2012年7月3日火曜日

三浦しをん『舟を編む』


仕事場のアシスタントプロデューサーNとの会話。
「三浦しをん、読んだことあります?」
「三浦朱門?読んだことないな。曾野綾子もない」
と、はなっから噛みあっていない。
「三浦しをん、ご存じないですか?『舟を編む』って本、いま売れてるんですけど」
と、そこまで言われて、書店に平積みされているその本を思い浮かべた。
「へえ、おもしろいの?どんな話?」と訊ねる。
「辞書をつくる話なんですよ」と、N。
「そういえば、ち、ち、地図をつくりたいって男が『ノルウェイの森』に出てきたよね。突撃隊だっけ?」
「わたしは『ノルウェイの森』読んでいないのでわかりません」
と、噛みあわぬまま話が途切れてしまった。ただ『舟を編む』という題名がおもしろそうだったので機会があれば読んでみようと思った。
考えてみれば、仕事で作成する資料や書類だって、表記誤たず、できるかぎり正確にこちらの意図を伝えることが難しいのに、一冊の書物ならともかく、辞書をつくるなんて気の遠くなるような話だ。もちろん玄武書房の『大渡海』も十数年の歳月をかけて上梓される。ちょっとした辞書編纂年代記である。
言葉は生き物だ。時代とともに意味や使い方が変化してくる。生きている言葉と対峙する人間の姿がおもしろい。松本先生にしろ、荒木にしろ、馬締(まじめ)にしろ、どう考えても生き生きした生身の人間ではない。辞書に取りつかれた変人たちだ(彼らをいっそう変人たるべく設定された“ふつう”の若者たちが西岡であり、岸辺であろう)。こうしたむしろ、真っ当に生きていない人間たちが徐々に辞書に生かされていく、生を吹き込まれていく、人間を取りもどしていく。まさにそんな物語だ。
会話は噛みあわなかったものの、Nから聞いた「辞書をつくる話」に対して、当初難解でストイックな純文学的世界を想像していたわけだが、読んでみるときわめて明るく楽しい現代ドラマでほっとした。最近の作家はややもすれば重苦しい題材を実にたくみに料理するものだと思った。

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