毎週土曜日は文化放送の「伊東四郎 吉田照美 親父・熱愛(おやじパッション)」を聴いている。
驚かされるのは伊東四朗の記憶力だ。子どもの頃歌った歌や往年のヒット曲を口ずさんだり、共演した俳優との思い出話をはじめ、ありとあらゆることを記憶している。台詞を憶えるのが役者としての最低限の仕事と心得ていて、常日頃から記憶力を鍛錬しているともいう。円周率は1000桁まで諳んじていて、楽屋などで時間があれば呟いているそうだ。歴代の天皇、アメリカの州などもすいすいと口から出てくるらしい。
御歳87歳。来年は米寿を迎える。喜劇の世界はもちろん、現役で活躍する芸能人としても貴重な存在であるが、その脳内に演劇人としての膨大な経験やデータが蓄積されている。伊東四朗にインタビューして、東京喜劇の今昔を解き明かそうとした著者のねらいは正しかった。
伊東四朗は俳優としてじゅうぶん過ぎるほどのベテランであるが、伊東四朗といえば〇〇といった代表的なキャラクターはない。渥美清や森光子、高倉健のような代表作がない。人によってはベンジャミン伊東だ、おしんの父親だと思うかもしれないが、どうにも絞りきれない。もちろん主役の人ではない。いい脇といった役どころが多い。喪黒福造のように主役を張ったところで長くは続けない。ひとつの役にしがみつく野暮さがない。東京の喜劇人なのだ。
僕にとって伊東四朗はてんぷくトリオの伊東四朗だ。押し出しの強い三波伸介と戸塚睦夫の間でひっそりと存在感を示していた。著者の笹山敬輔は1970年代のてんぷくトリオもベンジャミン伊東も知らない。にもかかわらず、伊東の若き日を見事に描き出している。同じ著者の『ドリフターズとその時代』を以前読んだことがある。丁寧な取材をベースにテレビや演芸の、著者自身が体験できなかった歴史を解き明かす。
この本は先のラジオ番組で知った。難しそうな印象だったが、そんなことはなかった。
2024年7月29日月曜日
2023年5月16日火曜日
宮台真司『14歳からの社会学』
大型連休は特に何をするわけでもなく過ごした。横浜で小津安二郎展でも観ようかとも思ったが、何も混雑する連休に行くこともあるまいと先送りする。
鳴らなかったインターホンを直したり、ベランダの詰まった排水溝をほじくったり、本を読んだり。最後の日曜日を除けば天気もよかったので連日犬たちと散歩もした。それなりに忙しく、充実した日々を過ごした(つもりである)。
この本は3月に区の図書館で予約した。大型連休直前の先月末にようやく用意ができましたとメールが届く。
宮台真司は昨年、八王子の都立大学構内で切りつけられた。衝撃的なニュースだった。社会学者で都立大学教授の宮台真司の名前をこのとき知った人も多いかもしれない。それほどの人なら一冊くらい読んでみよう、ついては難解な著作は避けたい、タイトルを見る限り中学生向けかもしれない、ならば読んでみよう。ということで予約が殺到したのではないかと踏んでいる。かく言う僕もできれば簡単に読める著者の本をさがしていたのである。
宮台真司が難しいとは思っていない。社会学という学問に触れる機会がなかったせいだと思っている。社会科学といわれる学問のなかで法学、経済学にくらべると社会学は(少なくとも僕にとって)歴史の浅い混沌とした分野である。学生時代、一般教養の科目としてあったが、僕は選択していない。いわば食べたことがいちどもない料理みたいなものである。うまいかうまくないかもわからないし、仮にうまかったとしてどこがどううまかったのか理解も説明もしようがない。
著者によれば社会学の巨人は、デュルケム、ウェーバー、ジンメルであるという。なんとなく知っている。本を読んだこともある(もちろん憶えていない)。それはともかく宮台真司の主張はすべて、ではないが、所々納得できる。とりあえず、そういうところだけメモを取ってみる。そのうち全体像が明らかになるかもしれない。ならないかもしれない。
鳴らなかったインターホンを直したり、ベランダの詰まった排水溝をほじくったり、本を読んだり。最後の日曜日を除けば天気もよかったので連日犬たちと散歩もした。それなりに忙しく、充実した日々を過ごした(つもりである)。
この本は3月に区の図書館で予約した。大型連休直前の先月末にようやく用意ができましたとメールが届く。
宮台真司は昨年、八王子の都立大学構内で切りつけられた。衝撃的なニュースだった。社会学者で都立大学教授の宮台真司の名前をこのとき知った人も多いかもしれない。それほどの人なら一冊くらい読んでみよう、ついては難解な著作は避けたい、タイトルを見る限り中学生向けかもしれない、ならば読んでみよう。ということで予約が殺到したのではないかと踏んでいる。かく言う僕もできれば簡単に読める著者の本をさがしていたのである。
宮台真司が難しいとは思っていない。社会学という学問に触れる機会がなかったせいだと思っている。社会科学といわれる学問のなかで法学、経済学にくらべると社会学は(少なくとも僕にとって)歴史の浅い混沌とした分野である。学生時代、一般教養の科目としてあったが、僕は選択していない。いわば食べたことがいちどもない料理みたいなものである。うまいかうまくないかもわからないし、仮にうまかったとしてどこがどううまかったのか理解も説明もしようがない。
著者によれば社会学の巨人は、デュルケム、ウェーバー、ジンメルであるという。なんとなく知っている。本を読んだこともある(もちろん憶えていない)。それはともかく宮台真司の主張はすべて、ではないが、所々納得できる。とりあえず、そういうところだけメモを取ってみる。そのうち全体像が明らかになるかもしれない。ならないかもしれない。
2020年4月1日水曜日
大場俊雄『早川雪洲-房総が生んだ国際俳優』
映画撮影の現場ことばで「セッシュ(あるいはセッシュー)する」という用語がある。
とりたてて専門用語というほどのことではないが、画面上高低のバランスがよくないとき、低い方に下駄を履かせて(実際には箱馬か平台にのせて)、構図を調整することをさす。
1900年代はじめ単身でアメリカに渡り、ハリウッドスターになった早川金太郎(雪洲)は女優たちにくらべて身長が低く(172センチといわれている)、ツーショットのシーンなどでは踏み台にのせなくてはならなかった。こうした撮影現場での工夫はそれまでも行われてきたが、早川雪洲によって言語化されたというわけだ。多少なりとも日本人に対する偏見があったかもしれない。
「セッシュする」はその後、人物だけではなく、撮影する被写体全般にも使われる。小道具や撮影用商品もしばしば「セッシュ」される。
1907(明治40)年、房総沖でアメリカの大型商船ダコタ号が座礁する。
白浜や乙浜、七浦など地元集落から漁船を出すなど、大勢の村人が救出にあたったという。そのとき、通訳として活躍したのが東京の海城学校(現海城高等学校)で海軍士官学校をめざして英語を学んだ雪洲であったと地元では語られていた(語っていたのは実は千葉県七浦村、現南房総市千倉町出身の母だったりする)。ところがそれは事実ではないらしい。調べてみると通訳にあたったのは雪洲の兄であった。ハリウッドに渡って大スターになった地元の英雄早川雪洲が伝説化して、いつしか語り継がれてしまったのかもしれない。
著者大場俊雄は、館山市出身。東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業後、教職を経て、千葉県の水産試験場であわびの増殖の研究に従事していた。千倉町の漁業関係者に聞き取り調査をすすめているうちに伝説のスター早川雪洲の存在を知ったという。
研究者ならではの綿密かつ正確な調査が雪洲の正しい生涯を明らかにする。背筋の伸びたきちんとした著作である。
とりたてて専門用語というほどのことではないが、画面上高低のバランスがよくないとき、低い方に下駄を履かせて(実際には箱馬か平台にのせて)、構図を調整することをさす。
1900年代はじめ単身でアメリカに渡り、ハリウッドスターになった早川金太郎(雪洲)は女優たちにくらべて身長が低く(172センチといわれている)、ツーショットのシーンなどでは踏み台にのせなくてはならなかった。こうした撮影現場での工夫はそれまでも行われてきたが、早川雪洲によって言語化されたというわけだ。多少なりとも日本人に対する偏見があったかもしれない。
「セッシュする」はその後、人物だけではなく、撮影する被写体全般にも使われる。小道具や撮影用商品もしばしば「セッシュ」される。
1907(明治40)年、房総沖でアメリカの大型商船ダコタ号が座礁する。
白浜や乙浜、七浦など地元集落から漁船を出すなど、大勢の村人が救出にあたったという。そのとき、通訳として活躍したのが東京の海城学校(現海城高等学校)で海軍士官学校をめざして英語を学んだ雪洲であったと地元では語られていた(語っていたのは実は千葉県七浦村、現南房総市千倉町出身の母だったりする)。ところがそれは事実ではないらしい。調べてみると通訳にあたったのは雪洲の兄であった。ハリウッドに渡って大スターになった地元の英雄早川雪洲が伝説化して、いつしか語り継がれてしまったのかもしれない。
著者大場俊雄は、館山市出身。東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業後、教職を経て、千葉県の水産試験場であわびの増殖の研究に従事していた。千倉町の漁業関係者に聞き取り調査をすすめているうちに伝説のスター早川雪洲の存在を知ったという。
研究者ならではの綿密かつ正確な調査が雪洲の正しい生涯を明らかにする。背筋の伸びたきちんとした著作である。
2019年10月28日月曜日
矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』
縁は異なものというが、本のつながりもまたおもしろい。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。
2019年9月11日水曜日
鹿島茂『パリの日本人』
9月9日早朝千葉県に上陸した台風15号による被害が凄まじい。
南房総市にある父の実家では瓦が4枚飛んで、大きな窓ガラスが3枚割れたという。近くに住む叔母から連絡をもらった。Twitterで情報を収集してみると千葉県の大半は停電が続いており、断水している地域も多いという。固定電話も携帯電話もつながらない状況で、今日(11日)も場所によっては復旧の見込みが立っていない。
状況がわからない9日朝叔母に電話をかけた。つながらない。隣の集落にいるもうひとりの叔母にもつかながらない。とりあえずメールで訊ねたところ、夕方になって被害の状況を知らせる返信があった。携帯の回線はときどきつながるのだろう。奇跡的に返信をもらった。
取り急ぎ状況確認に駆けつけたいのであるが、鉄道も高速バスも止まっている。今日の時点で高速バスは東京~館山間のみ運行、JRは木更津~安房鴨川間が運休。館山までバスで行ってもそこから先の路線バスが止まっている。
台風の通過後、猛暑がやってきた。停電したまま3日目を迎えている。地域のコミュニティセンターには電源が確保されていて、スマートフォンの充電もできるという(回線はつながっていないけれど)。叔母らの不便を考えるといてもたってもいられない。もちろん行ったところで何ができるわけでもないのだが。
Twitterでは千葉県の南の方の被害があまり報道されていないという声があがっている。そんな中、熱中症による犠牲者も報道されていた。叔母やいとこたちだけでなく、父のいとこや遠い親戚などに高齢者もいて、気がかりだ。
この本は明治以降、パリに憧れ、訪れ、学び、遊んだ人々の貴重な記録だ。パリが古くから多くの日本人を魅了してきた町であることがうかがえる。タイトルはヴィンセント・ミネリ監督の「巴里のアメリカ人」をもじったものだろう。しゃれている。
たいへん興味深い内容だったのだが、今日はこの辺でとどめておく。
南房総市にある父の実家では瓦が4枚飛んで、大きな窓ガラスが3枚割れたという。近くに住む叔母から連絡をもらった。Twitterで情報を収集してみると千葉県の大半は停電が続いており、断水している地域も多いという。固定電話も携帯電話もつながらない状況で、今日(11日)も場所によっては復旧の見込みが立っていない。
状況がわからない9日朝叔母に電話をかけた。つながらない。隣の集落にいるもうひとりの叔母にもつかながらない。とりあえずメールで訊ねたところ、夕方になって被害の状況を知らせる返信があった。携帯の回線はときどきつながるのだろう。奇跡的に返信をもらった。
取り急ぎ状況確認に駆けつけたいのであるが、鉄道も高速バスも止まっている。今日の時点で高速バスは東京~館山間のみ運行、JRは木更津~安房鴨川間が運休。館山までバスで行ってもそこから先の路線バスが止まっている。
台風の通過後、猛暑がやってきた。停電したまま3日目を迎えている。地域のコミュニティセンターには電源が確保されていて、スマートフォンの充電もできるという(回線はつながっていないけれど)。叔母らの不便を考えるといてもたってもいられない。もちろん行ったところで何ができるわけでもないのだが。
Twitterでは千葉県の南の方の被害があまり報道されていないという声があがっている。そんな中、熱中症による犠牲者も報道されていた。叔母やいとこたちだけでなく、父のいとこや遠い親戚などに高齢者もいて、気がかりだ。
この本は明治以降、パリに憧れ、訪れ、学び、遊んだ人々の貴重な記録だ。パリが古くから多くの日本人を魅了してきた町であることがうかがえる。タイトルはヴィンセント・ミネリ監督の「巴里のアメリカ人」をもじったものだろう。しゃれている。
たいへん興味深い内容だったのだが、今日はこの辺でとどめておく。
2018年10月31日水曜日
デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』
日本も人口減少がはじまった。2040年代には毎年100万人以上のペースで減っていくという。一年ごとに仙台市や広島市、千葉市がなくなるというわけだ。
人口が減ってしまうと労働力が不足し、行政サービスが不十分になる。東京都内の鉄道は山手線以外はなくなるとも言われている。大都市が廃墟となる。
今から心配しても仕方がないが(そのときなればなったで何とかなるだろうという見方もあるはずだ)、どのみち人口が減っていいことはなさそうだ。国としても生まれてくる子どもを増やそうだのいろんな施策を考えているのだろうが、おいそれとは人口なんか増えはしないだろう。海外からの労働者を受け容れるという選択肢もある。移民である。ヨーロッパやアメリカでは一般的なことになっている。もちろんそれにともなう社会問題も後を絶たないが。移民は必要だろうが、百数十年前まで鎖国をしていた島国で果たして根付くだろうか。日本人の国民性からして移民政策は馴染めないと思う。
と、そこで著者が提案するのが「短期移民」という考え。つまりは観光客を増やして外貨を落としていってもらおうということだ。
最近訪日外国人旅行者が増えている。どこに行っても外国人でいっぱいだ。鉄道の乗換案内や切符売場には日本語・英語・中国語・韓国語で表記されている。年々増える一方で2020年には4,000万人に上ると言われている。
ところがだ。2017年に前年比20%近く増え、3,000万人近く海外からの旅行者が訪れた日本はまだまだ観光後進国であるという。海外からの旅行者の多いフランス、スペインは8,000万人以上、アメリカは7,500万人超。日本は世界ランキングは12位。ベスト10にも入っておらず、アジアの中でも香港、台湾を含めた中国やタイに大きく後れを取っている。
だからこそ観光産業に力を注いで、観光立国しなさい、というのがデービッド・アトキンソンの提言なのである。
人口が減ってしまうと労働力が不足し、行政サービスが不十分になる。東京都内の鉄道は山手線以外はなくなるとも言われている。大都市が廃墟となる。
今から心配しても仕方がないが(そのときなればなったで何とかなるだろうという見方もあるはずだ)、どのみち人口が減っていいことはなさそうだ。国としても生まれてくる子どもを増やそうだのいろんな施策を考えているのだろうが、おいそれとは人口なんか増えはしないだろう。海外からの労働者を受け容れるという選択肢もある。移民である。ヨーロッパやアメリカでは一般的なことになっている。もちろんそれにともなう社会問題も後を絶たないが。移民は必要だろうが、百数十年前まで鎖国をしていた島国で果たして根付くだろうか。日本人の国民性からして移民政策は馴染めないと思う。
と、そこで著者が提案するのが「短期移民」という考え。つまりは観光客を増やして外貨を落としていってもらおうということだ。
最近訪日外国人旅行者が増えている。どこに行っても外国人でいっぱいだ。鉄道の乗換案内や切符売場には日本語・英語・中国語・韓国語で表記されている。年々増える一方で2020年には4,000万人に上ると言われている。
ところがだ。2017年に前年比20%近く増え、3,000万人近く海外からの旅行者が訪れた日本はまだまだ観光後進国であるという。海外からの旅行者の多いフランス、スペインは8,000万人以上、アメリカは7,500万人超。日本は世界ランキングは12位。ベスト10にも入っておらず、アジアの中でも香港、台湾を含めた中国やタイに大きく後れを取っている。
だからこそ観光産業に力を注いで、観光立国しなさい、というのがデービッド・アトキンソンの提言なのである。
2018年2月14日水曜日
四方田犬彦編著『1968[1]文化』
1968年は今から50年前ということになる。
人類がはじめて100メートルを9秒台で走った年であり、誰ひとりとして月に降り立つ者もいなかった時代だ。ずいぶん昔のことのようにも思えるが、ついこのあいだという気もする。
今と同じように日本は平和だったが、よく考えてみると太平洋戦争の終結から20年ちょっとしか経っていない。フィリピンのジャングルには日本兵が生きていたし、まだまだ戦争の熱が冷めきっていない時代だった(それなのに冷戦の時代と言われていた)。
アメリカの若者はベトナム戦争に送り出されていた。ピーター・ポール&マリーは花をさがしていた(ヒットしたのはその数年前だけれど)。日本の若者たちは学生運動に勤しんでいた。あらゆる大学で闘争をくりかえしていた。阪神タイガースのジーン・バッキー投手と読売ジャイアンツのコーチ荒川博が甲子園球場で殴り合いを演じていた。
時代は熱かった。
60年代は否定の時代、70年代以降は肯定(否定性の否定)の時代と言われている。68年はありとあらゆる場所で反対運動が繰り広げられていた。安保闘争終結後、体制や既成概念を覆そうとするエネルギーに支えられた熱い季節が終わる。若者たちは岡林信康を歌わなくなり、結婚しようとか貧しい下宿屋からお風呂屋さんに行ったよねみたいな歌が流行りはじめる。さらに数年経って、村上春樹がデビューする。そう考えると60年代と70年代は20世紀と21世紀以上に世界が変わる。
1968〜72年。めまぐるしい変化の時代に数多くの才能があらわれては消えていった。あるいはその季節だからこそ開いた花もあったろう。忘れ去られていくものを書物というカタチで記憶にとどめる作業。それがこの本のテーマだ。
その頃、僕は小学校の高学年から中学生になりかけていた。うっすらとした記憶だけが残っている。大人になってふりかえってみるとものすごい時代に小学生をやっていたんだなと思う。
人類がはじめて100メートルを9秒台で走った年であり、誰ひとりとして月に降り立つ者もいなかった時代だ。ずいぶん昔のことのようにも思えるが、ついこのあいだという気もする。
今と同じように日本は平和だったが、よく考えてみると太平洋戦争の終結から20年ちょっとしか経っていない。フィリピンのジャングルには日本兵が生きていたし、まだまだ戦争の熱が冷めきっていない時代だった(それなのに冷戦の時代と言われていた)。
アメリカの若者はベトナム戦争に送り出されていた。ピーター・ポール&マリーは花をさがしていた(ヒットしたのはその数年前だけれど)。日本の若者たちは学生運動に勤しんでいた。あらゆる大学で闘争をくりかえしていた。阪神タイガースのジーン・バッキー投手と読売ジャイアンツのコーチ荒川博が甲子園球場で殴り合いを演じていた。
時代は熱かった。
60年代は否定の時代、70年代以降は肯定(否定性の否定)の時代と言われている。68年はありとあらゆる場所で反対運動が繰り広げられていた。安保闘争終結後、体制や既成概念を覆そうとするエネルギーに支えられた熱い季節が終わる。若者たちは岡林信康を歌わなくなり、結婚しようとか貧しい下宿屋からお風呂屋さんに行ったよねみたいな歌が流行りはじめる。さらに数年経って、村上春樹がデビューする。そう考えると60年代と70年代は20世紀と21世紀以上に世界が変わる。
1968〜72年。めまぐるしい変化の時代に数多くの才能があらわれては消えていった。あるいはその季節だからこそ開いた花もあったろう。忘れ去られていくものを書物というカタチで記憶にとどめる作業。それがこの本のテーマだ。
その頃、僕は小学校の高学年から中学生になりかけていた。うっすらとした記憶だけが残っている。大人になってふりかえってみるとものすごい時代に小学生をやっていたんだなと思う。
2017年5月16日火曜日
佐高信『城山三郎の昭和』
東京六大学野球春季リーグは混戦になった。
第五週を終えたところで東大以外の五校が勝ち点2で横一線に並ぶ。第六週は明治と慶應、立教と早稲田によるサバイバル戦。法政は勝ち点2を上げてはいるものの、すでに4校と対戦を終え、東大戦を残すのみ。この週で勝ち点を3にしたチームに優勝争いは絞られる。
今季投打にバランスのいい慶應がまず抜け出す。一発長打力のある岩見や仙台育英で佐藤世那とバッテリーを組んでいた郡司、センスが光る柳町らが経験の浅い投手陣を盛り立てている。明治に連勝して優勝に望みをつないだ。
早稲田立教は3戦までもつれ込んだ。初戦は投手戦。浦和学院のセンバツ優勝投手小島が完璧な投球で早稲田が先勝。2回戦は両チーム合わせて24安打の打撃戦を立教がサヨナラ勝ちした。
そして3回戦。先発投手は小島、田中誠と1回戦と同じだったが、こんどは立教田中が辛抱強く投げ勝った。早稲田は6回の集中打を食い止められなかったのが痛かった。5回の裏の小島の打席で代打を送るという選択肢もあったかもしれない。
これで次週第七週、立教が勝ち点を上げれば優勝。もし立教が勝ち点を落として、最終週慶應が勝ち点を上げると慶應が優勝となる。
先日読んだ『落日燃ゆ』がおもしろく、それまであまり関心のなかった城山三郎に興味を持つ。
昭和2年生まれという。世代としては僕の父や伯父と変わらない。志願しなければ戦場に送られることのなかった世代だ。ところが城山は帝国海軍に志願入隊する。特攻隊に配属される。経済小説というジャンルを切り拓いた作家としか知らなかった城山三郎に俄然興味がわく。タイトルに魅せられてこの本を手にとってみた。
子どもの頃、僕たちのまわりにいた大人たちはみな戦争を経験していた。それぞれが自らの戦争を語ってきた。
城山三郎の戦争ときちんと向きあいたいと思った。
ところで立教も慶應も勝ち点が取れなかったらどこが優勝するのだろう。
第五週を終えたところで東大以外の五校が勝ち点2で横一線に並ぶ。第六週は明治と慶應、立教と早稲田によるサバイバル戦。法政は勝ち点2を上げてはいるものの、すでに4校と対戦を終え、東大戦を残すのみ。この週で勝ち点を3にしたチームに優勝争いは絞られる。
今季投打にバランスのいい慶應がまず抜け出す。一発長打力のある岩見や仙台育英で佐藤世那とバッテリーを組んでいた郡司、センスが光る柳町らが経験の浅い投手陣を盛り立てている。明治に連勝して優勝に望みをつないだ。
早稲田立教は3戦までもつれ込んだ。初戦は投手戦。浦和学院のセンバツ優勝投手小島が完璧な投球で早稲田が先勝。2回戦は両チーム合わせて24安打の打撃戦を立教がサヨナラ勝ちした。
そして3回戦。先発投手は小島、田中誠と1回戦と同じだったが、こんどは立教田中が辛抱強く投げ勝った。早稲田は6回の集中打を食い止められなかったのが痛かった。5回の裏の小島の打席で代打を送るという選択肢もあったかもしれない。
これで次週第七週、立教が勝ち点を上げれば優勝。もし立教が勝ち点を落として、最終週慶應が勝ち点を上げると慶應が優勝となる。
先日読んだ『落日燃ゆ』がおもしろく、それまであまり関心のなかった城山三郎に興味を持つ。
昭和2年生まれという。世代としては僕の父や伯父と変わらない。志願しなければ戦場に送られることのなかった世代だ。ところが城山は帝国海軍に志願入隊する。特攻隊に配属される。経済小説というジャンルを切り拓いた作家としか知らなかった城山三郎に俄然興味がわく。タイトルに魅せられてこの本を手にとってみた。
子どもの頃、僕たちのまわりにいた大人たちはみな戦争を経験していた。それぞれが自らの戦争を語ってきた。
城山三郎の戦争ときちんと向きあいたいと思った。
ところで立教も慶應も勝ち点が取れなかったらどこが優勝するのだろう。
※東京六大学野球連盟のホームページで確認したところ、第六週明治法政ともに2勝0敗、最終週早大2勝1敗で明治法政のよる同点決勝ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。
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