2008年9月29日月曜日

芦原伸『さらばブルートレイン!昭和鉄道紀行』

高校野球の新人戦が各地で始まっている。東京も本大会進出の24チームが決まったようだ。
夏、東東京優勝の関東一や国学院久我山、岩倉、日体荏原が早くも敗れ去り、都立高校では国立、日野、足立新田の3校が勝ち進んだ。
鉄道は子どもの頃から好きだったが、寝台列車に乗るようになったのはずいぶん大人になってからだ。最初に勤めた会社を辞めた後、次の職場に移るまでひと月ほどブランクを空け、当時ブームだった北斗星で北海道に行った。寝台列車はいくら走るホテルだとか言っても、正直そんなに寝心地は良くないし、ゆったりリラックスなんてできない。が、鉄道好きにとっては、それはロマンだったり、ドラマだったりするわけで、「なんか興奮して眠れないなあ」などと思いながら、ついつい真っ暗闇の車窓を一晩中眺めていたりするのである。ここで鉄道ファンは、だって寝心地悪いんだもんとか、眠った気がしないんだよねなどとは口が裂けても言わないのである。
ただ、北海道に行く人、とりわけ初めて行く人には寝台列車をおすすめしたいなあ。ぼくの場合東京発だったけど、北海道の遠さが実感できる。
著者の芦原伸は『鉄道ジャーナル』の編集に携わりながら、またその生い立ちの中で深く寝台列車にかかわってきた方のようだ。まったくもってうらやましい限りである。ぼくが乗車経験のある寝台列車は先の「北斗星」、上野-金沢間の「北陸」、東海道本線の「銀河」(「北陸」と「銀河」はそれぞれ2回づつ乗っている)だけである。九州方面のブルートレインも上野-青森間のそれも一度として乗ったことがない。
この本はブルートレインと表題にあるように、客車寝台に特化した内容だが、次回また筆をとる機会があれば、ぜひ電車寝台特急の旅も紹介して欲しいと思う。ぼくたちの少年時代の憧れは、当然ブルートレインだったけれど、いわゆる月光型と呼ばれた583系特急電車も当時はスター列車だった(厳密には特急「月光」は581系)。上野駅で真っ先に写真に収めたのは列車寝台の「ゆうづる」でも「あけぼの」でもなく、まさに「はつかり」、「はくつる」だったのである。「はつかり」に関して言えば、はつかり型と呼ばれた気動車キハ81系があるのでなんで月光型になっちゃったんだ?とも思ったが…。
ええっと何の話だっけ?
そうそう寝台列車はやっぱりいいなってことだな。


2008年9月27日土曜日

荻村 伊智朗 、 藤井 基男『卓球物語』

なぜ角型ペンホルダーによるフォアロング主体の卓球に日本卓球の原点というイメージを持ったのだろう。
両面にラバーを貼るシェークハンドグリップが巷にあふれ、少数民族と化したペンホルダー、とりわけ、半世紀以上前に世界を制した日本式グリップに孤高の輝きを見出すからか。はたまた片面だけで多彩な攻撃を繰り出し、時にショート、ロビングでしのぎ、捨て身のカウンター攻撃に出るその潔さに日本的な武士道精神を感ずるからか…。まあ、これらはあくまでぼくの個人的なイメージでしかない。
そもそも日本で普及した卓球は軟式といって、通常の、現在行われている硬式よりも軽いボールを使い、コートも若干小さかった。しかもラケットはラバー貼りではなく、木のままかコルク貼り。スピードが出ないぶん、とにかく攻撃することで点を取り合った。攻撃するにはフォアロングの方が有利だし、コートも狭いからバック側のボールも回り込んでフォアで強打する。
一方、卓球の本場ヨーロッパでは硬式球が普及し、ラケットもラバー貼り。打球が速く、コートも広いから(ついでにいうとネットも低い)、相手の攻撃を如何に封じて、守りきるか、あるいは如何に相手に攻撃させないか、が戦い方の主眼に置かれた。
というわけでヨーロッパの伝統的なスタイルはシェークハンドグリップによるカット主戦型で日本で普及した卓球はペンホルダーによるフォアロング主体のドライブ攻撃型となった。
と、まあこんなエピソードが満載なのが本書であり、用具の発達、普及によって戦い方が変化してきたことなどもよくわかる。荻村伊知朗は卓球もさることながら、外国語や文才にも恵まれ(もちろん彼のいちばんの才能は惜しみなく努力することなのだが)、ヨーロッパを日本が凌駕した50年代を「スピードの時代」、60年代中国前陣速攻の台頭を「打球点の時代」、そして70年代の攻撃型ヨーロッパスタイルに象徴される卓球を「スピンの時代」と名づけるなど卓球理論家としても素晴らしい業績を残した人といえる。
先に『ピンポンさん』を読んだが、ライターが書く演出された卓球物語もよいが、こうした時代とともに卓球と歩んできた人たちの文章も臨場感があっておもしろい。
80年代以降は「速さと変化の時代」であるという。先日関東学生リーグを観にゆき、五輪代表明治の水谷をはじめほとんどの選手がシェークの攻撃型。中にはカット主戦型もいるが、彼らもしばし攻勢に出る。わずかにペンホルダーの選手がいて、中国式グリップの選手をふたり、角型ペンの日本式グリップの選手をひとりだけ見た。
世界ランカーの上位を中国勢が占め、しかもその大半(特に女子)がシェークハンドグリップの速攻型やドライブ型であるが、中にはカット主戦の選手もいる。また男子の世界ランク1位、2位が裏面打ちペンホルダーだったり、台湾や韓国には日本式ペンホルダーの選手もいる。ひとつのスタイルが世界を統一するのではないことで卓球はまだまだ可能性のある競技だと思える。
「速さと変化の時代」はさらなる多様性を生む時代なのかもしれない。


2008年9月23日火曜日

角田光代『エコノミカル・パレス』

ジャイアンツがすごいことになっている。
メークミラクルの再現だ。
調子が落ちているとはいえ、まさかタイガース相手に3連勝とは思いもよらなかった。できればここで絶好調を使い果たさずプレーオフまでとっておきたいと願うのが多くのジャイアンツファンの本音ではなかろうか。
半年ほど前に出た角田光代の『八日目の蝉』を読んでみたくなり、先週終館間際の日比谷図書館まで行った。さすがに貸出中だった。まあせっかくだから角田光代の本が並んでいる棚の中からまだ読んでいない本をさがして借りてみるかと思い(あらかた読んでない本だったけど)、なんとなくおもしろそうな題名のを一冊選んだというわけだ。
今(というかすこし以前からずっと)世の中がパッとしなかったり、不景気だったり、定職を持たない若者が増えているとか、そうゆう曇天のような世相が如実に描きだされていて、いつも角田を読むたびに思う、ああ、やんなちゃうなあって感じがして、まったくやれやれといった疲労感が残る一冊である。
こうゆう気分のときはビールを飲みながら野球観戦でもして、スカッとした気分になりたいものである。

2008年9月19日金曜日

城島充『ピンポンさん』

長方形のペンホルダーのラケットを柔らかく弧を描くように振りぬく。バック側のボールもフットワークを使って回り込んで、フォアで打つ。前陣の左右から強打を打ち込まれても、カットで粘られても、愚直にフォアロングにこだわって打ち勝つドライブ卓球。これが日本の卓球だ。
小学校の頃、名古屋で開催された世界卓球選手権をテレビで観て、日本はまだ日本流のやり方で世界と互角に戦い抜いていた。伊藤繁雄は決勝でスウェーデンのベンクソンに敗れ、連覇はかなわなかったものの、日本はまだまだ卓球王国だった。

この本の副題には「異端と自己研鑽のDNA荻村伊智朗伝」とある。
その当時、もう題名も出版社も忘れてしまったが、毎日目を通していた卓球の指導書の著者が荻村伊智朗だった。
残念ながら荻村の現役時代をぼくは知らない。ただ伊藤繁雄のドライブを見て、荻村伊智朗も日本スタイルの美しい卓球をした人なのだろうと想像していた。
ぼくの愛読書は大きく、前陣速攻、中陣ドライブ、後陣カット主戦という3つのタイプに分けて豊富な写真とともに基本技術が丁寧に記されていた(と記憶する)。荻村は日本の卓球の指導者であると同時にぼくにとっても卓球の先生だったのである。
さて本書を読むと荻村の、卓球選手としての側面の他に、引退後卓球を通じて国際交流に尽力した、いわば「スポーツ外交官」としての彼の生きざまが多く語られており、生涯を通じて「世界の荻村」として諸外国からも敬愛されていたその人物像が浮き彫りにされる。
そしてその原点ともいえる、荻村を世界に送り出した街の卓球場。この本は、荻村伊智朗の伝記であると同時に武蔵野卓球場のおばさんをはじめとした、日本の卓球を育んできた多くの卓球ファンの物語でもあるのだ。
卓球好きなぼくとしては、もう少し現役時代の荻村伊智朗の映像を(もちろん文章で、だが)つぶさに読んでみたい気持ちが強く、そういった意味では物足りないところもあるが、限られた紙数の中で荻村の波乱万丈な生涯とその輝かしい功績、そして挫折の数々がとても丁寧にまとめられていると思う。

そういえば名古屋の世界選手権で伊藤を破ったベンクソンだが、その指導をしたのが荻村だったという。これは知らなかったなあ。

2008年9月15日月曜日

清水義範『イマジン』

秋の野球シーズンが始まった。
東都大学リーグではかつて東映や巨人でならした高橋善正が監督として率いる中央大学に注目が集まる。六大学は連覇のかかる明治と春の雪辱を期す早稲田の一騎打ちか。いずれも昨年一昨年と甲子園を沸かせた新人たちから目がはなせない。

清水義範はユーモラスでウィットに富んだ短編の名手という印象が強いが、長編も実に丁寧で、よく書かれている。
タイムスリップものはネタとしてはおもしろいのだが、時代ごとの整合性をはかったり、もろもろ辻褄を合わせたり、書き手としてはエネルギーを使う作業だと思う。清水は清水なりのユーモアと読者へのサービスを怠ることなく、「らしさ」あふれるファンタジーにしている。
奇想天外を如何にヒューマンにまとめあげるかが、映画にしろ小説にしろ、時間軸をいじる創作の決め手になると思う。その点、ラストの「ほろり」もそうだが、安心して読める佳作だ。


2008年9月12日金曜日

ポール・ゴーガン『ノアノア』

少しだけ秋らしくなってきた。夏の間影をひそめていた大型台風が南の海上にいる。今後の動向が気になるところだ。
初めての海外旅行はタヒチだった。いわゆる新婚旅行というもので、妻はアジア、アフリカに関心があり、ぼくはどちらかといえばヨーロッパ志向だったのでなかなか行き先が決まらなかった。当時は仕事がめちゃくちゃ忙しかったので、どうせなら何もない南の島でぼんやり過ごすのがいいだろうということでなんら予備知識もなく、タヒチを選んだ。外国語はからっきしなのだが、フランス語圏なら多少、飲み物くらいなら注文できるだろう自信はあったし。
ゴーガンが晩年を過ごしたのがタヒチであることは数少ない予備知識の中にあった。パペーテの観光でゴーガンに関する資料館だかを見た憶えもある。とはいえ思い出すのはボラボラ島のコテージで床下から聞こえてくる波の音を背にしてうとうとしていたことくらいだ。
そんなタヒチにも歴史があって、人々の暮らしがあったんだとゴーガンの文章を読み、再認識させられた。ゴーガンは一介の画家だとばかり思っていたが、父親がジャーナリストで、幼少の頃、ペルーに亡命していたり、波乱万丈の生い立ちがあったという。思いのほか学識のある人だったのだ。クロード・レヴィ=ストロースもパリを発ち、ブラジルに向かい、その後『悲しき熱帯』を書いたといわれているが、南米からパリ、そして南洋の島へと経巡るゴーガンの人生は、どことなくレヴィ=ストロースの世界に似ている。
ような気がした。


2008年9月9日火曜日

筒井康隆『銀齢の果て』

遊んでいるPCにfedora core9をインストールしていたにもかかわらず、仕事場のルータのsyslogが取れずに四苦八苦していた話の続き。
ネットをあっちこっち探していたら、windowsでログがとれるフリーソフトがいくつかあり、試してみた。rtlogというそこそこ使えそうだ。と思ったものの、ずっとログを取り続けるためには、常時起動させておくマシンが要る。ログ取得のためだけに新たにPCを導入するのも効率が悪いので、泣く泣くfedoraをあきらめて、再度自分のマシンにwindows2000をインストールし直した。
もともとAOpenのマザーボードにpentiumの1GHzを挿して使っていた自作機。HDDも60Gあるし、メモリも512Mあるし、ログ取りにはじゅうぶんすぎるスペック。とはいえ、自作機だったことを忘れて、何の気なしにシステムをインストールし、後でロッカーからドライバの入ったCDROMを探す始末。数時間の格闘の末、640X480、16色モードから解放された。
その翌日、なぜかオンボードのLANが動かず、PCIに挿さっているLANカードの型番を筐体を開けて確認し、別のPCでドライバをダウンロード。2日がかりでOSのアップデートも含めてようやく稼動状態になった。
今は大人しくルータのログを取っている(とはいえ、ファンの音が多少うるさい)。

そんななか、昨年出版され話題になった『銀齢の果て』が文庫になったのでさっそく読む。
巻頭の地図を見ながら読み進めば、そこはまるでゲームの画面のよう。笑えるような笑えないような、近未来よりもっと切実な現実がテーマ。だからこそのおもしろさだ。
山藤章二のイラストレーションもなかなかブラックでよろしい。というか「シルバーな」っていうべきか?


2008年9月4日木曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『脂肪のかたまり』

中学に入る前に卓球のラケットを買ってもらった。もちろんそれまでもラケットは持っていたが、いわゆるラバー貼りのラケットで、角型日本式グリップのペンだった。卓球部に入るという前提ではじめて、ラケットとラバーを別々に買ったのだ。
ラケットはバタフライのサファイア(だったと思う)。ヒノキ(これも定かじゃないが)単板の丸型ペンホルダーで、なにせ当時は河野といい,、田坂といい、日本も前陣速攻の時代に突入していた。丸型ペンに表ソフトラバー。迷わず決めた。
住んでいた地域のスポーツ用品店の品揃えが圧倒的にバタフライだったのと当時は『卓球レポート』なる雑誌も愛読していたので、ラバーもバタフライ製、テンペストというラバーの表だった。そのころはそんなにラケットもラバーも種類が多くなかったので、やれテンションだの粘着だのという選択肢はなかった。オールラウンドかテンペストかスレイバー。スレイバーなんて高嶺の花でテンペストの倍近い値段だったと思う。しかも裏しかなかった。その後スーパースレイバーなどというさらに高嶺の花があらわれたが、そんな高級なラバーを貼っているやつは見たことがなかった。
サファイア+テンペスト表は打球感のやわらかいラケットに反発力のある表ソフトということで、なかなか手に馴染んだ。今でもサファイアは持っているが、ラバーは何度か貼り替えている。テンペストを越えるラバーはなかったんじゃないかな。
サファイアは丹念に削って、持った感じもよかったんだが、大人になってから手にするとやっぱりそれなりに成長したのか、微妙に手のサイズに合わなくなっている。

で、モーパッサン。
モーパッサンは読んでみると、ストーリーの組み立てとか人間描写が心憎いまでに巧みで、感心させられる。読む前のイメージはフランス文学の巨人という感じで、重々しい印象だったのだが。
『脂肪のかたまり』は彼の代表作ともいえる中篇でエリザベート・ルーセという登場人物のあだ名ブール・ドゥ・スイフ(脂肪のかたまり)が表題となっている。せっかくだからもうちょっと気の利いた題名にすればよかったのにと思う。

2008年9月1日月曜日

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

夏休みの終わりは連日の雷雨となった。しかし、よく降る。
仕事場で、インターネットのアクセスログを残さなければならず、先週分のログファイルを保存しようとしたら、ルータに残っているログは2~3日ぶんだけだった。要はルータ自体に記憶領域が多くないため、一週間分も保存できないようだ。
遊んでいるPCが一台あって、こないだfedora core9をインストールしていた。たいした使い途もないのでこいつにログをとらせようと思ったまではいいが、さほどLinuxの知識もなく、rsyslogの設定の仕方がわからない。
やれやれ。こうして8月が終わる。

筒井康隆を読んだのは『夢の木坂分岐点』以来だなと思っていたら、案外そうでもなく、読書記録を紐解くと、その後『残像に口紅を』『朝のガスパール』を読んでいる。ようだ。
いずれにしても筒井康隆という人は、その文章力やストーリーを生み出す卓抜なセンスを持ちながら、飽くなき探究心をもって、実験的な作品を世に送り続けているところがすごい。落語をやらせれば名人級なのに、あえて、色物を追い求める、そんな感じ。
この本は『夢の木坂』のように夢が舞台なのだが、微妙に異なるひとつのシチュエーションが反復されて、しおりをはさまず中断すると、どこまで読んだかわからなくなる。実に面倒な本である。しかしながら、その反復の中の微妙な差異が飽きさせないし、おもしろいし、読み手のモチベーションを維持してくれる。
色物も(なんていったら大変失礼千万な話だけど)ここまでくれば超一級の芸術だ。

2008年8月28日木曜日

青柳瑞穂訳『モーパッサン短編集』

今月は、高校野球とオリンピックの2大イベントで読書量が激減。昼間はラジオで、夜はテレビでと耳と目を消耗した。
高校野球の決勝は大阪桐蔭と常葉菊川。これは去年の春、出張ついでに立ち寄った甲子園で観戦した対戦だ。この夏は大阪がリベンジしたかたちになったが、去年の中田のような中心的存在がいないながらもどこからでも得点できる好チームだった。守備もよかった。一方で常葉菊川は戸狩を中心としたチームだけに彼の故障が痛かったのではないか。
オリンピックは卓球男子シングルスの決勝、王皓対馬琳が興味深かった。これだけシェークハンドのプレイヤーが多数ある中、ペンホルダー同士の対戦とあって、録画してくりかえし視てしまった。

モーパッサンの短編集は以前、岩波文庫の高山鉄男訳で読んだが、こちらの新潮文庫版は、三分冊となっており、(一)は田舎もの、(二)は都会もの、(三)は戦争ものと怪奇ものと分けられている。果たしてそれが読み手にとって親切かどうかは別として、360ほどあるモーパッサンの短編の65編がここにおさめられている。もちろん岩波版と重複するものある。
前回、寝しなに読んでいたせいか、電車の中で読みはじめると眠くなる。これは条件反射か、テレビの見過ぎ、ラジオの聞き過ぎか。ともあれ、まだ全部読んでしまったわけではない。行く夏を惜しみつつ、ゆっくりゆっくり読んでいこう。


2008年8月11日月曜日

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

以前同じマンションに住んでいたBさん一家は、ふたりの子どもが同い年ということもあり、いまだに家族ぐるみで付き合っている。もう何年も前に彼らは西宮に引っ越したのだが、年に一度は遊びに行くか、来るかしている。
今年、BさんちのAちゃんが甲子園の入場行進のプラカードを持つことになった。開会式をテレビで視て、「おお、映ってる!」と、わが娘を見つけたかのように興奮した。
甲子園というところは不思議な場所で、新聞などによる下馬評は、直近の地方予選の結果に加えて、春の選抜大会や地区予選の結果をベースにしている。春の近畿大会を征した福知山成美が強いだとか、同じく関東大会を勝った木更津総合が頭ひとつリードしているなどと報道される。春の選抜ベスト4で地方予選を勝ち抜いてきた唯一の学校である千葉経済大付が注目されたりするわけだ。
でもって、そうは簡単にはいかないところが甲子園のすごいところなのだ。

1985年に野崎孝訳で『ギャツビー』を読んだ。そのころ映画も観た。ロバート・レッドフォードが主演だった。そもそもは村上春樹が高い評価を与えている小説ということで読んだのだ。村上訳を読んでも、やはりこれは簡単な小説ではない。が、村上春樹のこの小説に対する思い、みたいなものは翻訳からもじゅうぶんうかがい知ることができる。

続々とベスト16が決まっていく。常葉菊川、智弁和歌山、横浜、浦添商と千葉経大付の勝者が優勝候補とにらんでいるのだが…。

2008年8月1日金曜日

山本文緒『プラナリア』

でね。
ぼくらは学校の体育館を追い出され、児童館で卓球をするようになったわけだ。単に遊び場所が変わったっていうふうに解釈すれば、まったくそのとおりなんだが、実のところ遊び場のダウンサイジングはぼくらの卓球のスタイルにも影響を与えた。つまり、ぼくらが覚えた卓球は体育館というある意味、小学生にとって卓球をやる上で無尽蔵なスペースだったわけで、卓球台の両サイドを走りまわる、まさに純日本的なドライブ卓球が身についていた。相手からスマッシュされたら、まずは下がる。ロビングでひろえる限りひろって、向こうのミスを待つ。あるいは打ち切れなかったゆるいボールに飛びついてカウンタースマッシュをする。まあ、なかなかそこまで技術的には追いついていなかったけどね。少なくともぼくらは71年世界卓球の伊藤繁雄からそんな卓球を教わっていた。
それがだよ。児童館は遊戯空間としては適度な広さと快適さ、さらにはちょっと新しい遊具の数々があって、子どもにとってはこんな恵まれたスペースはなかったんだ。でもだよ。そうした多目的プレイスペースに卓球台も置かれているわけで、これはいきなり「小さく前へならえ!」の状態で卓球をするようなものなんだ。しかも天井が低い。下がってロビングなんてまず不可能。要はここではラケットを振って、ボールを打ち返すことはできても、名古屋世界選手権団体戦、荘則棟に代わって中国のエースとなって活躍した李景光が繰り出すスマッシュをかろうじてロビングでしのぐ伊藤繁雄、みたいなラリーは望むべくもないということだ(もともとそんな技術もないのだが)。
結局、児童館卓球はぼくらを卓球台のすぐ近くに立たせて、そこで卓球をするすべての子どもたちを前陣速攻型のプレイヤーに変えてしまった。

でね。
山本文緒は最近新しい短編集を出したそうだが、そちらはまだ読んでいなくて、テレビの○曜ロードショウで以前のヒット作を見るように『プラナリア』を読んでみた。
この本を読む限り、どの短編も結末近くなると急激に話が展開しだす。あれよあれよと話が動き出し、いつしか終わっている。

ただ、前陣速攻というのはフォアもバックも同じように強くて速い打球を打てなければならないんだよね。ぼくらのまわりでバックハンドが難しいペンホルダーよりシェークハンドグリップが増えてきたのも、もとを正せば児童館のせいなのかもしれない。

2008年7月29日火曜日

井村順一『美しい言葉づかい』

今年の高校野球は記念大会とやらで出場校が例年より多い。埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の6県から2校出場するのだそうだ。というわけで上記6県は東西なり南北なりの区分けをして代表校を2校にしている。
決勝に進出した2校を第一代表、第二代表にすればいいんじゃないのっていう意見もある。ぼくもそうだ。それでも負けたチームも甲子園に行けるのはおかしいと主張する人もいて、世の中って難しいと思う。
この本は「フランス人の表現技術」という副題がついており、17世紀に現在の洗練されたフランス語の基盤ができたということを主テーマとして伝えている。サロンと呼ばれる会話を磨き、教養を育む場が盛んになり、その中から「美しい言葉づかい」が尊重されるようになり、ヴォージュラという人が『フランス語に関する注意書』という書を著した。そんな時代の話。
ヴォルテールの著書に『ルイ14世の世紀』があるが、普通の日本の市民としては、なかなか17世紀のフランスにはお目にかかれるものではない。そういった意味でこれは貴重な新書であると思う。



2008年7月25日金曜日

高山鉄男編訳『モーパッサン短編選』

高校野球西東京大会は今日準決勝。
第一試合は日大三対早実。2年前の決勝戦と同じ。日大三エース関谷をおそらく早実打線は打てないだろう、そんな試合運びだった。しかしだ。高校野球ってのはおもしろいもんだね。あれほど打てなかった早実打線が8回同点、9回逆転だもんね。びっくらこいた。両校とも元は港区赤坂と新宿区早稲田に学校があった。神宮球場は卒業生たちが大いに盛り上げたにちがいない。
第二試合は日大ニ対日大鶴ヶ丘。付属校どうしの一戦。昨年の秋から日大ニが強いので密かに注目はしていたのだが、どうもこのチーム、エースで4番のワンマンチームの印象がある。いわば個人技でここまでのしあがってきた、昔で言えば江川のいた作新学院か。いやいや、下手な評価はしちゃいけないな。
試合はシーソーゲームで鶴ヶ丘高校がサヨナラ勝ちしたようだ。
ところでモーパッサンってのはいくら外国の人とはいえ、子どもながらに変な名前だと思っていた。
短編の上手い作家とはよく言われているが、たしかにおもしろい。朝晩電車の中で2編、夜寝るとき1編。コンスタントに読みたい名手である。


2008年7月23日水曜日

湯本香樹実『春のオルガン』

子どもの頃、日本は卓球が強かった。
小学生のとき、名古屋で世界卓球選手権が開催され、テレビでも中継された。日本は前回の大会で伊藤繁雄が男子シングルスで優勝していたし、その前はシェーク一本差しという個性的なグリップで豪快なドライブを決める長谷川信彦が優勝していた。そのころ子どもだったのでよくわからなかったが、中国が世界選手権に参加していなくて、それでも定期的に開催される日中対抗戦では当時荘則棟という前陣速攻のおそろしくスピードのある選手が日本選手を打ち負かしていた。で、そうそう、少し思い出してきた。名古屋大会から中国が世界選手権に復帰したんだ。それで日本人選手による男子シングルス3連覇の前に中国選手が立ちはだかるものと予想されていたんだ。でも、結果はベンクソンというシェークを振り回すヨーロッパスタイルの選手が連覇をねらう伊藤を破って、何十年ぶりかでヨーロッパにタイトルを持ち帰ったんだ。
伊藤繁雄という選手は台から離れて豪快なフォアドライブを連打する選手で、ほとんどバックは使わない。たまにショートで返すことはあるけれど、とにかく右へ左へフットワーク巧みに動き回ってそのフォアハンドから強烈なドライブを打ち込んでいた。
ぼくらの卓球仲間はほとんどがペンのドライブ型をめざした。中には当時流行りだしたシェークハンドグリップでヨーロッパスタイルを模す者、円いペンホルダーに表ソフトラバーを貼って、前陣速攻を目指す者もいたが、主流派はなといってもペンのドライブ、伊藤繁雄のスタイルだった。それはぼくたちが体育館を使って卓球をするという環境的に恵まれていたせいもあった。
後に校庭開放日が少なくなるとぼくらの卓球場は児童センターとか児童館と呼ばれた区の施設になる。そこは当時東京からなくなりつつあった空き地や広場みたいな遊び場の代替品のような施設だった。

なんの話だっけ?
ああ、湯本香樹実の『春のオルガン』だ。
ぼくには姉がひとりいて、けっこうなついていた。自分でいうのも変だが、ずいぶん姉思いの弟だった。だからってわけじゃないが、ちょっとかしこくって、素直な弟が登場人物としていると、「これって、おれっぽくね」みたいな見方で読んじゃうんだよね。
それにしてもこの作者、じいさん書かせたら日本一だね。


2008年7月18日金曜日

エミール・ゾラ『居酒屋』

昨日の3回戦は素晴らしい試合だった。在学中から卒業してまで30数年、すべての試合を観てきたわけじゃないが、それでも30試合近くは観ているだろう。まさにぼくが観てきた試合史上最高の一戦だった。そして最後の一戦だった。
今日は注目の試合があった。昨年秋季新人戦の覇者にして選抜代表、なのに春季大会で初戦敗退し、ノーシードの関東一と春季大会の覇者、今大会第一シードの帝京が早くも3回戦で激突したのだ。先ほど高野連のサイトで結果を見たら、なんと第一シード帝京が敗れた。今日の空模様のように優勝争いに暗雲が立ちこめてきた。
で、なんの脈絡もなくゾラを読む。もともと新聞に連載された小説だそうだ。どうりで、各章ごとにちゃんと事件があって、連続ドラマのような盛り上がりがある。
思い出した。このあいだ読んだ『パリとセーヌ川』によって触発されて読もうと思ったんだ。


2008年7月16日水曜日

二宮清純『プロ野球の一流たち』

音楽プロデューサーのM君が腱鞘炎になってしまったそうで、しばらくは卓球の練習はお休み。
かわって野球。高校野球東東京大会が先週からはじまって、2試合を観戦。今年はぼくの出身校が来年には完全に中高一貫校に変わるため、3年による都立高校のチームと1、2年生による区立中高一貫校のチームと合同で出場している。これは学校名もシステムの異なるふたつの学校の合同チームだから、3年生と下級生とではユニフォームもちがう。まるで草野球を見ているようだ。とはいえ、1回戦、2回戦と勝ち進んで、レベルはそれなりに上がってきた。もう草野球ははるかに越えた。高校生ぐらいだとひと試合ごと、めきめきと力をつける。
次の3回戦にはシード校が出てくる。いよいよスタンドで都立高校の名を刻んだ校歌を聞くのも最後かもしれない。

二宮清純は、地に足の着いた本格派のスポーツライターだ。スポーツを大きくとらえる視野の広さ、畳みかける構成力もさることながら、インタビューの力がすごい。
こんど卓球でM君に勝てたら、ぜひインタビューされたい。

2008年7月8日火曜日

小倉孝誠『パリとセーヌ川』

テーマがちゃんとしていると本は読んでいて面白い。
著者はセーヌ川をパリ論の中心に据えて、歴史、旅、文学、映画、絵画とさまざまジャンルに飛翔し、セーヌとパリを顧みる。幅広い知識と読書量が支える仕事だ。
ぼくはどちらかといえば、フランスにもし旅できたとしても、パリにはよほど余裕がない限り、とどまるつもりはないと思っていた。それよりも見てまわりたい地方の村々がいくらでもあるからだ。でもこの本を読んで、まあパリにも3日くらい充てたほうがいいかもな、などと獲らぬ狸の旅程表を書き直してみたりするのである。

2008年7月6日日曜日

小川糸『食堂かたつむり』

小学校の1級上にIという者がいて、卓球だけは上手かった。 放課後や休日の校庭開放では、たいがい野球をするのだが、上級生に場所をとられ、行く当てのない下級生は体育館で卓球をする。そこには卓球だけ番長なIがいて、試合をする、というか無理やりやらされる。叩きのめされる。まともにラリーも続かず、あっけなく終わる。 そうこうするうち卓球番長も気づいたのだろう。こいつら下級生をレベルアップさせれば、放課後の卓球はもう少しましになるんじゃないかと。ある日を境にIはぼくたちにラケットの握り方、スイングの仕方、サーブの打ち方など基本を教えはじめた。素振りもさせられた。腕立て伏せをするといい、とかトレーニングのことまで伝授した。 ぼくらはIから何点かポイントを奪えるくらいには進歩した。 今にして思えば、ぼくの卓球はほぼ100%、Iから教わったものだ。
実は先週、音楽プロデューサーのM君から卓球をしようと誘われ、久しぶりにラケットを振ってきたのだ。おかげで先週はずっと筋肉痛だった。 そのM君から、おもしろかったですよとすすめられたのが小川糸の『食堂かたつむり』だ。なかなかオーガニックなお話で、結構なんじゃないでしょうか。途中までは梨木香歩の方向に行くのか、吉本ばななの方向に行くのかどっちかなと思っていたら、ややばなな方向でした。

2008年7月5日土曜日

アドフェスト2008展

汐留アドミュージアム東京。

危うく行きそびれるところだったアドフェスト展。昨日なんとか時間をやりくってTV部門を中心に見た。
アジアのCMは、ここ何年か、ものすごくパワフルだ。インドやタイのCMがカンヌで上位に入賞したりして、勢いを感じる。そんな中、日本の作品にもある意味、勢いが戻りつつある。
ここのところ国際的な広告賞では常連となりつつあるエステワムのBeauty Bowling(Silver)などは、これまで以上にハチャメチャだ。カルピスソーダのThe Kind Boy(Blonze)あたりは日本的なギャグかと思えるが、サントリー胡麻麦茶のFireman(Blonze)あたりになるとかなり東南アジアな発想といえるだろう。いずれも商品と広告メッセージをできるだけ薄く繋ぎとめることで表現の自由度を増している。
日本の2作品がGoldを受賞したが、一本はリクナビの山田裕子の就職活動篇。リクルート学生をなぜかスポバで応援するサポーターがいて、そのばかばかしさと熱さが絶妙に面白い。
もうひとつはマクセルのDVD。記憶にとどめておきたいことはマクセルのDVDでという一連のCMシリーズの中のバリエーション。廃校となる小学校のカウントダウンを映像にとどめるというドキュメンタリータッチの佳作。
都市化=農村の過疎化に加え、少子化という現代日本の問題を見事に浮き彫りにして見せており、そんな社会性のあるメッセージが審査員にも届いたのだろうか。とはいうものの、こうした問題提起はCMでできても、それらの解決に向けて、CMは何ができるのだろう。広告ってまだまだ無力のような気もするのだ。


2008年7月3日木曜日

杉浦日向子とソ連編著『ソバ屋で憩う』

犬か猫かという嗜好の問い方があるのと同じくらい明快な区分けの仕方としてそばかうどんかという問いかけがある。もちろん迷わずそばである。
昼間ちょっとした隙をねらって、そば屋に行って、熱燗とかまぼこを注文する。これぞ至福のひとときである。
銀座界隈なら「よし田」、「さらしなの里」、麻布界隈なら「永坂更科布屋太兵衛」、「堀川更科」、赤坂界隈なら「赤坂砂場」、「虎ノ門砂場」、上野界隈なら「並木藪」、「池之端藪」、神田界隈なら「まつや」、「室町砂場」、「神田藪」、「一茶庵」、荻窪界隈なら「本村庵」、「鞍馬」…。

ぼくの中でそば屋は大きく分けて、
◆伝統系…いわゆる老舗で昼夜自在に酒が呑める
◆ブティック系…こだわりの店主がひとり黙々とそばを打つこじんまりとしたそば屋
◆町そば系…出前をしてくれる町のおそば屋さん。オフィス街や駅に近いと夜居酒屋になるところもある
◆立ち食い系…いわゆる立ち食いそば
となるのだが、案外いけてないのが、ブティック系。伝統系のそば屋で修行の末独立した店もあるが、中には脱サラして独学で店を立ち上げたケースも多い。だいたいからして値段が高く(もり・かけで700円以上)、突飛なつまみがある(そば屋のつまみは本来そばのトッピングを加工したものであるべきだ)。そんなわけでぼくが行くそば屋はおのずと伝統系になるわけだ。

町そば屋にも隠れた名店がある。半蔵門駅に程近い「麹町長寿庵」は出前で食べてもうまいそば屋だ。夕方はやめに店に行くと紋付を着た人がそばをすすっている。国立劇場の出演者が出番前に腹ごしらえをしているのだ。
赤坂見附駅近く「赤坂長寿庵」もいい。鴨せいろならここに限る。

現時点でぼくがいちばん好きなそば屋は西荻窪の「鞍馬」で、いちばん行ってみたいそば屋は山形の「萬盛庵」だ。
まあ、そば屋の話をしだすときりがない。つづきはこの本でお楽しみください。


2008年6月30日月曜日

山田祐介『レンタル・チルドレン』

仕事場のプライバシーマークの現地審査があって、改善点が送り返されてきた。プライバシーマークの認証を更新するには社内に個人情報保護の意識を恒常的に植えつけていかなければならず、日々やっかいなエビデンス(記録)をこまめに残させなければならない。
ぼくの仕事場は25人ほどの小さい事務所なのだが、協力的な人もいれば、まったく無関心な人もいる。いちばんやっかいなのは関心がありそうでいて、協力的な態度を装って、実はまったく協力的でないという輩だ。大概の場合、そういう人たちは個人情報保護のためのマネジメントシステムなんぞほとんど理解していない。そしてその手の人間には本を読まない者が多い。成毛真が本を読まない人はサルだといっていたが、サルだって字さえ読めれば本は読むだろう。より正しく表現するならば、「サル未満」というべきではないか。

また山田祐介を読んでしまった。
ちょっと難しい本を読んでいたので息抜きしたかったのだ。これも簡単な本だから、多少のはちゃめちゃさ加減には目を瞑って、とりあえずひまだから怖がりたいなあと思ったときに読むといいだろう。

2008年6月28日土曜日

ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』

中学生の頃は建築家になりたいと思っていた。
高校生になって、いくつかの教科でその方面に進学することが甚だ困難であるとわかって、文科系に転進した。勇気ある撤退だ。
そこで考えた。
文科系といっても何学部に行けばいいのか。そもそも工学部建築学科、みたいな具体的過ぎる目標イメージがあった割には、文科系学部に関してはほとんど無知で、いろいろまわりに訊いてみると法学部、経済学部、商学部、文学部などがあるらしい。今も大して進歩していないが、当時、世の中のことって複雑で面倒に思えたので、法律とか経済って難しいのだなと敬遠した。結局小学生の頃、よく先生に作文を褒められていたことを思い出し、文学部をめざすことにした。

そんなこんなでいまだに経済とかビジネスに関する本はほとんど読まない。この『資本主義対資本主義』は、たまたま先日読んだ成毛真の『本は10冊同時に読め!』の中でもっとも感化された本の一冊として紹介されていたので興味をそそられたのだ。
今は市場経済が世界の大きな潮流になっているが、そのきっかけとして著者はレーガン、サッチャー政権の税制改革をとりあげている。とはいえ、ヨーロッパにはヨーロッパの資本主義があり、アメリカを中心としたアングロサクソン型(さらにはネオアメリカ型)経済とヨーロッパを中心としたアルペン型(さらにはライン型)経済とに資本主義を細分化し、冷戦時代には模糊としていた資本主義の系譜を明快にして論をすすめるあたりは面白い。
著者はフランス人だが、大きくドイツ対アメリカという図式を用いながら、フランス資本主義のアイデンティティを問い直すというのが本旨なのだろう。思うに、本書の資本主義のベースにあるのは工業化社会である。工業主体の産業構造のみ着目したならば、日本もドイツも国土や資源の問題を考えると国家的プロジェクトで工業化社会が生後復興の第一義であったろう。フランスをはじめとしたラテンの国々やさらには中南米、アフリカは必ずしも資本主義=工業社会ではない。農業や水産業も含めて資本主義を問い直すとき、さらなる軸が見出せるような気もする。

翻訳はおそらく原文忠実になされているのだろう。機会があれば原書と見比べたいところもあった。翻訳というより同時通訳に近いのでワールドニュースの原稿を淡々と読むような気分で読んだ。
よく翻訳もので気になるのは、縦書きなのに「上に書いたように」とそのまま訳されていたり、原書が執筆された時点が明快でないまま「○○年前」みたいな記述をそのまま訳出していることだ。大学院の授業ならそれでよいだろうが、出版物とするなら配慮が必要だ。


2008年6月23日月曜日

松岡正剛『知の編集術』

本書の中で懐かしい名前を見た。
湯野正憲。
高校時代の体育の先生で日本でも有数の剣道の大家だと聞かされていた。いちど担当の、やはり剣道部の顧問をしていたM先生が休んだとき、ピンチヒッターで授業をしてくれたことがある。当時にしてすでにかなりのご年配で、当然のことながらいきなりみんなで走りまわったり、ボールを蹴りだしたりなどという授業ではなく、先生のお話をありがたく頂戴するという、ちょっと風変わりな体育の授業だった。
湯野先生は若い頃からスポーツ万能であらゆる競技に取り組んでいたのだが、あるとき剣道の師匠からそろそろ剣道一本にしぼって、その道を極めるべきだと叱責され、以後剣道一筋に生きたという。また、海に行っても、決して遮二無二泳いだりなどせず、仰向けになって波にたゆたっているだけなんだそうだ。そうして無の境地になると自ら呼吸をしなくとも、自然と空気が体内に入り、自然と体外に出てゆく。「鳴らぬ先の鐘」ではないが、先生はこうして心を静め、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。かれこれ30年前の記憶なのであまり頼りにはならないが、そんなようなことを話してくれた。

松岡正剛は編集工学研究所を主宰している知の巨人である。氏の「千夜千冊」はぼくにとってはバイブル的存在で一冊の本から、自分の知や読書や経験を結びつけていく闊達な語り口はあこがれの的であった。ぼくが読んだ本に失礼のないように謝意を記録する試みをはじめたのも氏のサイトの影響が大きい(まあそれこそ雲泥の差というのはまさにこのことを言うのであろうが)。
著者の論旨が明快で動的に感じるのは、おそらく個々の編集技法やさまざまな方法に適切なネーミングを施しているからなのだと思った。新書だからと軽く読んでしまった。もう一度きちんと読み直す必要があると思う。
こんな知の世界がすうっと身体の中に入ってきたら、痛快だろうな。



2008年6月21日土曜日

山田祐介『あそこの席』

南仏カンヌでは国際広告祭が行われている。
昨日、フィルム部門のショートリストがホームページにアップされていた。いよいよ今日は最終日。グランプリが決する。
いま時分の南仏は気候がいい。日が長く、夜9時近くまで晴れて、気温は高いのだが、湿度が低くて、カラッとしている。それにひきかえ、日本の今日のような天気はなんとも重苦しい。

電車の中で読む本がなかったので、次女に買ってあげた文庫本を借りて読んだ。若い世代には受けている作家なのだろうか。
まあとにかく話の進展がはやい。ホラーにしては、次々にネタが明かされていくので、多少物足りないところはあるにせよ、手っ取りばやく結末にいたる。楽勝な本だ。強いてあげれば、ラストが大方の予想通りだったかな。

2008年6月19日木曜日

浅田次郎『霞町物語』

港区には古い地名が残っていたというのはなんとなく記憶にある。子どもの頃よく行った赤坂の伯父の家は丹後町という名前だったし、その後引越した六本木三河台公園のあたりは今井町だったと思う。今でも古いタクシーの運転手は龍土町とか高樹町などとよく使う。銀座も尾張町だの木挽町だの粋な町名があったそうだ。なかなか風情がある。
ぼくの中で浅田ワールドは2種類あって、ひとつはおとぎばなし系で『鉄道員』とか『地下鉄に乗って』のようなちょっとしたファンタジー。もうひとつは正攻法もの。飛び道具を使わずに書き綴った小説群だ。といってもさほど数多くの作品を読んだわけではないから偉そうには言えないが。
『霞町物語』は正攻法の自伝的連作短編集といったところか。舞台は麻布十番、霞町、六本木、赤坂、青山ときわめて都会的で洗練されている場所だが、これらは今風にとらえると都会的なだけであって、登場人物はいわゆる港区土着の原住民であり、物語はきわめてローカルな話だ。会話の描写などにその辺はあらわれている。
かつて都会の真ん中のあらゆるところに潜んでいたこうした田舎ものたちにぼくは心底あこがれちゃうんだな。

2008年6月18日水曜日

宇田賢吉『電車の運転』

昨今、鉄道が趣味としてクローズアップされているが、昔から親しんできた者にとってはさほど驚くべきことでもない。少なからず男の子であれば、巨大な装置産業である鉄道に一度や二度は憧憬を抱いたことはあるはずで、要はその傾注の仕方の質と量の問題なような気もする。
ぼくは趣味としての鉄道を「模型派」、「写真派」、「時刻表派」に区分している。しかし最近は運転シミュレーションゲームがヒットしたり、タモリ倶楽部や熱中人などテレビ番組の影響もあり、装置として鉄道にも注目が集まっている。
タイトルはそのものずばり、『電車の運転』。朴訥な題名だ。今時分の新書にしてはすさまじく質素だ。しかし「なぜ運転士は電車を動かし止めるのか」とか「誰でもわかる電車入門」みたいな興味本位な題名でないことが、この本の内容を如実に示している。
著者は国鉄時代から40年余にわたって運転士を務めてきた。その経験と教育から得た電車運転の実践を生真面目に語っている。発車から加速、力行、惰行、停止など運転の実際。そして動力(モーター)のしくみ、電力の供給方法から、ノッチ、ブレーキのしくみ、操作方法、さらに分岐器、信号機にいたるまで、運転士に必要な知識はほぼもれなく網羅されているのではないだろうか。

  規則とは、利用者にプラスをもたらすためにある。われわれも営業
  関係の規則はお客様のために柔軟に運用することがベストだと教
  育されてきた。それに対して、運転に関する規則は不便に思えて
  も四角四面に運用することが最終的に無事故につながると叩き込
  まれている。

のだそうだ。筆者が寡黙に日々の業務に取り組み、丹念に日誌を残し、メモをとっていたのだろうと思わせる。
読んでいて気になったのは、専門用語が順序だてて整理されていないことだ。突然難解な用語が出てきて、その解説が後まわしになっている箇所がいくつも見られた。まあこれは著者の問題ではなく、編集者の怠慢だろう。残念なことである。


2008年6月16日月曜日

辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』

昨日、個人情報保護士の認定試験のために駒場の東京大学に行く。井の頭線で駒場東大前下車すぐ。この駅には降り立つのは実に久しぶりのことだ。
中学生の頃、近所に住む一学年先輩のIさんがこの界隈の私立中学に通っていることもあって、五月祭に誘われていったのがはじめて。二度目はたしか練習試合か公式戦かバレーボールの試合でやはりこの駅に近い国立の高校に行ったことがある。駅の北側、つまり教養学部側に降りたのは中学生のとき以来ということだ。
で、試験はどうしたかって?まあ野暮なことはきかねえで、一杯やんなよ。

ぼくの仕事場では一昨年にプライバシーマークを取得し、今年更新の手続をしたこともあって、JIS Q15001とか経産省のガイドラインはひととおり目を通してはいたのだが、この個人情報保護士の認定試験には法そのものの知識や今までとんと知らなかった情報セキュリティやリスクマネジメント、事業継続などの規格やガイドラインの知識も要求されるので勉強になったといえばなったし、やっかいだといえばやっかいだった。いずれにしても全日本情報学習振興会の個人情報保護士認定試験の準備としては、先に紹介した『個人情報保護士試験公式テキスト』とこの問題集を何回か往復すればこと足りる。
はずだ。

天気がいいので渋谷まで歩こうかとも思ったが、しばらく読んでいない本もあるのでふたたび井の頭線に乗った。



浅田次郎『地下鉄に乗って』

伯父が赤坂に住んでいたので、よく地下鉄に乗って遊びに行った。新橋から赤坂見附まで当時は2駅だったが、灯りが消える瞬間、毎度のように驚き、きしむレールの音に毎度のように閉口したのを憶えている。
当時木造建築のような赤坂見附駅に着くと、向かい側のホームにはよく絵本で見かける丸の内線がほぼ同時に滑り込んできてうまい具合に連絡していた。子どもながらに黄色い電車と赤い電車は仲がいいと思った。
そういった意味では御茶ノ水駅の快速電車と総武線直通の各駅停車はどことなく快速の方が高圧的であまり仲がよさそうではなかった。御茶ノ水駅から見える丸の内線がいい人に思えたものだ。

物語はその赤坂見附からはじまる。
『地下鉄(メトロ)に乗って』
こないだテレビで映画をやっていた。
タイムスリップものはちょっとずるい気がする。ましてや原作が浅田次郎なんて反則技に等しい。
この本は浅田次郎の比較的初期の作品でそのせいかいまひとつ洗練し切れていない印象があるが、それでもじゅうぶんすぎる浅田ワールドだ。


2008年6月13日金曜日

リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』

昨日の夜、うちの玄関にヒキガエルがいた。
壁をよじ登ろうとしていた。インターホンでも押そうとしていたのだろうか。
ちょっと声をかけてみたら、どうやらうちの前、バス通りをはさんだ向かいの小学校がこんど統合されるということで解体工事がはじまり、今まで居ついていた敷地内の池に居づらくなったそうだ。それでもってどこかいい棲みかはないか探しているという。うちの玄関でも庭でも居てくれてかまわないが、池があるわけでなし、夏場は玄関のある北側も日が当たるから、どこか近くの神社か公園でも訪ねたらどうかと言ってやった。やれやれまったく住みにくくなったなこの辺りも、とぐじぐじ文句を言いながらヒキガエルは闇のなかに消えていった。
怖がり屋の長女は梨木香歩とか好きで読んでいるわりには、この手の生きものが好きではない。ヒキガエルが玄関にいたと言ったら、明日外に出られない、学校にいけない、と騒いでいた。

ぼくは広告の仕事をしているので「クリエイティブ」とタイトルにある本はつい手にしてしまうのだが、この本は広告コミュニケーションの本ではなく、現代アメリカ社会がかかえるさまざまな問題を指摘し、世界に冠たる超大国アメリカの地位を保持し、さらなる経済発展を遂げるためのヒントを提供するれっきとした学術書だった。クリエイティブとは広い意味で知識労働者ということらしい。
いわゆる9.11のテロ以来、アメリカは経済的発展を促すテクノロジー(技術)、タレント(才能)、トレランス(寛容性)の3つのTのうち、トレランスにおいて他国、他地域と水を開けられつつある。カナダ、オーストラリア、スカンジナビア諸国、インド、中国が世界の才能を集め、あるいは自国の才能を呼び戻しているという。そんなこんなでいずれアメリカは大きなしっぺ返しを食らうのではないかというのが著者の懸念である。
まあ、アメリカは腐ってもアメリカだろうとぼくは思ってるんだけど。っていうかもう腐りすぎてる?

朝、新聞を取りにいくついでに家の周りを丁寧に眺めまわしたが、ヒキガエルは見つからなかった。住まい探しの旅に出たのかもしれない。幸運を祈る。



2008年6月11日水曜日

江國香織『落下する夕方』

語学の話を引きずろう。
二十歳くらいの頃、何を思ったか、アルバイトで稼いだ金をつぎ込んで御茶ノ水のフランス語学校にしばらく通っていた。入門クラスを終え、初級コースに進んだのだが、そのなかにひとり、今のぼくくらいの年配の男性がいた。話をしたこともなく、いつも席が離れていたので、どんな動機でそこに通っていたかは定かじゃない。昔かじったことがあるフランス語をもう一度、みたいな、おじさんがロックバンドやフォークバンドをはじめるような感じ、でもなかった。
授業では日本語はいっさいしゃべらないことになっている。昔タモリやビートたけしや明石家さんまが正月にやっていたゴルフみたいなもんだ。まず、出席をとる。先生がひとりひとり名前を読み上げる。女性はpresente(スペルは正確じゃないが)、男性はpresentと答える。これは初心者にとっては緊張する作業だ。で、その年配の方はたしかにpresentではなく、プレザーンと片仮名ないしは平仮名で返答していた。Il n'y a pas de stylo.なんて文章も「イール・ニ・ヤ・パッ・ド・スティーロー」と読んだりする。
その後中級コースに進んで、何度か授業に出たが、お金が続かなくなり、なんとなく忙しくなって学校には行かなくなった。おじさんは今頃どうしているだろう。
先日読んだ『外国語上達法』で語学上達に必要なのはお金と時間とあったが、たしかにそうだ。さらにいえば、能動性と強制力ではないかとぼくは思っている。
いずれにしても自分からすすんで取り組まないことには前進はしない。それと学校に行くとか、宿題を課せられるとか無理強いさせられないと言葉って身に付かないんじゃないかと思っている。
実は、もう一度御茶ノ水でも飯田橋でもいいのでフランス語学校に通ってみたいと最近思っているのだ。しばらく前からずっとそう思っている。が、ときどき脳裏をかすめるのは昔同じ教室にいたあのおじさんだ。今度はぼくが「なんだあのおじさん」と言われてしまうのだろうか。

ちょっと引きずりすぎた。
江國香織を読むのはずいぶん久しぶりで、この文庫本は、5年ほど前仕事で行った大阪は豊中の本屋で買った。仕事の合間の退屈しのぎによさそうな雰囲気がしたからだ。でも結局ずっと読まないまま放置していた。
江國作品のなかの小気味いい人物設定が好きだ。
彼らは「私は新幹線が嫌いだ」(あげは蝶)とか「記憶はおもちゃのブロックに似ている」(ホリーガーデン)、「夜の電車はすごくきれいだ」(流しのしたの骨)、「運動会のなかで、あたしはお弁当の時間がやっぱりいちばん好きだ。外の空気の匂いに、みんなおむすびの海苔の匂いのまざるところが特別で好き」、「あたしは学期のなかで三学期がいちばん好きだ」(神様のボート)、「私が品がないと思っているもの。携帯電話、愚痴、ゴルフ、恋」(ウエハースの椅子)、「透は牛乳が好きだ。砂糖を入れなくても奥底で甘いところがいい」(東京タワー)、「私はバスという乗り物が好きだ」(愛しいひとが、もうすぐここにやってくる)などなど気持ちよく言ってのける。
そういえば今回の主人公は「秋は一年じゅうでいちばんお茶漬けのおいしい季節だと思う」と言ってたっけ。


2008年6月9日月曜日

千野栄一『外国語上達法』

個人情報保護士の試験の問題集から。
次の記述が正しいか正しくないかを問う問題。

  個人情報取扱事業者は偽りその他不正の手段により個人情
  報を取得してはならないが、個人情報取扱事業者が、他の
  ものに指示して詐欺により個人情報を取得させてその者から
  個人情報を取得したとしても、当該個人情報取扱事業者が
  詐欺を行ったわけではないので、不正の手段により個人情
  報を取得したとはいえない。

こりゃ、わかるだろう。本当にこんな問題が過去に出題されているのだろうか。

その人が読む本というのは大きく2種類あって、興味関心があって深く情報なり感銘なりを得たいがために読む本と、ある意味自らのコンプレックスに対処あるいはなんらかの慰みを得るために読む本である。
ずいぶん乱暴な仕分けの仕方であるが、ぼくはどちらかといえば本に頼る人生を送ってきたような気がする。
小学生の頃、クラスで野球チームを組んだとき、真っ先に『野球入門』みたいな本を買って読んだし、児童センターの卓球教室に通いはじめて、最初に読んだのは『卓球教室』みたいな本だった(題名は正確に記憶していない)。そんなわけで『初歩の剣道』とか『少年カメラマン入門』とか『やさしい電子工作』とか、まずは知識から入っていくタイプだった。そして大概の場合、そんな輩が何を極めるということはない。
とはいえ、その傾向はいまだに強く、とりわけずっと弱くて、なんとかしたいと思っていたものとして語学があって、いわゆる入門書的な読み物があれば、底なし沼に浮かぶ藁のごとくしがみついてしまうのである。
『外国語上達法』
いかにも上達しそうなタイトルではないか。しかも神田駿河台下の三省堂書店の語学コーナーに置かれていたのだ。ちょうど六鹿豊著『これなら覚えられるフランス語単語帳』という本を探しに来ていたところでついつい購入してしまった。
この本の好感の持てるところは筆者が自らを語学が苦手として(もちろんそんなことはあるまいだろうが)、あくまで謙虚、かつ巧妙な語り口を保持しているところだろう。

  言語の習得にぜひ必要なものはお金と時間であり、
  覚えなければ外国語が習得できない二つの項目は
  語彙と文法で、習得のための三つの大切な道具は
  よい教科書と、よい先生と、よい辞書ということになる。

なかなか的を射ていてわかりやすい。

2008年6月8日日曜日

松山猛『少年Mのイムジン河』

東京六大学野球は、春秋のリーグ戦終了後新人戦がある。1、2年生によるトーナメント形式の大会だ。レギュラーシーズンの試合のような応援団もいなくて、神宮球場のスタンドもネット裏しか開放されない。まるで第二球場で試合をしているようである。下級生のチームでもすでにレギュラーとして活躍している選手は少なく、まあ1軍半から2軍といったあたりか。
昨日は三位決定戦明治対法政と決勝戦早稲田対立教の2試合が行われた。
新人戦の醍醐味といったら、やはり昨年、一昨年と甲子園を沸かせた選手たちの活躍だろう。明治では大垣日大出身の森田が最終回1イニングを投げた。140キロ代の真っすぐはなかなか切れがいい。早稲田は広陵出身の土生が2本の三塁打と犠打で5打点と活躍した。
仕事場の書架にあった『少年Mのイムジン河』を手にとった。
この本は映画『パッチギ』が話題になった2005年に読んだ。映画の原案になった本であるが、映像の激しさに比べるとぐっとやさしい大人の絵本だ。

2008年6月7日土曜日

平林博『フランスに学ぶ国家ブランド』

NHKラジオフランス語講座中級編がおもしろい。
講師はフランス人で東京日仏学院でも講師をしている3人。それはまあふつうの(聴いている限り)講師。おもしろいのはナビゲーター役の女性だ。先月までは明石伸子という早稲田大学の講師だった。この人もよかったのだが、今月から担当している上智大学講師の常盤僚子がさらにいい。語り口は淡々として、抑揚がなく、講師のレクチャーを同時通訳のように感情を押し殺して伝えている。にもかかわらず、講師が「(パリに行くにあたって)特に予定は決まっていないが、とりあえず観光をしたいし、いろんな建物を見てみたい」(これはもちろんフランス語で言うわけだが)と言ったのを受けて、「パリにはいろんな建物がありますが、でも、あんまり上を見ていると犬の糞を踏んでしまいますよね」とおそらくはボケてはいないであろうひと言を言うのだ。こうしておもしろがって書いてみて、読んでみると、さしておもしろくもない。が、これがNHKのラジオ第二放送から聴こえてくるとそれなりのインパクトはある(ちなみに犬の糞の話を受けて、最近大都市では条例などで取締りが厳しくなっていると答えたフランス人講師もなかなか、いい)。
あ。
で、本の話だが、著者は現在民間企業の役員をされていることからもおわかりのとおり、元官僚。外交官だったらしい。
フランスという国の偉大さ、オリジナリティ、ユニークネスを協調しながら、日本の現状を顧みるという話。フランスに見習うべき点は多々あるのに日本はどうなのかという視点はありだと思うが、だからどうしたそれから先は、といった建設的なビジョンがあるわけでもなく、立場上、強くいえないこともあるんだろうが、なにせ外交辞令が身に染みついている人であろうことを考えるとさして読後に向けて大きな期待を持つのも如何なものかと思いつつ、かといって、それなりにフランスの現代の状況にもさりげなく触れていることもあって途中で投げ出すのも惜しく、本日読了いたした次第であります。


2008年6月5日木曜日

梨木香歩『からくりからくさ』

『本は10冊同時に読め!』を読みながら、斎藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』、辰巳法律研究所・柴原健次編『個人情報保護士試験公式過去問題集』、そして梨木香歩『からくりからくさ』を超並列で読んでみた。時間を区切って、読む場所を変えて…といろいろそれなりに工夫はしたのだが、いちばんやっかいだったのが『からくりからくさ』だった。
それなりに家系図を思い描きながら読みすすめてはいたのだが、ブレークが入って、別の本を読むともうその次に読むときには家系図が紛失している。ええっとどうだったけと前のほうを読み返したり、俄然効率が悪い。長女に紙に書いておけばいいのにと言われ、それもそうだなとは思ったものの、面倒くさい。よく旅行に行くとき、持ち物を字ではなくて、絵にする。シャツとかパンツとか靴下とか洗面用具とか。そのほうが分量がわかりやすいから。娘は小さい頃からそんな父親の間抜けな姿を見ているから、何の気なしにいつもやってるようにやれば、という意味で言ったのだろう。が、結局ネットで検索というイマジネーションのかけらも働かない方法で家系図を再現した。
読んでいる本のなかでときどき色彩を感じるものがある。シーンに強烈な色彩を持つ文章がある。今とっさには思い出せないけれど、たとえばアーウィン・ショーだったり、三島由紀夫だったり、江國香織だったり。ぼくは和なもの、つまり日本的なもの、伝統古来のものにはかなり疎いんだが、『からくりからくさ』でひろがっていく微妙な色の世界は美しく印象的だと思う。装丁を頼まれた人はさぞや頭を悩ませたのではあるまいか。
そしてクライマックス。これも大騒ぎにならず、淡々と粛々と落ち着き払ったところがまたよい。どこか遠く、誰も知らない不思議の国の、ミステリアスなお伽噺。大人の童話。そんな印象。


2008年6月4日水曜日

齋藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ』

梅田望夫がこんなことを言っている。

  僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、
  「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争
  環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないとサバイバルできない
  のではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。

大企業だろうが、零細企業だろうが、かつてよりたくさんの仕事をしなければいけない時代なんだそうだ。ITの進化とグローバリゼーションの波。情報はあふれているし、24時間365日世界は動いているからだ。

「貫く」かあ…。まあ僕のしている仕事なんかもまず「好き」じゃないとできない仕事なんだが、これからはますます競争も厳しくなるし、クライアントからのオーダーも過酷になる。僕も20代のころ、仕事は楽しくやれと先輩諸兄からよく言われたのだが、楽しくやるには相応の努力が必要だった。が、これといって自分なりの方法論を見出せないままあっという間に20年が過ぎた。
と、ついつい悲観的に考えてしまうのだが、本書のすぐれているところは、後ろ向きな姿勢はいっさいなし。常に前向きにこれからを生き抜く学びのヒントが盛りだくさんだ。そのキーワードが「志向性」であり、それもひとりでなく、同じ志向性を持つ何人かで成功体験を共有することの必要性が語られる。
この手の啓発書も単なる経験談に終始せず、きちんと理論武装され、時代を読み解くキーワードで整理されていると批判の余地もなくただただ感心させられてしまう。
だまされているんじゃないかと思うほど、ポジティブな一冊だ。

2008年6月3日火曜日

成毛眞『本は10冊同時に読め!』

早慶3回戦。
打撃不振の早稲田は打線を組み替えてきた。調子の上がらない上本を6番に下げ、松本啓をトップに。好調の宇高を3番に据え、5番に山川。慶應先発が左腕中林なので泉を使いにくかったのだろう。さらにここ何戦か調子を落としている松永に代えて、ショートに後藤。
早稲田先発の斎藤は初回こそ三者凡退だったが、2回に2点を献上。今季の斎藤はコントロールがよくない。明治戦もそうだったが、甘いところに投げて痛打されるのを恐れているのか、攻める気概が感じられない。それでもピンチには強く、なんとかしのぐところはさすがだ。先行された早稲田は山川、後藤と入れ替えた打線がつながって3回に同点。そのまま延長に。
慶應は中林が続投。早稲田は7回から大石。速球がびしびし決まってほぼパーフェクトなリリーフ。延長10回。細山田の三塁打を宇高が返して、早稲田のサヨナラ勝ち。
ベストナインは優勝した明治から大挙して選出されたが、早稲田上本が選ばれたのはちょいと疑問だ。
野球の話はこれくらいにして。
以前マイクロソフトの社長だった成毛眞の話題作。なんどか新聞にも取り上げられていたこともあり、読みたいなと思っていた一冊だ。
いやあ、なかなか力強い。それは題名に『!』が付いていることからもわかる。大人のちゃんとした本で『!』が付いている本は少ない。それだけに著者の強い自信と信念がうかがえる。
要は人と同じことをしていてもだめだという訓話だ。内容がしっかりしている本なら題名にビックリマークはまず付けない。だが、著者はあえて付けているのだ。人と同じことはしない人だ。
それにしても著者の、人生を楽しむために大いに読むべしという姿勢には大いに共感できる。
さっそく3冊を「超並列」読書してみたが、慣れないせいか、わけわからなくなった一冊があった。著者から「集中力が足りない」と叱責されそうである。

梨木香歩『エンジェル エンジェル エンジェル』

つくづく、思う。よくできている小説だなあ、と。
おばあちゃんと孫娘というのは、この人の基本構図なのだが、その関係の描き方において『西の魔女が死んだ』とはまたひとつランクアップしている。
孫の生きている時代(おそらく現代)と祖母の生きている時代とを織りなす微妙な演出(たとえば旧仮名で綴るなど)もさることながら、ラストに向かって一気に糸のもつれを解き放つ瞬発力、余計な描写を省いて一気に読み進めていける上、時代の違い(つまりは考証的なこと)に煩わせることなく進展していく構成のシンプルさ。
そういえば、長女がイチオシ、みたいなことを言ってたっけ。


2008年6月1日日曜日

紅山雪夫『フランスものしり紀行』

2004年、2007年と南仏を訪れた。そのせいか6月になるとフランスに行きたくなる。うずうずする。
ほとぼりをさますのにちょうどよさそうな本を見かけた。さっそく読んでみる。
著者は旅行作家というだけあって、ヨーロッパ各地に造詣が深いようだ。新潮文庫からは『ヨーロッパものしり紀行』、『ドイツものしり紀行』、『イタリアものしり紀行』と複数刊行している。
ただの旅行案内にとどまらず、各地の歴史を説き明かしながらの旅。なかなか興趣深い。とりわけ中世史は蒙昧も甚だしいゆえ、たいへん勉強になる。
さて、このものしり紀行。パリを出発点にして、ノルマンディーからブルターニュ、ロワールの城めぐりを経て、プロヴァンス、ラングドックへと反時計回りに半周する旅行案内だ。いずれ時計回りでシャンパーニュ、アルザス、ロレーヌ、ブルゴーニュなどを紹介する続編があるのだろうかと期待させる。
今回読んでみて、行きたくなったのは、モン・サン・ミッシェルはもとより、ルーアン、カーン、レ・ボー、ニーム、そしてカルカソンヌだ。昨年、アヴィニヨンを基点にして、オランジュ、アルルを見てまわった。もう少し時間があれば、ポン・ドュ・ガール、タラスコン、レ・ボーにも行けなくはなかったんだけど。
リヨンやナンシーにも行ってみたいし、ニース近郊のエズ、ヴァンスあたりにも行ってみたい。もちろんロワール川流域の古城めぐりもしてみたいのはやまやまであるが、とりあえずこの本を読んで、今、行ってみたいフランスのトップに躍り出たのは、カルカソンヌである。
ほとぼりがさめるどころじゃない一冊だったが、帯に刷られている文言「世界都市パリ、その発祥の地は中州」、「モン・サン・ミッシェルは牢獄だった」とか「最も歴史のある年は港町マルセイユ」などなど、さすがは「売り」の新潮社。軽薄路線をねらっているようで、せっかくの良本なのに、ちょっともったいない。


2008年5月29日木曜日

TCC広告賞展2008

汐留アドミュージアム東京。

今年のTCCグランプリは、ソフトバンクモバイルのTVCMだった。このCMは奇想天外で、かつどこまで話が展開していくのか予測できず、絶えず視るものに期待をもたせている。他にも骨太な企画はいくつかあったが、こうしてTCC賞の一覧をながめるとまさに圧勝という感じがする。
TCC賞のなかでは黄桜の「江川/小林」篇。当時をライブで知る世代にはさまざまな思いを去来させるシリーズだ。秒数や演出による制限が少ないグラフィック広告が特にすぐれていると思う。ターゲットを絞り込んで、深くコミュニケーションするシャープな広告だ。あとは全般に言葉が巧みに表現の真ん中にすえられている佳作といえる。
新人賞は昨年ほど、とびっきりすごい、と思えるコピーはなかったように思う。なにせコピーライターが決めるコピーの賞ということなので、一般人の感覚でながめていると、なんでこれが、と思えてしまうものもあるにはあるんだが、概して今後に期待できる才能が選出されたというところか。強いてあげるならばプライムの企業CM「駅」篇。コピーライティングの枠組みを超えた企画のおもしろさが光った。それとマクドナルドの「AM1:47のお客さま」篇。あの女性従業員には残業代がちゃんと支払われているだろうか、などと余計な心配もしたが、つくり手の人柄がよく出ている広告だと思う。
帰りに銀座まで歩いてよし田でおかわりつき天せいろを食べた。