そういえば今年は太宰治没後60年らしい。太宰の命日は桜桃忌と呼ばれ、毎年三鷹の寺に多くの愛好家が訪れるそうであるが、別段太宰ファンでもないぼくはそういったことを新聞の片隅で知る程度である。
太宰の小説はひととおり読んではいたが、先日も没後60年云々という新聞記事を見て、もういちど読んでみよう気になった。迷わず『津軽』を選んだ。
生まれ故郷の津軽地方を訪ねる紀行文というのがこの本の体裁だが、その真意は生まれ育ったふるさとを旅して記述することではなく、自らの心のふるさと、太宰治という人間のよりどころを訪ねる旅であったことに間違いあるまい。
太宰はこの旅の終わりに育ての母ともいえるたけという女性に30年ぶりに会う。ここがこの本のクライマックスで、ぼくも30年ぶりに読んで、30年前と同じように泣いてしまった。
本の前半は津軽の歴史、風土などを見聞きしたものに加え、むしろそれより史料の引用が多く、これはいかにも紙数かせぎといえなくもない。旅とはいえ、太宰の見聞はわずかな思い出話と感想だけで後は酒を飲んでいるばかりだ。これはたけとめぐりあう感動のラストシーンに向けて計算された冗長さなのか、はたまた太宰自身が再会を前にした緊張と不安と、あるいは照れ隠しのあらわれなのか。
今回読み直してみて、むかし読んだだけではわからなかった太宰の心が少しだけ見えてきたように思う。
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