2012年6月9日土曜日

フョードル・ドストエフスキー『悪霊』


ブログを書くのがだんだん億劫になっている。
本を読んでいないわけではない。インプットはあるんだが、アウトプットするのが面倒になってきている。時間がないということではない。本を読んで気になったことは抜書きしたり、読み終わった本をクラウドの読書サイトに登録したりしている。ソーシャルメディアに簡単にアウトプットすることでブログにさくエネルギーを消耗しているのかもしれない。
いずれにしても肩に力を入れすぎず、気長に続けていこうとは思っている。
光文社古典新訳文庫から『悪霊』が出たのが一昨年の秋。一気に読んではみたものの、第2巻が出たのが翌年4月。そして第3巻が昨年12月。
半年以上もあいだをあけられるとさすがに記憶力の弱ってきた身にはつらいものがある。しかもこの本は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のような明快なドラマでもない。抽象的な思想劇とでもいおうか。そして随所にドストエフスキーならではのメタファーに満ちている。
まあ、ただこの手の本は研究対象(プロ、アマを問わず)として読むのかストーリーを表面的に楽しめばいいのか、読み手の立ち位置を明快にして付き合えばいいのだ。より深く、この思想世界に踏み込みたければ再読するなり、研究書を紐解けばいい。読み物として、いずれストーリーを忘れてもそのときに身に迫るイメージを得られたならそれはそれでけっこうなことだ。おそらく訳者もそんな「軽い読み方」も想定していると思う。もちろん『罪と罰』、『カラマーゾフ』のときと同様、今回も後者の読み方をした。
ただ、もし30年以上前にドストエフスキーを知ったならば、もう少し深く読んでみていたかもしれない。あくまで「もし」の話であるが。

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