2010年8月29日日曜日

角川歴彦『クラウド時代と〈クール革命〉』

そうそう。最近の体育館の話。
区内にいくつか体育館があるのだが、そのうち古いものをのぞくと空調設備があって、実に快適なのである。たいして必死に卓球に取組んでいるわけではないのでそう汗をかくこともないのだが、空調はあるにこしたことはない。もちろん空調の設備のない体育館もないわけではない。夏は暑く、冬は寒いのである(そんなことは当たり前のことだが)。そういう体育館ではぼくのようなへなちょこ卓球でもそれなりに汗をかく。昨今ではスポーツ中はこまめに水分補給などということが奨励されているので、お言葉に甘えて、アクエリアスだのポカリスエットだのを大量に摂取する。高校時代には考えられなかった夢のような世界だ。
思い出した。体育館の話じゃなくて、Tシャツの話だ。
昨年から、スポーツするのに適したTシャツ、とりわけ夏場に着心地のいいTシャツはどこのメーカーのものかをそれとなく調査していた。最近のTシャツは昔のような綿100%のものではなく、ポリエステル製の、乾きがはやく熱を放出しやすいタイプのものが主流である。とはいえ、各メーカーのものを着くらべてみると微妙に着心地がちがう。
今、いちばんしっくりくるのはmizuno製で、軽く、やわらかく、風合いもいい。さすがは全日本チームのユニフォームをまかされているだけある。asics製も悪くない。ただちょっと厚手な感じがする。卓球用品メーカーのTシャツの中ではButterfly製とNittaku製のTシャツを着るが、後者はちょっと厚くて重くて、冬場はいいが夏だときつい。前者はまずまず合格点であるが、デザインがいまひとつだったりする。まあ、へなちょこ卓球のぼくに言われる筋合いもないだろうけど。
出版業界を代表する論客が熱く語るネット社会の未来像。その意欲は終章に“提言”というかたちで述べられている。日本の将来を支える日の丸クラウド。クラウドコンピューティングがめざす社会がいつしか単なるネット社会の一般論になって、どこがどうクラウドなのかよくわからなかったし、時折主語を端折られて読みにくいところもあるにはあるが、その熱意にだけは感心させられた。ユーチューブやグーグルを黒船にたとえる人が語る未来ってなんとなくおもしろい。
案外夏場活躍するのはunderarmerとかmizunoのBIO GEARといったアンダーシャツだ。これらはちょっとお高いけれど、着ていて暑くない。それでいてTシャツ一枚のときのようにびしょぬれになる感じがなくていい。ぼくにとってはちょっとしたクラウドコンピューティングのようなシャツだ(って意味がわからない)。


2010年8月26日木曜日

内田百閒『百鬼園随筆』

高校時代は炎天下でバレーボールの練習をしていた。
昔の話ではあるが、けっして大昔のことではない。バレーボールは屋内スポーツで公式戦は体育館で行われていた。もちろん6人制が主であった。
ぼくの通っていた高校は都心の真ん中にあったが、広さという点では恵まれておらず、体育館も小さかった。なんとか月に一度とか、週に一度とか体育館を使える日もあったが、基本は校庭に石灰でラインを引き、ネットを張って練習した。
敷地の狭いぶん、郊外の多摩川べりに合宿所があって、野球グランド、サッカーグランド、テニスコート、そしてバレーボールのコートがあった。もちろん屋外に、である。夏休みに行われる合宿練習では、ここに寝泊りして一週間朝から晩まで練習に明け暮れる。ぼくの在学中は幸か不幸か、天候に恵まれ、連日猛暑の中、楽しく練習させていただいた。諸先輩方に話を伺うとやはり合宿期間中は天候にすこぶる恵まれていたそうだ。
今では母校はなくなって新しい学校になってしまったが、広い体育館があり(バレーボールのコートが2面とれる体育館をぼくは“広い体育館”と呼んでいる)、多摩川の土手近くにある合宿所も以前に比べて縮小したようだが、そこにも体育館が(もうかなり以前に)つくられ、生徒諸君は幸か不幸か快適な合宿練習を行えると聞いている。
何の話をしようとしてたんだっけ?昔のことを思い出しているうちに忘れてしまった。
この夏はちょっと不慣れな仕事をした。主に電波媒体の広告の仕事をしているので印刷媒体の仕事というのは不慣れなのである。不慣れな仕事というのは疲れるものである。そうした疲れを癒すには、なんといっても人間くさい書物がいちばんである。
内田百閒は『阿房列車』でもお世話になったが、偏屈を通り越して、ぼくには真っ当な人に思える。なるほどと思える。もちろん借金ばかりしようなどとは思わないが、不思議なリスペクトを感じさせる心地いい作家のひとりである。


2010年8月22日日曜日

中村計『甲子園が割れた日』

高校野球も終わった。
去年の秋、大垣日大がまず明治神宮大会を勝ち、春選抜は興南、そして夏も見事に連覇した。夏の上位校は大方の予想通りだったのではあるまいか。報徳学園、興南、東海大相模は前評判どおり。千葉の成田が強いていえばよく検討したということになるだろう。ぼくが期待していたのは聖光学院、北大津、開星。残念ながら今一歩だった。不運な敗戦もあれば、幸運な勝利もあったが、スポーツは練習よりも試合が選手を強くする感がある。勝ち進んだチームは勝ち進んだぶんだけ着実に強くなっている。練習は嘘をつかないとよくいうが、勝利も嘘はつかないと思う。
また1年を通してチームのレベルを保ち続けること、さらにはチーム力を強化していくことはたいへん難しいことだと、毎年のことだが、思い知らされる。秋からコンスタントに全国レベルの力を保持し続けたのは興南、東海大相模であり、この両校が決勝を争ったのは不思議ではない。選抜をわかせた日大三や帝京は夏の大舞台にすら立つことができなかった。一方でこの春から力をつけてきた学校も多い。激戦区兵庫を勝ち、近畿大会を制した報徳や春の東北大会を勝った聖光学院、近畿大会で報徳には敗れたものの昨秋から飛躍的に強くなった履正社などがそれにあたるだろう。
松井秀樹が甲子園で5敬遠された試合はテレビで観ていた。当時はずいぶんなことをしやがるもんだなあと思っていたし、純粋に松井のバッティングを見たいと思ったものだ。今はどうかというと、野球に限らずスポーツでは勝つことが重要性であるとの思いが強い。作戦として当然のことだったと思えるようになっている。そういった意味では、この本は今さらな感じではあるのだが、かつて明徳義塾の野球に苛立ちを感じていた頃の熱い自分が懐かしく思えた。
東京の秋季大会一次予選は来月中旬からだという。来年の夏はもうはじまっている。

2010年8月19日木曜日

川端康成『雪国』

“上”とつくものに多少の抵抗感がある。
上天丼とか上カルビとかにだ。なかには“特上”なるものもあって、仮に経費でまかなえるとしても分不相応な気がする。ただ、特上があるメニューの上は比較的頼みやすい。
ときどき大阪風のうなぎが食べたくなって、銀座のひょうたん屋(6丁目と1丁目に店がある)に行くことがある。6丁目の店は松・梅・竹と昼時だけの丼があり、1丁目は上・中・並で並はお昼だけとなっている。もちろんいちばんリーズナブルなランクを注文する。それでも1,000円を超えるわけだから、贅沢な昼食だ。
ごくごくまれに豊かな気持ちになりたくなって、上のランクのメニューを頼むことがある。それでも松や上は頼めない。それを注文する人は人格高潔にして聖人君子のような人でなければいけない(と、勝手に思っている)。金さえ払えば何を食ってもいいかというとけっしてそうではない(はずだ)。客としてじゅうぶん鍛え上げられた客だけが特上の資格を得るのである。
子どもを連れて行く焼肉屋で特上ばかり注文する父親はだいじな教育の機会を失っている。特上もあるけれども、今日は上カルビにしておこう。特上はいつか、しかるべき時までだいじにとっておこう。こう言うのが教育である。
言い訳がましいが、そう思っている。
鉄道ファンの書いた本や旅行記に引用される率が非常に高い川端康成の『雪国』であるが、もちろん鉄道の本でもなく、旅の話でもない。上越地方が舞台なので吉幾三の“雪國”とも関係はないようだ。
精緻な描写力が生んだきわめて映画的な作品であると思う。かつて映画には岩下志麻が駒子役を演じたらしい。島村役の木村功もあわせて見事なキャスティングだ。



2010年8月16日月曜日

小川浩・林信行『アップルvs.グーグル』

金曜土曜と房総なのはな号で千倉まで行く。都心に比べれば、もうこの時期になれば朝晩いくらか涼しくなるはずのこの辺りも蒸し暑い。
バスの旅は楽といえば楽であるが、昨日のように帰省ラッシュに巻き込まれたりなどすると余分に時間がかかって困る。まあ、それでものろのろ走ってくれたおかげで東京湾華火が見られたのはラッキーといえよう。
今日はかねてから約束のあった野球観戦に行く。午前中近所の体育館で軽く卓球をして(それでも激流のような汗をかく)、昼食を摂り、14時開始の巨人横浜戦になんとか間に合う。一塁側内野席でそれなりに盛り上がる席だったが、試合はあまり盛り上がることもなく、むしろ気になったのはラジオで聴いていた高校野球だったりして。
空調の効いた東京ドームで観る真夏の野球は快適至極であるが、その一方でこれが野球観戦の“ふつう”の姿なのかとも思う。やっぱり野球は炎天下でする、観るっていうのが正しいのではないか…。
ところが今世の中の人の多くが気になっているのはどうやらアップル対グーグルであるらしい。たぶんにiPhoneとアンドロイド携帯によるスマートフォン対決が街中を賑わせているからだろう。
ぼくも1990年代はMacintoshユーザだったのでAppleの製品とその思想には感嘆する者のひとりである。最近は残念ながらApple製品は使っていない。それは自らのITリテラシーを高めるために課している試練なのである。より率直に述べるならば、PCを買い換える原資に乏しいのである。
ぼく個人の経験と印象だけでアップルvs.グーグルを語らせてもらえば、グーグルのアプリケーションはまだまだ粗削りだし、デザインも含め操作性全般に“ゆきとどいたところ”がじゅうぶん見られない。その点でいえば、最近のアップル製品はきわめて完成度が高くなった気がする。とはいうものの昔のMacintoshだって、気が利かないIM(っていったっけ?かな漢字変換のプログラム)やすぐに起きるフリーズ、日本語を小馬鹿にしたようなフォントなど、いけてなかったよなあと思うのである。
だからぼくとしてはこの勝負、今のところ引き分けってことで勘弁してもらいたい。

2010年8月12日木曜日

吉村昭『羆嵐』

都心の電車が空いて、高速道路が渋滞する。盆暮れ正月とはよく言ったものだと思う。
どことなく、であるが東京は風通しがよくなったような気がする。あるいは日本海を進む台風のせいかもしれないが。
今週末は休みをとって、千葉の千倉に恒例の墓参りに行こうと思っている。宮脇俊三もたいして話題にしなかったなにもない房総半島の突端である。最近は東京駅八重洲口からバスの便もあり、東京湾に渡した橋を通る楽しみができた。かつてはフェリーで渡っていたところだ。
ここのところいっしょに仕事をしている某広告会社の営業T君が今まで読んだなかでいちばん怖い小説ってなんですかと訊く。
怖いといってもねえ。スリラーとかホラーとかあんまり読まないし、スティーブン・キングとかですかね。
などと話し込んでいたら、クリエーティブディレクターのHさんが怖いといったら、吉村昭の『羆嵐』だよ、怖いよう、と話の輪のなかに入ってきた。怖い話ときいて、そこであらすじを聞いてしまっては元も子もないので、そこから先は話題を換え、続きは読んでみることにした。
人間にとって“怖い”というのは、地震・雷じゃないけれど、超常現象とか凶悪犯などではなく自然現象なのだと思った。ふだんぼくたちはそうしたものに対する文明という備えを整えているから、恐怖を感じないだけであって、やはり無防備なまま自然そのものに立ち向かうというのは非常に恐ろしいことなのだ。
たとえば夏場に起きる水の事故などその最たるものといえよう。

2010年8月9日月曜日

宮脇俊三『最長片道切符の旅』

いつしか仕事場から時刻表がなくなっていた。
今、たいがいのものがネットで調べられる時代だ。時刻表を開かなくとも、どこそこへ何時着で行きたいか、なんてことはポータルサイトの“路線”で調べればいい。ただしそこには旅程をイマジネーションする楽しみはない。
ぼくが時刻表にのめり込んだのは、小学生の頃だと思う。1970年、本州から蒸気機関車がなくなった頃だ。考えてみれば地理も歴史も漢字も時刻表に学んだところが大きい。北海道の地名は特殊だとしても、その地方地方で独自の読み方をする地名をぼくは駅名から学んだ。東京からの距離感は巻頭の路線図と東京から、あるいは始発駅からのキロ数で学んだ。
3年前、南仏を訪れたときも、頼りにしたのはトーマスクックだった。時刻表というシステムは万国共通なのだ。
テレビコマーシャルの企画立案という仕事を最初に手ほどきしてくれたMさんはCMプランナーである以上にすぐれた画家だった。今でも横浜でご近所の奥様方に水彩画を教えておられる。そのMさんの座右の書であったのがこの『最長片道切符の旅』である。
宮脇俊三はもと雑誌編集者であったと聞くが、そのあたりのコミュニケーションのセンスはじゅうぶんにうかがえる。車窓から見える風景をだいじにし、しかも余計なことは書かない。あたかもいっしょに日本を縦断しているような錯覚に陥る。著者が小海線で小淵沢から小諸に向かうとき、車内放送の簡潔さを賞賛するくだりがある(賞賛は大げさかもしれないが)。事実だけを簡潔に述べ、ためになる。筆者の、この本に対する基本的な姿勢を垣間見ることができる貴重なシーンだ。
そもそも時刻表とはそういうものだ。余計なことはいくらでも付加できる。にもかかわらず、寡黙に情報を提供し、それから後のことは旅人にまかせる。この本はシステマティックに最長ルートを割り出し、ただ暇に任せて乗りつぶした人間の記録ではない。真に時刻表や鉄道という装置産業に敬意を表する人間にしか書くことできなかった稀有な旅行記である。
そういえばMさんの描く安曇野の水彩画は、まるで列車の車窓からながめる風景のようだった。


2010年8月5日木曜日

共同通信社編『東京あの時ここで』

紙の手帳を使わなくなってもう10年になる。
携帯型の端末が好きであれこれ渡り歩いてきた。NECのモバイルギア、シャープのザウルス、ヒューレットパッカードのJORNADA。その後Palmに移行して、Visor、Clie。Clieは今も現役で使っている。
この間の“予定”はPCと同期を取りつつ、引き継いできたので、Clieのなかには2000年3月からの予定が保持されている。Clieももう5年ほど使っているだろうか。バッテリが弱くなってきたので、先日交換した。秋葉原にはフィギュアだけでなくこんなものもまだ売っているのだ。
さしあたりClieの延命措置はできたが、せっかくここまでためこんだデータだから役に立たないだろうが持っていたいと思うのは人情だろう。古いMacintoshの一体型やノート型を捨てられないのと同じだ。もちろんPCとはときどきシンクロナイズさせているのでOutlookには過去のスケジュールデータは残っている。ただ考えてみるとWindowsXPもPalmOSもいつまであるかわからない。
というわけでグーグルカレンダーに10年データを移行させることを思い立った。今はグーグルのアプリケーション(Google Calendar Sync)でなんてこともなくOutlookと同期がとれる。たいしたものだ。アドレス帳もCSVに書き出してグーグルにインポートした。ところがこれがいまひとつ。グーグルの住所録は番地、住所、郵便番号の順に表示されるアメリカンなもので、ちょっと気障ったらしい。わざとそうしているのか、グーグルという急成長する企業に担当スタッフが追いつけていないのか定かじゃないが。その点WindowsLiveのアドレス帳は郵便番号、住所、番地と普通に日本人ライクに表示される。なかなかよろしい。
急成長急発展をとげるクラウドコンピューティングの世界だが、戦後の日本もそうだったのではないか。その政治経済文化の中心を担ってきた昭和の東京には手さぐりで発展をとげてきた形跡がいくつも残されている。要するにこの本はそんな東京の足跡を追いかけている。


2010年8月1日日曜日

NHKスペシャル取材班『グーグル革命の衝撃』

PCのハードディスクがいっぱいで、残り何メガバイトという状態だった。
一般には(というか経験的には)ハードディスクの容量が一杯になるといろいろとトラブルに見舞われることが多い。ハードディスクの換装か、新しいPCの購入か(もう5年くらい使っているWindowsXPマシンだし)。2~3日悩んだのだが、あれよ?これってパーティションをかえればいいんじゃないのとさっきようやく気がついた。
もともと40Gしかないのだが、20+20でCドライブ、Dドライブに割り当てられていたのだ。Dドライブなんてそもそもデータの逃がし場所でしかないからほとんど使っていなかった。でもってPartitoin Wizardというソフトをダウンロードして、25+15に変更。
心なしか反応が速くなった気がする。少なくともそう感じることができるだけでも精神衛生上いい。
引き続き、グーグル本。
よくあるテレビのドキュメント番組のようにNHKスペシャル取材班は明快な結論を避けている。そんな印象の一冊。
検索から広告へつなげたこと、消費者と広告主のニーズをつなげたことがグーグル勝利の起点だ。広告というビジネスモデルと縁遠い存在であるNHKにはない発想がある種の戸惑いで終始させたのだろうか。あるいはそれは読み手の、下衆の勘ぐりか。
先に読んだ『グーグル時代の情報整理術』で筆者のメリルは手書きメモとデジタルデバイスの棲み分けを語っているが、要は結論的にはそういう共存形態なのではないか。検索まかせで図書館で文献を調べない若者が多いとか、多くなるとか、クラウドに記憶をゆだねて自ら思考を封鎖する人間が増えるとか、携帯端末で利便性を享受するだけの旅とか、ありえるとしてもさほど危惧すべきでもないような問題を針小棒大のごとく提起するテレビ番組の取材チームは視聴率を稼げても世の中にはなんら身のある提言をしていないに等しい。

2010年7月28日水曜日

中村明『センスある日本語表現のために』

今年の夏は神宮球場にかよう間もなく高校野球が終わってしまった。
西は準決勝の日大対決、早稲田対決で盛り上がりを見せ、古豪早実が優勝。春選抜準優勝の日大三が敗れ、東東京も選抜8強の帝京が国士舘に苦杯を喫するという波乱があった。帝京は選抜以降コンディションを崩したのか、春季都大会で敗退し、今大会はノーシードだった。スポーツのたいていがそうであるように高校野球というのは予測不可能な競技である。
東東京大会の決勝は修徳対関東一。下町対決となった。少ない好機をいかした修徳が逃げ切るかに思われた9回裏まさかの大逆転劇で関東一が優勝。まったくわからないものだ。
「センスある日本語表現」という表題にすでにセンスが感じられない本書であるが、内容は“語感”をテーマによくまとまっているし、古さを感じない。発行が1994年。16年も昔のことなのに。当時はまだ“センスある日本語”という言葉が違和感なく通用していたのだろう。
たまにこうした日本語関係の本を読むが、さすが中公新書だ。奇をてらった感じがなく、真摯で読みやすく、空気のおいしいリゾート地を散歩しているような気持ちよさがある。

2010年7月24日土曜日

オノレ・ドゥ・バルザック『ゴリオ爺さん』

「フランス文学 24人のヒーロー&ヒロイン」と題されたNHKラジオフランス語講座応用編でフランスの名作を紹介している。なかなかすぐれた読書ガイドだ。
先日、いつだったか2週にわたって紹介されたのがバルザックの『ゴリオ爺さん』。「ゴリオ」という名前はどことなく昔のアニメーションのガキ大将のような響きがあり、ゴリラのような風貌のやんちゃな爺さんを想像していた。人間ってやつはなんてに勝手な想像をするのだろう。
ところがどうして、ゴリオ爺さんは朴訥で、働くことだけが取柄で、娘たちを溺愛し、にもかかわらず看取られることもなく世を去るこの上ない不幸を身にまとった老人だ(もちろん娘がふたりいる父親としては共感せざるを得ない部分が大いにある)。
残念ながら、ゴリオ爺さんはわんぱく爺さんではなかった。そういった意味ではぼくはこの小説に裏切られたのであるが(勝手に思い込んでいて裏切られたもない話だが)、それ以上に他の登場人物がこの物語を盛り立てている。とりわけゴリオ爺さんと同じ下宿ヴォケー館に住むラスティニャックは立身出世をもくろむ地方出身者で主役といってもいい存在である。このほかにもひとくせもふたくせもある人物が登場する。バルザックはどうやら登場人物を使いまわす作家であるらしい。機会があれば別の作品でこれら登場人物に出会いたいものだ。
親というのはいつの世も子どもたちに裏切られているのかもしれない。裏切られた親がかつてそうだったように。

2010年7月20日火曜日

さくらももこ『永沢君』

先月、次女が修学旅行で京都、奈良をまわって来た。
帰りの新幹線のホームには京都に住む姉が見送りに来て、たいそうな土産を持たせてくれたようである。
修学旅行と聞いて思い出す一冊は、さくらももこの『永沢君』だ。『ちびまるこちゃん』の特異なキャラクターである永沢君、藤木君らの中学3年生時代の物語である。
『ちびまるこちゃん』はテレビアニメーションとなって、『サザエさん』同様人工衛星アニメ化した。人工衛星アニメというのはいちど軌道に乗ったら永遠にまわり続けるアニメーション番組のことで、ぼくが勝手に名づけたものだ。つまりそこには時間の概念はない。永遠にまるこは3年生だし、かつおは5年生だ。イクラ、タラにいたっては永遠に乳幼児だ。
そんななかでこの本が画期的だったのは、永沢や藤木が年齢を重ねるという現実にきちんと立ち向かったことだ。永沢はビートたけしに憧れ、藤木は深夜ラジオのスターになり、野口は憧れのなんば花月を訪れる。平井は土産屋で万引きし、それを目撃した小杉は殴られる。そして高校受験、卒業となんとも切ない思春期の物語だ。切なさの根源は時間の流れ、ということなのか。
ちなみにまるこ、たまちゃん、まるおは登場していない。おそらくは私立の中学校に進学したのだろう。でも花輪はいる。中学受験に失敗したのだろうか。

2010年7月17日土曜日

ダグラス・C・メリル/ジェイムズ・A・マーティン『グーグル時代の情報整理術』

早川書房といえば、SFやミステリーでおなじみだが、いつの間にか新書も出版していた。
ぼくが好んで読んだハヤカワの本はカート・ヴォネッガットJrのSF小説で和田誠の装丁が好きだった。浅倉久志の訳も筆者を熟知した感があってあんしんして読めたと思っている。
そんなせいか、ハヤカワと聞くと良書を良質な翻訳で世に出している、といったイメージが強い。
先にクラウドコンピューティングの本を読んで、あまりにグーグルのことをぼくは知らないなと思い、それじゃあ、ってんで、手にとった。
グーグルという企業のモットーは「世界の情報を整理する」ということらしいが、筆者で元グーグルCIOのダグラス・C・メリルが自らの実体験とともに情報整理術を披露する。けっしてグーグル製品に偏った宣伝的な本でないところがいい。
gmailをはじめていないのならば、この本を読むのを機にはじめてみてはいかがだろう。本書の内容をPCの画面で確認できる。WordやExcelなどのファイルも作成でき、PDAやOutlook のスケジュールや連絡先データも移行できるが、実際のところは機能的には不十分だったり、文字が欠けたり、日本語版ではまだまだなところもあるが、とりあえずクラウド体験するにはもってこいだ。
早川書房に話は戻るが、翻訳ものや演劇関係の本が多かったので、もしや早川雪洲と関係があるのでは、と思っていたが、どうやらそういうことではないようだ。



2010年7月15日木曜日

オルセー美術館展2010

仕事場でとっている日経新聞のチラシのなかに新聞販売店のアンケートが挿し込まれていて、適当に答えてFAXするだけなのだが、回答者のなかから抽選でオルセー美術館展2010のチケットが進呈されるという。ちなみに返答すると数日後、日経新聞販売店の人がチケットを持ってきてくれた(ここのところ、小さいことに関しては運がいい)。
そんなわけで昨日がはじめての国立新美術館。
前回オルセー美術館展を観たのは上野、東京都美術館だったような気がする。そのときは写真や陶器、彫刻などさまざまな展示があり、メインの絵画はエドゥアール・マネの「ベルト・モリゾ」だったような…。
今回は特にこれといった大物はなかったように思う。アルルのゴッホの部屋とか、ゴーギャンの自画像とか前回来日した絵も多かった。強いてあげればゴッホの自画像、スーラの点描画の何点かが印象に残った。
しかしながらなんといっても観てよかったと思うのはセザンヌの「ラ・モン・サン・ヴィクトワール」だ。大きな絵ではなかったけれども、3年前カンヌからアヴィニヨンへ向かうTGVの車窓からほんの一瞬だけで見たヴィクトワール山の姿を思い出したからだ。人間の記憶とは不思議なものでほんの一瞬でも印象に残ったものは一定期間、あるいは永遠に(もちろん体感的にではあるけれども)記憶できるものだ。
美術館を出たら雨が上がっていたので、昔伯父の住んでいた三河台公園のあたりを蒸し暑いなか散策してみた。大きなマンションが建ち並び、当時にもまして日当たりの悪くなった俳優座の裏の細道から六本木通りへ出て、南北線の六本木一丁目駅まで歩いた。

2010年7月14日水曜日

阿刀田高『ギリシャ神話を知っていますか』

サッカーワールドカップ2010はスペインが優勝した。
識者によると速いパスまわしでチャンスをつくるスペインのサッカーは日本がめざしているサッカーに近いらしい。じっくり時間をかけて、切り崩した貴重な1点だったように思う。オランダは長いパスやドリブルの突破など、見ていて派手なサッカーだったが、微妙に勝ちに出る姿勢に乏しかったような印象だ。それにしてもオランダのファンマルウェイク監督の試合後のコメント「主審が試合をコントロールできていたとは思わない」は言わなくてもいい余計なひとことだ。
ギリシャの神々は聖書に比べて、とても人間的である。神話と呼ばれるだけあって、奇想天外な物語ばかりだが、登場する人物のみならず神々たちも人間的だ。
ギリシャ神話の逸話は西洋の小説にふんだんに引用されており、読書のための基礎教養として必須かなと思っていた矢先にこの「知っていますか」シリーズに出会えてなによりである。「知っていますか」を「知っていませんでした」だったわけだ。

>すでにこれまでの十章でおおよその英雄や美女たちについては触れただろう。
>ヘレネ、パリス、ヘクトル、アンドロマケ、カッサンドラ、アキレウス、ピュロス、
>オレステス、レダ、ヘラクレス、アドニス、ダフネ、オイディプス、アンティゴネ、
>オルペウスとエウリュディケ、シシュポス、タンタロス、ディオニュソス、プロメ
>テウス、エピメテウス、パンドラ、イアソンとアルゴー丸の船員たち、メディア、
>オデュッセウス、ペネロペイア、そしてゼウスを初めとするオリンポスの神々。
>いくぶん私好みの選択ではあったが、膨大なギリシャ神話の中の著名なエピ
>ソードはおおかた取りあげたと思う。読者諸賢は右のヒーローとヒロインたちの
>中で、どれほどの数を記憶にとどめておられるだろうか。

これはエンディングに近い11章で筆者が記しているまとめの部分。まあ、読み終えた今となっては、大して記憶にも残っていないが、そのうち折があれば思い出すだろう。

2010年7月9日金曜日

柳田國男『日本の伝説』

ワールドカップもいよいよ大詰め。決勝に勝ち上がるのは、ブラジルのいるブロックとアルゼンチンのいるブロックからだろうと思っていたが、ドイツも敗れて、スペインとオランダの対戦となった。決して予想外の展開ではなく、ヨーロッパの強国同士。いい試合を期待したい。
ワールドカップといえば、先日コカコーラのキャンペーンでワールドカップ2010のロゴがデザインされたTシャツが当たった。コカコーラで当たったというより、アクエリアスで当たったというべきか。なにせ土日に卓球をするとこの時期猛烈な汗をかく。水分補給はたいせつだ。
その昔、水の便の悪い村があった。村人は遠くにある水源に毎日水を汲みに行っていた。あるときその村にやってきた弘法大師が苦労して水を運んでいる村人に一杯の水をめぐんでもらった。弘法大師はお礼に杖で地面をたたき、ここを掘れという。そしてその井戸から良質な水が湧き出し、村をうるおした。
と、このようなありがたい話が満載されているのがこの本。柳田國男によれば、昔話と伝説の違いは、動物的なるものと植物的なるものとの差であるという。普遍的なストーリーがあちこちで見られる昔話に対して、伝説はその土地土地にしっかり根を張っているということらしい。
偉い人が地面に挿した箸が成長して大木になったり、山が背比べをしたり、持ち帰った石が大きくなる話などなど日本はあっちこっちでおもしろい国だと思う。
ただLなんだな、サイズが。Oだったらよかったんだけど、選べるサイズがMとLしかなかったんだよね。

2010年7月6日火曜日

戸村智憲『なぜクラウドコンピューティングが内部統制を楽にするのか』

もうかなり前からクラウドコンピューティングという言葉を耳にしている。
ギターの上手いおじさんがコンピュータをはじめて、そのギタリストの名前をとって、クロードコンピューティング。それを英語読みするとクラウドというわけだ。もちろんうそだ。
最近になってぼくが関心を持ったのは、きわめて個人的な事情で、要は仕事場で使っているPCのハードディスクの容量が小さくてすぐにいっぱいになってしまう。外付けに逃がしても逃がしてもすぐにいっぱいになってしまう。よくよく調べてみたら、日常的に使うアプリケーションも多いのだが、ゴミ箱に入れられない古いメールや頻繁に使うテンプレート、画像等の圧迫が大きい。こんなものはネット上のどこかに置いておいて、使いたいときだけダウンロードすればいいんじゃないかと常々思っていたら、クラウドというのはどうやらそういうことらしい。
ポルトガルにものすごくサッカーの上手い選手がいて、しかもコンピュータにも長けていた。その名をクリチアーノ・クラウド。その名をとって…。そんな馬鹿な。
先日、個人情報保護に関するセミナーが都内某所であり、そこで1時間ほど話をしてくれたのが、この本の筆者、戸村智憲だった。
厳密に言えば、その講演を聴いて、興味を持ったのでこの本を読んだ。順番としてはそうである。
ITは社内で持つ時代ではなく、社外あるものを賢く借りる。内部統制でネックとなる対応コストの増大に応えるのがクラウドコンピューティングであるというたいへんためになるお話でした。

2010年7月2日金曜日

野坂昭如『アメリカひじき 火垂るの墓』

先日、岡山に行ったときのこと。
プロデューサーのTが弁当を買うというので、ぼくは“貝づくし”という煮帆立ののっているのを指定した。あまりあれもこれも入っている弁当は好きではない。
昼近くなって、豊橋だか三河安城だかあたりで、お腹が空いたので弁当を出す。包み紙には“深川めし”と印刷されている。なんとなくいやな予感がしたが、深川めしと貝づくしは隣どうしで並んでいたし、つくった会社も同じだったと思うので、包装紙は同じものを使っているのだろう、くらいに思ってふたを開けると、なんとやっぱり深川めし。
ぼくは普通に寛容な人間なので、深川めしと貝づくしの違いくらいで騒ぎ立てたりなどしない。ご飯にのっている帆立が穴子になったくらいの微差だ。
ただ食べながら思ったのだが、ぼくが駆け出しの頃、大先輩の弁当を間違って買ってしまっていたら、いったいどんな目にあっただろう。当時は純粋に怖いスタッフは大勢いたからだ。たぶん名古屋で降りて、東京駅に戻って、取り替えてもらってこい!くらいのことは言われただろう。それとか、自分の弁当ならまだしも、相手が子どもだったらどうか。食べたいものと違うものが目の前になって、それがもしも大嫌いなものだったら…。
考えただけでも背筋の凍る思いである。
一応念のため、Tに弁当が頼んだものと違っていたと教えてやった。そしたらT,「ぼくはちゃんとお店の人に“貝づくし”っていいましたよ」だって。時代が変わったのか、Tが未熟なのか、Tを教育した人がバカなのか。普通こういうときには「申し訳ありませんでした」とまず詫びを入れてから、弁解するなり、言い訳するなりしたほうがいい。そう言おうと思って、Tの悪びれない顔(こいつはいつも阿呆みたいな顔をしているのだが)を見て、余計なことを言うのはやめた。
野坂昭如と聞くとどうしても文壇の人というより、テレビの人、タレントというイメージが強い。タレントでないとすれば作詞家。「おもちゃのチャチャチャ」の印象が強い。
「火垂るの墓」は前々から読みたいと思っていたのだが、独特の、助詞を省いてリズミカルな文章は慣れるまでは時間がかかるが、読みすすめていくうちに講談を聞いているような錯覚におちいり、いつのまにか数十頁読み進んでいる。実に不思議なタレント、いや作家である。
のぞみ号が新神戸に停車したとき、ふと野坂昭如を思い出した。

2010年6月30日水曜日

柳田國男『日本の昔話』

日帰りで岡山に行ってきた。
滞在時間はものの3時間。のぞみ号に乗っていた時間が7時間。新幹線に乗るのが仕事、みたいな仕事だった。
山陽新幹線で広島まで行ったことがあるが、岡山で下車するのははじめて。おそらくこの辺が新幹線で行くか、飛行機で行くか悩む距離ではないだろうか。
まさにとんぼがえりだったけれど、せっかくだから駅できびだんごを買った。絵本作家の五味太郎のイラストレーションのパッケージだった。ちょっと土着感がないかなって感じ。
以前、ジョルジュ・サンドの『フランス田園伝説集』というのを民間伝承を収集した本を読んだが、この手のものはおそらく世界中どこにでもあり、才能に恵まれたなら、研究などしてみるとさぞや楽しかろうと思っている。当然、日本にもあって、これが柳田國男のライフワークとなっているわけであるが、新潮文庫でもさほど売れている本でもないようで、先日歯科治療に行った草加の本屋でやっと見つけた。
自分の幼少の頃を思い返しても、これほど多くの昔話を聞いたことはなく、日本全国から採集する作業も楽しかろうとも思うが、苦労も多かったろうとも思う。
ペローのサンドリヨンの話とよく似た「米嚢粟嚢」などは人間の普遍性の証なのか、それともどこかで西洋文明との交渉があったのだろうかと考えてしまう。そもそも奥州は欧州から来ているのではないか、と下衆な勘ぐりさえ起こしてしまう。「鶯姫」や「奥州の灰まき爺」など、かぐや姫や花咲じじいとそっくりな話もあって、そのオリジナルはいったいどこにあったのだろうか。また「鳩の立ち聴き」や「盗み心」など日本人は昔からユーモアあふれる国民性を持っていたのだなあと感心させられる。
まあ、おもしろい話というのは昔からあったのだろう。

2010年6月25日金曜日

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

高校時代は皇居のまわりを毎日のように走っていた。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。

村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。

2010年6月22日火曜日

阿刀田高『新約聖書を知っていますか』

サッカーワールドカップ2010。
引き分けなしの決勝トーナメントも壮絶でおもしろいが、まずは予選グループ戦の大詰めがなんといっても目が離せない。
今日からいよいよグループ戦3まわり目。フランスはもう奇跡を待つしかなく、イングランド、ドイツ、スペイン、ポルトガル、イタリアとヨーロッパの強国の苦戦が続く。安定しているのは南米のチーム。やはり南半球の大会のせいだろうか。
ふだんあまりサッカーを観戦することはないが、力の差が歴然とあらわれる試合もあれば、格下と思われるチームが戦術的に上位チームを苦しめ、さらには勝利までするという番狂わせもあって、たまに観るとおもしろいものだ。
特にヨーロッパのチームは守りがしっかりしている。たぶんふだんからディフェンスの練習にじゅうぶんな時間を費やしているのだろう。ディフェンス練習にはオフェンス側が必要だから、当然半分は攻撃練習にもなるし、守りを通じて攻めを知る、要は野球のキャッチャーが配給を読む、みたいなこともあるだろう。守備に時間を割くことで攻撃の練習はおのずと少なくなる。それも攻撃時の集中力向上に役立っているのではなかろうか。

この本は先に読んだ『旧約聖書を知っていますか』と同様、かゆいところに手が届く一冊である。

>このエッセイは、〈旧約聖書を知っていますか〉の姉妹篇とも言うべき試みである。
>欧米の文化に触れるとき、聖書の知識は欠かせない。美術館一つをめぐるときで
>さえ、--この絵は聖書のことらしいけど、どういう背景なのかな--
>と、素朴な疑問を抱いてしまう。
>そんな不自由さを少しでも軽減してくれる読み物はないものだろうか……私が
>二つのエッセイを書いた動機はこれに尽きている。

とあるように、おそらくこの手の知識を最低限身につけていれば、ヨーロッパの絵画の鑑賞や古い教会めぐりが楽しくなること、請け合いである。ただ、せっかく有意義な読書体験も先立つものがなければ、実地に活かす場を与えられない。残念至極である。


2010年6月19日土曜日

小山鉄郎『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

フランスのセーヌ、ローヌ、ロワールに相当する河川が品川でいえば目黒川と立会川だろう。とりわけ後者は京浜急行の駅名にもなっており、知名度は相当高い(はず)。
立会川はもうかなり昔に暗渠となり、その上は普通の道路となっているが、ぼくの子どもの頃は今のJR横須賀線の西大井駅のあたりにあった、たしか三菱重工だったと思うが、その工場の敷地内が暗渠化されているくらいで、あとは都内でよく見かけたどぶ川みたいなむき出しの小河川だった。三菱重工の隣は日本光学、今のNIKONで大井町界隈は品川の産業の中枢であったことがうかがえる。
その産業地帯に小さな公園がいくつかあり、そろそろ遊び場探しに苦心していた少年たちは猫の額ほどの公園でよく手打ち野球というゲームに興じた。軟式テニスに使うようなゴムボールをバットのかわりに自らの握りこぶしで打つ野球だ。ノーバウンドで公園の外に出ればホームラン。だいたいひと試合でホームランが十数本飛び出す空中戦野球でもあった。ただしさらなるローカルルールがあって、公園外にボールが飛んでも、当時むき出しの立会川にボールが落ちると一発チェンジ。ちょっとしたレッドカードだった。
で、ボールが川に落ちるとどうするかというと、急いで走り、走りながら靴とくつしたを脱ぐ。公園より下流に川に降りられる梯子段があって、そこから川に入ってボールをひろう。ルール上はこの時点でスリーアウトとなる。もちろん得点にはならない。
川の流れは美空ひばりの歌のようにゆるやかだったから、たいていボールは無事確保できたのだが、ごくたまに雨上がりの翌日など水かさが増して流れが急なときなどボールに追いつけず取り逃がすことがあった。そういうときはもちろんゲームセットだ。
漢字は象形文字だと子どもの頃から教わっていたが、こうして古代文字と今の漢字(旧字)と見比べると概念としての“象形文字”がより具体的な形で理解できる。それとこの手の話は本で読むより、話を聞いたほうがてっとりばやい。本になってしまったのは仕方ないが、白川先生のお話を伺っているというスタンスで書かれているこの文章は親切で、臨場感がある。


2010年6月16日水曜日

レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』

先週、プライバシーマークの更新審査があった。
個人情報に限らず、情報セキュリティ全般に関して言えば、安全管理措置というのものを講じなければならず、また安全管理措置も組織的安全管理措置とか物理的安全管理措置とか技術的安全管理措置とか人的安全管理措置とか区分けされているが、実は結局ひとつのことだったりする。
一般的には“ついうっかり”といったヒューマンエラーというのが多いらしいが、その“ついうっかり”をルールでフォローできていれば、事故は未然に防げたりもする。つまり組織的安全管理措置で人的エラーを最小限に食いとめることは不可能ではないということだ。また、いくらしっかり施錠してもサーバのセキュリティが甘かったら、簡単に漏えいしてしまう。物理的に安全ならすべて安全というわけでもない。かといって技術的な対策もある種のいたちごっこの感は否めない。
たとえば携帯電話。会社で社員に支給している携帯電話の管理責任は当然会社にあるわけだから、紛失防止のためのルールをつくらなければならない。もちろん、完璧な手順などはありえないから、紛失した場合の漏えい防止策もルール化しなければならない。現時点では各利用者の手中にある携帯電話を前提に話ができるが、コンピュータネットワークのように、携帯電話も回線からのデータ流出、改ざん、漏えい、紛失がありえるとしたら…。
これは地下鉄をどこから地中に入れたか、なんてことよりももっと切実な、眠れない問題である。
このあいだ昔読んだ本のリストを見てたら、86年にこの本を読んでいる。
ほとんど記憶にない。その前後に三島由紀夫を多く読んでいたから、おそらくはその影響だろう。もちろん当時のことだから新庄嘉章訳の新潮文庫だったはず。
まあ、西欧の恋愛小説はなんともおどろおどろしいものである。

2010年6月11日金曜日

阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』

昭和46年の50円玉がレアだとずっと思っていた。
たしかに滅多とお目にかかれないので手に入れると別にしておいているのだが、最近他にレアな年はないかと調べてみたら、どうも昭和46年はさほどレアでもないらしい。たしかに前後の年に比べると発行枚数は少ないようだが、むしろ昭和60~62年、平成12~14年のほうが超レアであるらしい。昭和46年がレアだという風説を聞いたのはぼくが高校生か大学生の頃、昭和にして50年代前半。超レア硬貨でおなじみの昭和32年の5円の次にやってくるのは昭和46年の50円玉だと気がはやったのだろうか。
昭和32年の5円玉というのはぼくの知る限りもっともレアな現行硬貨といってよく、半生記以上生きてきて、流通している現物を目にしたことがない。コイン商のガラスケースの中でしか見たことがない。
中学生の頃、同級生のKが放課後、千円ほどの小遣いを手に銀行に行って全額5円玉に両替し、レアな年(当時は昭和32年と42年)があれば抜いて、なければ別の銀行でまた紙幣に戻し、さらに別の銀行で5円玉に両替と、暇な中学生ならでは5円玉探訪の旅をしていたが、そのKでさえ昭和32年には出会えなかった(その後大人になってからも両替の旅を続けていたのかはわからないが)。
以前、『図説地図とあらすじでわかる!聖書』という新書を読んだことがある。それなりに聖書の世界が網羅されていて記憶にはそうとどまらなかったものの、なんとなく聖書ってそういうことなんだ、くらいには思った。もっとお手軽に聖書の世界を紐解きたいと思っていて、その本はそれなりに応えてくれたが、できればもう少し噛み砕いて、子どもにもわかるような“読み物”としてあればいいのだが…などとうすらぼんやり考えていた。もちろんネットで検索するとか、それほどポジティブにではない。
実をいうと柳田國男の『日本の伝説』、『日本の昔話』を読みたいと思って、仕事の帰りに立ち寄った本屋でこの本を見つけた。
なあんだ、あるじゃないか。
阿刀田高の小説は一冊も読んでおらず、まったくの初対面であったが、こうした古典を普及させる意思に富んだ人であることがわかった。たいへんうれしい一冊である。
それにしても昭和46年の50円玉はちょっとがっかりだな。ずいぶん集めたのに。

2010年6月9日水曜日

日垣隆『知的ストレッチ入門』

先週末あたりから左の奥歯が痛み出した。なんとなく腫れているような気もする。感触としては過去に治療したところの根っこのあたりが化膿しているみたい。
で、昨日K先輩の歯科医院まで飛んでいく。場所は埼玉の草加。半蔵門線に乗って、押上を過ぎると東武線に乗り入れる。最初の駅は曳船。このあたりで見る東京スカイツリーはとてつもなく大きい。ちょっと途中下車して近隣を散歩してみたい衝動に、ふだんであれば駆られるのであるが、こうも奥歯が痛いとそんな気も起きない。
K先輩に奥歯を深く削って、とりあえず中にたまっているガスを出せばいくらか楽になると言われ、激痛をこらえた。
こんなとき先輩後輩の間柄は都合がいい。先輩にしてみれば、多少の痛みくらいで後輩が騒ぎ出すとは思わないし、後輩もよくできたもので先輩には絶対逆らわない。
治療が終わって、先輩の部屋でお茶をご馳走になりながら、「かなり痛かっただろ」と訊かれたが、「いいえ、合宿の筋肉痛にくらべれば…」などとわけのわからない会話が絶妙な呼吸でやりとりされる。
今日はいくぶん、痛みは引いたが、まだ腫れはある。

カテゴリーの分類がもともと大雑把なので“エッセー・紀行”にしてみた。たいていこの手の本は新書が多いのだが、最近は文庫にもこのような啓発的なテーマの本が増えている。
日垣隆という著者のことをほとんど知らずに読んだのが、ノンフィクションライターであるらしい。広告の仕事をしているととかく当たり障りのなく、誰も傷つけない表現を選ぶ。そしてそういう習慣が身についてしまうのだが、ジャーナリズムの一線で、しかもフリーランサーである筆者の文章はシャープで明快、読んでいるこちらがはらはらしてしまう。自分の書いた文章に対する幾多の攻撃と闘ってきた人なのだろう。
かつて『知的~』と題される書物は多かったが、この本の成功は自らの主張を貫く強い表現(冗談でさえ素直に笑えないほどの)と“ストレッチ”と名づけたそのタイトルにあるといえる。これから社会の荒波に飛び込んでいく若者はもちろん、仕事的には枯れてきた世代にも刺激になる一冊である。


2010年6月4日金曜日

桐野夏生『東京島』

卓球に限らずスポーツ全般にいえることだが、ユニフォームというものがいつしか派手な柄になっている。
とりわけ卓球はその昔、地味な濃い色のポロシャツみたいなユニフォームが義務づけられていたと記憶しているので体育館やショップで目にする、水彩絵の具をぶちまけたような彩りのシャツや黄や赤や緑の不規則なラインに縁どられたデザインを見ると隔世の感がある。
たしかに昔の卓球といえば黒板のような深緑色の卓球台にエンジや濃紺など淡色のウェアだった。ボールが白なので白のユニフォームは禁止されていたが、いつのころからオレンジボールという新色が登場し、台もきれいなブルーになっている。ときどき駒沢体育館などで行われている学生の試合などで深緑の台を見ると妙に懐かしく思うものだ。
そうした色味やデザインの地味な時代の卓球を知るものとしては、実のところ、昨今のカラーリングは醜悪としか思えない。試合用に購入してもいいかなとも思うのだが、これを着るのかと思うとつい尻込みするものが圧倒的に多い。できれば単色であまりデザインの主張のないものをと思うのだが、お店にはもちろん、メーカーのカタログにもそれほど多くない。
大学生の試合を観にいくと明治や早稲田などいわゆる伝統校のユニフォームは昔ながらの(それでも時代とともに洗練されているのだろうと思うが)、それぞれの学校のカラーを活かしたシンプルなデザインである。早稲田のエンジ、明治の茄子紺、専修の緑などなど。
最近はほとんど観にいかないが学生バレーボールもおそらくは昔と(ぼくが高校生の頃、駒沢までよく観にいっていたころの30数年前)大きな違いはないだろうと思う。中央は紺、筑波は緑、東海は十字のデザインなど。東京六大学野球の各チームが東大をのぞいて昔からデザインを変えていないのと同じように。
まあ、何が言いたいかというと卓球の最近のユニフォームはおじさんにはちょっと恥ずかしいなということだ。
無人島というとものすごく想像力をかきたてられる。文明を前提に日々生きていると息苦しくなる思いだ。そんな局面に堂々と挑んだいい作品ではないか。あ、この本のことね。


2010年5月30日日曜日

酒井順子『都と京』

性懲りもなく東京六大学野球の話。
東大はこの春のリーグも10連敗。3季連続の10連敗で現在31連敗中という。今季は慶応竹内にノーヒットノーランを達成されるなど86失点。なんともコメントのしようがない。
もちろん甲子園には程遠い進学校から入学入部したメンバーたちだから、高校時代全国レベルで活躍した選手を相手に勝ちまくれというのは無理な相談だ。とはいえ、すべての試合が恥ずかしいかといえば、けっしてそうでもない。対早稲田一回戦では2-4で逆転負け。対立教二回戦は6回まで6-5とリードしていたのだ。あとひとりでもふたりでもかわせる投手がいれば勝っていた試合だと思える。
最近では東都の中央に元ジャイアンツ他の投手だった高橋善正が監督として就任し、まずまずの結果を残している。慶応も同じく元ジャイアンツ他の江藤省三が監督になって注目を集めている。それぞれOB監督ではあるが、東大に今必要なのは勝てるチームづくりのできる監督・指導者なのではないか。この際、OBという枠組みにとらわれない野球人を抜擢してみてはどうだろう。学問のトップとして君臨する日本の頭脳がなぜ相も変わらず勝つことを知らない指導者の下で野球をやっているのか不思議でならない。いっそ野村克也でも監督に招いたら、東京六大学随一の頭脳が活き、観客動員もアップするに違いない。
さて。途中で読むのをやめたのは久々である。
東京がNGで京都がGOODという前提の本であるのはそういう主旨で書かれたのだから仕方ないとして、その論拠や表現が稚拙で付き合いきれなかった。まあ子どもの作文並みの筆致で描かれた性質の悪い京都観光案内といったところか。最後まで読んでいないからわからないけど。


2010年5月28日金曜日

外山滋比古『日本語の作法』

東京六大学野球春のリーグ戦は早慶対決となった。
斎藤、大石、福井とドラフト級をかかえる早稲田が有利に見えるが、附属から甲子園組がこぞって集まった慶應もあなどれない。今季の戦いぶりを見ていると慶応は長打をからめた集中打で競り勝つ試合が多く、早稲田は相変わらず貧打で得た得点を守り抜く試合が多いように思う。単純に図式化すれば打って慶応、守って早稲田といったところか。
とかく今年は早稲田投手陣にマスコミの関心は集まっているが、東都にも東洋の鹿沼、乾、中央の澤村ら好投手がそろっていてドラフトではどうなるか楽しみである。
来年のことをいうと鬼がどうのこうのというが、今の3年生にも好投手が多い。甲子園夏の大会で惜しくも決勝で敗れた広稜のエース野村祐輔。1年時から明治のマウンドをまかされ、この春(正直いって2勝どまりは期待はずれだったが)で通算勝ち星を14までのばした。3年春終了時点で斎藤祐樹は22勝だったが、今後の活躍しだいでは30勝も不可能ではあるまい。明治には大垣日大出身の森田や春日部共栄の難波ら次代エースの層が厚い。
で、この本は日本語のベテランがつづる言葉の作法。
手書き文字に対する入れ込みは時代錯誤かとも思われるが、日本語をこよなく愛する先達であり、その文章は脱帽せざるを得ない明快さを持っている。
こんないい加減な日本語で書いているのがちょっと恥ずかしい。


2010年5月27日木曜日

池波正太郎『江戸の味を食べたくなって』

子どもが大きくなって、小さかった頃のことが鮮明に思い出せない。
このあいだも次女が学校に提出する宿題に自分が小さかった頃の話を親から聞いて書く、みたいな課題があって訊ねられたのだが、いくつか思い出せる話はあるにはあるが、それが長女のことか次女のことかはっきり区別がつかない。それに子どもというのはたいていどこのうちの子でも同じようなことをして育つんではないだろうかとも思う。
たとえばうちの子はトランプにしても、ジグソーパズルにしてもすごろくのコマにしてもクレヨンにしてもなんでも小分けにしてあっちこっちにしまいこんでいた。だからパズルをやるにしてもまずあっちこっちをさがしまわってピースを全部集めなくてはならない。どこかへ出かけると持っていったポーチの中から用もないピースが見つかることもある。
ひとつにまとめておかなければいけないものをばらばらに分けるのにカラー粘土のようにまぜてしまってはいけないものは容赦なくまぜる。たいてい買ったその日のうちには色とりどりのカラー粘土は真っ黒いかたまりと化す。
当時、まぜないでちゃんと色分けしてしまうんだよとなんども言っていた親がそれをしたのが長女か次女かわからなくなっている。
まあこんなことはどこのうちで同じだろうと思う。
池波正太郎は“食”関連の本しか読んでいないが、そんなにパリや南仏に出向いた方だとはつゆほども知らなかった。

2010年5月26日水曜日

高村薫『レディー・ジョーカー』

テツさんはある広告会社のアートディレクターだった。
もうしばらく会っていないが、おそらくは引退されて悠々自適な日々を送っているのではないだろうか。
テツさんの若かりし頃の上司がその後ずいぶんたって子会社に出向し、ぼくの上司になった。そんな関係でテツさんはぼくの兄弟子的なポジションにいる人だった。
テツさんは角刈り頭の強面で、こう言ってはたいへん失礼ではあるけれど、アートディレクターっぽくない。どちらかといえばテレビドラマに出てくる刑事、それも主役の刑事ではなく、炎天下の山間の村々を汗だくになって聞き込みにまわる脇の刑事というイメージの人だった。
それでいて面倒見がいいというのか、その後ぼくが会社を辞めるにあたり、「やっていけるのか」とか「どこそこの代理店でクリエーティブを募集しているぞ」とか会うたびに声をかけてくれた。当時のぼくがよほど頼りなさげに見えたのだろう。
また定年間近な頃だったと思うが、ぷらっと遊びに行くとたいていデスクの前の小さなソファで夕刊をひろげていた。ぼくを見つけるとこっちへ来いと声をかけ、「いやあね、倅が新聞社に入りましてね、カメラマンなんですけど。最近写真が、ほら、たまに載るようになってね」と目を細めて、社会面の写真を指差す。たしかにそこにはテツさんのご子息の名前が印刷されている。【撮影・●●●●】と。
風貌といい、心根といい、あらゆる所作において人間味丸出しのいい先輩だった。
そのテツさんと最後に仕事をしたのが1998年。打合せの後、立ち寄った居酒屋で「最近本を読むのが楽しくなりましてね。『レディー・ジョーカー』読みましたか?最近読んだ本のなかではいちばんおもしろかったですよ。よく調べられていて…」とまるでご子息が本を書いたかのように微笑ましく話されていた。
それから10年以上たって、ぼくはようやく『レディー・ジョーカー』にたどりついた。
まるでノンフィクションを読んでいるような、ドキュメンタリーフィルムを見ているような精緻で客観的な描写についつい引き込まれてしまった。
テツさんが刑事になって出てくるかと思ったが、残念ながら会うことはできなかった。


2010年5月19日水曜日

ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』

このあいだ少年誌の付録のことを思い出して書いてみたが、そういえば長女だか次女だか小さい頃、付録付きの雑誌を欲しがった。で、まあつくるのはぼくの役目なのだが、昔も今もこうした付録はついているのだなあと思うと同時に、近頃の付録は子どもがつくるものなのではなく、大人につくらせるようにできているのだなと思った。もちろんその雑誌自体が就学前の幼児を相手にしていたものだから、当然といえば当然なのだが。
それにしてもボール紙を切り分けて、組み立てて…というそんな付録を誰が考えつくのだろう。やはり専門の付録デザイナーとかプランナーとか一級付録設計士みたいな職種が世の中にはあるのだろうか。田宮模型の戦車のプラモデルのパッケージイラストレーションを小松崎茂という人がずっと描いていたみたいに。
"もの"があるということは、"ものをつくる人"がいるんだとついつい考えてしまう。それは街で見かける看板や毎朝新聞に折り込まれてくるチラシもそうだ。どんな人がこれをつくったのだろうと。
ヒマをもてあまさない性格なのだろう。

訳者もあとがきで書いていたが、コクトーは変幻自在なフランス語をあやつり、さらに論理の連鎖に空白があって日本語にするのはたいへんやっかいなんだそうだ。そこらへんは読んでいてわかるような気がした。


2010年5月15日土曜日

安岡章太郎『質屋の女房』

小学校一年か二年か、そのくらいの頃。
近所の商店街の縁日や祭りの夜店でぼくがよく買ったものといえば、金魚すくいの金魚でもなく、お好み焼きやラムネでもなく、まあまったくその手のものを買わなかったわけではないが、やはりメインの商品は当時月刊少年誌にたいてい付いていた付録だった。
ボール紙でできたパーツを切り取り、山折り、谷折りし、アルミニウムのようなやわらかい金属でできているピンやハトメで、あるいはのりやセロハンテープ、輪ゴムなどで固定し、連載漫画の主人公の持つ銃器やキャラクターたちの秘密基地みたいなものをつくりあげるのだ。
当時は毎月少年誌を一冊母から買ってもらっていたので月々の楽しみとしてそういうことはしていたのだが、別雑誌の付録やバックナンバーの付録は目新しくてついつい買ってしまうのだった。
そしてその翌日は近所の古書店をまわる。なぜなら付録は付録だけで売られていて、つくり方が載っている雑誌本体は別にさがさなければならないからだ。つくり方を読まずに組み立てられるほど昔の付録はヤワじゃなかった。
それと月刊少年誌の付録としては本体に連載されている漫画の続きが別冊として付録になっていた。これもまたついつい買い求めてしまうのだが、あくまで本体、付録で完結しているから、本体だけでは次号へのつながりがわからないし、別冊だけでは前月号本体からのつながりがわからない。当時の大人はよくもまあこんなビジネスを思いついたものだと感心する。
そんなわけで別冊を買うとその号の本体を古書店に買いにいく。場合によっては(こっちのほうが圧倒的に多いのだが)立ち読みですませる。今にして思えば、なんと時間的にぜいたくな遊びだったろう。
で、『質屋の女房』なのだが、安岡章太郎の青春小説ってところか。もちろんあくまで安岡章太郎の、だ。老成した青春小説だ。暗い時代を生きたからではないもって生まれた劣等感に貫かれた安岡ワールドだ。

2010年5月14日金曜日

村上春樹『1Q84 Book3』

両親の出身が千葉県の千倉なので、子どもの頃は毎夏祖父に連れられ、2週間近くを過ごした。今でも墓参りや法事などで足を運ぶことが多い。
内房線は君津あたりまでが複線化されているが、そこから先は単線区となり、俄然ローカル色が強くなる。そしてほとんどの特急が館山どまりであるように館山を過ぎるともうどこをどうみてもローカル色一色になり、ローカル色の人が歩いていてもまったく見分けが付かなくなる。
とはいえ父母の実家は千倉駅から安房白浜行きバスに長いこと揺られてようやくたどり着くようなところなので千倉の駅の周辺や駅の北側(安房鴨川方面)の印象はほとんどない。いわゆる千倉海岸と呼ばれている海水浴場はおそらく駅の北東側なのではあるまいか。
天吾の父親が亡くなった千倉の療養所がどの辺にあったのか(それはもちろんモデルが仮にあったとしての話だが)、そんなわけでまったくわからない。著者の想像の産物ではあるまいかという気もしている。なんでそんなことを考えるかというと天吾の父親が火葬される、そのシーンを読んでいるとぼくの曾祖母や祖父母が焼かれた火葬場とはあきらかに違うことがわかるのだ。たしかにぼくが子どもの頃の行った火葬場(地元では“やきば”という)はそう古くない昔に改築され、新しくなったが、それでもこの小説に出てくるほど都会的な雰囲気はない。
まあ、読んだ小説のなかに自分の知っている場所がでてきたからといって、そんなことで目くじら立てるほどのことでもあるまい。

2010年5月6日木曜日

スタンダール『赤と黒』

あっという間に大型連休は終わった。
こまごまとした仕事が多く、卓球にも読書にも身が入らない1週間だった。昨日はかつて卓球のやりすぎで腱鞘炎を起こし、さらには痔の手術でしばらく静養していた音楽プロデューサーのM君から近所の体育館で卓球をしませんかとお誘いを受けたのだが、残念ながら打ち合わせに出てしまうのでお断りせざるを得なかった。
年に一度、あるいは二度ほど、バカみたいに長い小説を読みたくなる。連休どきは長モノを読むにはちょうどいい。
『赤と黒』は読んだような気がする。
たぶん、30年ほど前に。ジュリヤン・ソレルという主人公の名は憶えている。が、これは読んでいようがいまいが『赤と黒』の主人公がジュリヤン・ソレルであることくらいはある程度の知識のある人なら知っている。だからその名前を憶えていることが読んだという証左にはならない。だが窓に梯子をかけて昇っていくシーンはなんとなく憶えている。結末はどうだったか、なんてぜんぜん憶えていない。
ならば読もうとぼくの中では評価の高い光文社の古典新訳シリーズを手に取った。はたして梯子を上るくだりはあった。読みすすめながら、以前読んだことをまったく思い出すこともなく読み終えた。ほんとうに昔読んだのだろうか。謎は深まるばかりである。
それはともかくとして終盤になってジュリヤンはそのキャラクターを変えるように思える。ずっとひ弱で陰湿な性格の彼が事件以降カラマーゾフの長男のような豪快な人柄になる。それがちょっと不思議だった。

2010年4月30日金曜日

ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女』

大型連休がはじまった。
今年も例年通り、特段することもなく、どこかの体育館が開いていれば卓球をやるし、することもなければ本を読んだりして過ごすつもりだ。連休明けにアイデアくださいと頼まれている仕事が何本かあり、おいおいそれも考えなくちゃとは思っている。
高校野球の春季大会は選抜大会に出場した帝京が初戦で、日大三が2戦目の三回戦で敗れる波乱(選抜出場校が早々と敗退するのはよくあることではある)があり、優勝は日大鶴ヶ丘、準優勝が修徳。これに推薦枠の日大三が関東大会に出場する。
この大会のベスト16が夏の大会のシードになるはずだから、東東京は修徳、関東一、成立、日大豊山、都総合工科、都城東の6校、西は日大鶴ヶ丘、早実、国学院久我山、日大三、日大二、八王子、都日野、東亜学園、桜美林、創価の10校がそれにあたる。なかでも昨秋の新人戦で本大会に出場できなかった修徳、桜美林、東亜は大健闘といえるだろう。

特に意識してフランス文学を読んでいるわけではないのだが、一冊読むとその近辺の作家を拾い読みしたりしてしまうものだ。
シュペルヴィエルは1884年生まれ。時代的にはコレットに近いのかもしれない。その前の世代がゾラたちだ。ただシュペルヴィエルはウルグアイ生まれのフランス人ということで(あるいはそんな半端な予備知識を持って読んでいるせいか)、一種独特な世界観を持った作家という印象を受けた。
なんとも不思議な短編集である。

2010年4月26日月曜日

宮本輝『蛍川・泥の河』

次女が学校でつくったというラジオをもらった。
そういえば長女も技術家庭科の時間にラジオをつくっていたっけ。ダイナモつきの電源なしで聴けるラジオ。
ぼく自身の経験を振り返ると中学生の頃はトランジスタ化(ぼくらはトランジスタを石と呼び、石化といっていた)がかなりすすんでいた。もう少し上の世代ではおそらく並三か並四と呼ばれた再生検波式の真空管(こちらはタマと呼んでいた)ラジオをつくっていたのであるまいか。
とはいうもののぼくたちが中学校でつくったのはインターホンのキットでラジオではなかった。
東京の都市部だったら高一(高周波一段増幅)ラジオとかレフレックスラジオ(検波された低周波出力をもういちど高周波入力に戻してゲインをかせぐ、いってみれば再生検波ラジオと基本は同じ)でじゅうぶん実用に耐えたけれど教材として全国一律に普及させるにはスーパーヘテロダインという、アンテナがキャッチした高周波を検波して低周波を取り出す前に中間周波にいちど変換して、感度や選択度を安定させる回路が必要なはず。今ならICだのLSIだのがあれば簡単にできるこの回路も当時は半田付けに緊張を要するトランジスタを6つ以上使うラジオは中学生はハードルが高かったと思う。それにできあがってもその性能を引き出すためには微妙な調整が必要だ。そんなこんなで高周波を取り扱わないインターホンを教材として選んだのだろう。
ぼくは多少半田付けの心得があったのであっという間にインターホンを組み上げてしまい、手持ち無沙汰にしていたら、8石スーパーラジオのキットが技術科準備室にひとつあって、技術科のM先生からじゃあこれでもつくっておけといわれた憶えがある。そのラジオも難なくできあがったのだが、IFTと呼ばれる中間周波トランスを調整する工具がなくて、結局つくりっぱなしでノイズの向こうにかすかにFENが聴こえたなとしか記憶がない。

宮本輝はぼくが受験勉強のさなかにデビューしたせいか、ある種の盲点になっていて読みそびれてしまった作家のひとりだ。『優駿』が話題になったときもぼくは競馬への関心が薄れていた頃だったし。
やっと一冊読み終えた。昭和を現代に残してくれる貴重な作家だ。

娘のラジオの箱の中につくり方の説明書が入っていた。が残念ながら回路図は載っていなかった。もちろん今さら見てもわからないけれど。

2010年4月24日土曜日

鹿島茂『パリの秘密』

ラジオフランス語講座をしばらくぶりに聴いてみた。
木曜なのに初級編を放送していた。あれっと思って調べてみたら、月~木が初級編、金が応用編と改編されていた。ついこのあいだまで初級は月~水、応用が木・金でさすがに週3日だと初級の人は物足りないだろうなとは思っていたのだが。
応用編は文学作品の断片を読んでいる。ヴォルテールの『カンディード』とかカミュの『異邦人』とか。朗読を聴いていてもよくわからないがちょっとした文学ガイドと思えばけっこう有意義だ。
この本はフランス文学研究者によるパリ探検記。
もともと新聞に連載されていた読み物ということでひとテーマごと短い文章にまとめられていて、物足りないといえば物足りない。しかもパリの街を歩いたこともないので実感もわかず。
とはいえ最近はグーグルで街歩きができるのでPCを前に散策しながら読んで見るとああ、なるほどと思える箇所が随所にあっておもしろい。それとパリを旅した人がよく写真入でブログにしてくれているが、そうしたものも案外役に立つ。
まあ、行って見てみるのがいちばんなんだけど。


2010年4月21日水曜日

アントワーヌ・ドゥ・サン=テグジュペリ『夜間飛行』

区の体育館の卓球でときどきお目にかかるNさんがラケットを新しくした。
それもペンホルダーからシェークハンドに大胆なチェンジだ。そういえばペンホルダーではバックハンドがぜんぜんできないと言っていた。新しいラケットを見せてもらったら、堅くて、重くて、弾むラケットでラバーも最近流行のハイテンション。バック側はそれでも柔らかいラバーだったけれど、正直初心者の域を出ることのないNさんに比較的高価なその組み合わせはいかがなものかと思った。自分で選択したのであれば、その大胆な発想に吃驚するし、お店の人の勧めであったとすれば、その店員の良識を疑う。少なくとも今までペンホルダーを振っていた人がはじめて手にするシェークのラケットではないだろう。

松岡正剛は氏のホームページ[千夜千冊]のなかでこの本について「こういうものを訳したら天下一品だった堀口大學の訳文も堪能できる」と述べているが、ぼくにはどうにも堀口訳は重たく感じるのだ。
みすず書房から出ている山崎庸一郎訳を手にしたことがないので比較をすることはできないのだが、格調が高く、長い文章をそのままに、倒置や挿入などもおそらくは原文に忠実に訳出しているあたりはたしかに素晴らしいとは思うのだ。しかしながら飛行する操縦士たちのスリルとかスピード感が感じられるかというとそれはどうなのだろう。
とはいえいっしょにおさめられている「南方郵便機」も含め、賞賛されるべき小説だと思う。

2010年4月16日金曜日

安岡章太郎『僕の昭和史』

学校を出てから、1年、高校の先輩が経営するとんかつ屋や家庭教師のアルバイトをして、就職しないでいた。
今で言うフリーターといったところか。
邦楽のたしなみのあった姉の先輩(兄弟子ならぬ姉弟子)のご主人がCM制作会社の社長だということで働かせてもらうことになった。新宿御苑のほど近いマンションにその事務所はあった。今でもその界隈を歩くとなんとも言い尽くせぬ懐かしさに襲われる。
深夜買出しに出かけたスーパー丸正、当時から客の途絶えることのなかったラーメンのホープ軒。毎日のように昼食を食べた蕎麦屋の朝日屋。そして文象堂書店、文具の江本と今も変わらぬ店がまだいくらか残っている。
まあそのことはいずれあらためて。
ここのところ、ではないが、以前からずっとぼくの中でのブームは“昭和”である。
そんなわけで安岡章太郎のこの本はぜひとも読んでみたかった。
安岡章太郎は国語の教科書でおなじみの「サアカスの馬」の作者であり、実はぼくはこれ以外の作品を読んだことがない。ただこの優れた短編ひとつで著者が昭和を代表する劣等生であることはじゅうぶんうかがえる。
本書の中でもその劣等生ぶりはいかんなく発揮されている。とかく昭和は軍事エリートや経済エリートによる激変の時代と見られがちだが、実はその荒れ狂う嵐の時代のただ中で生きながらえつつ、冷静に時代を見つめていた落第生の視点があったのだ。

2010年4月10日土曜日

谷川俊太郎『ひとり暮らし』

その昔「クイズドレミファドン」という音楽クイズ番組があって、見所は最終ゲームであるイントロ当てクイズだった。
当時ぼくは中学生くらいだっただろうか。テレビを視ていて、イントロが流れるとすぱっと曲名が口から出てきた。
イントロ当てクイズは番組の進行とともにスーパーイントロ当て、スーパーウルトライントロ当てと流れるイントロの秒数がどんどん短くなっていく。それでもけっこうぼくは曲名を当てることができた。
隣で見ていた姉は(例のわたがし名人の姉だ)こんどいっしょに出ようという。私がボタンを押すからお前が答えろと。要はいつもどんくさい弟に代わって早押しをしてやるから、曲名はお前が当てろというわけだ。
そうだ、イントロ当ての話を書くつもりじゃなかった。
最近テレビで流行の曲がかかってもまったくわからなくなってきているのだが、それだけではない。おそらく20~30代に聴いたり、あるいはカラオケで歌ったこともあるかもしれないような曲の曲名がどうにも思い出せないことがある。人間の記憶装置というものは実にもろくはかないものだ。
ところが子どもの頃に聴いた曲は不思議とタイトルが出てくる。震源地の近くが震度が小さいのにちょっと遠いところだと大きい、あの感覚…。いかん。たとえが適切でない。
ここ2~3日、そんな不思議を考えていた。
結論的にいえば(といってもあくまでぼく個人の私見に過ぎないが)、記憶は耳によるところが大きい。
ぼくらは(ここで急に自信をなくして1人称複数にする)主としてラジオで音楽を聴いた。ラジオの音楽は必ずディスクジョッキーやアナウンサーが曲名、歌手名を紹介していた。その名前が曲に結びついた。だから音を聴いて曲名が浮かんでくる。
これがテレビだけで音楽を知る世代では曲名、歌手名は音もあるけれど視覚的にも伝えられる。目で見ることで耳は傾聴を断念する。結果記憶にとどまらない。
ぼくがものごころつく以前に、姉はヴィックスドロップやマーブルチョコレートやありとあらゆるCMソングを歌っていたという。そしておそらくその多くは記憶にとどまっているはずだ。CMの場合、映像より音楽やナレーションが心に残ることのほうが多い。
というのがぼくの考えた理論(というほどのものではないが)。

谷川俊太郎は詩人である。
これまでのぼくの半世紀にわたる人生の中で詩人の知り合いはいなかった。そういうこともあって、詩人・谷川俊太郎の日常を綴ったエッセーに少なからぬ興味を抱いた。でもさすがに詩人だけあって著者の文章のリズムに日ごろ馴染んでいないせいか、するするっと読みすすめることができない。正直言って緊張感をともなわずには読みすすめることが難しい。そんな印象。

そういえばカラオケで歌ったことのある曲は比較的記憶に残っている。それはたぶん身体的な活動つまり発声することと文字が結びついているからだろうと思う。