。小さい会社ながら、かつては自動車でも入賞作品がある。
賞とはあまり縁がないが、ここ20数年でゲームの仕事が増えている。ゲーム好きのプロデューサーがいるせいもあるだろう(どの制作会社にもいるのだろうが)。僕自身はゲームとは無縁の生活を送っているので仕事にかかわることはほとんどない。近年の制作台帳を見てみるとドラゴンクエスト、バイオハザード、モンスターハンターなどゲームのことをまったく知らない僕でも聞いたことのあるタイトルが並ぶ。
少しはエンタメビジネスを知ろうとこの本を手にとってみた。ここで対象となるエンタメは「興行」「映画」「音楽」「出版」「マンガ」「テレビ」「アニメ」「ゲーム」「スポーツ」の9つの分野。大別するとコンテンツ市場、スポーツ市場、ライブ市場に分けられる。とりわけ興味を持って読んだのは「ゲーム」であるが、一時衰退したと思われる「音楽」「映画」「テレビ」などが思いのほか健闘している、成長している。
エンタメ世界はこれからの日本を支えていく産業になるのだろうか。ちなみに世界のゲーム市場は2025年に30兆円規模になると予想されているそうである。ゲームを知らない僕にはまったく想像しがたい。

2023年4月30日日曜日

安岡章太郎『犬と歩けば』

大型連休に突入した。
昨日は昭和の日。以前読んだ安岡章太郎の『僕の昭和史』を思い出した。劣等生から見た昭和の日々。おもしろかった。常々思うのだが、劣等生で落第をくりかえした安岡がどうして流暢に日本語を綴れるのか不思議でたまらない。天賦の才に恵まれたとしか思えない。
連休が大型であろうが、小型であろうが、在宅勤務で毎日自宅で過ごしているせいか、あまり外出する気にもなれない。行きたいところはあるにはあるが、わざわざ混んでいる休日に出かけることもなかろう。仕事を自分のペースでやりくりして、空いている平日に行ったほうがいい。いつも10人くらい並んでいるラーメン屋だって休日となると倍以上の人が待っている。
ちょっと前には連休を利用して墓参りに出かけることも多かった。南房総は鉄道旅には不便な場所になっている。東京駅か千葉駅から高速バスに乗る。これが当然のことながら混む。普通なら2、3時間の旅が4時間も5時間もかかる。滞在時間1時間半、バスのなか10時間なんてこともあった。墓参りというよりバスに乗りに出かけたようなものだ。
洋犬を飼っていた安岡章太郎は近藤啓太郎のすすめもあって、紀州犬を飼うことになった。安岡は近藤の一学年下。小中学校(青南小、第一東京市立中学)が同じ幼馴染だそうだ。そのせいか、そのせいでないか、安岡はその犬をコンタと名づけた。
紀州犬という犬を見たことがない。調べてみるとソフトバンクのCMに出てくる白い犬に似ている(この犬は紀州犬ではなく北海道犬らしい)。秋田犬にも柴犬にも似ている。日本の犬という感じがする。
前回読んだ『犬をえらばば』は著者の交遊録の色合いが強いが(その登場人物はいずれも犬と関わりを持っている)、この本は自らの飼い犬を中心に記述されている。犬と暮らすのはすこぶる楽しいことであるが、悲しい日もいずれやってくる。それを思うと楽しい毎日が切なくもなる。

2023年4月27日木曜日

安岡章太郎『犬をえらばば』

犬を飼いはじめて10年以上になる。
義妹が飼っていたチワワが仔犬を産んで、そのうちのオス2匹を引きとることになったのである。兄貴と目される大きい方は妻と娘にゴードンと名づけられ、少し小柄な弟はパパが名前をつけていいというので迷わずヨーゼフとした。TVアニメーション「アルプスの少女ハイジ」でアルムおんじが飼っていたセントバーナードから拝借した。体重3キロに満たない小さなヨーゼフ。
基本的な世話は妻がしている。僕の出番は、留守番のときと日々の散歩である。はじめのうちは土日だけしか連れていかなかった。週末になると人の顔色を伺ってはそわそわしたものだ。コロナ禍で在宅勤務になり、天気がよければ毎日連れていくようになった。犬というのはことばはわからないが、雰囲気でわかるという。餌の時間になるとのそのそハウスから出てきてうろうろしはじめるし、そろそろ散歩の時間じゃないかと思うとこっちを見て、尻尾を激しく振る。
安岡章太郎が犬を飼っていたとは知らなかった。遠藤周作、吉行淳之介なども愛犬家であったと知る(愛犬家かどうかは知らないが、とにかく犬を飼っていた)。昭和の作家たちはずっと家にこもって原稿用紙に向かい、夜は酒場で過ごすわけだから(これも偏見かもしれないが)、犬でも飼って散歩させるくらいのことをしなくては身体によくないだろう。この本に登場する作家以外にも犬を飼っていた文筆家は多いかもしれない。
犬を飼っている人に共通するのはその思考だろう。こいつが人のことばを喋れたらなあ、とか、犬は飼い主に似るものだなどということは誰もが思う。どんなにかわいい犬を見ても自分が飼っている犬がいちばんだと思うなど。そういった意味ではこの本は犬を飼っている読者にとってありきたりの内容である。逆にいえば、犬を飼ったことのない人たちはどう読むのだろう。仮に自分がそんな立場だったら。でもそれはなかなか想像するのが難しい。

2023年4月23日日曜日

持田叙子編『安岡章太郎短編集』

昭和50年に僕は高校に入学し、「靖国神社の隣にあり」「暗く、重苦しく、陰気な感じのする」校舎に通った。この短編集に収められている「サアカスの馬」は中学生時代に教科書に載っていた。まさか自分がその学校の生徒になるとは思いもしなかった。
ライコウという先生がいた。雷公なのか雷光か、どう表記するかは知らないが、その名のとおり発雷確率の高い社会科の教師だった。本当の名前は(記憶がたしかならば)林三郎である。
ライコウはこの学校に奉職して50年を超えているという。ひとつの学校に大正時代からいたなんてにわかに信じられない。昔の学校制度は詳しくないが、仮に17、8で師範学校か中学校を出て教職に就いたとすると、僕の入学時には70歳くらいだったのではなかろうか。どうしてひとつのそんなに長く学校にいたのか、それもわからない。僕の出身校の前身は東京府立の中学校ではなく、東京市のそれであった。府立の学校にくらべて数の少ない市立中学では異動も少なかったのかもしれない。
ライコウの担当教科は政治経済だった。僕たちの時代は三年生で履修した。社会科というとメインは日本史、世界史、地理で政治経済と二年時に履修する倫理社会は地味な科目だった。ライコウの授業はほぼ教科書通りだったと記憶しているが、脱線することも多かった。余計な話といっても、政治談議や景気の動向なんかでは決してなく、この学校の偉大なる卒業生の話ばかりであった。いろんな卒業生の名前が出てきた。当時はノートに書いたりしていたが、ほとんど忘れている(このノートが現存すればなあと思うが、いまさら持っていても、とも思う)。頻繁に話題になったのはロケット工学者の糸川秀夫である。「諸君の先輩、糸川君は…」などとよく話していたものだ。
ライコウの余談のなかに究極の劣等生、安岡章太郎が登場することはいちどもなかった。これだけはたしかである(記憶は甚だ曖昧であるけれど)。

2023年4月17日月曜日

夏目漱石『道草』

最近、夏目漱石を読んでいるのは、Kindleで無料だったりするからである。
そう遠くない将来、僕は年金生活を余儀なくされる。今のうちから倹約できるところは倹約したいと思っているのである。図書館も最近になって利用するようになった。ウォーキングついでに立ち寄れる図書館が近隣に多い。今までは音楽CDばかり借りていたが、読みたい本があれば検索して、予約するようにしている(これがなかなか順番がまわってこないのである)。もちろん仕事で必要な本は、今のところ資料代として精算できる。資料として読む本は味気ないものが多いが、たまにすごくおもしろいものに出会える。また楽しからずや、である。
先日、無料本のなかに『ジャン・クリストフ』があるのを知った。ロマン・ロランの大長編小説である。大学生になったばかりの頃読んだ記憶がある。翻訳もそのとき同じ豊島与志雄である。たしか岩波文庫だったと思う。年金生活後、読む本としてチェックしておく。
『道草』は漱石の自伝的小説といわれている。そういわれても、漱石の生涯なんて、教科書の日本文学史程度の知識しかない(しかもほぼ忘れている)。
ロンドンから帰った主人公健三は駒込に住む。兄は市谷薬王寺町に、姉は津の守坂に住んでいる。案外近い。四谷から牛込、早稲田あたりは当然のことながら、漱石のテリトリーである。この辺りはよく歩いた。知らず知らずのうちに散策していたのだ。
ただでさえめんどくさい人間である健三は、養父のことや細君の父のことでめんどくさい日々を送る。めんどくさい主人公が登場するのは漱石の小説では決して珍しいことではない。この作品が自伝的小説で健三が漱石であるとするならば、胃をやられてしまうのもさもありなんと思う。
四谷の荒木町や市谷台あたりも昔はよく歩いた。余丁町から西向天神も永井荷風の足跡をたどって歩いたものだ。そうした町並みをなつかしく思い浮かべながら読み終えた。

2023年4月7日金曜日

浅田次郎『兵諫』

二・二六事件。最後の現場は荻窪だった。
荻窪駅の西。環状八号線を越えたところに光明院という寺がある。いつ頃できたかは知らないが、境内には鐘つき台が設けられている。除夜の鐘もここから聴こえてくるのだろう。当日近隣に住んでいたとしたら、銃声も響いたに違いない。
陸軍教育総監渡辺錠太郎が暗殺された事件現場はこの寺のちょっと先である。さらに線路沿いを歩いていくと本むら庵といういい蕎麦屋がある。実は本むら庵に行くついでに、ああ、この辺りだったのかと知ったのである。本むら庵に行かなければ、僕と二・二六事件は接点のないままだった。
『蒼穹の昴』シリーズ第六部は『兵諌』である。またしてもタイトルが難解だ。
兵諌とは主君の行いを忠臣が剣を取って諌めた故事に由来しているという。兵を挙げて主君の誤ちを諌めるといった意味だろう。二・二六事件もこの小説では兵諌と位置付けられている。この事件に触発された張学良が蒋介石を軟禁する。いわゆる西安事件である。日中のそれぞれの事件につながりがあると見るのが一般的なのかどうかは歴史に疎い僕にはよくわからない。
なつかしい登場人物がいた。陳一豆である。北京で床屋の見習いだった一豆は北洋軍に召集され、張作霖の司令部付きの当番兵になった。その後、宋教仁や張学良の護衛役としてときどき登場していた。華々しい活躍に無縁だった一豆は最後の最後、一世一代の証言者となって張学良をかばい、死刑となる。仮に映画化、ドラマ化される際にはそれなりのキャスティングが必要だろうなどと考える。
このシリーズ、さらなる続編はあるのだろうか。『天子蒙塵』で満洲に渡った二少年の行く末も気になるところだ。
本むら庵の細打ち蕎麦はうまい。が、僕には華奢すぎる。板わさも焼きかまぼこより蒸しかまぼこが好きである。それでもときどきこの店を訪ねるのは蕎麦屋らしい凛とした雰囲気に浸りたいからなのである。空気は大切だ。

2023年3月27日月曜日

宮本常一『忘れられた日本人』

ものごころついた頃から、夏は南房総で過ごしたと何度となく書いている。
だいたい7月の終わりから8月の中頃まで、祖父母と姉と暮らす日々が続いた。お盆になると両親がやってくる。毎日のように浜へ行って泳ぐのであるが、お盆になると地元の子どもたちは海に入らなくなる。この頃、台風が発生しやすくなり、波が高くなる。年寄りたちはしょうろさま(おしょろさま)に連れて行かれるから浜へ行ってはいけないという。しょうろさまとはお盆で帰ってくる霊の乗りものである。海水浴を楽しむのはよそから来たものたちだけになる。
こうした言い伝えを聞いて育った子どもたちも高齢者の仲間入りをしていることだろう。口承は今でも続いているのだろうか。
記録を遺すということはたいせつなことである。記録を遺さなければならないから、改ざんが行われ、ねつ造がなされるのである。
歴史は、記述された資料に則り、時間軸を再構成した過去である。合理的に考えれば歴史のベースは文字ということである。もちろん文字が失われたから歴史が遺されないということでもない。文字とことばを奪われた南米の帝国や文化は構造物や生活習慣のかたちで今に遺っている。
口承は文字化されているわけではない。語り継がれて生き残った風習である。これらが成立するためには村などの地域が共同体として機能していることが大前提になる。宮本常一が各地で聞き取りを行い、記録に遺したのは昭和の時代。地域も家族もまだ空洞化していなかった。
果たして宮本が行ったようなフィールドワークは今でも可能なのだろうか。都市部では共助という発想が希薄になり、農村部は過疎化がすすんでいる。民間伝承の採集といった仕事はかなりやりにくくなっているのではないだろうか。
かつて日本画家東山魁夷は「古い建物のない町は思い出のない人間と一緒だ」と語ったという。思い出のない町から成る日本は思い出のない国になってしまうんじゃなかろうか。

2023年3月23日木曜日

夏目漱石『二百十日・野分』

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、日本代表は決勝戦でアメリカを降し、2009年以来、三度目の世界一に輝いた。大谷翔平をはじめ、どの選手も一定以上の活躍をした結果である。
鈴木誠也が欠場したのは残念だったが、近藤健介がその穴を埋めた。誠也が出場していたら、それほどまで活躍できなかったかもしれない。村上宗隆も見事に復活し、吉田正尚も岡本和真もコンスタントに働いた。決勝トーナメントで当たりが止まったけれど、ラーズ・ヌートバーは予選突破の立役者になった。それでもいちばんプレッシャーを感じたのは監督の栗山英樹だろう。決勝戦の継投は見事だったが、高橋宏斗や大勢が走者を背負った場面の心境や如何にといったところだ。この試合だけは栗山英樹に大いに感情移入した。
テレビで観た全試合のうち、いちばん印象に残ったのは、準決勝メキシコ戦8回裏に犠牲フライを打って4点目をあげた山川穂高だ。この1点がなければ9回裏の逆転劇は生まれなかったかもしれない。出番は少なかったが、山川はいい仕事をしたと思う。
夏目漱石の初期の中編「二百十日」と「野分」を読む。熊本を舞台にした「二百十日」は戯曲のような会話主体の小説である。あまり多くを読まない僕にはよくわからないが漱石の作品にしてはめずらしいのではないだろうか。
嵐の最中、阿蘇に登るふたり、圭さんと碌さん。圭さんの実家は豆腐屋だという。豆腐屋といえば、中国東北部の馬賊張景恵を思い起こす。最近、浅田次郎の『中原の虹』を読んだばかりだからだ。
漱石の小説にはたびたびめんどくさい人が登場する。『虞美人草』の藤尾、『それから』の代助、『門』の宗助のように。「野分」にも高柳、白井道也と、ふたりもめんどくさい人物が出てくる。あまり人のことは言えないが、めんどくさい人はめんどくさいからきらいだ。
そうそう、果敢に盗塁を成功させた山田哲人も今大会では忘れらない選手のひとりである。

2023年3月20日月曜日

浅田次郎『天子蒙塵』

神保町シアターで芦川いづみが特集されていた。
1962年の作品「しろばんば」(滝沢英輔監督)を観た。井上靖の原作は小学生か中学生の頃に読んでいる。御茶ノ水駅で下車し、ギターやサックスを眺めながら駿河台下に向かう。このあたりの風景はあまり変わっていないが、明治大学が高層ビルになっている。明治大学リバティタワーと言うそうだ。見上げると白雲がなびいている。その向かい、かつてカザルスホールのあった建物は日本大学が入っている。
駿河台下の交差点までたどり着く。三省堂書店は改築中だった。仮店舗が神田小川町にあるという。この交差点に三省堂があるのとないのとでは印象がずいぶん違う。
チケットを購入後、カリーライス専門店エチオピアでカレーライスを食べる。8年前の3月に叔父が他界した。映画とカレーライスをこよなく愛する人だった。そういうわけで毎年3月になると頻繁にカレーライスを食べる。スパイスがよく効いていた。
「蒼穹」「中原」「蒙塵」とこのシリーズは題名だけでも未知の言葉を知ることができる。蒙塵とは、天子様が難を避けて逃げ出すことらしい。ふだんの行幸の際は道をあらかじめ清めて通るのであるが、急を要する場合はそれどころではない。頭から塵をかぶりながら進まなければならない。そういう意味らしい。
『蒼穹の昴』で西太后の全盛期を読んだ後、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」をもういちど観たいと思った。このシリーズを読みすすめるうちにとうとうラストエンペラーの都落ちにたどり着いた。蒙塵するのは愛新覚羅溥儀だけではない。国民政府に帰順した後アヘン中毒治療をかねてヨーロッパを歴訪する張学良。この旅も蒙塵のように思える。
梁文秀と李春雲が溥儀の旅の終わり(はじまりか?)に立ち会う。玲玲も含め、皆元気そうでほっとした。軍をはなれた李春雷はもう荒くれ者ではなくなっていた。まったくの好々爺であった。

2023年3月13日月曜日

小幡章『CM制作ハンドブック』

1980年代後半まで、テレビコマーシャルはCFと呼ばれ、文字通りフィルムで撮影され、フィルムで仕上げられていた。その後、撮影はフィルム、編集以降仕上げの工程はビデオで行われるようになる。今ではデジタルカメラで撮影し、デジタルデータを加工するプロセスになっている。フィルムで制作されていた時代はほぼ映画製作の現場と変わらなかったのではないか。
もっと探せばあるのだろうけれど、フィルムでTVCMをつくっていた頃の資料は多くない。制作技法は進歩している。昔の制作方法を記述した書物が有用だとも思えないし、映画関係の文献もテクニカルなことより、コンテンツを主題にした方が断然有意義であるし需要も多いだろう。
そんななかでこの本を見つけた。1990年に発行されている。ちょうどフィルム撮影ビデオ仕上げが一般的になってきた時代である。撮影したフィルムはその日のうちに現像所に運び込まれ、翌日現像し、ポジにプリントされたラッシュを試写する。そんな工程も書かれている。なつかしい。ラッシュはOKカットを選び出した後、「パタパタと通称される」編集機でつながれる。ムビオラ35ミリフィルムビューワーのことだ(僕はムビオラをパタパタと呼んだ記憶はないが)。ムビオラの他にも長編映画の編集で使用されるスタインベックという編集機もあった。
0号チェックにもふれらている。0号チェックとは初号プリントをあげる前の段階として編集されたネガフィルムをそのままポジに焼き付けたプリントをベースに色補正を行う作業である。ねらい通りの色調に仕上がっているか、各カットごとの整合性はとれているかといった視点からカメラマンが中心になって以後プリントする際の注意事項、指示事項を決めていく。初号納品前日の厳かな儀式のようだった。
TVCMの世界にも映画の世界にもこうしたプロセスを記憶する人はやがていなくなることだろう。月日の流れとはそういうことだ。

2023年3月8日水曜日

夏目漱石『虞美人草』

子どもの頃、スポーツで世界に通用する競技がどれほどあっただろうか。
すぐに思い浮かぶのは、男子体操、柔道とレスリング、重量挙げ(当時女子はなかった)、バレーボール。あとはスキージャンプ。競泳で世界と互角に戦える選手もときどきあらわれたが、陸上競技でメダルを獲得したのはメキシコ五輪の君原健二くらいしか思い浮かべることができない。円谷幸吉は実際の記憶に薄いが教科書に載っていたのでよくおぼえている。
この50数年で世界レベルに近づいた競技も多くなった。サッカーやラグビーのワールドカップで強豪国と渡りあうことだってザラである。フィギュアスケートやスピードスケート、バドミントンなど。バスケットボールやバレーボールも国際的な大会では苦戦を強いられているが、若い才能が世界のトップレベルのクラブで活躍している。経済成長の真っ只中、伸び悩んでいた日本のスポーツが課題だらけの少子高齢化の世の中で大きく花開いているのもちょっと皮肉だ。
『虞美人草』は夏目漱石初期の長編。漱石が小説家として活動したのは10年ちょっとだから、初期も後期もないとは思うが。初期のこの作品はさほど深刻なドラマはない。どちらかといえば読みやすい。高慢な女と煮え切らない男。さらにその後の漱石の小説の主役となる神経衰弱の男と実務に長けたリアリストが登場する。
この頃の作品に細かな東京の地名は出てこない。この小説にも出てくるが、東京勧業博覧会が上野で開催されている。場所を特定できるのはこの上野恩賜公園くらいだろう。1907年のことだ。その少し前に東京馬車鉄道が電化され、後に東京市電となるのであるが、この頃はあまり便利な乗りものでもなかったようである。主な移動手段は人力車であることが読んでいてわかる。
もうすぐワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がはじまる。ダルビッシュ有、大谷翔平ら世界レベルのプレーが今から楽しみである。

2023年2月25日土曜日

宣伝会議編、阿部正吉監修『CM制作の基礎知識 プランニングからオンエアまで』

テレビコマーシャルのプロデューサーというと弁が立って、行動力のある人が多い。僕の周囲にいたプロデューサーだけなのかもしれないが。
広告会社のクリエイティブの方で発想法やヒット広告づくりのヒントになるような本を書く人はいるが、CM制作の現場の人間はなかなか実体験を書いたりしない。TVCM制作の、理論ではなく実際に関する書物が少なかったのはひとつには書き手がいなかったからではないだろうか。
この本が発行されたのは1996年。80年代半ばまでTVCMは35ミリフィルムで撮影され、ラッシュを編集し、オプチカル(光学処理)作業を経て完成し、16ミリフィルムにプリントされていた。そのうちに撮影後現像されたネガフィルムをビデオテープに転写して、編集や録音をするようになる。90年代半ばくらいまではこうした手法でつくられていた。90年代半ばくらいになるとコンピューターが身近なものになる。データ化された映像はハードディスクに記録され、編集も録音もデジタルデータとしてスピーディーに加工されていく。著者がこの本を書いたのはちょうどその頃だ。
以降、TVCM制作はデジタルベースで行われる。デジタル主流ということは日進月歩の波に吞み込まれていくことを意味する。新たな技術が生まれ、定着し、コモディティ化されると次なる技術が定着してくる。HDで収録されていた動画も今では4Kがスタンダードである。4Kの膨大なデータを収録できる大容量のストレージが一般的になったことが背景にある。
近年、現場レベルで描かれたTVCM制作の本がほとんどないのはテクノロジーの進歩と無関係ではないだろう。記録しているうちにそれまでのスタンダードはどんどん刷新されていく。そういった意味からすればこの本は1990年代半ばまでのTVCM制作の実際を記した貴重な資料であると言える。欲を言えば、もう少し丁寧な校正が必要だったとは思うけれど。

※この本は2001年、2003年、2006年に改訂新版が発行されている。

2023年2月23日木曜日

高村薫『照柿』

NHKBSで1996年に放映されたドラマ「照柿」が再放送されていた。
原作は高村薫。最初に読んだのは『レディー・ジョーカー』だった。以前お世話になったアートディレクターからおもしろいから是非と薦められたのである。その後DVDで映画を観てから、『マークスの山』を読み、この本にたどり着いた。
作品の発表順からすると、マークス、照柿、ジョーカーなのだが、3→1→2の順で読んだことになる。読み終えたのは2013年1月。もう10年前のことだ。当然記憶は薄れている。合田雄一郎シリーズはその後読んでいない。高村薫の作品は文庫化されるまでけっこう時間がかかったから。
このなかで最初に映像化されたのは今は亡き崔洋一監督の「マークスの山」で合田雄一郎は中井貴一が演じた。「レディー・ジョーカー」は平山秀幸の手によって2004年に映画化されている。合田は徳重聡だった。この作品は合田というより物井薬局店主の渡哲也のほうが主役という印象が濃い。ドラマの「照柿」では三浦友和が合田雄一郎に扮している。いずれにしてもどんなキャストがベストな合田雄一郎かなんてそう簡単には決められまい。
『レディー・ジョーカー』を読んだあと、最初の犯行現場である大田区山王や物井薬局のある萩中あたりを歩いたのを思い出す。『マークスの山』の読後は足立区小台や葛飾区金町、目黒区八雲などを歩いたっけ。この本を読んだあとは拝島や福生あたりを散策するべきだったのだろうが、残念ながら訪ねていない。都下の、個人的にあまり興味の持てない遠い地域だったせいもあるし、この物語における合田雄一郎がパッとしなかったせいもあるかもしれない。そういった意味ではキャストの三浦友和はベストだったかもしれない。
ドラマを見ながら、記憶の頼りなさを実感した。折あらばまた読んでみよう。熱のこもった工場と狭く薄暗いアパートの一室くらいしか印象に残っていないし。

2023年2月20日月曜日

浅田次郎『マンチュリアン・リポート』

「BSチューナーを買って、アンテナも付けたんだけど、映らないんだよ。こんどの休みの日に見てくれないか」
声をかけてきたのは当時僕が所属していた広告会社の副社長道山さんだった。ロンドンやニューヨークで広告ビジネスの経験を有する道山さんは、朴訥とした日本語からは想像しえないような英語を話した。プレゼンテーションの挨拶ではジョークをまじえてクライアントの重鎮たちを笑わせた。もちろん「聞く力」のない僕にはさっぱりわからなかったが。
当時制作を担当していた僕が作業スペースにあるモニターやビデオデッキ、オーディオアンプなどの配線をしていたとき偶然通りがかった道山さんに声をかけられたのである。1989年か1990年の冬だったと思う。NHKがBSの本放送を開始したのは89年の6月だったから。
結論的にいえば、あの手この手を尽くしたもののBSは映らなかった。チューナーの上面にねじ止めされたふたがあり、ねじがゆるんでいた。開けてみると小さなコイルがいくつか並んでいた。おそらく同調用の微調整コイルだろう。
「道山さん、ここを開けて、ドライバーか何かで中の部品、いじりましたか」
映らない理由がなんとなくわかった。アンテナを設置した業者さんに聞いてみてくださいと告げて作業を終えた。
道山さんのお宅で大きな餃子と奥さんが漬けたピクルスをごちそうになった。餃子は大きく、銀座にある天龍という中華料理店のそれとよく似ていた。ピクルスはニンニクの利いた独特の味がした。
「僕はね、満洲で生まれ育ったんだよね。子どもの頃から食べてきた餃子と僕がロシア人から教わったピクルスを女房に教えたんだ。これと同じものをつくってくれって」
満洲という大地もその時代も知らない僕がはじめて満洲に触れたひとときだった。
その後、BS放送は映るようになって、ロンドンやニューヨークから発信されるニュース番組を道山さんは毎日楽しみにしていたという。

2023年2月17日金曜日

浅田次郎『中原の虹』

肥沃な大地、豊かな鉱物資源。中国東北部、満洲は日清日露戦争後、日本にとって夢のような土地だったに違いない。日本は軍部の独断で侵略を進め、この地に満洲国という傀儡国家をつくる。
終戦(ポツダム宣言受諾)間際に突如として日ソ中立条約を破棄したソ連軍が満洲に侵攻する。とにかく昔から侵攻するのが大好きな国だったのだ。満洲に新天地を求めて移り住んできた日本人の多くがこの侵攻の犠牲になる。楽園の大地は地獄と化した。命からがら、日本にたどり着いた者もいる。家族を失い、孤児となった子どもたちもいる。テレビドラマ化された山崎豊子原作『大地の子』にその悲惨さ、壮絶さが描かれている。作家新田次郎の妻で数学者藤原正彦の母、藤原ていは満洲脱出を記録している。小説『流れる星は生きている』である。終戦後の新京から陸路、朝鮮半島を南下する。映画化した小石栄一監督もその過酷な逃避行を哀しく描いている。満洲は多くの日本人にとってうしろめたく、つらく、かなしい歴史となってしまった。
中原(ちゅうげん)という言葉はこの本に出会うまで知らなかった。黄河の中下流域の平原で中華文明発祥の地であるという。『蒼穹の昴』の主な舞台は中原だったが、この続編の主戦場は東北部になる。
かつて満洲から万里の長城を越えて中原の覇者となった女真族。200年以上続いた大清帝国の末期、中国東北部に張作霖があらわれる。『蒼穹の昴』シリーズに登場する唯一絶対のヒーローだ。かっこいい。かっこよすぎる。
張は清を起こした昔日の女真族のように東北部を平らげ、中原をめざす。時代を隔てたふたつの馬賊の活躍が同時進行的に綴られる。その志「民の平安」はゆるぎない。
『蒼穹の昴』で別れ別れになった者たちが、この物語で再会を果たす。涙を誘うとともに救われた気持ちになる。タイトル『中原の虹』とは生き別れたきょうだいを結ぶ架け橋のことだったのではなかろうか。

2023年2月8日水曜日

安藤英男『近世名力士伝 谷風から玉の海まで』

「東方大関清國。秋田県雄勝郡雄勝町出身伊勢ヶ濱部屋」
テレビを通じて場内アナウンスが流れる。土俵上の清國の一挙手一投足をブラウン管のなかに凝視した。色白で端正な顔つき。大き過ぎず、均整のとれた体格。佇まい、居住まいの美しい力士だった。何よりもその見た目が好きでファンになった。
テレビで大相撲を見るようになったのは小学校の四~五年生くらいだったと思う。玉の海と北の富士が同時昇進で横綱になり、大関には琴櫻と清國。その年に突っ張りの前乃山とうっちゃりの大麒麟が大関に昇進し、三横綱、四大関の時代だった。昭和45年は北の富士が3回、玉の海が2回、大鵬が1回優勝している。翌46年も同様に六場所すべてを横綱が優勝。ただ、大鵬が引退、玉の海が急逝という残念な一年でもあった。
大関清國は僕が相撲を見る以前の昭和44年の名古屋場所で優勝している。思い出すのは昭和47年初場所。横綱北の富士、大関前の山が途中休場、大関大麒麟が全休だった。波乱の場所で千秋楽を10勝で迎えた琴櫻と栃東が優勝争いトップ。9勝の力士も優勝の可能性があった(それでも10勝5敗で優勝だとしたらあまり褒められたものでもない)。
琴櫻が破れた直後の結びの一番は優勝争い単独トップに立った平幕栃東とここまで9勝の清國。清國が勝てば前代未聞の10勝力士7人による優勝決定戦となるはずだったが、清國はあっけなく敗れ、栃東が初優勝。がっくり肩を落としたことを今もおぼえている。
先日ラジオに林家木りんという落語家が出演していた。ラジオなのでわからないが身長193センチ。「世界一背の高い落語家」を自称している。聞けば元伊勢ヶ濱親方のご子息であるという。元大関清國の息子はなんと落語家になっていたのだ。
この本は昭和47年に刊行されている。小学生の頃、何度も何度も読んだ本であり、今も書棚に眠っている。清國の息子の声を聴いて、またページを捲りたくなった。

2023年1月29日日曜日

浅田次郎『珍妃の井戸』

アテネ五輪卓球男子シングルスの決勝は韓国の柳承敏対中国の王晧だった。
日本で実況するとユスンミン対オウコウということになる。実際の実況をおぼえていないのでたしかにそうアナウンスされたかどうかわからない。ただ日本では韓国の人は韓国語読みするのに対し中国人の場合は日本語読みする。リュウショウビン対ワンハオとはならない。韓国の呉尚根はオサンウン、朱世赫はチュセヒョクであり、中国の馬龍はマリュウ、張継科はチョウケイカであって、マロン、チャンジイカではない。どうしてなのかは知らない。
浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズを読んでいる。タイトルは『珍妃の井戸』(チンピのいど)だが、文中で珍妃はチェンフェイである。李鴻章(リイホンチャン)や袁世凱(ユアンシイカイ)など歴史上の人物はすぐにおぼえるが、途中でルビが省略されている人物などは前のページに戻って確認したりなどする。少し手間のかかる読書である。
そういえば山崎豊子の『大地の子』では主人公は陸一心。ルーイーシンであり、リクイッシンであった。中国側の登場人物も中国語読みのルビがふられていて読むのに苦労した記憶がある。当時すでに小さい文字が辛くなっていたのである。余談になるが、もし僕が中国残留孤児になるとしたら、やっぱり陸徳志のような養父に育ててもらいたいと思っている。
『珍妃の井戸』を読み終える。
この作品は『蒼穹の昴』の続編ともいえるし、サイドストーリーともいえる(むしろこの本から読みはじめた読者は理解できるのだろうか)。人の記憶はなんとあやふやで頼りないものなのか、そしていかに自分に都合よく再構成してしまうものなのか。おどろきの中国人は、中華思想のもとに生まれ育っているから、やはりそうなってしまうのか。ただ、ここに登場する証言者は誰ひとりとして嘘をついていないと僕は思っている。
さて次に読むのは『中原の虹』。張作霖はチャンヅオリンと読むらしい。

2023年1月27日金曜日

井上ひさし『新釈 遠野物語』

映像やゲームの世界ではVR(バーチャル・リアリティ=仮想空間)技術はごく当たり前のものになっている。体験するにはVRゴーグルまたはVRヘッドセットが必要になる。小型の双眼鏡を顔に固定するイメージである。千円台のものから数万円、十数万円までさまざまなタイプがある。驚くべきことにダイソーなど100均の店にも置いてある(機能的にはそれなりなんだろうけれど)。
VRで視聴する映像というか空間は、当然のことながら日常ではあまり体験できない世界になる。飛行機のパイロットになって空を滑空するとか、ダイビングで海中散歩するなどである。行ってみたいけれどなかなか実現できない世界の秘境を訪れる旅体験なども可能だ。
こうした映像技術はつい娯楽、エンターテインメントの視点からとらえられがちだが、産業、医療、福祉、教育など広い分野で応用可能だと考える。世のため人のためになるVRは魅力的だ。
産業分野では都市の再開発や交通インフラの拡充をよりリアルな姿でシミュレーションができるだろう。医療分野では高い技術力を必要とする外科手術のVRトレーニングを模索している企業もあると聞く。医療以外でもトレーニングが難しく危険を伴う工場や設備のメンテナンスなどでVRは有効だ。実際の店舗をVR上に再現し、仮想空間のなかでショッピングを楽しむなどという使い方も模索されている。
新型コロナウイルス感染拡大は学校教育にも影響を及ぼした。学校行事の相次ぐ中止。なかでも修学旅行の取りやめは残念だったことだろう。もう少しVR技術が普及していれば、多くの学校でVR修学旅行が可能だったに違いない。それはそれで味気ないが。
VRの技術があれば、ゴーグルのなかに山人や河童、天狗などを再現することも可能だろう。この本を読んで強く思った。狐にまんまと騙される体験など、なんと楽しいことだろう。もちろんその際のVRゴーグルは馬のお尻のカタチであるといい。

2023年1月24日火曜日

橋爪 大三郎,大澤 真幸,宮台 真司『おどろきの中国』

浅田次郎の『蒼穹の昴』はたいへんおもしろい小説だった。続編もあるというので楽しみにしている(次に読むのは『珍妃の井戸』だ)。
清朝末期の政変が舞台となっているが、そのあたりの詳しい歴史は知らない。そもそもが中国のことをよく知らない。ただでさえ、清朝末期の歴史は複雑でわかりにくい。列強との小競り合いがあり、内乱があり、新国家建設のための革命が起こる。ウィキペデアで読んだだけではちょっとやそっとじゃ理解できない。どうせなら浅田次郎を読みながら学ぼうと思った。楽しみながら苦手な歴史を学ぶのだ。なかなかいい思いつきではないか。
中国の歴史小説を読んでいくついでに昔読んだこの本をもういちど読み返してみようと書棚をさがしてみた。見つからない。読書メーターによれば2013年3月に読み終えている。
中国という自己中心的な国家が歴史的にどう形づくられ、今に至っているかを識者が解き明かすといった内容だったと思う。この本自体は10年前に上梓されている。今の中国の状況とは多少異なるが、やがて中国が強大な国家として世界に君臨するという想定の上で議論されていたと思う。などと憶えているようなことを書いてはいるが、再読したわけではない。10年前に読んだというあてにもならない記憶を綴っているだけである。なんとも情けない話である。
情けないといえば、年頭、岸田首相が記者会見を行った。賃上げを実現したい。(政府もそのための施策を検討するのだろうが)経済界にも物価上昇率を上回る賃上げの協力をお願いしたいということを語っていた。賃上げを実現するために企業の方々に賃上げをお願いするという無策な会見にびっくりした。経済界が、中小企業も含めてすべての企業が賃上げを実現できるような環境をつくるのが一国の首相の務めなのではないか。経済界にお願いすればほいほいとできてしまうのか、賃上げって。
おどろくべきはお隣の国ではなく、わが国である。

2023年1月15日日曜日

浅田次郎『蒼穹の昴』

このところ本を読むことで自分の無知・無教養を知ることが多い。情けなくなる。
浅田次郎は『鉄道員』で直木賞を受賞し、世に出た作家だと思っていた。それ以前に『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞しており、『鉄道員』の前年に『蒼穹の昴』で直木賞の有力候補者になっていたのだ。知らなかった。
歴史は好きで、日本史も世界史も人並みに興味を持ってきたつもりではいる。19世紀末、清は立憲君主国をめざして、日本でいえば明治維新のような近代化が推し進められる。日清戦争に敗れ、欧州列強諸国がますます勢いづいてきた頃のことである。光緒帝と組んだ改革派(変法派)と西太后率いる保守派が対立し、改革派は追われることになる。戊戌の政変というらしい。へえ、そんなことがあったの?と思う僕は実に不勉強であったと飽きれるばかりである。かろうじて名前のわかるのは李鴻章、袁世凱か。
この作品は、戊戌の政変にかかわった人物を描いていく。もちろん創作であるがたいへんおもしろく読んだ。これだけ中国の歴史に疎い僕がそういうのだから間違いない。これから読んでみたいなあと思う方々にはぜひおすすめしたい一冊である(文庫だと四冊であるが)。
2010年にこの作品はテレビドラマ化されている。そういえばそんな番組あったなあと思う。西太后を演じていたのは田中裕子だった。無教養な人間の海馬にはその程度のことしか残されていない。情けないを通り越して、哀しい。
『蒼穹の昴』には続編があるようだ。『珍妃の井戸』『中原の虹』がそれである。その先もまだあるらしい。ちょっとした連作大河小説だ。
魅力的な登場人物にも出会えた。梁文秀と春児である。彼らの行く末も気になるところでもある。恥のかきついでにもう少し先まで読んでみよう。
このシリーズを読み終えたらベルナルド・ベルトリッチ監督「ラストエンペラー」をもういちど観てみたい。きっと新たな発見があるはずだ。

2023年1月11日水曜日

柳田国男『遠野物語・山の人生』

子どもの頃、母から聞いた話。
母の実家は南房総千倉町の西端、白間津という集落にあった。白間津を越えると白浜町になる。乙浜という漁港のある集落である。白間津の東には大川という集落があり、さらに東の千田という集落で七浦という村を構成していた。白間津は七浦村のはずれであり、千倉町のはずれであった。
白間津と大川の境界あたりは以前は人家に乏しく寂しい地域であった。少し小高いところには洞穴があって、シタダメの貝殻が多く残されていた。シタダメというのはこのあたりでよく食されていた小さな巻貝でおそらく方言なのだろう。正式な名前は知らない。
母がいうにはこの洞穴に手長婆さんという老女が棲んでおり、夜になるとそこに座ったまま長い手を伸ばして磯から貝を取っては食べていたという。ちょっと怖い話でもあるが、おもしろい言い伝えがあるのだなと思ったものだ。と、思っていたら、南房総市のホームページに「南房総にまつわる民話」に紹介されていた。ずっと昔から手長婆の話はあったのである。母の話では残されていた貝殻はシタダメであるが、これを読むとアワビやサザエの貝殻がたくさん出てきたと書いてある。母に聞いた手長婆より、もう少し手が長く、美食家だったのかもしれない。
こんなふうに語り伝えられた話は日本全国、いや世界じゅうにあるだろう。文字にされていなかった語り伝えの物語を顕在化させた柳田国男は偉大だなあと思う。その仕事はいわば物語の考古学だ。かなりの量が発掘されてはいるのだろうが、時間という地層の中に埋もれている話もきっと多いことと思う。
そういえば高校時代の友人川口洋二郎は大学卒業後出版社に勤めている。以前は文庫の編集長だったが、その後柳田国男全集の編纂を担当すると言っていたような気がする。もしかしたら柳田邦男だったかもしれない。柳家小さんだったかもしれない。まあ、またそのうち会うだろうからそのときにでも訊いてみよう。

2022年12月30日金曜日

宮台真司『日本の難点』

先のサッカーワールドカップカタール大会で日本はベスト16。そのなかで最高の評価を受けた日本は出場32カ国中9位になった。決勝トーナメント初戦で敗退した8チームにランク付けを行うことにあまり意味はないだろうが、国際サッカー連盟(FIFA)が決めたのなら、ああそうですかと受け止めるだけである。サッカーの順位なんて試合の勝ち負けで決めるべきであって、それ以外の評価で決めたランキングってなんなんだろう。
決勝トーナメントを観ていて、準々決勝に残ったチームはそれ以外のチームとは格段と力の差があるように感じた。日本代表がめざしていた「景色」の前には大きな壁が立ちはだかっている。それはともかくとして日本サッカー協会は森保一監督の続投を決めたという。あらかじめ設定されていた目標があって、それに到達できなかった場合、たとえば民間企業なら更迭だろう。結果を残せなかったのだから当然だと思う。ドイツとスペインに勝利してベスト16に進出するというが目標だったのなら納得できる。次はその上をめざしてくださいという気にもなる。
次期監督の選定にどんな議論があったかわからないが、代表監督としてW杯に至るまでの好成績(勝率は7割に近い)、本大会の決勝トーナメントに至るまでの善戦で4年後を託したのであれば少し甘い気がする。ベスト8に行けなかったことを重く受け止めた上で、なぜ次を森保に託すのか、きちんと説明している報道もほぼないようだ。多少の失敗は仕方ないとして、よくやったから次回もがんばれよみたいな和やかさがこの国のいちばん危ういところじゃないかとも思う。ベスト8に名を連ねるような国のサポーターたちはもっと自国のサッカーに厳しい視線を送っているのではないか。
今年三冊目の宮台真司。あいかわらず難解である。少しでもわかるところを読んで納得し、難しいところはそのうちわかるだろうというお気楽なスタンスで読み終えた。

2022年12月20日火曜日

夏目漱石『彼岸過迄』

ワールドカップカタール大会。
3位決定戦と決勝をテレビ観戦する。サッカーについてはくわしく知らないが、さすがに世界の頂点に近づけば近づくほど、技術面のみならず、メンタルやフィジカルの強さが際立って見える。これが日本代表が見たかった「景色」なのかと思う。もちろんくわしいことは知らない。にわかファンのつぶやきである。
とりわけ決勝戦のアルゼンチン対フランス。さらにあと30分延長しても勝敗はつかなかったのではないかと思えるような試合だった。ワールドカップの決勝戦なのだから歴史に遺る好ゲームであるのは当たり前なのかもしれないが、1秒たりとも目の離せない120分だった。結果的にはPK戦となって、運を味方につけたアルゼンチンが勝利した。こうした素晴らしい歴史を人々の心に刻むためにワールドカップという大会は存在しているのだと思った。
最近少しずつ読むようにしている夏目漱石。主人公が歩く町を思い浮かべながら読む。
漱石って東京の人なんだなと思う。『三四郎』の谷中、『それから』の代助が住む神楽坂、『門』の宗助が住む崖下の家はおそらくは雑司ヶ谷だ。
この『彼岸過迄』にもさまざまな地名が登場する。敬太郎の下宿する本郷、須永が住む小川町。田口は内幸町、松本は矢来町に住んでいる。それぞれが車(人力車)、電車(路面電車)で往き来する。もちろん歩いても移動できる距離である。東京は狭かったんだと思う。その昔、東京市は15区からなっていた。その後市域が拡大され、東京35区が誕生する。今の23区と原形になる。
冒頭から登場する敬太郎が主人公かと思いきや、実際は田口市蔵だったりする。どっちが主人公かと思わせるところは漱石がしばしば使う手である。
神田小川町から矢来町へは、靖国通りを歩いて飯田橋に出て、神楽坂を上るんだろうなと想像しながら、神楽坂から榎木町方面に歩いて漱石山房に立ち寄るのもわるくないと思った。

2022年12月19日月曜日

スージー鈴木『桑田佳祐論』

サザンオールスターズのファンであるが、熱狂的ってほどでもない。そもそもが熱狂的に応援するアーティストはいないが、ほとんどの曲を聴いているとか、忘れた頃にふと聴きたくなるアーティストなら何人か(何組か)いる。サザンもそのひと組かもしれない。
楽曲を聴くときには詞を重視する。重聴とでもいったらいいのか。好きな作詞家は北山修であったり、中島みゆきであったり、小椋佳、松本隆、阿久悠、なかにし礼であったり…。作詞を専門とする人もいれば、作詞作曲をひとりでこなして、完結させる人もいる。音楽のことはまったくわからないのでどうしても詞を味わう聴き方をしてしまうのである。
サザンがデビューしたのは1978年。僕がめでたく大学に進むことができた年だ。はじめての大学祭、所属したサークルの模擬店で朝方まで酒を飲んで何度も歌ったのが「勝手にシンドバッド」だった。不思議な歌だった。どう考えても前年にヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を合成したようなタイトルだったからだ。
サザンオールスターズの楽曲のほとんどを(KUWATA BANDも含めて)桑田佳祐が作詞作曲を担当している。キャッチーな歌詞、心に沁みるフレーズ、意味不明のことば、こうした要素から歌詞は成り立っている。心に沁みるフレーズは桑田でなくても書くことができる。ずっと気になっていたのはキャッチーで意味不明なことばである。ギターで自作の曲を弾きながら、心に浮かんだことばを「風まかせ」に羅列しているようにも思える。
もしかすると桑田はボーカルを楽器の1パートと考えているんじゃないか。歌声はキーボードやパーカッションのようにバンド編成のひとつ。だから楽曲に与することばを声で構成する。そうすることでボーカルは音楽の一部となって、全体としての楽曲に貢献する。けっして邪魔しない。主張もしない。
それって素晴らしいことだ。

2022年12月11日日曜日

宮台真司『社会という荒野を生きる』

在宅勤務をはじめて1年半ほど経た昨年の10月くらいから運動不足が気になりだした。下手をするとひと月に2~30キロメートルくらしか歩いていないときもあった。スポーツウェアのアンダーアーマーが提供するスマホアプリを導入して、意識的に歩くようにした。目標は低めで月20キロ。その後25~35キロくらい歩くようになった。かれこれ1年以続いている。大学で体育を専攻した高校の先輩が1キロ10分台で歩くのがいいという。なかなか難しい。
11月29日も16時過ぎから歩きに出る。すでに日没は16時半頃。1時間ほど歩いて(だいたい6キロくらい)、帰る時分にはもう真っ暗である。歩き終わってテレビをつける。
16時15分頃、八王子市東京都立大学南大沢キャンパスで男性が刃物のようなもので首、背中、腕などを切りつけられ、重傷を負った。犯人は逃走。その後被害者男性は、同大教授で社会学者の宮台真司だとわかった。授業を終え、キャンパス内の駐車場に向かう途中だったという。
ちょうどこの本を読みはじめたところだったのでびっくりした。その後のニュースで12月7日に退院。防犯カメラに犯人らしき人物が映し出されているようだが、まだ逮捕には至っていない。日没前、あたりはかなり暗くなっていたのではないかと思う。
10月に立憲民主党福山哲郎との対談をまとめた『民主主義が一度もなかった国・日本』を読んで、もう少し宮台真司を読んでみたいと思った。わかりやすそうでいてわかりにくい。ラジオやネットで見聞きする著者の印象にくらべて難解な著作が多いと思う。自身に堆積された深い知識から構築される論理を理解するのがひと苦労であるし、独特の表現、言い回しがあって、慣れないとわかりづらい。もちろん学者であるから語り口は客観的であり、ひとつひとつの術語にも適切な定義が施されている。
今は宮台真司の鋭い舌鋒が復活するのを待つばかりである。

2022年12月4日日曜日

夏目漱石『文鳥・夢十夜』

その日はいつものように12時半過ぎに布団に入った。少しだけ読みかけの本に目を通したが集中できなかったのでイヤホンを耳にさしてラジオをつけた。ラジオ深夜便が世界の天気を伝えている。もう1時なのだ。
目が覚める。外はまだ暗い。ラジオから音はしない。いつも2時間で電源が切れるように設定してある。時計を見る前にラジオをつける。君が代が流れている。続いてスペイン国歌。まもなくカタールワールドカップ一次リーグE組の最終カードがはじまる。起きてテレビ観戦するのもありかなと思いつつ、そのままラジオで聴く。
スペインが先制する。ラジオで聴いている限り、さほど興奮することもない。静かに試合の流れを追う。ハーフタイムを迎える。トイレに行って口をすすいで、布団にもぐり込む。後半がはじまった途端に同点。ここでテレビ視聴に切り替える。テレビをオンにする前にラジオでは逆転ゴールを伝えていた。
夏目漱石晩年の中短編を集めた新潮文庫を読む。胃を患った漱石が痛々しい「思い出す事など」や「文鳥」「永日小品」など歳を重ねたせいか、身体が弱ってきたせいか、心やさしいおだやかな漱石がいる。
日本対スペイン。後半早々逆転に成功したものの、残り時間はまだ40分近くある。負けているときの45分はあっという間だが、リードしていると長い。ボールを支配するのは圧倒的にスペイン。日本が守りに入ったわけではなく、スペインの方が個人技や組織プレーでは格上なのだ。逆転後、はらはらするために起きてテレビの前に座ったみたいだ。アディショナルタイム7分を含めた逆転劇後のゲームを固唾を飲んで見守った。危ない場面もあったが、なんとかリードのまま試合終了。無敵艦隊スペインにワールドカップで勝利するなんて、日露戦争以来の快挙ではないかと思う。
時刻はもうすぐ午前6時になろうとしていた。ここで目が覚めて「夢だったのかと」とならなくてよかった。

2022年11月28日月曜日

池田清彦『SDGsの大嘘』

11月も終わろうとしている。
明治神宮野球大会もいつしか終わっている。大学の部は明治が優勝。高校の部は大阪桐蔭。昨年続く連覇である(高校の部では初)。昨年は秋春を連覇し、夏に三冠をめざしたが、準々決勝で下関国際に敗れた。公式戦で負けたのは昨春の近畿大会決勝智辯和歌山以来だった。今年も大阪府予選、近畿大会を勝ち上がり、明治神宮大会で優勝。松坂大輔の横浜以来の秋春夏制覇をめざすスタートラインに今年も立つことができた。
野球が終わったと思ったらサッカーがはじまった。2022年のワールドカップはカタール開催。いつものように6月開催にすると猛暑であるために11月開催なのだという。それでも連日30℃を超えている。スタジアムは冷房設備があるらしく、報道陣は寒いくらいに空調が効いているという。
一次リーグ初戦のドイツ戦。ヨーロッパの強豪チームにおそらくはコテンパンにやられてしまうのだろうと昔ながらの俄かサッカーファンは思っていた。後半に入って、攻撃的な布陣をしいて、ドイツ守備陣のリズムを狂わせたことが同点、逆転ゴールを生んだという報道である。ドイツは自滅したのである。
二戦目のコスタリカ戦。積極的に攻める日本であったがなかなか得点に結びつかない。サッカーという競技は基本はしっかり守る、ディフェンス主体であるべきで、チャンスに恵まれたら一気に攻める。コスタリカはヨーロッパ伝統のサッカースタイルを貫くチームだった。点の取れない日本はディフェンスで致命的なミスを犯す。ドイツ同様、日本も自滅した。
池田清彦の本を以前一冊読んだ。ラジオ番組で紹介されていた著書だった。
この本もおもしろい。いま誰もが注目しているSDGsに盾を突く。利権が見えかくれしているとか、科学的知見に乏しいとか。さもありなんと思う。
ちなみにこの本はあまりマスコミで取り上げられない。SDGsに対する同調圧力のなかでは致し方ないことなのだろう。

2022年11月17日木曜日

日野行介『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』

「デジタル化」「がん治療」「原発」の3つに共通していることは、はじめたらずっと続けていかなければならない、終わりがないということだ。
コンピュータ。CPUが速くなる。メモリもそれにともなって容量が必要になる。ハードウェアの高速化はソフトウェアの可能性を高めていく。ほんの短いスパンでこうした進化が続く。性能がよくなっても価格はすぐに落ち着いて安価になる。10年前のPCならば何とか使えるかもしれないが、20年前のものだともう使い物にならないだろう。がん治療も同様に次から次へと新しい治療法が生み出される。放射線治療だとか抗がん剤であるとか、くわしいことはわからないが、治療の選択肢は増え、高度化しているようである。
原子力発電に関しては、現時点での知見ではどうにもならない。燃料廃棄物の処理でさえままならない。頭のいい人たちが考えついた未来のエネルギーだったのかもしれないが、プラスチック同様、その先どうする?という視点が圧倒的に欠けていた。もちろんこの先、世の中というか科学技術がどれほど進歩するかわからない。環境にやさしいプラスチックもできるかもしれない。パッパッとふりかけるだけで放射能の放出をなくしてしまう物質がつくられるかもしれない。放射能に汚染された水を海水でうすめて、海に放出するなんて子どもじみた発想もなくなるかもしれない。でももうはじめてしまった。
これら、終わりなき旅の根本にあるのは経済をまわさなければいけない、成長させなければいけないという考え方だ。地方の鉄道は100円稼ぐのに何万円もかかるから、廃止しようなどと議論されている。インフラってその地域に住む人たちの利便性をはかることが主眼じゃないのか。そこから利益を生み出そうという発想に健全さが感じられない。経済をまわさなければ人々に利便性や快適な生活を与えられないのだろうか。
何か間違っているような気がしてならない。

2022年11月11日金曜日

高野光平『発掘! 歴史に埋もれたテレビCM 見たことのない昭和30年代』

一般財団法人ACCが日本広告主協会、日本民間放送連盟、日本広告業協会によって組織されたのが1960年。テレビコマーシャルのすぐれた作品を表彰するACC賞(ACC CMフェスティバル)はその翌61年からはじまった。それまでアニメーションによるCMが多数を占めるなか、実写 CMが増えてきたのが昭和30年代後半である。テレビCMがより身近なものになって、その質が意識されるようになった時代なのかもしれない。
以前、ある広告大手のクリエイティブディレクターが「忘れらてしまうメディアでどう忘れさせないようにするかがCM制作のいちばんのポイント」というようなことを語っていた。印刷媒体の広告と電波媒体のそれの大きな違いはここにある。
著者は茨城大学人文社会学部教授。昭和草創期のテレビコマーシャルに関する著書も多い。昭和30年代のテレビCMはそのほとんどが現存していない。まさに「忘れられて」しまった広告なのである。それでも方々探しまわってアーカイブを見つける。ほとんどが日本最古のCM制作会社といってもいいであろうTCJ(Television Corporation of Japan)に保管されていたというのだ。京都の大学でアニメーションの研究資料として貸与契約を交わしてデジタル化したらしい。
昭和30年代半ばに生まれた僕には本書で紹介されているCMはまったく憶えがない。ただ自分が生まれて物心がつく前、大人たちはこんな暮らしをしていたんだなと思うだけである。
著者は言う。昭和30年代の硬直化した歴史イメージをときほぐし、忘れられた消費生活のプロトタイプ=昭和30年代の多様性とディテールを重視するために歴史に埋もれたテレビCMを掘り起こしているのだと。
誰の記憶にも遺されていないテレビCMたちから時代を読み解くという作業は興味深い反面、途方もない仕事である。テレビCMの考古学といってもいいだろう。

2022年11月6日日曜日

山内マリコ『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』

今年は松任谷由実デビュー50年にあたるという。テレビやラジオに出演する機会も増えている。アーティスト生活50周年を記念するアルバムも発売された。タイトルは「ユーミン万歳!」、CD3枚に51曲が収録されている。デビュー50年という俳優や歌手、タレントはこれまでも多く見てきたけれど、ユーミンよ、おまえもかと思うと少し感慨深い。
7月にラジオでリスナーのリクエストで選ぶユーミンのベスト50という企画がオンエアされた。1位は「守ってあげたい」だった。50年も第一線で活躍しているとファンの年齢層も幅広い。ベストを選ぶというのもなかなかたいへんだ。僕の世代の前後、70年代後半から80年代前半に高校生や大学生だった人たちなら、アルバム「SURF&SNOW」「PEARL PIACE」「VOIGER」「NO SIDE」あたりに収録された楽曲の人気が高いのではないかと思う。僕はどちらかというと荒井由実時代の曲が好きで、「ひこうき雲」~「14番目の月」をよく聴く。
ラジオを聴いていたら、作者である山内マリコが出演している番組があって、この本が上梓されることを知った。
幼少のユーミンが成長して、アルバム「ひこうき雲」を完成させるまでのお話。もちろん小説と銘打っているとおり、フィクションであるだろうけれど、どこまで創作でどこまで事実かわからない。ユーミンは少しずつ大人になっていくなかでその後のヒット曲のヒントになるような出来事や風景に出会う。それはそれでありそうな話であるが、これらは創作のにおいがする。散りばめられたエピソードの数々は丹念に取材をしたのだろう。後々にうまくつながるようになっている。60年代後半の音楽シーンも精細に調べられている。
足の悪い同級生が登場する。シングル曲「ひこうき雲」誕生に関係している。ここがいちばん印象的だった。このエピソードが創作であるとしたら、とてもいい小説だと思う。

2022年10月30日日曜日

宮台真司、福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』

このあいだ杉並区内には3つの川が流れていると書いた。その昔はもっと小さな河川がたくさんあった。そのひとつが桃園川。
桃園川は杉並区天沼の弁天池を源流とし、さらに上流の西側から流れる用水などと合流して東進する。もちろん今は暗渠になっている。流れは弁天池から西南に向かい、JR阿佐ヶ谷駅近くで線路を越える。ちょうどそのあたりから桃園川緑道と呼ばれる遊歩道が整備されている。遊歩道はほぼ東進するかたちで高円寺駅前の先で環状七号線を渡り、しばらくすると中野区に入る。中野区内では中野川と呼ばれていたそうだが、暗渠化されたのが昭和40年くらいのことだから、おぼえている人も少ないに違いない。大久保通りと平行して東進を続け、東中野駅南側の末広橋で神田川と合流する。
先日緑道を歩いてみた。東中野駅から、合流地点をめざし、そこから川上へ遡上した。思ったより蛇行が少ない。渋谷川などもそうだが、都会の川はのびのびしている。
ラジオにときどき出演する宮台真司という社会学者がいる。ちょっと強いことばを選んで、鋭い批判や論評をくり広げる。社会学者、東京都立大教授と紹介されていたが、広範かつ深い知識を持ち合わせているようである。社会学の範疇に留まらない幅広いマトリックスを持っている。それでいてわかりやすい。腑に落ちる。著作も多いようである。読んでみることにする。
この本は民主党が政権交代を果たした2009年に上梓された。同党参議院議員福山哲郎との対談形式。宮台真司の主張はきちん理論武装されていて、わかりやすいが、ときどき難しい。くり返し読んでイメージする。ああ、ここのところ今度ラジオでわかりやすく話してください、とお願いしたいところである。まあ読み慣れていないということもあるだろう。これから少しずつ読んでいって、著者の主義主張を学んでいくしかない。
阿佐ヶ谷駅までたどり着き、いつもの蕎麦屋で鴨せいろを食べた。

2022年10月25日火曜日

夏目漱石『坊っちゃん』

高校バレーボール部のOB会が3年ぶりに開催された。コロナの影響で見送られてきたのである。
それまでは母校の体育館を借りて、現役とOB、OGとの親睦試合を昼間に行い、夜は近くのホテル宴会場に移動して立食パーティーだった。今年は着席ビュッフェ形式で、アクリル板のパーテーションが設けられていた。ビールは注ぎ合うのは禁止で大先輩だろうがみな手酌。この3年間で天地がひっくり返ったような変わり様である。
大先輩といえば今回参加された最年長者は御年90歳だった。母校は大正時代に創立した東京市の中学校である。戦後東京都立の中学校になり、学制改革の際、東京都立の高等学校になった。現在は千代田区立の中高一貫校である。
母校の体育館を借りるというのがこれまた高いハードルになっている。例年7月に使わせてもらっていたが、コロナ以降、学校側の了解が得られないでいる。アフターコロナ時代にバレーボールで懇親というのは難しいのかもしれない。まあOB、OGだけ集まるのなら校外施設の体育館(宿泊もできる)もあるのだけれど。
『坊っちゃん』を読んだのは小学生の頃だ。小学生向けのものを読んだのだろう。ちゃんとした『坊っちゃん』を読むのははじめて。大人向けの『坊っちゃん』はそれなりに大人向けになっているというか、大人の事情が垣間見える。そしてちょっとだけ艶っぽくもある。
それにしてもこの一作で小学生にまでその名を知らしめた夏目漱石という小説家は偉大だ。文豪と呼ぶにふさわしい。その後漱石を読んだのは『こころ』である。おそらくは教科書に載っていたのだろう。自らすすんで読んだ夏目漱石は『三四郎』だと思う。漱石に突如興味を抱いたのではなく、鉄道旅の書籍に触発されたと思われる。川本三郎とか、関川夏央とか。
最近は少し大人になったいうか、ものごとをわきまえるようになったというか、漱石の著作を読んでいる。自分で自分をほめてあげたいと思う。

2022年10月23日日曜日

石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』

杉並区内には3つの川が流れている。
昔はもっとたくさんの中小河川があった。埋め立てられたか暗渠になって、今ではそのほとんどが遊歩道などになっている。3つの川は北から妙正寺川、善福寺川、神田川。いずれもおおざっぱに言えば西から東に流れている。善福寺川は中野富士見町あたりで神田川に合流し、妙正寺川も落合で神田川に文字通り落ち合う。
善福寺川沿いを歩いてみる。大きく蛇行をくり返しているところがこの川の魅力だ。杉並区の中心部に多くの緑地や広場、公園、運動場があるのもこの川が流れているからである。妙正寺川も蛇行しているが、大きく蛇行をはじめるのは中野区に入ってから。
今回歩いたのは環状八号線の南荻窪から善福寺池まで。下流に向かえば、前述のように豊かな緑がひろがるのであるが、その日は上流をめざした。この間、善福寺公園までは緑地や公園などない殺風景な道が続く。小さな蛇行に沿って歩く。川幅がだんだん狭くなっていく。
右岸を歩こうか、左岸を歩こうか、迷いながら行ったり来たりをくり返すうちに善福寺公園にたどり着く。善福寺川は下の池(善福寺池は上と下とふたつの池がある)から小さな滝のような段差を伝って流れていた。
文化放送大竹まことのゴールデンラジオを聴いていたら、この本の著者、ノンフィクション作家石井光太が紹介されていた。センセーショナルなタイトルの本でもあり、ついつい聴きいってしまった。
国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」という4つの力からなる能力と文部科学省では定義づけられているという。著者は、以下のように述べる。「私が思うに国語力とは、社会という荒波に向かって漕ぎ出すのに必要な「心の船」だ。語彙という名の燃料によって、情緒力、想像力、論理的思考力をフル回転させ、適切な方向にコントロールするからこそ大海を渡ることができる」と。
以前読んだ藤原正彦『祖国とは国語』を思い出した。

2022年10月16日日曜日

牟田都子『文にあたる』

毎日新聞朝刊一面の目立たないところに「毎日ことば」という連載がある。間違いやすい言葉や表記の仕方が複数ある言葉、あるいは本来の意味のとおりに使われていない言葉などを取り上げている。問いを投げかけ、答えは紙面のどこかにといったクイズ形式である。新聞社の校閲部が担当しているのだろうことはすぐにわかる。
校正は主に文字や文章の誤りを正す作業で校閲とは書かれている文章の内容や意味の誤りを正す作業ということらしい。多少の違いはあるもののどちらも原作者の書いた文章を100%の状態で世の中に晒すという点では同じ作業と言えなくもない。出版社などでは校正の担当者が校閲的な作業も受け持つという。この本の著者もそのようである。
広告の仕事を長くしてきた。文字校正(モジコウ)は日常的な作業だった。とはいえ映像媒体の校正と印刷媒体のそれとでは緊張感が全然違う。テレビCMで表示される文字量と新聞広告やカタログなどではくらべものにならない。印刷されて残るものと時間がたてば消えてなくなる(忘れられてしまう)のと違いは大きい(最近はユーチューブなどに長くアップされているCMも多いが)。
表現物の校正くらい消耗するのが広告主に提出する提案書の校正だ。誤字脱字はもちろんのこと、表記にも気を遣う。クライアントのホームページに掲載されている文章を参照する。そこで「子供」と書かれていたら、「子ども」や「こども」にしない。理系の会社のパンフレットなどによくあるのはJIS規格に則った表記である。「デジタル」が「ディジタル」、「ユーザー」が「ユーザ」だったりする。
校正には正解がないとも言われる。それでいて100%を求められる。そして校正紙が世に出ることはない。この本のおもしろさは校正のテクニカルではなく、校正者の毎日が描かれているところだ。
そうか、校正ってTVCMの絵コンテやグラフィックデザインのサムネイルみたいな仕事なんだ。

2022年10月10日月曜日

池田清彦『40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する』

井の頭自然文化園で「黒沼真由美展 レースで編む日本のいきもの」が開催されている。こちらで飼育されている日本在来種の動物たちを解剖学的な正確さでレース編みした作品が展示されている。
生物学などとは無縁の人生だったが、生物学者の著書を読んでみる。先月、「大竹まことのゴールデンラジオ」(文化放送)に著者池田清彦が出演していたのをたまたま聴いたのがきっかけである。『40歳からは自由に生きる』とタイトル通りの主張をくりひろげる著者は生物学者。なぜ40歳からかというと最近の研究で人類の自然寿命は38歳くらいなのだそうだ。だから40を過ぎた後の余分な人生は何ものにも縛られることなく、自分で決めた規範に則って生きるべきだと。ただの思いつきであったり、経験談ではない。生物学的な論拠を持っているところがおもしろい。
節制などしてストレスを溜めこむのはよくないだの、がん検診を受けるなだのといったメッセージを発信する。40歳を過ぎると固有名詞が出てこなくなる。このことも記憶のメカニズムに沿って解説してくれる。固有名詞が出てこないのは、さまざまな経験をしてきたことの証であり、経験の量が豊かさを生むとすればその人が豊かな人生を送ってきたがゆえなのである。
人間は前頭連合野の働きで自我が生まれ、未来を見通す能力を持つとしたうえで「昆虫と長年つきあってきた身としては、死の不安や恐怖を覚えることがむしろ幸いに感じられる」とまで言う。「私たちの人生が面白いのは、いつか死ぬことを知っているからであり、(中略)有限の命であればこそ、そして、そのことを知っていて、そのことに恐怖するからこそ、今日楽しくすごしたことが、意義のあるものとなるのだ」と締めくくる。
破天荒な内容にも思われるが、すとんと納得できてしまう不思議な一冊だった。
ひさしぶりに黒沼真由美のレース編みアートを観たあと、吉祥寺駅近くの蕎麦屋で鴨せいろをいただいた。

2022年10月3日月曜日

太宰治『きりぎりす』

軽井沢ではNさんという方が現地の案内をしてくれる。
7月はじめに訪ねたときは浅間山と離山が望める気持ちいい場所というリクエストに対して、見晴台(長野と群馬の県境にある)まで案内してくれた。そしておいしい蕎麦屋に連れて行ってくれた。僕が蕎麦好きであるという情報がどこからかインプットされていたのかもしれない。
7月末に行ったときには横川駅まで連れて行ってもらった。碓氷峠鉄道文化むらでたくさんの鉄道車両にかこまれて楽しいひとときを過ごした。碓井峠のめがね橋も見ることができた。そして信濃追分のおいしい蕎麦屋に案内してくれた。
鉄道車両や鉄道遺産が好きな人だと思ったのだろうか、9月のはじめ、三回目の訪問時には北軽井沢駅に行ってみませんかとNさんから提案される。昔、軽井沢と草津をつなぐ草軽電鉄という路線があった。その駅舎がまだ遺されているという。
木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」を思い出す。日本初の総天然色映画である。
浅間山のふもとで育ち、東京に出てストリッパーになったリリィ・カルメンが帰郷してひと騒動を起こすといった娯楽映画。主演の高峰秀子が草軽電鉄で北軽井沢駅到着する。現存する駅舎には当時のおもかげが残る。Nさんはこんど機会があったら観てみたいと言っていたが、木下恵介監督、高峰秀子主演の映画を観るなら「喜びも悲しみも幾年月」「二十四の瞳」もおすすめだと伝えた。
新幹線のなかで太宰治の短編集を読む。中期の秀作短編集というところか。「姥捨」「畜犬談」「善蔵を思う」「佐渡」などなど。甲府で結婚し、やがて三鷹に落ち着く。この時期の太宰は生涯のなかでも安定した一時期だった思う。
北軽井沢に向かう途中、白糸の滝も見ていきませんかとNさんが言う。いわゆる観光名所には興味がなかったが、案内してもらってよかった。自然は偉大なアーティストだと思った。この日もNさんはおいしい蕎麦屋に案内してくれた。