本書の中で懐かしい名前を見た。
湯野正憲。
高校時代の体育の先生で日本でも有数の剣道の大家だと聞かされていた。いちど担当の、やはり剣道部の顧問をしていたM先生が休んだとき、ピンチヒッターで授業をしてくれたことがある。当時にしてすでにかなりのご年配で、当然のことながらいきなりみんなで走りまわったり、ボールを蹴りだしたりなどという授業ではなく、先生のお話をありがたく頂戴するという、ちょっと風変わりな体育の授業だった。
湯野先生は若い頃からスポーツ万能であらゆる競技に取り組んでいたのだが、あるとき剣道の師匠からそろそろ剣道一本にしぼって、その道を極めるべきだと叱責され、以後剣道一筋に生きたという。また、海に行っても、決して遮二無二泳いだりなどせず、仰向けになって波にたゆたっているだけなんだそうだ。そうして無の境地になると自ら呼吸をしなくとも、自然と空気が体内に入り、自然と体外に出てゆく。「鳴らぬ先の鐘」ではないが、先生はこうして心を静め、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。かれこれ30年前の記憶なのであまり頼りにはならないが、そんなようなことを話してくれた。
松岡正剛は編集工学研究所を主宰している知の巨人である。氏の「千夜千冊」はぼくにとってはバイブル的存在で一冊の本から、自分の知や読書や経験を結びつけていく闊達な語り口はあこがれの的であった。ぼくが読んだ本に失礼のないように謝意を記録する試みをはじめたのも氏のサイトの影響が大きい(まあそれこそ雲泥の差というのはまさにこのことを言うのであろうが)。
著者の論旨が明快で動的に感じるのは、おそらく個々の編集技法やさまざまな方法に適切なネーミングを施しているからなのだと思った。新書だからと軽く読んでしまった。もう一度きちんと読み直す必要があると思う。
こんな知の世界がすうっと身体の中に入ってきたら、痛快だろうな。
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