子どもの頃から、小林旭が好きで、おそらくは“旭”という最果ての地をイメージさせるその名前が好きだったのか、石原裕次郎と対極にある真底不良なイメージが好きだったのか、如何せん、子どもの頃の記憶なのでいまだ明快な根拠は見出せずに、いまだファンである。ファンとはそんなものかもしれないが。
ただナイスガイvs.マイトガイとか、ぼくが長嶋茂雄や王貞治に声援をおくっていた60年代末頃にはあまり接触のないフレーズだったはず。幼年期の記憶というのは、理性的なものごとより、むしろ感性的な部分に負うところが大きいのだろう。ぼくの中の小林旭は、あの喧嘩の強そうな風貌から想像し得ないハイオクターブな歌声だった。
小林旭が喧嘩が強そう…というのは子どもながらに憧れていた。なにせおいら、喧嘩弱かったぜよ。と、どすを利かせていう台詞でもない。三歳上に姉がいたが、小さい頃から姉貴の結婚相手は小林旭がいいと真剣に思っていた。理由は簡単。喧嘩が強そうだから。
それはともかく。ハイオクターブで張り上げる「恋の山手線」や「自動車ショー歌」が大好きだったわけだが、ここ二、三日脳裏によぎり続けているのは、「琵琶湖就航の歌」だ。もちろん、加藤登紀子も歌っているし、もともと三高ボート部の歌なので、誰が歌ってもいいと思うのだが、ぼくの中では小林旭だ。たぶん実在する、あるいは実在していた三高ボート部の、おそらくはバンカラで、それでいて気弱いところもあり、故郷の母親を思い出しては涙する、そんな漕ぎ手たちの気持ちを代表できるのは、小林旭の他にないような気がしている。
いや。小林旭の話を書くつもりじゃなった。
このあいだ『家守綺譚』を読んで、小林旭の「琵琶湖就航の歌」が渦巻いていたってことを言いたかっただけだ。
『家守綺譚』に続いて、長女の書棚からシリーズ第二弾。
これはちょっとした永井荷風かな。明治の昔に渡航した記録のように描かれている。もちろん著者は留学経験があるようだが、なかなかよく描けているフィクションだ。と、偉そうに言っているぼく自身、土耳古には行ったこともなければ、かすったことすらない。首都がアンカラだというのもついさっき知った。
で、村田は土耳古留学を終え、綿貫の下宿にたどりつく。そこで高堂とも再開する。ゴローにも出会う。こうして『家守』と合流する。『家守』を読んだとき、この話は19世紀末から20世紀初頭の話ではないかと推測したのだが、この本の冒頭で「一八九九年 スタンブール」とある。間違ってはいなかった。「高堂」にルビがふってあった。「こうどう」だった。「たかどう」だと思っていた。間違っていた。
で、本当にいいところはその後。いわゆるエンディングってやつ。もちろんここでは書くような野暮はしない。
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