2009年12月26日土曜日

齋藤孝『偏愛マップ』

高校の先輩が埼玉で歯科医をしている。
ずっと以前に猛烈な歯痛で駆け込んでからというもの、東武線に乗ってときどき治療に出かける。
先輩である先生はそのころようやくパソコンをいじるようになり、ひょんなことからぼくがパソコンに詳しい後輩だとレッテルを貼ってしまった。それからというものことあるごとに携帯電話が鳴る。エクセルで線を引くにはどうしたらいいのかとか、セルの中で改行するにはどうしたらいいのかとか。ワード、エクセルのヘルプをクリックするとぼくに電話がかかるように設定されてでもいるかのように。
実はぼくも仕事で使うアプリケーションはPhotoshopやIllustratorだったから、正直最初はとまどったのだが、パソコンの画面を見ながら先輩の質問に答えているうちにワードやエクセルの使い方がわかってきた。人に教えるというのはなかなか勉強になる。
先輩はどちらかというと自ら進んでで勉学に励むタイプではなかったと聞いている(聞かなくてもじゅうぶんわかる)。おそらく高校生時代から誰かに聞けばいいや的なお気楽スタイルを貫いていたのだろう。そのせいか、妙に質問が上手い。先輩のわからないことがよくわかるのだ。世の中には質問下手が多くいる。何を訊ねたいのかわからない人。その点先輩先生はなかなかの才能の持ち主である。

齋藤孝は教育学者であり、かつコミュニケーションの発明家である。
読書論あり、日本語論あり、思考法ありとその著作は多岐にわたるが、基本は身体論をベースにした教育方法論とでもいうべきか。
ぼくが学生時代(恥ずかしながら教育学部だった)にはこんな先生はどこを探してもいなくて、それだけでも今の学生さんたちは楽しいだろうと思ってしまう。もちろん同じようなテーマで教育学やコミュニケーション論に取り組んでいた先生もいたのだろうが、齋藤孝ほど明快な主張を展開できるものはいなかったのではないか。氏の優れた点はネーミングだったり、キャッチフレーズだったり、言葉を支配していることだと思う。
礎となる理論と言葉をあやつれる自在性があって、はじめて発明ができる。才能と汗だけではないと思う。

今年の本読みはこれでおしまい。
年末年始はあわただしいから読んでもあまり身にならない。ふだん読んでるものが身になっているかといえば、そうでもなく、たぶんあわただしいから読まないんじゃなくて、あわただしいから人は本を読むのではないかとも思う。
あわただしくないときは列車に乗って旅をするに限る。
では、よいお年を。

2009年12月21日月曜日

内田百閒『第一阿房列車』

この本も関川夏央の『汽車旅放浪記』に登場した一冊。
汽車旅ができないものだから、この手の本がすっと身体の中に入ってくる。今の精神状態の浸透圧に非常に合っているのだろう。
内田百閒は根強いファンに支えられている作家のひとりとは知っていたが、ぼく自身手に取ることはなかった。まさかこんな痛快なおじさんだとはつゆも知らなかった。
本書で紹介されている御殿場線はいつだったかぼくも興味があったので乗り潰しに行ったことがある。御殿場線はもともと複線化していた東海道本線が丹那トンネル開通にともないローカル線に格下げされ、単線化された路線でいまだに複線時代のトンネルの跡があったりして興味深い。SLの主役はぼくの好きなD52だった。
先週25日朝9時納品の仕事が決定。24日は遅くまで作業に追われそうだ。こんなことでは『第二阿房列車』も読んでしまいそうだ。


2009年12月18日金曜日

夏目漱石『三四郎』

今年も残りあとわずか。区内体育館の卓球の一般開放もあと2回。
今年は1月から週イチペースでラケットを振ることができた。3月にわき腹の肉離れにおそわれたが、それ以外は大きなけがもなく無事過ごせたことはなによりである。
最近ときどき上級者の方とフォア打ちをすることがある。ボールを当てるだけじゃだめで、打ち抜かなければいけないとよく指摘される。ただ相手に合わせて当てて返しているだけらしい。
なんとなく仕事と卓球は似ている、ぼくの場合。
関川夏央の『汽車旅放浪記』に触発されて、いまさらだけどまた夏目漱石を読んでみることにした。
漱石に限らず、日本の近代文学にあまり興味を持たないぼくであるが、漱石を読んでみると彼がすぐれたストーリーテラーであることがよくわかる。難しくなく深い文章技術がそのおもしろさをささえているのだろう。これは明治の青春小説だいわれるとなるほどと合点がいくし、どんな本かと問われたら誰もがそのようにこたえるだろう。それくらい現代人にも通じる共通感覚を内包する作品だ。


2009年12月13日日曜日

糸井重里編『いいまつがい』

子どもの頃は、湿疹がひどかったらしい。
「らしい」というのは記憶にない頃の話だからなのだが、とにかく赤ん坊のときはものすごい湿疹でいろんな薬を塗られていたという。母親は手が自由になると掻いてしまうからと寝巻きをシーツに縫いつけたりしたそうだ。が、敵もさるもの、不自由な手はそのままに首をまわしてシーツに顔をこすりつけていたという。われながらかしこい子どもだったんだなあ。
そんなわけで今でも千倉の親戚の年寄りたちは、おまえは小さい頃はデーモンチィチィ(湿疹=できものがいっぱいできた子どもという意味の方言であろう)でひどかったけどよくなったなあと会うたびにいう。半世紀もさかのぼる話をよくもよくも繰り返してくれる。
今でいうアトピーともちょっとちがっていたようで、話を聞くとカサカサというよりジクジクしていてまさに“湿疹”という語が適切な感じだったらしい。今はすっかりそんなものはできなくなって、強いていえば夏場にひざの裏とかひじの裏辺りにあせもができやすい。乳幼児期のなごりだと思っている。
この本が世に出たときは少し話題になったし、書店で立ち読みもして、思わず笑ってしまったものだ。でも、まさか今日まで生きながらえて新潮文庫の一冊になるとは思いもよらなかった。
立ち読みしかしていなかったし、文庫化されたと聞いたのでこれはきっとちゃんと読んでみる価値ありと踏んで先日購入一気に読破した。
やっぱりこういう本は立ち読みに限る。


2009年12月9日水曜日

関川夏央『汽車旅放浪記』

仕事に疲れると旅に出たくなる。
別段、温泉に浸かりたいとか、楽しみを見出す旅ではない。列車に乗れればそれでいい。
昨日仕事で名古屋に行く用事ができた。打ち合わせは夕方から。こんなチャンスは滅多にないと思って、時刻表をめくる。
東京駅発10時33分発の快速アクティー熱海行きに乗り、以後、沼津行き、島田行き、浜松行き、豊橋行き、大垣行きと乗り継げば名古屋着16時58分。こんな理想的な旅はない。
が、現実には昼前から別の打ち合わせを組まれて、あえなく計画は未遂に終わった。

以前『砂のように眠る』という作品を読んで、関川夏央という作家は本格派のノンフィクションライターだという印象を持った。
この本は鉄道マニアを自称する作者が自身の思い出をほどよい味付けにして、文学上描かれた鉄道旅行を追体験するといった内容だ。漱石あり、清張あり、主要幹線あり、ローカル線あり、市電あり、鉄道好き(時刻表好き)にはたまらない一冊。
単なる鉄道マニアと作者の異なるところは精密な調査と文学作品の読み込みがベースになっているところで、ここらへんがプロフェッショナルなんだなあと感心せざるを得ない。
関川夏央はやはり骨太の作家なのだ。

結局、名古屋はのぞみで往復した。時間や利便性を金で買うほど貧しい旅はないと思う。


2009年12月3日木曜日

津原泰水『ブラバン』

なんだかんだ言っているうちに12月だ。
先行き不安のままスタートした2009年がもう最後の直線を迎えている。なんだかんだ言って、それなりに仕事も忙しかったし、やはり一年というのはなんだかんだ言っても過ぎていく。
先週、もともと腰痛持ちの家内が激痛に襲われて、寝込んでしまい、家事やらなにやらいつもまかせっきりのぼくも子どもたちもちょっとあたふたした。いつもうちのことなどこれっぽっちもしない下の娘が夕食の支度を手伝ったり、洗いものなんぞしてくれたようで、こっちのほうが驚かされた。
さいわい、痛みはひいて、なんとかふつうの生活に戻ったが、子どもたちも怠惰な日常に戻ってしまった。
ここのところ、“広島もの”が多い気がするが、偶然だ。
この本は高校時代の吹奏楽の仲間たちが25年後もういちど演奏をしようと再会する話。ありがちな話だが、青春をふりかえる物語にはずれはない。ただ帯にプリントされていたようには感動はしなかった。


2009年11月27日金曜日

井伏鱒二『黒い雨』

早稲田大学野球部の新主将が斎藤祐樹だそうだ。
彼の同期にあれだけ優秀な野手がいるなか、投手を主将にするとははなはだ意外に思った。ぼくの予想では宇高か山田だった。松永は打撃でチームを引っぱる感じじゃないし、原は土生にポジションを奪われそうだし、早実時代の主将後藤も大学野球の主将の器にまでは育っていない気がする。斎藤の世代が入学してからも早稲田が強かったのは、ひとえに田中幸長、松本啓二郎ら先輩たちの力が大きい。この世代は一見強そうだが、ポジションや打順が固まっていなかったり、軸になる選手がいなかったりして、結局自慢の投手陣に負担をかけるかたちで斎藤にお鉢が回ってきたのだろう。上本、細山田、松本みたいなしっかりしたセンターラインが組めていない来年は相当苦戦するのではないかと思っている。
いい選手を育てるのは、いい選手を集めるより難しいということか。

30年以上前、大学を受験するために広島に行った。
3日目の試験を終え、大学のある東千田町から平和記念公園や県庁のある市の中心部を散策した。原爆ドームや市民球場のあたりを歩いて、大手町、八丁堀、京橋町など東京の地名のような町を抜けて広島駅にたどり着いた。途中、紙屋町の本屋で『試験に出る英単語』を買った。来るべき浪人生活にために。
井伏鱒二の『黒い雨』はいわゆる名著のひとつで、学校の推薦図書だったり、夏休みの課題図書としても定評があるが、なにがすごいって、淡々とストーリーが展開し、あたかもドキュメンタリーのような視点で閑間重松家族の終戦を描いているところだ。そこには戦争に対する、原爆に対する表面的な憤りや感情的な高ぶりが見られない。文章の奥のほうにじっとおさえこまれたように静かにくすぶっているのだろうが、あえてそのような描写を避けているかのようだ。怒り高ぶり、先の戦争に思いをめぐらす作業は読者に委ねている。すぐれた作品だと思う。
重松家族とともに千田町から古市までたどり着く間、ささやかながらぼくの広島散策の思い出が役に立った。帰京後受けた別の大学になんとか合格できたので、『出る単』はカバーをかけられたまま動態保存されている。



2009年11月20日金曜日

ジェームス・ジョイス『ダブリナーズ』

明治神宮野球大会が終わると今年も終わりという感じがする。
この大会は学生野球の一年のしめくくりではあるが、高校生にとっては新チーム最初の全国大会ということになる。今年は東海地区代表の大垣日大が関東地区代表の東海大相模を破って、まずは追われる立場に立った。
両校とも激戦地区を勝ち進んできただけにそれなりに力はあるだろうが、まだまだチームが若い。失点に結びつく失策が多い。来春、おそらく選抜大会に出場するだろうが、鍛え上げて勝ち上がってもらいたいものだ。
『ダブリナーズ』はその昔、『ダブリン市民』というタイトルだったが改題されたのだそうだ。
ダブリナーズのほうがなんかかっこいい。
ジョイスというと文学的にすぐれているにもかかわらず、それゆえに大衆的に陽の目を見ない作家のひとりだろう。ぼく自身、なんだかんだ読むのははじめて、である。先日柳瀬尚樹を読まなければ手に取る機会もなかったろう。ひとつひとつの物語がこじんまりとして、ささいな市民の日常であるけれど、そのひとつひとつがずいぶん奥深い感じがする短編集だ。
それにしても今日は寒い。

2009年11月14日土曜日

なかにし礼『不滅の歌謡曲』

ぼくは眼鏡をかけている。
朝、最寄りの駅に行くと、どこかの店員とおぼしき若者がティッシュを配っている。できればもらってください、いらなければ、少しだけ意思表示してください、すぐに引っ込めますから、というすばやい身のこなしで道行く人たちにティッシュを手渡す人たちだ。
このあいだ考えごとをしていて(あるいは何も考えていなかったのか、要は今となっては何も憶えていないのだが)不意打ちをくわされたかのようにティッシュを受け取ってしまった。ふだんはよほど風邪で鼻水がすごいということでもない限り手にはしないのだが。
そのまま地下鉄に乗って、ポケットにしまったティッシュを見たら、駅近くのコンタクトレンズの店のティッシュだった。
なんでぼくなんかにティッシュをくれたんだろう。不思議に思った。ぼくはどこからどう見ても眼鏡の人だし、眼鏡をかけていればコンタクトレンズは必要ない。なんでそんなことがわからないのだろう。阿呆か、あいつは。
そんな話を娘にしたら、だから配ったんだという。コンタクトレンズの人は見た目じゃわからないけど、眼鏡の人は目がよくないってひと目でわかる。そういう人はいつかコンタクトレンズにする可能性がまったくのゼロじゃない。
なるほど、そういうことだったのか。

8~9月、NHK教育テレビで放映していた「知る楽 探求この世界」という番組で取り上げられていたテーマのテキスト。
ぼくの中では、なかにし礼は阿久悠と並ぶ昭和歌謡のヒットメーカーだと思っている。どちらかといえば阿久悠は詩情豊かなスケール感があり、なかにし礼は洋楽的な洗練を持っているというのがぼくの印象だ。
で、この番組は昭和のヒット歌謡を支えてきたひとりの作詩家としての筆者が歌謡曲の歴史を振り返りながら、ヒット曲はなぜ生まれたのか、なぜいま生まれないのかという今日的なテーマと根源的に歌の持つ不思議な力を解き明かそうという試みである。
実をいうと、小さい頃、テレビで視るなかにし礼にぼくはあまりいい印象を持たなかった。怖そうな顔をして、挑発的で、生意気そうで、子どもながらに鼻持ちならないやつだと思っていた、たいへん失礼ではあるが。大人になってその印象はガラッと変わった。高校の先輩であると知ったせいもあるかもしれない。そしてこの番組、そしてこのテキストを通じて、心底リスペクトすべき偉大な才能であることをあらためて確信した。

2009年11月7日土曜日

柳瀬尚紀『日本語は天才である』

今月は月初めが日曜日なので、この土日に卓球の一般開放がない。そのぶん来週の第2土曜と第3日曜と二日続きになる。卓球のない週末はやることがなく、そういうときは読書もあまりすすまない。精神と身体はやはり緊密に結びついているのだろうか。
ただでさえ、仕事でごちゃごちゃしていて、読みすすめない日々が続いているのに。
柳瀬尚紀と聞くとエリカ・ジョングを思い出す。
が、エリカ・ジョングについては何も思い出せない。買うだけ買って読まなかったのかもしれない。
著者は英米文学の名作を数多く世に出した名うての名翻訳家。いままでそんなに意識したことはなかったけれど、翻訳という仕事は外国語に堪能なだけではだめで、日本語を熟知してければならないはずだ。そうした日本語のエキスパートが語る日本語論。
日本語はもともと外国語を受け容れ、ともに育ってきた言語であるせいか、とても柔軟で翻訳に適している。そのことを著者流の言い回しで、「日本語は天才」といっているわけだ。何が素晴らしいって、この言葉に対する謙虚さが素晴らしい。天才なのは、どう見たってジェームス・ジョイスらの翻訳で知られる著者であるのに、そんな素振りをこれっぽっちも見せることなく、日本語賛美に徹するスタンス。翻訳とは語学力だけではなく、諸外国の歴史や風土に通じているということだけでもない。さりとて日本語をたくみに駆使できる能力だけでもない。母語に対する客観的な視線と、謙虚に向き合う姿勢なのだ。

2009年10月28日水曜日

チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』

結局、VAIOは起ち上がらず、さりとて、リカバリディスクもなく、fedoraというLinuxをインストールして現在に至っている。
買い換えるにも先立つものがなく、Windows7なるものがどうなのかもいまだつかめず、Macintoshに戻るのも悪くないなあとも思ったりして、現時点で確たるコンピュータ環境が構築できないでいる。
まあ、fedoraでメールのやりとりやwebの閲覧はできるし、Word、Excel、Powerpointのデータも開けるし、編集もできる。使ったことはないが、Photoshopの代わりになるgimpもある。Windowsでもない、MacOSでもないOSが入っているだけだと思えば、さほど苦にならないのだが、そのうちなにか起こりそうな気がしている。ああ、やっぱりWindowsじゃなきゃだめじゃん!みたいな状況が…。
PCに関しては不安な状況が続くが、ディケンズの小説は最終的にハッピーエンドなので、安心できる読み物だと思っている。
『オリバー・ツイスト』は長編と言われているが、たいていのディケンズ作品は長いので読んでいてもさほど苦にはならない。しかもどんなにつらい日々の連続であろうと、最後はやっぱりディケンズだぜ!と思うと希望の光も射し込んでくる。
当時の人気を博した若手作家ディケンズにとってはこの程度の無理矢理なストーリーは当たり前のことだろうが、現代の韓流ドラマも実はかなり、彼の影響を受けているんではないだろうか。
なんて思ったりして。

2009年10月25日日曜日

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

昭和40年代、姉が高校生の頃本棚にあった一冊。
いっとき庄司薫は、今の言葉で言えばかなり“ブレーク”した存在だが、何ヶ月か前に毎日新聞の夕刊で取り上げられていたのがきっかけで読んでみることにした。
著者は1937年生まれだから、高校在学期間は53年から57年。それに対し、主人公の“庄司薫”は学校群制度の直前の日比谷高生だから、66年から69年にかけて在学していたということだ。それなりに齢を重ねて、青春時代を回顧しつつ、当時の若者に自分を投影したということだろう。
多くの指摘があるようにサリンジャーの“The Catcher In The Rye”に似た語り口になっていて、当時の習俗とか若者たちのものの考え方がよく描かれている。
ただ、いかんせん、頭のいいやつ、という印象はぬぐいきれない。勉学のかたわら、軽く小説のひとつふたつはさらさらっと書き上げるくらいの能力のあった人なんだろうなと思う。
それにしても学校群制度の全盛期に育ったぼくらの世代にとって、本書は日比谷高校の恰好のガイド本であっただろうと思う。「サアカスの馬」が九段高校(現千代田区立九段中等教育学校)のガイド本だったように(なことないか)。


2009年10月20日火曜日

重松清『リビング』

さて、起ち上がらなくなったパソコンだが、ハードディスクが壊れてしまったのか、起動するためのソフトが壊れてしまったのか判別しがたい。なにしろセーフモードでも起ち上がらないのだから。ただなんとなく直感的にはハードディスクのデータ類はやられていないはずという思いがあった。たとえばCDドライブからOSを起動できれば、ネットワーク経由でデータを別のパソコンに移せるのではないか、あるいはUSB接続した外付けハードディスクに。
リカバリして初期状態に戻すのは簡単だ。ただスペックの落ちたハードウェアの復旧より、中のデータが最優先だ。別パソコンでいろいろ調べてみたら、CDROMから起動するLinuxがあるという。その名はknoppix、クノーピクスと読むらしい。Debian系Linuxの進化系か。
ものは試しと最新版(6.0.1)をダウンロードして、isoファイルをCDRに焼いて、VAIOのドライブから起ち上げてみる。おなじみのペンギンがあらわれ、なんなくGNOMEの画面が登場。ファイルユーティリティソフトを起動して、ハードディスクにアクセスする。画面にはWindows のCドライブ、Dドライブに相当する/media/hda2、/media/hda5が表示されている。コンソールからroot権限で“mount -r /media/hda2”と打ち込んでもerrorらしきメッセージが帰ってくる。せっかくここまでたどりついたっていうのに。ただLinux上ではハードディスクのパーテーションが認識されていることがわかった。しかもVAIOのリカバリー領域である/media/hda1というドライブはなぜか自動でマウントされている。ハードディスクそのものが損傷を受けているという可能性は低い。なんらかの理由でマウントできないだけなのではないだろうか。
翌日、またネット上であれこれ調べてみた。マウントできない原因のひとつとしてLinuxがハードディスクの一部をswap(システムが落ちないようにハードディスクを部分的にメモリに割り当てるもの)に使っているからではないかと思い至った。どうやら起動の際、“boot:”のあとに“knoppix noswap”とオプション指定するといいらしいとどこかに書いてあった。さっそく試して、マウントすると今度はエラーが出ない。ファイラーで開くとなんとドライブの中身が無事残っている。knoppixCD版にはOfficeに相当するアプリケーションが入っているのでパワーポイントやワードで作成したデータをふたつみっつ開いて確認。画像データもgimp(Linux定番のPhotoshopみたいなアプリケーション)で確認。動画ファイルも生きていた。
ネットワーク経由の移送は設定がよくわからなかったので外付けHDDをUSBにつないでマウント。ほぼ全データをバックアップすることができた。
長生きはしてみるもんである。
あ、そうそう重松清。『リビング』。ずいぶん前に読んだ単行本をぱらぱらと読み返したんだっけ。
パソコンが飛んで、すっかり忘れっちゃったよ。



2009年10月17日土曜日

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『絵のない絵本』

仕事場のすぐ近くに平河天満宮という社がある。
小ぶりではあるが、歴史があるらしく、正月初詣に来る人も少なくないようだ。
ご近所のよしみということもあって、ときどきお参りに行く。たいていは仕事がうまくいきますようにとか、家族の無事や健康をお願いするのである。ご利益があるかといえば、案外(といってはとても失礼であるが)ある。なんとなくうまくいく、のである。
その神社の神様というのがどのような方なのか、お目にかかったこともなく、そのプロフィールなども存じ上げないのだが、想像するに、とてもいいお方なのだろうと思っている。とても感謝している。
アンデルセンというとパン屋さんな感じがするのだが、Andersenをアンデルセンと読むのは日本独自のものであってデンマーク流に読むとアナスンとかアネルセンに近いという(訳者解説より)。アンデルセンがアナスンだったら、はたしてこれほどまでに日本で愛される小説家になっていたかどうか。あのパン屋の名前はどうなっていたのだろうか。
つまらないことを考えてしまった。
夜空に浮かぶ月目線、その月が見つめ、見守る、世界の人々の小ドラマがこの小編の持ち味だ。ちょっと日本的な神様を髣髴とさせる。
とても想像力豊かな仕立てにもかかわらず、ひとつひとつのストーリーは簡潔で、あっさりしている。悪く言えば物足りない。この枠組みで世界紀行的な大長編が編まれてもいいのに、と思った。
先日長年使っていたパソコン(VAIOのtypeT90)が起動しなくなった。たまたまだいじな書類をメールで送った直後だったので大きな被害を被ったわけではなかったが、その後その書類の修正を求められ、別のパソコンで一からつくりなおさなければならなかった。
それにしてもパソコンが起ち上がらないということがこんな悲劇的な思いをともなうとは、なんとも嫌な世の中になったものだ。
真っ青な画面だけしか映し出さないディスプレイを眺めているうちに、ふとこうしてはいられないと思い、急いで平河天満宮に行った。


2009年10月14日水曜日

椎根和『平凡パンチと三島由紀夫』

頼まれると断れない性格、といえば聞こえはいいが、実際のところ臆病なだけだったりする。
臆病なだけなら、まだいいが、これは君にしか頼めない仕事なんだ、などと言われようものなら、もうたいていのことをほったらかして、取り組んでしまう。やっている仕事のできばえはともかく、期待されることがきらいじゃない。これは性格というより、そう育てられたからなんだろうと思う。
何が言いたいかっていうと要は小さいながらも仕事が重なり、人から見ればそんなものは気球にのせたわたがしのようなごく軽い期待を重圧と解している情けない自分に今、直面しているということだ。仕事が楽しくないわけではない。ただそれより重圧の方が大きくなっているだけのことだ。もしかしたらそんなお年頃なのかも、そろそろ。
椎根和は往年の平凡パンチ誌の編集者。三島由紀夫とは出会いは、いわゆる作家と編集者という関係ではなく、文学者としての三島というより、当世の文化人、スーパースターとしての三島に接していたというのだからおもしろい。けっしてさげすんだものの言い方ではなく、いわゆる週刊誌の記者だったんだなと思わせる、日常的な三島観がおもしろいのだ。
とはいえ、三島の、俗な部分にもっと徹底的に光を当てるという書き方もあったのではないかと思う。ベルクソンやサルトルは異様な登場の仕方だと思うし、キリスト教的な話や横尾忠則やらビートたけしやら、あまりに多方面から切ってくるので焦点が定まらない気もする。専門書には短く、エッセーには長い、そんな印象の不思議な本だ。
そういえばしばらく三島由紀夫を読んでいない(『三島由紀夫のレター教室』ってのは最近読んだけど)。
読んでみるかな、久々に。

2009年10月10日土曜日

谷川俊太郎+和田誠『ナンセンス・カタログ』

最近、はまっているテレビ番組は早朝7時からNHK教育テレビで放映している"シャキーン"だ。
ここ何年か、教育テレビでおもしろいコンテンツが制作、放映されている。
"ハッチポッチステーション"や"クインテット"など大人が見てもじゅうぶん楽しい。
それにしても"シャキーン"は秀逸だ。ターゲットである小学生たちにはちょっともったいない。
"シャキーン"に関してはへたな説明をするより、いちど視てもらったほうがいいと思うので、これ以上深入りして解説はしない。

和田誠のすぐれたところは一見つまらなそうなことでも楽しく愉快なイメージにしてくれるところだと思う。
彼の装丁した本はどれも面白そうに見えてしまう。
谷川俊太郎も同様のことが言える。日常の些細なできごとにぐーんとひろがりと奥行きが与えられる。
マザーグースなども英語で読んだらかなり難解だ。そのことばのひとつひとつを単に日本語に嵌め換えるのではなく、そのわらべ歌的世界を日本語で新たに構築しているところがおもしろいのだろう。
まあ、そんなふたりの書いた本がおもしろくないはずがない。

2009年10月6日火曜日

川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』

地下鉄麹町駅の近くに昔ながらのボタン屋がある。
母親が洋裁の心得があって、布やボタンを買いに行くのに付き合わされた。たいていは大井町の駅周辺のお店で、ゴンゲンチョウとかミツマタと呼ばれていた商店街にあった。
子どもの頃からボタン屋だけはなぜか好きで、はがきが入るくらいの箱に同じデザインのボタンがしまってあって、その短い辺の側面に大きいのから順番に“これだけのサイズがございます”然として見本のボタンが貼り付けてあった。その側面が店内ところ狭しと積み上げられている。
おそらくはこのボタンという、洋裁の材料にしては模型工作パーツ的な硬質感とバラエティに富んでいる色、形が少年の創作的興味を刺激したのだろう、と思っている。
麹町のボタン屋の前を通るたびにそんなことを思い出す。

川上弘美は案外、好きだ。
言葉がとてもだいじにされていて、文章を慈しんでいる感じがいい。
この本は西野幸彦というしょうもない男をめぐる女性たちの一人称による連作だが、男性の目で読んでみると主人公は西野ではなく、それぞれの短編に登場する女性たちだ。ひとりの男を軸にはしているが、ぼくにしてみればひとつの旅先をいろんな人が好き勝手に論評している紀行文ように思える。それって読み手であるぼくが男だからだろうか。


2009年10月2日金曜日

トルーマン・カポーティ『叶えられた祈り』

夏がフェードアウトして、冬がフェードインしてくる。
季節のオーバーラップの中間点が秋というわけだ。10月は毎年そんなふうに、冬のように晴れたり、夏のように雨が降ったりする。
カポーティに関していえば、ぼくは初期の、いわゆるイノセンスものが好きで、よく読んだ。
この『叶えられた祈り』はセンセーショナルな未完の傑作だという。そこらへんの知識はまったくなく、ただ本屋の棚の中に見慣れないカポーティの文庫を見つけたというだけで手にとった。
当初、この本の一章として書かれた「モハーベ砂漠」は『カメレオンのための音楽』に短編として収録された。たしかにそんなタイトルの小編が収められていたという記憶がある。なんなんだ、これは、と思った記憶もある。が、それ以外のことは全然思い出せない。もういちど読んでみようか。たしかまだ捨ててはいないはずだ。
タイトルの『叶えられた祈り』は、聖テレサの言葉「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」から来ているという。解説の川本三郎は、正確にはその意味はわからないとしながらも、『冷血』の完成と成功によって祈りが叶えられたカポーティに訪れた新たな苦しみをあらわしているのではないかと言っている。
手もとにあるカポーティを片っ端から読み直してみたい。この本の感想はそれからでも遅くはないだろう。



2009年9月28日月曜日

向田邦子『思い出トランプ』

卓球の話。
近所の体育館の一般開放日にスポーツアドバイザーとして月に一度だけやってくるTさん。
各台を見てまわり、ときどき声をかけ、ラリーをして、フォームなど弱点を指摘して修正してくれる。その指導法は至極明快でわかりやすい。
まずフォアならフォア、バックならバックでラリーを続ける。そのうち少し浮いたボールを出してくる。そのボールを強く打ち返しなさいという意図である。そこで強打する。Tさんはいとも簡単にショートやストップで返してくる。その返球はさらに浮いて、手ごろな打ちやすいボールだ。そこをふたたび、みたび強打する。最後、Tさんは台から離れてロビングで返してくる。スマッシュ対ロビングというラリーになる。
そんなラリーになる前にたいていの人は(ぼくももちろんそうだが)打ち損じる。そこでTさんは言う。「強く打つということは力を入れて打つこととは違う」と。いかに自分の、ふだん強打できるポイントで、ふだん打っているフォームで、ボールにラケットがあたる瞬間に的確な角度と力を加えられるかという練習なのだ。たいていの人は(あえて言うまでもなく、ぼくも含めて)ロビングの頂点で打とうと身体が伸び上がってしまい、大振りして、無茶苦茶な角度でボールを叩きつけてしまう。
「強く打つとは小さく振って、打つ瞬間に力を集中させること」とTさんは言う。
その後、ぼくと同じくらいのレベルの初級者とラリーをするとき、Tさんのまねをしてみる。浮いたボール出して強打させ、さらにロビングでスマッシュを打たせる(もちろんTさんのようには何本も続かないが)。打たせる側に立ってみると打つ人がいかに余計な力を入れて打っているかが手にとるようにわかる。おもしろいものだ。なかにはロビングうちの練習なんてまだ無理ですよ、という相手もいる。技術的に高度な練習をしていると思っているらしい。
それは違うんですよ、とぼくは言いたい。いちばん初級者にとってなじみのあるフォアを強く打つ練習を重ねることで、力を抜いて、正しい角度でできるだけ小さなスイングをして、インパクトの瞬間にだけ力を込めるという卓球競技の基本をTさんは教えてくれているのだ。そしてその技術はサーブだろうがレシーブだろうがショートだろうがあらゆる局面で活かせる基本技術なのだ。
「荻村(伊知郎)さんはぼくの大学の3つ上の先輩。長谷川信彦や河野満はぼくの3学年下」というTさんはまさに昭和の卓球ニッポンと歩みを一にしてきた人なのだ。

昭和。
昭和の風景を問われると、銭湯、呼び出し電話、脱脂粉乳、茶色い国電、汲み取り便所、木造校舎、都電、月刊少年誌などが思い浮かぶ。なにぶん昭和は波乱万丈の長い時代だったから、人それぞれ思いは異なることだろう。昭和を貫くキーワードというものがもし存在するとすれば、それは“貧しさ”なんじゃないかと個人的には思っている。
先日、九段下の図書館で雑誌『東京人』をパラパラ見ていた。
“向田邦子 久世光彦 昭和の東京”という特集が組まれていて、両氏のドラマづくりの細部にわたるこだわりに感心した。
向田邦子が航空機事故で他界したのが'81年。"昭和"がその存在感をひっそりと薄れさせてきた頃ではないかと思う。今年は生誕80年ということでドラマが制作されたりしているようだ。
図書館を出て立ち寄った本屋で『思い出トランプ』を買い、ちょっと昭和に寄り道して帰ることにした。
昭和はぼくがはじめて卓球に出会った時代でもある。

2009年9月26日土曜日

『アートディレクションの黄金比』

卓球の関東学生秋季リーグが終わった。
今季は忙しくて観戦する時間がない。もっぱらネットで結果だけを追いかけた。
今の学生リーグの見所といえば、やはり世界ランカーである明治の水谷を至近距離で見られるということだろう。これまで明治の稼ぎ頭としてトップバッターが定位置だったが今季は、必ずしもそうではなく、後半出場だったりもする。続くスターは早稲田の笠原だ。スピード感あふれる両ハンド攻撃と柔軟な守備、そして勝負強さをあわせもつ好選手である。ただ今季は京都東山の先輩足立と組むダブルスで星を落としたが気になった。この後に全日本学生選手権がひかえており、コンディションづくりも難しい時期なのだろう。
早明には及ばないものの安定した力を持っているのが専修。エース徳増を中心に早明のどちらかを崩すかと期待していたのだが、今季も3位。中位から下位はまさに混戦。ぼくはペンホルダーなのでおのずと応援に力の入る筑波の田代、駒澤の桑原勇、埼玉工大の伴がいずれも苦戦。駒澤は来季2部落ちだ。

子どもの頃から絵を描くことは好きだったのが、中学高校はどちらかといえばスポーツに打ち込んだりしていて、いつしか描かなくなった。広告の仕事をはじめてからまた描くようになった。だからぼくの絵は、ぼくの人生同様、基本がなっていない。高校時代、冷静に人生を見つめる機会があれば、美術大学に進むという選択肢も当然あったとは思う。まあ仮に美術系を歩んでも、歩まなくても、さほど大きな影響はなかったような気もする。人生とはそんなもんだ。
この本は広告やエディトリアルなど各方面で活躍しているトップアートディレクター9人のインタビューをまとめたもので誠文堂新光社にありがちな本。
アートディレクターの世界もぼくが社会的に幼少の頃とはずいぶん様変わりして、若い才能が次々にあらわれているようだ。この手のオムニバス形式もいいが、ひとりのADを一冊まるっと追いかけてくれるのもいい。むしろ後者の方が個人的には好みではある。
まあ、いろいろなジャンルでデザイナーやアートディレクターが活躍しているんだということで美大やアート系の職種をめざす若者たちには有意義な一冊かもしれない。

2009年9月22日火曜日

佐藤賢一『カペー朝』

世の中プラチナだシルバーだと連休だけは景気がよさそうだ。
ぼくの連休は今日で終わりで明日から仕事に戻る。週明けにプレゼンテーションがあって、木曜金曜の二日だけでは時間のやりくりができないのである。
この週末は本を読んで、卓球を楽しみ、墓参りに出かけ、充実した連休だった。
その本の副題に“フランス王朝史1”とある。続編があるのだろう。
この本は群雄割拠する西フランク王国の時代に台頭したユーグ・カペーから350年近くにわたってフランス王国を興隆させたカペー朝の歴史を説いている。その長きにわたる歴史を著者の怒涛のような文才をもってコンパクトにまとめた書で、もっと紙幅を問わずに語らせようものならおそらく大部の歴史物語になったであろう。むしろそのほうがありがたかったか。ある意味、歴史の教科書のように箇条書き的に時間が進行し、地図や登場人物のプロフィールなしに読み進めるのはなかなか困難な読者も多かろう。読み手の興味や知識レベルの設定がこの手の本では難しいと思った。

2009年9月19日土曜日

チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』

シャネルの映画が多い。
「ココ・シャネル」、「ココ・アヴァン・シャネル」、「シャネル&ストラヴィンスキー」(これは日本では来年公開)と立て続けに上映される。「ココ・シャネル」はシャーリー・マクレーンが主演だが、若かりしガブリエル・シャネルを演じるバルボラ・ボスローヴァの評判もいいと聞く。「ココ・アヴァン」はオードリー・トトゥが主演だが、それだけでも集客力がありそうだ。
以前新潮文庫で読んだ『クリスマス・カロル』はたしか村岡花子訳だった。で、今回の『クリスマス・キャロル』は光文社の古典新訳文庫。訳者は池央耿。クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』やピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12ヶ月』などでぼくとしてはおなじみの人。調べてみるとノンフィクションから推理、SF、ミステリーなど幅広い翻訳作品を送り出している。
村岡訳がどんな感じだったか思い出せないのだが、池訳はイギリス文学らしい、あるいはディケンズらしい格調ある訳語を流麗にレイアウトし、読み手を一気に夢の世界に引きずり込む力がある。ちょっと高尚な訳語の数々は子ども向けと思われがちだったこれまでのクリスマスキャロルとは一線を画すような気もする。
で、バルボラ・ボスローヴァはチェコの人らしい。

2009年9月15日火曜日

重松清『あの歌が聞こえる』

東京で生まれ育ってそのままなもんだから、ふるさとを後にして都会へ旅立つという経験がなかった。
父親は小学校を卒業し、千葉の白浜町(現南房総市)から親戚を頼って上京し、浜松町にある商業学校に通った。以来ずっと、毎年何度か帰郷したとはいえ、東京で過ごしている。
故郷を捨てて、というと大げさだけど、人生で一度くらい新天地へ出発する日があってもいい。そんなことを考え、とある地方大学を受験した。もう30年も昔の話だ。結果的にはずっと東京である。
重松清はぼくの中では反則すれすれのレスラーだ。限りなくずるい。テーマの持って来方、味付けの仕方など、これをやられたら読んじゃうよなあ、みたいな連続技で畳み掛けてくる。
地方都市、中学~高校、友情、母と息子、父と息子、旅立ち…。これら、多くの読者に共有できる時代体験を、かつて一世を風靡した流行歌にのせてお届けするわけだ。ここまでして人を泣かせたいのか、あなたは、とついその、一歩間違えば反則になる、くさくなる話を、ギリギリのところにとどめる技がすごい。もちろん多少語り過ぎるきらいがないでもないが。
で、この作者は青臭い少年心理より、親父たちの友情や親目線の情愛、情感を描かせるほうが断然うまいと思う。

2009年9月13日日曜日

村上春樹『1Q84』

村上春樹の小説に関して、ぼくの中ではいくつかのルールがある。

(1)発売されたらすぐに買う
(2)一気に読み通す
(3)時間を空けてもう一度読む

もちろん、はじめて『風の歌を聴け』を読んだのが、'84年頃だから(奇しくも1984)、すぐに買って一気に読むのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』以降ということになる。一気に読むのは、暇をもてあましていた学生時代に出会ったせいだろう、読み始めたら、そのまま最後まで読み切らないと気がすまなくなってしまった。それと基本的にこの作家は情景描写に凝らない。ストーリーのエッセンスがスピーディに進行し、伏線となるメタファーが次々にあらわれていくので、息をつく暇がない。また、そういうわけだから中身が濃密で再読に耐えられ、いやむしろ再読を通じて、読みこぼしをすくっていったほうが断然おもしろい。
そういうわけなんだが、今回の新刊に関しては、つい最近購入し、つい最近5日かけて読み終えた。
すぐに読まなかったのは、あまりに話題になり過ぎて、なにも今読まなくてもいいんじゃないかと思ったからだ。書店に平積みされたBook1とBook2はなんだかどこかのお店のカウンターに置かれた《自由におとりください》と書かれたパンフレットみたいだったし、タイトルも現地の文字で書かれたエスニック料理のメニューのようで何がしかの期待を抱かせるものではなかった。
さらにいうなら、その前に読んでおきたい本が多くあったことも理由のひとつだろう。『ねじまき鳥』や『カフカ』を読んだときにうっすら思ったことだが、村上春樹を読むのなら、ディケンズやドストエフスキーは読んでおいたほうがいい。
以前『海辺のカフカ』を読んだとき、これは『不思議の国のアリス』だと思ったのだが、その雰囲気はこの本にもあり、さらには言及もされている。総じて印象は未完のストーリーといったところだが、果たして続編はあるのだろうか。

2009年9月7日月曜日

亀山郁夫『『罪と罰』ノート』

エディット・ピアフのCDを聴きながら、先週末は本を読んでいた。
映画「エディット・ピアフ愛の賛歌」ではマリオン・コティヤールの演技が光っていた、などと思いつつ。
外語大学長の亀山郁夫は光文社の古典新訳シリーズでドストエフスキーをわれわれ庶民に解放した立役者である。その功績は解体新書をわが国に紹介した前野良沢、杉田玄白級といえる。
この本は平凡社新書であるが、新書の特性を活かした比較的自由な枠組みのなかで、紙数の制限はあるものの思う存分『罪と罰』を語っている。ついこのあいだ『罪と罰』を読み終えたばかりの素人のぼくはただただ感服するばかりである。鉄道やアニメやそばうちの世界に卓抜した知識人がいるようにドストエフスキーの世界にもこうした“をたく”が存在するのだ。亀山先生が学問を生業とするプロッフェショナルでなく、そこいらの一市民だったらもっとすごい“をたく”なのになあと思ったりもする。
日曜日は久々、卓球。
気温は高かったが、湿度の低いさわやかなグリコアーモンドチョコレートのような一日だった。



2009年9月4日金曜日

プロスペル・メリメ『カルメン』

今年の1月から3ヶ月にわたって、NHKのラジオフランス語講座で「オペラ『カルメン』を読む」というシリーズを放送していた。メリメの原文にくらべ、オペラの台本は比較的平易なフランス語で初学者にもとっつきやすいらしい(らしいというのは、ただぼんやり聴いていただけでちゃんと学習していないからだが)。
そのときドン・ホセとかリリャス・パスティアの居酒屋とか闘牛士だとかだいたいの物語の輪郭はつかめたつもりだったのだが、どうもオペラと原作は違うらしいと知るに至った。となるとどう違うかくらいは知っておいた方がよいと思い、このたび読んでみることにしたわけだ。
まあ、「カルメン」はともかく、収録されている短編にすばらしい作品が多く、これは読んでみてよかったなと思った。堀口大學訳でありながら…。

2009年9月2日水曜日

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

ちょっと大げさな分類だが、世の中に『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人と読んでいない人がいるすると、ぼくはこの歳になってようやく読んだ人の仲間入りができたというわけだ。
それにしても光文社の古典新訳文庫はいい。
なにが素晴らしいって、おもな登場人物をしおりに印刷してあることが素晴らしい。ロシア文学などとほとんど縁遠い生活をしているわれわれにはアグラフェーナ・スヴェトロワとかカテリーナ・ヴェルホフツェワなどという名前はおいそれとは記憶にとどまらない。ぼくの母は昔から言ってた。外国の小説は登場人物の名前が憶えられなくてねえ、と。ドミートリーだのラスコーリニコフだのスヴィドリガイロフだの片仮名名前が苦手だった読書家にとってこれはまさに蒸気機関並みの画期的なアイデアだ。
もちろん訳者の亀山郁夫が氏のこれまでの研究成果を駆使し、解釈しやすいよう丹念に言葉を選んでくれていることも読みやすさにつながっている。なによりも訳者が自らあとがきで述べているように「リズム」をたいせつに訳されているのだ。
さて今回読破したばかりのぼくはこの本に関する感想などまだ持ち得ない。読みきっただけで精一杯だ。というわけでとりあえずここではこれから『カラマーゾフ』を読む読者のために偉そうにひとつふたつアドバイスをしてみよう。
◆難解なところはさらっと読め
人によってどこが難解かは判断が難しいが、ぼくの場合、宗教的なくだりは不得手である。とりわけイワンの朗読する「大審問官」やゾシマ長老の談話などは無理矢理解釈しようとしても時間の無駄である。おおまかな物語の流れにはさほど影響しないので、わかろうがわかるまいがさらっと読み飛ばしてしまおう。後で気になったら読み返せばいいのだ。
◆あとがきを活用する
1巻のあらすじは2巻のあとがきに、2巻のあらすじは3巻のあとがきにある。訳者のちょっとした心遣いだ。先にあらすじを読んでから読むと読書のスピードはアップする。もちろん、映画の結末を聞いてから映画館に行くのは絶対いやだという人にはおすすめしない。
◆4巻は厚い
1~3巻にくらべ4巻は厚い。それまでポケットに入れても苦にならなかった文庫が急に厚くなって重くなる。その頁数にめげてしまう読者もいるかもしれないが、3巻を突破したら4巻は読まざるを得なくなる。気持ち的には1~3巻が上巻、4巻が下巻と考えればいい。5巻(第5部)は数十頁しかないのでおまけと思えばいい。
◆本当は続編があった
ドストエフスキーは続編的なもうひとつの小説を構想していたという。ドミートリーとイワンの物語はこれで完結し、それに続くアレクセイの物語を書く予定だったという。読んだ後でそのことを知ると、なるほどそうだったのかと思えるところは多々あるのだが、あらかじめ『カラマーゾフ』は未完の小説だという先入観を持って読んでみるのもおもしろいはず。

昔読んだ小説で古典新訳文庫に加えられている本をこんど読んでみることしよう。翻訳のちがいがわかるかも知れない。
っていうか、たぶんもう憶えてもいないだろうなあ。


2009年8月28日金曜日

玉村豊男『今日よりよい明日はない』

今週は8月の第5週ということで体育館の一般開放はなし。久々に卓球をしない週末である。
というわけでその間イメージトレーニングに励もうと国際卓球連盟のホームページで先に行なわれた韓国オープンの映像を観ることに。
すでに報道されているようにこの大会は世界ランク1位のワン・ハオら中国の強豪も参加していたにもかかわらず、全日本チャンピオン、明治大の水谷隼がなんと決勝で世界ランク9位のハオ・シュアイを破って優勝したのだ。水谷の、持ち前の“柔らかい卓球”にハオ・シュアイは手こずり、ミスを連発。世界ツアー初優勝のかかるプレッシャーのなか、水谷が本来ののびのびしたプレーで圧倒した。ハオ・シュアイは準決勝で精彩を欠く王者ワン・ハオを破ったまではよかったが、その勢いを活かしきれなかった。
ワン・ハオは世界選手権後中国超級リーグを経て、中国オープンこそかろうじて征したものの、映像で見る限り、どうも本調子ではなさそうだ。それにしても水谷には大きな自信になったのではないだろうか。
で、玉村豊男は、ひとことで言えばうらやましい男である。
特に力むわけでもなく、なんとなく微笑んでいるだけで日々が豊かに過ぎていく。そんな印象がある。もちろんこうした温厚な表面の内側にはものごとをひっくり返して見たり、ちょっと高いところから俯瞰して見たりするシャープな洞察力とそこから得た私見をシャープな言葉に定着させるすごいエネルギーを秘めている。とりわけ玉村豊男の本で好きなのは言葉がきちんと選ばれているという点だろう。惹句とか生甲斐、軋轢、蒐集、涵養など読んで意味のわかる熟語は積極的に使うし、植物の成長は生長と表記する。
こういう人が友だちだったりすると人生もまた少し楽しくなるんだろうな。


2009年8月26日水曜日

中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』

夏の甲子園も終わった。
今年は群雄割拠というか下克上というか波乱に満ちた試合が多く、じゅうぶんに楽しめた。今年に限った話じゃないとは思うが、特に今年は各チームの“成長力”が鍵を握っていたように思う。
昨秋の時点で高校野球の頂点に立ったのは慶応義塾(神奈川)だった。その明治神宮大会の準優勝が天理(奈良)。天理は初戦で中京大中京をにコールド勝ちしている。が、その慶應も天理も春の選抜では早々と敗れ去った。勝ったのは秋初戦敗退の清峰(長崎)。準優勝はご存知菊池雄星の花巻東(岩手)。ところがこの夏、清峰、慶應は予選敗退。東東京では国士館、西東京では早実が敗れ、春以降力をつけてきた帝京、日大三が猛打で圧勝した。
花巻東は春の東北大会を初戦で敗れたものの、岩手大会を春夏と連覇し、着実に力をつけてきた。こうした例外をのぞくとこの夏の大会は昨秋、今春と力を発揮できなかったチームの台頭がキーワードだったと思わざるを得ないのである。中京大中京は春、愛工大名電に苦杯をなめているし、日本文理(新潟)も北信越大会では初戦で負けている。
とかく高校野球は監督だ、とか伝統校は強いと思われがちだし、激戦区を派手に勝ち進んできた学校に注目が集まりがちだが、今年のような場合、各校がどれだけ練習を積んで、チーム力をつけてきたかを的確に判断しないと予想は難しかっただろう。新聞社などマスコミ泣かせの大会だったのではないだろうか。
さてこの本だが、タイトルだけ奇抜な新書だと思っていたら、見事に期待をはずしてくれた。
週末、卓球をやっていると、いるんだよね、スポーツアドバイザーと呼ばれ、区の連盟やクラブチームから派遣される指南役や上級者のアドバイスを受け容れない人って。あなたからなんで指示されなくちゃいけないんですか、私は私の好きでやっているんですから!みたいな人。おおむね、ネットの書き込みとかブログとかってそんな人たちに支えられているんですね。人のことはいえないけど。
本書では、ウェブのコミュニケーションは居酒屋の会話であるということが語られている。それを前提に活用すべしというネット全盛時代に対する快いアンチテーゼだ。メディアの主役はテレビであるというのもなんとなくほっとする。
ただテレビCMが効かなくなった話の反論としてブログのネタとしてはテレビがダントツの主役っていうのはちょっと飛躍があるかな。まあ番組コンテンツも広い意味でCMといえば、たしかにそうなんだろうけど。
それにしても居酒屋で高校野球の話で盛り上がるのっておやじ冥利に尽きる。

2009年8月24日月曜日

佐々木良一『ITリスクの考え方』

今月はクラス会のほか、高校時代の硬式野球部の同期会もあり、野球部でないにもかかわらず、夏になるとぼくが神宮だの大田だの江戸川だの足を運んでは野球部の連中にたまに会うことから、準硬式野球部員として招待されて、先週の金曜日、六本木の焼き鳥屋に集まった。この焼き鳥屋は店長が同期の主将である。友だち甲斐のない他のメンバーからいちばん多忙な金曜日に会を設定され、主将はひたすら焼き鳥を焼くだけ。主将は嘆く、「だから日曜にやろうぜって言ったじゃねえか」と。
当時の名二塁手のKが必死に働く主将を見て、「あいつすげえな。もう30年も焼き鳥焼いてるんだぜ」と言う。さすがにセカンドらしい気の回し方だが、まあそういうKだって30年近く夢をカタチにするF通に勤務してんじゃん。それも立派なことだよ。
翌土曜日は午前午後と体育館をはしごして一日じゅう卓球をやった。フォア打ち、バック打ちと基本練習が主体。台上のつっつき打ちがうまくなるともっと卓球はおもしろくなるかもしれない。とは思うもののなかなか反復練習する機会がなく、身に付かない。
いわゆる解説書で情報セキュリティを読み解くのも難しい(というかかったるい)。そこでできれば新書とか選書みたいな読み物で興味を持続できる本はないかとさがしていた。
で、この本を読んでみたんだけど前半はよかった。2000年問題を事例に取り上げたりしてリスクマネジメントの基本的部分はよくわかった。
後半はわからなかった。難しかった。“ITリスク学”という学問分野の構築を著者はめざしているのであろう。実務的な学問の新ジャンルであることはわかる。が、ちょっと複雑でついていけなかった。
何ごとも応用ってやつは難しい。

2009年8月18日火曜日

船本弘毅『図説地図とあらすじでわかる!聖書』

今月はじめに高校のクラス会があった。さすがに卒業して30年近くもなるとだいたい出席するメンバーも固定化されてくる。前回、前々回と欠席していたが、こまめな幹事が連絡をくれて、久しぶりに顔を出した。
もともとぼくのいたクラスには東大に行ったやつとか、野球部のエースだとか、とびきりの美人とか、めちゃくちゃ出世したやつとか、実は他のクラスにはひとりふたりいるような存在がいない。飛びぬけて偏屈なやつはぼくかもしれないが、それでもまあ大人しいくらいな偏屈さで学年全体で目立つというほどでもない。要は東京都にとって画期的なアイデアだったところの学校群制度を縮図にしたような平均的で冴えないクラスだったのだ。
そんな冴えないクラスにあって、もしかすると唯一抜きん出た才能を持ったのが男子女子にひとりずついる“幹事”かもしれない。わがクラスの幹事は冴えない不動産屋のような男子(別段不動産業を揶揄しているわけではなく、、たまたま彼が大手の不動産会社に勤務しているから言っているだけだ)とどこかの商店街の世話焼きのおばさんのような女子とが卒業してからほぼ永久幹事的に働いてくれている。しかも多方面ではどうだかわからないが、幹事としてはなかなかの、というよりかなりすぐれた才能とセンスを持ち合わせている。
でもすごい幹事がいるだけのクラスってのがやっぱり冴えないクラスなんだな。

よくホテルの引き出しに聖書が入っていて、たまには読んでみようかなとも思わないわけではないが、たいてい旅先では酔っ払っているし、なかなか実行に移せないままいい歳になってしまった。
なんで聖書を読んでみたいのかを考えてみるとやはり海外の小説を読んでいて、聖書の知識があれば、とてつもなく小さな級数の註釈を読まなくてすむな、とか絵画や彫刻など教会美術を鑑賞するのに(それも滅多にないことではあるけれど)聖書の知識があるといいよなという程度のことなのだ。その点でできるだけお手軽に読みたいという欲求にこの本は応えてくれている。
紙数の制限もあっただろうが、さらにもっと噛み砕いてくれていてもいいとも思ったが、単元ごとにほぼ決められた字数でまとまっているのと世界史の教科書のような淡々とした(それはこちらの受け取り方の問題でしかないが)文章も理解の即効性という意味で“いい感じ”だったと思う。
でも、まだまだほんとの聖書は奥行きとそれ相応のたたずまいがあるのだろうな。


2009年8月15日土曜日

玉村豊男『パリ・旅の雑学ノート』

年に一度、南房総に行く。
かつて安房郡白浜町千倉町の町境のあたりだ。小学校に入る前から祖父に連れられ、姉と3人で両国から汽車(その後しばらくして電化されたが)に乗って千倉駅に向かう。さらに国鉄バス(当時)で乙浜という停留所で降りる。そこに父の実家があった。だいたい3週間から1ヶ月をそこで過ごす。バスで千倉方面に戻ると白間津という集落があり、そこには母の実家がある。
父の家は戦後建て直しているので今は誰も住んでいなくてかなり傷んでいるが、まあ生活ができないほどではない。一方、母方のそれは大正か昭和の初期に建てられた家で今となっては床も抜け落ちそうなほど朽ちている。
ぼくは母方のいとこたちとよく遊んだのでどちらかといえば思い出深いのは白間津の家で毎年必ず誰もいない座敷にあがって仏壇に線香を上げている。近所にいとこ夫婦が住んでいるのでときどき窓を開けて風を通してくれているらしい。けっして廃屋というわけではない。古い家の柱にはぼくたちが子どもだったころ貼り付けたお菓子のおまけのシールやいちばん年下だった叔父の購読していた漫画雑誌などがそのままになっている。誰も住んじゃいないがずっとみんなが住んでいるのだ。
今年も昨日日帰りで墓参りに行ってきた。
両国発の汽車は京葉線東京発のさざなみ号に変わり、千倉駅はコンクリート製の駅舎に変わり、バスから眺める景色も少しずつ変わった。コンビニエンスストアができ、ラーメン屋が増え、前近代的なこの町に不似合いなペンションなる宿泊施設がそう違和感をもたずに存在していた。バスのなかも長いこと東京で生活している帰省者や旅行者が増えた。そのせいか純粋地元のおばあさんが乗り込んでくると思わず自分の祖母か伯母かとハッと目を見張ってしまうのである。電車もバスも心なしか南房総の方言を聞くことが少なくなったような気がする。
ああ、それにしてもパリに行きたい。
まあ、パリじゃなくてもいいんだけど(むしろパリじゃない方が好きだったりするんだが)、リヨンでもナンシーでもサン・マロでも実はどこでもよかったりするんだけどね。ヴァカンスシーズンの、日が長くて、空気が乾いた天真爛漫な季節のフランスならどこでもいいから行ってみたいんだよね。
玉村豊男は雑誌のコラムなどで拝読するのだが、一冊まるっと読んだことはなかった。
写真などで見る限り、とても都会的なインテリジェンスを感じるのだが、文章もご多分に漏れず洗練されていて、ウィットに富んでいる。こういうのをエスプリっていうのかな。
この本に関していえば、まずは着眼点が素晴らしい。観光ガイドでなく、街を楽しむ本というスタンスに徹している。このことがなによりうれしい。パリに行くなら、こうした旅行にしたいなあ。

2009年8月13日木曜日

杉山利恵子『フランス語でつづる私の毎日』

すごい地震があってびっくりした。目覚まし時計じゃ起きない人も家じゅう揺らせば起きるんだと思った。
雨で二日流れた甲子園。しばらくは天気は安定するんだろうか。
それにしてもここ何年か、お盆の墓参りの頃になると仕事が増える。まあ、何もないよりいいか。
2004年の上期に放送された杉山利恵子とミカエル・フェリエによるラジオフランス語講座初級編はなかなかよくできていたようで、その後何度も再放送された。テレビ講座ではやや緊張気味でぎこちない感のある杉山利恵子だが、ラジオではリラックスしていて、とても聴きやすく、わかりやすかった。とはいってもこの講座をぼくは通しで聴いたわけではなく、当時持ち歩いていた小型ラジオで時折聴く程度の不熱心なリスナーだったのだが。
新しい人か古い人かと問われれば、ぼくは当然、もう古い人間で、かといって鶴田浩二のように何から何まで真っ暗闇というほどは古くはないけれど、よしだたくろうに言わせれば確実に古い水夫だろう。当時は新しい水夫だと思っていたんだけどね。
新しい人が語学を学ぶ上でどういう方法論が今あるのかはよくわからないが(たぶん聴いたらすぐに声に出す“シャドウイング”とかするんだろう)、古い人の語学の基礎は“書く”ことにあるんじゃないかと思っている。書かないことには単語ひとつも憶えられないというのが古い人の習性なんじゃなかろうか。少なくともぼくはそうやって育ってきた。もっと古い人は辞書を食べて憶えたというがその真偽は定かではない。
たしかにここ何年か継続的にラジオを講座を聴いてきたけれどもいっこうに上達しないのは、ひとえに“憶えない”からだという自覚がある。ノートをつくって書けばいいのだろうとは思う。でもなかなかこの歳になるとノートを開いて鉛筆を持って本腰を入れて勉強するって時間はつくれないのだ。もちろん時間はつくることはできるだろうが、そういう精神状態に自分を持っていくのが非常に難しい。
この本はフランス語で日記をつけましょう、毎日少しずつ書くことでフランス語を身近なものにしていきましょうというコンセプトなんだろう。ちょっと渡りに船的な感じがしてひととおり目を通してみた。いくつか文章を拾って手帳にでも書きとめればいいんだろうなあ。
ちょっと誤植があって、それだけは残念だった。

2009年8月10日月曜日

岩崎俊一『幸福を見つめるコピー』

このあいだ打合せで“元気ハツラツぅ”の“ぅ”は平仮名だよね、とあるCMプロデューサーに訊ねたら、何を言ってるんですか、片仮名ですよと自信満々に返されて、ぼくの記憶力も衰えたもんだとへこんでいたんだけど、CMを見たらやっぱり平仮名だった。なあんだ、やっぱりそうじゃないかと思う反面、きちんと広告を見て、細部まで記憶していないCMプロデューサー氏の行く末を思って、ちょっと哀しかった。
間違っていてもいいと思うんだよね。ただそのときネットで調べるとか確認するとかすればまだよかったのにって思う。
仕事でそんなことにこだわっていると、まあいいじゃないですか、細かいことですから…なんて言われるんだけど、ぼくは表現者がつくった表現物には敬意を表したいと思うから、礼を尽くして見、礼を尽くして聴き、礼を尽くして記憶するべきだと考えている。いい加減に見ている方はどうでもいいことかも知れないが、つくり手にとってはそうではないと思う。
コピーライターとかグラフィックデザイナーってそういう矜持のある職であるはずだ。

コピーライター岩崎俊一と親しいCMプロデューサーは氏のことを大先生という。
還暦を過ぎ、日本の広告クリエーティブの第一線でいまだ活躍されているそのバイタリティたるや凄まじい。
岩崎俊一も本書で書いているが、すぐれた広告表現というのは発明ではなく、発見である。見つけること。でもそれが難しい。
大先生は打合せしていても、なかなかコピーを書かないという。原稿用紙と鉛筆は目の前に置かれているが、打ち合わせ中にひらめいたことをすぐに書くということをしない。クライアントから提供された基礎資料を丹念に読み込み、広告会社の営業担当から、時には広告主からじかに話を聞き、商品のこと、商品をとりまく環境、人びと、空気、気分…、とにかくあらゆる表現の可能性を精査した上で、それでもまだ鉛筆は手にしない。「たとえば、こういうことかなあ」と京都の人だなと感じさせるイントネーションでまずはそっと扉を開ける。周囲にいる営業担当やプロデューサー、アートディレクターの反応をたしかめる。そんな打合せを何度か重ねてようやく、コピーを原稿用紙に記す。
大先生のコピーは時間がかかる。しかしそれは自分が行き着くことのできる極限まで広い世界へ翼をひろげているからだ。つまりは“発見の旅”に出ているからだ。そしてそこで“見つけた”ものをそのまま言葉にしない。じっくりと吟味し、いちばん届く、深く届く言葉を選ぶのだ。そりゃあ、手間ひまかかるよね。
それと、これはぼくだけが感じることかもしれないが、岩崎俊一のコピーはかつて広告制作会社(制作プロダクション)全盛期の時代のにおいがする。広告主が制作プロダクションに発注し、広告をつくっていた時代。日本デザインセンターやライトパブリシティがすぐれたグラフィックデザインを生産していた時代。クライアントとクリエーティブはもっと密な関係にあった。
最近の広告はテレビだwebだ新聞だクロスメディアだコミュニケーションデザインだととかく広告会社(広告代理店と置き換えてもいいが、ぼくは広告代理店という概念がもうとっくの昔に終わっていると思うのであえて代理店とは言わず、広告会社と呼んでいる)主導の表現が多い。メッセージよりしくみが重視されている。岩崎コピーにはそういった、言葉は悪いが、小細工は一切ない。
広告クリエーティブは、広告主の課題に真摯に取り組み、誰もがうんとうなずく発見を丁寧に(言葉でもビジュアルでも)定着させていく努力を怠らない限り、まだまだ未来はある。ベーシックな広告制作がケータイやネットの時代でも生き残ることができる産業であることを岩崎俊一は身をもって示してくれている。


2009年8月9日日曜日

浅川宏・鳰原恵二『図解よくわかるISO27001』

最近、広告会社による“情報セキュリティに関する説明会”とか“個人情報保護に関する説明会”みたいなものが多い。パワーポイントでつくられたレジュメを見ながら、説明を聞く、そんな集まりだ。
おそらくは経産省のガイドラインや規格が更新されたことで委託先管理の強化がもとめられているせいだろう。
もともと総務とか経理とか管理部門の仕事にあまり興味もないし、たぶん才能もなかったんだろう。昨今のコンプライアンスだのマネジメントシステムだのまったくといってほど関心がない。関心がないとはいえ、時代の要請みたいなところもあり、ひととおりの知識は必要だとも思うのである。
それにしても難しい本だ。図解でわかりやすいのが特徴らしいが、あまり効いている感じがしない。文章もところどころ難解だ。

>組織のISMSが規格その他の要求事項に適合しているかを示す適合性及び
>組織のISMS文書やセキュリティ目標達成の度合いを計る有効性も確認される。

「ISO27001の認証取得の実地審査によって」という一文が付加されるとわかるのかもしれないが、この文は何度読んでもぼくには理解できない。きっとそういう頭を持っていないんだろうな。
他にもいくつか主語が省略されていたりして、それだけでも情報管理って難しいなあという印象しか残らない本である。

2009年8月5日水曜日

大野茂『サンデーとマガジン』

週刊少年誌の歴史は浅い。まだ50年だという。おいおいそれってぼくと同い年じゃないか。
たしかにぼくの小さい頃は月刊誌が全盛だった。
倹しく育ったぼくの唯一の楽しみは月に一度近所の川上書店のおじさんがカブに乗って届けてくれる『少年』という月刊漫画雑誌だった。母は、ぼくが本と絵が好きだったのと自分の弟が美術大学に通っていたこともあって、漫画雑誌に関しては寛容だった。
当時の『少年』は「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が連載されているひと粒で二度おいしい雑誌だった。
その後、小学校に入ってから『少年画報』に鞍替えしたが、定期的に漫画雑誌購読をするのは低学年のうちに終わった。週刊少年誌はその後ときどき眺める程度の存在だった。ぼく自身その後漫画に興味を持たなくなったから。それでもやはり当時の漫画誌はぼくら少年社会の中でパワフルな存在だった。
ぼくの記憶に残る週刊誌の漫画といえば、マガジンでは「巨人の星」、サンデーでは「サブマリン707」かな。
サンデーの元編集長がこんなことを言っていた。
「僕たちの時代は、本当の意味でのマンガの編集者なんて誰もいなかった。小さい頃はマンガなんてほとんどなかったんだしさ。誰もが手探りの中から、ことを成し遂げていったんだ」
これはテレビのなかった時代に育った人たちが手探りで番組やCMをつくってきた黎明期のテレビ制作者の世界にも通じる深い言葉だと思う。

2009年8月1日土曜日

重松清『ビタミンF』

卓球の開放日に出会ったK山さん。
毎月末の土曜日にやってくる。4ヶ月ほど前初めてお相手させていただいた印象は“先生”といった感じだった。
腕前もさることながら、打ち合いながら包容力を感じる。懐の深い人なんだと思った。
休憩をとり、煙草をふかしながら話し込んでみると御年80歳。若い頃は広島の中学校で教鞭をとられていたらしく、部活動の顧問となったのが卓球との出会いだという。その後、東京で某大学の教壇に立たれていたという。
現在はご子息家族が近所に住んではいるものの、奥方様を亡くしてからはひとりぐらしで気ままな毎日を過ごされている。楽しみは月に一度の卓球とミニテニス。そして年に一度のクラス会で広島の教え子たちと会うことだそうだ。
「いつまでできるかわかりませんが、汗をかくっていいもんです」
とヤニだらけの歯を見せて笑う。
K山さんのラケットは教員時代からずっと使っていたという年代ものだ。ラバーは赤というより白。
あんまり古びているのでこのあいだラバーを貼り替えてあげた。
「なんだかボールが“かかり”ますね。いいですよ、これ」
とヤニだらけの歯を見せて笑う。
その日は終了時刻いっぱいまでラリーを楽しんだ。
夏目漱石が出会った“先生”とはちょっと違うだろうが、こういう人生の先達にお会いできるだけでも体育館に通ってよかったと思う。

仕事場のロッカーを片付けていたら重松清の本が何冊か出てきた。おそらくこの本が最初に読んだものだと思う。タイトルの“F”はファミリーのFであるそうだ。
重松ワールドはどんより曇って湿度の高い遅めの午後といったイメージがあるのだが、ささやかな日常の薄暗い世界を重く重く描いている。最初読んだころは子どもも小さかったけれど、いつしかぼくもこの小説の登場人物にふさわしい年恰好になったんだなとふたたび頁をめくってそう思った。

2009年7月28日火曜日

芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ他十七編』

高校野球西東京大会は準決勝。本命の日大三は忌野清志郎の母校ということで俄然注目の集まる都立日野に苦戦を強いられた。6回表まで2-6とリードされ、1点差とした7回には4番にバントをさせるなりふりかまわない必死の攻撃。これが功を奏して敵失で逆転。かろうじて1点差で逃げ切った。日野は左打者の多い日大三を相手に右サイドスローの控え投手を先発させる奇襲に出たが、わずかに及ばなかった。スタンドから流れる「雨上がりの夜空に」とエラーで失点を招いた一塁手の泣き崩れる姿が印象的だった。
第二試合は都立小平対日大二。ノーシード同士の組合せになった。投手陣の乱調でタイムリーなしで4点を先攻した日大二が振り切った。
明日は東東京の決勝。都立雪谷は一度優勝を経験しているだけに旋風を巻き起こすだけの都立校とは違う。帝京にとっては侮れない存在だ。

梅雨に逆戻りしたような天気が続くが、世の中は夏休みだ。
中学高校の6年間にほとんど本を読まなかったせいで、「●●文庫の100冊」みたいなパンフレットの中に読んだ本が如何に少ないことか。そんな反省を込めて、ときどき読む日本と世界の名作プロジェクトの第二弾として選んだのが芥川龍之介。これもたまたま高校生の娘の書棚にあっただけなんだけどね。
それはともかく、名作はいい。

2009年7月27日月曜日

小野俊哉『V9巨人のデータ分析』

夏の高校野球。東西東京のベスト4が出そろった。
東の都立旋風の立役者小山台の健闘は称えたい。ぼくの生まれ育った品川の地からここまで甲子園に肉薄した学校はかつてなかった(はず)。小山台が勝てば準決勝で顔をあわせるはずだったお隣大田区の雪谷。昨年秋の覇者国士館を破っての堂々の4強だ。帝京対学舎もおもしろい一戦になりそうだ。学舎は今大会に入ってから勢いづいた。王者帝京を破るには、まず“勢い”が必(まあ抽象的な言い方だけどね)。
一方、西。
日大三が抜きん出ている気がするが、日野、小平の都立2校が勝ち残った。猛打の日野が日大三関谷をとらえられるかが準決勝の見どころだろう。日大二と小平はノーシード同士。勢いがある両校だけに壮絶な打ち合いが期待できる。
それにしても東亜は今回西の台風の目的存在だったが、さすがに日大三には歯が立たなかった。実は東亜に今年、娘と小学校の頃同級だった子がいて、つい応援に行ってしまったのだ。
4回戦早実戦。昨年決勝で悔しい思いをした早実にはそうそうかなうまいと思っていたが、意外や意外(といっては失礼極まりないが)相手エースの不調もあって中盤の大量点でコールド勝ちしたのだ。
同級生は敵失を誘う内野安打と絶妙なバントヒットで2安打と活躍した。

昔のプロ野球にはデータ分析なるものはたいしてなかった(はず)。おそらくはなんとなくの記憶で「ここに投げたら打たれる」とか「どうも左投げの投手から点が取れない」とか思っていて、そのおぼろげな記憶を頼りに作戦を考えていたのではあるまいか。まあ憶測の域を出ないのであるが。なんとなくだが、職人の“勘”と“経験”がものを言う世界だったと思うのだ。
近年、野球はデータでとらえらるようになり、それはある意味、“記録”もエンターテイメントのひとつになっているからそれはそれでいいんだけれど、やっぱりスポーツっていつ何が起こるかわからない不可視性にこそおもしろさがあると思うし、子どもの頃、まさにV9ジャイアンツの後半(V3以降かな、野球を見はじめたのは)を目の前で追っていたぼくにしてみれば、「だから川上野球は強かった」と整理されてもあまりピンと来ないんだ。
よくまとめられている本だし、たいへんなご努力もあったのだろうことは認めるのだけれど、そこで「うん、なるほど!」と感心し、納得してしまうにはV9巨人はぼくにとっていまだに光り輝いて、エキサイティングな存在なのだ。

2009年7月22日水曜日

夏目漱石『こころ』

地元体育館の卓球の一般公開日には毎回ではないけれど、“スポーツアドバイザー”と称する指南役がひとりいて、初心者のコーチになったり、練習相手のいない人(大概はぼくのようにひとりで来る人)の相手をさがしてくれたりする。区内のクラブチームの人や区の連盟の人がかわりばんこに各体育館に派遣されるようである。多くは女性でおそらくは学生時代あるいはPTAの活動で活躍されたんだろうと思われる上級者で、それなりに勉強になる。なにせ、こちとら、きちんと指導を受けたことがないわけだし。
先週の日曜にいたアドバイザーは70歳近い(本人いわく)男性で、どう気に入られたんだかわからないが、3時間以上にわたってみっちり指導を受けた。フットワークを使って自分のポイントで打球すること。打球後次の一打に備えること。不必要な力を使わず、インパクトの時点でしっかりラケットの角度をつくって振りぬくこと。自分の戦いやすいパターンを想定したサービスのバリエーションを持てるようにすること。卓球は奥が深いので、楽しみながら精進すること。そんなことを教わった。
少し大人になった気がした。

『こころ』はたしか国語の教科書に載っていたと思う。
それだけは憶えているが、中身はとんと憶えちゃいない。てなわけで娘の書棚から引っ張り出して読むことにした。いまさら読む日本と世界の名作プロジェクトというわけだ。
たしかにいい。すばらしい小説だ。やっぱり名作ってのはいいもんだ。
少し大人になった気がした。

2009年7月19日日曜日

成田豊『広告と生きる』

梅雨も明け、いよいよ夏。
夏といえば、高校野球。
ではあるのだが、今年はうまいこと昼間の時間がとれず、母校の応援もままならない。組み合わせを見る限り、3~4回戦にはいけそうな気配が濃厚なのだけれど。

自民党はどうなっちゃっているんだろう。首相の低支持率、党内のごたごたが時期衆院選に甚だしい影響を与えるという。もっと楽しんでいいんじゃないか。楽しみを有権者に与えていいんじゃないか。小泉元総理の“抵抗勢力”じゃないけれど、麻生vs.反麻生を遊べば、勝ち負けは別として国民的に選挙は楽しくなるはずだ。民主になくて自民にあるのは、そういった層の厚さだけだと思うのだが。

昨年日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」をうっかり読みそびれていたので、九段下の千代田図書館の新刊コーナーで見かけ、我先にと借りて一気に読んだ。
1980年代後半、電通の社長は木暮剛平という人だった(ぼくの記憶の中でいちばん古い社長はこの人だ)。数年後に成田豊が社長になった。バブル経済の崩壊後、世の中もずいぶん変わったが、電通も変わった。
その後、俣木盾夫を経て現在は高嶋達佳が11代目の社長となっている。そして電通はさらなる変貌を遂げながら、世の中の変化に対応している、という印象が強い。
この本では筆者が大先輩にあたる吉田秀雄(第4代社長)の精神を引き継ぎ、広告の近代化と発展に自らを投げ打っていった成田豊の軌跡が記されているが、そのなか、随所に見られる彼の人間関係、家族への思いなどがその人物の大きさと深さを示していて興味深い。
吉田秀雄がすぐれたリーダーであったことは、彼の死後も後継者たちがその意思を受け継いだところにある。成田豊のリーダーシップもおそらくこの先何十年にわたって受け継がれていくであろう。


2009年7月17日金曜日

ゴーギャン展

夏の暑さのうち、梅雨明けから、8月にかけてがいちばん暑いと思う。
気温的にはその後、8月上~中旬高校野球の始まるころがピークなのかもしれないが、今時分の暑さは暑さに勢いがある。暑くなることになれていない“暑さ”がまだ未成熟なゆえに、力を発揮し切れていない、でもやはり無限のポテンシャルを秘めている、といった暑さだ。
そんな暑いさなか、タヒチの自然にふれあおうと竹橋の国立近代美術館で「ゴーギャン展」を観る。
今回の目玉はボストン美術館所蔵の「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」の公開だろう。

  D'ou Venons Nous
  Que Sommes Nous
  Ou Allons Nous

という左上隅に書かれている仏語の文字の印象もさることながら、すみずみにまで仕掛けられたゴーギャンの意思を感じさせる奥行きの深い絵だった。ここまでくると絵画は平面表現ではなく、むしろ立体造形物といえるのではないだろうか。
なんて思ったりして…。



2009年7月15日水曜日

フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

ロシア文学とは縁遠い生き方をしていた。
学生時代をふりかえっても、チェーホフ、プーシキンくらいしか読んでいない。メインストリームであろうドストエフスキーなど1頁たりともめくったことはなかった。トルストイはまだ少年少女世界文学全集のような子ども向けの本で接してはいたが。
光文社の新訳は読みやすく、すいすいいける。長生きはするもんだ。
もちろん旧訳に目を通したわけではない。ややもすれば光文社の仕掛けに乗ってしまった感も否めない。まあそれでもいい。「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」というキャッチフレーズもいい。
1巻2巻を読み終わって、3巻の発売が7月だとわかった。その間におそらく登場人物の名前なんぞ忘れてしまうだろうとも思った。ところがしおりに刷られた登場人物の紹介もさることながら(これはとても役に立った)、2~3週間空いたところでそんなこともお構いなしなくらいストーリーが脳裡に焼きついていた。
新訳だからおもしろかったというわけでもなかろう。わずか数日間に起こるドラマをさまざまな登場人物を通して多角的に凝縮したところにこの小説の勝利があったように思う。
機会があれば『カラマーゾフの兄弟』にもぜひチャレンジしたい、そんな気にさせてくれた。


2009年7月11日土曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『女の一生』

モーパッサンのこの名作をぼくは長いこと避けてきたように思う。その理由は邦題。どこかしら演歌の匂いのする、ぴんから兄弟ないしは殿さまキングスを髣髴とさせるこの題名に正直、抵抗感があった。どうやら明治時代に英語版から翻訳が出されたときに『女の一生』になったそうだが、いかにもヨーロッパで爆発的な人気を誇ったベストセラーの本邦発公開というちょっとした力みが感じられるタイトルだ。もちろん訳しにくいとは思う。“Une Vie”だもんね。まあ、凡人的邦訳ならば『ある女の生涯』って感じかな。
たしか『脂肪のかたまり』のときもなんだよこの邦題って思った記憶がある。
それはともかくモーパッサンはやはり短編の名手なのかなと思うのだ。この話も短編とは言わないまでも中編くらいにはおさまりそうな気がする。とりわけ前半部の描写がぼくには長く感じた。もちろん冒頭の雨のシーンがジャンヌの生涯を暗示してるんだろうなとは思うんだけど。

2009年7月5日日曜日

松岡正剛『多読術』

週末近所の体育館で卓球をする。とりたてて上手くもならないのだが、それなりに上達したい気持ちもあって、できれば上手な人と向き合って、苦手な技術などを反復練習したいと思う。
ところが多少顔見知りの、ただ当てて返すだけのおじいさんやおばさんによく声をかけられる、いっしょにやっていただけませんかと。とりあえずは壁打ちテニスの壁役くらいはこなせる。
以前、京都の四条を歩いていたら、関西弁の女性に河原町の駅はどこですかと道を尋ねられた(標準語で答える旅人に教えられてよかったのだろうか)。フランスではニース近郊のカーニュ・シュル・メールでバスを待つ女性に時間を訊かれた(なぜ外国人に訊くんだろう)。
人に道を尋ねられる人はそういう顔をしているらしいと知人に聞いたことがある。おそらくぼくは人から卓球に誘いやすい顔をしているのだろう。
さっきも言ったけど、できれば中級者上級者と打ち合いたいのは山々んなんだが、おじいさんたちとゆったり打ち合うのも案外悪くないと思っている。人間が鍛えられていく感じがする。

それにしても松岡正剛はすごい。
本と接する、その接し方が見事だ。
高校生や大学生の頃、松岡正剛を読んでいたら、きっとぼくの人生も変わったと思う(なんて、その頃はきっと咀嚼できなかっただろうけど)。

2009年7月1日水曜日

今尾恵介『線路を楽しむ鉄道学』

駒沢球技場で行なわれていた関東学生卓球選手権。
昨日ベスト8が出揃って、ぼくが応援しているペンホルダーの選手は男子ではひとりも勝ち残らなかった。筑波大の田代が中央大の瀬山に対して2ゲームを先取し、大物の一角を崩すかに見えたが、さすがに瀬山。3ゲーム以降修正し、後半は圧巻だった。駒沢大の桑原勇にも期待していたが、自分のペースに持ち込む前に専修大石井にストレート負け。石井は流れに乗ると強い。法政大大谷、埼玉工大伴もベスト16には届かなかった。伴の相手は明治大カットマン定岡。伴は両ハンドにいいものを持っているように思うのだが、根気というか粘り強さがない。
概ねシード選手が勝ちあがったが、第1シードの早大足立が明治大池田に敗れる波乱があった。波の乗る池田は準々決勝で専修大のエース徳増も撃破した。
決勝は大方の(というかぼくの)予想通り早大笠原対中大瀬山。瀬山のスピードに柔軟に対応できれば笠原だろうと思っていたが、結果はやはり笠原。秋のリーグ戦では明大水谷とのガチンコ勝負が見たいものだ。

卓球もさることながら、もともと鉄道は好きだったので、昨今、本屋に積まれた鉄道関連の書籍はうれしい限りであるが、実のところなかなかすべてに目を通す余裕がない。
先日仕事場の近くのY書店に光文社の新訳『罪と罰』の3を買いにいったところ、まだ出ていないという。1、2と突っ走るように読んできたので、ここで立ち止まるのもなにかなと思い、それなら鉄道の本でも走り読みしようかと手にとったのが本書。
鉄路にまつわる歴史的地理的エピソードはおそらく日本全国くまなくあるだろうが、なかなかいいネタを仕込んでいる。随所に地形図が載ってるが、筆者の手描きの図解のほうがわかりやすい。それと電車の中や喫茶店でひまつぶしに読むには少々重い。鉄道地形図や時刻表をかたわらに置いて、きちんと読むことをおすすめする。ちなみにぼくはネットでその都度“検索”するという横着な読み方をしてしまったが。


2009年6月27日土曜日

田家秀樹『いつも見ていた広島』

3つ上の姉が高校受験で夜遅くまで勉強していた頃、ラジオでよしだたくろうのパックインミュージックを聴いていて、そのすごさをよく聞かされた。
よしだたくろうはテレビに出ないという。それだけですごいと思った。「人間なんて」という曲をコンサートで何時間も歌い続けるという。これもすごい。「イメージの詩」という曲があって、6分くらいの長さだという。これまたすごい。古い水夫は古い船を動かせないかもしれないが、新しい海の怖さをちゃんと知っているのだという。六文銭のメンバーと結婚する。それで「結婚しようよ」などという曲をヒットさせた。コンサートでは「帰れコール」を浴びせられる…。まあ、何から何まですごいことずくめのシンガーソングライターだった、ぼくにとって。
その吉田拓郎もついに最後のコンサートツアーに旅立った。

この本は広島でバンドをやっていた頃の二十歳前後の、フォークの貴公子と呼ばれる前の吉田拓郎が主人公。小説となっているのである程度脚色されたところもあるだろうけれども、拓郎の青春時代を垣間見られる貴重な資料だ。フォークのたくろうがこうやって生まれたんだなと思わせる叙述が随所に見られる。
田家秀樹は毎日新聞の夕刊にも現在連載を持っているが、日本の音楽シーンのちょっとした歴史家だ。ぼくのような団塊世代の12周遅れの人間にも懇切丁寧に史実を語り継いでくれる先生だ。

2009年6月22日月曜日

泉麻人『東京の青春地図』

卓球の日本リーグが今ひとつ盛り上がっていないような気がする。
ひとつには先の世界選手権で活躍した日本勢の若年化があげられる。男子単ベスト8の吉田海偉(現在はフリー)、男子複の岸川聖也をのぞくとほとんどが大学生、高校生だ。もちろん韓陽や福岡春菜など世界ランカーも参戦しているのだけれども。
それとリーグ内で格差が大きすぎる。男子でいえば協和発酵キリン、東京アート、シチズンが強すぎる。この3チームだけでリーグ戦をやればいいんじゃないかとも思う。
あと、まあこれはどうでもいいことだが、東京大会の場合、場所が遠すぎる。別に綾瀬が辺鄙な場所だとか東京の田舎だと言っているわけではない。代々木とか、駒沢とか、千駄ヶ谷とかさらに盛り上がる会場もあるんじゃないかって気がするのだ。しかも土足厳禁。入口でスリッパに履きかえるそうじゃないか。スリッパの嫌いな人は上履きを持参するそうだ。
重ねて言うけど綾瀬が辺鄙な場所だとは思っていない。そのうち、そう、泉麻人あたりが散歩をして、雑誌のコラムに気の利いたことを書いてくれるだろう。

子どもの頃、従兄弟と六本木の釣り堀に行った記憶がある。六本木かどうかは定かじゃないんだけど、従兄弟が六本木に住んでいて、退屈だからといって、三河台公園のあたりからタクシーに乗って釣りに行ったのだ、小学生の分際で。なんとなく、おぼろげな記憶では東洋英和の近くかなあと思っていたんだが、何年か前、一緒に仕事をしている広告会社のS君が幼少の頃六本木に住んでいたというので釣り堀のことを話したら、「ああ、ああ、ありましたよね、釣り堀。昔のテレ朝のほうじゃなかったでしたっけ」という。それからしばらく釣り堀のことは忘れいていた。
先日、本屋で立ち読みをしていたら、その釣り堀のことが書いてあった。それだけうれしくて買ってしまった。
場所は南麻布。本村小学校のすぐ近くに、今もその釣り堀はあるようだ。
そういえば最初に就職した会社に泉麻人同様、付属から慶應に上ったKくんというのがいた。やはり広告研究のサークルに所属していたそうで泉麻人のことを朝井さんと本名で呼んでいた。そんなこともあって、ぼくも泉麻人を心の中では朝井さん、と呼んでいる。

2009年6月17日水曜日

ビートたけし『漫才』

先週、近所の体育館で卓球をしていたら、いつもいっしょに練習しているMさんが具合が悪いといって、外で横になっている。体育館の館長も心配して、救急車を呼ぶことになった。誰か付き添いということで、ここ3、4ヶ月毎週のように顔を合わせているぼくが同乗することになった。もちろん救急車に乗るなんてはじめてのことだ。
近くの病院まで搬送され、待合室でしばらく待ってたら、先生と思しき方が来て、急性心筋梗塞の疑いという。そういえば救急車の中で胸が苦しいとか言ってたっけ、Mさん。その日は夜になって、ご親戚の方が病院に駆けつけて、ぼくは解放されたのだが、はやめの処置をしてほんとうによかった。
翌日、Mさんから留守電話にメッセージが残されていた。集中治療室を出て、一般病室に移ったという。それでも2週間ほど入院しなくちゃならないそうだ。
体育館ではじめのうち、昨日飲み過ぎちゃってとか言っていたので、なんだMさん二日酔いなんじゃないのとか笑っていたんだけど、笑ってる場合じゃなかった。
話変わって、ビートたけし。
毒舌は毒蝮三太夫をはじめ、話芸の1ジャンルとして確立されているが、ツービートの漫才は群を抜いて、おもしろかった。おもしろかっただけじゃなく、毒舌の基本である痛烈さをはるかに飛び越えてくだらない。この「くだらなさ」を極めるあたりがビートたけしの大物たるゆえんではないだろうか。
もちろん活字で読むツービートもそれなりのリズムやテンポがあってよいのだが、これを原作にぜひ、近い将来、映画化して欲しいものだ。



2009年6月13日土曜日

TCC広告賞展2009

高見山の東関親方が定年ということで、マスコミで連日のように取り上げられている。高見山といえばぼくたちの少年時代にはもっともアイドル的な力士だ。当時NHK解説者玉の海、神風らから再三のように腰高、下半身のもろさを指摘され、結局関脇止まりだったが、それでも大相撲の世界で果した貢献は大きい。
ニュースでは相撲人気を盛り上げた力士、曙、高見盛など育てた親方、それに何にも増して、遠く異国ハワイから単身高砂部屋に入門し、慣れない環境、ましてはどこよりも厳しい角界で、日本人以上に日本の心を育んだ先達として、外国人力士がこれほどまでに増えた現在の相撲界のパイオニアとして賞賛を浴びせている。
もちろんこれら東関親方の足跡は多大な評価を受けてしかるべきだが、ぼくが何よりも高見山に偉大さを感じるのは65歳の定年まで健康で相撲道を貫き通したことだと思っている。とかく、力士はその見かけに比べ、怪我や病気にもろい。高見山は現役時代から故障に強かった。休場もごくわずかだった。その力士時代に学んだものを親方になってからも自らに課し、大きな病にかかることもなく、定年まで寡黙に後進の指導にあたることができたのではないか。
以上はTCC広告賞展とはなんら関係のない話だ。
上記展示が13日までの開催と聞いて、あわてふためいて汐留のアドミュージアム東京に出かける。
昨年はオリンピックイヤーで広告的には盛り上がった1年だったと思うのだが、そのわりには表現的にはいまひとつだったような気がする。前回同会場で開催されていた『中国国際広告祭展』にも同じような印象を持った。
獲るべき作品が順当に受賞し、切磋琢磨がなかったんじゃないかと思えるほど、強い作品とそうでない作品ときちんと線引きされたみたいだ。広告表現の世界も格差社会なのか。
新人賞の作品で見た九州の質屋ぜに屋本店のTVCMが秀逸だった。彼女の誕生日を前に部屋の中の質草が思い思いに語り始めるというもの。ちょうど『罪と罰』を読んでいたせいもあるかもしれないが、妙に感慨深かった。最後の腕時計の台詞がいい。

2009年6月7日日曜日

島田雅彦『小説作法ABC』

先日夜中に録画しておいた『未来世紀ブラジル』を観る。はちゃめちゃな映画だが、なかなか愉快で飽きさせない。
今日は午後から近隣の体育館で卓球の一般開放がある。先週はどこの体育館も5週目の土日ということで開放の割り当てがなかった。中一週開いたので、多少混雑するかもしれない。
毎日新聞の夕刊に島田雅彦が法政大学で小説の書き方を講義していると紹介されていた。その講義をまとめたのがこの本。
実のところ、島田雅彦の本は読んだことがなかった。
小説作法云々というといわゆる教養書的な文章読本みたいなイメージをつい持ってしまうが、これは歴とした小説の教科書である。あいにく、今のところ小説家になる予定はないので、さらっと読み終えてしまったが、これから文学で身を立てんとする若者たちには心強い本なのではないか。
それでもああ、小説家ってたいへんなんだなあといまさらながらその苦労がわかっただけでも今後の読書の一助になるだろう。それに引用されている数々の作品は、これから読みたい本のリストをつくるのに役立つと思う。


2009年5月25日月曜日

『三島由紀夫レター教室』

東京六大学野球春のリーグ戦は、打力好調の法政と若い投手陣で勝ち残ってきた明治の争いとなった。
慶応は主戦中林が孤軍奮闘したが、力及ばす。秋の巻き返しを期待したい。早稲田は投手陣は充実しているものの、大一番の法政戦で斎藤、大石が打ち込まれ痛い勝ち点を落とした。松本、細山田、上本の抜けたあと、確固たる守備体型をつくれていないのが大きいのではないか。土生は外野で使うのか、宇高はショートなのか、サードなのか、松永はセカンドか、ショートか。下級生の渡辺郁、松本も含め守備位置を固定して、レギュラーを競わせなければ、秋もこのままずるずると優勝できないままではないだろうか。
ついさきほど、法明2回戦は終わったようだ。今季を象徴する打線の勝負強さで、法政のサヨナラ勝ち。救援の1年生三嶋が3勝目をあげたようだ。ベストナインの投手部門は選出が難しい。
みしま、といえば字が違うが、三島由紀夫は、その研ぎ澄まされた言語感覚のせいで読み手に緊張感を与える作家のひとりだと思っている。この作品の存在は本屋で見かけるまでついぞ知らなかった。おそらくは啓蒙的な視点で書かれた文化センターの教養講座のテキストのような本だろうと思って読んでみたが、随所に光る表現がちりばめられ、さすが三島は、こんな女性週刊誌の連載(と、けっして女性週刊誌をさげすんでいるわけではないが)にも天才の誉れ高い文章を掲載するプロフェッショナルだと再認識した。


2009年5月7日木曜日

わぐりたかし『地団駄は島根で踏め』

久しぶり、である。
世界卓球も無事に終わった。
男子単は王皓が実力どおりに勝つことができ、ついに世界の頂点に立った。ベスト4に残った馬龍、王励勤、馬琳とは力はかなり拮抗していたが、本人の言うとおり、心の準備がしっかりできていたということだろう。次回王皓を破るとすればおそらく馬龍のはず。松平健戦で消耗したにもかかわらず、準決勝まで順当にきた馬琳、ディフェンディングチャンピオンとして恥ずかしくない卓球ができた王励勤も評価したい。とにかく中国は強い。都道府県大会でひとつふたつ勝つのがやっとの高校と青森山田が試合するくらいの差があるといってもいいだろう。
女子単は張怡寧が順当勝ち。郭躍も強いが、張怡寧が万全なら付け入る隙はない。張は卓球選手を超越した体力と運動センスを持っている。ただ「卓球が強い」、「卓球がうまい」だけでは勝ちきれる相手ではない。
それにしても過熱報道で大いに盛り上げてくれた某テレビ局。最後の決勝戦では、郭躍を「中国の愛ちゃん」と言っていた。それってどうよ?むしろ福原がいつの日か「日本の郭躍」になってほしいものだ。
あ。
で、この本は語源をめぐる旅の本でね。著者は放送作家であるらしく、番組制作のノウ・ハウが随所に活かされていて、よくまとめられている。内容的にはテレビ番組か、趣味のウェブサイトでもいいかなとは思うけれど。


2009年2月3日火曜日

ラフォンテーヌ『寓話集』

競馬のジャパンカップがはじまったのが、1981年。その記念すべき第一回に名を連ねた日本の馬の中に阪神3歳ステークスや小倉記念などを勝ったラフォンテースという名牝がいた。もともとラフォンテーヌとつけたつもりが、ヌをスと読み間違えられて、ラフォンテースになったという逸話も残っている。
で、その間違えられたラフォンテーヌ。『寓話集』は以前から読んでみたかったのだが、書店で見かけたことがまったくといっていいほどない。去年行った信山社にもなかったくらいだから、これはもう筋金入りの「ない」だ。たまたま岩波書店のホームページを見ていたら、オンラインで注文できることがわかって、さっそく注文。近所の書店に届くまで何週間かかかったが、無事上下2冊を手に入れた。

どうも年末年始は例年、知識欲が減退する。下期のラジオ講座が挫折するのも正月だし、読書量もめっきり減る。そのぶん、PDAにインストールした数独で脳トレしているんだが、年末から引きずっている仕事が順調に行かないせいか、ストレスで卓球のラケットを無駄に素振りしている。

寓話というのは、知的で遊び心に満ちた文化人のたしなみ、といったところか。今でいえば新聞のコラムのようなウィットとセンスで綴られたもの。こういう才能を持った大人になりたかったな。