2012年8月20日月曜日

佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』


甲子園はベスト8が出そろった。
今年は比較的組合せ抽選の際、有力校がばらけたとはいえ、2季連続準優勝の光星学院と昨秋、今春の九州王者神村学園が2戦目で当たるなどくじ運も重要な要素となる大会であることに変わりはない。
8強の顔ぶれを見るとやはり強いチームが勝ち残っている。予想外だったのは激戦区である東海地区の愛工大名電と県岐阜商が初戦で姿を消したくらいか。前評判の高かった聖光学院、神村学園といった地方で勝ち続けている学校が早々と甲子園を去ったのはやはり勝ちにつながる負けを経験していなかったこともあったのではないか。その点光星や大阪桐蔭は敗戦を通じて成長してきたチームといえそうだ。浦和学院も春の県大会での敗戦があったからこその16強ではないだろうか。そういった意味では連覇に挑んだ日大三にも淡い期待を持つことができたが、如何せん初戦の相手が強すぎた。秋からの新チームに期待したい。
それにしても神奈川桐光学園の快進撃はすばらしい。神奈川県勢は選抜でかろうじて横浜が選ばれたが、昨秋、今春ともに関東大会で不振だっただけに予想外の健闘だ。やはりマンモス予選が代表校を着実にレベルアップさせるのだろう。明日の準々決勝が今から楽しみだ。
『「当事者」の時代』を読んで、佐々木俊尚をもっと読んでみたくなった。とりあえずはこの話題作から。すっかり読んだつもりでいたが、まだ読んでいなかったのだ。残念ながらと言おうか、幸か不幸かと言おうか2011年に新聞もテレビも消滅はしなかった。
ただ変化は着実にしのび寄っている。消滅しなかったのは、消滅させない力がかろうじて働いているだけだ。

倉下忠憲『EVERNOTE「超」知的生産術』

今回のオリンピックはあまり観なかった。
柔道と卓球の団体戦くらいだろうか、ライブで観戦したのは。
卓球男子単は世界選手権に続いて張継科が優勝。王皓は3大会連続の銀メダルに終わった。王皓という選手はペンホルダーの裏側にラバーを貼って、そこからも強打を繰り出す、いわゆる裏面打ちペンホルダーの選手。中国はもちろん、日本でもこのタイプのプレーヤーは少しづつだが、増えている。
ペンの弱点であるバックハンド側に来た下回転のボールをドライブ打ちするために考えられた裏面打法自体はそれなりに歴史があって、中国では名選手を生み出しているが、王皓のそれはちょっと違う。それまでの裏面打法の選手は守備的なショートはフォア面を使い、下回転に対するドライブやチャンスのときの強打にのみ裏面を使ってきた。馬琳や韓陽がそうだ。それに対し、王皓はショートも含め裏面を多用する。つっつきも裏面を使うことがある。そういった意味では王皓はニュータイプの裏面ペンホルダーのプレイヤーなのだ。
王皓は前々回の世界選手権でようやく優勝したものの、その後の若手の台頭に苦戦が続いていた。そして今回のオリンピック。3大会連続の銀メダルは3大会連続で決勝で敗れるという屈辱ではなく、3大会にわたってオリンピック男子シングルスの出場枠を勝ちとった結果であり、長年にわたってニュータイプの裏面ペンホルダーというパイオニアでありつづけた結果でもある。
いずれ王皓をプロトタイプとしたすぐれた選手が出てくるだろう。王皓が真に評価されるのはそのときだと思っている。
今回読んだのはEVERNOTEに関する本。この記事の下書きもEVERNOTEを使って書いてみた。

2012年7月7日土曜日

小倉広『自分でやった方が早い病』


都内の地図を見ていると気になる場所がいくつかある。
気になるというのは行ってみたい、歩いてみたい思える場所のこと。そのひとつが港区、渋谷区、品川区、目黒区が複雑に入り組んでいるあたり。住所でいうと港区白金台五丁目、渋谷区恵比寿三丁目、品川区上大崎二丁目、目黒区三田一丁目。実際に歩いているとめまぐるしく住所が変わる。たいていの区境は道とか河川で線引きされていると思っていたが、案外そうでもなく、目黒区のアパートの隣のマンションが品川区だったりするのだ。区境には区境たるなんらかの理由があるはずで、そんなことを考えながら歩くのもわるくない。
以前、港区の二本榎という地名の名残をさがしに高輪の商店街を歩いた際、少し足を延ばして都営地下鉄の高輪台駅から港区品川区の区境を歩いたことがあった。北側が白金台二丁目、三丁目。南側が東五反田四丁目、上大崎一丁目。やや入り組んだこの区境はちょっと神秘的な道のりだった。港区はかつての東京市の南端で品川区は市下郡部北のはずれ。まさに東京市のエッジだった。
『自分でやった方が早い病』とはなかなか耳の痛いタイトルである。
組織のリーダーたりうるものは部下に任せてることで己を成長させていかなければならないというわけだ。新書ということもあって深くつっこんだ内容にはなっていないが、くわしくは『任せる技術』を読んでくださいってことかも知れない。読んでいて中竹竜二の“フォロワーシップ”にも似た内容であると感じた。なんとか病などと病気呼ばわりするよりも(もちろんその方が目立つし、売れるだろうが)フォロワーシップの方がスマートでいい。
そういえば恵比寿という地名は比較的新しいもので恵比寿麦酒の工場から駅名が恵比寿となり、そのうちに町の名前まで恵比寿にされてしまった。古い地図を見ると山下町、新橋町、豊沢町、景丘町、伊達町となっている。なかなか風情があるではないか。

2012年7月4日水曜日

高峰秀子『にんげんのおへそ』


神経質でも几帳面でもない。
たいてい出したものは出しっぱなし。そこらに置いたものが積みかさなって、そのうちさがしものをはじめる。そういう人間であるにもかかわらず、妙に気になることもある。
たとえば文章がそうだ。書類などでいったん「あんしん」と書いたら、最後まで「あんしん」じゃないと安心できない。と、こういうことが気になって仕方ないのだ。ここは「あんしんできない」だろうと思うのである。別に誤字脱字ではない。意味も通じる。たださっき開いてたのに、なんで後になって漢字になっているのか、そこだけ漢字で表記するのは何か深い意味でもあるのだろうか。そんなことを考えてしまうのである。実にくだらない考えである。
それと“「」”や“『』”の使い分けなども悩む。本のタイトルは“『』”を使う。映画や歌の題名、小説でも短編は“「」”を使う。
広告の企画などでは商品名に“[ ] ”を使うこともある。“【】”も表題の内容をあらわすのに使う。たとえば【ねらい】とか【参考資料】のように。“《》”はたまに使うが、“<>”はあまり使わない。ひらがなの“く”とごっちゃになるおそれがあるからだ。と、ここでひらがなは“ひらがな”か“平仮名”かで、ちょっと悩む。
学校にも通うことなく、ひたすら女優として生きてきたために教養面でコンプレックスを持っているという高峰秀子だが、文章の着眼点や率直な語り口など、文筆家としてもすぐれた才能を発揮している。昭和という時代に思いを馳せるとき、彼女の小文はなつかしくて新しかったその時代を巧みに描きだしている。
ここで“巧みに”を漢字にするか、ひらがなにするかまた思い悩むのだが、常日頃そんなことばかり考えているのかいえばそうではなく、たまたま今(実は“今”と“いま”はいつも悩みながら混在させることが多いのだが)、思いついただけでたぶん1時間後くらいには忘れている。神経質でも几帳面でもないのだ。

2012年7月3日火曜日

三浦しをん『舟を編む』


仕事場のアシスタントプロデューサーNとの会話。
「三浦しをん、読んだことあります?」
「三浦朱門?読んだことないな。曾野綾子もない」
と、はなっから噛みあっていない。
「三浦しをん、ご存じないですか?『舟を編む』って本、いま売れてるんですけど」
と、そこまで言われて、書店に平積みされているその本を思い浮かべた。
「へえ、おもしろいの?どんな話?」と訊ねる。
「辞書をつくる話なんですよ」と、N。
「そういえば、ち、ち、地図をつくりたいって男が『ノルウェイの森』に出てきたよね。突撃隊だっけ?」
「わたしは『ノルウェイの森』読んでいないのでわかりません」
と、噛みあわぬまま話が途切れてしまった。ただ『舟を編む』という題名がおもしろそうだったので機会があれば読んでみようと思った。
考えてみれば、仕事で作成する資料や書類だって、表記誤たず、できるかぎり正確にこちらの意図を伝えることが難しいのに、一冊の書物ならともかく、辞書をつくるなんて気の遠くなるような話だ。もちろん玄武書房の『大渡海』も十数年の歳月をかけて上梓される。ちょっとした辞書編纂年代記である。
言葉は生き物だ。時代とともに意味や使い方が変化してくる。生きている言葉と対峙する人間の姿がおもしろい。松本先生にしろ、荒木にしろ、馬締(まじめ)にしろ、どう考えても生き生きした生身の人間ではない。辞書に取りつかれた変人たちだ(彼らをいっそう変人たるべく設定された“ふつう”の若者たちが西岡であり、岸辺であろう)。こうしたむしろ、真っ当に生きていない人間たちが徐々に辞書に生かされていく、生を吹き込まれていく、人間を取りもどしていく。まさにそんな物語だ。
会話は噛みあわなかったものの、Nから聞いた「辞書をつくる話」に対して、当初難解でストイックな純文学的世界を想像していたわけだが、読んでみるときわめて明るく楽しい現代ドラマでほっとした。最近の作家はややもすれば重苦しい題材を実にたくみに料理するものだと思った。

2012年6月9日土曜日

フョードル・ドストエフスキー『悪霊』


ブログを書くのがだんだん億劫になっている。
本を読んでいないわけではない。インプットはあるんだが、アウトプットするのが面倒になってきている。時間がないということではない。本を読んで気になったことは抜書きしたり、読み終わった本をクラウドの読書サイトに登録したりしている。ソーシャルメディアに簡単にアウトプットすることでブログにさくエネルギーを消耗しているのかもしれない。
いずれにしても肩に力を入れすぎず、気長に続けていこうとは思っている。
光文社古典新訳文庫から『悪霊』が出たのが一昨年の秋。一気に読んではみたものの、第2巻が出たのが翌年4月。そして第3巻が昨年12月。
半年以上もあいだをあけられるとさすがに記憶力の弱ってきた身にはつらいものがある。しかもこの本は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のような明快なドラマでもない。抽象的な思想劇とでもいおうか。そして随所にドストエフスキーならではのメタファーに満ちている。
まあ、ただこの手の本は研究対象(プロ、アマを問わず)として読むのかストーリーを表面的に楽しめばいいのか、読み手の立ち位置を明快にして付き合えばいいのだ。より深く、この思想世界に踏み込みたければ再読するなり、研究書を紐解けばいい。読み物として、いずれストーリーを忘れてもそのときに身に迫るイメージを得られたならそれはそれでけっこうなことだ。おそらく訳者もそんな「軽い読み方」も想定していると思う。もちろん『罪と罰』、『カラマーゾフ』のときと同様、今回も後者の読み方をした。
ただ、もし30年以上前にドストエフスキーを知ったならば、もう少し深く読んでみていたかもしれない。あくまで「もし」の話であるが。

ピーター・シムズ『小さく賭けろ』


東京六大学野球がまた盛上がりそうだ。
昨年甲子園で優勝した日大三のエース吉永が早稲田、4番の横尾が慶應、そして主将畦上が法政、高山が明治、捕手の鈴木が立教と主力がそろって進学した。いきなり春からレギュラーで活躍するどころの騒ぎではなく、高山があわや首位打者、吉永は最優秀防御率、最多勝でふたりがベストナインに選ばれた。桐蔭出身早稲田の茂木もベストナインとなり、1年生が3人選出されたのは史上初ということだ。畦上はさほど出番にめぐまれなかったが、横尾は中軸をまかされ、打率2割に満たなかったものの早慶戦でホームランを放ち、長打力のあるところを見せつけた。たしかに斎藤佑樹ら世代にも注目選手は多かったが、今年の1年生は史上最強かもしれない。
先々の話を今からしても仕方がないが、明治の高山は今季20安打だった。このペースならいまだ破られていない先輩高田繁の通算127安打越えも夢ではあるまい。またベストナインの最多選出も高田繁で7回。今季選ばれた1年生3人はこの記録を更新する資格を得たということだ。
つい野球の話が長くなってしまったが、この本は過去の大きな成功体験から得るものよりも小さな失敗からすばやい学習を繰り返すことで導かれた成功をスターバックスやアマゾンなどの豊富な実例で紹介している。企業が陥りがちな硬直化をいかに回避して成長を続けるか、そんな柔らかい視点をくれる本である。

2012年5月23日水曜日

嵐山光三郎『東京旅行記』


昨日は金環日食ということで太平洋側各地で盛り上がった。今日はあいにくの雨だが、昨日が今日じゃなくて本当によかった。
今日は今日で降りしきる雨のなか、東京スカイツリーのオープンの日なのだそうだが、まあそれは日食に比べれば小さい話だ。
最近すっかり下町や山の手方面の町歩きから遠ざかっている。そのかわりといってはなんだが、父の見舞がてら大井町を歩く。実家は厳密にいうと大井町ではなく、大井町という大きな区画と境を接する別の村だったと思われる地域であるけれども最寄駅が大井町だったので生まれ育った場所は大井町と自分で決めている。
実家からいまは暗渠と化した立会川を渡ったところが大井町である。川の向こうのなだらかな坂を上ったあたりがかつての大井森前町。現在西大井駅になったあたりに三菱重工があった。その東側に日本光学。こちらはいまも健在だ。立会川の向こう側は小学校の区域がちがう。そのせいかいまでも歩くたびにちょっとどきどきする。
森前町からさらに馬込方面に行くと大井原町。原小学校という校名にその地名が残っていた(いまとなってはその小学校も統合されてなくなった)。原町の東には大井滝王子町。滝王子神社があるあたり。その北側が大井山中町。山中小学校にその地名を残している。
このあたり一帯が素気ない大井とか西大井といった町名に変わったのが昭和39年。自分ではほとんどこれらの町名の記憶はなく、学校名や、商店街名、交番名などでうかがい知るのみである。ただひとつ、東急大井町線のガード下からいまの広町の一帯を権現町といったが、それはよく母親が「ゴンゲンチョウ」とよく呼んでいたのでそのあたりは古い町名と実際の町とが一致する。
東京歩きできないぶんを嵐山光三郎の旅行記で補てんする。

2012年4月28日土曜日

吉岡秀子『コンビニだけが、なぜ強い?』


この本を読んで、コンビニエンスストアの棚に少し興味を持った。
コンビニエンスストアというのもちょっとまどろっこしいので、コンビニと呼ぶことにしよう(ぼくは融通が利かないタイプでアニメーションとかイラストレーションとフルで言わないと気分がよくないのだ)、今回は。
2年ほど前、セブンイレブンが高齢者向けの広告を打ちはじめたことは知っていたが、最近注意してみるとどのコンビニも小ぶりな総菜が充実している。魚の煮付けや煮物、ポテトサラダなど単なる単身者ねらいのラインナップではない。陳列棚から顔をあげてまわりを見てみるとたしかにいるのだ、中高年のお客さんが。
コンビニも変わったなあと思うのだが、そうじゃない。世の中が変わったのだ。コンビニは世の中をきちんと鏡のように映し出しているだけだ。それもセブン、ファミマ、ローソンと三社三様、それぞれのやり方で。この本はちょっとしたコンビニ評論家の著者が各社の成長の秘密を取材して、まとめたものだ。結論的には変化にいかにすばやく対応するかということ。
コンビニのシステムはクラウドに似ていると思った。生産、配送といった上流部分を超集中し、店舗を立地条件などに合わせて超分散させていく。先行き不透明な時代にあって、生き残る可能性を極限にまで高めたビジネスモデルなのかもしれない。
もし今からコンビニを経営するとするなら、この三社のうちどれを選べばいいだろうか。店は住宅地がいいのか、ビジネス街がいいのか。理想的には大きなアパートが近くにあって、企業も多く集まっていて、しかも土日に遊びに来る人も多い、そんな場所がいいと思う。セブンイレブンの南青山二丁目店のような。
ところで先日、麹町のセブンに立ち寄って、なんとなく品ぞろえを眺めていたら、なんとVHSテープが置いてあった。コンビニにあるってことは需要があるってことだ。どんなお客さんが今さらVHSを買って行くのだろう。

2012年4月24日火曜日

酒とつまみ編集部『酔客万来』

野球の季節がはじまった。
東都大学野球では亜細亜大東浜がプロの注目を一身に集めて、最終学年を迎えた。一方で昨年甲子園を沸かせた日大三の主力が東京六大学に進み、早稲田の吉永が初勝利を上げるなど、はやくも神宮に旋風を巻き起こしている。
プロ野球に関して言えば、今までジャイアンツファンであったが、今年からやめることにした。開幕から波に乗れないからではない。もう昨年オフに決めたことだ。新聞の集金員に外野席招待券をばらまかせ、外野自由席を埋め尽くしたファンにONがホームランを叩き込むという旧来のビジネスモデルから脱皮できないことを伝統と言いくるめる手法に嫌気がさしたのだ。
では今後はどのチームを応援しようか。
これが思案のしどころで、やはり地元球団ということで東京ヤクルトが浮上してくるのだが、どうも自分がビニール傘を突き上げて応援しているイメージがわかない。DeNAはどうかといえば、たしかに松本啓二朗、須田、細山田、筒香に、山本省吾も加わって、応援しがいのあるチームになったものの、どうしても応援したくない人も加わってしまったので、これもパス。
中日、阪神はまわりに熱狂的ファンが多すぎて、今さら仲間に入れてもらうのも忍びない。
ということで現在、暫定的に広島ファンとなっている。福井、野村を応援しながら、土生のスタメン出場を待ちに待っている。
「酒とつまみ」という雑誌の存在はテレビ朝日の「タモリ倶楽部」で知った。
酒を呑みながらインタビュー。なんともシンプルすぎて、おもしろすぎる企画だ。人選もすばらしい。ついでに言えば、軟便話も参考になった。
はやいうちにパ・リーグもひいきチームを決めたいと思っている。

2012年4月18日水曜日

佐々木俊尚『「当事者」の時代』

世の中に絶対といえる尺度はない。
ありとあらゆるものが相対的でしかない。ユークリッド幾何学もニュートン物理学もすべて人為的に生み出された想像の産物だった。学校で教わった世界史は西洋史だった。歴史というものは支配者の歴史だった。こういうことをおぼろげながら感じはじめたのはクロード・レヴィ=ストロースを読んでからだと思う。
マスメディアと権力の関わりはこのあいだ読んだ『タブーの正体』で知った。
警視庁に詰める事件記者のイメージは『レディー・ジョーカー』で見事なまでに描写されていた。
アウトサイダーとなってプロの革命家をめざす男の姿を『オリンピックの身代金』で垣間見た。
大江健三郎は『水死』で戦中と戦後のふたつのイデオロギーの中で生まれ育った世代として晩年ようやく自覚できたようだ。自らの立ち位置を変える「被害者=加害者」という視点がそこにはあるように思える。
この本を読みながら、これまで読んできたわずかばかりの本たちが脳裏をよぎった。これほどさまざまなことを思い出させてくれる本も珍しい。惜しむらくは、もっと一冊一冊を丁寧に読んでおけばよかった。
「ハイコンテキスト」、「マイノリティ憑依」、「サバルタン」、そして「当事者」とこの本からこれまで知らなかった言葉たちとも出会うことができた。
佐々木俊尚はよく研がれた刃物で時代を切りとり、意外性に富んだ骨太な論考が読むものを楽しませてくれる。がっつりと読み応えのある一冊だ。さすがは元事件記者だけあって、その情報収集力と読み手を動かす展開力には舌を巻く。旧作も含めて、ちょっと読み漁ってみようかと思う。


2012年4月10日火曜日

川端幹人『タブーの正体』


桜の季節だ。
多くの人に待ち望まれて、ぱっと咲いて散っていく。その潔さを人びとは愛でるのか、先週末は名所であるなしを問わず多くの人出があったようだ。FaceBookを眺めているだけでちょっとした写真集ができてしまうのではないかと思ったほどだ。
今年は青山霊園、四ツ谷、中野で桜を見た。
たいていの場合、桜の咲くのは4月。卒業シーズンではなく、入学式の風景となる。ごくまれに暖かい年があって3月の卒業式の頃咲いてしまうこともあるが、散ってしまう桜と別れの季節をだぶらせるのは哀しすぎる。桜はやはり出会いの季節によく似合う。
この本を書いたのは元「噂の真相」の副編集長だった川端幹人。マスメディアの世界にタブーを生み出す力は「暴力」「権力」「経済力」であるという。読みすすめていくと、なるほどこんな圧力があったのかなどとそれなりに感心はするが、今となってはマスメディアに多大な期待はかけられないだろうから、そんな時代もあったねと歌い飛ばしてしまおうと思う。
ただ著者をはじめとしたタブーに立ち向かっていったマスメディア人の姿勢と勇気には敬意を表したい。
で、また桜の話に戻るが、今年の桜はどことなく哀しい気がする。春の訪れとともに融けて流れる雪のような桜に、別れの予感がはらまれているように見えるのだ。
気のせいだったらそれでいいんだけど。

2012年4月1日日曜日

塚本昌則『フランス文学講義』


先々週のことになるが、胃カメラをのんだ。
胃カメラをのむ、などという言い方を最近はしないようである。胃の内視鏡検査というらしい。内視鏡検査なんてずいぶんドライでそっけない言い方だ。医学的過ぎる。それにひきかえ、胃カメラをのむという言い方はどことなく本人の意思というか精神的に立ち向かう感じがあっていい。スチュワーデスというとどこかロマンチックな感じがするのに対し、キャビンアテンダントというと業務的な感じがするのと似ている。似てないか。
父が1月に肺炎を起こして入院した。歳をとると食道と気管の振りわけがうまく機能しにくくなり、肺炎を起こしやすくなるのだという。父の「老い」を通して自分の「老い」に直面した。それからしばらく食道や胃のあたりが気になって気になって仕方なくなった。なんとなく食道や胃になにかがつっかえるような気分になるのだ。そんなこんなで一度ちゃんと診てもらったほうがいいと思ったわけだ。
フランス文学なるものからずいぶん遠ざかっている。
もともと遠ざかるほど接近した憶えもないので、正確にいえば、遠ざかったまま、だろう。
この本はジャン=ジャック・ルソーからマルセル・プルーストまで12の作品にスポットを当て、言葉とイメージのかかわりを追求しながら、文学を通じて読み手が見ているものは何かを探求している。概略的にいえばそういうことなのだが、なにせ基礎教養的な下積み(12の作品のうち読んだことがあるのはルソーとゾラだけだ)がないので新書といえどもこの手の書物は重い。ただその論説の巧拙はわからなかったものの、随所に発見があった。どこかと今いわれてもちょっと困るが。
それで胃のほうなんだが、まったくなんでもなく、ピロリ菌もいないということだった。やれやれ、である。

椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』

この本が世に出て話題になった頃、ぼくは武蔵小金井駅からも国分寺駅からも歩いて遠い大学に通っていた。
新宿で中央線に乗り換えていたので下車駅は武蔵小金井だった。国分寺には滅多に行かず、ときどき国分寺駅周辺で飲み会なども行われていたが、わざわざ遠まわりしてまで参加することに疑問を感じていた。そんなわけで国分寺とは疎遠な関係のまま学生時代を終え、現在に至っている。
長女が国分寺から単線電車に乗り換えて行く大学に通うようになって、一昨年と昨年、大学祭なるものを見に行った。国分寺駅はかつての木造校舎のような駅ではなくなり(といってもそれすら記憶の彼方にあって定かではなく、なんとなくイメージしているだけなのかもしれないけれど)、いわゆる都会にありがちな無機質で殺風景な駅に変わっていた。
もともと国分寺とは疎遠な生活をしていた上に、当時椎名誠のようないわゆる昭和軽薄体なる書物に関心がなかったため実に30年以上もこの本を放置していた。今、こうして読んでみるとその頃は食わず嫌いだったなあとか、もっとこういう本もちゃんと読んでおけばよかたなあ、などという気持ちにはさらさらならなくて、ただただ当時の国分寺駅の木造駅舎っぽい匂いが漂ってきてなつかしくなるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
昨年は国分寺駅から昔通った大学まで歩いてみた。さすがに国分寺からの道順は記憶になく、ずいぶん遠まわりをしてしまった。さりとて大学から武蔵小金井駅までの道を憶えていたかといえば、それもそうではなく、どこをどう歩いているかわからないうちに長崎屋の裏に出た。たぶんは道は合っていたのだろうけれど風景が変わっていたのだと思う。

2012年3月23日金曜日

幸田文『おとうと』

暖かくなったり、寒くなったり。
今年の東京は例年になく寒かったと思う。昨年の今時分を思い起こしてみても(震災という時間的なランドマークがあったので思い出すのが容易だ)、もう少し暖かかったような気がする。自分のブログを振り返ってみると昨年の3月はやはり東京散歩ものの本ばかり読んでいたようだ。もちろんそればかりではないけれど大きくくくるとその手の本が多かった。一年たってどうかといえば、やはり大差なく、下町散歩ものが根強い。
幸田文の『おとうと』も隅田川沿いの下町が舞台である。この本は幾度か映画化されている。残念ながらいずれも観たことがない。
小学校に上がる頃、もともと身体の弱かった母親は病気がちで入院していた。かすかにそんな記憶がある。げん同様3歳年上の姉がぼくの身のまわりの世話をしてくれていた(これもまたかすかな記憶だ)。靴下の穴のあいたところを糸でぐるぐる巻きにし、ぼくに履かせていたという。このことに至ってはまったく記憶がなく、今でもときどき母が話してくれる笑い話のひとつである。小学校の3年生までは姉に手を引かれながら学校に通った。4年生になって姉が中学生になり、ようやくひとりで学校に通うようになった。ちょうどいい具合に登下校をともにする友だちもできた。
ぼくは自分ひとりではなにもできない人間である。小さい頃からとりわけ買い物が苦手でGパンひとつ買いに行くのさえ姉に付いてきてもらった。おそらく高校生くらいまで自分ひとりで買った服も靴もひとつとしてなかったと思う。姉は姉で着るものを見立てるのが三度の飯より好きだったのだ。今となっては「姉がよろこぶようにいいなりになっていたんだ、わざと」などと姪たちにはうそぶいている。
読み終わって思うのは死んでしまうのがげんじゃなくてよかったということだ。ただそれだけだ。

2012年3月19日月曜日

小池良次『クラウドの未来』


150円のペットボトル飲料を100円で販売している自動販売機がある。もっと安いところもたまにある。
人間は不思議と安いものが好きである。
ついつい遠まわりをしてでも安い飲み物を買いに行ったりする。その差額はたかが50円硬貨一枚だが、仮に3本買ったとすると300円。150円なら2本しか買えない計算である(そんなことは計算するまでもなくわかる)。こうしたお得感はなにものにも変えがたい魅力なのであるが、遠まわりして買ったその帰り道にあれこれどうでもいいことを考えてしまう(こともある)。
そもそもが150円という価格設定ゆえに商品開発から、製造、流通、広告などなどの費用がまかなえているはずの商品が50円も値引きされるということは誰かがその損をかぶっているのではないかと思えてくるのである。なんとなくどの人も均等にお値引きされているのであれば、それはそれでよしとしよう。だがもし生産から販売までの過程で極端に報酬が削られている人がいるとしたら、いくらお得であろうが、素直にそれをよろこべないではないか。50円も値引きして商品を買ったものの、そのせいで誰かが損をしている、損をしているは言い過ぎだとして、あきらかに少ない賃金しか得ていない人がいる。もしそれが古くからの友人だったり、実は身近な人だったなどと想像してみたまえ。やはり素直によろこべない。
クラウドコンピューティングを読み解くキーワードは「超集中」と「超分散」。
今後ありとあらゆることがクラウド化して行くのだそうだ。情報システムや生活の利便性がデータセンターに集約され、処理されていく。コンピュータが世界を飲みこんでいく。
ただただ便利になる未来を、諸手を挙げてよろこんでいるだけでいいのだろうか。
ペットボトルの話はまたあらためて。

新井範子、橋爪 栄子、まさきさとこ『foursqareマーケティング』


先日、紀尾井坂を歩いていたら、坂下からスーツケースを引っ張りあげている女性とすれちがった。
キャスター付のスーツケースは便利なところでは便利だけれど、不便な場所では徹底的に不便だ。思わず押しましょうかと声をかけようと思ったが、変に怪しまれたりするのもなにかと思い、ただ無言ですれちがうにとどめた。こういうことって後になって自分という人間がなんて不親切で勇気のない男なんだろうなどと思え、ちょっとした自己嫌悪に陥るものだ。
昔だったら絶対そんなことはなかったろうと思う。子どもの頃はよく行商のおばさんがリヤカーを引いて歩いていたものだ。そんなとき友だち同士で声をかけあい、「おばさん押してあげるよ」なんて言ってはぐいぐい坂道を上って行っただろう。そしておばさんは荷物の中からりんごだの、飴玉などをくれる。子どもたちは子ども心に「かえってすまなかったね、おばさん」などと思う。昭和40年代にはまだそんな光景があった。
公共広告機構のコマーシャルでお年寄りの手を引いて石段を上ってあげる高校生の映像があったけれども、どうも今の時代にそぐわないのである。見ていてありえないと思えてしまうのだ。自分の中でリヤカーを引く行商のおばさんの映像が浮かんだのはおそらく高度経済成長の影で貧しくとも、必死で生きていた人びとがお互いに支えあっていた、その時代の温度を思い出したからだろう。
ふたたびfoursquareの本。
紀尾井坂あたりには江戸城喰違門、近江彦根藩井伊家中屋敷、清水谷坂など素敵なべニューが多く、ときどきチェックインしている。
以前読んだfoursquareの本と比べると事例が多くて、これから導入を考えている人たちに期待を抱かせる内容になっている。もちろんジオメディアの導入がそれほど簡単なことじゃなく、どこまで効果が期待できるのかはまだ未知数だとしても。

2012年3月15日木曜日

竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩』


古い映画を観た。
佐藤武監督「チョコレートと兵隊」、1938年製作の東宝映画である。藤原釜足と沢村貞子が夫婦役。夫の勤める印刷所の娘が高峰秀子だ。昭和13年ということは高峰秀子が東宝に移籍して直後くらいの作品か。
この映画、実は近年アメリカでフィルムが発見されたという。アメリカが日本人の国民性の研究のため没収していたためともいわれている。国立近代美術館フィルムセンターに保管されているが、滅多なことでは上映の機会がないため、昨夜神保町シアターに出向いたというわけだ。
題名のチョコレートは明治チョコレートで、今でいうタイアップということか。質朴な地方の生活と戦意高揚と呼ぶにはややのどかな戦場シーンとが交錯する映画であるが、宣伝効果は抜群だったと思う。明治製菓に限らず、昭和の戦争時代、企業という企業はあまねく国策企業だったのだ。
ロケ地は北関東の渡良瀬川付近ではないかと思う。冒頭釣りを楽しむ親子のバックに鉄橋が見える。この風景は今どうなっているのか。
古い地図に興味がある。昭和40年代でも50年代でもいい。
実家に古い地図がある(古いといっても母親は普通に使っているが)。お台場が開発されていなかったり、北砂に広大な小名木駅がまだ残っているような地図である。江戸や明治の古地図もいいが、近過去の地図もなかなかいい。
ちょっとした「ブラタモリ」的な本に出会った。中公新書らしい掘り下げ方をしていた。

2012年3月3日土曜日

堀正岳『理系のためのクラウド知的生産術』


若い頃、技術で相手を圧倒できればスポーツは勝利できるものと信じていた。そのために来る日も来る日も練習に練習を重ねた。そんな時代もあった。
人なみに歳を重ね、それでもときどきスポーツのまねごとをしながらふと気づいたことがある。それはスポーツは技術じゃないということだ。都道府県大会でベスト8くらいまですすめる個人にしろチームにしろ、技術的には大きな差はないのではないか。三回戦くらいで負けるものと二回戦で負けるものの間もそうだ。ようやくそう思うようになった。
ほぼ同じ力量の選手同士、チーム同士が何度か試合をして、勝つか負けるかのその差は技術ではなく、試合に勝つ力の差なのだ。すべからく同じルールで同じような練習を積んできたもの同士の対戦に力量の差はほぼないはず。練習は嘘をつかないとよく言われるが、同じぶんだけ練習したものが競った場合、必ずどちらかが裏切られるわけで、練習のたいせつさはまったく否定はしないけれど、かといって練習したことだけを信じて戦いにのぞむのもいかがなものか。結局勝つか負けるかの境界線は勝つ方法を精神的身体的に身につけているかどうかだ。
そんなことをここ何年か野球を観たり、卓球の試合を観て思った。
Googleをはじめとしたクラウドコンピューティングの時代は理にかなっている部分が多く、便利である。ただそれだけでいいのかとも思うのだ。たしかに天災や事故に備え、バックアップにバックアップを重ねることの労力や投資を考えればクラウドは渡りに船だ。だからきっと味気ないなあなどと思っちゃいけないんだ。これが時代なんだ。なるべくそう思うようにしている。人生とか社会とかって数限りない無駄でできていて、それはそれで愛おしいとも思うのだが。

2012年2月22日水曜日

デレク・ウォール『緑の政治ガイドブック』

ツイッターで筑摩書房をフォローしている。
新刊の出る前あたりになるとあれやこれやとつぶやきはじめる。もともと興味のあるものを読み、ないものは読まないわけだから、はなから関心外のツイートは流している。それでも不思議なものでなんども取り上げられていたり、誰かのツイートにRTしていたりすると興味のないものにも興味が生まれてくる。そんなこともたまにある。
緑の政治とか緑の党なる、知らないでいれば単なるユートピアが実は20世紀後半から具体的なムーブメントとして萌芽しはじめていたことを本書で知る。先行きの見えなくなったグローバル資本主義の成熟に対し、緑の政治は経済成長本位の社会から脱却し、社会的公正を実現し、そしてあらゆる生命体と共生していくための気候変動に対する方策を具現化していく。
この本は緑の政治をめぐる地球各所での実践を網羅したまさにガイドブックだ。いわゆる概論的な内容で物足りない人には物足りない(だろう、たぶん)。とはいうものの世界の、地球の現況を憂え、しかもこの先不安をかかえたまま生きてゆかざるを得ない人びとにとってはまだかすかではあるが光明たり得る内容であるといっていい。
世界には人間の邪悪な部分がいくらでもあり、そうした邪な心が地球を滅ぼしているのではないかと思った。このガイドブックを読む限り、緑の政治を推し進める人たちは人間をあくまでも善なるものととらえているように見える。そういった人間観はなににもまして素晴らしいことだと思う反面、緑の世界を実現する上で大きな障壁として立ちはだかるのではないかと不安な気持ちにもなる。もちろんガイドブックに目を通しただけの初学者の杞憂なのかもしれない。今後さらに読み続けていきたいテーマである。
この本をひときわ魅力的にしているのは巻末に収められた鎌仲ひとみと中沢新一による対談だろう。世界各地でムーブメントとなっているこのテーマを見事に着地させている。

2012年2月13日月曜日

横関英一『続江戸の坂東京の坂』

先週JAC主催のCM上映研究会に参加した。
JACとは日本アド・コンテンツ制作社連盟の略で、テレビコマーシャルなどを制作するプロダクションから成り立っている。年に一度、テーマを決めてCMを上映する。経験豊かなプロデューサーやディレクターが進行役となり、多少のコメントを残す。
今回のテーマは「精密機器特集」で古くは1950年代のCMから最近のものまで100本弱のCMが上映された。興味深かったのは、CMそのもののアイデアとか表現手法以前にテレビを賑わせた精密機器の変遷だ。70年代まで主流だった商品は時計とカメラ、それも日本の技術の粋を集めた一眼レフカメラだ。
たとえば腕時計は当時青少年のあこがれのアイテムだった。中学や高校の入学祝いといえば万年筆か腕時計だった。カメラも当時としてはかなり高価な商品だったにもかかわらず、各メーカーがいいCMを放映した。そして時代がすすむにつれ、オートフォーカスのような高機能化や小型化がすすんでいく。
70年代後半からはコピー機や電卓が登場する。とりわけ電卓の価格破壊ぶりには目を見張る。そして80年代終わり頃から携帯電話やPCの時代となる。90年から2000年に近づくにつれ、よく見たCMが続いていく。
そんなこんなで2時間弱の上映会だったが、いいなと思ったのは76年ミノルタXEのCM。一眼レフを手に篠山紀信が語る。ワイドレンズをつけたら撮るときちょっと前に出る、望遠をつけたらカメラをしっかりかまえる…そんな話をする。写真撮影の普遍的なアドバイスを語るプロがちょっとかっこいい。
富士フィルム本社ホールを出て、笄坂を下り、大安寺の脇をまわって、北坂を上る。高樹町から表参道までちょっと遠回りしてみた。

2012年1月31日火曜日

高峰秀子『わたしの渡世日記』


仕事で静岡は清水にいる。
駅を降りると富士が見え、遠くに造船所らしき建物が見える。三保の松原もその辺りだろう。どのみち海の町だ。
高峰秀子の、人気女優としての全盛期を知らない。
昭和30年代に生まれた世代にとって人気女優といえば吉永小百合をはじめとした戦後世代だろう。
とはいうものの昨年あたりから(遅ればせながら)成瀬巳喜男や木下惠介の名作をDVDで観るようになった。去年観た映画のなかで個人的にはナンバーワンと思った「浮雲」、「流れる」はいずれも高峰秀子が出演していた。とりわけ「浮雲」には心打たれた。
木下恵介の本邦初のカラー作品「カルメン故郷に帰る」にも度肝を抜かれた。有吉佐和子原作の「恍惚の人」(ものごころついて以降公開された映画として)はぼくたちの世代にとっては高峰秀子を知る絶好の機会であり、それもかなりのインパクトを与えながらその存在感を示したといえるだろう。
松山善三、高峰秀子の家はまだ麻布にあるが(当初建てた家を建てなおし、こぶりになったそうだが)、彼女が生きてきた鴬谷、大森、成城、麻布今井町あたりには今でも昭和の面影が残っているような気がする。
さて、本書であるが最初の出版から文春文庫を経て、このたび新潮文庫から再デビューした。語り継がれ、読み継がれるべき名著だと思う。
学校教育に恵まれなかった高峰秀子は彼女の人生そのものから人生を学んだのだ。

2012年1月20日金曜日

横関英一『江戸の坂東京の坂』


坂道を意識すると町歩きは楽しくなる。
仕事場のある平河町から、たとえば信濃町まで歩くとすると、貝坂を上り、清水谷坂を下りて、紀尾井坂を上る。喰違門跡を抜け、紀乃国坂を四ツ谷方面に向かい、迎賓館前をまわり込んで、安鎮坂を下りる。鮫河橋あたりを右に折れて、JRのガードをくぐり、出羽坂を上るとじきに信濃町駅である。
出羽坂を上らず若葉町の商店街を進み、戒行寺坂、東福院坂、円通寺坂と魅力的な坂に出会いながら四谷三丁目に出るという選択肢もある。
とまあこんな具合に都心を少し歩くと坂、坂の連続なのである。とりわけ千代田区、港区、文京区、新宿区には坂が多い。都心をはなれると坂は少なくなる。杉並や練馬にも坂はあることはあるが、名前が付いていなかったりする。
そう、坂に名前があることが昔から人が多く住んでいた町の証ともいえるのだ。
そんなわけで以前から坂に興味はあったのだが、たまたま駅前の古書店でこの本を見つけた。著者は一流の坂ヲタクらしい。諸説を吟味検討し、坂名のいわれを根気よく解明していく。訪ねてみたい坂道がまた増えた。
手に入れたのは中公文庫版で『続江戸の坂東京の坂』もあわせて買った。あとで知ったのだが、2冊がまとまってちくま学芸文庫から出ていたそうだ。こんなにちくま通(?)なのに不覚をとってしまった。
さて今日は三べ坂を下りて、山王切通し坂経由で赤坂見附まで出てみようか。はたまた永井坂から袖摺坂、御厨谷坂を靖国神社まで歩いて、富士見坂経由で市ヶ谷に出ようか。いずれにしてもちょっと遠まわりだけれど。

2012年1月3日火曜日

飯田哲也『エネルギー進化論』


謹賀新年。

以前ル・モンド紙で再生可能エネルギーに関する記事を読んだ。
原子力発電に大きく依存しているフランスでは小規模で電力量の調整が利く発電設備が待たれていた。その主力は再生可能エネルギーによるものなのだが、バイオエタノールなど植物由来の燃料は食料危機を招くであるとか、風力発電は野鳥の生態系をこわすなど悲観的な論調だった。などと書くと日ごろル・モンドをよく読んでいる人に思われるかもしれないが、たまたま聴いたラジオフランス語講座で放送していただけだ。
たしかにかつては太陽光発電や風力、潮力、地熱などの発電力はたかが知れていた。秋葉原のパーツショップで見かける太陽光パネルはけっこうな大きさなのに電力量はたったこれだけなのか、と思った記憶がある。何基もの原子力発電所に変わる電力量を生産するなんてことは自然エネルギーでは不可能なのだ、という先入観を植えつけられていた。
ところがどうもそうじゃないらしい。なぜ菅直人が脱原発を唱えるのか、孫正義がエネルギー政策の転換を求めているのか。こうした動きにはそれなりの根拠があったということだ。ぼくたちはただ「知らなかった」のであり、よくない言い方をすれば「知らされなかった」のだ。
ただエネルギーの生産と消費の構造を変えていくことは単に電気のつくり方や流れを変えることではない。もっと根本的な日本のしくみを変えることでもある。そういった意味でこの本は多少数字が苦手だと思う人も電気のことに興味のない人も一読する価値はある。
筑摩書房の人がおすすめの本として紹介していたが、べつに筑摩書房の人じゃなくてもおすすめできる本ではないかと思う。
そうだろ、トヨシマ。

というわけで今年も細々とブログ続けます。よろしくお願いいたします。

2011年12月31日土曜日

今年の3冊2011


今年は月8冊強で年間100冊を目標にしたのだが、なかなかどうしてそんなに読めるものではない。おそらく昨年より量は減っているだろう。もともと本を読むのははやくない方なのでこんなもんといえばこんなもんだ。
それにしても今年はいい本を選んで読んだと思う。こうして1年を振りかえってみると表題のごとく3冊に絞るのが難しい。
先日読書系のソーシャルメディアである読書メーターでそれなりに順位をつけてみたのだが、どうも納得いかない点が多い。いまだ悩んでいるのだ。
奥田英明『オリンピックの身代金』は読み応え十分な長編だった。今年の1位にふさわしいといえる。今まで読まず嫌いなところもあったレイモンド・チャンドラーも捨てがたい。アメリカ文学自体が久しぶりの体験だった。
町歩きをするようになって川本三郎を多く読んだ1年でもあった。『我もまた渚を枕』には町歩きの真髄を教わった。その影響か、戦前戦後の日本小説にも手を伸ばしてみた。林芙美子『浮雲』、幸田文『流れる』、芝木好子『洲崎パラダイス』などとの出会い。もちろん司修『赤羽モンマルトル』や半村良『葛飾物語』なども東京ならではの名著といえる。
一方で今年は震災の年だった。吉村昭『三陸海岸大津波』、『関東大震災』のリアリティはすさまじかった。
ということで今年は結論らしきものを導けない1年だったのだが、あえて3冊というなら、次のようになるかもしれない。

奥田英明『オリンピックの身代金』
実相時昭雄『昭和鉄道少年』
林芙美子『浮雲』

実はすでに読み終わっているのだが、ブログ化していない飯田哲也『エネルギー進化論』と半村良『葛飾物語』は実に捨てがたいのでここに記しておくことにする。

今年もお立ち寄りくださった方々、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

佐藤尚之『明日のコミュニケーション』


すっかり町歩きがおもしろくなってしまった。
とりわけ四ツ谷界隈はその地形的な面もさることながら、奥が深い。鮫河橋と新宿通りをはさんで荒木町が主要な散歩スポットであることは以前もここで書いた。荒木町から住吉町まで歩いたことも書いた。
住吉町はいわゆる谷あいの町で商店が軒を連ねている。その南に位置しているのが市谷台でその西に余丁町、富久町と続く。市谷台はかつて刑務所があったところでその碑が余丁町児童遊園にある。ちょっと神秘的なにおいがする。その公園前の広い通りをはさんで向かい側がかつて永井荷風の住んでいたあたりだ。
その通りを西に向かうと抜弁天。抜弁天前の寺の多い商店街を歩いていくと西向天神も近い。
それはともかく、今年は震災の年でもあったがソーシャルメディアの年でもあった。気がつくとその手の本をよく読んでいた。
佐藤尚之は『明日の広告』以来になる。すでに3年以上も前に読んだ本だが、当時はコミュニケーションデザインという新しいしくみの萌芽期だった。今やソーシャルメディアの爆発的な普及で広告コミュニケーションががらりと変わった。商品Aと競合する商品Bがあったとき、AとBの差異を伝えていく、優位性を表沙汰にしていくという本来の広告表現のベースがくつがえされつつあるのだ。
これまで商品AとBはどう違うのか、どちらがいいのかという点だけが広告の発信する“情報”だった。今はそんな微差でモノは売れない。どちらがより“好き”か、どちらを応援したいかという視点がだいじなのだ。
まあそんなことも考えながら、町歩きするのも悪くはないのだ。

2011年12月16日金曜日

吉良俊彦『嘘の破壊』

東京都立日比谷図書館が千代田区立日比谷図書文化館として先月生まれ変わった。
先日、赤坂檜町から麻布今井町、麻布市兵衛町を散策したのだが、霊南坂を下って虎ノ門に出たときふと思い出し、そのまま日比谷公園まで足をのばした。
基本は内装(館のコンセプトも含め)が新しくなっただけであの菱餅をふたつに切ったような三角形の建物の外観に変わりはない。建物の中央に角ばった螺旋形階段があるのも変わっていない。もちろん床も壁面も書架も真新しくなっている。三階に机と椅子があって、二階に貸出カウンターがあって、地下に食堂とホールがある。基本的な組み立ては変わっていない。変わったといえば千代田区がいかにも民間を活用していますといった雰囲気をただよわせている地下の食堂か。
昔は学生食堂のようなひなびた食堂だったのが、しゃれた喫茶店のようなスペースになっている。店の名前も“Library Dining”。ちょっと入るのが恥ずかしい雰囲気である。まあメニューにビールが加わっているのはありがたいことだ。
吉良俊彦の本は三冊目。
前著『1日2400時間吉良式発想法』の続編ともいえる内容で、相変わらずスピード感がある。説得力がある。何よりも熱い気持ちがある。こういう本を通じて若い人たちがコミュニケーションスキルを磨くってすばらしいことだなあと思うのだが、それは吉良さんが先輩だからかなあ。

2011年12月12日月曜日

井上ひさし『日本語相談』

仕事がはやく片付くと仕事場近くを歩いてみる。
四谷の闇坂から鮫河橋のあたりとか、荒木町あたり。新宿通りの四谷界隈は右も左も深い谷に刻まれていて神秘的な場所だ。先日は荒木町から靖国通りまで出た。住吉町の商店街が昔のようにそこにあった。
住吉町には父方の親戚が以前住んでいて、なんどか訪ねたことがあった。親戚のお兄さんはいくつ歳上だったのだろう。蒸気機関車の写真を各地に撮りに行っていたようでキャビネ版の紙焼きを何枚かもらった記憶がある。鉄道模型のコレクションもあった。自分で組み立てたのだろう、未塗装の、金属色の機関車が何台かガラスケースに並んでいたように思う。
その家は住吉町の商店街(今はあけぼの橋通りというらしい)から細い路地を入ったところにあった。夕方になると木桶の響く音がした。たぶん銭湯が近かったのだろう。もちろんその手がかりとなる銭湯はもうない。
親戚のお兄さんに貸本屋に連れて行ってもらったおぼえもある。おそ松くんを借りたような気がするが、これもまた定かではない。いわゆるうろおぼえというやつだ。人間って生きものはそんな曖昧な記憶とともに生きていくものなのだ。
曖昧ということでいうと最近、日本語に自信がなくなる。日本語関連の本を読みたくなるのはそんなときだ。何人もの作家がこの手の本を書いているが、井上ひさしはわかりやすくて、おもしろい。
住吉町と平行して市谷台という町があり、その先に余丁町、富久町と続く。その昔東京監獄市谷刑務所があったあたりだが、その話はまた別の機会に。


2011年11月24日木曜日

奥田英朗『オリンピックの身代金』


久しぶりに夢を見た。
江戸川橋のアパートにいて、窓外に警視庁の公安が大勢やってくる夢だ。すべての逃げ場がふさがれた場面だ。
この本の後半でそんなシーンが出てくる。読んだ本のシーンが焼き付いてしまうのもまた久しぶりのことだ。上巻を読んでいるとき、後半はどうなるのだろう、どこかにほころびが見られるのではないかとハラハラしていた。島崎国夫の逃走シーンは何度かあるが、いちばん「無理があるなあ」と思ったのがここだったからだろう。
それにしても昭和39年の光景を描き出すのは相当のエネルギーが必要だったに違いない。たとえ、テレビの普及で映像資料が多く残されていたとしてもだ(建設ラッシュの東京はモノクロのニュース映像として残されている)。そして見た目だけではなく、当時の人びとの、ただひたすら前進するしかなかった時代の心性もよく描いている。
読みはじめたとき、『レディー・ジョーカー』のような印象を受けた。よく調べ上げ、丹念に組み立てられたストーリーであるということだ。時代背景も事件の内容もまったく異なるふたつの物語に共通した何かを感じたのである。
まあ、本の内容のことはどうでもいい。読んでもらえばわかることだ。
以前ここでも書いたように本書の上巻は人に借りて読んだ。下巻は買って読んだ。解説が川本三郎だった。
得した気がした。
蒲田から糀谷、羽田、そして六郷あたりをまた歩いてみたくなった。

2011年11月21日月曜日

寺西廣記『foursqareプロモーション』


今年のプロ野球日本シリーズはソフトバンクの優勝に終わった。中日も中日らしい守り勝つ野球で徹底抗戦したが、最後は投手のコマが足りなくなったようだ。
それにしてもオレ流野球というかオチアイムズというべきか、勝つことに固執した落合野球はたいしたものだ。落合博満という人は内に秘めた闘志を決して表に出すことなく、勝負に徹する。そのスタイルは現役時代から変わらない。派手さはない。パフォーマンスもない。スポーツは結果がすべてであるかのように割り切っている。そのあたりは嫌いじゃない。ただ、選手たちも同じようにクールでいるのはいかがなものかと思うのだ。
7戦すべてを観たわけではないが、気がつくとソフトバンクを応援していた。ワールドベースボールクラシックで活躍選手が多くいたせいかも知れない。残念ながらドラゴンズにはひとりもいなかった。
TwitterやFacebookなどソーシャルメディアをいくつか試しているが、いちばん頻繁に利用しているのがfoursqareだ。スマートフォンの普及でユーザも増えている。
この本はfoursqareを活用したビジネスのヒントを概観しているが、foursqareそのものがまだまだ未開拓なメディアであるせいか、ひととおりの話に終わっている。企業や商店でこう使ってみたらどうだろう的な話にとどまっているのだ。
アメリカでの成功事例の紹介やトータルなコミュニケーション戦略の中でどう活かしていったらいいのかという視点が紹介されればますますfoursqareは盛り上がるだろうと思う。そのためにも今後筆者は孤軍奮闘するより、専門分野の人を集めて共著というスタイルで裾野を広げてみたらいいのではないか。
誤植が多いのは残念だったが、このメディアには大きな期待を寄せている。

2011年11月13日日曜日

吉本佳生『無料ビジネスの時代』


しばらくブログをさぼっているうちに外はめっきり涼しくなってきた。おそらく今月下旬の明治神宮野球大会は厚着をしないといけないだろう。
ブログをさぼっているのは本を読んでいないからではなく、ちょっと文章を書くのが億劫だったからだ。年に何度かこういう時間帯がある。
数日前、仕事場で隣にすわっているI君が、これ面白いですよと文庫を一冊貸してくれた。
奥田英朗の『オリンピックの身代金(上)』だった。
作者は元広告会社のクリエーティブだったらしい。そのせいもあってか何人かの著名なコピーライターやアートディレクターが賞賛しているらしいことをI君から聞いた。
この本に関してはまた改めて、ということにするが、なかなかおもしろいのだ。ちょっとした『レディ・ジョーカー』なのだ。あれよあれよという間に読み終えてしまった。で、I君に下巻はあるかと聞いたところ、まだ呼んでる途中だという。仕方なく本屋で買ってしまった。
これは無料ビジネスの世界でいえば、コーヒー1杯目無料ということになる。1杯目無料とおかわり無料とではビジネス的にどう異なるのか、ディズニーランドとUSJのアトラクション無料はどう違うのかとかなど本来なら専門的な本にあたらなければわからない話を実に簡潔にまとめてくれている。けっこう売れてるんだろうな、この本、と思わせる。人間は“無料”には弱いものだ。

2011年10月29日土曜日

半村良『葛飾物語』


10数年ぶりに仙台を訪れた。
前回はただただあわただしく、どこにも出かけなかったが、今回は多少ゆとりのあるスケジュールだったので青葉城や県庁前の欅並木などを見、仙石線と仙山線に乗った。仙石線は高城町から矢本までは復旧しておらず、松島海岸から代行バスがつないでいる。松島海岸駅に着いた時にはすっかり日も暮れてしまったので石巻行きは残念ながらあきらめた。
到着した日だけ晴れて暖かかったが、翌日から雨が降ったりやんだり。仕事を終え、小雨の中、五橋から愛宕橋あたりを散策する。道幅の広い国道4号線を避けて、裏道を歩くとなかなか風情のある商店や飲食店が残っていてうれしくなる。
半村良というと『戦国自衛隊』のインパクトが強く、SF作家のイメージがある。『エイトマン』や『スーパージェッター』の脚本も手がけていたと思う。あと、清水義範の師だ。
この本はたしか、川本三郎の新聞連載で紹介されていた(はず)。たまたま行った図書館で見つけて、読んでみた。昭和18年から63年までの、葛飾区立石、四ツ木あたりの長屋に住んでいた住人たちの年代記である。東京にもこんなピュアな時代があったのだ。近所づきあいというものが生活の一部であった時代が。
仙台からの帰路は少し遠回りして、仙山線で山形に出た。仙台から山深く分け入り、長いトンネルを越えると山形だ。萬盛庵という蕎麦屋にいちど行ってみたくて、途中下車した。
地図を頼りに駅からとぼとぼ歩いて行くと萬盛庵は駐車場になっていた。

2011年10月22日土曜日

林芙美子『めし』

東京六大学野球秋のリーグ戦も大詰めを迎えている。4年生にとっては最後のシーズンとなる。
が、今日はあいにくの雨。試合開始時間を遅らせるなど主催者側も懸命の努力をしたが、やはり雨には勝てない。
どの本だったか忘れてしまったが、林芙美子を読むようになったのは鉄道に関する本がきっかけだったと思う。
林芙美子がシベリア鉄道で単身パリに渡った話を何かで読んで、『下駄で歩いたパリ』を手にし、以降、『放浪記』だの『浮雲』だのを読んだのだ。ずいぶん荒削りな文章を書く作家だなと当初思っていたけれど初期の作品に比べると『浮雲』などは文章も洗練されて、小説家としての風格を感じさせる。
『めし』は林芙美子の未完の作品で朝日新聞連載中に彼女は絶命した。その最後の作品を読んでみたいと思ったのだ。
古書店などまわってさがしてみたものの、新潮文庫版は見つからず、かといって全集で読むのも旧仮名が難儀だ。新潮社では電子版というのをインターネットで販売しているが、それもあまりに味気ない。そう思っていたところ、九段下の千代田図書館にごく普通に置かれていた。まったくノーマークだった。
成瀬巳喜男監督の映画では上原謙と原節子が共演していた。実家に戻った三千代の降り立った駅は南武線の矢向だった。茶色い省線電車がガードの上をゴトゴト走っていた。茶色い、無骨な国電(さらに古い世代の人は省線電車と呼んだそうだ)を知らない人たちはこのモノクロームの映像に映る昔の電車にどんな色を思い浮かべるのだろう。
映画ではそれなりに結末がある。林芙美子は原作でどのような結末を想定していたのだろうか。

2011年10月14日金曜日

中村計『佐賀北の夏』


2006年の甲子園は早実対駒大苫小牧の熱戦に沸き、2007年は公立佐賀北の大逆転劇で盛り上がった。ついこの間のことのようだけれど、もう4年も5年も昔の話だ。
佐賀北の捕手市丸と広陵の三塁手土生の両校の主将は早稲田に、広陵のエース野村は明治に進んだ。それぞれ東京六大学野球の注目選手に成長した。
それはともかく、先週末左奥歯の根っこのあたりが痛み出し、草加で歯科医をしているK先輩のもとに駆け込んだ。同じ箇所が以前も痛んで治療したことがあり、慢性化しているのではないかという。ちょっと無理とか無茶をして疲れがたまると症状が出るのだろう。薬ももらって、週明けには痛みが和らいできた。
固いものが痛みに障るので週末はお茶漬けとかもりそばばかり食べていた。カップスープにパンを浸して食べたりもした。歯が痛いというのはかくも不便なことなのだとあらためて実感する。
話戻って野球であるが、高校野球がはじまると熱心に公立校を応援する人がいる。横浜に住む友人のKもそのひとりだ。今夏は習志野の試合を甲子園まで観にいったそうだ。そういえばKもやはり都立校出身だった。
東京では公立校が全国大会に出場するなどよほどのことがない限りあり得ない。人材、環境に恵まれた私学とは圧倒的な差があるからだ。地方に行くと案外その差が小さいのかもしれない。別に差別するわけではないが、佐賀県のようなところでは。
佐賀北は決して強いチームではなかったが、監督以下一丸となって全国大会で「勝てる」野球を実践した。このことを克明につづった一冊である。

2011年10月11日火曜日

辛酸なめ子『女子校育ち』


今秋の東京六大学野球は春優勝の慶應、2位の立教、そしてBクラスに甘んじた明治の争いだろうと思っていた。
さらに夏のオープン戦等の結果から法政が好調と聞き、早稲田、東大を除いた四つ巴(?)になりそうな予感だった。ふたを開けると明治野村の好投が光り、法政三上もいい。慶應は福谷が春ほどの球威はなく、竹内大も制球難。そして都立の星、立教の小室がマメをつぶしたとかでリタイア。後半再起をかける。
前半でふたつの勝ち点を落とした慶應、立教を尻目に明治が3戦までもつれながらも、ここまで勝ち点を落とさず来ていて、順当に行けば完全優勝するだろう。
明治野村と、同じく最終シーズンとなる早稲田市丸の対決が楽しみだった。2007年甲子園決勝の広陵対佐賀北の頃から対決している両者である。結果は7打数2安打2三振だった。今季打撃好調の市丸を野村がよく抑えたといえるだろう。甲子園で市丸が野村から何本ヒットを打ったのかは記憶にない。チーム全体で5安打だから、さほど打ってないような気もする。まあこのあたりは次回『佐賀北の夏』を読んでからということで。
なめことはずいぶん楽しい名前だと思っていたが、味噌汁の具のなめこではなく、どうやら「辛酸をなめる」から来ているうペンネームなのだろう。ちくまのツイッターで話題の本的な騒がれ方をしていたので手にとってみたが、別になんということもなかった。実相時昭雄の鉄道本で感動する輩にはあまり関係のない本だと思う。
そういえば先週靖国神社で奉納相撲を観た。自称相撲ファンであるのに生で相撲を観たのはこれがはじめてだ。
靖国神社のまわりも女子校が多い。

2011年10月6日木曜日

実相寺昭雄『昭和鉄道少年』


クリープを入れないコーヒーなんて。
この名コピーでおなじみのテレビコマーシャルの大半は実相寺昭雄が演出したのではないだろうか。20数年前、アルバイトでもぐり込んだCM制作会社の作品集の、そのほとんどが芦田伸介出演のクリープのCMだった。
CM制作の現場はテレビ番組制作のそれより映画に近い。演出家は監督と呼ばれる。当時の社長はむやみやたらと演出を監督と呼ぶなと言っていた。「監督といえるのは実相寺くらいのもんだ」と豪語していた。
実相寺昭雄の絵コンテを見たことがない。たいていの演出家は自ら構想を描いたプランをカット割りして、絵コンテにする。実相寺監督は原稿用紙に達筆過ぎる文字でその構想を記す。それを読んだカメラマン、ライトマン、美術デザイナーは現場に向けて映像をイメージし、必要な準備をすすめる。手慣れた実相寺組に絵コンテはむしろ要らない。
そうはいっても広告ビジネスの世界では広告主の意向なり、判断を仰がなくてはならない。共通認識のツールとして絵コンテは欠かせない。
あるとき、プロデューサーでもある社長に呼ばれ、“監督”の書いた原稿用紙のコピーを渡された。「お得意さんに事前に見せておかなくちゃならないから、お前、これを絵コンテにしておけ」との指示。畏れ多くも実相寺昭雄直筆の演出メモを絵にするなんて…。原稿を読む前にこれはカメラマンのNさんか美術のIさんに相談して監督のイメージを聞き出すしかないと思った、多忙な監督にお目にかかれる機会など年に何度かしかないし。とてもじゃないが鬼才の描く映像世界など描写できるほどの熟練はなかったのだ(熟練ということでいえばいまでもそうだが)。
ふた晩ほど会社で白紙を置いて悩んだ挙句、社長に「ぼくには描けません」と正直に打ち明けた。「そりゃそうだろうな」のひとことで結局絵コンテは描かずに済んだ。
生前の実相寺昭雄とは直接会話らしい会話をしたことはない。実相寺組のスタッフの方から伝え聞いた話が多い。鉄道に限らず、いまでいう“をたく”だったと聞く。とりわけ地方にロケに行くと必ず郵便局で貯金をする話とか、スタッフにいたずら(子どもじみたいたずらだったと聞く)した話とか。
しかしこの本はおもしろかった。読み終えるのがいやでわざとゆっくり頁をめくりたくなったくらいだ。
単に鉄道好きということだけではない。実相寺昭雄の生活圏が案外身近だったことをいままで知らなかったのだ。王子電車とか、戦後大井出石町から京浜東北線と中央線で飯田橋の学校に通ったとか、九段から靖国通りを下って須田町まで歩いたとか、赤坂のテレビ局に就職したとか。王子も大井町も飯田橋も赤坂も、ぼくにとってはいずれも忘れらない場所なのだ。
自分自身を、永遠の少年である“監督”にオーバーラップさせられたことがうれしくてたまらない。
ところで実相寺昭雄の演出メモを絵コンテにできなかったのは、監督の書いた達筆過ぎる字が解読できなかったせいもある。
豊島、いい文庫をありがとう。

2011年9月26日月曜日

安西水丸、和田誠『青豆とうふ』

安西水丸は大学受験の年の正月、半紙に毛筆で「東京芸術大學」と「日本大学芸術学部」と書き、どうみても後者の字面がいいので芸大ではなく日芸に進学したという。
また、本来広告制作を生業とするのであれば博報堂に行きたかったとも語っている(出展は定かではないので人から聞いた話程度に思ってほしい)。どうして電通を選んだかというとどのみち辞めてフリーランスになるのだから、元博報堂より元電通のほうが断然いいのだ、みたいなことも言っていた(これも出展は明らかではなく、知人に聞いた話程度に思ってほしい)。
電通退社後、ニューヨークに渡り、帰国時ヨーロッパをまわって、羽田に着いたときには財布にお金が全然なかったという話も聞いたことがある。ただその翌日の新聞求人欄に平凡社の募集があり、エディトリアルデザイナーとして採用され、嵐山光三郎と出会う。この辺の経緯も実に計算されていたかのように安西水丸ブランド育成に大いに寄与している。
村上春樹とのコンビもしかりだが、安西水丸はその人がらのせいか、行くところ行くところでいい出会いに恵まれ、こう言っちゃ何だけれども、もしかするとイラストレーターとしての才能以上のものを持っている。
「キネマ旬報」に和田誠が「お楽しみはこれからだ」、水丸が「シネマストリート」を連載していた頃から、ぼくはどうしてこのふたりはコラボレーションしないのだろうと思っていた。もちろん和田誠は日本のイラストレーターの中でも別格の人だから、水丸にとっては雲の上の人だったのかもしれない。
でもよかった。それからしばらくしてふたりのコラボがはじまったから。
昇さん、こんど和田さんのサインもらってきてくださいよ。

2011年9月21日水曜日

常盤新平『銀座旅日記』

最近読書量が落ちた。
目が疲れているせいではないかと思うのでむしろ少しずつ読めるものを読むようにしようと常盤新平のエッセーを神田の三省堂で見つけた。
翻訳者の常盤新平を知ったのは(おそらく)80年代、そのきっかけはアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』だった。その後しばらくショーの小説にはまった。『はじまりはセントラルパークから』、『若き獅子たち』、『夏の日の声』、『パリスケッチブック』、『ルーシー・クラウンという女』などなど。今では入手が難しいものが多い。ショーの翻訳といえば常盤新平というイメージをずっと持っていたけれど、よくよく調べてみると案外そうでもない。カート・ヴォネガット・ジュニアの翻訳イコール浅倉久志というほどではない。不思議なものだ。
ショーの作品の中で好きなのは『ビザンチウムの夜』と『真夜中の滑降』だ(いずれも常盤新平訳ではないが)。もう一度読んでみたい。今となっては記憶はおぼろげどころか遠くかすんでさらに厳重に梱包されている。旅行カバンがすり替えられて、フィルム缶をなくしてしまった話はどっちだったっけ、などとさっきネットで調べるまですっかり混乱していた。
とまあ、常盤新平はアーウィン・ショーを紹介してくれた人ということで僕にとっては偉大な方なのであるが、老後も読書に励み、おいしいものを食べ、旧交をあたためているのを見聞し、安心した。病気を患ったこと、外出が減ってきたことなど心配な面も多々あるけれど、いいあとがきを書かれていた。
4、5日かけて著者の何年かを追ってきたが、読み終わってちょっと寂しい。

2011年9月13日火曜日

夏目漱石『門』

グリコ、チヨコレイト、パイナツプル。
子どもが小さい頃、住んでいたマンションの外階段でよく遊んだものだ。
この遊びを正式に何と呼ぶのかは不明だが、これにはちょっとしたコツがある。とりわけ小さい子ども相手には有効な方法なのだが、とにかく負けてもいいからひたすらチョキを出し続ける。負けても3段だから、そう大差はつかない。向こうがパーでも出してくれれば2敗ぶんは一気に追いつく。そのうち相手も子どもながらにさっきからチョキしか出してないぞと気づくはずだ。その空気を読んだらすかさずパーを出す。このパーを出すタイミングさえ間違えなければ、仮に大きくリードされていてもすぐに追いつき、追い越せる。イメージとしてはチョキチョキチョキチョキパーチョキチョキって感じだ。
それはともかくたまには読みたい名作シリーズ夏目漱石。
今回は『門』を読む。再読ではない。50を過ぎてはじめて読む『門』である。
平穏な、なんてことない夫婦の暮らし。小津安二郎の映画を観ているような感覚に陥る。ときどきさざ波が立ち、夫婦のエピソードが挿入されて、少しだけその生い立ちが明かされる。
静かな静かな小説であるが、その後の日本文学や映画、ドラマに与えた影響は大きいんだろうな思える佳作である。
ちなみに子どもたちとしりとりをすると「る」攻めにする。うちの子どもたちが小さかった頃(幼稚園くらい)、ぼくはロクでもない親だったと最近ちょっと懐かしい。

2011年9月6日火曜日

梨木香歩『ピスタチオ』

高校に入学する前の春休みに教科書などを買いに行く日があった。
当時校舎の地下に購買部があっておそらくはそこで買ったのだろうが記憶が定かではない。憶えているのはすでに教科書が売り切れていて、自分で本屋に行って買ってこいという指示だけだ。今考えてみるとおかしな話だ。教科書を買いに来いと呼びつけておいて、売り切れたから(そもそも生徒数ぶん用意してあるんじゃないのか)本屋へ行けと。たしかに今考えるとおかしな話だが、そのころは不思議とこうした理屈に合わないことが素直に受け容れられた。適度に緊張していたせいかも知れないし、もともと物事を深く考える方ではなかったからかも知れない。
たまたま指定された本屋が神田神保町の三省堂書店で学校から歩いてもわけのない場所だった。とぼとぼ歩いていると同じように校舎を出てとぼとぼと前を歩く生徒がいた。当時の三省堂は今のようなビルではなく、木造の本屋だった。書店というより本屋。黒い木でできた床がみしみしいう店内に膨大な数の教科書が並んでいた。最初からここで買えと指示してくれればよかったのに。
昨年の秋に梨木香歩の新刊が出たから買ってくれと娘に言われ、三省堂で購入した。厳密に言うとどこで買ったか憶えていないのだが、三省堂のカバーがしてあったから、間違っちゃいないだろう。
梨木香歩は今まで知らなかった世界に導いてくれる作家のひとりだ。水辺だったり、織物の世界だったり、トルコだったり。今回はアフリカ。
水にまつわるエピソードや精神世界への展開はおなじみの梨木ワールドだ。