この本が世に出て話題になった頃、ぼくは武蔵小金井駅からも国分寺駅からも歩いて遠い大学に通っていた。
新宿で中央線に乗り換えていたので下車駅は武蔵小金井だった。国分寺には滅多に行かず、ときどき国分寺駅周辺で飲み会なども行われていたが、わざわざ遠まわりしてまで参加することに疑問を感じていた。そんなわけで国分寺とは疎遠な関係のまま学生時代を終え、現在に至っている。
長女が国分寺から単線電車に乗り換えて行く大学に通うようになって、一昨年と昨年、大学祭なるものを見に行った。国分寺駅はかつての木造校舎のような駅ではなくなり(といってもそれすら記憶の彼方にあって定かではなく、なんとなくイメージしているだけなのかもしれないけれど)、いわゆる都会にありがちな無機質で殺風景な駅に変わっていた。
もともと国分寺とは疎遠な生活をしていた上に、当時椎名誠のようないわゆる昭和軽薄体なる書物に関心がなかったため実に30年以上もこの本を放置していた。今、こうして読んでみるとその頃は食わず嫌いだったなあとか、もっとこういう本もちゃんと読んでおけばよかたなあ、などという気持ちにはさらさらならなくて、ただただ当時の国分寺駅の木造駅舎っぽい匂いが漂ってきてなつかしくなるのである。それ以上でもそれ以下でもない。
昨年は国分寺駅から昔通った大学まで歩いてみた。さすがに国分寺からの道順は記憶になく、ずいぶん遠まわりをしてしまった。さりとて大学から武蔵小金井駅までの道を憶えていたかといえば、それもそうではなく、どこをどう歩いているかわからないうちに長崎屋の裏に出た。たぶんは道は合っていたのだろうけれど風景が変わっていたのだと思う。
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