先日、とある消費者金融の会社が更正法を申請したというニュースに出くわし、昔お世話になった広告会社のKさん(苗字だとSさんだが、ぼくたちは名前の方でKさんと呼んでいた)を思い出した。
Kさんはぼくが学生の頃通っていたコピー講座の先生で、主にラジオCMの手ほどきを受けた。独特の説教口調で今どきなら“うざい”おじさんなのだろうが、その後ぼくが就職した制作会社で家庭用品や台所製品のテレビコマーシャルの企画をお手伝いさせていただいたこともあり、またKさんがぼくの叔父と大学、就職先(大手広告会社)の同期であったということもあって、たいへんあたたかく、そしてきびしく接してくれた。
そのKさんももう70近くになるだろうか。定年でご退職されて以来お会いしていない。先ほどもいったように、いっしょにした仕事の大半は洗剤とか、芳香剤とか、冷蔵庫用のバッグなどで、主婦層を的確につかむコピーワークが要求される作業だったのだが、いちどだけ、消費者金融のCMを手伝った。Kさんとごいっしょした仕事の中でそれはとても異色なものだっただけに妙に記憶に残ってる。
無料コンテンツがネット上では幅を利かせている。タダならなんでもいいかというとけっしてそうではないだろうけれど、いちどタダを味わってしまうと、それはそれでかなり居心地がよくなってしまうのも否めない。そもそも無料コンテンツのビジネスモデルの元祖は民間放送だったのではないか。それが今ではネット広告は収入面でラジオを凌駕し、テレビにも迫る勢いであるという。
筆者によれば、無料のままだとジャーナリズムと文化の衰退をもたらす。旧来の、コンテンツ制作から流通までまるめ込んだ垂直型ビジネスモデルを無料ビジネスモデルが崩壊したのだ。
では、ジャーナリズムと文化の衰退をどう食い止めるか。まあ、その辺に関してはいまひとつって印象かな。
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