2008年12月20日土曜日

鹿島茂『フランス歳時記』

もうすぐ今年も終わろうとしている。
フランスではその昔一年のはじまりは春分の日に近いマリア受胎告知の日3月25日だったという。一週間かけて春分の行事を行ったあと4月1日にプレゼントを交換した。16世紀に1月1日が一年の始まりの日になった。それでも新時代に対応できない人たちは相変わらずプレゼントの交換を4月1日に行っていた。若者たちはこうした時代遅れな人たちをからかおうと贈り物と称して空の箱を贈ったり、架空のパーティーの招待状を出した。これがポワソン・ダヴリル、英語で言うところのエイプリル・フールのはじまりらしい。
以前にニースで日本の漫画をちりばめた「AGENDA日仏手帳」というノートを買った。ちょっとした予定表に日本の文化や習俗を紹介するコラムが載った手帳である。平日には1日1ページを当てており、ヘッドに大きく日付が記されていて太字の曜日と月の名前にはさまれている。たとえば11月11日なら“JEUDI 11NOVEMBRE”とされている。そして月名の下には小さく“Saint Martin”とある。
これはなんだろうと思っていたのだが、フランスでは1年365日が聖○○、聖女○○と呼ばれる守護聖人の祝祭日に充てられていて、11月11日木曜日(この手帳では2004年)は聖マルタンの祝祭日であるということをあらわしていたのだ。
この本にはフランス、主にパリの1年の移り変わりを日々の守護聖人のエピソードの主だったところにふれながら、旅行ガイドや滞在記とはひと味違った形で紹介してくれている。1月から順番に12の章で構成されているが、各月に生まれた、あるいは亡くなった文化人紹介のコーナーもあり、ヴォルテールやマリー・キュリー、モンテーニュなどご無沙汰している方々に久しぶりに会えた。クロード・シモンやマリー・タリオーニなど初めてお目にかかる人もいた。
もともとどこかで連載してあった小文をまとめた本なのであろう。簡潔に整理されていて、読みやすい。その反面、同じパターンが12回繰り返されるので単調な印象もあった。ところどころに書き下ろしのコラムなどを挿入してもよかったんじゃないかとも思う。


2008年12月14日日曜日

林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』

景気が悪い。
中小企業は、どこもそうとまでは言い切れないが、資金繰りがたいへんだろう。ボーナスがカットされたりしているところも多いはずだ。
川本三郎が解説の中で林芙美子は貧乏を楽しんだ作家と評していた。いかにどん底の生活で喘いでいおうと、ユーモラスを忘れず笑い飛ばしてしまうくらいの気概が彼女の作品を支えている。同じ貧困でも『居酒屋』のジェルヴェーズのように貧困の末、酒におぼれ身を滅ぼしていく凄惨さがない。貧乏の度合いはいずれも同じかもしれないが、日本的な奥床しさや情緒が貧困の芯の部分に隠されている美徳と上手に絡まりあって、作品としてあたたかさを醸し出しているような気がする。
日本の企業にも不景気を笑い飛ばすくらいの度量があればいいのだが、事態はかなり深刻のようだ。



2008年12月10日水曜日

山田篤美『黄金郷(エルドラド)伝説』

またしても中公新書。
中南米に関しては知識はないが、興味はある。国立科学博物館でナスカ展とか、インカマヤアステカ展などを見るとただただ圧倒される。そんな興味の延長線上にあらわれた本がこれ。ヨーロッパ人の探検はロマンなんかじゃなくて、帝国主義的侵略の一環であるという視点からとらえた中南米の歴史である。
主たる舞台はベネズエラ。先住民の営む水上生活を見て、小さなヴェネチアという意味のベネスエラと呼んだのが国名の由来だそうだ。故海老一染太郎の「土瓶が回ってドビンソンクルーソー」でおなじみの『ロビンソン・クルーソー』も18世紀大英帝国の南米植民推進をねらって書かれた物語だという侵略思想的解釈も新鮮だった。
本書はコロンブス上陸以降の真珠時代、オリノコ川からエルドラドへの遠征時代、イギリスによる植民地建設、拡大(そして挫折)の時代という流れに沿って、今日のベネズエラに至るまで構成されている。500年の間に実に興味深い出来事を垣間見ることができたが、中南米の歴史のさらにおもしろいところは、それ以前ではないかという気もしている。ということで次回は西欧化以前の中南米にスポットを当てた本を読んでみよう。


2008年12月5日金曜日

シャルル・ペロー『完訳ペロー童話集』

12月だ。
今年の仕事納めは12月26日だという。最終週には飛び石連休もあり、もし景気がよければ、とんでもなくひっちゃかめっちゃかな年末になるだろう。そうならないで欲しいとは思うが、ここのところの景気の低迷を考えると忙しいだけ忙しい方がとりあえずはいいのかも知れない。まあ、複雑なところだ。

神田神保町に信山社という書店があり、岩波書店の本を中心にした品揃えで以前はよく立ち寄ったものだった。最近ではそこそこの規模の本屋で岩波の文庫や新書は当たり前のように見られるが、昔はそうでもなく、ちょっとした大型書店か町の本屋でも店主にこだわりなり、しっかりした考え方があるような店構えのところにしか置いていなかった。いや、実際はそうじゃないかもしれない。たまたまぼくが足繁く通った本屋のうち何軒か限られたところにしか岩波の本がなかっただけ、だったのかも。まあかれこれ30年くらい前の話だけど。
岩波の文庫や新書で、大きめの書店に在庫のない本は信山社に行くとある、という記憶が頭の片隅に残っていたのかもしれない。ラフォンテーヌの寓話集をさがしに行って、ペローの童話集を買った。こういうことはそう珍しいことではない。
ところで信山社のブックカバーが以前と変わらなかったのがうれしかった。表紙側には湯川秀樹のコメント、裏表紙側には井上靖のコメントが力強く書かれている。
古くからヨーロッパに伝わる民間伝承を本にまとめたのがペローといわれている。ペローがいなかったら「眠れる森の美女」も「サンドリヨン(シンデレラ)」も形にならなくて、ディズニーランドもできなかったに違いない。でもペローがいなければ、誰か別の人が書物にしたかも知れないし…、などとあまり「たら」とか「れば」とかで頭の中を膨らませない方が精神衛生上はよろしいかと。
ああ、年末は暇だといいが、あまり暇すぎるのもいやだし…。

2008年11月30日日曜日

佐藤雅彦『四国はどこまで入れ換え可能か』

仕事で埼玉の所沢に行った。
うちからほぼ1時間。さほど遠くない。
午前9時過ぎに着いたのだが、西口の商店街はすでに人通りも多く賑わっている。独特なにぎやかさだ。
西武線の所沢駅は不思議な駅で右から西武新宿行きが来たかと思えば、左から池袋行きが来る。いったい東京はどっちなんだかさっぱりわからない。それと駅に降りるとそばつゆの香りがする。ホームにある立ち食い蕎麦屋から立ち上ってくる。
行き帰りの電車の中でこの本を読んだ。
特に感想はない。

2008年11月29日土曜日

角田光代『さがしもの』

早く週末が来ないかなあと思って日々過ごしていたせいか、あっという間に12月の足もとまでやってきてしまった。

仕事場に滑舌の悪いやつがいて、そいつのところにある日3つだけ願いを叶えてくれる神様がやって来たんだそうだ。そのときたまたまものすごく腹が減っていたので「とりーずうあいああえんくいたあす」と言ったんだと。まあ滑舌が悪いせいで神様は「え?」と聞きかえしたそうな。そこでもういちど「とりあえずうわいらあえんくいたあす」と言ってみたのだが、それでも神様は聞きとれず、さらに「え?」と聞き返す。こんどはちゃんとゆっくり大きな声で「とりあえずうまいラーメン食いたいです」と言った。と、その瞬間、そいつの目の前に見るからにうまそうなラーメンが3杯あらわれたそうな。

角田光代の『八日目の蝉』を読みたいと思って、書店に寄って帰ろうとしていいたら電車の吊り広告で新潮文庫の新刊があると知り、書店に入ったら『八日目の蝉』のことはすっかり忘れて、その新刊の文庫をさがしたが見あたらず、『おやすみ、こわい夢を見ないように』を買って帰った。その何日か後、電車の吊り広告で新潮文庫の新刊を思い出し、先日買ったのがこの『さがしもの』である。
まあ、なんていうのか、要するに本との出会いは素敵だな、という本である。


2008年11月25日火曜日

安達正勝『物語 フランス革命』

連休最終日は冷たい雨に見舞われた。
中公新書は地道にいいタイトルを揃えていると思う。というのは先入観に過ぎないのだろうが、いちどそう思ってしまうと中公新書の新刊から目が離せなくなる。
フランス革命に関して、人はどの程度の知識を持ち合わせているのだろう。
ぼくの場合、少年時代に機械的に暗記させられた1789年という年号とマリー・アントワネットの処刑と、あと、名前だけ知っていて、たぶんフランス革命関連の人名、ワードだろうと思われるロベスピエール、ジロンド党、ジャコバン党、くらい…。ナポレオンはフランス革命の後の人で、ジャン=ジャック・ルソーは前の人…。
恥をさらすことを覚悟の上で吐露してみたが、もしこの程度の知識しか持っていないようだったら、ぜひこの本をおすすめしたい。難しくなく、松平アナの語りのように流れててゆき、いつのまにかフランス革命は終わっている。おぼろげだった人の名前がちゃんとつながってくる。これなら子どもに訊ねられてもある程度までは答えられそうな気がする。
そういうわけで(どういうわけなんだかよくわからないが)次回はやはり中公新書の『黄金郷伝説』を読んでみたいと思っている。


2008年11月21日金曜日

角田光代『おやすみ、こわい夢を見ないように』

こないだ銀座の天龍で餃子を食べた。以前は勤めが銀座だったのでたまに行っては特大の満州餃子を平らげたものだが、かれこれ10年以上訪れていなかった。
ときどき店の前を通りかかって、食べようかなとは思うのだが、昼飯時はたいてい行列でちょっと入りにくい。先週はちょうど13時をまわって、空きはじめたころ通りかかったのでつい中に入ってしまった。
久しぶりの餃子を食べて、懐かしく思ったのも束の間、若い頃とは胃袋の構造が違ってしまったのか、半分くらい食べたところでもうかなりの満腹感。それでもなんとか巨大満州餃子を8つ完食、ごはんも残さず食べた。無茶ができた若さが懐かしい。
読む本がなくなると手に取るのが重松清だったり、角田光代だったりする。別にホラー小説ではないんだけれど、読んでいて恐ろしくなる。ああ、人間って怖いなあとこの本を読んでつくづく思った。
今度は夜、ビールとともに天龍餃子を食したいものである。



2008年11月16日日曜日

大塚英志『ストーリーメーカー』

今年の野球も大詰めを迎えている。
大阪では社会人選手権が、東京では明治神宮大会が開催中だ。社会人選手権と明治神宮大会の大学の部は今年1年の締めくくり的な大会だが、高校の部は来春の選抜大会を占う上で重要な新チーム最初の全国大会。10地区大会を勝ち抜いたチームによるトーナメントで決勝に進んだ地区からは選抜大会の枠が増えるということで注目度も高い。でも、ここを勝ったからといって、来春、そして夏も強いかといえば、案外そうでもないのが高校野球。この後も予測しがたい浮き沈み、下克上があるからおもしろかったりするわけだ。
外国語を学ぶには系統だった文法知識と単語の習得が早道らしいが、母語と異なり、意識的に言語と接していかなければならないという。そういった意味で物語の構造を意識してストーリーを組み立てるという手法は無意識の領域を意識化するという意味で新しいといえるだろう。だけどどれほどの人がこうして機械的にストーリーを開発しているのだろうか。
文章はやや難解で誤植や助詞の抜けがときおり見受けられ、まあ編集者のチェックもれなんだろうけど、最近の売らんがための新書づくりにはこの程度のミスはあって当然と思うべきか。そんなことが気になるのはたぶん、読書の神様がぼくにもっとちゃんとした本を読めと戒めているからじゃないかとも思う。


2008年11月14日金曜日

林芙美子『放浪記』

徹夜の仕事が続いたりすると、こいつがひと段落したら、ローカル線にゆられて少し遠出をしよう、行った先に温泉でもあれば、ゆっくり浸かって、何も考えない一日を過ごそう…などと決まって思う。特に行き先は決めていない。水戸あたりから水郡線に乗って、あるいは拝島から八高線に乗って、はたまた五井から小湊鉄道に乗って、などとおぼろげに思うのはなぜか関東近郊の非電化区間の気動車で、キハと形式表示されているディーゼルカーがなぜか旅情を誘う。こんなとき、寝台特急で北国に行きたいとか、国際線に乗って近隣諸国でうまいものを食おうなどとは思わない。きっと持って生まれた貧乏性が歳を重ねるごとに深く心身に刻み込まれてしまったのかもしれない。
『放浪記』というと森光子しか思い浮かばなかったが、林芙美子のシベリア~パリの旅の手記を読んで、俄然興味がわいてきた。この人が根をはらない生き方をしたのは、哲学としてそうなんじゃなくて、宿命づけられていた運命だったのだ。人生を旅になぞらえる生き方をする文学者は数多い。しかしながら、林芙美子は天性の放浪者、筋金入りの旅人だ。そんな思いを強くした一冊である。

2008年11月8日土曜日

藤原智美『検索バカ』

先日、仕事帰りに軽くビールでも飲もうと門前仲町のすし屋に入った。カウンターに腰掛けようと思った矢先に背後から声を掛けられ、振り向くと友人のOさん。名古屋でクリエーティブディレクターをしている彼とは仕事仲間というより飲み友達。ときどき名古屋に出向いては明け方近くまで飲んでいる。Oさんの出身中学とぼくの出身高校が統合されて中高一貫校になり、変則的な同窓生でもあったりする。それにしても、門前仲町、すし屋、深夜12時というピンポイントの邂逅とはなんたる奇遇。

昨今の読書界を生き抜く上で重要なのは、“いかにも”な題名にだまされないことだと思う。とりわけ新書でそのことが強くいえる。たかだか半日で読み終えてしまうにしても、空振りのダメージは大きい。
『検索バカ』とは、まさに“いかにも”だ。情報化社会=現代を検索であるとか、空気などというキーワードで切ってみたようだが、あまりにも精神論で、論理の飛躍が大きく、単なる生き方指南の書の域を出ない。経験談がところどころ語られているが、それとてたいした魅力もない。この本で言わんとしていることと題名がマッチしていないのは、ねらい(うけねらいという意味で)なのか、編集者のいい加減さなのか、そろそろ新書を担当する人たちは心を入れ替えてほしいものだ。

で、Oさんはその1時間半後くらいに帰っていった。
別れ際、じゃあ、今度は名古屋で、と。結局おれたちって飲むことしかない頭にない。


2008年10月30日木曜日

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』

神田まつやで、昼、蕎麦を食って、神保町界隈を久しぶりに歩いた。ミズノ(昔は美津濃だったな)などスポーツ用品店と何軒か古本屋を見た。ちょうど古本市で靖国通りの歩道はそれなりに賑わっていた。
そういえば、夏休み前とかになると、子どもが学校から「夏休みに読みたい課題図書」だとか、あるいは書店から「○○文庫の100冊」みたいな販促物を持って帰ってくる。そんなものをぼんやり眺めていると、子どもは父親は果たしてその中のどれほどの本を読んだのだろう、みたいな視線を送ってくるのである。
自慢じゃないが、読みそびれた名作は多い。もちろん、何冊かは子どもの頃や10代、20代の頃に読んではいる。しかしながら圧倒的多数の名作を実は読んでいないまま、この歳になっちゃったんだなあというのが正直言ったところだ。
ヘルマン・ヘッセも読んだことがない作家のひとりだ。昔、教科書に「少年の日の思い出」という作品が掲載されていて、隣家の少年の収集している蝶の標本を盗んで、罪の意識から返しに行って、謝るのだが、ポケットの中でその標本はこわれてしまって、相手の少年に「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と蔑まれる話で(まったく何も資料を見ることなく記憶にだけ頼っているので決して正確ではないけれど)、その「つまり君は…」という台詞の痛烈さだけが妙に記憶にとどまっている。
『車輪の下』を読んだことあるかいと訊ねると、『車輪の上』は読んだけど、下巻は読んでないと答える阿呆な友人がいたが、いかにもヘッセな感じの暗澹たる自伝的小説といったところか。車輪の下というのはハンスが入学した神学校の校長が成績の振るわなくなったハンスを自分の部屋に呼んでいう「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと車輪の下じきになるからね」という台詞からきていると思われる。車輪の下じきという言い方がドイツのその土地、その時代で重くのしかかる言い回しとして存在していたのだろう。
こんな重厚な書物を読まなければならないなんて青少年もなかなかたいへんだなあ。


2008年10月21日火曜日

立松和平編『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』

先日、高校の同窓会があった。部活の集まりには毎年出ているが、同窓会などという同じ学校を出たというだけのぼんやりした会にはほとんど出席したことがない。今年は画家である部活の先輩が事前イベントで講演を行うということでその先輩の同期の方々から号令をかけられ、参加したのである。
ぼくもかれこれいい歳で街を歩いていれば、立派なおじさんであるにもかかわらず、会場内では下から数えてひと桁の若輩者である。こんなことでこの会は将来どうなるのだろうと不安がよぎる。
乾杯の音頭をとったのは、何代か前に同窓会長をなさっていたという御年95歳の大の上にさらに大をいくら重ねても足りないほどの大先輩。多少よろよろしながらも、壇上に上がり、しっかりした声で挨拶をする。
「誠に僭越ではございますが…」
僭越じゃない。全然僭越じゃない。
実を言うと林芙美子はまったく読んだことがない。日本文学に多少なりとも興味のあるたいていの人は『放浪記』くらいは読んでいるのだろうが。まあ、これは連鎖読みとぼくの称する本の読み方で、その前に読んだ『文豪たちの大陸横断鉄道』に影響されている。
解説で編者の立松和平も述べているとおり、昭和初期の、多少は便利な世の中になったとはいえ、旅がぜいたく品でかつ、苦行だった時代によくもよくも身ひとつでユーラシア大陸を経巡ったものだと感心する。本書所収の「文学・旅・その他」でも「私は家を建てることや蓄財は大きらいだ」と述べているが、それは彼女が如何に人生の中で旅に価値を置いていたかの証左でもあろう。
書く、旅をする、そして書く、また旅に出る。ある意味、文学者としての理想の姿を忠実に実践した作家といえる。そして「愉しく、苦しい旅の聚首(おもいで)は地下にかこっておく酒のようなもの」という描写に彼女の旅観、人生観が集約されているように思う。


2008年10月16日木曜日

小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』

原巨人が長嶋元監督のミラクル越え。13ゲーム差をひっくり返しての優勝だ。とはいうものの今ひとつインパクトがないのはなぜだろう。
ひとつにはクライマックスシリーズという企画もののつまらなさ。言ってみれば緊張感や真剣さが観ていて希薄なのだ。それともうひとつは、原と長嶋の器の違い。違いすぎるのはその実績やスター性、カリスマ性等々すべてトータルしてもかないっこないので致し方ないところだが、長嶋のすごいところは有限実行。「メークドラマ」とか「メークミラクル」と言ってのけ、実現できる不思議なパワーがすごいのだ。
ジャイアンツが今後、原長期政権で安定した人気を保持していくつもりなら(実力面は実績ある補強戦術でお墨付きだが)、広報を中心に原にキャッチフレーズをどんどん提供していくとよいだろう。
ここのところ仕事が辛いわけではないのだが、旅ものが読みたくて仕方ない。で、この本を手に取ったのだが、まあ内容的には大きな盛り上がりもないままに終わり、何が言いたかったのかよくわからなかった。さらっと立ち読みして、荷風や林芙美子を買って読んだほうが手っ取り早い。
でも大陸経由でヨーロッパに行くってのは、日本人の遺伝子に組み込まれた憧憬なのかもしれないなあ…。

2008年10月10日金曜日

安野光雅『天動説の絵本』

長女が西荻の古本屋で気に入った絵本があったといって買ってきたのがこの本。
安野光雅の絵本は昭和の日本が描かれていたり、中世ヨーロッパが舞台だったりして、その空気感をふんだんに詰め込んでいる。単なる絵と文の複合体でないところがいい。この本は空の星が動いてるんじゃなくて、地面が動いているということに多くの人が気づく頃の話なのだろう。中世の迷信と近代の科学の狭間が絵本の世界にギュッと凝縮されて、おもしろおかしく描かれている。
安野光雅は一介の絵本作家ではない。なかなかの勉強家だ。少なくともぼくは天動説から地動説へシフトする時代のことなんか、これっぽちの知識もないし、想像力だって働かないもの。それにこんなに素敵な絵は描けない。


2008年10月2日木曜日

白井恭弘『外国語学習の科学』

4月に始まったラジオフランス語講座が9月で終了し、今月からどうしようかなと思っている。もちろん新番組は始まるし、それを聴いてもいい。前から聴きたかった応用編がアンコール枠で再放送されるので、それもいいかなと。
ただ、今回聴いた「ディアローグ三銃士」というのはいい企画だった。繰り返し聴く価値はある。そんなこんなで悩んでいるんだが、せっかくトークマスターに録音してあることだし、再度「ディアローグ三銃士」に挑戦しよう。ま、また気が変わるかもしれないけど。
さてさて、外国語を身につけるということに関して、それなりに研究がすすめられ、成果も上っているそうだ。この本にはそこらへんの経緯が紹介されつつ、外国語をマスターするための方策、ヒントも書かれている。また随所に具体例が提示されていて、学習法の紹介も説得力があり、励ますだけの語学応援本とはちょっと違う。
成功のポイントは学習開始年齢、適性、動機づけの3つらしい。自分を省みたとき、多少なりとも可能性の余地を残すのは動機づけだけ。日々の学習はともかくとして、動機づけだけでも維持していきたいものだ。

2008年9月29日月曜日

芦原伸『さらばブルートレイン!昭和鉄道紀行』

高校野球の新人戦が各地で始まっている。東京も本大会進出の24チームが決まったようだ。
夏、東東京優勝の関東一や国学院久我山、岩倉、日体荏原が早くも敗れ去り、都立高校では国立、日野、足立新田の3校が勝ち進んだ。
鉄道は子どもの頃から好きだったが、寝台列車に乗るようになったのはずいぶん大人になってからだ。最初に勤めた会社を辞めた後、次の職場に移るまでひと月ほどブランクを空け、当時ブームだった北斗星で北海道に行った。寝台列車はいくら走るホテルだとか言っても、正直そんなに寝心地は良くないし、ゆったりリラックスなんてできない。が、鉄道好きにとっては、それはロマンだったり、ドラマだったりするわけで、「なんか興奮して眠れないなあ」などと思いながら、ついつい真っ暗闇の車窓を一晩中眺めていたりするのである。ここで鉄道ファンは、だって寝心地悪いんだもんとか、眠った気がしないんだよねなどとは口が裂けても言わないのである。
ただ、北海道に行く人、とりわけ初めて行く人には寝台列車をおすすめしたいなあ。ぼくの場合東京発だったけど、北海道の遠さが実感できる。
著者の芦原伸は『鉄道ジャーナル』の編集に携わりながら、またその生い立ちの中で深く寝台列車にかかわってきた方のようだ。まったくもってうらやましい限りである。ぼくが乗車経験のある寝台列車は先の「北斗星」、上野-金沢間の「北陸」、東海道本線の「銀河」(「北陸」と「銀河」はそれぞれ2回づつ乗っている)だけである。九州方面のブルートレインも上野-青森間のそれも一度として乗ったことがない。
この本はブルートレインと表題にあるように、客車寝台に特化した内容だが、次回また筆をとる機会があれば、ぜひ電車寝台特急の旅も紹介して欲しいと思う。ぼくたちの少年時代の憧れは、当然ブルートレインだったけれど、いわゆる月光型と呼ばれた583系特急電車も当時はスター列車だった(厳密には特急「月光」は581系)。上野駅で真っ先に写真に収めたのは列車寝台の「ゆうづる」でも「あけぼの」でもなく、まさに「はつかり」、「はくつる」だったのである。「はつかり」に関して言えば、はつかり型と呼ばれた気動車キハ81系があるのでなんで月光型になっちゃったんだ?とも思ったが…。
ええっと何の話だっけ?
そうそう寝台列車はやっぱりいいなってことだな。


2008年9月27日土曜日

荻村 伊智朗 、 藤井 基男『卓球物語』

なぜ角型ペンホルダーによるフォアロング主体の卓球に日本卓球の原点というイメージを持ったのだろう。
両面にラバーを貼るシェークハンドグリップが巷にあふれ、少数民族と化したペンホルダー、とりわけ、半世紀以上前に世界を制した日本式グリップに孤高の輝きを見出すからか。はたまた片面だけで多彩な攻撃を繰り出し、時にショート、ロビングでしのぎ、捨て身のカウンター攻撃に出るその潔さに日本的な武士道精神を感ずるからか…。まあ、これらはあくまでぼくの個人的なイメージでしかない。
そもそも日本で普及した卓球は軟式といって、通常の、現在行われている硬式よりも軽いボールを使い、コートも若干小さかった。しかもラケットはラバー貼りではなく、木のままかコルク貼り。スピードが出ないぶん、とにかく攻撃することで点を取り合った。攻撃するにはフォアロングの方が有利だし、コートも狭いからバック側のボールも回り込んでフォアで強打する。
一方、卓球の本場ヨーロッパでは硬式球が普及し、ラケットもラバー貼り。打球が速く、コートも広いから(ついでにいうとネットも低い)、相手の攻撃を如何に封じて、守りきるか、あるいは如何に相手に攻撃させないか、が戦い方の主眼に置かれた。
というわけでヨーロッパの伝統的なスタイルはシェークハンドグリップによるカット主戦型で日本で普及した卓球はペンホルダーによるフォアロング主体のドライブ攻撃型となった。
と、まあこんなエピソードが満載なのが本書であり、用具の発達、普及によって戦い方が変化してきたことなどもよくわかる。荻村伊知朗は卓球もさることながら、外国語や文才にも恵まれ(もちろん彼のいちばんの才能は惜しみなく努力することなのだが)、ヨーロッパを日本が凌駕した50年代を「スピードの時代」、60年代中国前陣速攻の台頭を「打球点の時代」、そして70年代の攻撃型ヨーロッパスタイルに象徴される卓球を「スピンの時代」と名づけるなど卓球理論家としても素晴らしい業績を残した人といえる。
先に『ピンポンさん』を読んだが、ライターが書く演出された卓球物語もよいが、こうした時代とともに卓球と歩んできた人たちの文章も臨場感があっておもしろい。
80年代以降は「速さと変化の時代」であるという。先日関東学生リーグを観にゆき、五輪代表明治の水谷をはじめほとんどの選手がシェークの攻撃型。中にはカット主戦型もいるが、彼らもしばし攻勢に出る。わずかにペンホルダーの選手がいて、中国式グリップの選手をふたり、角型ペンの日本式グリップの選手をひとりだけ見た。
世界ランカーの上位を中国勢が占め、しかもその大半(特に女子)がシェークハンドグリップの速攻型やドライブ型であるが、中にはカット主戦の選手もいる。また男子の世界ランク1位、2位が裏面打ちペンホルダーだったり、台湾や韓国には日本式ペンホルダーの選手もいる。ひとつのスタイルが世界を統一するのではないことで卓球はまだまだ可能性のある競技だと思える。
「速さと変化の時代」はさらなる多様性を生む時代なのかもしれない。


2008年9月23日火曜日

角田光代『エコノミカル・パレス』

ジャイアンツがすごいことになっている。
メークミラクルの再現だ。
調子が落ちているとはいえ、まさかタイガース相手に3連勝とは思いもよらなかった。できればここで絶好調を使い果たさずプレーオフまでとっておきたいと願うのが多くのジャイアンツファンの本音ではなかろうか。
半年ほど前に出た角田光代の『八日目の蝉』を読んでみたくなり、先週終館間際の日比谷図書館まで行った。さすがに貸出中だった。まあせっかくだから角田光代の本が並んでいる棚の中からまだ読んでいない本をさがして借りてみるかと思い(あらかた読んでない本だったけど)、なんとなくおもしろそうな題名のを一冊選んだというわけだ。
今(というかすこし以前からずっと)世の中がパッとしなかったり、不景気だったり、定職を持たない若者が増えているとか、そうゆう曇天のような世相が如実に描きだされていて、いつも角田を読むたびに思う、ああ、やんなちゃうなあって感じがして、まったくやれやれといった疲労感が残る一冊である。
こうゆう気分のときはビールを飲みながら野球観戦でもして、スカッとした気分になりたいものである。

2008年9月19日金曜日

城島充『ピンポンさん』

長方形のペンホルダーのラケットを柔らかく弧を描くように振りぬく。バック側のボールもフットワークを使って回り込んで、フォアで打つ。前陣の左右から強打を打ち込まれても、カットで粘られても、愚直にフォアロングにこだわって打ち勝つドライブ卓球。これが日本の卓球だ。
小学校の頃、名古屋で開催された世界卓球選手権をテレビで観て、日本はまだ日本流のやり方で世界と互角に戦い抜いていた。伊藤繁雄は決勝でスウェーデンのベンクソンに敗れ、連覇はかなわなかったものの、日本はまだまだ卓球王国だった。

この本の副題には「異端と自己研鑽のDNA荻村伊智朗伝」とある。
その当時、もう題名も出版社も忘れてしまったが、毎日目を通していた卓球の指導書の著者が荻村伊智朗だった。
残念ながら荻村の現役時代をぼくは知らない。ただ伊藤繁雄のドライブを見て、荻村伊智朗も日本スタイルの美しい卓球をした人なのだろうと想像していた。
ぼくの愛読書は大きく、前陣速攻、中陣ドライブ、後陣カット主戦という3つのタイプに分けて豊富な写真とともに基本技術が丁寧に記されていた(と記憶する)。荻村は日本の卓球の指導者であると同時にぼくにとっても卓球の先生だったのである。
さて本書を読むと荻村の、卓球選手としての側面の他に、引退後卓球を通じて国際交流に尽力した、いわば「スポーツ外交官」としての彼の生きざまが多く語られており、生涯を通じて「世界の荻村」として諸外国からも敬愛されていたその人物像が浮き彫りにされる。
そしてその原点ともいえる、荻村を世界に送り出した街の卓球場。この本は、荻村伊智朗の伝記であると同時に武蔵野卓球場のおばさんをはじめとした、日本の卓球を育んできた多くの卓球ファンの物語でもあるのだ。
卓球好きなぼくとしては、もう少し現役時代の荻村伊智朗の映像を(もちろん文章で、だが)つぶさに読んでみたい気持ちが強く、そういった意味では物足りないところもあるが、限られた紙数の中で荻村の波乱万丈な生涯とその輝かしい功績、そして挫折の数々がとても丁寧にまとめられていると思う。

そういえば名古屋の世界選手権で伊藤を破ったベンクソンだが、その指導をしたのが荻村だったという。これは知らなかったなあ。

2008年9月15日月曜日

清水義範『イマジン』

秋の野球シーズンが始まった。
東都大学リーグではかつて東映や巨人でならした高橋善正が監督として率いる中央大学に注目が集まる。六大学は連覇のかかる明治と春の雪辱を期す早稲田の一騎打ちか。いずれも昨年一昨年と甲子園を沸かせた新人たちから目がはなせない。

清水義範はユーモラスでウィットに富んだ短編の名手という印象が強いが、長編も実に丁寧で、よく書かれている。
タイムスリップものはネタとしてはおもしろいのだが、時代ごとの整合性をはかったり、もろもろ辻褄を合わせたり、書き手としてはエネルギーを使う作業だと思う。清水は清水なりのユーモアと読者へのサービスを怠ることなく、「らしさ」あふれるファンタジーにしている。
奇想天外を如何にヒューマンにまとめあげるかが、映画にしろ小説にしろ、時間軸をいじる創作の決め手になると思う。その点、ラストの「ほろり」もそうだが、安心して読める佳作だ。


2008年9月12日金曜日

ポール・ゴーガン『ノアノア』

少しだけ秋らしくなってきた。夏の間影をひそめていた大型台風が南の海上にいる。今後の動向が気になるところだ。
初めての海外旅行はタヒチだった。いわゆる新婚旅行というもので、妻はアジア、アフリカに関心があり、ぼくはどちらかといえばヨーロッパ志向だったのでなかなか行き先が決まらなかった。当時は仕事がめちゃくちゃ忙しかったので、どうせなら何もない南の島でぼんやり過ごすのがいいだろうということでなんら予備知識もなく、タヒチを選んだ。外国語はからっきしなのだが、フランス語圏なら多少、飲み物くらいなら注文できるだろう自信はあったし。
ゴーガンが晩年を過ごしたのがタヒチであることは数少ない予備知識の中にあった。パペーテの観光でゴーガンに関する資料館だかを見た憶えもある。とはいえ思い出すのはボラボラ島のコテージで床下から聞こえてくる波の音を背にしてうとうとしていたことくらいだ。
そんなタヒチにも歴史があって、人々の暮らしがあったんだとゴーガンの文章を読み、再認識させられた。ゴーガンは一介の画家だとばかり思っていたが、父親がジャーナリストで、幼少の頃、ペルーに亡命していたり、波乱万丈の生い立ちがあったという。思いのほか学識のある人だったのだ。クロード・レヴィ=ストロースもパリを発ち、ブラジルに向かい、その後『悲しき熱帯』を書いたといわれているが、南米からパリ、そして南洋の島へと経巡るゴーガンの人生は、どことなくレヴィ=ストロースの世界に似ている。
ような気がした。


2008年9月9日火曜日

筒井康隆『銀齢の果て』

遊んでいるPCにfedora core9をインストールしていたにもかかわらず、仕事場のルータのsyslogが取れずに四苦八苦していた話の続き。
ネットをあっちこっち探していたら、windowsでログがとれるフリーソフトがいくつかあり、試してみた。rtlogというそこそこ使えそうだ。と思ったものの、ずっとログを取り続けるためには、常時起動させておくマシンが要る。ログ取得のためだけに新たにPCを導入するのも効率が悪いので、泣く泣くfedoraをあきらめて、再度自分のマシンにwindows2000をインストールし直した。
もともとAOpenのマザーボードにpentiumの1GHzを挿して使っていた自作機。HDDも60Gあるし、メモリも512Mあるし、ログ取りにはじゅうぶんすぎるスペック。とはいえ、自作機だったことを忘れて、何の気なしにシステムをインストールし、後でロッカーからドライバの入ったCDROMを探す始末。数時間の格闘の末、640X480、16色モードから解放された。
その翌日、なぜかオンボードのLANが動かず、PCIに挿さっているLANカードの型番を筐体を開けて確認し、別のPCでドライバをダウンロード。2日がかりでOSのアップデートも含めてようやく稼動状態になった。
今は大人しくルータのログを取っている(とはいえ、ファンの音が多少うるさい)。

そんななか、昨年出版され話題になった『銀齢の果て』が文庫になったのでさっそく読む。
巻頭の地図を見ながら読み進めば、そこはまるでゲームの画面のよう。笑えるような笑えないような、近未来よりもっと切実な現実がテーマ。だからこそのおもしろさだ。
山藤章二のイラストレーションもなかなかブラックでよろしい。というか「シルバーな」っていうべきか?


2008年9月4日木曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『脂肪のかたまり』

中学に入る前に卓球のラケットを買ってもらった。もちろんそれまでもラケットは持っていたが、いわゆるラバー貼りのラケットで、角型日本式グリップのペンだった。卓球部に入るという前提ではじめて、ラケットとラバーを別々に買ったのだ。
ラケットはバタフライのサファイア(だったと思う)。ヒノキ(これも定かじゃないが)単板の丸型ペンホルダーで、なにせ当時は河野といい,、田坂といい、日本も前陣速攻の時代に突入していた。丸型ペンに表ソフトラバー。迷わず決めた。
住んでいた地域のスポーツ用品店の品揃えが圧倒的にバタフライだったのと当時は『卓球レポート』なる雑誌も愛読していたので、ラバーもバタフライ製、テンペストというラバーの表だった。そのころはそんなにラケットもラバーも種類が多くなかったので、やれテンションだの粘着だのという選択肢はなかった。オールラウンドかテンペストかスレイバー。スレイバーなんて高嶺の花でテンペストの倍近い値段だったと思う。しかも裏しかなかった。その後スーパースレイバーなどというさらに高嶺の花があらわれたが、そんな高級なラバーを貼っているやつは見たことがなかった。
サファイア+テンペスト表は打球感のやわらかいラケットに反発力のある表ソフトということで、なかなか手に馴染んだ。今でもサファイアは持っているが、ラバーは何度か貼り替えている。テンペストを越えるラバーはなかったんじゃないかな。
サファイアは丹念に削って、持った感じもよかったんだが、大人になってから手にするとやっぱりそれなりに成長したのか、微妙に手のサイズに合わなくなっている。

で、モーパッサン。
モーパッサンは読んでみると、ストーリーの組み立てとか人間描写が心憎いまでに巧みで、感心させられる。読む前のイメージはフランス文学の巨人という感じで、重々しい印象だったのだが。
『脂肪のかたまり』は彼の代表作ともいえる中篇でエリザベート・ルーセという登場人物のあだ名ブール・ドゥ・スイフ(脂肪のかたまり)が表題となっている。せっかくだからもうちょっと気の利いた題名にすればよかったのにと思う。

2008年9月1日月曜日

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

夏休みの終わりは連日の雷雨となった。しかし、よく降る。
仕事場で、インターネットのアクセスログを残さなければならず、先週分のログファイルを保存しようとしたら、ルータに残っているログは2~3日ぶんだけだった。要はルータ自体に記憶領域が多くないため、一週間分も保存できないようだ。
遊んでいるPCが一台あって、こないだfedora core9をインストールしていた。たいした使い途もないのでこいつにログをとらせようと思ったまではいいが、さほどLinuxの知識もなく、rsyslogの設定の仕方がわからない。
やれやれ。こうして8月が終わる。

筒井康隆を読んだのは『夢の木坂分岐点』以来だなと思っていたら、案外そうでもなく、読書記録を紐解くと、その後『残像に口紅を』『朝のガスパール』を読んでいる。ようだ。
いずれにしても筒井康隆という人は、その文章力やストーリーを生み出す卓抜なセンスを持ちながら、飽くなき探究心をもって、実験的な作品を世に送り続けているところがすごい。落語をやらせれば名人級なのに、あえて、色物を追い求める、そんな感じ。
この本は『夢の木坂』のように夢が舞台なのだが、微妙に異なるひとつのシチュエーションが反復されて、しおりをはさまず中断すると、どこまで読んだかわからなくなる。実に面倒な本である。しかしながら、その反復の中の微妙な差異が飽きさせないし、おもしろいし、読み手のモチベーションを維持してくれる。
色物も(なんていったら大変失礼千万な話だけど)ここまでくれば超一級の芸術だ。

2008年8月28日木曜日

青柳瑞穂訳『モーパッサン短編集』

今月は、高校野球とオリンピックの2大イベントで読書量が激減。昼間はラジオで、夜はテレビでと耳と目を消耗した。
高校野球の決勝は大阪桐蔭と常葉菊川。これは去年の春、出張ついでに立ち寄った甲子園で観戦した対戦だ。この夏は大阪がリベンジしたかたちになったが、去年の中田のような中心的存在がいないながらもどこからでも得点できる好チームだった。守備もよかった。一方で常葉菊川は戸狩を中心としたチームだけに彼の故障が痛かったのではないか。
オリンピックは卓球男子シングルスの決勝、王皓対馬琳が興味深かった。これだけシェークハンドのプレイヤーが多数ある中、ペンホルダー同士の対戦とあって、録画してくりかえし視てしまった。

モーパッサンの短編集は以前、岩波文庫の高山鉄男訳で読んだが、こちらの新潮文庫版は、三分冊となっており、(一)は田舎もの、(二)は都会もの、(三)は戦争ものと怪奇ものと分けられている。果たしてそれが読み手にとって親切かどうかは別として、360ほどあるモーパッサンの短編の65編がここにおさめられている。もちろん岩波版と重複するものある。
前回、寝しなに読んでいたせいか、電車の中で読みはじめると眠くなる。これは条件反射か、テレビの見過ぎ、ラジオの聞き過ぎか。ともあれ、まだ全部読んでしまったわけではない。行く夏を惜しみつつ、ゆっくりゆっくり読んでいこう。


2008年8月11日月曜日

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

以前同じマンションに住んでいたBさん一家は、ふたりの子どもが同い年ということもあり、いまだに家族ぐるみで付き合っている。もう何年も前に彼らは西宮に引っ越したのだが、年に一度は遊びに行くか、来るかしている。
今年、BさんちのAちゃんが甲子園の入場行進のプラカードを持つことになった。開会式をテレビで視て、「おお、映ってる!」と、わが娘を見つけたかのように興奮した。
甲子園というところは不思議な場所で、新聞などによる下馬評は、直近の地方予選の結果に加えて、春の選抜大会や地区予選の結果をベースにしている。春の近畿大会を征した福知山成美が強いだとか、同じく関東大会を勝った木更津総合が頭ひとつリードしているなどと報道される。春の選抜ベスト4で地方予選を勝ち抜いてきた唯一の学校である千葉経済大付が注目されたりするわけだ。
でもって、そうは簡単にはいかないところが甲子園のすごいところなのだ。

1985年に野崎孝訳で『ギャツビー』を読んだ。そのころ映画も観た。ロバート・レッドフォードが主演だった。そもそもは村上春樹が高い評価を与えている小説ということで読んだのだ。村上訳を読んでも、やはりこれは簡単な小説ではない。が、村上春樹のこの小説に対する思い、みたいなものは翻訳からもじゅうぶんうかがい知ることができる。

続々とベスト16が決まっていく。常葉菊川、智弁和歌山、横浜、浦添商と千葉経大付の勝者が優勝候補とにらんでいるのだが…。

2008年8月1日金曜日

山本文緒『プラナリア』

でね。
ぼくらは学校の体育館を追い出され、児童館で卓球をするようになったわけだ。単に遊び場所が変わったっていうふうに解釈すれば、まったくそのとおりなんだが、実のところ遊び場のダウンサイジングはぼくらの卓球のスタイルにも影響を与えた。つまり、ぼくらが覚えた卓球は体育館というある意味、小学生にとって卓球をやる上で無尽蔵なスペースだったわけで、卓球台の両サイドを走りまわる、まさに純日本的なドライブ卓球が身についていた。相手からスマッシュされたら、まずは下がる。ロビングでひろえる限りひろって、向こうのミスを待つ。あるいは打ち切れなかったゆるいボールに飛びついてカウンタースマッシュをする。まあ、なかなかそこまで技術的には追いついていなかったけどね。少なくともぼくらは71年世界卓球の伊藤繁雄からそんな卓球を教わっていた。
それがだよ。児童館は遊戯空間としては適度な広さと快適さ、さらにはちょっと新しい遊具の数々があって、子どもにとってはこんな恵まれたスペースはなかったんだ。でもだよ。そうした多目的プレイスペースに卓球台も置かれているわけで、これはいきなり「小さく前へならえ!」の状態で卓球をするようなものなんだ。しかも天井が低い。下がってロビングなんてまず不可能。要はここではラケットを振って、ボールを打ち返すことはできても、名古屋世界選手権団体戦、荘則棟に代わって中国のエースとなって活躍した李景光が繰り出すスマッシュをかろうじてロビングでしのぐ伊藤繁雄、みたいなラリーは望むべくもないということだ(もともとそんな技術もないのだが)。
結局、児童館卓球はぼくらを卓球台のすぐ近くに立たせて、そこで卓球をするすべての子どもたちを前陣速攻型のプレイヤーに変えてしまった。

でね。
山本文緒は最近新しい短編集を出したそうだが、そちらはまだ読んでいなくて、テレビの○曜ロードショウで以前のヒット作を見るように『プラナリア』を読んでみた。
この本を読む限り、どの短編も結末近くなると急激に話が展開しだす。あれよあれよと話が動き出し、いつしか終わっている。

ただ、前陣速攻というのはフォアもバックも同じように強くて速い打球を打てなければならないんだよね。ぼくらのまわりでバックハンドが難しいペンホルダーよりシェークハンドグリップが増えてきたのも、もとを正せば児童館のせいなのかもしれない。

2008年7月29日火曜日

井村順一『美しい言葉づかい』

今年の高校野球は記念大会とやらで出場校が例年より多い。埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の6県から2校出場するのだそうだ。というわけで上記6県は東西なり南北なりの区分けをして代表校を2校にしている。
決勝に進出した2校を第一代表、第二代表にすればいいんじゃないのっていう意見もある。ぼくもそうだ。それでも負けたチームも甲子園に行けるのはおかしいと主張する人もいて、世の中って難しいと思う。
この本は「フランス人の表現技術」という副題がついており、17世紀に現在の洗練されたフランス語の基盤ができたということを主テーマとして伝えている。サロンと呼ばれる会話を磨き、教養を育む場が盛んになり、その中から「美しい言葉づかい」が尊重されるようになり、ヴォージュラという人が『フランス語に関する注意書』という書を著した。そんな時代の話。
ヴォルテールの著書に『ルイ14世の世紀』があるが、普通の日本の市民としては、なかなか17世紀のフランスにはお目にかかれるものではない。そういった意味でこれは貴重な新書であると思う。



2008年7月25日金曜日

高山鉄男編訳『モーパッサン短編選』

高校野球西東京大会は今日準決勝。
第一試合は日大三対早実。2年前の決勝戦と同じ。日大三エース関谷をおそらく早実打線は打てないだろう、そんな試合運びだった。しかしだ。高校野球ってのはおもしろいもんだね。あれほど打てなかった早実打線が8回同点、9回逆転だもんね。びっくらこいた。両校とも元は港区赤坂と新宿区早稲田に学校があった。神宮球場は卒業生たちが大いに盛り上げたにちがいない。
第二試合は日大ニ対日大鶴ヶ丘。付属校どうしの一戦。昨年の秋から日大ニが強いので密かに注目はしていたのだが、どうもこのチーム、エースで4番のワンマンチームの印象がある。いわば個人技でここまでのしあがってきた、昔で言えば江川のいた作新学院か。いやいや、下手な評価はしちゃいけないな。
試合はシーソーゲームで鶴ヶ丘高校がサヨナラ勝ちしたようだ。
ところでモーパッサンってのはいくら外国の人とはいえ、子どもながらに変な名前だと思っていた。
短編の上手い作家とはよく言われているが、たしかにおもしろい。朝晩電車の中で2編、夜寝るとき1編。コンスタントに読みたい名手である。


2008年7月23日水曜日

湯本香樹実『春のオルガン』

子どもの頃、日本は卓球が強かった。
小学生のとき、名古屋で世界卓球選手権が開催され、テレビでも中継された。日本は前回の大会で伊藤繁雄が男子シングルスで優勝していたし、その前はシェーク一本差しという個性的なグリップで豪快なドライブを決める長谷川信彦が優勝していた。そのころ子どもだったのでよくわからなかったが、中国が世界選手権に参加していなくて、それでも定期的に開催される日中対抗戦では当時荘則棟という前陣速攻のおそろしくスピードのある選手が日本選手を打ち負かしていた。で、そうそう、少し思い出してきた。名古屋大会から中国が世界選手権に復帰したんだ。それで日本人選手による男子シングルス3連覇の前に中国選手が立ちはだかるものと予想されていたんだ。でも、結果はベンクソンというシェークを振り回すヨーロッパスタイルの選手が連覇をねらう伊藤を破って、何十年ぶりかでヨーロッパにタイトルを持ち帰ったんだ。
伊藤繁雄という選手は台から離れて豪快なフォアドライブを連打する選手で、ほとんどバックは使わない。たまにショートで返すことはあるけれど、とにかく右へ左へフットワーク巧みに動き回ってそのフォアハンドから強烈なドライブを打ち込んでいた。
ぼくらの卓球仲間はほとんどがペンのドライブ型をめざした。中には当時流行りだしたシェークハンドグリップでヨーロッパスタイルを模す者、円いペンホルダーに表ソフトラバーを貼って、前陣速攻を目指す者もいたが、主流派はなといってもペンのドライブ、伊藤繁雄のスタイルだった。それはぼくたちが体育館を使って卓球をするという環境的に恵まれていたせいもあった。
後に校庭開放日が少なくなるとぼくらの卓球場は児童センターとか児童館と呼ばれた区の施設になる。そこは当時東京からなくなりつつあった空き地や広場みたいな遊び場の代替品のような施設だった。

なんの話だっけ?
ああ、湯本香樹実の『春のオルガン』だ。
ぼくには姉がひとりいて、けっこうなついていた。自分でいうのも変だが、ずいぶん姉思いの弟だった。だからってわけじゃないが、ちょっとかしこくって、素直な弟が登場人物としていると、「これって、おれっぽくね」みたいな見方で読んじゃうんだよね。
それにしてもこの作者、じいさん書かせたら日本一だね。


2008年7月18日金曜日

エミール・ゾラ『居酒屋』

昨日の3回戦は素晴らしい試合だった。在学中から卒業してまで30数年、すべての試合を観てきたわけじゃないが、それでも30試合近くは観ているだろう。まさにぼくが観てきた試合史上最高の一戦だった。そして最後の一戦だった。
今日は注目の試合があった。昨年秋季新人戦の覇者にして選抜代表、なのに春季大会で初戦敗退し、ノーシードの関東一と春季大会の覇者、今大会第一シードの帝京が早くも3回戦で激突したのだ。先ほど高野連のサイトで結果を見たら、なんと第一シード帝京が敗れた。今日の空模様のように優勝争いに暗雲が立ちこめてきた。
で、なんの脈絡もなくゾラを読む。もともと新聞に連載された小説だそうだ。どうりで、各章ごとにちゃんと事件があって、連続ドラマのような盛り上がりがある。
思い出した。このあいだ読んだ『パリとセーヌ川』によって触発されて読もうと思ったんだ。


2008年7月16日水曜日

二宮清純『プロ野球の一流たち』

音楽プロデューサーのM君が腱鞘炎になってしまったそうで、しばらくは卓球の練習はお休み。
かわって野球。高校野球東東京大会が先週からはじまって、2試合を観戦。今年はぼくの出身校が来年には完全に中高一貫校に変わるため、3年による都立高校のチームと1、2年生による区立中高一貫校のチームと合同で出場している。これは学校名もシステムの異なるふたつの学校の合同チームだから、3年生と下級生とではユニフォームもちがう。まるで草野球を見ているようだ。とはいえ、1回戦、2回戦と勝ち進んで、レベルはそれなりに上がってきた。もう草野球ははるかに越えた。高校生ぐらいだとひと試合ごと、めきめきと力をつける。
次の3回戦にはシード校が出てくる。いよいよスタンドで都立高校の名を刻んだ校歌を聞くのも最後かもしれない。

二宮清純は、地に足の着いた本格派のスポーツライターだ。スポーツを大きくとらえる視野の広さ、畳みかける構成力もさることながら、インタビューの力がすごい。
こんど卓球でM君に勝てたら、ぜひインタビューされたい。

2008年7月8日火曜日

小倉孝誠『パリとセーヌ川』

テーマがちゃんとしていると本は読んでいて面白い。
著者はセーヌ川をパリ論の中心に据えて、歴史、旅、文学、映画、絵画とさまざまジャンルに飛翔し、セーヌとパリを顧みる。幅広い知識と読書量が支える仕事だ。
ぼくはどちらかといえば、フランスにもし旅できたとしても、パリにはよほど余裕がない限り、とどまるつもりはないと思っていた。それよりも見てまわりたい地方の村々がいくらでもあるからだ。でもこの本を読んで、まあパリにも3日くらい充てたほうがいいかもな、などと獲らぬ狸の旅程表を書き直してみたりするのである。

2008年7月6日日曜日

小川糸『食堂かたつむり』

小学校の1級上にIという者がいて、卓球だけは上手かった。 放課後や休日の校庭開放では、たいがい野球をするのだが、上級生に場所をとられ、行く当てのない下級生は体育館で卓球をする。そこには卓球だけ番長なIがいて、試合をする、というか無理やりやらされる。叩きのめされる。まともにラリーも続かず、あっけなく終わる。 そうこうするうち卓球番長も気づいたのだろう。こいつら下級生をレベルアップさせれば、放課後の卓球はもう少しましになるんじゃないかと。ある日を境にIはぼくたちにラケットの握り方、スイングの仕方、サーブの打ち方など基本を教えはじめた。素振りもさせられた。腕立て伏せをするといい、とかトレーニングのことまで伝授した。 ぼくらはIから何点かポイントを奪えるくらいには進歩した。 今にして思えば、ぼくの卓球はほぼ100%、Iから教わったものだ。
実は先週、音楽プロデューサーのM君から卓球をしようと誘われ、久しぶりにラケットを振ってきたのだ。おかげで先週はずっと筋肉痛だった。 そのM君から、おもしろかったですよとすすめられたのが小川糸の『食堂かたつむり』だ。なかなかオーガニックなお話で、結構なんじゃないでしょうか。途中までは梨木香歩の方向に行くのか、吉本ばななの方向に行くのかどっちかなと思っていたら、ややばなな方向でした。

2008年7月5日土曜日

アドフェスト2008展

汐留アドミュージアム東京。

危うく行きそびれるところだったアドフェスト展。昨日なんとか時間をやりくってTV部門を中心に見た。
アジアのCMは、ここ何年か、ものすごくパワフルだ。インドやタイのCMがカンヌで上位に入賞したりして、勢いを感じる。そんな中、日本の作品にもある意味、勢いが戻りつつある。
ここのところ国際的な広告賞では常連となりつつあるエステワムのBeauty Bowling(Silver)などは、これまで以上にハチャメチャだ。カルピスソーダのThe Kind Boy(Blonze)あたりは日本的なギャグかと思えるが、サントリー胡麻麦茶のFireman(Blonze)あたりになるとかなり東南アジアな発想といえるだろう。いずれも商品と広告メッセージをできるだけ薄く繋ぎとめることで表現の自由度を増している。
日本の2作品がGoldを受賞したが、一本はリクナビの山田裕子の就職活動篇。リクルート学生をなぜかスポバで応援するサポーターがいて、そのばかばかしさと熱さが絶妙に面白い。
もうひとつはマクセルのDVD。記憶にとどめておきたいことはマクセルのDVDでという一連のCMシリーズの中のバリエーション。廃校となる小学校のカウントダウンを映像にとどめるというドキュメンタリータッチの佳作。
都市化=農村の過疎化に加え、少子化という現代日本の問題を見事に浮き彫りにして見せており、そんな社会性のあるメッセージが審査員にも届いたのだろうか。とはいうものの、こうした問題提起はCMでできても、それらの解決に向けて、CMは何ができるのだろう。広告ってまだまだ無力のような気もするのだ。


2008年7月3日木曜日

杉浦日向子とソ連編著『ソバ屋で憩う』

犬か猫かという嗜好の問い方があるのと同じくらい明快な区分けの仕方としてそばかうどんかという問いかけがある。もちろん迷わずそばである。
昼間ちょっとした隙をねらって、そば屋に行って、熱燗とかまぼこを注文する。これぞ至福のひとときである。
銀座界隈なら「よし田」、「さらしなの里」、麻布界隈なら「永坂更科布屋太兵衛」、「堀川更科」、赤坂界隈なら「赤坂砂場」、「虎ノ門砂場」、上野界隈なら「並木藪」、「池之端藪」、神田界隈なら「まつや」、「室町砂場」、「神田藪」、「一茶庵」、荻窪界隈なら「本村庵」、「鞍馬」…。

ぼくの中でそば屋は大きく分けて、
◆伝統系…いわゆる老舗で昼夜自在に酒が呑める
◆ブティック系…こだわりの店主がひとり黙々とそばを打つこじんまりとしたそば屋
◆町そば系…出前をしてくれる町のおそば屋さん。オフィス街や駅に近いと夜居酒屋になるところもある
◆立ち食い系…いわゆる立ち食いそば
となるのだが、案外いけてないのが、ブティック系。伝統系のそば屋で修行の末独立した店もあるが、中には脱サラして独学で店を立ち上げたケースも多い。だいたいからして値段が高く(もり・かけで700円以上)、突飛なつまみがある(そば屋のつまみは本来そばのトッピングを加工したものであるべきだ)。そんなわけでぼくが行くそば屋はおのずと伝統系になるわけだ。

町そば屋にも隠れた名店がある。半蔵門駅に程近い「麹町長寿庵」は出前で食べてもうまいそば屋だ。夕方はやめに店に行くと紋付を着た人がそばをすすっている。国立劇場の出演者が出番前に腹ごしらえをしているのだ。
赤坂見附駅近く「赤坂長寿庵」もいい。鴨せいろならここに限る。

現時点でぼくがいちばん好きなそば屋は西荻窪の「鞍馬」で、いちばん行ってみたいそば屋は山形の「萬盛庵」だ。
まあ、そば屋の話をしだすときりがない。つづきはこの本でお楽しみください。


2008年6月30日月曜日

山田祐介『レンタル・チルドレン』

仕事場のプライバシーマークの現地審査があって、改善点が送り返されてきた。プライバシーマークの認証を更新するには社内に個人情報保護の意識を恒常的に植えつけていかなければならず、日々やっかいなエビデンス(記録)をこまめに残させなければならない。
ぼくの仕事場は25人ほどの小さい事務所なのだが、協力的な人もいれば、まったく無関心な人もいる。いちばんやっかいなのは関心がありそうでいて、協力的な態度を装って、実はまったく協力的でないという輩だ。大概の場合、そういう人たちは個人情報保護のためのマネジメントシステムなんぞほとんど理解していない。そしてその手の人間には本を読まない者が多い。成毛真が本を読まない人はサルだといっていたが、サルだって字さえ読めれば本は読むだろう。より正しく表現するならば、「サル未満」というべきではないか。

また山田祐介を読んでしまった。
ちょっと難しい本を読んでいたので息抜きしたかったのだ。これも簡単な本だから、多少のはちゃめちゃさ加減には目を瞑って、とりあえずひまだから怖がりたいなあと思ったときに読むといいだろう。

2008年6月28日土曜日

ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』

中学生の頃は建築家になりたいと思っていた。
高校生になって、いくつかの教科でその方面に進学することが甚だ困難であるとわかって、文科系に転進した。勇気ある撤退だ。
そこで考えた。
文科系といっても何学部に行けばいいのか。そもそも工学部建築学科、みたいな具体的過ぎる目標イメージがあった割には、文科系学部に関してはほとんど無知で、いろいろまわりに訊いてみると法学部、経済学部、商学部、文学部などがあるらしい。今も大して進歩していないが、当時、世の中のことって複雑で面倒に思えたので、法律とか経済って難しいのだなと敬遠した。結局小学生の頃、よく先生に作文を褒められていたことを思い出し、文学部をめざすことにした。

そんなこんなでいまだに経済とかビジネスに関する本はほとんど読まない。この『資本主義対資本主義』は、たまたま先日読んだ成毛真の『本は10冊同時に読め!』の中でもっとも感化された本の一冊として紹介されていたので興味をそそられたのだ。
今は市場経済が世界の大きな潮流になっているが、そのきっかけとして著者はレーガン、サッチャー政権の税制改革をとりあげている。とはいえ、ヨーロッパにはヨーロッパの資本主義があり、アメリカを中心としたアングロサクソン型(さらにはネオアメリカ型)経済とヨーロッパを中心としたアルペン型(さらにはライン型)経済とに資本主義を細分化し、冷戦時代には模糊としていた資本主義の系譜を明快にして論をすすめるあたりは面白い。
著者はフランス人だが、大きくドイツ対アメリカという図式を用いながら、フランス資本主義のアイデンティティを問い直すというのが本旨なのだろう。思うに、本書の資本主義のベースにあるのは工業化社会である。工業主体の産業構造のみ着目したならば、日本もドイツも国土や資源の問題を考えると国家的プロジェクトで工業化社会が生後復興の第一義であったろう。フランスをはじめとしたラテンの国々やさらには中南米、アフリカは必ずしも資本主義=工業社会ではない。農業や水産業も含めて資本主義を問い直すとき、さらなる軸が見出せるような気もする。

翻訳はおそらく原文忠実になされているのだろう。機会があれば原書と見比べたいところもあった。翻訳というより同時通訳に近いのでワールドニュースの原稿を淡々と読むような気分で読んだ。
よく翻訳もので気になるのは、縦書きなのに「上に書いたように」とそのまま訳されていたり、原書が執筆された時点が明快でないまま「○○年前」みたいな記述をそのまま訳出していることだ。大学院の授業ならそれでよいだろうが、出版物とするなら配慮が必要だ。


2008年6月23日月曜日

松岡正剛『知の編集術』

本書の中で懐かしい名前を見た。
湯野正憲。
高校時代の体育の先生で日本でも有数の剣道の大家だと聞かされていた。いちど担当の、やはり剣道部の顧問をしていたM先生が休んだとき、ピンチヒッターで授業をしてくれたことがある。当時にしてすでにかなりのご年配で、当然のことながらいきなりみんなで走りまわったり、ボールを蹴りだしたりなどという授業ではなく、先生のお話をありがたく頂戴するという、ちょっと風変わりな体育の授業だった。
湯野先生は若い頃からスポーツ万能であらゆる競技に取り組んでいたのだが、あるとき剣道の師匠からそろそろ剣道一本にしぼって、その道を極めるべきだと叱責され、以後剣道一筋に生きたという。また、海に行っても、決して遮二無二泳いだりなどせず、仰向けになって波にたゆたっているだけなんだそうだ。そうして無の境地になると自ら呼吸をしなくとも、自然と空気が体内に入り、自然と体外に出てゆく。「鳴らぬ先の鐘」ではないが、先生はこうして心を静め、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。かれこれ30年前の記憶なのであまり頼りにはならないが、そんなようなことを話してくれた。

松岡正剛は編集工学研究所を主宰している知の巨人である。氏の「千夜千冊」はぼくにとってはバイブル的存在で一冊の本から、自分の知や読書や経験を結びつけていく闊達な語り口はあこがれの的であった。ぼくが読んだ本に失礼のないように謝意を記録する試みをはじめたのも氏のサイトの影響が大きい(まあそれこそ雲泥の差というのはまさにこのことを言うのであろうが)。
著者の論旨が明快で動的に感じるのは、おそらく個々の編集技法やさまざまな方法に適切なネーミングを施しているからなのだと思った。新書だからと軽く読んでしまった。もう一度きちんと読み直す必要があると思う。
こんな知の世界がすうっと身体の中に入ってきたら、痛快だろうな。



2008年6月21日土曜日

山田祐介『あそこの席』

南仏カンヌでは国際広告祭が行われている。
昨日、フィルム部門のショートリストがホームページにアップされていた。いよいよ今日は最終日。グランプリが決する。
いま時分の南仏は気候がいい。日が長く、夜9時近くまで晴れて、気温は高いのだが、湿度が低くて、カラッとしている。それにひきかえ、日本の今日のような天気はなんとも重苦しい。

電車の中で読む本がなかったので、次女に買ってあげた文庫本を借りて読んだ。若い世代には受けている作家なのだろうか。
まあとにかく話の進展がはやい。ホラーにしては、次々にネタが明かされていくので、多少物足りないところはあるにせよ、手っ取りばやく結末にいたる。楽勝な本だ。強いてあげれば、ラストが大方の予想通りだったかな。

2008年6月19日木曜日

浅田次郎『霞町物語』

港区には古い地名が残っていたというのはなんとなく記憶にある。子どもの頃よく行った赤坂の伯父の家は丹後町という名前だったし、その後引越した六本木三河台公園のあたりは今井町だったと思う。今でも古いタクシーの運転手は龍土町とか高樹町などとよく使う。銀座も尾張町だの木挽町だの粋な町名があったそうだ。なかなか風情がある。
ぼくの中で浅田ワールドは2種類あって、ひとつはおとぎばなし系で『鉄道員』とか『地下鉄に乗って』のようなちょっとしたファンタジー。もうひとつは正攻法もの。飛び道具を使わずに書き綴った小説群だ。といってもさほど数多くの作品を読んだわけではないから偉そうには言えないが。
『霞町物語』は正攻法の自伝的連作短編集といったところか。舞台は麻布十番、霞町、六本木、赤坂、青山ときわめて都会的で洗練されている場所だが、これらは今風にとらえると都会的なだけであって、登場人物はいわゆる港区土着の原住民であり、物語はきわめてローカルな話だ。会話の描写などにその辺はあらわれている。
かつて都会の真ん中のあらゆるところに潜んでいたこうした田舎ものたちにぼくは心底あこがれちゃうんだな。

2008年6月18日水曜日

宇田賢吉『電車の運転』

昨今、鉄道が趣味としてクローズアップされているが、昔から親しんできた者にとってはさほど驚くべきことでもない。少なからず男の子であれば、巨大な装置産業である鉄道に一度や二度は憧憬を抱いたことはあるはずで、要はその傾注の仕方の質と量の問題なような気もする。
ぼくは趣味としての鉄道を「模型派」、「写真派」、「時刻表派」に区分している。しかし最近は運転シミュレーションゲームがヒットしたり、タモリ倶楽部や熱中人などテレビ番組の影響もあり、装置として鉄道にも注目が集まっている。
タイトルはそのものずばり、『電車の運転』。朴訥な題名だ。今時分の新書にしてはすさまじく質素だ。しかし「なぜ運転士は電車を動かし止めるのか」とか「誰でもわかる電車入門」みたいな興味本位な題名でないことが、この本の内容を如実に示している。
著者は国鉄時代から40年余にわたって運転士を務めてきた。その経験と教育から得た電車運転の実践を生真面目に語っている。発車から加速、力行、惰行、停止など運転の実際。そして動力(モーター)のしくみ、電力の供給方法から、ノッチ、ブレーキのしくみ、操作方法、さらに分岐器、信号機にいたるまで、運転士に必要な知識はほぼもれなく網羅されているのではないだろうか。

  規則とは、利用者にプラスをもたらすためにある。われわれも営業
  関係の規則はお客様のために柔軟に運用することがベストだと教
  育されてきた。それに対して、運転に関する規則は不便に思えて
  も四角四面に運用することが最終的に無事故につながると叩き込
  まれている。

のだそうだ。筆者が寡黙に日々の業務に取り組み、丹念に日誌を残し、メモをとっていたのだろうと思わせる。
読んでいて気になったのは、専門用語が順序だてて整理されていないことだ。突然難解な用語が出てきて、その解説が後まわしになっている箇所がいくつも見られた。まあこれは著者の問題ではなく、編集者の怠慢だろう。残念なことである。


2008年6月16日月曜日

辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』

昨日、個人情報保護士の認定試験のために駒場の東京大学に行く。井の頭線で駒場東大前下車すぐ。この駅には降り立つのは実に久しぶりのことだ。
中学生の頃、近所に住む一学年先輩のIさんがこの界隈の私立中学に通っていることもあって、五月祭に誘われていったのがはじめて。二度目はたしか練習試合か公式戦かバレーボールの試合でやはりこの駅に近い国立の高校に行ったことがある。駅の北側、つまり教養学部側に降りたのは中学生のとき以来ということだ。
で、試験はどうしたかって?まあ野暮なことはきかねえで、一杯やんなよ。

ぼくの仕事場では一昨年にプライバシーマークを取得し、今年更新の手続をしたこともあって、JIS Q15001とか経産省のガイドラインはひととおり目を通してはいたのだが、この個人情報保護士の認定試験には法そのものの知識や今までとんと知らなかった情報セキュリティやリスクマネジメント、事業継続などの規格やガイドラインの知識も要求されるので勉強になったといえばなったし、やっかいだといえばやっかいだった。いずれにしても全日本情報学習振興会の個人情報保護士認定試験の準備としては、先に紹介した『個人情報保護士試験公式テキスト』とこの問題集を何回か往復すればこと足りる。
はずだ。

天気がいいので渋谷まで歩こうかとも思ったが、しばらく読んでいない本もあるのでふたたび井の頭線に乗った。



浅田次郎『地下鉄に乗って』

伯父が赤坂に住んでいたので、よく地下鉄に乗って遊びに行った。新橋から赤坂見附まで当時は2駅だったが、灯りが消える瞬間、毎度のように驚き、きしむレールの音に毎度のように閉口したのを憶えている。
当時木造建築のような赤坂見附駅に着くと、向かい側のホームにはよく絵本で見かける丸の内線がほぼ同時に滑り込んできてうまい具合に連絡していた。子どもながらに黄色い電車と赤い電車は仲がいいと思った。
そういった意味では御茶ノ水駅の快速電車と総武線直通の各駅停車はどことなく快速の方が高圧的であまり仲がよさそうではなかった。御茶ノ水駅から見える丸の内線がいい人に思えたものだ。

物語はその赤坂見附からはじまる。
『地下鉄(メトロ)に乗って』
こないだテレビで映画をやっていた。
タイムスリップものはちょっとずるい気がする。ましてや原作が浅田次郎なんて反則技に等しい。
この本は浅田次郎の比較的初期の作品でそのせいかいまひとつ洗練し切れていない印象があるが、それでもじゅうぶんすぎる浅田ワールドだ。


2008年6月13日金曜日

リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』

昨日の夜、うちの玄関にヒキガエルがいた。
壁をよじ登ろうとしていた。インターホンでも押そうとしていたのだろうか。
ちょっと声をかけてみたら、どうやらうちの前、バス通りをはさんだ向かいの小学校がこんど統合されるということで解体工事がはじまり、今まで居ついていた敷地内の池に居づらくなったそうだ。それでもってどこかいい棲みかはないか探しているという。うちの玄関でも庭でも居てくれてかまわないが、池があるわけでなし、夏場は玄関のある北側も日が当たるから、どこか近くの神社か公園でも訪ねたらどうかと言ってやった。やれやれまったく住みにくくなったなこの辺りも、とぐじぐじ文句を言いながらヒキガエルは闇のなかに消えていった。
怖がり屋の長女は梨木香歩とか好きで読んでいるわりには、この手の生きものが好きではない。ヒキガエルが玄関にいたと言ったら、明日外に出られない、学校にいけない、と騒いでいた。

ぼくは広告の仕事をしているので「クリエイティブ」とタイトルにある本はつい手にしてしまうのだが、この本は広告コミュニケーションの本ではなく、現代アメリカ社会がかかえるさまざまな問題を指摘し、世界に冠たる超大国アメリカの地位を保持し、さらなる経済発展を遂げるためのヒントを提供するれっきとした学術書だった。クリエイティブとは広い意味で知識労働者ということらしい。
いわゆる9.11のテロ以来、アメリカは経済的発展を促すテクノロジー(技術)、タレント(才能)、トレランス(寛容性)の3つのTのうち、トレランスにおいて他国、他地域と水を開けられつつある。カナダ、オーストラリア、スカンジナビア諸国、インド、中国が世界の才能を集め、あるいは自国の才能を呼び戻しているという。そんなこんなでいずれアメリカは大きなしっぺ返しを食らうのではないかというのが著者の懸念である。
まあ、アメリカは腐ってもアメリカだろうとぼくは思ってるんだけど。っていうかもう腐りすぎてる?

朝、新聞を取りにいくついでに家の周りを丁寧に眺めまわしたが、ヒキガエルは見つからなかった。住まい探しの旅に出たのかもしれない。幸運を祈る。



2008年6月11日水曜日

江國香織『落下する夕方』

語学の話を引きずろう。
二十歳くらいの頃、何を思ったか、アルバイトで稼いだ金をつぎ込んで御茶ノ水のフランス語学校にしばらく通っていた。入門クラスを終え、初級コースに進んだのだが、そのなかにひとり、今のぼくくらいの年配の男性がいた。話をしたこともなく、いつも席が離れていたので、どんな動機でそこに通っていたかは定かじゃない。昔かじったことがあるフランス語をもう一度、みたいな、おじさんがロックバンドやフォークバンドをはじめるような感じ、でもなかった。
授業では日本語はいっさいしゃべらないことになっている。昔タモリやビートたけしや明石家さんまが正月にやっていたゴルフみたいなもんだ。まず、出席をとる。先生がひとりひとり名前を読み上げる。女性はpresente(スペルは正確じゃないが)、男性はpresentと答える。これは初心者にとっては緊張する作業だ。で、その年配の方はたしかにpresentではなく、プレザーンと片仮名ないしは平仮名で返答していた。Il n'y a pas de stylo.なんて文章も「イール・ニ・ヤ・パッ・ド・スティーロー」と読んだりする。
その後中級コースに進んで、何度か授業に出たが、お金が続かなくなり、なんとなく忙しくなって学校には行かなくなった。おじさんは今頃どうしているだろう。
先日読んだ『外国語上達法』で語学上達に必要なのはお金と時間とあったが、たしかにそうだ。さらにいえば、能動性と強制力ではないかとぼくは思っている。
いずれにしても自分からすすんで取り組まないことには前進はしない。それと学校に行くとか、宿題を課せられるとか無理強いさせられないと言葉って身に付かないんじゃないかと思っている。
実は、もう一度御茶ノ水でも飯田橋でもいいのでフランス語学校に通ってみたいと最近思っているのだ。しばらく前からずっとそう思っている。が、ときどき脳裏をかすめるのは昔同じ教室にいたあのおじさんだ。今度はぼくが「なんだあのおじさん」と言われてしまうのだろうか。

ちょっと引きずりすぎた。
江國香織を読むのはずいぶん久しぶりで、この文庫本は、5年ほど前仕事で行った大阪は豊中の本屋で買った。仕事の合間の退屈しのぎによさそうな雰囲気がしたからだ。でも結局ずっと読まないまま放置していた。
江國作品のなかの小気味いい人物設定が好きだ。
彼らは「私は新幹線が嫌いだ」(あげは蝶)とか「記憶はおもちゃのブロックに似ている」(ホリーガーデン)、「夜の電車はすごくきれいだ」(流しのしたの骨)、「運動会のなかで、あたしはお弁当の時間がやっぱりいちばん好きだ。外の空気の匂いに、みんなおむすびの海苔の匂いのまざるところが特別で好き」、「あたしは学期のなかで三学期がいちばん好きだ」(神様のボート)、「私が品がないと思っているもの。携帯電話、愚痴、ゴルフ、恋」(ウエハースの椅子)、「透は牛乳が好きだ。砂糖を入れなくても奥底で甘いところがいい」(東京タワー)、「私はバスという乗り物が好きだ」(愛しいひとが、もうすぐここにやってくる)などなど気持ちよく言ってのける。
そういえば今回の主人公は「秋は一年じゅうでいちばんお茶漬けのおいしい季節だと思う」と言ってたっけ。


2008年6月9日月曜日

千野栄一『外国語上達法』

個人情報保護士の試験の問題集から。
次の記述が正しいか正しくないかを問う問題。

  個人情報取扱事業者は偽りその他不正の手段により個人情
  報を取得してはならないが、個人情報取扱事業者が、他の
  ものに指示して詐欺により個人情報を取得させてその者から
  個人情報を取得したとしても、当該個人情報取扱事業者が
  詐欺を行ったわけではないので、不正の手段により個人情
  報を取得したとはいえない。

こりゃ、わかるだろう。本当にこんな問題が過去に出題されているのだろうか。

その人が読む本というのは大きく2種類あって、興味関心があって深く情報なり感銘なりを得たいがために読む本と、ある意味自らのコンプレックスに対処あるいはなんらかの慰みを得るために読む本である。
ずいぶん乱暴な仕分けの仕方であるが、ぼくはどちらかといえば本に頼る人生を送ってきたような気がする。
小学生の頃、クラスで野球チームを組んだとき、真っ先に『野球入門』みたいな本を買って読んだし、児童センターの卓球教室に通いはじめて、最初に読んだのは『卓球教室』みたいな本だった(題名は正確に記憶していない)。そんなわけで『初歩の剣道』とか『少年カメラマン入門』とか『やさしい電子工作』とか、まずは知識から入っていくタイプだった。そして大概の場合、そんな輩が何を極めるということはない。
とはいえ、その傾向はいまだに強く、とりわけずっと弱くて、なんとかしたいと思っていたものとして語学があって、いわゆる入門書的な読み物があれば、底なし沼に浮かぶ藁のごとくしがみついてしまうのである。
『外国語上達法』
いかにも上達しそうなタイトルではないか。しかも神田駿河台下の三省堂書店の語学コーナーに置かれていたのだ。ちょうど六鹿豊著『これなら覚えられるフランス語単語帳』という本を探しに来ていたところでついつい購入してしまった。
この本の好感の持てるところは筆者が自らを語学が苦手として(もちろんそんなことはあるまいだろうが)、あくまで謙虚、かつ巧妙な語り口を保持しているところだろう。

  言語の習得にぜひ必要なものはお金と時間であり、
  覚えなければ外国語が習得できない二つの項目は
  語彙と文法で、習得のための三つの大切な道具は
  よい教科書と、よい先生と、よい辞書ということになる。

なかなか的を射ていてわかりやすい。

2008年6月8日日曜日

松山猛『少年Mのイムジン河』

東京六大学野球は、春秋のリーグ戦終了後新人戦がある。1、2年生によるトーナメント形式の大会だ。レギュラーシーズンの試合のような応援団もいなくて、神宮球場のスタンドもネット裏しか開放されない。まるで第二球場で試合をしているようである。下級生のチームでもすでにレギュラーとして活躍している選手は少なく、まあ1軍半から2軍といったあたりか。
昨日は三位決定戦明治対法政と決勝戦早稲田対立教の2試合が行われた。
新人戦の醍醐味といったら、やはり昨年、一昨年と甲子園を沸かせた選手たちの活躍だろう。明治では大垣日大出身の森田が最終回1イニングを投げた。140キロ代の真っすぐはなかなか切れがいい。早稲田は広陵出身の土生が2本の三塁打と犠打で5打点と活躍した。
仕事場の書架にあった『少年Mのイムジン河』を手にとった。
この本は映画『パッチギ』が話題になった2005年に読んだ。映画の原案になった本であるが、映像の激しさに比べるとぐっとやさしい大人の絵本だ。

2008年6月7日土曜日

平林博『フランスに学ぶ国家ブランド』

NHKラジオフランス語講座中級編がおもしろい。
講師はフランス人で東京日仏学院でも講師をしている3人。それはまあふつうの(聴いている限り)講師。おもしろいのはナビゲーター役の女性だ。先月までは明石伸子という早稲田大学の講師だった。この人もよかったのだが、今月から担当している上智大学講師の常盤僚子がさらにいい。語り口は淡々として、抑揚がなく、講師のレクチャーを同時通訳のように感情を押し殺して伝えている。にもかかわらず、講師が「(パリに行くにあたって)特に予定は決まっていないが、とりあえず観光をしたいし、いろんな建物を見てみたい」(これはもちろんフランス語で言うわけだが)と言ったのを受けて、「パリにはいろんな建物がありますが、でも、あんまり上を見ていると犬の糞を踏んでしまいますよね」とおそらくはボケてはいないであろうひと言を言うのだ。こうしておもしろがって書いてみて、読んでみると、さしておもしろくもない。が、これがNHKのラジオ第二放送から聴こえてくるとそれなりのインパクトはある(ちなみに犬の糞の話を受けて、最近大都市では条例などで取締りが厳しくなっていると答えたフランス人講師もなかなか、いい)。
あ。
で、本の話だが、著者は現在民間企業の役員をされていることからもおわかりのとおり、元官僚。外交官だったらしい。
フランスという国の偉大さ、オリジナリティ、ユニークネスを協調しながら、日本の現状を顧みるという話。フランスに見習うべき点は多々あるのに日本はどうなのかという視点はありだと思うが、だからどうしたそれから先は、といった建設的なビジョンがあるわけでもなく、立場上、強くいえないこともあるんだろうが、なにせ外交辞令が身に染みついている人であろうことを考えるとさして読後に向けて大きな期待を持つのも如何なものかと思いつつ、かといって、それなりにフランスの現代の状況にもさりげなく触れていることもあって途中で投げ出すのも惜しく、本日読了いたした次第であります。


2008年6月5日木曜日

梨木香歩『からくりからくさ』

『本は10冊同時に読め!』を読みながら、斎藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』、辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』、そして梨木香歩『からくりからくさ』を超並列で読んでみた。時間を区切って、読む場所を変えて…といろいろそれなりに工夫はしたのだが、いちばんやっかいだったのが『からくりからくさ』だった。
それなりに家系図を思い描きながら読みすすめてはいたのだが、ブレークが入って、別の本を読むともうその次に読むときには家系図が紛失している。ええっとどうだったけと前のほうを読み返したり、俄然効率が悪い。長女に紙に書いておけばいいのにと言われ、それもそうだなとは思ったものの、面倒くさい。よく旅行に行くとき、持ち物を字ではなくて、絵にする。シャツとかパンツとか靴下とか洗面用具とか。そのほうが分量がわかりやすいから。娘は小さい頃からそんな父親の間抜けな姿を見ているから、何の気なしにいつもやってるようにやれば、という意味で言ったのだろう。が、結局ネットで検索というイマジネーションのかけらも働かない方法で家系図を再現した。
読んでいる本のなかでときどき色彩を感じるものがある。シーンに強烈な色彩を持つ文章がある。今とっさには思い出せないけれど、たとえばアーウィン・ショーだったり、三島由紀夫だったり、江國香織だったり。ぼくは和なもの、つまり日本的なもの、伝統古来のものにはかなり疎いんだが、『からくりからくさ』でひろがっていく微妙な色の世界は美しく印象的だと思う。装丁を頼まれた人はさぞや頭を悩ませたのではあるまいか。
そしてクライマックス。これも大騒ぎにならず、淡々と粛々と落ち着き払ったところがまたよい。どこか遠く、誰も知らない不思議の国の、ミステリアスなお伽噺。大人の童話。そんな印象。


2008年6月4日水曜日

齋藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』

梅田望夫がこんなことを言っている。

  僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、
  「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争
  環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないとサバイバルできない
  のではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。

大企業だろうが、零細企業だろうが、かつてよりたくさんの仕事をしなければいけない時代なんだそうだ。ITの進化とグローバリゼーションの波。情報はあふれているし、24時間365日世界は動いているからだ。

「貫く」かあ…。まあ僕のしている仕事なんかもまず「好き」じゃないとできない仕事なんだが、これからはますます競争も厳しくなるし、クライアントからのオーダーも過酷になる。僕も20代のころ、仕事は楽しくやれと先輩諸兄からよく言われたのだが、楽しくやるには相応の努力が必要だった。が、これといって自分なりの方法論を見出せないままあっという間に20年が過ぎた。
と、ついつい悲観的に考えてしまうのだが、本書のすぐれているところは、後ろ向きな姿勢はいっさいなし。常に前向きにこれからを生き抜く学びのヒントが盛りだくさんだ。そのキーワードが「志向性」であり、それもひとりでなく、同じ志向性を持つ何人かで成功体験を共有することの必要性が語られる。
この手の啓発書も単なる経験談に終始せず、きちんと理論武装され、時代を読み解くキーワードで整理されていると批判の余地もなくただただ感心させられてしまう。
だまされているんじゃないかと思うほど、ポジティブな一冊だ。

2008年6月3日火曜日

成毛眞『本は10冊同時に読め!』

早慶3回戦。
打撃不振の早稲田は打線を組み替えてきた。調子の上がらない上本を6番に下げ、松本啓をトップに。好調の宇高を3番に据え、5番に山川。慶應先発が左腕中林なので泉を使いにくかったのだろう。さらにここ何戦か調子を落としている松永に代えて、ショートに後藤。
早稲田先発の斎藤は初回こそ三者凡退だったが、2回に2点を献上。今季の斎藤はコントロールがよくない。明治戦もそうだったが、甘いところに投げて痛打されるのを恐れているのか、攻める気概が感じられない。それでもピンチには強く、なんとかしのぐところはさすがだ。先行された早稲田は山川、後藤と入れ替えた打線がつながって3回に同点。そのまま延長に。
慶應は中林が続投。早稲田は7回から大石。速球がびしびし決まってほぼパーフェクトなリリーフ。延長10回。細山田の三塁打を宇高が返して、早稲田のサヨナラ勝ち。
ベストナインは優勝した明治から大挙して選出されたが、早稲田上本が選ばれたのはちょいと疑問だ。
野球の話はこれくらいにして。
以前マイクロソフトの社長だった成毛眞の話題作。なんどか新聞にも取り上げられていたこともあり、読みたいなと思っていた一冊だ。
いやあ、なかなか力強い。それは題名に『!』が付いていることからもわかる。大人のちゃんとした本で『!』が付いている本は少ない。それだけに著者の強い自信と信念がうかがえる。
要は人と同じことをしていてもだめだという訓話だ。内容がしっかりしている本なら題名にビックリマークはまず付けない。だが、著者はあえて付けているのだ。人と同じことはしない人だ。
それにしても著者の、人生を楽しむために大いに読むべしという姿勢には大いに共感できる。
さっそく3冊を「超並列」読書してみたが、慣れないせいか、わけわからなくなった一冊があった。著者から「集中力が足りない」と叱責されそうである。

梨木香歩『エンジェル エンジェル エンジェル』

つくづく、思う。よくできている小説だなあ、と。
おばあちゃんと孫娘というのは、この人の基本構図なのだが、その関係の描き方において『西の魔女が死んだ』とはまたひとつランクアップしている。
孫の生きている時代(おそらく現代)と祖母の生きている時代とを織りなす微妙な演出(たとえば旧仮名で綴るなど)もさることながら、ラストに向かって一気に糸のもつれを解き放つ瞬発力、余計な描写を省いて一気に読み進めていける上、時代の違い(つまりは考証的なこと)に煩わせることなく進展していく構成のシンプルさ。
そういえば、長女がイチオシ、みたいなことを言ってたっけ。


2008年6月1日日曜日

紅山雪夫『フランスものしり紀行』

2004年、2007年と南仏を訪れた。そのせいか6月になるとフランスに行きたくなる。うずうずする。
ほとぼりをさますのにちょうどよさそうな本を見かけた。さっそく読んでみる。
著者は旅行作家というだけあって、ヨーロッパ各地に造詣が深いようだ。新潮文庫からは『ヨーロッパものしり紀行』、『ドイツものしり紀行』、『イタリアものしり紀行』と複数刊行している。
ただの旅行案内にとどまらず、各地の歴史を説き明かしながらの旅。なかなか興趣深い。とりわけ中世史は蒙昧も甚だしいゆえ、たいへん勉強になる。
さて、このものしり紀行。パリを出発点にして、ノルマンディーからブルターニュ、ロワールの城めぐりを経て、プロヴァンス、ラングドックへと反時計回りに半周する旅行案内だ。いずれ時計回りでシャンパーニュ、アルザス、ロレーヌ、ブルゴーニュなどを紹介する続編があるのだろうかと期待させる。
今回読んでみて、行きたくなったのは、モン・サン・ミッシェルはもとより、ルーアン、カーン、レ・ボー、ニーム、そしてカルカソンヌだ。昨年、アヴィニヨンを基点にして、オランジュ、アルルを見てまわった。もう少し時間があれば、ポン・ドュ・ガール、タラスコン、レ・ボーにも行けなくはなかったんだけど。
リヨンやナンシーにも行ってみたいし、ニース近郊のエズ、ヴァンスあたりにも行ってみたい。もちろんロワール川流域の古城めぐりもしてみたいのはやまやまであるが、とりあえずこの本を読んで、今、行ってみたいフランスのトップに躍り出たのは、カルカソンヌである。
ほとぼりがさめるどころじゃない一冊だったが、帯に刷られている文言「世界都市パリ、その発祥の地は中州」、「モン・サン・ミッシェルは牢獄だった」とか「最も歴史のある年は港町マルセイユ」などなど、さすがは「売り」の新潮社。軽薄路線をねらっているようで、せっかくの良本なのに、ちょっともったいない。


2008年5月29日木曜日

TCC広告賞展2008

汐留アドミュージアム東京。

今年のTCCグランプリは、ソフトバンクモバイルのTVCMだった。このCMは奇想天外で、かつどこまで話が展開していくのか予測できず、絶えず視るものに期待をもたせている。他にも骨太な企画はいくつかあったが、こうしてTCC賞の一覧をながめるとまさに圧勝という感じがする。
TCC賞のなかでは黄桜の「江川/小林」篇。当時をライブで知る世代にはさまざまな思いを去来させるシリーズだ。秒数や演出による制限が少ないグラフィック広告が特にすぐれていると思う。ターゲットを絞り込んで、深くコミュニケーションするシャープな広告だ。あとは全般に言葉が巧みに表現の真ん中にすえられている佳作といえる。
新人賞は昨年ほど、とびっきりすごい、と思えるコピーはなかったように思う。なにせコピーライターが決めるコピーの賞ということなので、一般人の感覚でながめていると、なんでこれが、と思えてしまうものもあるにはあるんだが、概して今後に期待できる才能が選出されたというところか。強いてあげるならばプライムの企業CM「駅」篇。コピーライティングの枠組みを超えた企画のおもしろさが光った。それとマクドナルドの「AM1:47のお客さま」篇。あの女性従業員には残業代がちゃんと支払われているだろうか、などと余計な心配もしたが、つくり手の人柄がよく出ている広告だと思う。
帰りに銀座まで歩いてよし田でおかわりつき天せいろを食べた。


2008年5月25日日曜日

梨木香歩『水辺にて』

高校の後輩のNは大学時代カヌーに没頭していた。川下りがおもしろいらしく、アルバイトをしては日本じゅうの川めぐりをしていた。Nは5年大学に通った。3年までに軍資金をつくって、4年で海外の川下りに挑み、5年で卒業する。彼の所属するサークルの連中は、みなそうして5年間大学に通った。
人はなぜ水に魅せられるのだろう。この本を読んで、ふとNを思い出した。
長女の書棚からシリーズ第三弾は、梨木香歩のエッセーである。
水にまつわる読み物は多い。浅田次郎の『月島慕情』、吉本ばななの「大川端綺譚」、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』も大きくとらえれば水まわりの話だ。
梨木香歩が水辺を散策するのは、やがて自分が還っていくであろう世界を慈しみ、自分の生きている部分的な世界を全体的な世界に繋いでゆくためであるという。それを自らの存在全体で納得したいがために時間をかけて、水とふれあう、ということらしい。
そういえば、大学を卒業したNは、放送局に就職した。最初の赴任地は釧路だった。かつて訪れた湿原の水辺が彼を呼び寄せたのかもしれない。

2008年5月23日金曜日

梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』

子どもの頃から、小林旭が好きで、おそらくは“旭”という最果ての地をイメージさせるその名前が好きだったのか、石原裕次郎と対極にある真底不良なイメージが好きだったのか、如何せん、子どもの頃の記憶なのでいまだ明快な根拠は見出せずに、いまだファンである。ファンとはそんなものかもしれないが。 ただナイスガイvs.マイトガイとか、ぼくが長嶋茂雄や王貞治に声援をおくっていた60年代末頃にはあまり接触のないフレーズだったはず。幼年期の記憶というのは、理性的なものごとより、むしろ感性的な部分に負うところが大きいのだろう。ぼくの中の小林旭は、あの喧嘩の強そうな風貌から想像し得ないハイオクターブな歌声だった。 小林旭が喧嘩が強そう…というのは子どもながらに憧れていた。なにせおいら、喧嘩弱かったぜよ。と、どすを利かせていう台詞でもない。三歳上に姉がいたが、小さい頃から姉貴の結婚相手は小林旭がいいと真剣に思っていた。理由は簡単。喧嘩が強そうだから。 それはともかく。ハイオクターブで張り上げる「恋の山手線」や「自動車ショー歌」が大好きだったわけだが、ここ二、三日脳裏によぎり続けているのは、「琵琶湖就航の歌」だ。もちろん、加藤登紀子も歌っているし、もともと三高ボート部の歌なので、誰が歌ってもいいと思うのだが、ぼくの中では小林旭だ。たぶん実在する、あるいは実在していた三高ボート部の、おそらくはバンカラで、それでいて気弱いところもあり、故郷の母親を思い出しては涙する、そんな漕ぎ手たちの気持ちを代表できるのは、小林旭の他にないような気がしている。 いや。小林旭の話を書くつもりじゃなった。 このあいだ『家守綺譚』を読んで、小林旭の「琵琶湖就航の歌」が渦巻いていたってことを言いたかっただけだ。
『家守綺譚』に続いて、長女の書棚からシリーズ第二弾。 これはちょっとした永井荷風かな。明治の昔に渡航した記録のように描かれている。もちろん著者は留学経験があるようだが、なかなかよく描けているフィクションだ。と、偉そうに言っているぼく自身、土耳古には行ったこともなければ、かすったことすらない。首都がアンカラだというのもついさっき知った。 で、村田は土耳古留学を終え、綿貫の下宿にたどりつく。そこで高堂とも再開する。ゴローにも出会う。こうして『家守』と合流する。『家守』を読んだとき、この話は19世紀末から20世紀初頭の話ではないかと推測したのだが、この本の冒頭で「一八九九年 スタンブール」とある。間違ってはいなかった。「高堂」にルビがふってあった。「こうどう」だった。「たかどう」だと思っていた。間違っていた。 で、本当にいいところはその後。いわゆるエンディングってやつ。もちろんここでは書くような野暮はしない。

2008年5月22日木曜日

梨木香歩『家守綺譚』

梨木香歩は『西の魔女が死んだ』以来久々。いつしか長女が読みためていた中から一冊拝借した。
ちょっと不思議な世界だ。
いつ頃の話で舞台はどこらへんなんだろうと興味を持って読みすすめてみた。
場所は琵琶湖の西岸あたりか。ボート部にいた高堂が竹生島の浅井姫命がどうのこうのと言っていた。竹生島といえば「琵琶湖就航の歌」で歌われている。叡山というのは比叡山のことだろう。そういえばJR湖西線に坂本という駅がある。
時代的には「最近訳出されたロセッティの文章」とあるからやはり19世紀末から20世紀初頭の話なのだろうか。三高ボート部がはじめて琵琶湖周航を行ったのが明治26年といわれている。
まあ、そんなことがわかったところで、だからどうした、みたいな話なんだが。
長女にこの本に出てくる村田という土耳古に行った男は『村田エフェンディ滞土録』の村田かと訊いたら、そうだと答えた。



2008年5月20日火曜日

ジョルジュ・サンド『フランス田園伝説集』

母の実家は千葉の千倉なのだが、白間津という集落と西隣の七浦という集落の間は、岩場が隆起したような土地なので、人家がほとんどなかった。地元の人たちはそのあたり、岩場と草むらしかないあたりを「カアシンハラ」と呼んでいた。そう記憶している。
磯と同じようなその岩場の洞窟には昔、「手長ばあさん」が住んでいた。と母親に聞いたことがある。夜になると「手長ばあさん」は洞窟から磯まで手を伸ばして「シタダメ」と地元で呼ばれる小さな巻貝を採っては食べていたという。
真偽のほどはわからない。たぶん地元に長く伝わる口承なのだろうと思う。母はおそらく、その母か祖母に聞いたのだろう。話好きの母親からはいくつかそんな昔話を聞いて育った。
夜は危険な場所なので子どもたちを近寄せないように昔の人が考えた作り話かもしれない。

ジョルジュ・サンドはフランス、ベリー地方の民間伝承を採集していたようだ。近代科学がまかり通るようになった今となっては、迷信めいた話なのだが、著者はそこにある真実を見出しているように思う。その着眼がなんとも素晴らしい。
サンドによると、妖怪やら幻覚やらその手の話は古代からあって、農民たちはそんな不思議な世界と協調して生きてきたという。で、その手の魔物が悪いものになったのはキリスト教文化とその中心的な時代であった中世なんだと。なんとなくわかる気がする。

「シタダメ」は本当はなんという名前の貝なのか、いまだに知らない。ただ茹でてマヨネーズであえたり、かき揚げにするとめちゃくちゃうまい。


2008年5月18日日曜日

池田健二『フランス・ロマネスクへの旅』

今春からはじまったNHKラジオフランス語講座応用編がいい。
いままで応用編というとテーマが設定されていて、たとえばサン・テクジュペリの『星の王子さま』を読むとか、ル・モンドを読むとか、数字にまつわるフランスを考察するとか、旅で役立つ会話レッスンとかそれなりのテーマがあって、それに即してテキストの文章があって、読んでは文法的、会話的なポイントを解説するという、どちらかといえばテーマの中心に向かって真っしぐらに進行していく、いわば求心的なプログラムだった。
今年は違う。
もちろんテーマはある。“コミュニケーションをスムースに”みたいなことだ。でもって、そのカリキュラムが絶妙なのだ。
週二回のレッスン。その一は音読。さして長くない文章を読む。音読する。自己紹介とか、家族の紹介とか、いたって簡単な文章だ。だが、その文章を読ませる、聴かせるアイデアがそこにある。
まず短い文章を読んで聴かせる前に文章にまつわる質問を聴かせる。最初から質問がわかっていれば、それに答えられるように集中して聴くことができるって寸法だ。
たとえば家族の紹介というテーマの文章があるとする。それを読む前に、彼には何人きょうだいがいますかとか、彼の兄・姉は何をしていますかみたいな質問がふられるわけだ。聴いてる側としてはそれに答えられるポイントを聴こうとするので、おのずとポジティブに耳をそばだてる。
で、週二回のレッスンの二回目。短い文のかけあいをここで学ぶのだが、まず答を聴く。そしてこの答を引き出す質問は何かを考えさせる。最初に「はい、だって東京にはおいしいレストランがたくさんありますから」という答を聴かせて、「夕飯は外で食べることが多いですか?」という質問を導き出すという手法だ。
最初のうちは、教材を読んでついていくので精一杯だったが、だんだんなれてくると、実にほどよく計算された教材だと感心してしまうのである。
ま、それはともかく。
ロマネスクとはローマ風の、という美術用語なんだそうだ。
十一、二世紀の建築と芸術の様式を示すために考案された名称なんだそうだ。
著者が訪ね歩いた中世の教会建築をロマネスク芸術という視点で丁寧にとらえた一冊。当然のことながら、『ロマネスクの歩き方』的な簡単な本ではない。新書だからといって軽い気持ちで読んではいけない。ましてや中世史もフランスの地理もキリスト教文化も教会建築も何の予備知識もなく頁を開く本でない。
いきなりあらわれるナルッテックス、タンパン、ラントー。さらに身廊、側廊、内陣、クリプト、トリビューン、ヴォールト、パンダンティフ。読んでもよくわからない巻末の用語解説を見、目次後の地図を見、豊富な写真を見て、さまざまな情報を総合して読みすすめていく。それでも難解だ。
つまり芸術とは難解なのだ。


2008年5月16日金曜日

永井荷風『ふらんす物語』

40年ほど昔。
大手の広告会社に勤めていた叔父が突然辞めてニューヨークに行くといいだした。親きょうだいの反対をおしきって(かどうかはわからないが)、1969年のとある冬にホノルル経由のパンナム機で羽田を発った。
しばらくして母宛に手紙が届き、わずかばかりの荷物のなかに永井荷風の本があって、なんども繰り返し読んでいると書いてあった。
正直ぼくは日本文学はさして読んでいない。じゃあ何文学をこよなく読んだのかといわれるとそれにも答えようがない。少なくとも永井荷風はいちどたりとも読んだことがない。なかった。
実はこれは大いなるミステークであって、例えば、だ。二十歳の頃御茶ノ水にあるフランス語学校に通っていた。一年ばかり。もしその頃読んでいたならば、もうちょっとちゃんとフランスに憧れただろうに。3年前に南仏を訪ねた。その前にもし読んでいたならば、もっときちんとフランスを見て帰っただろうに。昨年もやはり南仏に行った。それまでに読んでいたならば、きっとリヨンまで足をのばして、ローヌ河のほとりを歩いたであろうに。と、日本語では動詞の活用が面倒じゃないのでやたらと条件法を使っているが…。
ともかく船でふた月近く、お金だってバカにならないだろう当時としては想像を絶するエネルギーを使って、明治の時代に西欧へ出向いて見聞をひらいた著者の熱意にほとほと感心せざるを得ない。
そういえば以前叔父がいっていた。ほんとはニューヨークじゃなくてパリに行きたかったんだよねって。1969年、叔父のバッグに入っていた荷風はこの本じゃないかと思うのだ。

2008年5月14日水曜日

藤谷護人・宮崎貞至監修『個人情報保護士試験公式テキスト』

5月も半ばだというのに寒い。
夕方、外苑前のスペースyuiという画廊に行く。和田誠と安西水丸の共作イラストレーションが展示されている。今年でもう四回目になるらしい。一枚の紙にまずどちらかが下手側に描く。それに答えるようにもうひとりが上手側に描く。そして最後にふたりで題名をつける。と、まあこんな楽しそうな作業をするわけだ。
題して“安西水丸・和田誠 個展「AD - LIB」”。
たとえば、和田誠がやしの木が一本生えている無人島を描く。すると反対側に安西水丸が漂流してこの島にたどりつくマンモスを描く。タイトルは“無人島に流れついたマンモス”。
それはさておき。
個人情報保護士という資格があるらしい。ためしに過去問をいくつか見てみたら、さほど難しくなさそうなので、ひととおり読んでみよう気になった。まあ学生でいうところの参考書ですな。パソコンソフトの「これで使いこなせる」みたいな本。特に感想はなし。
ちょっと気になったから書いておくが、この手の本(と決してさげすんで言ってるわけではなく)はどちらかといえば真剣に知識を得たい読者が支えているわけだから、できるだけ誤植は避けたいところだ。


2008年5月10日土曜日

東山魁夷展

東京国立近代美術館。

1981年、やはり同じ国立近代美術館で東山魁夷を見た。当時は気にもつかなかったことが四半世紀以上の時を隔てて気になる。いずれ当時も今も芸術に関してはもちろん、ありとあらゆる世の中の万物に関して不勉強であることには変わりはないのだが。
東山魁夷のすごさは、そのシンプルさにあると思う。
絵画として、突出した個性的な作為を決して描かない。私の画風はこうだから、必ずこう描くのだ、という安っぽいこだわりがない。森の泉にたたずむ白馬でさえ、まるでそこにいたかのように描かれている。だから、東山魁夷の絵を見るということは、彼が実際に目にした風景を眺めるのと限りなく近い体験ができるということだ。そして色合いの微妙さ。これは銀写真でも印刷でもおそらくは再現不可能な光の表出だ。いかに彼がピュアな目を持っていたかの現われだろうと考える。
そういった意味では東山魁夷のとらえたヨーロッパの街並みは路地裏で売られている絵葉書より、はるかに忠実で、しかも奥ゆかしく、その乾いた空気と光をみごとに再現している。


2008年5月9日金曜日

第14回中国広告祭受賞作品展

汐留アドミュージアム東京。

中国広告祭の受賞作品はここ数年見ている。
アイデアがとても新鮮でピュアだ。日本でこんなにクリアなクリエーティブを見せてくれるのは広告制作者の若手や学生の登竜門である朝日広告賞や毎日デザイン賞くらいなものだと思えるほど若々しさと勢いがある。
実は毎年そう思って見ていたが、今年はちょっと違う。オリンピックイヤーという意気込みがやけに空転しているように思えるのだ。
広告表現としてちょっと頭がよすぎる広告が増えている。頭のいい広告は好感を持たれるが、よすぎる広告はいかがなものか。テレビCMでいうと余計な駄目押しが不快だ。
たとえばケンタッキーの海老フライ。ふたりの釣り人。後から来た釣り人は傍らにケンタッキー海老フライを置く。すると魚がそこをめがけて飛び込んでくる、ここまではいい。ぶらさがり的についているはじめから釣りをしていた人がそのことに気づいて今度は自分が海老フライをえさにバケツを持ってかまえるカットがある。いわば田中に株あり的ないかにも漢文的な落ちなんだが見ていてうざい。
インスタントラーメンを食べることによって小学校に寄付行為が行われ、そこからオリンピック選手が生まれるかもしれないという公共広告も、まあよくはできているんだが、だからどうしたって感じかな。日本もオリンピック選手をかっこよく映像にするだけのがんばれCMばかりで自慢はできないんだが。
ともかく今年の中国広告祭はオリンピックというちょっとしたイベントが本来とてもいきいきしている中国クリエーティブをややこしい大人にしてしまっている。

2008年5月7日水曜日

野村進『調べる技術・書く技術』

たまには読むんだが、文章力が上達する的な本はあまり信じていない。
それと実はあんまりノンフィクションは読まない。文章が淡々としていて、どこで笑っていいのか、泣いていいのかときどき難しく感じるから。ちょっとした言葉遣いの綾やレトリックが豊富な創作のほうが読んでいてなじむ。
野村進というノンフィクションライターをぼくは全く知らなかった。その著作を読んだこともなく、名前すら知らなかったのだ。ただ本屋でそのタイトルを見て、手に取り、ぱらぱらっとめくってみて読んでみようと思った。
とてもよい一冊だ。文章を生業とする著者の誇りと誠実さがきちんと伝わっている。単なる経験談だけでなく、自らの仕事で培ってきた著者の人間としての“豊かさ”を垣間見ることができる。自ら孤独な長距離走者と名づけるだけあって、そのストイックで背筋を伸ばしたフォームに好感が持てるし、その姿勢と、確固たる方法論といかにも現場的なある種行き当たりばったりなところも包み隠さず語れるところがすばらしい。
ぼくはノンフィクションライターとかジャーナリストをめざす若者たちがいまどれほどいるのか実感はないし、身近なところで野球の選手をめざしたり、編集者をめざしたり、アーティストをめざしたり、医者や教師をめざしたりする友人はいたけれど、文章で身を立てようとしたものがいなかった。そういうこともあって読みはじめた最初は、この本はいい本だけどいったい誰に向けて書いているんだろうと思った。それくらい真剣勝負な本だと感じたわけだ。
でもね、いちばんこの本のすばらしいところは、漢字と仮名の使い分けが自分と似ていて、とてもしっくりしたことだったりするんだよね。


2008年5月5日月曜日

中島孝志『インテリジェンス読書術』

学生野球もはじまり、まさに球春だ。
東京都の高校野球は帝京が優勝、準優勝の日大三とともに関東大会に駒を進めた。夏はこの二校が東西東京の第一シードとなるわけだ。久しぶりにベスト4まで進出した日大二の健闘が光った。
東都大学野球や東京六大学野球では昨年甲子園をわかせた垣ヶ原(帝京)や野村(広陵)が早くも神宮のマウンドに上がっている。
インテリジェンスという言葉には昔から弱く、それは自分に大きく欠如していることのあらわれなのだろうと思っている。著者は年間3,000冊を読破するということらしいが、年間3,000冊購入しているのか、完全に読破しているのかはちょっと不明。税理士の報告から逆算しての数字らしい。実際に読むのは2,400冊と書いてあるし、「年3000冊を読破する私の方法」というサブタイトルからしていったいこの人は何冊読んでるのってついついディティールにこだわってしまう。いずれにしてもぼくは年間どころか半世紀近く生きていてもそんなにたくさんは読んでいないと思う。
それでもできればもっとたくさんの本は読みたいとは思うが、如何せんぼくは読むのが遅い。速く読もうと意識しながら読むのも身体に悪そうで未だに5キロを45分くらいのペースで読んでいる。
それでもってこの本に書いてあるのは、本をたくさん読んで、その中からこれだってものをつかみとりなさいよってことだ。

2008年5月1日木曜日

ミュリエル・ジョリヴェ『移民と現代フランス』

南仏には中華料理屋が多いように思う。
とはいっても目について、わかりやすいのが中華料理だからそう思っているだけかもしれないけど。カンヌにもあるし、アンティーブにもニースにもある。っていうかそれしか行ったことがない。
どこも共通しているのはフランス人とかアラブ人とかアフリカの人がやってるんではなく、中国かベトナムか、どう見てもアジア人らしき人が経営している(少なくともそう見える)。
フランスは毎年数多くの移民を受け容れているという。とてもオープンな国なのだ。とりわけ旧植民地であるアルジェリア、モロッコ、チュニジアからが多いそうだ。でもってマグレブ人と呼ばれる彼らは正式な滞在許可証を得て、安定した職業に就くまでたいへん苦労するらしい。生活習慣の違いも大きい。なんとも身につまされる本である。
どのくらい身につまされるかっていうと、スタインベックの『怒りのぶどう』、藤原ていの『流れる星は生きている』くらい身につまされる話だ。
この本は各関係者、識者、当事者にインタビューを試みている。その見解をまとめているのであるが、社会学などでよくある手法なのかもしれないが、海外のドキュメンタリーやルポルタージュをテレビで視ているように読める。現代フランスの移民問題を(というか移民をテーマにフランスの社会や制度を問い直すのが主眼だと思うが)するっと巧妙にまとめているなって感じだ。
アンティーブのちょっと気のよさそうな主人もニースの無口なおやじさんもかつては移民だったんだろうか。アジア人は比較的同化しやすいとはいうが、それなりに苦労があったんじゃないかなあと遠く南仏の中華料理屋に思いを馳せるのである。


2008年4月29日火曜日

シドニー・ガブリエル・コレット『青い麦』

NHKラジオの語学講座がこの春から大幅にリニューアルされた。
ひとつは曜日。従来月~木が入門編、金土が応用編だったのが、月~水入門、木土応用とゆとり教育に様変わりした。ゆとり教育いかがなものよと騒がれている昨今にあって、さらにゆとりをかましているのがその時間だ。これまでの20分から15分になった。
2年前からフランス語の入門編を中心に聴いているのだが、この5分は案外大きい。しかも1日少ない。ちゃんと勉強した気になれないのだ(それに今年の番組はちょいと冗長ですべり気味)。先週あたりから入門編は止して、応用編を聴いている。応用編の15分は逆にコンパクトでわかりやすいのだ。トークマスターというタイマー録音できるラジオで繰り返し聴くこともあるのだが、15分というのはちょっとした空き時間とか通勤途中の徒歩の間に聴くのにちょうどいい。
これまでラジオ講座は入門編の場合、前期4~9月新番組、後期10~3月再放送となっていたが、番組枠が大幅に変わったので過去のすぐれた講座を聴くことができなくなってしまった。と、思ってたら、アンコール版も放送されているらしい。フランス語の場合月~土の昼前の20分間オンエアしているそうだ。月~木は入門編、金土は応用編。昔ながらのきちんとした講座をお望みの方はこちらの方がおすすめだ。先日、本屋でアンコール版のテキストをぱらぱらとめくってみた。NHKのたくましい商魂がしっかり読みとれるテキストだった。
さて、コレットの『青い麦』だが、たまたま家にあったので読んでみた。思春期の少年少女を描いたもので『青い~』などというタイトルのつくものはたいがい高が知れている。堀口大學という詩人の訳なのだが、ところどころ散文的な流れるような訳もあるが、やたら読点でつないでまだるっこしいところもある。それにしても、おそらく《tu》だとは思うのだが(原書を見てないのでなんともいえないが)、《あんた》はないだろう《あんた》はって思った。


2008年4月27日日曜日

アルフォンス・ドーデ『風車小屋だより』

手もとにある岩波文庫。
1982年1月25日第55刷発行とある。で、その下に読了の日が840215とある。はじめて読んだのが今から14年前。読んでいたことすら忘れていた一冊が書棚から見つかった。
昨年南仏を訪れた際、アルルから足をのばしてドーデの住んでいた風車小屋を見に行った。プロヴァンスの風光明媚な丘の上にぽつんとたたずむ赤い屋根。もともとは粉ひきのための風車だったそうだが、それは丘の上から見渡す穀倉地帯を思えば、うなずける話だ。蒸気機関の発達で風車による粉ひき商売は衰退し、風車の数は減っていったらしい(「コルニーユ親方の秘密」)。
風車のあるフォンヴィエイユという街はアルルからバスで2~30分ほど。まさに何もないフランスの田舎町だ。が、こうしてドーデの見聞きし、紡いだ話を読むとそれなりの歴史や生活が感じられて、目の当たりにした風景がまた魅力的に思い出されてくるのだ。


2008年4月22日火曜日

浅井建爾『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』

上野の国立科学博物館でダーウィン展を見る。
ビーグル号に乗って世界を旅した見聞が彼の進化論に活かされているのだが、5年の及ぶ船旅はなんとも苦労の絶えなかったことだろう。アンリ・ベルクソンが進化についてなにか書いていたと思うが、もう思い出せない。ただ進化論の考え方に微妙な違いがあって、進化論も進化しているのだと思ったことだけ憶えている。
でもって、この本なんだが、題名がちょっとちょっとって感じだったがつい読んでしまった。まあ『知らなかった!驚いた!』はないだろう。それと『「県境」の謎』もどうだかなあ。もっとミステリーハンターな本かと思った。
著者は市井の地理学者のようであり、歴史的行政的な観点から県境について記述しているのだが、いまひとつその不思議な県境に立っている感触に欠けるんだな。
東京葛飾区の水元公園の周辺を歩いていると、橋を渡ると千葉県松戸市、戻って土手沿いに行くと埼玉県三郷市。公園の北側は三郷市で、その東側は埼玉県八潮市と歩いているだけでめまぐるしく地名が変わる。まあ欲を言えばの話だが、こうしたタモリ倶楽部的なネタを集めた本を期待してたんだけどね。
でも廃藩置県以降の史実に忠実でちゃんとした読み物にはなっているとは思います。


2008年4月18日金曜日

安岡章太郎「サアカスの馬」

先日、去年大学を卒業したばかりの新入社員と荻窪界隈の話をしていて、その際、井伏鱒二の家って荻窪にあるんだよと言ったら、どうもそいつ、井伏鱒二を知らないらしい。太宰治も三鷹に引越す前は荻窪に住んでいたそうだというとさすが太宰治は知っているという(そりゃそうだろう)。
それで思ったんだが、ぼくらは中学の国語の教科書に「山椒魚」が載っていたから井伏鱒二を知っているんであって、もしそうでなかったら、やはりその若者同様、え?誰それ?となったかもしれない。
中学の頃、教科書に載っていて印象深い小説として安岡章太郎の「サアカスの馬」があげられる。こんな書き出しだ。

   ぼくの行っていた中学校は九段の靖国神社のとなりにある。
   鉄筋コンクリート三階建の校舎は、その頃モダンで明るく健康的と
  いわれていたが、僕にとってはそれは、いつも暗く、重苦しく、陰気な
  感じのする建物であった。

ここ第一東京市立中学校で劣等生だった安岡章太郎が靖国神社のお祭りで思いのほか脚光を浴びる老いさらばえたサーカスの馬に感情移入するという短編である。
たまたま今日午前中時間ができたので、授業をさぼった学生よろしく、日比谷図書館に立ち寄って久しぶりに読みかえしてみた。第一東京市立中学は後に東京都立九段高校となり、現在では千代田区立九段中等教育学校という6年間一貫校となっている。ぼくも九段高校の出身で、まさに安岡章太郎が通っていたモダンで明るく健康的な鉄筋コンクリート三階建ての校舎で3年間を過ごした。この校舎は後に改築され、すっかり様変わりした。キャベツを食い散らかした地下の食堂や安岡少年が立たされた廊下など、この校舎の面影はわずかにこの短編に記されているだけだ。

2008年4月16日水曜日

清水義範『早わかり世界の文学』

選抜高校野球が始まって、終わったと思ったら、プロ野球が始まって、学生野球も始まった。4連覇のかかる東京六大学の早稲田は東大相手とはいえ、好発進。注目は新主将になった上本、松本、細山田の4年生だ。東京都の高校野球も始まっている。秋優勝の関東一が初戦敗退。関東大会へ行けないどころか、夏の予選はノーシードだ。
プロ野球はどうかといえば、じゅうぶんに補強したジャイアンツがスタートダッシュするかと思ってたら、そうでもなく、もののみごとにマスコミの餌食となっている。ジャイアンツといえば、以前から大型補強をするたびに各方面から批判を浴びていたが、ぼくは案外そうとは思わないのだ。子どもの頃、よく新聞(もちろん読売新聞だ)の集金に来る販売店の人が外野席の招待券をくれたのだが、ただで観戦できる外野席のチケットに期待するものとしたらやはりホームランだろう。ジャイアンツはこうした小さな野球ファンの卵たちのために各球団から4番打者を集めなければならない宿命なのだ。そりゃあもちろん自前でホームランバッターを育てるのが理想には違いなのだが、手っ取り早く東京ドームの外野席にホームランボールを大量に打ち込むために5年も6年も若手を育成している場合ではないのだ。よく野球は役割分担だとか、大砲役とつなぎ役がいて…みたいなことをしたり顔でいう素人評論家がいるが、まずは野球ってスケールの大きなスポーツだろってことを直感的に知らしめないと、ますます衰退していくような気がする。野球がチームプレーで、作戦があって、緻密な競技であるなんてことは高校生になって学べばいいことだ、なんて思うんだけどね(とはいえジャイアンツにはもう少し勝つ野球をしてほしいなあとも思うけど)。
ちょっと野球の話が長くなってしまった。
清水義範の『早わかり世界の文学』は著者の作家としての立ち位置を改めて明確にしながら、読書体験を語っている平易な本である。清水義範はパスティーシュ作家だといわれており、ぼくもパスティーシュという言葉を清水作品を通じて知ったのであるが、正直いって、本人がパスティーシュ作家ですとあからさまに自負しているとどうも鼻につくというか、いやな感じがする。私は反体制ですと胸をはっていわれたみたいな。そういうことって作品を通じて訴えてくれればいいと思うのだが。それとなんでもかんでもパスティーシュとくくるのもどうかなと。文体を模倣するのと小説の主題を模倣するのとでは違うような気もするのだ。だから文学はパロディでつながっているといわれてもちょっと無理があるような気がするのである。


2008年4月15日火曜日

チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

もう何年前になるだろうか。四谷四丁目にある小さなCM制作会社で働くようになった頃だから、かれこれ20年以上だ。どういう訳か、その仕事場の近くの本屋で新潮文庫の『デイヴィッド・コパフィールド』を4冊まとめて買ったのだ。今ぼんやりと当時のことを思い出そうとしているのだが、たしか村上春樹の小説の中で『デイヴィッド・コパフィールド』という書名を目に留め、それで読んでみようと思ったのかもしれない。はたまた古い映画で『大いなる遺産』だか『二都物語』だかを観て、それで咄嗟に読みたくなったかもしれない。それで、だ。ちょうどその当時、これもとても曖昧な記憶にすがっているのだけれど、『デイヴィッド・コパフィールド』は絶版になっていたようにも思えるのだ。文庫本で絶版になると神保町あたりでは途端に値がつりあがる。もし街の本屋で在庫があれば、そいつに飛びつかないことにはとんだ散財になる。とかなんとか思って買ったのかもしれない。
それにしてもぼくと『デイヴィッド・コパフィールド』の結びつきというのがなんともはっきりしない。先述したような接点があったのかもしれないし、なかったかもしれない。どのみちディケンズといえば『クリスマス・キャロル』くらいしか読んだことはなかったし、そもそもあまりイギリス文学にも親しんでいたわけではなかった。せいぜい子どもの頃、『ロビンソン・クルーソー』とか『ガリバー旅行記』を読んだくらい。後はモームとかジョイスくらいかな。
いずれにしても昔から本棚には『デイヴィッド・コパフィールド』が4冊、ずっと長いこと置かれていて、いつか読むのだろうとその背中だけをながめていた。
ここ何ヶ月か、仕事がスムースにいかなくて、たまの休みの日もくよくよ思い悩むような日が続いていた。なにかで気分転換しなくちゃと思っていた矢先、またしても古い文庫本の背が目に飛び込んできた。そんなわけで何の予備知識もないままこの本を読み始めたわけだ。
少し読みすすめて、どうやら『デイヴィッド・コパフィールド』っていうのは主人公の名前でそのデイヴィッドが成長していく物語だということがわかってきた。言ってみれば『ジャン・クリストフ』と同じだ。『魔の山』とか『罪と罰』みたいなテーマ的な題名ではない。だから主人公が渡辺一男だったら『渡辺一男』という題名になる小説ってことだ。
まあ、それはともかく、幼少期の不遇な家庭環境から脱却し、幾多の出会いと努力を積み重ね、作家として、人間として成長していく自伝的な小説だ。やたらと長い物語ではあるが、主人公と彼をとりまく人物が再三あらわれ進展していく展開は読んでいて飽きさせない。
学生の頃は『ジャン・クリストフ』とか『新エロイーズ』とか『エデンの東』とか長い小説をよく読んでいたが、この歳になって読む大河小説も悪くはないなと思った。


2008年3月30日日曜日

金川欣二『脳がほぐれる言語学』

桜が咲いて、街は賑わっている。
選抜高校野球は横浜、常葉菊川と相次いで破れ、優勝争いは混沌としてきた。心底応援していた安房高はほんのちょっと打合せをしているあいだにサヨナラ負けで消えていた。夏がんばってほしいが、常葉菊川を破った千葉経大付属もなかなか強そうだ。
いつだったか毎日新聞に引用されていたこの本が気になっていて、読んでみた。ちょっとした辛口箴言集のような読み物でなかなかおもしろい。現代言語学の基礎を築いたのはソシュールであるとなんとなく思っていはいたが、実はそうでもないらしい。ややもすればソシュールやレヴィ=ストロース、ミシェル・フーコーあたりを読んでないとわかりにくいところもあるのかもしれないが、それでも引き合いに出される書物が多岐にわたっていて著者の読書と発想の幅広さが感じられる。まさしく脱中心、周縁、リゾームなどといった言葉が板についた現代的な学者なんだろう。脳がほぐれることはたしかだ。


2008年3月23日日曜日

佐藤尚之『明日の広告』

選抜高校野球が始まった。昨秋の実績で常葉菊川、横浜が優勝候補らしい。初日の今日、昨秋ベスト4の東北が破れる波乱があった。
第三試合には21世紀枠で初の甲子園出場となった千葉県立安房高校が登場した。父も母も南房総の出身なので、叔父やらいとこやら安房高出身者が多く、テレビにかじりついて応援してしまった。9回表の連打での得点、その裏のピンチをしのいでの勝利に熱いものがこみあげてきた。甲子園初出場初勝利。歴史を刻んだ瞬間だ。
その昔、ぼくのいとこが安房高野球部にいたのだが、そのとき夏の千葉県大会の決勝に進出し、強豪の銚子商業に破れ、甲子園初出場の夢を断たれたことがあった。当時の銚子商業には宇野勝、尾上旭らがいて、たぶん甲子園でもベスト8くらいはいったんじゃないかな。

で、うどんの話。
7年ほど前に仕事で高松に行った。同行したお得意さんと空港でうどんを食べて、すごくうまいと思った。こんなことを言っちゃ失礼かもしれないが、駅とか空港で食べるものってたいていの場合、通りいっぺんなおいしさでしかなかったりする(もちろんそれ以前のものも圧倒的に多い)。空港でこんなうまいんだったら、街に行ったら、もっとうまいんだろうなと想像力がふくらんだ。
どちらかといえば、蕎麦のほうが好きで、うどんなんてものは病気したとき食べるもの、くらいにしか思ってなかったのがこの日を契機に認識を改めた。
で、東京でもうまい讃岐うどんが食えるのか、ネットでさがすことにした。うまい蕎麦屋はいくらか知ってはいるが、うどん屋に関してはまったくの無知蒙昧だったから。そこで出会ったのが「さとなお」なる人物である。氏の「おいしい店リスト」で銀座さか田、板橋すみた、新橋さぬきやなどを知ることとなった。
最近では立ち食い蕎麦屋のように讃岐うどんの店が増えてきている。まあそこそこ本場の雰囲気を手軽に味わえるようになった。なによりである。
で、そのさとなおなる人物は広告会社のクリエーティブディレクターで、この本はその本業を書いている。20年前とは消費者が変化しているのに、旧態依然たる広告でよいのかという疑問にポジティブに応えてくれて、メディア・ミックスからメディア・ニュートラル、クロス・メディアへとネット時代のコミュニケーションのあり方を平易に語ってくれている。
シンプルだけど噛みごたえのある讃岐うどんのような一冊である。


2008年3月21日金曜日

トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

ここのところ忙しくて、まっとうな時間に帰れない。さりとて額に汗して深夜までコツコツ働いているわけでもなく、コンピュータを使った作業をチェックしては待ち、修正点を指示して、また待ち…、の繰り返しである。その待ち時間につらつら本を読んでいる。
瀧口直太郎はアーネスト・ヘミングウェイやウィリアム・サマセット・モームの翻訳でも知られているが、正直いったところ『ティファニー』だけは読みにくかった。するっとストーリーが進んでいかないのだ。最初に読んだのが20代前半でぼくも未熟な青年だったせいもあるけれど。
もう一度読み直してみようと思ったのが、7、8年前かな。仕事でテキサス州サンアントニオに向かう機内で読んだ。するっと読めない感じは相変わらずだった。アメリカの南部に行くのでなんとなくカポーティが読みたくなり、リュックのポケットに突っ込んで旅立ったわけだ。
そういえばフィリップ・シーモア・ホフマン主演の映画『カポーティ』、見そびれちゃったなあ。こんどDVDで観よう。
この映画は『冷血』を書いている頃を中心とした伝記らしいが、彼の代表作ともいえるこの大作の端緒となったのが村上春樹の解説によると『ティファニー』なんだそうだ。いわゆるそれまでの若手天才作家の文体から新たなステージを模索して、大人の作家への移行をとげた作品であるらしい。ぼくは『冷血』は大作であると評価はするものの、やはり好きか嫌いかでいえば初期の作品のほうが圧倒的に好きなわけで、ぼくの中のカポーティは『草の竪琴』や『誕生日の子どもたち』だ。
話は『ティファニー』に戻るが、20代に読んで、ホリーのような女性はよくわからないと思った。もしぼくが階上の住人だったら困ってしまうだろうと思った。20年以上の歳月をへだてて読み直したとき(しかも新訳で)、やはりホリー・ゴライトリーってよくわからない女性だと感じた。こういう痛快な性格づけを登場人物にできることがカポーティの天才たるゆえんなのだろう。

2008年3月18日火曜日

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

ぼくの生まれは東京の品川区で、子どもの頃からその界隈で過ごしてきた。親戚も佃島とか赤坂に住んでいたこともあって、大井町から有楽町くらいまでは字を読むより先に駅名を憶えた。山手線でいえば、東南側。
高校生になって、中央線の飯田橋まで通うようになって、少しは地理は開けてきたが、それでも山手線の北側は苦手な地域だった。
要は何をいいたいかというと、実は、高田馬場が昔から苦手だったのだ。どう苦手かというと、方向感覚がなくなるのだ。プラットホームに立つとどちらが山手線の内側でどちらが外側かわからなくなる。早稲田通りの小滝橋方面が早稲田側に思えてしまうのだ。そんなわけでなにかの用事で高田馬場に行くとよく反対方面の山手線に乗ってしまう。池袋あたりで気づくのだが、面倒なのでそのまま駒込、田端、日暮里、上野を通って、帰ったものだ。
ぼくが「中国行きのスロウ・ボート」をはじめて読んだときの印象は、そんな高田馬場の光景だった。実際は新宿駅で中国人の女の子を反対方面の山手線に乗せてしまうくだりがあるが、ホームが内回り外回りで分かれている新宿駅でそんなことはないだろう、などとつっこみを入れつつ読んだものだが。

昔話をもうひとつ。大学に通っていた頃、中国からの留学生がいて、彼の身の回りの世話をしたり、相談相手になるという役を学校から言われて引き受けることになった。それで1年間でいくらかの報酬ももらえた。そのころはほとんど学校には行かず、アルバイトばかりしていたから、彼とはほとんど会うことはなく、とはいうものの後ろめたい部分もあったので一度だけ喫茶店で昼食をおごってあげ、通りいっぺんの会話をした。

『中国行きのスロウ・ボート』は村上春樹の最初の短編集で、世の評価としては『羊をめぐる冒険』以前に書かれた荒削りで未完成な前半4編とその後に書かれ、完成度が高く、洗練された後半4編が好対照をなすと苦言を呈されているようだが、ぼくはこのときはじめてコンビを組んだ安西水丸の装丁もあいまって、村上作品のなかでももっとも好きな一冊で、なかでも冒頭の表題作「中国行きのスロウ・ボート」は、そんなわけで忘れられない短編だ。
先日何年ぶりかで読んで、苦い昔を思い出してしまった。。

2008年3月13日木曜日

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

はじめてニューヨークに行ったのは1992年の秋。義妹が57丁目あたりに住んでいて、そこを拠点にマンハッタンを歩きまわった。ニューヨークに行ったらぜひとも見てみたかったものがふたつあって、ひとつは1970年ごろ、大手の広告会社を辞めて単身渡米した叔父の住んでいたアパート。もうひとつはホールデン・コールフィールドが妹のフィービーと行ったセントラルパークの回転木馬だった。
後日、グランドセントラルやストロベリーフィールズを訪れもせず、よくもそんな小さな目的でニューヨークまで行ったものだ人から揶揄されたが、とりわけ回転木馬はひと目見てみたいと思っていたわけだ。本書の中で回転木馬の小屋の中で流れていたのは「煙が目にしみる」だったが、ぼくがその場で聴いたのは「シング」だった。
この本を読むのは3度目で、最初は野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』、2度目はペーパーバックの“The Catcher In The Rye”、そして今回の村上春樹訳。野崎訳は何度か読みかえしているので、村上訳は新鮮にうつると同時にちょっとした違和感もおぼえた。現代語っぽすぎると感じたのかもしれない。週刊誌に連載されているビートたけしのなんとか放談みたいな。まあ、翻訳の話は大きな問題じゃない。むしろ村上春樹フリークが大勢いる時代に彼がこの名作の新訳を世に送り出したことのほうが重要だ。昨今の新訳ブームの発端となったのではあるまいか。
サリンジャーはこの作品を執筆後、隠遁生活をおくるなど、なかなかの偏屈者だと聞く。偏屈な作家が描いた偏屈な高校生が世界中の青少年のハートをとらえているあたりがなんともおもしろい。きっと時代を超えて、若者の心の中には少なからずホールデンが生きているということなのだろう。



2008年3月8日土曜日

太宰治『津軽』

先週は月曜、木曜と徹夜、今週も日曜、火曜、木曜と朝帰り。忙しいのがなによりという見方もあるが、この土日はゆっくり休みたい。今日は昼から寝転がってテレビでラグビー観戦している。
そういえば今年は太宰治没後60年らしい。太宰の命日は桜桃忌と呼ばれ、毎年三鷹の寺に多くの愛好家が訪れるそうであるが、別段太宰ファンでもないぼくはそういったことを新聞の片隅で知る程度である。 
太宰の小説はひととおり読んではいたが、先日も没後60年云々という新聞記事を見て、もういちど読んでみよう気になった。迷わず『津軽』を選んだ。 生まれ故郷の津軽地方を訪ねる紀行文というのがこの本の体裁だが、その真意は生まれ育ったふるさとを旅して記述することではなく、自らの心のふるさと、太宰治という人間のよりどころを訪ねる旅であったことに間違いあるまい。
太宰はこの旅の終わりに育ての母ともいえるたけという女性に30年ぶりに会う。ここがこの本のクライマックスで、ぼくも30年ぶりに読んで、30年前と同じように泣いてしまった。 
本の前半は津軽の歴史、風土などを見聞きしたものに加え、むしろそれより史料の引用が多く、これはいかにも紙数かせぎといえなくもない。旅とはいえ、太宰の見聞はわずかな思い出話と感想だけで後は酒を飲んでいるばかりだ。これはたけとめぐりあう感動のラストシーンに向けて計算された冗長さなのか、はたまた太宰自身が再会を前にした緊張と不安と、あるいは照れ隠しのあらわれなのか。
今回読み直してみて、むかし読んだだけではわからなかった太宰の心が少しだけ見えてきたように思う。

2008年2月26日火曜日

井伏鱒二『荻窪風土記』

はじめて荻窪に来たのは高校受験のときだったと思う。公立に進学するつもりだったので私立校にはさほど興味はなかった。たまたま姉が通っていた学校が荻窪だったのでためしに受けたわけだ。
当時の荻窪駅前は商業ビルがまだ建てられていなくて、駅ビルができる前の新橋駅前に似ていると思った。ちょっとした市場、みたいな感じがした。
結局、予定通り公立校に通うことにしたので、その後しばらく荻窪駅に降り立つことはなかった。
それから4年後。中央線沿線の大学に通うことになった。そこで知り合ったUさんが荻窪にアパートを借りていて、入り浸るようになる。当時、実家が品川だったので大学までは1時間半ほどかかる。Uさんのアパートからだとものの30分だ。彼にしてみればいい迷惑だったろうが、学期末のレポートなんかを小器用にまとめてやったりすることで多少なりとも下宿代は払ったつもりだ。
Uさんのアパートは天沼2丁目。この本に出てくる寿通り商店街を抜けて八幡通りを阿佐ヶ谷方面に横切ったあたりにあった。6畳と4畳半のふた間でトイレはタンクが木箱に入った古い水洗式だった。風呂はなかったが、すぐ近くに銭湯があったので不便は感じなかった。ちなみにその銭湯は今もある。
Uさんはその前まで南口から15分ほど歩いたところにある3畳ひと間のアパートに住んでいて、そこから高円寺の予備校に通っていた。出身は新潟で、東京に出て荻窪に住みたかったと言っていた。もしかすると文学青年だったのかもしれない。もちろん文学談義なんていちどもしたことはない。
荻窪の街を散策するということもなかった。駅前の喫茶店でありあまる時間をつぶし、インベーダーゲームに興じ、夜になると当時駅前にあったスーパーで叩き売られる弁当を買うか、カップ麺を買うかするくらい。昔入り浸った喫茶店を見かけるとどことなくうれしくなる。
この本を読みながら30年前の記憶がゆるりとよみがえってきた。荻窪界隈に住むようになって15年。まだまだ根が張っていないなって感じだ。