2012年3月3日土曜日

堀正岳『理系のためのクラウド知的生産術』


若い頃、技術で相手を圧倒できればスポーツは勝利できるものと信じていた。そのために来る日も来る日も練習に練習を重ねた。そんな時代もあった。
人なみに歳を重ね、それでもときどきスポーツのまねごとをしながらふと気づいたことがある。それはスポーツは技術じゃないということだ。都道府県大会でベスト8くらいまですすめる個人にしろチームにしろ、技術的には大きな差はないのではないか。三回戦くらいで負けるものと二回戦で負けるものの間もそうだ。ようやくそう思うようになった。
ほぼ同じ力量の選手同士、チーム同士が何度か試合をして、勝つか負けるかのその差は技術ではなく、試合に勝つ力の差なのだ。すべからく同じルールで同じような練習を積んできたもの同士の対戦に力量の差はほぼないはず。練習は嘘をつかないとよく言われるが、同じぶんだけ練習したものが競った場合、必ずどちらかが裏切られるわけで、練習のたいせつさはまったく否定はしないけれど、かといって練習したことだけを信じて戦いにのぞむのもいかがなものか。結局勝つか負けるかの境界線は勝つ方法を精神的身体的に身につけているかどうかだ。
そんなことをここ何年か野球を観たり、卓球の試合を観て思った。
Googleをはじめとしたクラウドコンピューティングの時代は理にかなっている部分が多く、便利である。ただそれだけでいいのかとも思うのだ。たしかに天災や事故に備え、バックアップにバックアップを重ねることの労力や投資を考えればクラウドは渡りに船だ。だからきっと味気ないなあなどと思っちゃいけないんだ。これが時代なんだ。なるべくそう思うようにしている。人生とか社会とかって数限りない無駄でできていて、それはそれで愛おしいとも思うのだが。

0 件のコメント:

コメントを投稿