2022年12月19日月曜日

スージー鈴木『桑田佳祐論』

サザンオールスターズのファンであるが、熱狂的ってほどでもない。そもそもが熱狂的に応援するアーティストはいないが、ほとんどの曲を聴いているとか、忘れた頃にふと聴きたくなるアーティストなら何人か(何組か)いる。サザンもそのひと組かもしれない。
楽曲を聴くときには詞を重視する。重聴とでもいったらいいのか。好きな作詞家は北山修であったり、中島みゆきであったり、小椋佳、松本隆、阿久悠、なかにし礼であったり…。作詞を専門とする人もいれば、作詞作曲をひとりでこなして、完結させる人もいる。音楽のことはまったくわからないのでどうしても詞を味わう聴き方をしてしまうのである。
サザンがデビューしたのは1978年。僕がめでたく大学に進むことができた年だ。はじめての大学祭、所属したサークルの模擬店で朝方まで酒を飲んで何度も歌ったのが「勝手にシンドバッド」だった。不思議な歌だった。どう考えても前年にヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を合成したようなタイトルだったからだ。
サザンオールスターズの楽曲のほとんどを(KUWATA BANDも含めて)桑田佳祐が作詞作曲を担当している。キャッチーな歌詞、心に沁みるフレーズ、意味不明のことば、こうした要素から歌詞は成り立っている。心に沁みるフレーズは桑田でなくても書くことができる。ずっと気になっていたのはキャッチーで意味不明なことばである。ギターで自作の曲を弾きながら、心に浮かんだことばを「風まかせ」に羅列しているようにも思える。
もしかすると桑田はボーカルを楽器の1パートと考えているんじゃないか。歌声はキーボードやパーカッションのようにバンド編成のひとつ。だから楽曲に与することばを声で構成する。そうすることでボーカルは音楽の一部となって、全体としての楽曲に貢献する。けっして邪魔しない。主張もしない。
それって素晴らしいことだ。

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