2012年4月1日日曜日

塚本昌則『フランス文学講義』


先々週のことになるが、胃カメラをのんだ。
胃カメラをのむ、などという言い方を最近はしないようである。胃の内視鏡検査というらしい。内視鏡検査なんてずいぶんドライでそっけない言い方だ。医学的過ぎる。それにひきかえ、胃カメラをのむという言い方はどことなく本人の意思というか精神的に立ち向かう感じがあっていい。スチュワーデスというとどこかロマンチックな感じがするのに対し、キャビンアテンダントというと業務的な感じがするのと似ている。似てないか。
父が1月に肺炎を起こして入院した。歳をとると食道と気管の振りわけがうまく機能しにくくなり、肺炎を起こしやすくなるのだという。父の「老い」を通して自分の「老い」に直面した。それからしばらく食道や胃のあたりが気になって気になって仕方なくなった。なんとなく食道や胃になにかがつっかえるような気分になるのだ。そんなこんなで一度ちゃんと診てもらったほうがいいと思ったわけだ。
フランス文学なるものからずいぶん遠ざかっている。
もともと遠ざかるほど接近した憶えもないので、正確にいえば、遠ざかったまま、だろう。
この本はジャン=ジャック・ルソーからマルセル・プルーストまで12の作品にスポットを当て、言葉とイメージのかかわりを追求しながら、文学を通じて読み手が見ているものは何かを探求している。概略的にいえばそういうことなのだが、なにせ基礎教養的な下積み(12の作品のうち読んだことがあるのはルソーとゾラだけだ)がないので新書といえどもこの手の書物は重い。ただその論説の巧拙はわからなかったものの、随所に発見があった。どこかと今いわれてもちょっと困るが。
それで胃のほうなんだが、まったくなんでもなく、ピロリ菌もいないということだった。やれやれ、である。

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