大学に入学したのは1978年のことである。
そこは教員養成系の大学だった。特段、教員になりたいという希望はなかった。それどころか、将来自分が何になりたいかということをあまり考えていなかった。とりあえず受かりそうな大学を選んで受験し、結果的に教員養成系の大学に合格したのである。
高校時代の成績不振により、理工系を断念。文系学部に志望を変えたのだが、法律や経済はどことなく近寄りがたく、かといって文学部をめざすほどでもない。文学部に憧れはあったものの、もう少しお手軽な学部はないかと模索していたのである。もちろん教育学部がお手軽とは今でも思っていないが。
近所に東京教育大学を卒業し、出版社に勤務している方がいた。学業優秀でたしか中学から国立に通っていたと聞く。文学部に憧れたのもこの人のせいかもしれない。そんなこんなで教育系の大学を受験したのかもしれない。
入学して一、二年は教育学の概論的な本や当時明治図書から出版されていた世界教育学選集(コメニュウス『大教授学』やコンドルセ『公教育の原理』など)を読んでいた。そのうち大江健三郎を読みはじめ、その後小説が多くなる。海外の小説も読みはじめたが、カフカの『変身』は比較的はやい時期だった。そのすぐ後にカミュの『異邦人』を読んでいる。たぶん実存主義とか不条理文学なるものに多少は関心を抱いた頃なのかもしれない。
それにしてもグレゴール・ザムザの、この物語は冒頭のインパクトが強すぎて、その後どうなったのか、最後はどうなったんだっけといった部分の記憶が飛んでいる。朝起きたら虫になっていたってどういうことなんだ、明日もし俺が朝起きて虫になっていたとしたら、俺はどうやって生きていけばいいんだと考えているうちに物語は後半を迎える。もういちど読んでみようかと思うけれど、再読したところでやはり冒頭のインパクトによって後半を忘れてしまいそうなのでよしておく。
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