高校時代は皇居のまわりを毎日のように走っていた。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。
村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。
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