大叔父はルソン島で戦死している。そういうこともあって、フィリピンの戦闘に関しては興味があった。大岡の作品では『俘虜記』『野火』を読んでいたこともあって、いつかは読んでみたい作品だった。ところがなかなか読みすすめることができない。小説というより、文字通り戦記なのである。
大岡は膨大な資料を読み解き、時間軸に沿って、また場所ごとに日本軍と米軍の動きを整理した。自身もフィリピンに赴いていた。ミンドロ島で生死の境をさまよい、俘虜となった経験もある。その戦いを明らかにしたい気持ちも強かったに違いない。そこに著者の感情や情緒的な描写はほとんどない。あたかも従軍記者のような淡々とした記述に終止している。
そのことが読みすすめ難かった理由のすべてではない。地図と照合しながら米軍、友軍の動きを追わなければならない。地名もはじめのうちはなかなか覚えられなかった。そもそもが二〜三週間で読み終えられる作品ではなかったということだ。難儀したけれど、むしろこういう本を遺してくれたことを著者に感謝したいくらいだ。
レイテ島では1944年12月に主だった戦闘はなくなり、以後はセブ島への転進作戦に移行する。脱出できたのはごくわずかだった。
アメリカ軍はその後ルソン島に上陸、45年3月にはマニラを奪還。日本軍は山岳地帯のバギオに転進し、反撃を試みる。そしてバレテ峠などで武器弾薬はもちろん食糧の乏しいなか抵抗するが、6月にはほぼ鎮圧される。大叔父の戸籍には「昭和二十年六月三十日ルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」とのみ記されている。斬り込みで殺されたのか、自決したのか、ゲリラに襲われたのか、あるいは病に倒れたのか、餓死したのか。本当のことは何もわからないままである。
大岡は膨大な資料を読み解き、時間軸に沿って、また場所ごとに日本軍と米軍の動きを整理した。自身もフィリピンに赴いていた。ミンドロ島で生死の境をさまよい、俘虜となった経験もある。その戦いを明らかにしたい気持ちも強かったに違いない。そこに著者の感情や情緒的な描写はほとんどない。あたかも従軍記者のような淡々とした記述に終止している。
そのことが読みすすめ難かった理由のすべてではない。地図と照合しながら米軍、友軍の動きを追わなければならない。地名もはじめのうちはなかなか覚えられなかった。そもそもが二〜三週間で読み終えられる作品ではなかったということだ。難儀したけれど、むしろこういう本を遺してくれたことを著者に感謝したいくらいだ。
レイテ島では1944年12月に主だった戦闘はなくなり、以後はセブ島への転進作戦に移行する。脱出できたのはごくわずかだった。
アメリカ軍はその後ルソン島に上陸、45年3月にはマニラを奪還。日本軍は山岳地帯のバギオに転進し、反撃を試みる。そしてバレテ峠などで武器弾薬はもちろん食糧の乏しいなか抵抗するが、6月にはほぼ鎮圧される。大叔父の戸籍には「昭和二十年六月三十日ルソン島アリタオ東方十粁ビノンにて戦死」とのみ記されている。斬り込みで殺されたのか、自決したのか、ゲリラに襲われたのか、あるいは病に倒れたのか、餓死したのか。本当のことは何もわからないままである。
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