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2024年4月14日日曜日

安西水丸『水丸劇場』

横浜に行ったのは2019年5月以来だと記憶する。
以前読んだ北浦寛之『東京タワーとテレビ草創期の物語』に取り上げられていた昭和33年の東芝日曜劇場「マンモスタワー」を視たいと思い、横浜の放送ライブラリーを訪れた(おそらくここでしか視聴できないはず)。
テレビ番組のほとんどが生放送だった時代、少しだけ普及しはじめたVTRがこのドラマで部分的に使われている(インサートやオープニングなど)。ドラマの主要部分は生放送だから、台詞の言い間違いなど明らかなNGシーンもそのまま放映されていた。この頃のテレビ番組はほぼアーカイブが残されていないが、今でも視聴できるこのドラマは奇跡と言っていい。主演は人気絶頂の映画スター森雅之。特別出演の森繁久彌が存在感を放っていた。
70分のドラマを見終わって、ふと、去年ある放送局を定年退職した高校バレーボール部の後輩Nからもらった年賀状を思い出した。再就職し、勤務地は横浜だと記されていた。それってもしかして、ここ(放送ライブラリー)じゃないかなと不思議に勘が働いて、物は試し、受付でN〇〇〇さんってこちらにいらっしゃいますかと訊ねてみた。するとどうだろう、内線電話をかけはじめるではないか。
5分後、30数年ぶりでNと再会を果たすことができた。
電車のなかで安西水丸を読む。この本は安西の没後、「クリネタ」というニッチな雑誌に特集された記事を中心にまとめられ、急遽刊行されたものだ。
氏の書いた4コマ漫画やフィクション、カレーライスのこと、眼鏡のことなどさまざまな切り口から生前の安西を忍んでいる。和田誠、黒田征太郎、大橋歩らの追悼文のほかに南青山にあったバー、アルクール店主の勝教彰、水丸事務所を支えた(今でも支えている?)大島明子のコメントも載っている。
あれから10年。多くのファンにとってと同様、安西水丸は僕にとっても忘れられない、忘れてはいけない存在なのである。

2023年5月9日火曜日

中山淳雄『エンタメビジネス全史 「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』

先月、フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案)が成立した。コロナ禍で菅義偉前首相がエンタメ業界はフリーターが多く関与していて、その処遇を改善したいと語っていたことを思い出す。もちろんこれはフリーランスの言い間違いだろう。
今いる会社はテレビCMをはじめとした映像を制作している。ここのところ訳あって、その歴史を調べている。過去を振りかえるといろんな業種で賞を受賞している。CMの世界にはすぐれたCMを評価するコンクールが昔からあったのだ。
入賞作品を見てみると、食品、電機や精密機械のメーカー、男性用かつら、保険・銀行など金融関係、エステティックサロンなど幅広い。小さい会社ながら、かつては自動車でも入賞作品がある。
賞とはあまり縁がないが、ここ20数年でゲームの仕事が増えている。ゲーム好きのプロデューサーがいるせいもあるだろう(どの制作会社にもいるのだろうが)。僕自身はゲームとは無縁の生活を送っているので仕事にかかわることはほとんどない。近年の制作台帳を見てみるとドラゴンクエスト、バイオハザード、モンスターハンターなどゲームのことをまったく知らない僕でも聞いたことのあるタイトルが並ぶ。
少しはエンタメビジネスを知ろうとこの本を手にとってみた。ここで対象となるエンタメは「興行」「映画」「音楽」「出版」「マンガ」「テレビ」「アニメ」「ゲーム」「スポーツ」の9つの分野。大別するとコンテンツ市場、スポーツ市場、ライブ市場に分けられる。とりわけ興味を持って読んだのは「ゲーム」であるが、一時衰退したと思われる「音楽」「映画」「テレビ」などが思いのほか健闘している、成長している。
エンタメ世界はこれからの日本を支えていく産業になるのだろうか。ちなみに世界のゲーム市場は2025年に30兆円規模になると予想されているそうである。ゲームを知らない僕にはまったく想像しがたい。

2021年1月30日土曜日

角田光代『私はあなたの記憶のなかに』

天気のいい午後、荻窪駅からバスに乗る。
芦花公園駅に行く関東バスである。千歳烏山まで行くのもあれば、さらにその先の北野行きもある。なんどか乗ったことがある。たいていはバス停から数分の世田谷文学館に行くときに利用する。おぼえているのは坂本九の時代の展示、たしか上を向いて歩こう展というタイトル(だったか)、和田誠展にも行ったことがある。他にも行ったと思うけれどおぼえていない。
今回は「あしたのために あしたのジョー!展」である。少年マガジンに連載された人気漫画「あしたのジョー」には夢中になった。厳密にいえば、その後テレビアニメーションになってからだと思う。四方田犬彦が1968年を検証するような書物を書いていたと思うが、子どもではあったけれど、すごい時代だった。
その傑作漫画のストーリーを、ちばてつやが描いた原画などを通して概観する。手描きの漫画原稿のなんと味わい深いことか。スミベタの筆のタッチなんか感動的だ。
タイトルの「あしたのために」は、この漫画のキーワードだった。その時代のキーワードといってもいいかもしれない。僕たちは「左ひじをわきの下からはなさぬ心がまえでやや内角をえぐりこむように打つべし、打つべし!」したものだ。誰もがみんな矢吹丈だった。
角田光代の小説をひさしぶりに読んでみる。短編集である。
そのなかの一編「おかえりなさい」を読んで、学生時代に高校の先輩に頼まれたアルバイトを思い出す。住宅街に行って、アンケート用紙をくばり、後日回収するというものだった。まずはアンケート用紙を受け取ってもらえない。回収に行っても不在であったり、まともな回答はほとんど得られなかった。結局どうしたか。ご想像におまかせするしかない。
記憶の彼方の、遠い遠い記憶であるが、もしかしたら当時歩きまわった住宅街は世田谷のこのあたりだったのではなかっただろうか。
頭のなかでジャブを連打しながらふと思い出した。

2021年1月5日火曜日

安西水丸『東京エレジー』

正月は例年通り、何をすることもなく過ごした。
2日、テレビでドラマを視ていたら、毎年夏訪れる南房総の風景が映っていた。TBSで放映された『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』いわゆる「逃げ恥」である。
子どもが生まれ、新型コロナウイルス感染拡大のため両親の住む館山に疎開したみくり(新垣結衣)が散歩している。バックに海がひろがり、遠くに家満喜(やまき)冷凍工場が見える。家満喜さんは白浜町乙浜の大きな魚屋で、以前は木村浅廣さんが営んでいた。父の同級生で親友だった。その手前に見えるのはアヴェイル白浜というリゾートマンションだ。その裏手に父の実家がある。みくりが子どもを連れてやってきた公園は塩浦海岸沿いにある。毎年夏休みになると祖父に連れられて泳ぎに行った浜だ。今では標準語っぽく「しおうら」と呼んでいるが、地元に行くと「しょーら」という。だからテレビを視ていて、「あ、しょーらの浜だ、ここ」と思ったわけである。
次にみくりと平匡(星野源)が電話で会話するシーンがある。白浜町と隣接した千倉町の白間津である。みくりは南房千倉大橋という比較的最近できた橋の上にいる(1989年に開通しているが、少なくとも僕の子ども時代にはなかった)。平匡は橋の北側、白間津漁港あたりに車を停めている。千倉大橋の歩道には、ここ白間津で少年時代を過ごしたイラストレーター安西水丸が描いたタイル絵が埋め込まれている。
この本は1982年に青林堂から出ている。その2年前に出版された『青の時代』が千倉時代の回想であるとすれば、本書は中学卒業後上京した時代が舞台になっている。具体的な場所はわかりにくくなっているが、赤坂、護国寺、荒木町、井草、井の頭あたりか。千倉で過ごした少年時代はなりをひそめ、東京人としての安西水丸がこのあたりからはじまる。どことなくよそよそしい目で東京をながめている感じがいい。

2020年12月2日水曜日

安西水丸『青の時代』

1977年にブロンズ社から『安西水丸ビックリ漫画館』という本が出版されている。当時彼は漫画雑誌「ガロ」やサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」に漫画を載せていた。
『青の時代』は1980年に青林堂から出ている。この80年版を持っていたのだが、どこかにいってしまった。後に買ったのは87年版で装丁が少し違う。70年代から80年にかけての安西水丸を僕は新進気鋭の漫画家だと思っていた。
82年に松任谷由実のアルバム「PEARL PIERCE」が発売される。歌詞カード(ブックレットと呼ぶらしい)に描かれていたイラストレーションを見て、そしてその翌年だったか、書店で見た村上春樹の短編集『中国行きのスロウ・ボート』の表紙イラストレーションで安西水丸はメジャーなイラストレーターになったのだと知る。
その後もシュールな4コマ漫画を描き続けたけれど、この80年代はじめ以降、安西水丸は水丸ワールドを確立し、確固たる地位を築いていく。そういった意味からすると彼の“漫画家”時代の著作、特に南房総千倉で過ごした幼少時代と赤坂丹後町から護国寺の高校に通っていた青春時代が描かれている本書は貴重な史料だ。
千倉町の風景は暗く描かれている。陽光にめぐまれた太平洋の青々とした海原も、5人の姉もみな嫁ぎ、母とふたりで暮らしていた寂しい少年の目からは深い青色だったのだろう。中学卒業と同時に上京し、高校生活をスタートする。慣れない東京で、友だちもいなかった。
四谷荒木町に叔母がいた。長唄の師匠だったというが、くわしいことは知らない。その家か、その近所に同い年の少年がいて、10代の水丸の唯一の友だったとどこかで聞いた気もするが、くわしいことは知らない。
安西水丸のイラストレーションの特徴は、シンプルな線と透明感であるとよく言われる。しかしその絵のずっと奥の方には海の底のような深い青の時代が隠されているような気がしてならない。