選抜高校野球が始まって、終わったと思ったら、プロ野球が始まって、学生野球も始まった。4連覇のかかる東京六大学の早稲田は東大相手とはいえ、好発進。注目は新主将になった上本、松本、細山田の4年生だ。東京都の高校野球も始まっている。秋優勝の関東一が初戦敗退。関東大会へ行けないどころか、夏の予選はノーシードだ。
プロ野球はどうかといえば、じゅうぶんに補強したジャイアンツがスタートダッシュするかと思ってたら、そうでもなく、もののみごとにマスコミの餌食となっている。ジャイアンツといえば、以前から大型補強をするたびに各方面から批判を浴びていたが、ぼくは案外そうとは思わないのだ。子どもの頃、よく新聞(もちろん読売新聞だ)の集金に来る販売店の人が外野席の招待券をくれたのだが、ただで観戦できる外野席のチケットに期待するものとしたらやはりホームランだろう。ジャイアンツはこうした小さな野球ファンの卵たちのために各球団から4番打者を集めなければならない宿命なのだ。そりゃあもちろん自前でホームランバッターを育てるのが理想には違いなのだが、手っ取り早く東京ドームの外野席にホームランボールを大量に打ち込むために5年も6年も若手を育成している場合ではないのだ。よく野球は役割分担だとか、大砲役とつなぎ役がいて…みたいなことをしたり顔でいう素人評論家がいるが、まずは野球ってスケールの大きなスポーツだろってことを直感的に知らしめないと、ますます衰退していくような気がする。野球がチームプレーで、作戦があって、緻密な競技であるなんてことは高校生になって学べばいいことだ、なんて思うんだけどね(とはいえジャイアンツにはもう少し勝つ野球をしてほしいなあとも思うけど)。
ちょっと野球の話が長くなってしまった。
清水義範の『早わかり世界の文学』は著者の作家としての立ち位置を改めて明確にしながら、読書体験を語っている平易な本である。清水義範はパスティーシュ作家だといわれており、ぼくもパスティーシュという言葉を清水作品を通じて知ったのであるが、正直いって、本人がパスティーシュ作家ですとあからさまに自負しているとどうも鼻につくというか、いやな感じがする。私は反体制ですと胸をはっていわれたみたいな。そういうことって作品を通じて訴えてくれればいいと思うのだが。それとなんでもかんでもパスティーシュとくくるのもどうかなと。文体を模倣するのと小説の主題を模倣するのとでは違うような気もするのだ。だから文学はパロディでつながっているといわれてもちょっと無理があるような気がするのである。
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