「東方大関清國。秋田県雄勝郡雄勝町出身伊勢ヶ濱部屋」
テレビを通じて場内アナウンスが流れる。土俵上の清國の一挙手一投足をブラウン管のなかに凝視した。色白で端正な顔つき。大き過ぎず、均整のとれた体格。佇まい、居住まいの美しい力士だった。何よりもその見た目が好きでファンになった。
テレビで大相撲を見るようになったのは小学校の四~五年生くらいだったと思う。玉の海と北の富士が同時昇進で横綱になり、大関には琴櫻と清國。その年に突っ張りの前乃山とうっちゃりの大麒麟が大関に昇進し、三横綱、四大関の時代だった。昭和45年は北の富士が3回、玉の海が2回、大鵬が1回優勝している。翌46年も同様に六場所すべてを横綱が優勝。ただ、大鵬が引退、玉の海が急逝という残念な一年でもあった。
大関清國は僕が相撲を見る以前の昭和44年の名古屋場所で優勝している。思い出すのは昭和47年初場所。横綱北の富士、大関前の山が途中休場、大関大麒麟が全休だった。波乱の場所で千秋楽を10勝で迎えた琴櫻と栃東が優勝争いトップ。9勝の力士も優勝の可能性があった(それでも10勝5敗で優勝だとしたらあまり褒められたものでもない)。
琴櫻が破れた直後の結びの一番は優勝争い単独トップに立った平幕栃東とここまで9勝の清國。清國が勝てば前代未聞の10勝力士7人による優勝決定戦となるはずだったが、清國はあっけなく敗れ、栃東が初優勝。がっくり肩を落としたことを今もおぼえている。
先日ラジオに林家木りんという落語家が出演していた。ラジオなのでわからないが身長193センチ。「世界一背の高い落語家」を自称している。聞けば元伊勢ヶ濱親方のご子息であるという。元大関清國の息子はなんと落語家になっていたのだ。
この本は昭和47年に刊行されている。小学生の頃、何度も何度も読んだ本であり、今も書棚に眠っている。清國の息子の声を聴いて、またページを捲りたくなった。
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