2010年10月23日土曜日

鈴木健一『風流 江戸の蕎麦』

ソフトバンクホークスがパ・リーグ3位のロッテに敗れ、日本シリーズ進出ならず。最終戦はじっとしていられず、羽田から福岡に急遽飛んだというファンも多かったと聞く。セ・リーグは3位のジャイアンツが中日ドラゴンズに挑んだが、果たして結果は如何に。
強さと勝敗は必ずしも一致しないと思っているが、中日に強さは感じないものの(強いとか弱いとかって結局感じるものであって、ある一定の尺度を持った事実ではないということだろう)、勝負ということに関しては彼らはプロの集団である。それだけはいえると思う。
昼にそばを食することが多い。おそらくそば好きという点に関していえば、ぼくは日本人の平均値を上回っていると思う。時間のあるときはゆっくりつまみをとって、忙しいときは立ち食いでさっとすます。
立ち食いというとなんとなく粗末なイメージがないこともないが、それなりにうまい店は多い。もともとそばが江戸時代のファーストフード的な位置づけだったことや屋台で商売されていたことを考えれば、今ある立ち食いそば屋もトラディショナルなそば屋のあり方ではある。とはいうものの、あまり威勢のいい立ち食いそば屋はいかがなものか。妙に愛想よく「まいどどうも!」とか、親しみをこめて「いつもありがとうございます!」などと声をかけられるとちょっと恥ずかしい気がしないでもない。
蕎麦本は多々あるが、さすがは中公新書だとうならせる一冊だ。著者の専門は江戸時代の詩歌を中心としたものだそうだが、江戸時代にうどんを凌駕して、食文化の華になる蕎麦を巧みに発掘している。一味深い蕎麦の薀蓄といったところか。
野球の季節もそろそろ終わる。日本シリーズ、そして明治神宮野球大会。寒空の下で野球を観るのも案外悪くない。


2010年10月20日水曜日

村上春樹『やがて哀しき外国語』

読んだ本の中で、あ、これおもしろいなっと思ったところをなるべく抜書きしておこうとしている。昔、論文を書く学生がB6サイズくらいの紙に抜書きしていたように(今ではワープロで打つだろうから作業的にも楽だし、検索など簡単にできるし、さぞ重宝していることだろう)。
そんな学生みたいなことをはじめて20年近くたった。たいして勤勉でもなく、そうした抜書きを何かに役立てようという具体的な目的もないので、長いこと続けているわりにはテキストファイルで200キロバイト程度のものである。ときどき思い出したように読んでみてもあっという間に読み終えることができる。まあ言ってみれば、切手やフィギュアの人形をコレクションしてときどき眺めてみる、みたいな趣味の域を出ないものには違いない。
それでも読んだものを読みっぱなしにしないで、なんらかの形で自分自身につなぎとめておくには「書く」(あるいは打つとでもいえばいいか)という行為は無駄ではないような気がしている。
たとえば今回はこんなところを抜いてみた。

>僕自身だって、二十歳の頃はやはり不安だった。いや、不安なんて
>いうようなものじゃなかった。今ここに神様が出てきて、もう一度お前
>を二十歳に戻してあげようと言ったら、たぶん僕は「ありがとうござい
>ます。でも、べつに今のままでいいです」と言って断ると思う。こう言っ
>ちゃなんだけど、あんなもの一度で沢山だ。

こういう、なにかおもしろい言い回しとか、ものの見方をさがして本を読むのも案外悪くない。それにしても村上春樹からの抜書きが圧倒的に多い。

2010年10月16日土曜日

岸博幸『ネット帝国主義と日本の敗北』

先日、とある消費者金融の会社が更正法を申請したというニュースに出くわし、昔お世話になった広告会社のKさん(苗字だとSさんだが、ぼくたちは名前の方でKさんと呼んでいた)を思い出した。
Kさんはぼくが学生の頃通っていたコピー講座の先生で、主にラジオCMの手ほどきを受けた。独特の説教口調で今どきなら“うざい”おじさんなのだろうが、その後ぼくが就職した制作会社で家庭用品や台所製品のテレビコマーシャルの企画をお手伝いさせていただいたこともあり、またKさんがぼくの叔父と大学、就職先(大手広告会社)の同期であったということもあって、たいへんあたたかく、そしてきびしく接してくれた。
そのKさんももう70近くになるだろうか。定年でご退職されて以来お会いしていない。先ほどもいったように、いっしょにした仕事の大半は洗剤とか、芳香剤とか、冷蔵庫用のバッグなどで、主婦層を的確につかむコピーワークが要求される作業だったのだが、いちどだけ、消費者金融のCMを手伝った。Kさんとごいっしょした仕事の中でそれはとても異色なものだっただけに妙に記憶に残ってる。
無料コンテンツがネット上では幅を利かせている。タダならなんでもいいかというとけっしてそうではないだろうけれど、いちどタダを味わってしまうと、それはそれでかなり居心地がよくなってしまうのも否めない。そもそも無料コンテンツのビジネスモデルの元祖は民間放送だったのではないか。それが今ではネット広告は収入面でラジオを凌駕し、テレビにも迫る勢いであるという。
筆者によれば、無料のままだとジャーナリズムと文化の衰退をもたらす。旧来の、コンテンツ制作から流通までまるめ込んだ垂直型ビジネスモデルを無料ビジネスモデルが崩壊したのだ。
では、ジャーナリズムと文化の衰退をどう食い止めるか。まあ、その辺に関してはいまひとつって印象かな。

2010年10月11日月曜日

吉良俊彦『1日2400時間吉良式発想法』

比較的読まないジャンルの本が時代小説、ビジネス書、自己啓発書である。
最近はなるべく幅広く読んでそういったアレルギーを克服しようとしている。それでも自己啓発系は正直、気乗りしない分野ではある。
著者の吉良俊彦はさほど歳の離れていない、高校の先輩であり、大手広告会社でコピーライターの経験もあって、それだけでなんとなくリスペクトしてしまう人だ。もちろん面識はない。
以前、『情報ゼロ円。』という本を出したときも飛びつくように読んだ。今回の著作もこの本と同様、氏の大学等での講義をベースにまとめられたものである。
僕のようなすでに齢50を過ぎた者が今さら発想法もあったもんじゃないが、将来のある若者たちと同じ教室、同じ席に腰掛けて、学生のような気持ちでその講義を拝聴するというのも悪くない。とりわけ、吉良俊彦のようにクールで柔軟な発想術を熱く語っていただける先生であればなおさらである(全体に著者の強いパッションを感じる本でありながら、装丁の帯やいきなり村上龍の出版に寄せる文章が載せられているのはいささか熱すぎではないかと思いつつも)。
前半に基本的な発想法としてチャネル変換型発想という、◆◆といえば○○、と視点を変えて想起されるものを列挙するメソッドが紹介される。後半、再度チャネル変換型発想法が登場する。その手法がアイデアを生み出すのに有効であるとともに、分析(マーケティング)にも役立つということを紹介している。
そこで「自動車産業といったら○○」という課題が出されているのだが、その一覧(解答例)のなかに“免許”とあった。
実に絶妙なタイミングだった。来月更新であることを思い出させてくれたのである。

2010年10月6日水曜日

司馬遼太郎『殉死』

ツイッターで何百人もフォローしている人がいるけれど、その都度目を通していく、さらには返信したり、リツィートしたりするっていうのはなかなかたいへんだ。
でも人はそれぞれにいろんなことを考え、いろんな行動を起こし、いろんな感想を抱いているものだなあと思う。自分の嗜好にあった人ばかりでなく、さまざまなジャンルの人、キャラクターの人などなどをフォローすることである種、脳内に混沌をかたちづくり、さまざまな色の絵の具をぶちまけたみたいな状況から、新鮮なものの見方、考え方に出会う瞬間はふだん漫然と生きているだけではなかなか得がたく、心地いい経験になる。
なかにはしばらく疎遠にしていた方々を見つけてはフォローしてみると、相変わらずで何よりとも思うし、ずいぶん成長したんだなこいつとか思ったり、それはそれでまた楽しい。果たしてぼくはどう見られているんだろう(まあ今のところフォローしてくれているのがごく少数なのであまり気にもとめていないけどね)。
月に一冊は司馬遼太郎を読もうプロジェクト第二弾。
乃木希典は、ふうん、そういう人だったのか。ずっと思い描いていた人とは違うものなんだなあ。
平和な高度経済成長期に育ったぼくたちにとって乃木大将というのは、母親からの口伝えに聞く伝説的なエピソードであったり、彼を讃えた歌でイメージしていた。そういうわけでどうも軍事的才覚に長けた武勲華やかなる人物を思い描いていたのでことのほかその違和感は大きく、これがあの乃木希典のリアルなかのかと咀嚼するまで時間がかかった。ただ軍人的である以上に、古典的忠臣的な人であり、美的感覚に長じた明治時代の異物だったのだろう。もちろんいい意味で、である。


2010年10月1日金曜日

根岸智幸『Twitter使いこなし術』

はやいものでもう10月だ。
東京都の高校野球新人戦(正しくは秋季東京都高等学校野球大会というらしい)は2日からブロック予選を勝ち抜いた48校で争われる。
組合せを見るとうまい具合に強豪校が振り分けられている印象だ。Aブロックでは(まあ仮に横書きのやぐらの左上、左下、右上、右下の順にA~Dを割り振るとして)日大二、八王子、二松学舎、創価、法政大とやや小粒ではあるが有力校がひしめいた。Bブロックは下半分に東海大菅生、修徳、国学院久我山、安田、桜美林とそうそうたる顔ぶれ。迎え撃つのは早大学院か。Cブロックは比較的都立高が多いなか、なんといっても注目は初戦に激突する国士舘と帝京だろう。Dブロックは日大三が強そうだが、関東一、世田谷、日大豊山、東亜と侮れない強豪が名を連ねた。
ともかく3年生が引退し、1・2年生による新チーム。何が起こるかわからないというのが正直言ったところだろう。24日に予定されている決勝戦がまことにもって楽しみである。
ツイッターが世の中をどう変えていくのか、みたいな話には興味がなくはないのだが、如何せん、ツイッターのことを知らなさ過ぎるので、まずは入門してみることにする。新書であることがまずはうれしい一冊だ。大判の、CDやDVDが付録についていたり、けばけばしいデザインで太いゴシックで“できる”なんて表紙に書かれていたら、そうやすやすと電車の中では読めないもの。

2010年9月29日水曜日

カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン』

“驚異のプレゼン”とはなんともいい響きである。それに引き換え、以前よく仕事であったのが“驚異のオリエン”だ。なんの商品情報もなく、市場動向や消費者インサイトもなく、コミュニケーション課題もなく、ホワイトボードに、A・B・Cとだけ書いて、「まあ、3方向くらいでプレゼンしたいんだよねぇ、よろしく!」で終わる驚異のオリエン。というか脅威のオリエン…。まあいい時代だった。
アップルは製品そのものがプレゼンターだと長いこと思っていた。Macintoshしかり、iPhone、iPod、iPadしかり。だが、そんな具合に技術がすべてを語ってくれる的な発想自体がきわめて日本人的なのかもしれない。ソニーもホンダも世の中にたったひとつしかない製品をその高い技術力でカタチにしてきた。技術力は雄弁に語ることより、寡黙に役立つことを美徳とする。日本的な技術立国とはそうした背景のもと育まれてきたのではないだろうか。
もちろん経済土壌の違いはある(あったというべきか)。独自性を極力黙殺し、横並びの無個性製品を広告やイメージで差別化し、あるいは流通のコネクションで市場をコントロールする旧日本式経済とプロテスタントの自由主義経済とは根本的な差異があって当然である。そのなかで生き残る術として“プレゼン”は存在する。
ジョブズのプレゼンテーションがアップルを支えているのか、アップルのプロダクツの数々がジョブズのプレゼンテーションを支えているのか。その判断は難しいところであるが、アップルという総合エンターテインメント商社の両輪として現在、両者(両車?)はうまく稼動している。
今回、この本を読むにあたって、ユーチューブに投稿されているジョブズのキーノートの数々を見せてもらった。いずれも魅力的なプレゼンテーションだったと思う。英語の勉強にもなった(かもしれない)。
漢字トーク6の時代からはじまってOS8.1までぼくはMacintoshユーザだった。そろそろぼくというMacユーザを再発明してもいいかなと思っている。


2010年9月26日日曜日

ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』

ラバーを表ソフトに替えた。
といっても卓球をご存じない諸兄にはなんのことやらわかるまい。卓球のラバーは大きく分けて2種類あって、それが表ソフトラバーと裏ソフトラバーである。人間同様、卓球のラバーも表と裏がある。
表ソフトラバーはイボイボというかツブツブが表面に出ているラバーで(さらにいえばそのツブの高さによってまた性質の異なるラバーのカテゴリーもあるのだがここでは面倒なので割愛する)、裏ソフトラバーは表面がつるんと平らなラバーのこと。小学生の頃は表ソフトラバーを使っていたが、昨今の主流は裏ソフトラバーであるらしく、卓球を再開したここ1年半、すっと裏ソフトを使ってきた。
が、ついこのあいだ、ひょんなことから表ソフトのラケットを借りて打ってみたら、思いのほかしっくりきたので貼り替えてしまったわけだ。
基本的なことをいうと表ソフトはスピードは出るが、スピンがかかりにくい。裏ソフトはスピンがかかりやすく、スピードが出ないということなのだが、昨今はスピンが重視される時代であり、技術的な進歩とともにスピードが出て、スピンのかかる裏ソフトが各メーカーから多数出てきた。世界ランカー、日本ランカーのほとんどが裏ソフトラバーを使用している。
表ソフトの存在価値は相手ボールの回転に影響されにくいということだが、ぼくにとっては今より身長が30センチも低く、軽快に動けた頃の自分を思い出せるというのがいちばんの効果だ。
ジョルジュ・バタイユの名前はある種の思想書に登場するだけでそれ以外に接点はなかったが、光文社の古典新訳シリーズでようやく読むことができた。
ともかくびっくりした。ある意味では赤塚不二夫の漫画よりもすごい。
もちろん、ラバーを替えて、軽快に動けているわけではない。

2010年9月19日日曜日

岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

高校野球の新人戦がはじまっている。
他道府県はどうかわからないが、東京の場合、新人戦はまったくのガラガラポン。シードなしの抽選による組合せと何十年も昔に聞いたことがある。もちろん秋の大会は会場を提供する当番校があり、その24校は確実に振り分けられるわけだから本大会まで対戦はない。つまり当番校は暫定シード校ということになる。それ以外は純粋に抽選なのだろうが、毎年まずまずうまく振り分けられている。とりわけ昨年から本大会枠を24から48にしたことで強豪同士が予選で激突する確率は減ったといえる。
それでもくじの世界ならではのいたずらが当然ある。たとえば第3ブロックBなどはいきなり一回戦が早実対東亜学園。これで春選抜への道が閉ざされるわけだから、両校にとってはいきなりきびしい戦いになったが、東亜が接戦を制した(これを番狂わせ的な見出しで報道していた新聞もあったが、いかがなものか)。
この対戦に限らず、強豪同士が潰しあうブロックはいくつかあって、12Aの修徳・雪谷、24Bの国士舘・日大鶴ヶ丘あたりは予選ブロック戦のなかでも好カードとなるだろう。
この小説はさすがにドラッカーを扱っているだけに、戦略戦術に長けた一冊だ。かつてスポ根ドラマにはヒーローとライバルと友情が欠かせなかったが、現代に必要なのはマネジメントだぜっていう骨組と青春ドラマのお決まりディテールを巧みにマッチングさせたマーケティング小説といえそうだ。売れるべくして売れたと筆者とそのスタッフたちは思っているに違いない。


2010年9月16日木曜日

オノレ・ドゥ・バルザック『グランド・ブルテーシュ奇譚』

雑誌の表紙をつくる、という課題が出たそうだ。
美術大学に通う娘の話なんだが、そのデータを送るので仕事場のプリンタで出力してほしいとのこと。はいはい、と黙ってプリントしてくればいい父親なのだろうが、つい余計なことをいう。
どれだけのサンプルを見たのか、どんな雑誌にしようと思ってデザインを考えたのか、と。作曲家がどこかで聴いたことのある曲をつくってはいけないように、デザインするものは何かに似たデザインをしないほうがよい。そのためにはできるだけたくさんの雑誌に触れてみる必要がある。
今はインターネットですぐに検索できるから、短時間に膨大なサンプルを眺めることができる。だからといってそこからすぐれたデザインが生まれてくるだろうか。たいせつなのは“たくさん触れてみる”ことではないかと思う。手にとる、ページをめくる、目を通す。外国の雑誌でもなんとなくそのジャンルやテーマはわかる。勘がよければ、若者や初心者をターゲットしているか、そうではない専門性を持ったものかというのもわかる。そうした中身・内容をその表紙のデザインは期待させてくれるだろうか、きちんと語りかけてくれるだろうか。
雑誌の表紙はもちろん、ポスターだって、レコード(CD)ジャケットだって、おそらくこうした想像力のもとにデザインは成り立つものなのではないかと思う。
バルザックといえば、骨太な長編小説を思い浮かべるが、短編もなかなかのものだ。きらりと光るものがある。
で、娘には上記のようなことを言ったつもりだが、酔っ払ってたし、“いつも言ってるみたいなこと”にしか聞こえなかったと思うが、それはそれでいいんじゃないかな。

2010年9月13日月曜日

司馬遼太郎『最後の将軍』

先週の台風通過後、しばらくは「あ、これって大陸の風」と思える空気が日本列島に流れ込んだような気がしたが、また暑くなってきた。とはいえ朝晩はいくらかしのぎやすくなってきてやれやれであるが、考えてもみれば9月の中旬だ。そろそろなんとかしてほしい(誰に何をどうお願いすればいいのか皆目わからぬのだが)。
歴史小説、時代小説のファンがこれほど身のまわりにいるんだと知ったのはつい最近のことで、たまに幕末の話題になったりすると100%ついていけない。山川出版の日本史くらいなら読んではいるが(憶えているかいないかは別にして)、どこまでが徳川幕府の時代でどこからか明治時代なのかすらよくわからないでいる。そんなときはたいてい「サアカスの馬」の主人公のするバスケットボールのように飛んでくるボールをよけながら、ドンマイ、ドンマイと言うがごとくお茶を濁している。世の中のたいていのことは「なるほど」か「ですよね」と応えておけばうまくいく。ただし相手が謙遜しているときは要注意で、ときに「そんなことないでしょう」くらい言えないと気まずくなることがある。
仕事場の後輩の(大学の後輩でもあるのだが)Yが時代物をよく読むと聞いて、取り急ぎ司馬遼太郎にエントリーするなら何を読めばいいのかと訊ねたら、『最後の将軍』っすよ、という。どうやら徳川慶喜の話であるらしい。先日『羆嵐』を紹介してくれたHさんは自他ともに認める“幕末通”であり、そうした諸先輩方と熱く、楽しいひとときを過ごすためにもこれは必読の書であると思った。
正直申し上げると、自分で思っている以上にぼくは日本史の知識がない。漢字が読めない。登場人物の名前が憶えられない。特に苦しんだのが“永井尚志(なおむね)”。ルビのあるページに戻ること数知れず。ようやく記憶にとどまったところで読み終わった。
幕末通への道は遠く険しい。

2010年9月8日水曜日

長嶋茂雄『野球へのラブレター』

清水義範の短編に「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」という名作があり、それによると長嶋は野球の天才であり、解説者としての彼は「本能的にわかっている非常に高度なことを、なんとか説明しようと最大の努力をする」のだそうだ。それがいわゆるひとつの長嶋節になってしまう。それは長嶋の「言語能力が低いのではなく、伝えたい内容が高すぎる」からであるという。アインシュタインが子どもに相対性理論を教えるようなものらしい。
本書は野球に関する雑話と著者自身述べているように系統的でなかったり、思いつきであったり、いかにも長嶋茂雄らしい一冊だと思う。
長嶋茂雄は現役時代を知るぼくにはスタープレーヤーであったし、自らの引退後低迷する巨人軍の監督でもあった。その後浪人時代は文化人的な活動をしていたが、やはりこの人はユニフォームを着てなんぼの人なのだろう、第2期監督時代が(現役時代を除けば)いちばん輝いていたのではないだろうか。
なによりも長嶋の素晴らしいところは過剰を超えてあふれ出る自意識だ。ゴロのさばき方、ヘルメットの飛ばし方、エラーの演出、胴上げのされ方まできちんと計算しているスターなのである。そして彼の資質の中でさらにすごいのがグラブのように、バットのように、ピッチャー新浦やバッター淡口のように巧みにあやつる“言葉”ではなかろうか。“メークドラマ”、“メークミラクル”、“勝利の方程式”など長嶋茂雄の造語は多い。これらの言葉は意味をもつというより、意図を感じさせる役割を果たしている。天才の思いを共有するためのコミュニケーションツールになっている。
そういった意味からすれば長嶋の“言葉”に接することができたぼくらはなんて幸せなんだろうといわざるを得ない。



2010年9月5日日曜日

藤村和夫『蕎麦屋のしきたり』

今使っているPCがことごとく老朽化している。
自宅のネットブックはほとんど役に立たず、仕事場のノートPCは電源ジャックのあたりの断線か接触不良でバッテリが充電されたり、されなかったり。メーカーに修理を出したらまずメインボードの交換となるだろう。
以前PowerBook100というノート型のMacintoshを使っていたときも似たような症状があった。そのときはメインボードにつけれらた電源ジャックの半田が割れていたので自分で半田付けをしなおした。今回もたぶんそんなことだろうとは思うのだけれど、ノートPCを分解する意欲ももうないし、半田付け程度ですめばいいが、ケーブルの断線だったりしたら手に負えない。秋葉原の修理専門店に持ち込むか、あきらめるかのどちらかだ。自宅のノートPCはCeleronの650MHzくらいだが、仕事場のそれはPentiumIIIの1GHz。メモリも512M挿しているから、どうにかこうにかLinuxのネットブックにはなりそうな気がして、あきらめきれないところがある。
昭和50年当時、東京の蕎麦屋の名前で“藪”とつくのが約300軒、次が“更科”で160軒。以下“長寿”、“大村”、“満留賀”と続き、“砂場”がはやくから登録商標とされていたせいか65軒で11位だったという。
杉浦日向子によれば、そば好きは“蕎麦屋好き”と“そば好き”に大別されるらしいが、ぼくのように両方好きな諸兄も多いはずだ。
この本は元有楽町更科の四代目が書いたとあって、蕎麦屋を外からでなく、内側から見渡せる貴重な文献である。ぼくもかなり以前、老舗蕎麦屋の次男が先輩だった関係で大晦日のみやげ売り場に立ったことがある。いい蕎麦屋は内から見ても外から見てもいい蕎麦屋である。


2010年9月3日金曜日

村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

仕事場で使っていたノートPCが起ち上がらなくなったのが去年のこと。
リカバリディスクでなんとか復旧した。ちょうどそのころ自宅で使っていたノートPCも同時多発的に起ち上がらなくなり、こっちのほうはHDDがやられているのか、リカバリもできず、そのままに放置していた。最近になってクロームOSはLinuxベースのOSでどうしたこうしたという記事を見て、LinuxをHDDにインストールすれば、この放置ノートPCもネットブックとしてよみがえるのではないかと思いついた。
ところが昨今、Linuxもコマンドラインからコマンドを入力して、という時代ではなく、GUIが当たり前になっている。先日、Fedora13というRedHat系のディストリビューションをためしにインストールしてみたら、デスクトップ画面が現れない。どうしたものかと調べてみたら、メモリが128MBでは全然非力なんだそうだ。
だからといってメモリを今さら買い足す気にもなれず、さりとて捨ててしまう気にもなれず、何かないかと探していたら、xubuntuという比較的少ないメモリで動くディストリビューションがあるという。
CDにisoイメージを焼いてインストールしてみると、やはりメモリが少ないせいだろう、画面サイズが小さい。800x600モードになっている。それでもFireFoxは起ち上がる。Gmailも見ることができる。ただし日本語入力はできない。これは今勉強中。一応ネットの閲覧だけはできるようになった。ただネットブックと呼ぶにはちょっと動作が鈍い。
話題作や長編ばかりで実はまだ読んでいない村上春樹は意外と多い。
この本もそうだ。”地震”しばりというテーマに対しては少なからず無理はあるものの、楽しく読ませていただいた。今後も読み漏らしている村上春樹を読み潰していきたい。


2010年8月29日日曜日

角川歴彦『クラウド時代と〈クール革命〉』

そうそう。最近の体育館の話。
区内にいくつか体育館があるのだが、そのうち古いものをのぞくと空調設備があって、実に快適なのである。たいして必死に卓球に取組んでいるわけではないのでそう汗をかくこともないのだが、空調はあるにこしたことはない。もちろん空調の設備のない体育館もないわけではない。夏は暑く、冬は寒いのである(そんなことは当たり前のことだが)。そういう体育館ではぼくのようなへなちょこ卓球でもそれなりに汗をかく。昨今ではスポーツ中はこまめに水分補給などということが奨励されているので、お言葉に甘えて、アクエリアスだのポカリスエットだのを大量に摂取する。高校時代には考えられなかった夢のような世界だ。
思い出した。体育館の話じゃなくて、Tシャツの話だ。
昨年から、スポーツするのに適したTシャツ、とりわけ夏場に着心地のいいTシャツはどこのメーカーのものかをそれとなく調査していた。最近のTシャツは昔のような綿100%のものではなく、ポリエステル製の、乾きがはやく熱を放出しやすいタイプのものが主流である。とはいえ、各メーカーのものを着くらべてみると微妙に着心地がちがう。
今、いちばんしっくりくるのはmizuno製で、軽く、やわらかく、風合いもいい。さすがは全日本チームのユニフォームをまかされているだけある。asics製も悪くない。ただちょっと厚手な感じがする。卓球用品メーカーのTシャツの中ではButterfly製とNittaku製のTシャツを着るが、後者はちょっと厚くて重くて、冬場はいいが夏だときつい。前者はまずまず合格点であるが、デザインがいまひとつだったりする。まあ、へなちょこ卓球のぼくに言われる筋合いもないだろうけど。
出版業界を代表する論客が熱く語るネット社会の未来像。その意欲は終章に“提言”というかたちで述べられている。日本の将来を支える日の丸クラウド。クラウドコンピューティングがめざす社会がいつしか単なるネット社会の一般論になって、どこがどうクラウドなのかよくわからなかったし、時折主語を端折られて読みにくいところもあるにはあるが、その熱意にだけは感心させられた。ユーチューブやグーグルを黒船にたとえる人が語る未来ってなんとなくおもしろい。
案外夏場活躍するのはunderarmerとかmizunoのBIO GEARといったアンダーシャツだ。これらはちょっとお高いけれど、着ていて暑くない。それでいてTシャツ一枚のときのようにびしょぬれになる感じがなくていい。ぼくにとってはちょっとしたクラウドコンピューティングのようなシャツだ(って意味がわからない)。


2010年8月26日木曜日

内田百閒『百鬼園随筆』

高校時代は炎天下でバレーボールの練習をしていた。
昔の話ではあるが、けっして大昔のことではない。バレーボールは屋内スポーツで公式戦は体育館で行われていた。もちろん6人制が主であった。
ぼくの通っていた高校は都心の真ん中にあったが、広さという点では恵まれておらず、体育館も小さかった。なんとか月に一度とか、週に一度とか体育館を使える日もあったが、基本は校庭に石灰でラインを引き、ネットを張って練習した。
敷地の狭いぶん、郊外の多摩川べりに合宿所があって、野球グランド、サッカーグランド、テニスコート、そしてバレーボールのコートがあった。もちろん屋外に、である。夏休みに行われる合宿練習では、ここに寝泊りして一週間朝から晩まで練習に明け暮れる。ぼくの在学中は幸か不幸か、天候に恵まれ、連日猛暑の中、楽しく練習させていただいた。諸先輩方に話を伺うとやはり合宿期間中は天候にすこぶる恵まれていたそうだ。
今では母校はなくなって新しい学校になってしまったが、広い体育館があり(バレーボールのコートが2面とれる体育館をぼくは“広い体育館”と呼んでいる)、多摩川の土手近くにある合宿所も以前に比べて縮小したようだが、そこにも体育館が(もうかなり以前に)つくられ、生徒諸君は幸か不幸か快適な合宿練習を行えると聞いている。
何の話をしようとしてたんだっけ?昔のことを思い出しているうちに忘れてしまった。
この夏はちょっと不慣れな仕事をした。主に電波媒体の広告の仕事をしているので印刷媒体の仕事というのは不慣れなのである。不慣れな仕事というのは疲れるものである。そうした疲れを癒すには、なんといっても人間くさい書物がいちばんである。
内田百閒は『阿房列車』でもお世話になったが、偏屈を通り越して、ぼくには真っ当な人に思える。なるほどと思える。もちろん借金ばかりしようなどとは思わないが、不思議なリスペクトを感じさせる心地いい作家のひとりである。


2010年8月22日日曜日

中村計『甲子園が割れた日』

高校野球も終わった。
去年の秋、大垣日大がまず明治神宮大会を勝ち、春選抜は興南、そして夏も見事に連覇した。夏の上位校は大方の予想通りだったのではあるまいか。報徳学園、興南、東海大相模は前評判どおり。千葉の成田が強いていえばよく検討したということになるだろう。ぼくが期待していたのは聖光学院、北大津、開星。残念ながら今一歩だった。不運な敗戦もあれば、幸運な勝利もあったが、スポーツは練習よりも試合が選手を強くする感がある。勝ち進んだチームは勝ち進んだぶんだけ着実に強くなっている。練習は嘘をつかないとよくいうが、勝利も嘘はつかないと思う。
また1年を通してチームのレベルを保ち続けること、さらにはチーム力を強化していくことはたいへん難しいことだと、毎年のことだが、思い知らされる。秋からコンスタントに全国レベルの力を保持し続けたのは興南、東海大相模であり、この両校が決勝を争ったのは不思議ではない。選抜をわかせた日大三や帝京は夏の大舞台にすら立つことができなかった。一方でこの春から力をつけてきた学校も多い。激戦区兵庫を勝ち、近畿大会を制した報徳や春の東北大会を勝った聖光学院、近畿大会で報徳には敗れたものの昨秋から飛躍的に強くなった履正社などがそれにあたるだろう。
松井秀樹が甲子園で5敬遠された試合はテレビで観ていた。当時はずいぶんなことをしやがるもんだなあと思っていたし、純粋に松井のバッティングを見たいと思ったものだ。今はどうかというと、野球に限らずスポーツでは勝つことが重要性であるとの思いが強い。作戦として当然のことだったと思えるようになっている。そういった意味では、この本は今さらな感じではあるのだが、かつて明徳義塾の野球に苛立ちを感じていた頃の熱い自分が懐かしく思えた。
東京の秋季大会一次予選は来月中旬からだという。来年の夏はもうはじまっている。

2010年8月19日木曜日

川端康成『雪国』

“上”とつくものに多少の抵抗感がある。
上天丼とか上カルビとかにだ。なかには“特上”なるものもあって、仮に経費でまかなえるとしても分不相応な気がする。ただ、特上があるメニューの上は比較的頼みやすい。
ときどき大阪風のうなぎが食べたくなって、銀座のひょうたん屋(6丁目と1丁目に店がある)に行くことがある。6丁目の店は松・梅・竹と昼時だけの丼があり、1丁目は上・中・並で並はお昼だけとなっている。もちろんいちばんリーズナブルなランクを注文する。それでも1,000円を超えるわけだから、贅沢な昼食だ。
ごくごくまれに豊かな気持ちになりたくなって、上のランクのメニューを頼むことがある。それでも松や上は頼めない。それを注文する人は人格高潔にして聖人君子のような人でなければいけない(と、勝手に思っている)。金さえ払えば何を食ってもいいかというとけっしてそうではない(はずだ)。客としてじゅうぶん鍛え上げられた客だけが特上の資格を得るのである。
子どもを連れて行く焼肉屋で特上ばかり注文する父親はだいじな教育の機会を失っている。特上もあるけれども、今日は上カルビにしておこう。特上はいつか、しかるべき時までだいじにとっておこう。こう言うのが教育である。
言い訳がましいが、そう思っている。
鉄道ファンの書いた本や旅行記に引用される率が非常に高い川端康成の『雪国』であるが、もちろん鉄道の本でもなく、旅の話でもない。上越地方が舞台なので吉幾三の“雪國”とも関係はないようだ。
精緻な描写力が生んだきわめて映画的な作品であると思う。かつて映画には岩下志麻が駒子役を演じたらしい。島村役の木村功もあわせて見事なキャスティングだ。



2010年8月16日月曜日

小川浩・林信行『アップルvs.グーグル』

金曜土曜と房総なのはな号で千倉まで行く。都心に比べれば、もうこの時期になれば朝晩いくらか涼しくなるはずのこの辺りも蒸し暑い。
バスの旅は楽といえば楽であるが、昨日のように帰省ラッシュに巻き込まれたりなどすると余分に時間がかかって困る。まあ、それでものろのろ走ってくれたおかげで東京湾華火が見られたのはラッキーといえよう。
今日はかねてから約束のあった野球観戦に行く。午前中近所の体育館で軽く卓球をして(それでも激流のような汗をかく)、昼食を摂り、14時開始の巨人横浜戦になんとか間に合う。一塁側内野席でそれなりに盛り上がる席だったが、試合はあまり盛り上がることもなく、むしろ気になったのはラジオで聴いていた高校野球だったりして。
空調の効いた東京ドームで観る真夏の野球は快適至極であるが、その一方でこれが野球観戦の“ふつう”の姿なのかとも思う。やっぱり野球は炎天下でする、観るっていうのが正しいのではないか…。
ところが今世の中の人の多くが気になっているのはどうやらアップル対グーグルであるらしい。たぶんにiPhoneとアンドロイド携帯によるスマートフォン対決が街中を賑わせているからだろう。
ぼくも1990年代はMacintoshユーザだったのでAppleの製品とその思想には感嘆する者のひとりである。最近は残念ながらApple製品は使っていない。それは自らのITリテラシーを高めるために課している試練なのである。より率直に述べるならば、PCを買い換える原資に乏しいのである。
ぼく個人の経験と印象だけでアップルvs.グーグルを語らせてもらえば、グーグルのアプリケーションはまだまだ粗削りだし、デザインも含め操作性全般に“ゆきとどいたところ”がじゅうぶん見られない。その点でいえば、最近のアップル製品はきわめて完成度が高くなった気がする。とはいうものの昔のMacintoshだって、気が利かないIM(っていったっけ?かな漢字変換のプログラム)やすぐに起きるフリーズ、日本語を小馬鹿にしたようなフォントなど、いけてなかったよなあと思うのである。
だからぼくとしてはこの勝負、今のところ引き分けってことで勘弁してもらいたい。

2010年8月12日木曜日

吉村昭『羆嵐』

都心の電車が空いて、高速道路が渋滞する。盆暮れ正月とはよく言ったものだと思う。
どことなく、であるが東京は風通しがよくなったような気がする。あるいは日本海を進む台風のせいかもしれないが。
今週末は休みをとって、千葉の千倉に恒例の墓参りに行こうと思っている。宮脇俊三もたいして話題にしなかったなにもない房総半島の突端である。最近は東京駅八重洲口からバスの便もあり、東京湾に渡した橋を通る楽しみができた。かつてはフェリーで渡っていたところだ。
ここのところいっしょに仕事をしている某広告会社の営業T君が今まで読んだなかでいちばん怖い小説ってなんですかと訊く。
怖いといってもねえ。スリラーとかホラーとかあんまり読まないし、スティーブン・キングとかですかね。
などと話し込んでいたら、クリエーティブディレクターのHさんが怖いといったら、吉村昭の『羆嵐』だよ、怖いよう、と話の輪のなかに入ってきた。怖い話ときいて、そこであらすじを聞いてしまっては元も子もないので、そこから先は話題を換え、続きは読んでみることにした。
人間にとって“怖い”というのは、地震・雷じゃないけれど、超常現象とか凶悪犯などではなく自然現象なのだと思った。ふだんぼくたちはそうしたものに対する文明という備えを整えているから、恐怖を感じないだけであって、やはり無防備なまま自然そのものに立ち向かうというのは非常に恐ろしいことなのだ。
たとえば夏場に起きる水の事故などその最たるものといえよう。

2010年8月9日月曜日

宮脇俊三『最長片道切符の旅』

いつしか仕事場から時刻表がなくなっていた。
今、たいがいのものがネットで調べられる時代だ。時刻表を開かなくとも、どこそこへ何時着で行きたいか、なんてことはポータルサイトの“路線”で調べればいい。ただしそこには旅程をイマジネーションする楽しみはない。
ぼくが時刻表にのめり込んだのは、小学生の頃だと思う。1970年、本州から蒸気機関車がなくなった頃だ。考えてみれば地理も歴史も漢字も時刻表に学んだところが大きい。北海道の地名は特殊だとしても、その地方地方で独自の読み方をする地名をぼくは駅名から学んだ。東京からの距離感は巻頭の路線図と東京から、あるいは始発駅からのキロ数で学んだ。
3年前、南仏を訪れたときも、頼りにしたのはトーマスクックだった。時刻表というシステムは万国共通なのだ。
テレビコマーシャルの企画立案という仕事を最初に手ほどきしてくれたMさんはCMプランナーである以上にすぐれた画家だった。今でも横浜でご近所の奥様方に水彩画を教えておられる。そのMさんの座右の書であったのがこの『最長片道切符の旅』である。
宮脇俊三はもと雑誌編集者であったと聞くが、そのあたりのコミュニケーションのセンスはじゅうぶんにうかがえる。車窓から見える風景をだいじにし、しかも余計なことは書かない。あたかもいっしょに日本を縦断しているような錯覚に陥る。著者が小海線で小淵沢から小諸に向かうとき、車内放送の簡潔さを賞賛するくだりがある(賞賛は大げさかもしれないが)。事実だけを簡潔に述べ、ためになる。筆者の、この本に対する基本的な姿勢を垣間見ることができる貴重なシーンだ。
そもそも時刻表とはそういうものだ。余計なことはいくらでも付加できる。にもかかわらず、寡黙に情報を提供し、それから後のことは旅人にまかせる。この本はシステマティックに最長ルートを割り出し、ただ暇に任せて乗りつぶした人間の記録ではない。真に時刻表や鉄道という装置産業に敬意を表する人間にしか書くことできなかった稀有な旅行記である。
そういえばMさんの描く安曇野の水彩画は、まるで列車の車窓からながめる風景のようだった。


2010年8月5日木曜日

共同通信社編『東京あの時ここで』

紙の手帳を使わなくなってもう10年になる。
携帯型の端末が好きであれこれ渡り歩いてきた。NECのモバイルギア、シャープのザウルス、ヒューレットパッカードのJORNADA。その後Palmに移行して、Visor、Clie。Clieは今も現役で使っている。
この間の“予定”はPCと同期を取りつつ、引き継いできたので、Clieのなかには2000年3月からの予定が保持されている。Clieももう5年ほど使っているだろうか。バッテリが弱くなってきたので、先日交換した。秋葉原にはフィギュアだけでなくこんなものもまだ売っているのだ。
さしあたりClieの延命措置はできたが、せっかくここまでためこんだデータだから役に立たないだろうが持っていたいと思うのは人情だろう。古いMacintoshの一体型やノート型を捨てられないのと同じだ。もちろんPCとはときどきシンクロナイズさせているのでOutlookには過去のスケジュールデータは残っている。ただ考えてみるとWindowsXPもPalmOSもいつまであるかわからない。
というわけでグーグルカレンダーに10年データを移行させることを思い立った。今はグーグルのアプリケーション(Google Calendar Sync)でなんてこともなくOutlookと同期がとれる。たいしたものだ。アドレス帳もCSVに書き出してグーグルにインポートした。ところがこれがいまひとつ。グーグルの住所録は番地、住所、郵便番号の順に表示されるアメリカンなもので、ちょっと気障ったらしい。わざとそうしているのか、グーグルという急成長する企業に担当スタッフが追いつけていないのか定かじゃないが。その点WindowsLiveのアドレス帳は郵便番号、住所、番地と普通に日本人ライクに表示される。なかなかよろしい。
急成長急発展をとげるクラウドコンピューティングの世界だが、戦後の日本もそうだったのではないか。その政治経済文化の中心を担ってきた昭和の東京には手さぐりで発展をとげてきた形跡がいくつも残されている。要するにこの本はそんな東京の足跡を追いかけている。


2010年8月1日日曜日

NHKスペシャル取材班『グーグル革命の衝撃』

PCのハードディスクがいっぱいで、残り何メガバイトという状態だった。
一般には(というか経験的には)ハードディスクの容量が一杯になるといろいろとトラブルに見舞われることが多い。ハードディスクの換装か、新しいPCの購入か(もう5年くらい使っているWindowsXPマシンだし)。2~3日悩んだのだが、あれよ?これってパーティションをかえればいいんじゃないのとさっきようやく気がついた。
もともと40Gしかないのだが、20+20でCドライブ、Dドライブに割り当てられていたのだ。Dドライブなんてそもそもデータの逃がし場所でしかないからほとんど使っていなかった。でもってPartitoin Wizardというソフトをダウンロードして、25+15に変更。
心なしか反応が速くなった気がする。少なくともそう感じることができるだけでも精神衛生上いい。
引き続き、グーグル本。
よくあるテレビのドキュメント番組のようにNHKスペシャル取材班は明快な結論を避けている。そんな印象の一冊。
検索から広告へつなげたこと、消費者と広告主のニーズをつなげたことがグーグル勝利の起点だ。広告というビジネスモデルと縁遠い存在であるNHKにはない発想がある種の戸惑いで終始させたのだろうか。あるいはそれは読み手の、下衆の勘ぐりか。
先に読んだ『グーグル時代の情報整理術』で筆者のメリルは手書きメモとデジタルデバイスの棲み分けを語っているが、要は結論的にはそういう共存形態なのではないか。検索まかせで図書館で文献を調べない若者が多いとか、多くなるとか、クラウドに記憶をゆだねて自ら思考を封鎖する人間が増えるとか、携帯端末で利便性を享受するだけの旅とか、ありえるとしてもさほど危惧すべきでもないような問題を針小棒大のごとく提起するテレビ番組の取材チームは視聴率を稼げても世の中にはなんら身のある提言をしていないに等しい。

2010年7月28日水曜日

中村明『センスある日本語表現のために』

今年の夏は神宮球場にかよう間もなく高校野球が終わってしまった。
西は準決勝の日大対決、早稲田対決で盛り上がりを見せ、古豪早実が優勝。春選抜準優勝の日大三が敗れ、東東京も選抜8強の帝京が国士舘に苦杯を喫するという波乱があった。帝京は選抜以降コンディションを崩したのか、春季都大会で敗退し、今大会はノーシードだった。スポーツのたいていがそうであるように高校野球というのは予測不可能な競技である。
東東京大会の決勝は修徳対関東一。下町対決となった。少ない好機をいかした修徳が逃げ切るかに思われた9回裏まさかの大逆転劇で関東一が優勝。まったくわからないものだ。
「センスある日本語表現」という表題にすでにセンスが感じられない本書であるが、内容は“語感”をテーマによくまとまっているし、古さを感じない。発行が1994年。16年も昔のことなのに。当時はまだ“センスある日本語”という言葉が違和感なく通用していたのだろう。
たまにこうした日本語関係の本を読むが、さすが中公新書だ。奇をてらった感じがなく、真摯で読みやすく、空気のおいしいリゾート地を散歩しているような気持ちよさがある。

2010年7月24日土曜日

オノレ・ドゥ・バルザック『ゴリオ爺さん』

「フランス文学 24人のヒーロー&ヒロイン」と題されたNHKラジオフランス語講座応用編でフランスの名作を紹介している。なかなかすぐれた読書ガイドだ。
先日、いつだったか2週にわたって紹介されたのがバルザックの『ゴリオ爺さん』。「ゴリオ」という名前はどことなく昔のアニメーションのガキ大将のような響きがあり、ゴリラのような風貌のやんちゃな爺さんを想像していた。人間ってやつはなんてに勝手な想像をするのだろう。
ところがどうして、ゴリオ爺さんは朴訥で、働くことだけが取柄で、娘たちを溺愛し、にもかかわらず看取られることもなく世を去るこの上ない不幸を身にまとった老人だ(もちろん娘がふたりいる父親としては共感せざるを得ない部分が大いにある)。
残念ながら、ゴリオ爺さんはわんぱく爺さんではなかった。そういった意味ではぼくはこの小説に裏切られたのであるが(勝手に思い込んでいて裏切られたもない話だが)、それ以上に他の登場人物がこの物語を盛り立てている。とりわけゴリオ爺さんと同じ下宿ヴォケー館に住むラスティニャックは立身出世をもくろむ地方出身者で主役といってもいい存在である。このほかにもひとくせもふたくせもある人物が登場する。バルザックはどうやら登場人物を使いまわす作家であるらしい。機会があれば別の作品でこれら登場人物に出会いたいものだ。
親というのはいつの世も子どもたちに裏切られているのかもしれない。裏切られた親がかつてそうだったように。

2010年7月20日火曜日

さくらももこ『永沢君』

先月、次女が修学旅行で京都、奈良をまわって来た。
帰りの新幹線のホームには京都に住む姉が見送りに来て、たいそうな土産を持たせてくれたようである。
修学旅行と聞いて思い出す一冊は、さくらももこの『永沢君』だ。『ちびまるこちゃん』の特異なキャラクターである永沢君、藤木君らの中学3年生時代の物語である。
『ちびまるこちゃん』はテレビアニメーションとなって、『サザエさん』同様人工衛星アニメ化した。人工衛星アニメというのはいちど軌道に乗ったら永遠にまわり続けるアニメーション番組のことで、ぼくが勝手に名づけたものだ。つまりそこには時間の概念はない。永遠にまるこは3年生だし、かつおは5年生だ。イクラ、タラにいたっては永遠に乳幼児だ。
そんななかでこの本が画期的だったのは、永沢や藤木が年齢を重ねるという現実にきちんと立ち向かったことだ。永沢はビートたけしに憧れ、藤木は深夜ラジオのスターになり、野口は憧れのなんば花月を訪れる。平井は土産屋で万引きし、それを目撃した小杉は殴られる。そして高校受験、卒業となんとも切ない思春期の物語だ。切なさの根源は時間の流れ、ということなのか。
ちなみにまるこ、たまちゃん、まるおは登場していない。おそらくは私立の中学校に進学したのだろう。でも花輪はいる。中学受験に失敗したのだろうか。

2010年7月17日土曜日

ダグラス・C・メリル/ジェイムズ・A・マーティン『グーグル時代の情報整理術』

早川書房といえば、SFやミステリーでおなじみだが、いつの間にか新書も出版していた。
ぼくが好んで読んだハヤカワの本はカート・ヴォネッガットJrのSF小説で和田誠の装丁が好きだった。浅倉久志の訳も筆者を熟知した感があってあんしんして読めたと思っている。
そんなせいか、ハヤカワと聞くと良書を良質な翻訳で世に出している、といったイメージが強い。
先にクラウドコンピューティングの本を読んで、あまりにグーグルのことをぼくは知らないなと思い、それじゃあ、ってんで、手にとった。
グーグルという企業のモットーは「世界の情報を整理する」ということらしいが、筆者で元グーグルCIOのダグラス・C・メリルが自らの実体験とともに情報整理術を披露する。けっしてグーグル製品に偏った宣伝的な本でないところがいい。
gmailをはじめていないのならば、この本を読むのを機にはじめてみてはいかがだろう。本書の内容をPCの画面で確認できる。WordやExcelなどのファイルも作成でき、PDAやOutlook のスケジュールや連絡先データも移行できるが、実際のところは機能的には不十分だったり、文字が欠けたり、日本語版ではまだまだなところもあるが、とりあえずクラウド体験するにはもってこいだ。
早川書房に話は戻るが、翻訳ものや演劇関係の本が多かったので、もしや早川雪洲と関係があるのでは、と思っていたが、どうやらそういうことではないようだ。



2010年7月15日木曜日

オルセー美術館展2010

仕事場でとっている日経新聞のチラシのなかに新聞販売店のアンケートが挿し込まれていて、適当に答えてFAXするだけなのだが、回答者のなかから抽選でオルセー美術館展2010のチケットが進呈されるという。ちなみに返答すると数日後、日経新聞販売店の人がチケットを持ってきてくれた(ここのところ、小さいことに関しては運がいい)。
そんなわけで昨日がはじめての国立新美術館。
前回オルセー美術館展を観たのは上野、東京都美術館だったような気がする。そのときは写真や陶器、彫刻などさまざまな展示があり、メインの絵画はエドゥアール・マネの「ベルト・モリゾ」だったような…。
今回は特にこれといった大物はなかったように思う。アルルのゴッホの部屋とか、ゴーギャンの自画像とか前回来日した絵も多かった。強いてあげればゴッホの自画像、スーラの点描画の何点かが印象に残った。
しかしながらなんといっても観てよかったと思うのはセザンヌの「ラ・モン・サン・ヴィクトワール」だ。大きな絵ではなかったけれども、3年前カンヌからアヴィニヨンへ向かうTGVの車窓からほんの一瞬だけで見たヴィクトワール山の姿を思い出したからだ。人間の記憶とは不思議なものでほんの一瞬でも印象に残ったものは一定期間、あるいは永遠に(もちろん体感的にではあるけれども)記憶できるものだ。
美術館を出たら雨が上がっていたので、昔伯父の住んでいた三河台公園のあたりを蒸し暑いなか散策してみた。大きなマンションが建ち並び、当時にもまして日当たりの悪くなった俳優座の裏の細道から六本木通りへ出て、南北線の六本木一丁目駅まで歩いた。

2010年7月14日水曜日

阿刀田高『ギリシャ神話を知っていますか』

サッカーワールドカップ2010はスペインが優勝した。
識者によると速いパスまわしでチャンスをつくるスペインのサッカーは日本がめざしているサッカーに近いらしい。じっくり時間をかけて、切り崩した貴重な1点だったように思う。オランダは長いパスやドリブルの突破など、見ていて派手なサッカーだったが、微妙に勝ちに出る姿勢に乏しかったような印象だ。それにしてもオランダのファンマルウェイク監督の試合後のコメント「主審が試合をコントロールできていたとは思わない」は言わなくてもいい余計なひとことだ。
ギリシャの神々は聖書に比べて、とても人間的である。神話と呼ばれるだけあって、奇想天外な物語ばかりだが、登場する人物のみならず神々たちも人間的だ。
ギリシャ神話の逸話は西洋の小説にふんだんに引用されており、読書のための基礎教養として必須かなと思っていた矢先にこの「知っていますか」シリーズに出会えてなによりである。「知っていますか」を「知っていませんでした」だったわけだ。

>すでにこれまでの十章でおおよその英雄や美女たちについては触れただろう。
>ヘレネ、パリス、ヘクトル、アンドロマケ、カッサンドラ、アキレウス、ピュロス、
>オレステス、レダ、ヘラクレス、アドニス、ダフネ、オイディプス、アンティゴネ、
>オルペウスとエウリュディケ、シシュポス、タンタロス、ディオニュソス、プロメ
>テウス、エピメテウス、パンドラ、イアソンとアルゴー丸の船員たち、メディア、
>オデュッセウス、ペネロペイア、そしてゼウスを初めとするオリンポスの神々。
>いくぶん私好みの選択ではあったが、膨大なギリシャ神話の中の著名なエピ
>ソードはおおかた取りあげたと思う。読者諸賢は右のヒーローとヒロインたちの
>中で、どれほどの数を記憶にとどめておられるだろうか。

これはエンディングに近い11章で筆者が記しているまとめの部分。まあ、読み終えた今となっては、大して記憶にも残っていないが、そのうち折があれば思い出すだろう。

2010年7月9日金曜日

柳田國男『日本の伝説』

ワールドカップもいよいよ大詰め。決勝に勝ち上がるのは、ブラジルのいるブロックとアルゼンチンのいるブロックからだろうと思っていたが、ドイツも敗れて、スペインとオランダの対戦となった。決して予想外の展開ではなく、ヨーロッパの強国同士。いい試合を期待したい。
ワールドカップといえば、先日コカコーラのキャンペーンでワールドカップ2010のロゴがデザインされたTシャツが当たった。コカコーラで当たったというより、アクエリアスで当たったというべきか。なにせ土日に卓球をするとこの時期猛烈な汗をかく。水分補給はたいせつだ。
その昔、水の便の悪い村があった。村人は遠くにある水源に毎日水を汲みに行っていた。あるときその村にやってきた弘法大師が苦労して水を運んでいる村人に一杯の水をめぐんでもらった。弘法大師はお礼に杖で地面をたたき、ここを掘れという。そしてその井戸から良質な水が湧き出し、村をうるおした。
と、このようなありがたい話が満載されているのがこの本。柳田國男によれば、昔話と伝説の違いは、動物的なるものと植物的なるものとの差であるという。普遍的なストーリーがあちこちで見られる昔話に対して、伝説はその土地土地にしっかり根を張っているということらしい。
偉い人が地面に挿した箸が成長して大木になったり、山が背比べをしたり、持ち帰った石が大きくなる話などなど日本はあっちこっちでおもしろい国だと思う。
ただLなんだな、サイズが。Oだったらよかったんだけど、選べるサイズがMとLしかなかったんだよね。

2010年7月6日火曜日

戸村智憲『なぜクラウドコンピューティングが内部統制を楽にするのか』

もうかなり前からクラウドコンピューティングという言葉を耳にしている。
ギターの上手いおじさんがコンピュータをはじめて、そのギタリストの名前をとって、クロードコンピューティング。それを英語読みするとクラウドというわけだ。もちろんうそだ。
最近になってぼくが関心を持ったのは、きわめて個人的な事情で、要は仕事場で使っているPCのハードディスクの容量が小さくてすぐにいっぱいになってしまう。外付けに逃がしても逃がしてもすぐにいっぱいになってしまう。よくよく調べてみたら、日常的に使うアプリケーションも多いのだが、ゴミ箱に入れられない古いメールや頻繁に使うテンプレート、画像等の圧迫が大きい。こんなものはネット上のどこかに置いておいて、使いたいときだけダウンロードすればいいんじゃないかと常々思っていたら、クラウドというのはどうやらそういうことらしい。
ポルトガルにものすごくサッカーの上手い選手がいて、しかもコンピュータにも長けていた。その名をクリチアーノ・クラウド。その名をとって…。そんな馬鹿な。
先日、個人情報保護に関するセミナーが都内某所であり、そこで1時間ほど話をしてくれたのが、この本の筆者、戸村智憲だった。
厳密に言えば、その講演を聴いて、興味を持ったのでこの本を読んだ。順番としてはそうである。
ITは社内で持つ時代ではなく、社外あるものを賢く借りる。内部統制でネックとなる対応コストの増大に応えるのがクラウドコンピューティングであるというたいへんためになるお話でした。

2010年7月2日金曜日

野坂昭如『アメリカひじき 火垂るの墓』

先日、岡山に行ったときのこと。
プロデューサーのTが弁当を買うというので、ぼくは“貝づくし”という煮帆立ののっているのを指定した。あまりあれもこれも入っている弁当は好きではない。
昼近くなって、豊橋だか三河安城だかあたりで、お腹が空いたので弁当を出す。包み紙には“深川めし”と印刷されている。なんとなくいやな予感がしたが、深川めしと貝づくしは隣どうしで並んでいたし、つくった会社も同じだったと思うので、包装紙は同じものを使っているのだろう、くらいに思ってふたを開けると、なんとやっぱり深川めし。
ぼくは普通に寛容な人間なので、深川めしと貝づくしの違いくらいで騒ぎ立てたりなどしない。ご飯にのっている帆立が穴子になったくらいの微差だ。
ただ食べながら思ったのだが、ぼくが駆け出しの頃、大先輩の弁当を間違って買ってしまっていたら、いったいどんな目にあっただろう。当時は純粋に怖いスタッフは大勢いたからだ。たぶん名古屋で降りて、東京駅に戻って、取り替えてもらってこい!くらいのことは言われただろう。それとか、自分の弁当ならまだしも、相手が子どもだったらどうか。食べたいものと違うものが目の前になって、それがもしも大嫌いなものだったら…。
考えただけでも背筋の凍る思いである。
一応念のため、Tに弁当が頼んだものと違っていたと教えてやった。そしたらT,「ぼくはちゃんとお店の人に“貝づくし”っていいましたよ」だって。時代が変わったのか、Tが未熟なのか、Tを教育した人がバカなのか。普通こういうときには「申し訳ありませんでした」とまず詫びを入れてから、弁解するなり、言い訳するなりしたほうがいい。そう言おうと思って、Tの悪びれない顔(こいつはいつも阿呆みたいな顔をしているのだが)を見て、余計なことを言うのはやめた。
野坂昭如と聞くとどうしても文壇の人というより、テレビの人、タレントというイメージが強い。タレントでないとすれば作詞家。「おもちゃのチャチャチャ」の印象が強い。
「火垂るの墓」は前々から読みたいと思っていたのだが、独特の、助詞を省いてリズミカルな文章は慣れるまでは時間がかかるが、読みすすめていくうちに講談を聞いているような錯覚におちいり、いつのまにか数十頁読み進んでいる。実に不思議なタレント、いや作家である。
のぞみ号が新神戸に停車したとき、ふと野坂昭如を思い出した。

2010年6月30日水曜日

柳田國男『日本の昔話』

日帰りで岡山に行ってきた。
滞在時間はものの3時間。のぞみ号に乗っていた時間が7時間。新幹線に乗るのが仕事、みたいな仕事だった。
山陽新幹線で広島まで行ったことがあるが、岡山で下車するのははじめて。おそらくこの辺が新幹線で行くか、飛行機で行くか悩む距離ではないだろうか。
まさにとんぼがえりだったけれど、せっかくだから駅できびだんごを買った。絵本作家の五味太郎のイラストレーションのパッケージだった。ちょっと土着感がないかなって感じ。
以前、ジョルジュ・サンドの『フランス田園伝説集』というのを民間伝承を収集した本を読んだが、この手のものはおそらく世界中どこにでもあり、才能に恵まれたなら、研究などしてみるとさぞや楽しかろうと思っている。当然、日本にもあって、これが柳田國男のライフワークとなっているわけであるが、新潮文庫でもさほど売れている本でもないようで、先日歯科治療に行った草加の本屋でやっと見つけた。
自分の幼少の頃を思い返しても、これほど多くの昔話を聞いたことはなく、日本全国から採集する作業も楽しかろうとも思うが、苦労も多かったろうとも思う。
ペローのサンドリヨンの話とよく似た「米嚢粟嚢」などは人間の普遍性の証なのか、それともどこかで西洋文明との交渉があったのだろうかと考えてしまう。そもそも奥州は欧州から来ているのではないか、と下衆な勘ぐりさえ起こしてしまう。「鶯姫」や「奥州の灰まき爺」など、かぐや姫や花咲じじいとそっくりな話もあって、そのオリジナルはいったいどこにあったのだろうか。また「鳩の立ち聴き」や「盗み心」など日本人は昔からユーモアあふれる国民性を持っていたのだなあと感心させられる。
まあ、おもしろい話というのは昔からあったのだろう。

2010年6月25日金曜日

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

高校時代は皇居のまわりを毎日のように走っていた。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。

村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。

2010年6月22日火曜日

阿刀田高『新約聖書を知っていますか』

サッカーワールドカップ2010。
引き分けなしの決勝トーナメントも壮絶でおもしろいが、まずは予選グループ戦の大詰めがなんといっても目が離せない。
今日からいよいよグループ戦3まわり目。フランスはもう奇跡を待つしかなく、イングランド、ドイツ、スペイン、ポルトガル、イタリアとヨーロッパの強国の苦戦が続く。安定しているのは南米のチーム。やはり南半球の大会のせいだろうか。
ふだんあまりサッカーを観戦することはないが、力の差が歴然とあらわれる試合もあれば、格下と思われるチームが戦術的に上位チームを苦しめ、さらには勝利までするという番狂わせもあって、たまに観るとおもしろいものだ。
特にヨーロッパのチームは守りがしっかりしている。たぶんふだんからディフェンスの練習にじゅうぶんな時間を費やしているのだろう。ディフェンス練習にはオフェンス側が必要だから、当然半分は攻撃練習にもなるし、守りを通じて攻めを知る、要は野球のキャッチャーが配給を読む、みたいなこともあるだろう。守備に時間を割くことで攻撃の練習はおのずと少なくなる。それも攻撃時の集中力向上に役立っているのではなかろうか。

この本は先に読んだ『旧約聖書を知っていますか』と同様、かゆいところに手が届く一冊である。

>このエッセイは、〈旧約聖書を知っていますか〉の姉妹篇とも言うべき試みである。
>欧米の文化に触れるとき、聖書の知識は欠かせない。美術館一つをめぐるときで
>さえ、--この絵は聖書のことらしいけど、どういう背景なのかな--
>と、素朴な疑問を抱いてしまう。
>そんな不自由さを少しでも軽減してくれる読み物はないものだろうか……私が
>二つのエッセイを書いた動機はこれに尽きている。

とあるように、おそらくこの手の知識を最低限身につけていれば、ヨーロッパの絵画の鑑賞や古い教会めぐりが楽しくなること、請け合いである。ただ、せっかく有意義な読書体験も先立つものがなければ、実地に活かす場を与えられない。残念至極である。


2010年6月19日土曜日

小山鉄郎『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

フランスのセーヌ、ローヌ、ロワールに相当する河川が品川でいえば目黒川と立会川だろう。とりわけ後者は京浜急行の駅名にもなっており、知名度は相当高い(はず)。
立会川はもうかなり昔に暗渠となり、その上は普通の道路となっているが、ぼくの子どもの頃は今のJR横須賀線の西大井駅のあたりにあった、たしか三菱重工だったと思うが、その工場の敷地内が暗渠化されているくらいで、あとは都内でよく見かけたどぶ川みたいなむき出しの小河川だった。三菱重工の隣は日本光学、今のNIKONで大井町界隈は品川の産業の中枢であったことがうかがえる。
その産業地帯に小さな公園がいくつかあり、そろそろ遊び場探しに苦心していた少年たちは猫の額ほどの公園でよく手打ち野球というゲームに興じた。軟式テニスに使うようなゴムボールをバットのかわりに自らの握りこぶしで打つ野球だ。ノーバウンドで公園の外に出ればホームラン。だいたいひと試合でホームランが十数本飛び出す空中戦野球でもあった。ただしさらなるローカルルールがあって、公園外にボールが飛んでも、当時むき出しの立会川にボールが落ちると一発チェンジ。ちょっとしたレッドカードだった。
で、ボールが川に落ちるとどうするかというと、急いで走り、走りながら靴とくつしたを脱ぐ。公園より下流に川に降りられる梯子段があって、そこから川に入ってボールをひろう。ルール上はこの時点でスリーアウトとなる。もちろん得点にはならない。
川の流れは美空ひばりの歌のようにゆるやかだったから、たいていボールは無事確保できたのだが、ごくたまに雨上がりの翌日など水かさが増して流れが急なときなどボールに追いつけず取り逃がすことがあった。そういうときはもちろんゲームセットだ。
漢字は象形文字だと子どもの頃から教わっていたが、こうして古代文字と今の漢字(旧字)と見比べると概念としての“象形文字”がより具体的な形で理解できる。それとこの手の話は本で読むより、話を聞いたほうがてっとりばやい。本になってしまったのは仕方ないが、白川先生のお話を伺っているというスタンスで書かれているこの文章は親切で、臨場感がある。


2010年6月16日水曜日

レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』

先週、プライバシーマークの更新審査があった。
個人情報に限らず、情報セキュリティ全般に関して言えば、安全管理措置というのものを講じなければならず、また安全管理措置も組織的安全管理措置とか物理的安全管理措置とか技術的安全管理措置とか人的安全管理措置とか区分けされているが、実は結局ひとつのことだったりする。
一般的には“ついうっかり”といったヒューマンエラーというのが多いらしいが、その“ついうっかり”をルールでフォローできていれば、事故は未然に防げたりもする。つまり組織的安全管理措置で人的エラーを最小限に食いとめることは不可能ではないということだ。また、いくらしっかり施錠してもサーバのセキュリティが甘かったら、簡単に漏えいしてしまう。物理的に安全ならすべて安全というわけでもない。かといって技術的な対策もある種のいたちごっこの感は否めない。
たとえば携帯電話。会社で社員に支給している携帯電話の管理責任は当然会社にあるわけだから、紛失防止のためのルールをつくらなければならない。もちろん、完璧な手順などはありえないから、紛失した場合の漏えい防止策もルール化しなければならない。現時点では各利用者の手中にある携帯電話を前提に話ができるが、コンピュータネットワークのように、携帯電話も回線からのデータ流出、改ざん、漏えい、紛失がありえるとしたら…。
これは地下鉄をどこから地中に入れたか、なんてことよりももっと切実な、眠れない問題である。
このあいだ昔読んだ本のリストを見てたら、86年にこの本を読んでいる。
ほとんど記憶にない。その前後に三島由紀夫を多く読んでいたから、おそらくはその影響だろう。もちろん当時のことだから新庄嘉章訳の新潮文庫だったはず。
まあ、西欧の恋愛小説はなんともおどろおどろしいものである。

2010年6月11日金曜日

阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』

昭和46年の50円玉がレアだとずっと思っていた。
たしかに滅多とお目にかかれないので手に入れると別にしておいているのだが、最近他にレアな年はないかと調べてみたら、どうも昭和46年はさほどレアでもないらしい。たしかに前後の年に比べると発行枚数は少ないようだが、むしろ昭和60~62年、平成12~14年のほうが超レアであるらしい。昭和46年がレアだという風説を聞いたのはぼくが高校生か大学生の頃、昭和にして50年代前半。超レア硬貨でおなじみの昭和32年の5円の次にやってくるのは昭和46年の50円玉だと気がはやったのだろうか。
昭和32年の5円玉というのはぼくの知る限りもっともレアな現行硬貨といってよく、半生記以上生きてきて、流通している現物を目にしたことがない。コイン商のガラスケースの中でしか見たことがない。
中学生の頃、同級生のKが放課後、千円ほどの小遣いを手に銀行に行って全額5円玉に両替し、レアな年(当時は昭和32年と42年)があれば抜いて、なければ別の銀行でまた紙幣に戻し、さらに別の銀行で5円玉に両替と、暇な中学生ならでは5円玉探訪の旅をしていたが、そのKでさえ昭和32年には出会えなかった(その後大人になってからも両替の旅を続けていたのかはわからないが)。
以前、『図説地図とあらすじでわかる!聖書』という新書を読んだことがある。それなりに聖書の世界が網羅されていて記憶にはそうとどまらなかったものの、なんとなく聖書ってそういうことなんだ、くらいには思った。もっとお手軽に聖書の世界を紐解きたいと思っていて、その本はそれなりに応えてくれたが、できればもう少し噛み砕いて、子どもにもわかるような“読み物”としてあればいいのだが…などとうすらぼんやり考えていた。もちろんネットで検索するとか、それほどポジティブにではない。
実をいうと柳田國男の『日本の伝説』、『日本の昔話』を読みたいと思って、仕事の帰りに立ち寄った本屋でこの本を見つけた。
なあんだ、あるじゃないか。
阿刀田高の小説は一冊も読んでおらず、まったくの初対面であったが、こうした古典を普及させる意思に富んだ人であることがわかった。たいへんうれしい一冊である。
それにしても昭和46年の50円玉はちょっとがっかりだな。ずいぶん集めたのに。

2010年6月9日水曜日

日垣隆『知的ストレッチ入門』

先週末あたりから左の奥歯が痛み出した。なんとなく腫れているような気もする。感触としては過去に治療したところの根っこのあたりが化膿しているみたい。
で、昨日K先輩の歯科医院まで飛んでいく。場所は埼玉の草加。半蔵門線に乗って、押上を過ぎると東武線に乗り入れる。最初の駅は曳船。このあたりで見る東京スカイツリーはとてつもなく大きい。ちょっと途中下車して近隣を散歩してみたい衝動に、ふだんであれば駆られるのであるが、こうも奥歯が痛いとそんな気も起きない。
K先輩に奥歯を深く削って、とりあえず中にたまっているガスを出せばいくらか楽になると言われ、激痛をこらえた。
こんなとき先輩後輩の間柄は都合がいい。先輩にしてみれば、多少の痛みくらいで後輩が騒ぎ出すとは思わないし、後輩もよくできたもので先輩には絶対逆らわない。
治療が終わって、先輩の部屋でお茶をご馳走になりながら、「かなり痛かっただろ」と訊かれたが、「いいえ、合宿の筋肉痛にくらべれば…」などとわけのわからない会話が絶妙な呼吸でやりとりされる。
今日はいくぶん、痛みは引いたが、まだ腫れはある。

カテゴリーの分類がもともと大雑把なので“エッセー・紀行”にしてみた。たいていこの手の本は新書が多いのだが、最近は文庫にもこのような啓発的なテーマの本が増えている。
日垣隆という著者のことをほとんど知らずに読んだのが、ノンフィクションライターであるらしい。広告の仕事をしているととかく当たり障りのなく、誰も傷つけない表現を選ぶ。そしてそういう習慣が身についてしまうのだが、ジャーナリズムの一線で、しかもフリーランサーである筆者の文章はシャープで明快、読んでいるこちらがはらはらしてしまう。自分の書いた文章に対する幾多の攻撃と闘ってきた人なのだろう。
かつて『知的~』と題される書物は多かったが、この本の成功は自らの主張を貫く強い表現(冗談でさえ素直に笑えないほどの)と“ストレッチ”と名づけたそのタイトルにあるといえる。これから社会の荒波に飛び込んでいく若者はもちろん、仕事的には枯れてきた世代にも刺激になる一冊である。


2010年6月4日金曜日

桐野夏生『東京島』

卓球に限らずスポーツ全般にいえることだが、ユニフォームというものがいつしか派手な柄になっている。
とりわけ卓球はその昔、地味な濃い色のポロシャツみたいなユニフォームが義務づけられていたと記憶しているので体育館やショップで目にする、水彩絵の具をぶちまけたような彩りのシャツや黄や赤や緑の不規則なラインに縁どられたデザインを見ると隔世の感がある。
たしかに昔の卓球といえば黒板のような深緑色の卓球台にエンジや濃紺など淡色のウェアだった。ボールが白なので白のユニフォームは禁止されていたが、いつのころからオレンジボールという新色が登場し、台もきれいなブルーになっている。ときどき駒沢体育館などで行われている学生の試合などで深緑の台を見ると妙に懐かしく思うものだ。
そうした色味やデザインの地味な時代の卓球を知るものとしては、実のところ、昨今のカラーリングは醜悪としか思えない。試合用に購入してもいいかなとも思うのだが、これを着るのかと思うとつい尻込みするものが圧倒的に多い。できれば単色であまりデザインの主張のないものをと思うのだが、お店にはもちろん、メーカーのカタログにもそれほど多くない。
大学生の試合を観にいくと明治や早稲田などいわゆる伝統校のユニフォームは昔ながらの(それでも時代とともに洗練されているのだろうと思うが)、それぞれの学校のカラーを活かしたシンプルなデザインである。早稲田のエンジ、明治の茄子紺、専修の緑などなど。
最近はほとんど観にいかないが学生バレーボールもおそらくは昔と(ぼくが高校生の頃、駒沢までよく観にいっていたころの30数年前)大きな違いはないだろうと思う。中央は紺、筑波は緑、東海は十字のデザインなど。東京六大学野球の各チームが東大をのぞいて昔からデザインを変えていないのと同じように。
まあ、何が言いたいかというと卓球の最近のユニフォームはおじさんにはちょっと恥ずかしいなということだ。
無人島というとものすごく想像力をかきたてられる。文明を前提に日々生きていると息苦しくなる思いだ。そんな局面に堂々と挑んだいい作品ではないか。あ、この本のことね。