2025年3月31日月曜日

奥田英朗『オリンピックの身代金』(再読)

吉見俊也の『東京裏返し』を読み、ついでに歴史のおさらいをしようと半藤一利の『昭和史』を読んだ。昭和の東京の風景を見たくなり、14、5年くらい前に読んだこの本をもう一度読んでみる。
1964(昭和39)年のオリンピック開催に向けてぎりぎりまで準備がすすめられる。著者は僕と同世代。知る由もない当時の都内各地がよく再現されている。本郷、西片町、千駄ケ谷、代々木ワシントンハイツ跡、糀谷、羽田、御徒町などまるでタイムスリップして見てきたようである(もちろん僕にはそうした風景の記憶はないのだが)。オリンピックを人質にしたテロを目論む東大大学院生島崎国男は、さらに三河島、江戸川橋、赤羽、大久保、晴海に潜伏する。以前読んだときはこれらの土地を散策した。京急六道土手駅まで行って、島崎がダイナマイトを入手した北野火薬を探したこともあった。
この小説はふたつの層から成る。地形的には台地(高台)と低地(下町)。繁栄に向かう東京と貧困に喘ぐ地方の農村。特権的な公安と刑事部。捜査一課の刑事落合昌夫らも旅の途中で知り合ったスリの常習犯村田留吉も下層の存在である。出稼ぎ労働者らも。一方で島崎の同級生須賀忠(彼の父須賀修二郎は警視庁の上層部で東京五輪警備のトップであるのだが)は秘匿される事件に関心を持ち独自に詮索をはじめる。動くたびに公安に尾行され、結果的に捜査に協力してしまう。学生運動に傾倒する文学部のユミもしかり。江戸川橋の、当時最新の高層アパートに住み、東大文学部に通う。明らかに上流家庭の子女である。彼女も泳がされた挙句、逃走する島崎を追い詰めてしまう。これもまた貧困層を追い込む富裕層といった対立図式になっている。復興と繁栄の象徴であるオリンピックは多くの下層民が人柱となって支えた。その疑念が島崎の犯行を後押しする。
印象に残ったのは、そのオリンピックと島崎国男を救ったのが共犯者村田留吉であったことだ。

2025年3月25日火曜日

半藤一利『昭和史 1945~1989』

昭和の半ばに生を享け、30年近くを昭和という時代に過ごした。
昭和というと戦争の色合いが強いが、その後に生まれた僕らにとって昭和とはいかなる時代だったのか。ちょっと学んでみようと思い、先に読んだ前編に続いて後編を読んでみる。
僕にとっての昭和は時代遅れで不衛生な時代に映る。幼少期は特にそうだった。川や溝は臭く、町は埃っぽく空気は汚れていた。こうした汚染を犠牲に人びとは利便性や快適な生活を獲得した。昭和の最後半、それは僕にとっては青年期にあたる。高度経済成長のツケがまわってくる。さまざまな不適切が蔓延しはじめる。
もちろんそれは今という時代から見た昭和であり、当時その渦中にあった僕はさほど不便も不衛生も不適切も感じなかった。人はなかなか「今」を適切に判断したり、評価したりすることはできないのだ。そのために歴史はある。
前作同様、興味深く昭和を学ぶことができた、というのが率直な感想である。講義の重点は戦後新しい国づくりの模索であり、その骨格をつくったのがダグラス・マッカーサーと昭和天皇であることがよくわかる。GHQの施策は時とともに変化はしていくものの民主国家日本はやがて独立国家となる。
さらに興味深かったのは、戦後の総理大臣が取り組むべき課題をしっかり把握していたことだ。これは今の政治家には感じられない。吉田茂は講和条約を締結し、日本を独立させた。芦田均は日ソの国交を回復した。岸信介は日米安全保障条約を改定し、池田勇人は吉田茂の路線を引き継ぎ、経済大国の礎をつくる。佐藤栄作は沖縄返還を、田中角栄は日中国交回復を実現する。
その後、首相として大きな仕事をした人がいるだろうか。国鉄民営化、郵政民営化はそれなりに評価すべき仕事だとは思うが、先人ら取り組みにくらべるとスケールが小さい。昨今の政治家を見ていると高速道路や下水管にもたらされる老朽化がこの国にももたされているかのようである。

2025年3月17日月曜日

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

松任谷由実のアルバム「PEARL PIERCE」がリリースされたのが1982年。同梱されている歌詞カードは安西水丸のイラストレーションで飾られていた。当時僕は安西水丸を注視していた。「ガロ」、「ビックリハウス」といった雑誌に四コマ漫画をよく連載していたせいか、この人は漫画家を目指しているのだろうと思っていたがユーミンのアルバムに鮮烈なイラストレーションを描いたことでやはりこの人はイラストレーターなのだ、それもただ者ではないと実感した。
雑誌の表紙を描くことも増えてきて、書店をひと巡りすると安西の
イラストレーションをいくつか見かけるようになっていた。ちょうどそんな頃、文芸コーナーで平積みされていたこの本に出会った。すごいじゃん、安西水丸。村上春樹の本の表紙を描いてるじゃん。といささか興奮気味に購入したのを今でも憶えている。村上最初の短編集である。以後コンビを組んで出版された本は多い。
そんなこんなで村上春樹初の短編集は僕にとっても思い出深い一冊で時折書棚から取り出しては1、2編目を通してみたりする。だいたいは「中国行きのスロウ・ボート」だったり「午後の最後の芝生」だったり。全編通して読むのは大変久しぶりのことである。あまり目を通すことがなかった「カンガルー通信」や「シドニーのグリーン・ストリート」などはすっかり記憶から飛んでいる。まるではじめて読むように読んだ。
「中国行きのスロウ・ボート」はその後、『村上春樹全作品1979~1989』に収められるにあたって大幅に加筆修正されている(はず)。以前、単行本と全作品と二冊並べて開いて比較しながら読んだ記憶がある。もちろん読んだことを憶えているだけでどこがどう加筆修正されたのかなんて全く記憶にない。
それにしてももう3月だ。安西水丸が世を去ってはや11年。生きていれば今年で83歳になる。命日にはカレーライスを食べようと思っている。

2025年3月11日火曜日

吉見俊也『東京裏返し 都心・再開発編』

川本三郎の町歩き本を手本にしてずいぶん東京を歩いた(さらにその師は永井荷風であるが)。その後、暗渠に着目する若き探検家の本を読んだりして、それなりに東京を掘り起こしてきた。
著者のいう通り、かつての大名屋敷が大学になったり、植物園になったりした江戸城(皇居)の北側にくらべて、明治の頃から南西側は練兵場など後に陸軍の施設が増えていく。明治政府は、この方面に脅威を感じたのかもしれない。青山、代々木の練兵場をはじめとして、駒場から駒沢にかけて、国道246号(旧大山街道)に沿って陸軍の施設が集中していた。赤坂、渋谷が歓楽街になったのは主に陸軍の力によると言われている。これらの施設は戦後、占領軍に接収される。赤坂、六本木は進駐軍によってモダンな歓楽街となる。
その後一部を除いて、接収が解除される。いちばん大きなものは代々木一帯、かつてワシントンハイツと呼ばれた広大な米軍住宅だろう。1964年の東京五輪開催にあたって返還され、選手村になった。今は代々木公園やNHK、渋谷公会堂などになっている。ワシントンハイツ時代の代々木は安岡章太郎や山本一力の小説に描かれている。
これらの軍用地を国や民間が引き取ることで街の景色が変わっていく。古くから栄えた日本橋、銀座、浅草に加えて南西側は新たな都心となり、開発に開発を重ねていったのだ。そういった意味からすれば、著者のいうような時間の層が埋もれてしまった一角であることは否めない。それでも歴史を掘り起こす街歩きを標榜する著者にとって手強いながらも魅力的な地域であろう。
前作『東京裏返し 社会学的街歩き』に続いて楽しく読了。実際に歩いた穏田川~渋谷川~古川流域や四谷若葉町~鮫河橋、荒木町~曙橋を経て、余丁町、市ヶ谷監獄のあった辺りを思い出す。余丁町から西向天神まで歩いたことも何度かある。四谷は機会があればまた訪ねてみたい。その谷底には魅力が埋まっている。

2025年2月28日金曜日

村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』

昨年定年退職したのだが、まだもう少し仕事もできそうなので、業務委託契約を交わすことにした。フリーランスとしてギャランティを貰うこともできるが、請求書を送るのも面倒だし、担当者に処理させるのも大変だろうから、仕事があってもなくても月々いくらと決めた(それもかなりささやかな額で)。言ってみれば業務のサブスクリプションである。
先月~今月は二本こなした。一本は去年の春から続いている案件でもう一本は新規の競合案件。後者は久しぶりに対面で打合せをした。コロナ禍以降、オンラインの打合せが増えた。それでも仕事のやり方は変わっていない。AIを使って、画像や音声、音楽を生成することに若いスタッフは取り組んでいる。そうした変化もあるにはあるが、お題を渡され、訴求点を整理して、次の打合せまでに表現にして持ち寄るという流れに変化はない。いつまで続けられるかはわからないが、まあ、やれるところまでやってみようと思っている。
講談社から「IN★POCKET」という文庫本サイズの雑誌が出ていた。文芸PR誌とでもいうのか、文庫の新刊情報や作家インタビュー、短編小説などで頁は埋められていた(と記憶している)表紙は安西水丸など当時売り出し中の若手アーティストが担当していた。大手出版社は「波」とか「図書」といったPR誌を発行している。それらにくらべると講談社のそれはカジュアルで若者向けのように見えた。
『回転木馬のデッド・ヒート』に収められている短編の多くは「IN★POCKET」に掲載されたものだ。どの作品にも共通しているのは、人から聞いた話である。聞き手は村上春樹本人だから、いずれも自分が主人公ということだ。ちょっとミステリアスで興味深い話を聞いている。本当に聞いた話なのか、村上自身が創作したのか、実際のところはわからない。
この本は今の仕事をはじめた頃に読んでいる。懐かしい再読であるが、内容はまったく憶えていなかった。

2025年2月21日金曜日

吉村昭『海の史劇』(再読)

去年の3月、三鷹市吉村昭書斎が公開された。自宅の離れにつくった書斎を再現したもので、お隣には吉村と表札が掲げられている。京王井の頭線井の頭公園駅から歩いてすぐのところにある。オープンした頃、是非訪ねてみたいと思いながらなかなか機会に恵まれず、ようやく先月訪れた。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。

2025年2月13日木曜日

吉見俊哉『東京裏返し 社会学的街歩き』

町と街。この使い分けは難しい。以前、よく読んだ川本三郎は町歩きと表記する。街にすることはない。個人的な感覚であるが、町が現代化したものが街ではないかと思っている。懐かしい佇まいを残した店は町中華であり、街中華は似合わない。マンション、戸建ての広告には街が似合う。まあどちらでもいいことなのだが。
時間が空くと知らない町をよく歩いた。この本で紹介されている辺りだ。東京の南西側も、例えば渋谷川に合流する宇田川沿いとか生まれ育った品川区も歩いているが、圧倒的に皇居の北側、東側が多い。そういう点からするとこの本で辿る町、地域には新鮮味はなかったが、無性に懐かしさをおぼえた。
第一日目に訪れる石神井川。板橋駅から加賀公園、そしてその周辺を流れる音無川の谷(石神井川はこの辺りではそう呼ばれる)を辿っていくと飛鳥山に出る。護岸工事はなされているものの川が台地を削ったことがよくわかる、素敵な散歩道だ。桜の季節はいいだろう。ここは是非おすすめしたい。王子駅に向かっての音無親水公園は味気ないが、飛鳥山公園に立ち寄って、上野台地の端っこから眺める下町もいい。その前に赤レンガの図書館に立ち寄るのもいい。駒込に出る商店街を歩くのもいい。王子や赤羽の居酒屋に立ち寄るのもいいし、十条に戻って齋藤酒場に寄るのもいい。
散策を終えて居酒屋に寄るのは川本三郎的であるが、この著者の優れたところは街歩きの指南に終わらないところだ。街を歩き、眺め、歴史の地層を掘り返すことで東京をこれからどうすべきかという未来が見えてくる。要らない首都高速道路はなくす、路面電車を増やすなどすることによって東京の未来の風景が見えてくる。こうした将来像に向かって努力することが東京に課された使命なのだ。
この本はラジオ文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に著者がゲスト出演したことで知った。うちに引きこもっているとラジオから得る情報はありがたい。

2025年2月6日木曜日

島崎藤村『千曲川のスケッチ』

30年以上前、僕は小さな広告会社でテレビコマーシャルなどをつくっていた。
ある日、ベテランの営業担当から声を掛けられた。ペットボトルを製造する機械をつくっている会社がある、企業紹介の動画を制作してくれないかと。数日後、上野発金沢行の特急に乗って、小諸に向かった。長野行の特急も日中何本かあったが、早朝立つには混み合う金沢行しかなかった。新幹線のない時代、高崎、横川、軽井沢を通って小諸駅で下りる。本社と工場は駅の北西方向にあり、タクシーで10分ほどの距離だった。工場を見学させてもらい、動画の主役となる最新の機械について説明を受け、伝えたいことなどを打合せする。構成案を再来週にお持ちします、みたいなことを確認してその日は切り上げた。駅前の蕎麦屋で昼食を摂り、帰京した。
あれは何月だったのだろう。暑くもなく寒くもない普通の一日。天気はよかった。
翌々週、再び小諸。動画の構成案を持参し、多少の手直しがあったが、これで制作してもらいたい、となった。前回同様、営業と蕎麦を食べて帰る。3回目の訪問は制作会社のスタッフらとのロケハンだった。このときの記憶はほとんどない。その後の撮影は営業と制作会社に任せたので小諸に出向くこともなかった。編集、録音、試写も都内のスタジオだった。
小諸の町を散策したことはない。会社員時代はこうした行って帰るだけの出張が多かった。札幌も仙台も岡山も那覇も、夜に飲食した店くらいしか旅の思い出はない。
3年前、軽井沢に行くのに小海線で小諸に出た(遠回りではあった)。駅前を少し歩いて、昔行った蕎麦屋をさがした。見つからなかった。この頃は以前と違って小諸駅のそばに小諸城址懐古園があることも地図で知っていた。ただ訪ねる時間がなかった。
小諸は歩いてみる価値がある。千曲川も近い。島崎藤村が教えてくれた。今度軽井沢を訪ねたら小諸に立ち寄り、千曲の流れをゆっくり眺めてみたいと思った。

2025年1月30日木曜日

半藤一利『昭和史 1926-1945』

NHKでスペシャルドラマ「坂の上の雲」を再放送している。以前、まとめて三日くらいで見てしまったが、毎週見ていると次回が楽しみでしようがない。ゆっくり見ることで気づくことも多い。
旅順港の閉塞作戦が失敗し、広瀬武夫が戦死する。陸軍が旅順に総攻撃を仕掛ける。が、堅固な要塞はなかなか陥落しない。愚直に総攻撃を繰り返し、屍の山を築く乃木希典を司馬遼太郎はあまり評価していないようだが、それでも攻撃目標を203高地に切換え、激戦の末、旅順を落とす。次回予告を見るかぎり、来週はそんな話であろう。バルチック艦隊も出撃している。日本海海戦ももうすぐだ。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は近代日本の青春ドラマだ。背景にあるのは近代国家を一途にめざす無垢な心。国民は軍備拡大のための増税に堪えるように働き、前を向いた。一人ひとりが近代国家日本の主役となった。
戦後の講和については小村寿太郎が全権大使として交渉にあたった。吉村昭の『ポーツマスの旗』を読んでその艱難辛苦を知った。それでも日本は朝鮮半島と南満州鉄道の権益を得た。小村外交に批判も強かったが、ロシアという大国に勝利したこと自体が国民を力付けた。
近代国家としてしばらく日本は平和であった。時代は昭和になり、青春時代は終わりを告げる。以後、日本は軍部が台頭し、劣化を続ける。昭和のはじめの二十年は劣悪の時代だ。半藤一利によれば軍国日本を支えた主役は陸軍と新聞である。日露戦争の勝利によって多くの国民が日本は列強のひとつと勘違いしはじめた。煽った新聞もよくなかった。そして浅田次郎の小説によってファンになった張作霖(チャンヅオリン)が爆殺される事件が起きるのである。以後、盧溝橋事件、満州事変と暗雲が立ち込める。
続きは是非この本を読んでみてほしい。とにかくわかりやすく昭和が描かれている。戦前戦中戦後を生きた昭和の論客が後世に遺した揺るぎない名著である。

2025年1月25日土曜日

島崎藤村『新生』

2種類の本を読んでいる。今まで読んだことがなかった本と読んだことのある本と。読んでなかった本の方が圧倒的に多い。当然の話だ。最近は昔読んだ本を読みかえすことも増えている。読みかえすと言ってもすっかり忘れてしまっている本の方が多いので再読とは言い難い。新しい本はラジオ番組にゲスト出演した著者の声を聴いて、読んでみようと思うことが多い。
ある程度歳を重ねて、新たに読みたい本もそう多くはない。諦めている本もある。ただ、このくらい読んでおかなくちゃと思う本は少なからずある。去年読んだ大岡昇平『レイテ戦記』もそのうちの一冊だ。振りかえると読んでおけばよかったかなと思う作家も多い。谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか、たぶん読むことはないだろうが、マルセル・プルーストとか。他にもいっぱいいるはずだが、思い出せもしない。ほとんど読まなかった川端康成もここ何年かで少し読むようになった。三島由紀夫も学生時代には読んだが、今はさっぱり読まなくなった。
島崎藤村も読まない作家のひとりだったが、やっぱり日本に生まれたからには読んでおくべきかなと思い立ち、何年か前に『破戒』と『夜明け前』を読んだ。前者は被差別部落出身者が追い詰められていく苦悩の物語であり、後者は時代の移り変わりについていけなくなって精神を蝕まれる男の話。いずれもスケールが大きく、インパクトのある作品だ。ちょっとした狂気を感じとることができる。
主要2作品を読んだので島崎藤村はもういいかなと思っていたが、もう一冊読んでみることにした。この本も常軌を逸している。姪と関係を持ち、妊娠させてしまうのである。そして現実から逃避するように渡仏。兄に手紙でその事実を明かしたのは航海の途中の船の上からだった。もう狂気の沙汰としか思えない。しかも主人公は藤村自身であり、ほぼ事実であるというからさらに驚愕するではないか。
島崎藤村、恐るべき小説家だ。

2025年1月19日日曜日

新美南吉『ごんぎつね でんでんむしのかなしみ―新美南吉傑作選―』

昨年、65歳になり、定年退職を迎えた。
振りかえってみると僕たちが生まれ育った時代はプラスチックと半導体の時代だったのではないかと思えてくる。弁当箱もバケツもプラスチックになった。ペットボトルやレジ袋が普及した。今でこそ環境へ配慮しているが、使い捨てることに罪悪感をあまり感じない時代もあった。プラスチックは自然界で完全に分解されるまで長い年月を要する。適切に回収、廃棄されなかったプラスチックは海ごみと化す。
僕が気がついたとき、トランジスタラジオが普及していた。もう少し上の世代の人たちは真空管でラジオを組み立てていた。1970年代になるとトランジスタやダイオード、さらには回路を集積したICが電子回路の主役になった。真空管でラジオやアンプをつくるにはコイルやトランスなど流通量の少ない部品を探さなくてはならくなっていた。
半導体はさらに集積を重ね、コンピュータの心臓部になり、今や人工知能(AI)技術にも欠かせない。クルマも電気や水素で走る時代になったが、制御系統は半導体化されている。自動運転を支えているのはセンサーと半導体だ。たしかに便利な世の中が技術によってもたらされている。だが、果たしてそれでいいのか、人々は何か大切なものを失っているんじゃないだろうか。便利さという快楽に知らず知らず飲み込まれて気が付いていないだけじゃないだろうか。
以前読んだ『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に「ごんぎつね」で葬式用の料理をつくる描写を「遺体を煮て殺菌消毒する」と読む小学生が多いことが指摘されていた。そんな話をラジオで聴いて、もういちど読んでみようと気持ちになった。
新美南吉は30年に満たない短い生涯のなかで心あたたまる物語を数多く遺してくれた。「花のき村と盗人たち」「おじいさんのランプ」「和太郎さんと牛」「最後の胡弓弾き」などなど。いずれもプラスチックや半導体がなかった時代のお話である。

2025年1月8日水曜日

村上春樹『パン屋再襲撃』

2025年を迎えた。ぼんやりしているうちにもう1週間が過ぎている。
今年は昭和100年にあたるという。とはいえ、昭和のはじまりは12月25日だったから、昭和元年は短く、すぐに昭和2年になった。昭和64年も短かった。
小学校3年の年、1968年は明治100年だった。記念切手も発行されたはず。おそらくそのせいで憶えているのかもしれない。その年、記念式典をはじめとして明治を振りかえる行事が多く行われたように今年は昭和を振りかえる1年になりそうだ。世の中はずいぶん前から昭和レトロブームになっている。昭和の娯楽、映画やテレビ、歌謡曲に注目が集まり、昭和の建築や風俗などにも関心が高まっているようだ。昭和のほぼ真ん中に生まれた僕は半分くらい昭和を堪能したことになる。
1986年に読んだ短編集を再読する。昭和61年だ。村上春樹の長編小説は何度か読み返してみることが多いけれど、短編集の再読はあまりしない。
内容もほぼ憶えていないから新鮮な気持ちで読むことができた。象の飼育係、妹の婚約者らが「渡辺昇」で家出した猫まで「ワタナベ・ノボル」だ(これは主人公の妻の兄の名前からとったという)。村上春樹はどんだけ渡辺昇が好きなんだろう。四十年近く前に読んだときはさほど気にならなかったのに。
渡辺昇という同姓同名の叔父がいた。母は7人きょうだいで姉が3人、兄がひとり、そして妹と弟がいた。その弟が渡辺昇なのである。2014年に他界している。7人もいたきょうだいも今や母ひとりになってしまった。
最後に収められている「ねじまき鳥と火曜日のおんなたち」は後の長編のためのスケッチなのだろう。村上春樹の場合、長編につながる短編小説が少なからずある。「蛍」と『ノルウェイの森』みたいな。
読み終えて、『ねじまき鳥クロニクル』をもう一度読んでみようかと思った。でもやめておく。寒さが続くなか、あの怖い長編を読むのはちょっとねと思うから。

2024年12月31日火曜日

北村匡平『遊びと利他』

小学生の頃、螺旋形の滑り台があった。公園の遊具としては大きなものでどこの公園にもあるというわけではなかった。学区域内の公園にはなかったと思う。
中央の支柱があり、螺旋状に金具が固定されている。その金具が滑り台本体を支えている。高さは3~4メートル。後ろに付いている梯子段で頂上に上り、ぐるぐる回りながら滑り降りる。
高学年になり、この滑り台で鬼ごっこをするのが流行った。4~5人で学区外の公園まで遠征する。ルールはない。滑り台を下から上に上ったり、梯子段を降りたり、梯子段から滑り台に移ることができる場所もあった。滑り台を支える金具を伝って移動することもできた。地上に降りることもできたが、その遊具を離れて遠くに逃げるのは反則だった。誰が考えたか知らないが、スリリングな遊びだった。
今、公園に危険な遊具はなくなっている。回転塔とか箱型ブランコなど。自治体の管理が優先されているからだ。それらに代わって複合遊具が主流になっている。
ロープを使って斜面を登り、櫓の上に行きなさい、できない子は横にある梯子段で登りましょう、上に着いたらすべり台で降りるか、吊り橋を渡って反対側の櫓に行きましょう、といった具合に子どもたちの遊びがマニュアル化されている。ルールが画一化されていて動きが少ない。ちょっと遊んだらすぐに飽きる。著者北村匡平はこれを「余白」の縮減した遊具と規定する。
たとえば斜面だけの遊具が紹介されている。斜面を上って滑り台にする。子どもは滑り台を逆から上るのが好きなのだ。滑り方も頭から滑り降りたり、転がりながらと多種多様な遊び方を子どもたちは発見し、挑戦する。その斜面には柵がない。多少の危険は伴うがそうしたことを通じて子どもたちは自らの限界を知り、危険を体得するという。
この本のテーマとなっている「利他」という概念はわかりにくい。わかりにくいが、読んでいると何となくわかってくる。不思議な一冊だ。

2024年12月25日水曜日

奥窪優木『転売ヤー 闇の経済学』

近衛文麿邸であった荻外荘が復元され、今月から一般公開されている。善福寺川の河岸段丘に建つ木造の邸宅。以前軽井沢で見た別荘はモダンな洋風建築だったが、荻外荘は日本家屋。大きなお屋敷といった感じだ。1940年7月に松岡洋右、吉田圭吾、東条英機と戦争路線の方針を決めたという荻窪会談が行われた部屋も復元されている。
格差社会と言われている。富裕層と貧困層が両極に分かれて、それぞれ前に進んでいる。
かつて寝台特急列車があった(今でもあるが)。時間を惜しむビジネスマンにとって飛行機より朝はやく目的地に到着できる交通手段として一世を風靡した。今となっては金銭的時間的な贅沢品と化している。三泊四日の寝台列車の旅は百万円を超える。それでも需要があるのだから吃驚する。
国産の高級ウイスキーもものすごく高額だ。お金を持っている人が少なからずいて、庶民には考えられないような消費を行う。信じ難い。富裕層に限らず、つましい生活を送りながらもここぞというところには惜しみなくお金を使う人がいると聞く。
転売ヤーという人たちがいることは何となく知っていた。この本を読むことで少し具体的にイメージすることができた。商売の基本は安く仕入れて高く売る。つまり利ざやをどう確保するかの世界だ。彼らの多くは定価で買う。バザーなどで仕入れる例もあるが、ゲーム機のPS5やTDRの限定グッズなどは需要と供給の関係で利ざやが生まれる。百貨店の外商から高級ウイスキーを仕入れて転売する。そんなことで生計を立てる輩もいる。
何だかなと思う。真面目に働いて、生活費を稼いで、みたいな図式はもはやなくなったのだろうか。転売は合法なのだろうか。転売で得た収入が課税されるとは思えない。
今、これからの日本を支える新たな産業の創出が議論されているというのに、日本は(中国も)転売立国になってしまっていいのか。転売そのものより、劣化した社会の方が心配だ。

2024年12月13日金曜日

鷹匠裕『聖火の熱源』

8月頃、フェイスブックで著者自ら、新しい本が出るのでよろしくみたいなポストがあり、さっそく購入した。すぐに読みはじめたかったのだが『レイテ戦記』を読むのに手間取っていたこともあり、なかなか頁を開くことができないでいた。
鷹匠裕の作品は『帝王の誤算』『ハヤブサの血統』に次いで3作目になる。
著者は大手広告会社の制作局に在籍していた。その頃何度か仕事をしている。彼はディレクター的な立ち位置で僕らは具体的なCMの企画を描いて持ち寄った。鷹匠は(すでにそんな年齢でもなかったのだろう)絵コンテを描いたり、コピーを書いたりすることはなかった。彼の表現に接することがなかったので後に小説を書いたと聞いて、どんな文章を書く人なのだろうと興味を覚えた。
清水義範の長編に『イマジン』という小説がある。パスティーシュの名手として知られた清水のSF作品なのだが、奇想天外な結末に驚いた記憶がある。鷹匠裕の新作はそれに匹敵するくらい奇想天外だ。誰がこんなことを考えるんだと思っているうちにストーリーはどんどん展開していく。気がつくと読み終わっている。
この作品は前々回の2020東京五輪に対する痛烈な批判になっている。広告会社が主導する商業的なイベントからアスリートのための本来の姿のオリンピックを取り戻す戦いの物語である。理想の五輪をめざす主人公らの組織はややもすれば青臭いところがある。さまざまな抵抗を受けながらも理想を形にしていく上でITやソーシャルネットワークをフル活用する。ちょっとした近未来小説でもある。その辺りは奇想天外では決してなく、おそらくは2028ロス五輪では現実のものとなるのではないかと期待できる技術だと思う。
巨大で複雑なオリンピックのしくみや裏側はもちろんのこと、最新のテクノロジーに至るまで鷹匠は丁寧に取材を重ねたに違いない。結果として地に足の着いた夢物語を結実させた。渾身の一冊であるといえよう。

2024年12月4日水曜日

将基面貴巳『従順さのどこがいけないのか』

荻窪の大田黒公園に紅葉を見に行った。
大田黒公園は音楽評論家大田黒元雄の住まいを整備して公園にしたものだ。近くには角川庭園(角川書店を創立した角川源義の自邸)やまもなく公開される荻外荘(近衛文麿邸)もある。杉並の、ちょっとした文教地区である。とりわけ大田黒公園はこの時期、紅葉をライトアップする。寒くなるなか、来訪者も多い。園内にある池に映る紅葉が素晴らしい。
杉並区今川の観泉寺にも行ってみた。観泉寺は曹洞宗の寺である。区の広報誌に紹介されていたこともあり、訪れている人も少なくない。銀杏の黄色が鮮やかだった。
それでも東京の紅葉は力強さに欠けるように思う。ひ弱な感じがしてならない。そもそも紅葉は12月じゃないだろうし。これも地球温暖化のひとつかもしれない。東京という地理的条件もあるだろう。どうも目に鮮やかな紅葉とは必ずしも言いがたいところがある。贅沢といえば贅沢なのかもしれないが。
将基面貴巳(しょうぎめんたかしと読むらしい)の『従順さのどこがいけないのか』を読む。ちくまプリマー新書には中高生向けに編まれた教養体系という色合いを感じる。とはいえ、若年層向けだからといって軽く見てはいけない。以前読んだ菅野仁著『友だち幻想』などはこの新書のなかでも屈指の名著であると記憶している。本書もそれとに勝るとも劣らない一冊である。
何も考えを持たずに従順であること、服従することに対して著者は警鐘を鳴らす。歴史から、哲学から具体的な引用をする。文学や映画作品もそこに含まれる。読書経験も映画経験も乏しい僕ではあるが、読んだこともない見たこともない事例の数々に興味がそそられる。著者のこだわりなのか、編集者のリードがそうさせるのかはわからないけれど、巧みに青少年を世の中に導いていく。
少子化だとか人口減少が取り沙汰される今の社会であるが、こういった本が上梓されることに少しだけほっとしている。

2024年11月30日土曜日

大岡昇平『レイテ戦記』

毎年8月になると戦争に関する本を読もうと思う。必ずしも毎年読んでいるわけではないけれど。今年は思い立って『レイテ戦記』を読むことにした。
大叔父はルソン島で戦死している。そういうこともあって、フィリピンの戦闘に関しては興味があった。大岡の作品では『俘虜記』『野火』を読んでいたこともあって、いつかは読んでみたい作品だった。ところがなかなか読みすすめることができない。小説というより、文字通り戦記なのである。
大岡は膨大な資料を読み解き、時間軸に沿って、また場所ごとに日本軍と米軍の動きを整理した。自身もフィリピンに赴いていた。ミンドロ島で生死の境をさまよい、俘虜となった経験もある。その戦いを明らかにしたい気持ちも強かったに違いない。そこに著者の感情や情緒的な描写はほとんどない。あたかも従軍記者のような淡々とした記述に終止している。
そのことが読みすすめ難かった理由のすべてではない。地図と照合しながら米軍、友軍の動きを追わなければならない。地名もはじめのうちはなかなか覚えられなかった。そもそもが二〜三週間で読み終えられる作品ではなかったということだ。難儀したけれど、むしろこういう本を遺してくれたことを著者に感謝したいくらいだ。
レイテ島では1944年12月に主だった戦闘はなくなり、以後はセブ島への転進作戦に移行する。脱出できたのはごくわずかだった。
アメリカ軍はその後ルソン島に上陸、45年3月にはマニラを奪還。日本軍は山岳地帯のバギオに転進し、反撃を試みる。そしてバレテ峠などで武器弾薬はもちろん食糧の乏しいなか抵抗するが、6月にはほぼ鎮圧される。大叔父の戸籍には「昭和二十年六月三十日ルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」とのみ記されている。斬り込みで殺されたのか、自決したのか、ゲリラに襲われたのか、あるいは病に倒れたのか、餓死したのか。本当のことは何もわからないままである。

2024年11月26日火曜日

スティーヴン・キング、ピーター・ストラウブ『タリスマン』

今月、定年退職を迎えた。退職に伴う諸々の手続きを済ませ、会社に残してきた荷物を整理した。映像制作を生業としてきた関係でキャビネットのなかは絵コンテなど紙資料とビデオテープがほとんどである。かつてフィルムの時代もあった。作品集と称する十六ミリのリールも持っていた時代もある。どの制作会社にも映写機があった。
映像制作の現場にPCが導入され、普及していったのは1980年代の終わり頃だったと思う。15秒の映像をデータにして電話回線で送るなんて(理論的には可能だったろうが)現実的ではなかった。それだけの容量を格納できる記憶媒体もしかり。
今、プレビューのためのメディアはビデオテープではなくなった。ハードディスクなどの記憶媒体が使われる。データはネットワークで流通する。紙資料にしても同様。デジタルの時代、すべてはデータ化され、カタチもなければ重さもない。
会社に置いてあったテープ類、紙類は処分してもらうことにした。テープの中身はすべてではないが、以前データ化してもらっている。紙資料もあらかたPDF化している。持ち帰るものは何もない。もちろん持ち帰ったところで再生する術もない(そしてもう一度見でみようとはおそらく思うまい)。
ふりかえって見ると僕は人生の大半をカタチも重さも手ざわりも、当然のことながらにおいもないものをつくるために費やされてきたのだ、結果的に。そう思うと少し寂しい。
スティーブン・キングをよく読んだ時期があった。『スタンド・バイ・ミー』『キャリー』『シャイニング』『クリスティーン』など。1990年代半ばくらいだったろうか。そのなかでもお気に入りがこの本だった。
リアルな世界とダークな世界を行き来しながら旅をする少年の物語である。この本はピーター・ストラウブとの共著(マッキントッシュのデータをやりとりしていたと聞いている)であるが、キングの作品をもう一度読むなら断然この作品だ。


2024年11月19日火曜日

森村誠一『人間の証明』

子どもの頃はよく映画を観た。月島のおばちゃん(母の叔母)に連れていってもらった築地の松竹でガメラを観たし、大井町にも映画館がいくつかあった。映画は僕らの世代でも身近な娯楽だった。
中学生、高校生になって映画は観なくなった。この時期は本も読まなくなったし、当時何をしていたか思い出せないけれど、娯楽のない毎日を過ごしていた。
高校時代、唯一観てみたいなと思った映画がある。「人間の証明」である。テレビコマーシャルで大々的に宣伝され、話題作となった。テーマ曲もヒットした。いわゆる角川映画の嚆矢ともいえる作品である。そんな宣伝文句に惹かれて久しぶりに映画を観に行こうと思ったのだ。監督は佐藤純彌、脚本は松山善三。もちろん彼らがすごいスタッフだと知ったのはずっと後のことだけれど、これまでにないスケールの大きな映画という印象を受けた。
映画が公開されたのがたしか1977年。大学受験を控えた高校3年生だった。原作はそれより前に出たのではないか。僕は角川文庫で読んだ。まず本で読むというのは昔からの悪い癖で野球の本や剣道の本、卓球の本など新しいスポーツに興味を持つとまず指南書のような書物に頼ってしまうのである。こういう頭でっかちはたいてい上達なんぞしない。
そういえば作者の森村誠一は昨年亡くなった。没後一年ということで縁のある町田市の市民文学館で森村誠一展が開催されているというニュースが流れていた。行ってみたい気もするが、『人間の証明』しか読んだことのない薄い読者としては敷居が高い。むしろ三鷹市に今年できた吉村昭書斎に行ってみたい。こっちはそれほど敷居が高くない。
『人間の証明』を読んだ記憶はあるが、中身はさほど憶えていない。映画も結局ロードショーで観ることはなく、ずっと後になってテレビで観た。そこでああ、こんなお話だったんだっけと思い出したのである。
母さん、僕のあの記憶どうしたでせうね?

2024年10月30日水曜日

家永三郎『太平洋戦争』

暑い10月だった。
それももう終わろうとする頃になって、ようやく気温が下がってきた。それでも南の海上では台風が発生し、少しずつ日本列島に向かっている。
先日総選挙が行われた。大方の予想通り、与党の大敗。過半数を割った。裏金問題を収支報告書不記載問題と言い換えたりしてるんだから勝てるはずもない。自民党ではペナルティとして非公認や比例代表との重複を認めないなどしていた。裏金をつくった議員が多く落選していた。非公認ながら当選した人もいる。どうなんだろう。起訴されなかったとはいえ、政治生命は終わっているはず。おそらく今後政治家を続けたとしても大きな汚点を残した議員たちは要職には付けないだろう。大方の民意が拒否したのに当選させた地元っていうのもなんだか恥ずかしい気がする。
家永三郎の名は高校生のときから知っていた。当時教科書裁判所という訴訟が争われていたからだ。しかも氏は高校の大先輩にあたる人でだった。
教科書裁判について詳しいことは知らないが、1962年の教科書検定で家永らが執筆した日本史の教科書が不合格となったことが発端であるらしい。たしか戦争の記述に関することだったと聞いたことがある。
大学2年の夏休みだったか、書店でこの本を見つけた。日本史は好きな科目ではあったが、近現代史は不勉強なこともあり、手に取ってみたのである。へえ、そういうことだったのかとただただ感心しながら読んだ記憶がある。この本が上梓されたのは1968年。戦争が終わって23年後にはこのような考察がなされていたのである。その後史料も増え、より精度の高い著作も生まれたかもしれないが、僕にはじゅうぶん過ぎる内容だった。
大学生になって少しは専門的な本を読むようになった。おそらくこの本が最初だったと思う。読み終わったとき、俺は家永三郎の『太平洋戦争』を読んだぞ、という自信が沸いたことを今でもしっかり憶えている。本の中身はさておいて。

2024年10月27日日曜日

梶井基次郎『檸檬』

昔(少なくとも僕の10代から20代前半の頃)と比べると都内にも新しい駅がつくられ、新しい駅名が付けられている。浮間舟渡のようなふたつの地名が合成された駅名もあれば、天王洲アイルという意味不明な駅名もある。天王州でよかったんじゃないか?アイルを付けることで企業誘致にひと役買ったのだろうか。
東京メトロ東西線の九段下駅は東西線が高田馬場から延伸した1964(昭和39)年に開業している。これだって九段でよかったんじゃないかと思う。どうしてわざわざ「下」を付けたのだろう。
九段下駅は靖国通りを横切って南北に走る目白通りに沿ってある。日本橋川とほぼ平行している。昔は日本橋川を東に渡れば、神田区だった。九段下は麹町区にありながら、その縁に沿っており、だから九段ではなく九段下が相応しいと考えられたのかもしれない。だったら神楽坂駅は神楽坂上じゃないのか?
九段下駅を降りて、靖国通りを西進すると右に靖国神社、左に北の丸公園がある。通勤通学で利用する人以外はおそらくこのどちらかに向かう可能性が高い。公園内にある日本武道館でコンサートなどイベントがあると田安門の辺りにまるで桜が満開を迎えたみたいに大勢の人でごった返す。このようなたまにしかこの駅を訪れることがない人に駅を降りたら坂道がありますよ、平坦な道ではないですよと乗客にわかりやすく暗示するための「下」なのかもしれない。
坂の上には僕が通った高校がある。大して思い出はないのだが、夏休みか何かの課題で梶井基次郎の『檸檬』を読んで感想を書けという。あまり読書する習慣のなかった僕には辛い課題だった。多分、表題作の「檸檬」と他のいくつかの短編を読んでお茶を濁したような気がする。梶井基次郎のファンだという同級生がいて、どんな話なのかと訊いてみたが、そいつの話もよくわからなかった。
ときどき九段下駅で降りて、あの坂道を登ると昔のことを思い出す。

2024年10月20日日曜日

井上靖『楊貴妃伝』

日曜日が祝日だと月曜が振替休日になる。よって、土日月と三連休になることが多い。9月に二度あり、10月に一度あった。11月にもある。
今月の三連休は用事があって軽井沢に出かけた。連休ということで人が多く、店も道路も混んでいた。
用事を済ませ、新幹線の自由席に乗ったが、空席がない。嫌になっちゃったので高崎で降りることにした。降りたところで行く当てもない。とりあえず改札を抜けると上信電鉄乗り場という案内が出ている。高崎から下仁田までの単線の私鉄である。途中上州富岡駅から徒歩で富岡製糸場に行けると案内に書かれている。単線のローカル鉄道はのどかでいい。コインロッカーに荷物を預け、一日乗り放題切符を買って、次に発車する電車を待つ。
調べてみると木造駅舎の駅があるようだ。上州一ノ宮駅と上州福島駅。このふた駅で下車し、写真を撮るなどして過ごす。というかそれ以外にすることもない。
上信電鉄の「信」は信州のことだが、この路線は長野県に通じていない。終点の下仁田から峠を越えて、今のJR小海線の駅につなぐ計画があり、社名を上野(こうずけ)鉄道から上信電気鉄道に変更したそうだ。
中学高校時代はほとんど本を読まなかった。夏休みの宿題で読まされることはあったが。ただ記憶しているのは井上靖の本を何冊か読んだことだ。おそらく中学のと『しろばんば』『夏草冬濤』を読んでいて著者に親しみを持っていたのだろう。中国の歴史にも多少興味があった。この本を読む前後に『天平の甍』『蒼き狼』あたりを読んでいたのかもしれない。いずれまた読みかえしてみたい。
高校時代は現代国語も古文もさっぱりだったが、漢文だけは好きだった。『楊貴妃伝』のおかげかもしれない。
新幹線がまだなかった頃、高崎から軽井沢へは横川経由だった。今では新幹線であっという間だ。下仁田から峠を越えて佐久、小諸に向かうルートで軽井沢に行けたらさぞ楽しい旅になったろうと思う。

2024年9月20日金曜日

クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』

9月も半ばを過ぎたというのに猛暑が続いている。さすがに朝晩は凌ぎやすくなったというものの湿度は高く、涼しさも生温い。暑さ寒さも彼岸までと昔の人は言ったものだが、もう少し夏が続きそうである。
近年の傾向として、春から急激に真夏になり、夏から短い秋を経て冬が訪れる。陽気のいい春と秋が極端に短く感じられる。日本という国家の将来も心配だが、日本の気候も同様に悩みの種である。
1980年頃から構造主義という学術思想のジャンルを耳にするようになる。僕がわからないなりに構造主義に関心を持ったのは82年に『野生の思考』を読んでからだ。どうしてその本を手にとったのか、当時のことはまったく憶えていない。テレビかラジオでその存在を知ったのだろうか。
それまで学んだことは西洋の思想であり、文学であり、科学であった。あくまで西洋文明が前提となっていた。非西洋であるアジア、アフリカ、南アメリカ、オセアニアに文明があるとは信じられていなかった。そうではない、非西洋にも西洋と同じものの考え方や風習、制度があるということを示してくれたのが構造主義だった(と、おそらくその程度の理解しか持っていなのだが)。
今の世の中は弱者に手厚い。女性や子ども、障がい者たち、近年では性的少数者にも光を当てている。こうした一面的なものの見方を克服してきた背景には構造主義的な考えがあるのではないだろうかとひとり勝手に思っている。
『野生の思考』以後、構造主義入門であるとか構造主義とは何かといったタイトルの本を何冊か読んでみた。深い理解は得られなかった。そんな流れでクロード・レヴィ=ストロースのもうひとつの大作『悲しき熱帯』に出会った。
これは文化人類学や構造主義の専門的な本ではなく、著者がブラジルを旅した紀行文である。気楽に読めて、未開文明に対する興味が自然に湧いてくる。レヴィ=ストロースの懐の深さが感じられる一冊である。

2024年9月10日火曜日

江國香織『読んでばっか』

たしか6月だったと思う。昼間聴いていたラジオ番組のゲストが江國香織で新作の自著を紹介していた。読書論あるいは読書日記的な本なのだろうと思い、興味を持った。区の図書館で予約する。
江國香織は30年ほど前によく読んだ作家のひとりだ。当時は川上弘美や角田光代の作品も好んで読んでいた。江國の綴る文章の美しさにはとりわけ魅せられたものだ。
8月の半ばを過ぎて、ようやく貸出の用意ができましたとメールをもらう。2ヶ月待った。やはり話題の本なのだ。
ところがどうだろう。目次を追っても、所々目を通してもあまり楽しくない。僕が読んだ本が少ないのである。読んだことのない本の感想などあまり読みたくはない。もちろん読みたく思わないのはこちらの都合で著者の圧倒的な読書の量と質についていけないのである。そうこうするうちに返却期日が近づいてきた。佐野洋子のところだけ読んで、返しにいった。
手にした本を必ず読んでいるわけではない。買ってはみたものの読まなかった(読めなかった?)本はいくらでもある。代表的なのはマーシャル・マクルーハンの『メディア論』だ。たぶん公私ともに忙しかった30代の頃だろう。広告に携わる者としてマクルーハンくらい読まなくちゃみたいな風潮が当時あった。あったかどうかはわからないが、自分自身のなかにそんな風潮があった。あったというより勝手につくっていた。読みはじめて数十頁で読めなくなる。しばらくそのまま放置する。1~2年経ってもういちど最初から読んでみる。やはり数十頁で読めなくなる。放置する。こんなこと何回か繰り返していた(何回かも覚えていない)。この本はたぶん書棚のどこかに眠っているはずだ。そろそろ最後のトライをしてみてもいいかも。
そもそもこのブログは本を読んで感じたこと考えたことを今の生活や思い出などと照らし合わせて好き勝手に綴っている。読まなかった本について何かを書くのははじめてのことだ。

2024年9月1日日曜日

ジャン=ジャック・ルソー『新エロイーズ』

8月はあっという間に過ぎ去っていった(今年の8月に限ったことではないけれど)。
別段、何かしていたわけでもない。この暑さのなか迂闊に外出はしないよう気をつけていた。母が入院していた病院に支払いに行った。南房総に墓参りに行った。図書館まで予約した本を借りに行き、返却に行った。母が退院するので手続きに行った。郵便局と銀行を何度か往復した。少し仕事もした。それくらい。後はオリンピックを見て、高校野球を見て、MLBを見て、じっとして動かない台風10号を見て、要するにテレビを視ているいるうちに8月が終わってしまったのだ。
それにしても今年の甲子園は接戦が多く、ジャイアントキリングが何試合かあってずいぶん楽しめた。霞ヶ浦、小松大谷、大社が印象に残る。来月以降もとっとと過ぎ去ってはやいとこ甲子園がはじまらないかとさえ思う。
ジャン=ジャック・ルソーの『新エロイーズ』を読んだのは大学3年生のときだ。卒業論文はルソーについて書こうと朧気ながら考えていて、すでに何度か読んでいた『エミール』以外の作品を読んでおこうと思ったのかもしれない。
ルソーというと『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』などやや小難しい著作もあるが、『新エロイーズ』は書簡体の恋愛小説である。高貴な女性と貧しい男性との恋はスタンダールの『赤と黒』を思い出させるが、当時の読書記録によるとスタンダールを読んだ直後に『新エロイーズ』を読んでいる。立て続けに読んだので印象がごっちゃになっている。
ルソーの本をもう一度読んでみるならこの本だろうと思う。手もとに岩波文庫が4冊ある。しかしながら頁をめくった途端にその字の小ささに気が遠くなるのである。当時の僕にはこれくらいの大きさの文字が苦も無く読めたのだ。
21歳の8月は今よりもっと時間がゆっくり流れていたに違いない。暇で暇でたいしてすることもなかったという点は今も昔も変わらないとして。

2024年8月25日日曜日

三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』

お盆。南房総の父の実家に一晩泊まり、墓参りに行く。
朝はやく出かければ日帰りもできるだろうが、慌ただしいのでのんびり東京を出て、その日は父の墓に行き、翌日は隣集落の母方の祖父母伯父伯母の眠る墓所を訪ねる。従兄弟の家をまわり、線香をあげる。
つい何年か前まで房州は昼間はそれなりに暑いけれど日が翳るといい風が吹いて凌ぎやすくなったものだ。窓を開け放つと夜もなんとか眠れる。はずだった。このところの猛暑は情け容赦なく南房総の海辺の町にも襲いかかる。夕食を済ませ、することもないのではやめに寝るとする。ところがこれが眠れない。開け放した窓からほとんど風が入ってこない。扇風機の風を浴びながら何度も寝返りを打つ。夜中にも熱中症になる人が多いと聞く。ときどき起き上がって水を飲む。納戸からもう一台扇風機を出す。
ラジオでも聴こうかとスマホに手を伸ばす。昼間聴きそびれた番組を聴く。それでも眠りは訪れない。ユーチューブで落語を聴く。ときどき水を飲む。とうとうペットボトル2本の水がなくなる。近くの自販機まで買いに行く。時計を見ると午前四時だ。じきに夜が明ける。
先日読み終えたこの本を思い出した。三遊亭圓朝の噺を速記で読みものにしたものだ。録音も録画もない時代に噺を速記で書き留めておく、それだけで圓朝の偉大さがわかる。
ユーチューブには六代目三遊亭圓生の『真景累ヶ淵』がアップされている。たしか三まで聴いている(一から八まである)。四を聴こうかと思ったがやめた。さらに眠れなくなりそうな気がしたから。
結局明るくなるまで起きていた。五時を過ぎていたと思う。白々と夜が明けて来ていた。目が覚めたのは七時過ぎ。少しは眠ったのだろう。
朝食を済ませ、布団をたたみ、夜中に出した扇風機をしまいに行く。納戸には以前叔母が持ってきてくれたポータブルクーラーがあった。昨日のうちに気がついていれば、もう少し快適な夜だったのに。

2024年8月18日日曜日

三遊亭圓生『浮世に言い忘れたこと』

夏休みになってしばらくすると南房総乙浜から祖父が上京する。ひと晩泊って、翌日、姉と僕を連れて祖父は帰る。両国駅発の列車に乗って。
小学校に上がった頃から、あるいは就学前からだったかもしれないが、僕は白浜の父の実家で夏を過した。最初の記憶が1966(昭和41)年だったとすると当時、房総東線(今の内房線)は電化されておらず、C57という蒸気機関車が列車を牽引していたはず。もちろんその頃は鉄道に興味はなく、もったいないことをしたと思う。僕が一年生のとき、1904(明治37)年生まれの祖父は62歳だった。いつの間にか当時の祖父の年齢を超えてしまっている。祖父はいつも両国駅で冷凍みかんを買ってくれた。今でも両国駅に行くと甘くて酸っぱくて冷たいみかんを思い出す。
昔は上野駅が東北、上信越方面の玄関であり、東京駅は関西以西九州方面の玄関、新宿駅は甲州信州の玄関だった。同様に千葉方面の玄関口は両国駅だった。東京は行先のよって駅が異なるパリみたいだった。今はあらゆる列車が東京駅を起点としている。ちょっと味気ない。
この本では晩年の圓生が若き日々を振りかえる。落語のこと、寄席のこと、芸のこと。暮らしのことや、食べもののこと、着物のことなど衣食住に関しても話している。食い道楽、着道楽だったことなども伺える。今はこうだが、昔はこうだったみたいな話は年寄りくさくもあるが、明治大正昭和を知る噺家ならではの話題で持ちきりである。
圓生は1900(明治33)年生まれ。祖父と同世代である。祖父は若い頃はお洒落な人だったと聞いたことがある。いい着物や洋服を何着も持っていたという。日本では大正時代から昭和の初期にかけて、生活様式が洋風化し、大衆文化が発展する。時代的には圓生や祖父たちの青春時代と重なる。都会と地方では格差は当然あっただろうが、祖父も多少は都会の流行に接する機会があったのかもしれない。

2024年8月11日日曜日

川端康成『親友』

日本人は惜敗を賞賛する。もちろん懸命に闘った敗者を称えることは悪いことではない。ただ手放しで称えることは如何なものか。
オリンピックの卓球。男子シングルス準々決勝では張本智和が中国の樊振東を最後逆転されたものの追い詰めた。女子団体のダブルスもあと一歩のところで逆転された。スポーツ報道は例によって健闘を称える。2月に行われた世界選手権団体では女子は先に王手をかけたが逆転負け。このときも日本と中国は実力が伯仲してきたなどと報道された。
スポーツ競技で本来目指すべきは勝利ではないのか。もちろん大きく見れば人間的に成長させるという視点も大切だろうが、大きな大会にのぞむにあたり、やはり目標が設定される。卓球でいえば、中国を倒して金メダルということになるだろう。それをオリンピックの度に、世界選手権の度に日本は苦杯を舐めてきた。目標が完遂できなかったからには反省があり、勝利するために強化すべきポイントを掲げ、そのために練習方法を改善する必要があるはずだ。当然相手選手の研究も。どこをどう強化すれば中国卓球に勝てるのか。報道が伝えるべきは、今終わった試合の敗者を称えるだけでなく、相手のどこを攻めればよかったのか、なぜそれができなかったのか、できるようになるにはどのような練習が必要なのか、ではないか。
卓球の大きな大会がある度に日本じゅうが盛り上がり、勝ち進むことで期待が高まり、最終決戦を迎える。ここで王者に悉く敗れる。こんなことをいつまで繰り返しているのだろう。
実況中継で解説者が言う。中国選手は中国製の回転のかかりやすいラバーを使っていると。ならば日本選手だって同じラバーを使えばいいじゃないか。大人の都合で日本選手は日本製のラバーを使わなくちゃいけないとするならば、まず正すべきは「大人の都合」だ。
川端康成の『親友』を読む。少女雑誌に連載されていたという。川端には思いのほかこうした作品が多い。

2024年8月2日金曜日

柳田國男『こども風土記』

子どもの頃、馬乗りという遊びをよくした。主に男の子の遊びで冬場にすることが多かった。
どんな遊びかというと(文章で説明するのは大変難しいのだが)だいたい10人前後がふた組にわかれる。馬側と乗り側である。馬側はまずひとり、壁を背にして立つ。残りは馬になる。先頭の馬は腰を折って、立っている子の股間に頭を突っ込む。馬は足を肩幅くらいにひろげる。二番目の馬はやはり腰を折り曲げて、一番目の馬の股間に頭を入れる。そうやって例えば1チーム5人なら4人の馬が連なる。
乗り手は助走をつけて、跳び箱を飛ぶような感じで馬に飛び乗る。5人が乗ったら先頭の乗り手と壁を背にした子がじゃんけんをし、勝った方が乗り手になる。もちろんじゃんけんで決着するのは順当に5人の乗り手が馬に乗れた場合であって、馬の上でバランスを崩してしまう乗り手もいれば、飛び乗ったとき勢い余って横に落ちてしまう乗り手もいる。これは「オッコチ」と呼ばれ、誰かがオッコチした場合、攻守が入れ替わる。また身体の小さい弱そうな子の上に全員が重なるように乗るなどして馬をつぶしてしまうこともある。これは「オッツブレ」と呼ばれ、乗り手側は次も乗り手として遊びを継続する。
なんでこんなことを思い出したかというと、この本に紹介されている「鹿鹿角何本」という広く伝わった子どもの遊びの延長線上に馬乗りという遊びがあるらしいとわかったからだ(馬乗りは地方によっては胴乗りとも呼ばれていたらしい)。昔は乗り手が馬に乗ると指を何本か馬の背に突き当てて鹿鹿角何本と言ったそうだが、僕は知らない。
馬乗りをしていたのは小学生の頃だ。1960年代の後半から70年代のはじめくらい。その後は小学生ではなくなったので、後輩にあたる小学生たちが馬乗りを連綿と受け継いでいったのかどうかは知らない。
馬乗りはまだ子どもたちの間で行われているのだろうか。馬乗りはどこへ行ってしまったのだろうか。

2024年7月29日月曜日

笹山敬輔『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』

毎週土曜日は文化放送の「伊東四郎 吉田照美 親父・熱愛(おやじパッション)」を聴いている。
驚かされるのは伊東四朗の記憶力だ。子どもの頃歌った歌や往年のヒット曲を口ずさんだり、共演した俳優との思い出話をはじめ、ありとあらゆることを記憶している。台詞を憶えるのが役者としての最低限の仕事と心得ていて、常日頃から記憶力を鍛錬しているともいう。円周率は1000桁まで諳んじていて、楽屋などで時間があれば呟いているそうだ。歴代の天皇、アメリカの州などもすいすいと口から出てくるらしい。
御歳87歳。来年は米寿を迎える。喜劇の世界はもちろん、現役で活躍する芸能人としても貴重な存在であるが、その脳内に演劇人としての膨大な経験やデータが蓄積されている。伊東四朗にインタビューして、東京喜劇の今昔を解き明かそうとした著者のねらいは正しかった。
伊東四朗は俳優としてじゅうぶん過ぎるほどのベテランであるが、伊東四朗といえば〇〇といった代表的なキャラクターはない。渥美清や森光子、高倉健のような代表作がない。人によってはベンジャミン伊東だ、おしんの父親だと思うかもしれないが、どうにも絞りきれない。もちろん主役の人ではない。いい脇といった役どころが多い。喪黒福造のように主役を張ったところで長くは続けない。ひとつの役にしがみつく野暮さがない。東京の喜劇人なのだ。
僕にとって伊東四朗はてんぷくトリオの伊東四朗だ。押し出しの強い三波伸介と戸塚睦夫の間でひっそりと存在感を示していた。著者の笹山敬輔は1970年代のてんぷくトリオもベンジャミン伊東も知らない。にもかかわらず、伊東の若き日を見事に描き出している。同じ著者の『ドリフターズとその時代』を以前読んだことがある。丁寧な取材をベースにテレビや演芸の、著者自身が体験できなかった歴史を解き明かす。
この本は先のラジオ番組で知った。難しそうな印象だったが、そんなことはなかった。

2024年7月23日火曜日

安西水丸『一フランの月』

安西水丸の書いた本のなかで断然好きなのが『手のひらのトークン』である。
電通を退社した安西は1970年にニューヨークに渡る。グラフィックデザインの仕事を見つけ、71年春までニューヨークで暮らした。安西水丸はまだ渡辺昇だった。『トークン』にはその一年の日々が描かれている。あとがきには90パーセント本当の話と記されている。妻を呼び寄せ、リバーサイドドライブに住み、後にアッパーイーストのアパートに引っ越した。休日には美術館を巡り、イーストリバー沿いの公園を散策した。そんな日々である。そして就労ビザを取得するために手を尽くしたものの翌年の春、ニューヨークを後にせざるを得なくなった。
帰国する際、安西はヨーロッパを周遊する。パリやアムステルダムに立ち寄り、書物でしか知らなかった西洋美術に接する。未完の小説『一フランの月』はこのヨーロッパの旅が舞台になっている。そうした意味ではこの本は『トークン』の続編といえる。
安西水丸はどんな思いから続きを書こうと思ったのだろう。すでに長い時間が経っている。未完とはいえ、実際に読んでみるとありのままの日々を描いた『トークン』にくらべると創作的な要素が多い。主人公の「ぼく」もニューヨーク時代の無垢な安西水丸=渡辺昇にくらべると少し大人になっているように思える。
帰国後、安西は縁あってエディトリアルデザイナーとして平凡社に勤務する。雑誌「太陽」の編集部で嵐山光三郎とコンビを組む。嵐山の伝手もあって、安西はイラストレーターの道を歩きはじめる。渡辺昇は安西水丸になった。
幼少の頃から絵を描く人を夢みていたニューヨーク時代の渡辺昇。ヨーロッパの旅を通じ、西洋美術に刺激され、(どちらかといえばぼんやりした憧れだったイラストレーターをめざそうと決意する。安西水丸はイラストレーターへの道に突き進むきっかけとなった日々をもういちど書き留めておこうと思ったのかもしれない。

2024年7月18日木曜日

村上春樹『レキシントンの幽霊』

叔父は七月生まれ。というわけで東京のお盆の時期に墓参りをすることが多い。墓所は青山にあり、墓参りを終えるとカレーライスを食べる。叔父はカレーライスが好物だった。
南青山のギャラリースペースユイで安西水丸Green展が開催されている。墓に行く前に立ち寄る。以前はシルクスクリーンの作品だけだったが、最近はジークレーと呼ばれる新たなプリント方法があるようだ。絵画の世界もデジタルの波が押し寄せている。僕は色鮮やかなジークレーより少しマットで奥ゆかしいシルクスクリーンが好きなのだが。
『レキシントンの幽霊』を久しぶりに読む。
先日『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んで、そのなかの「めくらやなぎと眠る女」のショートバージョンがこの短編集に収められていたことを思い出したのである(『レキシントンの幽霊』では「めくらやなぎと、眠る女」となっている)。それ以外にもミステリアスで興味深い作品が多い。作者自身があえてミステリアスにしたわけでもあるまい。短編小説の特性として、ストーリーの展開や描写は凝縮される。結果的に読者にとっての不思議さ、不可解さも色濃く印象に残る。仮に「氷男」や「トニー滝谷」が長編であったとしたら、その印象は緩やかに、時間をかけて読者に浸透していったのではないかと思う。
「トニー滝谷」は映画化された。公開は2005年前後だったか。滝谷役はイッセー尾形だった。妻役とアルバイト役の女性は宮沢りえが二役を演じた。どちらかといえば、村上春樹の映画化作品というより、市川準監督作品として観た。映画の細かい部分は憶えていない。機会があればもういちど観たい。
墓参りの後、神田神保町のエチオピアあたりでカレーライスを食べようと思ったが、お腹も空いてきたので青山のツインタワー地下のインドカレーの店に入った。辛口のキーマカレーと中辛の海老カレー。チェーン店なのだろうけれど、なかなかおいしいカレーだった。

2024年7月13日土曜日

三島邦彦『言葉からの自由』

三島邦彦の著書を読む。
これまで多くのコピーライターの本を読んできた。そのなかで谷山雅計『広告コピーってこう書くんだ読本!』(この本は最近増補新版が出ている)と小霜和也『ここらで広告コピーの本当の話をします。』の二冊が印象に残っている。
三島のこの著書は理路整然と系統立てた構成を持っているように見えない(もちろん徒然なるままに書かれた本が刊行されることは滅多にないのだが)。コピーについて、言葉について思いついたまま書き連ねていったような印象を受ける。
「書くことは思い出すことに似ている」という。人は文章を書くとき、自らの人生に積み重ねてきた記憶を掘り起こす(文章じゃなくたって、区役所の書類だって、氏名、住所、生年月日を思い出しながら書いている)。


「記憶の中に散乱する言葉を丁寧に拾い集めるようにしてコピーは書かれる」


的確な指摘である。
またコピーを書く上でつくった自分なりの原則を紹介している。


「12歳までの言葉で書くことだ」


コピー年鑑に掲載されているコピーを眺めて気づいたという。この世の美しいものも大切なものもすべて小学生までの漢字で表現できる。
さらにはスキーマにふれる。
スキーマとはひとつの言語の、それぞれの状況で瞬時に身体が反応するような、身体に埋め込まれた意味のシステムである。seeかlookか、hearかlistenが英語を母語とする人は頭で考えることなく無意識に使い分けている。違和感なく聴きとることができる。このようなスキーマは広告コピーにもあるのではないかと三島は言う。そして広告コピーのスキーマを身につけるにはコピーライターの書いた本を読んだり、養成講座などでプロのコピーライターの生の声を聴くことが必要だ。
本書はいつも身近に置いておいて、ときどき拾い読みするといい。コピーライターを目指す者はまず過去のコピー年鑑を頭の中に叩き込み、次のこの本を叩き込むべきだと思う。

2024年7月7日日曜日

大川豊『大川総裁の福祉論!』

8050問題が取り沙汰されている。
引きこもりなど問題を持った子どもが50歳になったとき、親は80歳。高齢になった両親はいつまで子どもの支援をしなければならないのだろうか。もし子どもに知的身体的その他の障がいがあったとしたら事態はますます深刻だ。
障がいを持つ子どもに対しては支援する制度が発達段階に応じて整備されているが、特別支援学校卒業後の就労支援はとりわけ重要だ。福祉的就労には就労継続支援A型と就労継続支援B型がある。一般社会への参加のため高度な訓練が必要なA型は企業の福祉枠に就き、雇用契約を結ぶ。当然、給与も支払われる。それに対しB型は雇用契約を結べない。あくまで自立のための訓練であり、給与ではなく工賃をもらう。工賃は作業内容にもよるが、月額1万数千円。これに障がい者年金を加えたところで彼らはどうやって生きていけばいいのか。
著者大川豊が取材した先の福祉施設や就労支援を行う企業、団体の人たちが口を揃えて言うのは障がい者をどうやって自立させるかである。より具体的に自立を促すのは社会参加=就労だろう。描いた絵をレンタルする。布を織って、それを加工してもらい商品化する。知的障がい者のなかには創造的な活動を得意とするものが多い。健常者にはできない発想や色づかいがあるという。
最後に登場するQUONチョコレートなどは画期的と言っていい。もともとはパン製造や印刷事業からスタートした経営者がショコラティエと知り合い、チョコレートの製造販売にシフトしていった。チョコレートはパンのような複雑な工程はなく、リスクも少ない。それでいて高価格。製造工程をいくつかに分け、単純な作業にして障がい者に担当させる。材料を切り刻んだり、石臼で茶葉を挽いたり、梱包用の箱をつくったり。一人ひとりの個性に合わせた仕事を見つける。できることをできる人に任せるのだ。
未来を明るく照らす仕事場がこの国にはまだある。

2024年7月4日木曜日

J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

『ライ麦畑でつかまえて』を読む。1964年に刊行されている。僕が読んだのは白水Uブックスという新書サイズの文庫になってからだ。ジョン・アップダイクもカート・ヴォネガットも入口は白水Uブックスだった。
2003年に同じ白水社から村上春樹訳が出る。出版社が同じなのはおそらく契約の関係か。
それまで40年近く、ホールデン・コールフィールドの語りは野崎孝が担当していた。別に吹き替えの声優が代わったわけでもないけれど、僕は新たな気持ちで村上訳を読んだ。野崎訳とくらべてみようなんて気もなかった。村上春樹は小説をはじめ多く読んでいたから、違和感もなく、すんなり受けとめた。ホールデンが新しくなったわけでもなかったし。
村上訳も野崎訳も何度か繰り返し読んでいる。先日、村上訳を読み直して、野崎訳をもう一度読んでみたいと思った。ブルーのカバーはなくなっていたけれど『ライ麦畑』は書棚にあった。両者の訳文をくらべるのはたいして意味はないと思ったが、続けて読んでみるとそれぞれのホールデン像が微妙に異なることに気付く。
作家の兄を持ち、英作文を得意とするホールデンは未成熟な少年でありながら、語彙も豊かで文章も巧みなはずだ。父親は弁護士でアッパーイーストサイドの(高級そうな)アパートメントに住んでいる。どんなに心が破綻していても一定水準以上のインテリジェンスを彼に与えなければならない。村上訳にはそういった意図が感じられる。単なるクレージーボーイの独白に止めたくないという意思が。まるでホールデンの弁護人みたいに。題名の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』もまんまといえばまんまだが、少し知的な感じがする。
野崎ホールデンと村上ホールデン。僕たちの世代でいえば、前者が圧倒的な多数派であるに違いない。将来はどうだろうか。この先新たな翻訳は生まれないだろう。そのうち村上訳がスタンダードになるかもしれない。
それはそれでいい。

2024年6月30日日曜日

村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』

「めくらやなぎと眠る女」という短編小説が短編アニメーション映画になり、近く公開されるいう。監督はピエール・フォルデス。作曲家として、また画家としても活躍するアーティストであるらしい。題名はめくらやなぎであるが、いくつかの短編のエピソードが加えられており、東京を救うカエルくんも登場する。むしろ監督のオリジナルストーリーといえそうだ。
それはさておき、久しぶりに村上春樹の短編集を読む。装幀はイラストレーター安西水丸。今ではほとんどすべての装幀を社内で行っている新潮社であるが、この本が刊行された1984年はまだ外部のアートディレクターやイラストレーターなどが担当していた。新潮社の装幀室ができて、クレジットされるようになったのは1990年代になったからだと思う。それにしても1980年代の安西水丸は多忙をきわめていたのだろうか、手書き文字だけの実にあっさりとしたデザインだ(3年後に文庫化されたが、その表紙にはおそらくめくらやなぎをイメージした思われるイラストレーションがあしらわれている)。
それもさておき、この短編集にはいくつかの興味深い作品が収められている。後の『ノルウェイの森』につながる「蛍」やウィリアム・フォークナーの短編「バーン・バーニング」と同じタイトルを付けられた「納屋を焼く」、初期村上ワールドの源泉ともいえる像工場が登場する「踊る小人」などである。
「めくらやなぎと眠る女」は1990年代に書き直され、『レキシントンの幽霊』という短編集に収められた。そのときタイトルは「めくらやなぎと、眠る女」と改められている。またこの短編は2000年代に英訳され、海外でも多く読まれたらしい。映画化につながったのにはそのような背景があるのだろう。
「めくらやなぎと眠る女」と「めくらやなぎと、眠る女」はどう違うのだろう。今度『レキシントンの幽霊』を探し出して読み直してみようと思う。

2024年6月25日火曜日

講談社校閲部『間違えやすい日本語実例集』

用事があって旗の台を訪れる。
今の東急大井町線と池上線は別々の鉄道会社が経営していて、大井町線には東洗足という駅があり、池上線には旗が岡という駅があった。その後乗り換えできるように統合され、旗の台駅になった。実相寺昭雄『昭和鉄道少年』にそんなことが書いてあった。
旗の台は品川区民にはよく知られた地域である。区内で随一といっていい昭和大学病院が聳え立っているからである。池上線のホームとつながった改札から降りた乗客の多くは中原街道方面に歩く。おそらくは昭和大学病院に向かうのであろう。
旗の台駅から僕の実家までは2キロ弱。大井町線の隣駅荏原町を横に見ながら商店街をすすんでいく。第二京浜国道を渡ってさらに直進する。道は一直線である(三間通りと呼ばれている)。学区域が違うので友人や知人はいないが、昔から身近な地域だった。
広告制作の仕事をしてきてよかったと思うのは、いろんな業種の人たちと話ができたことだ。食品会社の人、製薬会社の人、金融関係の人、石油会社の人や官公庁の人たちなど枚挙にいとまがない。もちろん広告を通じてということだから、広告とあまり関係のない仕事には接することはなかった。たとえば医療関係者や学芸員、図書館司書など。
出版関係には友人が何人かいたが、裏方ともいえる校閲担当の人とは接点はなかった。どんな仕事なのか興味を持ったのは以前に読んだ牟田都子著『文にあたる』を読んだときだ。この本は校正や校閲を担当するものとしての心がまえみたいなことが語られている。今回読んだのは実際の校閲者が具体的にどんな事例に出会い、どう対処してきたかというきわめて実務的な現場のお話である。臨場感がある。
細々とブログを続けてきたが、僕の文章なんて小っ恥ずかしい赤字の宝庫なんだろうな。まったくもって汗をかく一冊だ。
さて、その日は旗の台で用事を済ませた後、実家まで歩いて、父に線香をあげる。父の誕生日も近かったから。

2024年6月20日木曜日

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

「成熟」という言葉を辞書で引いてみると「穀物や果物などが十分熟すること」、「人の心や身体が十分に成長すること」とある。もともとは農作物に対して使われていた言葉がたとえとして人間に使われるようになったのかあるいはその逆なのかはわからないが、はじめに示されるのは「穀物や果物」である。
人は成熟していく。とりわけ大きく成熟を遂げるのは十代や二十代の少年期や青年期だろう。心や身体が十分に成長することによってさまざまな知識や技能を獲得し、経験を積んでいく。ただ六十年以上生きてみるともっと年齢を重ねても成熟することはある。たとえば五十歳を過ぎてから山登りや楽器の演奏をはじめた、なんて人たちだ。はじめのうちは慣れなかったり、身体が思うように動かなくてもある程度反復することでそれまでなかった能力を身に付けることは可能だ。もちろん若い頃にくらべれば時間はかかるだろうけれど。人はたえず未成熟と成熟の間に生きている存在なのかもしれない。
ラスト、フィービーが乗る回転木馬のシーンが好きでこの本をもう何度も読んでいる。
ホールデン・コールフィールドはクリスマス前のとある深夜にかつての英語の先生アントリーニに会いに行く。この教師はホールデンの破綻を熟知している。アントリーニはホールデンに「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」と書いた一枚のメモ書きを渡す。ライ麦畑のキャッチャーになりたいと成熟することを頑なに拒み続けるホールデンにアントリーニ先生は卑しく生きていく術を説いたのだ。
この作品の成功の後、ある事件をきっかけにサリンジャーは隠遁生活を送る。まるで大義のために高貴なる死を求めたかのように。ホールデン・コールフィールドはサリンジャーに乗りうつって、未成熟なまま生き続けたのかもしれない。

2024年6月16日日曜日

勝浦雅彦『ひと言でまとめる技術』

近い将来、広告の仕事からリタイアする。それでも広告の本はときどき読むようにしている。コピーやデザイン、映像、コミュニケーションに関するものである。
以前はすぐれたコピーはどうすれば書けるかみたいな内容を自らの経験を踏まえて語られる本が多かった。広告制作のプロフェッショナルがその分野の初心者や志望者に向けて書いていた。最近はコピーを書くためというより、コミュニケーション能力を向上させるための指南書といった趣の本が増えている(ような気がする)。プロのコピーライターが若いコピーライターに向けて、というよりもっと幅広く学生や若いビジネスマンに役立つスキルを提供している。
プレゼンテーションというと広告関係の仕事をしている人にとってはクライアントのコミュニケーション課題にどのような基本的な考え方(ストラテジー)を持って、どう具体的に解決をはかっていくか(表現)を提案する場である。絵コンテやカンプを提示して広告主の理解と納得を得ることが最終的なイメージである。これは広告業界のプレゼンテーションの一例に過ぎず、世の中のどんな業種であれ、依頼主の課題解決のための提案作業は存在する。これら世に数多いるプレゼンターはすぐれたプレゼンターではあるもののプレゼンテーションそのものを語る専門家ではない。もちろんスティーブ・ジョブズのようなクリエイティブな人間もいるにはいるが。
その点、広告クリエイティブを生業としてきた者は「わかりやすく伝える」プロフェッショナルでもある。
著者勝浦雅彦は広告会社の営業からキャリアをスタートさせた。その後クリエイティブの世界に身を投じ、幾多のプレゼンテーションを通して、言語化力、伝達力の重要性を学んできた。それらの経験をとりまとめて後世に遺しておくことは広告制作のプロフェッショナルが果たさなければならない社会貢献なのではないだろうか。
そんなことを思わせる一冊である。

2024年6月10日月曜日

村上春樹『1Q84』

人生のなかで村上春樹の作品に出会えたことは大きい。多くの読者がそうであるように村上ワールドに魅せられてきたひとりである。いちど読んだきりではもったいないと思い、長編小説は二度三度と読むようにしてきた。
『海辺のカフカ』を再読したあと、『1Q84』が刊行された。一気に読みほした。つい最近のことように思っていた。気がつくとこの本が出版されてから十数年が経つ。ついこのあいだ読んだ本、観た映画が十年以上前だったことはよくある。クォーツ時計の水晶に誰かが規格以上の電圧をかけたに違いない。
タイトルから伺い知れるようにジョージ・オーウェルの『1984』が着想にかかわっているようだ。残念ながらまだ読んでいない。
ふと思い立って二度目を読む。大筋は憶えてはいるものの、細部の記憶が欠落している。たとえば教団の起こりやリトル・ピープル、空気さなぎあたりは読み流したのだろう。もちろん完璧に流れを記憶していたら再読する意味はない。文章と自らの記憶を照合しながら読みすすめる。
この物語の中心人物ではないが、ふたりのプロフェッショナルが起伏を生み出している。興味深いキャラクターだ。幾多の苦難と経験を血肉に換えてきたセキュリティのプロであるタマルと高度な知性に裏打ちされた鋭利な勘を持つ元弁護士牛河である。慎重すぎるほど慎重に青豆を保護するタマル。そして青豆を追い詰める牛河。思わず固唾を呑んでしまう。そして牛河が見せた一瞬の隙をタマルは見逃さない。皮剥ぎポリスが乗り移ったかのようだ。
僕は『ねじまき鳥クロニクル』に匹敵するくらいの傑作であると思っているが、それでも出版以前に起こったカルト教団の事件や当時から多く報道されていたDV問題など具体的ではないにせよ、重い題材を扱っている。NHKの過剰な集金体制や「福助」頭なども含め編集者はずいぶん気を遣ったことだろう。
初読から十数年。読み手もそれなりに大人になっている。