2010年2月27日土曜日

阿久悠『歌謡曲の時代』

冬季オリンピック。
あとわずかで閉幕であるが、回を重ねるごとに新奇な競技が増えていくようだ。複数で競争するアルペンスキーはスピードスケートのショートトラックよりも見ていて危険な感じがする。またいつのまにやら複合とか団体とかスプリントだとか種目内の細分化が進んでいるように思う。その昔ジャンプの団体戦が行われると聞いたとき、いっぺんに全員で飛ぶのか、そのときは横並びなのか縦並びなのかと疑問に思ったことがある。
これだけ競技が増えるのなら、いっそのこと野球とソフトボールも次期冬季大会で採用されればいいのにと思う。
さて。
“阿久悠”は一発で変換できなかった。
なかにし礼を読んだときも思ったのだが、阿久悠もぼくの今思っていることに近い存在だ。それはベクトルの方向が昭和を向いていること。
昭和から平成になって、“歌謡曲”がなくなった。時代を映す歌がなくなった。流行の歌は個人の主張でしかなくなったという。それはもう20年以上も前、“中心から周縁”、“ヨーロッパから非ヨーロッパ”、“大衆から分衆”へなどというキーワードで語られていた。もちろん難しい話をする気はない。ただ個人の嗜好としてぼくは昭和が好きなのだ。そういった意味では阿久悠の詩にぼくは幼少の頃からずっと寄り添ってきた。いわばぼくにとって昭和のわらべ歌のようなものだ。
阿久悠となかにし礼を比較するのは愚の骨頂だろう。シャンソンの訳詩から出発した都会派の詩人なかにしと広告ビジネスに身を投じ、人に届く言葉(コピー)を怜悧な刃物で切り分けてきた阿久悠とはそのよって立つ土壌が異なる。おそらく、あくまで私見でしかないが、なかにし礼に「ピンポンパン体操」はかけなかったと思うし、ピンクレディをはじめとするアイドルたちをプロデュースする視点で作詞はできなかったように思う。
広告クリエーティブの世界になぞらえるならば、なかにしはあくまで個的経験を中心に悠久の世界観を紡ぎだす秋山晶であり、阿久悠はどこまでもストイックに言葉を捜し続ける仲畑貴志ではあるまいか。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぼくは“昭和”と“昭和を愛する人”が好きなのだ。

この本の中で取り上げられた阿久悠の作品はごく限られたものであるが、備忘録としてぼくの阿久悠ベスト10を記しておこう。

1.「時代おくれ」/作曲 森田公一/編曲 チト河内、福井峻
2.「乙女のワルツ」/作曲・編曲 三木たかし
3.「熱き心に」/作曲 大瀧泳一/編曲 大瀧泳一、前田憲男
4.「あの鐘を鳴らすのはあなた」/作曲・編曲 森田公一
5.「青春時代」/作曲・編曲 森田公一
6.「白いサンゴ礁」/作曲・編曲 村井邦彦
7.「ブルースカイブルー」/作曲・編曲 馬飼野康二
8.「さよならをいう気もない」/作曲 大野克夫/編曲 船山基紀
9.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」/作曲 鈴木康博
10.「契り(ちぎり)」/作曲 五木ひろし/編曲 京建輔

昔はきっと、こんなじゃなかったけど歳をとってかえっていい曲を好きになれたと思う。


2010年2月21日日曜日

エミール・ゾラ『ナナ』

わたがしをつくるあの機械を“わたがし機”というそうだ。
だからなんなんだという感じだが、子どもの頃家の近くの文房具屋の前に10円か20円でわたがしがつくれる、まあいわゆるわたがし機があった。割り箸がおいてあって、お金を入れて各自ご自由におつくりくださいってわけだ。
ぼくは昔から不器用さにかけては群を抜いていたのでせいぜい片手でつかめるくらいの大きさにしかできない。それに比べると3歳上の姉は手先が器用というか、それ以前につまらないことに注ぎ込む集中力がすばらしく発達していて、縁日の夜店で売っているようなプロ顔負けのわたがしをつくってくるのだ。そのうちぼくがなけなしのこづかいをもってわたがしをつくりにいくと姉がついてきて手取り足取り指南するようになり、そうこうするうち手も足もとらずに割り箸をひったくってあの夜店で売っているまるまると肥えたわたがしをこしらえるのであった。
このあいだJR恵比寿駅から天現寺まで歩く途中でわたがし機を見つけて、そんなことを思い出した。
このブログの向かって右側に最近の10の書き込みがリストされている。
そこを眺めていたら最近海外の小説を全然読んでいないことに気づき、よりによってゾラの長編小説を読みはじめてしまった。
『ナナ』は平たくいうと『居酒屋』の続編といっていい作品。主人公ナナがジェルヴェーズの娘にあたるということでは続編であるが、ひたむきに生きながらも貧困と堕落に喘ぐ母親に対して、ナナは高級娼婦として奔放の限りを尽くす。この母娘の生きた時代背景を加味しながら、読み比べてみるのもおもしろそうだ。

2010年2月17日水曜日

森絵都『風に舞いあがるビニールシート』

以前ときどき顔を出していた南青山のバーが一昨年閉店し、それ以来外で飲む機会も減ってきたように思う。
先日そのバーのバーテンダーだったKさんから手紙をもらって、西麻布で新たにバーをはじめることになったと知らされた。開店に先立って、今まで懇意にしてきた人を招いてプレオープンをするという。
新しい店はもともとバーだったようで以前の南青山の店のように木のカウンターではなくてちょっと風情にかけるが、椅子席もあって、3,4人で来てもゆっくりできそうである。

仕事場で隣の席のI君のデスクに置かれていた一冊。
森絵都。
はじめて読んでみたが、仏像のことにしても若者の会話にしても、さらには難民問題にしてもよく調べている。好感の持てる作家のひとりだと思う。


2010年2月13日土曜日

内田百閒『第三阿房列車』

阿房列車の旅もいよいよ三冊目にたどり着いた。
今のところ続きがないので、読み進めるのが惜しい。

ここでぼくの阿房列車履歴をふりかえってみよう。
・1988年 北斗星に乗りたいと思っただけの北海道阿房列車
(上野~札幌~釧路~根室~帯広~札幌~上野)
・1989年 西高東低冬型の気圧配置の日に寝台列車で行く兼六園阿房列車
(上野~金沢~上野)
・1989年 こげ茶色の省線電車で行く鶴見線前線走破阿房列車
(鶴見~鶴見線各駅)
・年代不明 気動車に乗りたい!だけの八高線阿房列車
(高崎~八王子)
上記以外は青梅線、五日市線、御殿場線くらいで考えてみると純粋に列車に乗りに行くという経験がいかに少ないかがよくわかる。阿房列車は偉大だ。
で、このさき暇があったら走らせたいぼくの阿房列車は、房総半島縦断阿房列車(五井~大原)、身延線全線走破阿房列車(富士~甲府)。あと日帰りは困難だろうが飯田線で豊橋から辰野まで遡上してみたいとか、上野から仙台まで東北本線、水戸線、水郡線、磐越東線、常磐線で仙台まで行くとか、小山まで高崎から両毛線で行ってもいいし、さらに高崎までは八王子から八高線でというのもおもしろそうだ。
とにかくこうしてはいられない。時刻表を開こう。


2010年2月9日火曜日

池波正太郎『食卓の情景』

最寄り駅の近くに卓球ショップができて(もともと同じ区内にあったものが引っ越してきたのだが)、月木土の午前中に初級者向けに教室を開いている。店内には5台の卓球台があり、ラケットやラバーも売っている。こんな近所にこれだけの施設があるのに、行かないなんてもったいない。てなことでこないだの土曜日、はじめて参加してみた。2時間半で2000円。
30名ほどの参加者を5つのグループに分けて、5人のコーチがそれぞれテーマを設定して、指導してくれる。フォアのドライブ、バックのドライブ、ストップから攻撃、フォア・バックの切換し、ダブルスのサービス。ぼくが参加したその日はそんなメニューだった。基本は多球練習(次から次へと球出しをされ、それを打ち返す)で子どもの頃少しは卓球に親しんだとはいえ、こんな本格的な練習スタイルは初体験だったのでずいぶん緊張してしまった。足は動かないし、ミスは連発するし。ぼくの経験からすると卓球の練習というよりバレーボールのそれに近い。
それでもここのコーチの方々は皆一様に親切で短い時間内に適切なアドバイスをくれる。まずは金額に見合ったレッスンだったのではなかろうか。

美食家では決してないのだが、まあ生きてるうちはうまいものを食べたい。
最近ではインターネットでグルメ情報なるものがいやというほどあるけれど、うまいものの話は年寄りに訊くに限る。
池波正太郎の作品はひとつも読んだことはないのだが、なにかの本で神田まつやのカレー蕎麦を好んで食したという話を読んで悪い印象はない。
食べ物とはかくもたいせつなものなのである。

2010年2月6日土曜日

長嶋茂雄『野球は人生そのものだ』

日経新聞連載の「私の履歴書」はなかなか重厚でおもしろい企画だと思う。もちろん各新聞社でこうした連載は多いのだが、日経の場合、読み手をビジネスマンに絞っているせいか、他一般紙にない明快なおもしろさを感じる。
ぼくたちの世代、つまりものごころついたときから、ジャイアンツが常勝球団だった子どもたちにとってONは特別な存在だった。野球のプレイヤーを超越したスターだった。とりわけ地道な努力人である王貞治よりもエンターテインメントがあって、華がある長嶋茂雄は美空ひばり、石原裕次郎とともにぼくのなかでは三大昭和スターである。
20年ほど前に長嶋茂雄を起用するある不動産会社の広告コピーをまかされた。業界でもビッグで歴史もあるその企業の商品にぼくは「鍛え抜かれた先進の土地活用システム」というショルダーコピーを書いた。長嶋茂雄は天才肌では決してなく、努力の人だという意識があったのだろう。「鍛える」より「鍛え抜く」という言葉がすんなり出てきた。
思い返せば、昭和40年代に小学生としてプロ野球に熱中したぼくたちにとって、王貞治と長嶋茂雄は人気を二分する存在だった(それほどまでに王人気が高まりつつあった)。勝負強さで長嶋、数字的には王。
新聞販売店でもらった後楽園の外野席招待券でまず席が埋まるのはホームランを叩き込むであろう右翼スタンドだった。それだけ王の力は認められていた。40年代の長嶋はどちらかといえば選手として晩年を迎えつつあり、三割を打てない年もあった。それでも長嶋はぼくたち少年ファンに6度目の首位打者の姿を見せてくれた。苦しみながらもそんな素振を一切見せずにスターの座に君臨している長嶋は間違いなくスターだった。
本書で長嶋は自らの野球人生を振り返っている。猛練習の日々が多少誇張されているのではないかと思ったりもする。しかしながら昭和に生きたものなら誰もが夢中で何かに取り組むという所作を信じることができるのだ。
だからぼくにとって長嶋茂雄は自らを鍛え抜いた天才なのである。


2010年2月2日火曜日

川辺秀美『22歳からの国語力』

春の選抜高校野球の出場校が決まった。
たいてい秋の地区大会(新人戦)の優勝校ないしは上位校から選出されるのだが、各地区のレベルの見極めが難しいため、地区優勝校の10チーム以外の選抜は毎年たいへんだと思う。昨年の明治神宮大会では東海地区の大垣日大が優勝、関東地区の東海大相模が準優勝だった。目安として考えれば、この2地区はレベルが高いといえるだろう。当然ぼくは神奈川から2校、ないしは関東地区から5校が選ばれると思っていた。
ところが蓋を開けたら東京から2校、関東から4校。なんと都大会ベスト4どまりの日大三が選ばれていた。これは勝手な憶測だが、すでに東京は2枠ということで帝京、東海大菅生で決まっていたところ、諸事情で東海大菅生を出場させるわけにはいかなくなり、さりとて今から関東枠を増やすわけにも行かなくなり…。なんて台所事情があったのやも知れぬ。ぼくはだったら神奈川の桐蔭を出すべきじゃないかって思うけどね。
さて、本書。
まあ、これといって目新しいこともなく読み終わった一冊。実用書のレベルで教養書ではないかな。いまどきの22歳にはいいのかもしれないけど。

2010年1月28日木曜日

なかにし礼『兄弟』

なかにし礼は以前は好きじゃなかったが、教育テレビのある番組以降好きになった。
この本は彼が作家デビューを果たした自伝的長編である。戦争体験を捨て切れずいつまでも世の中に浮遊しているだけの実兄と筆者の葛藤、義絶がリアルに描かれている。実際にテレビドラマ化されたせいもあって、ややもすればドラマのシナリオ的なストーリー展開ではあるけれども、作詩家として、ヒットメーカーとして名をなした作者の若さが垣間見える名作だと思う。
それにしてもあれだけの借金を返済したなかにし礼はやはりすごい才能の持主である。それだけ借金を重ねた兄の才覚、人格もそれに劣らずものすごい。この作品に描かれているのはどうしようもない兄を拒絶した弟の強さ、偉大さより、そんな兄を心の奥で許し続けてきた弟の愛なのではないか。そんな気がした。
かつて作者の住んでいた大井町や品川区豊町のあたりも最近ではすっかり様変わりした。大井町駅から西側に連なる商店街から東急大井町線の下神明駅に続くガード下の細い道も広い車道になって、以前多く見られた一杯飲み屋のような店も減った。ところどころに昭和の匂いのする木造住宅がなかにし礼の落し物のように点在するのみである。


2010年1月24日日曜日

内田樹『日本辺境論』

毎月第4土曜日は午前午後で区内の体育館をはしごする。たかが卓球と侮るなかれ。さすがに疲れる。
そういえば先週は日本選手権を観にいった。男子シングルスのベスト16までを生で観戦した。お目当ての選手は吉田海偉、韓陽などペンホルダーの選手たち。結果的には水谷圧勝の4連覇だったが、その水谷を破って少年時代、カデットという中学2年以下の大会でチャンピオンになった早稲田の笠原に今年は密かに期待していた。残念ながら5回戦で韓陽に破れ、ベスト32。スピードとテクニックでは学生ではトップレベルだと思うのだが。
さて、日本を論じた本は数多あるが、“辺境”とネーミングしたところにこの本の勝利がある。よく日本論としてキーワードとなる“島国”とも違うし、ヨーロッパ・非ヨーロッパを峻別する“中心と周縁”とも異なる。なんとも目新しい切り口である。著者も言っているように内容的に新しいことを述べているわけではないにもかかわらず。
うう、腰が痛い…。



2010年1月18日月曜日

大江健三郎『水死』

ときどき夢を見る。
昔から夢を見ることはあったが、たいていの夢は目が醒めるとすぐに忘れてしまうか、内容を表現できないことがほとんどだった。最近、夢が記憶に残っているのは同じような夢を何度も見ているせいでその蓄積を記憶しているのかもしれない。
旅に出る夢が多い。突然、出張を命じられてとか、思い立ってアメリカに行くことになり、スーツケースを下げて空港に行く。空港近くに遊園地があって、大きな観覧車がまわっている。空港に着くとスーツケースもろともダストシュートのようなトンネル内の斜面を滑らされ、気がつくと機内の人になっている。あるいはブルートレインでどこかに出かける用事ができる。どんな用事かはわからないけれど用事があるのだから“阿房”な旅ではない。乗るのはほとんどいつも3段式のB寝台の最上段で天井が迫っているぶんものすごく圧迫感がある。で、どこに着いたもわからぬうちに眠ってしまうか目が醒める。不思議なものだ。

大江健三郎は洪水の月夜にひとりボートを漕ぎ出して水死する父親の夢をよく見ていたそうだ。
『水死』は『万延元年のフットボール』や『洪水はわが魂に及び』などにつながる四国の谷が舞台。これまでの翻訳調の文体ではなく、短く平明な文章で語られているのが新鮮だった。
ぼくの母も大江健三郎とほぼ同じ世代で、ふたつの昭和を生きてきた。戦争の時代と復興・平和・繁栄の昭和と。かつて当たり前のようにいて、昭和という激動の時代を支えていた人たちも今となっては高齢化社会の主役として少数派になりつつあるのだなと思った。

2010年1月13日水曜日

内田百閒『第二阿房列車』

先月、ラバーを換えた。
卓球のラケットに貼るラバーのことである。
自覚はしているのだが、フォアハンドがぼくの場合、弱い(じゃあ、バックハンドは強いのかといえばそうではなく、ただ卓球の基本技術としてのフォア打ちがまだまだしっかりできていないということなのだが)。そのことを近所の酒屋のご主人にして全日本選手権にも出場したことのあるTさんに相談したら、できるだけ弾まないラケットとラバーでしっかり振り切る練習をすればいいと言われた。そこで先月から弾まないラバーを使っている。
弾まないラバーは卓球用品の分類でいうと“コントロール系ラバー”と呼ばれ、今世界のトップ選手が使っている“ハイテンションラバー”とかかつて一世風靡した“高弾性高摩擦ラバー”とは区別される地味な商品群である。たいていお店ですすめられるのは上級者ならハイテンション、初心者でも高弾性高摩擦で、店員のフレーズとしては「こっちの方が“のび”が違います」だの「ドライブがよくかかります」だのだったりする。
まあ、それでも弾まないラバーで練習した方がいいと言われたのだから、そんなよさげなラバーには見向きもせず、やや旧式とも思えるコントロール系にしたのである。
で、肝心のフォア打ちはどうなったかというと、ラバーが弾まなくなったのは打っていてわかるが、うまくなったかどうかまではわからない。たぶん、たいしてうまくなってはいないのだろう。

『第一阿房列車』がおもしろかったものだから、ついつい『第二阿房列車』にも乗ってしまった。
こんどはいずれもけっこうな長旅である。用事が無いわりにはたくさん飲んで、たまに温泉に浸かって、記録的な豪雨とニアミスするなど相変わらずのくそおやじぶりを発揮している。

>早からず遅からず、丁度いい工合に出て来ると云うのは中中六ずかしいが、
>遅過ぎて乗り遅れたら萬事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。
>しかしこう云う来方を、利口な人は余りしないと云う事を知っている。汽車に
>乗り遅れる方の側に、利口な人が多い。

と、まあなかなか真理をついていて、楽しい旅である。
ここまでいっしょに旅をするともう一冊付き合いたくなる。同乗者はヒマラヤ山系氏だけではない。


2010年1月8日金曜日

寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』

冬のスポーツといえば、サッカー、ラグビー、駅伝、もちろんスキー、スケートなどウィンタースポーツもそうだ。
以前、某名門大学ラグビー部のグランド近くに住んでいて、練習試合をよく観にいった。コートサイドで観るラグビーはどこまでも広く、逆サイドで行われているプレーがよくわからない。レフェリーのアクションだけが頼りである。もちろん目の前でのスクラムやタックル、ラックなどは迫力はじゅうぶんなのだが、トータルでいえば、ラグビーはテレビで観戦するのが“ちょうどいい”。

寺山修司はぼくたちの世代にはちょっと古い。
というか、ぼくたちが1960年代の青く熱い日本を知らないということだけなのだが。
著者は日本の日陰部分を掘り起こす天才である、というのが読後の第一印象。高度成長期とは裏を返せば、未成熟な社会ということ。そんな若き日の日本が生んだ強いコントラストの、その影の部分を思い切りのいい言葉で紡いでいる本だと思った。

それにしても東福岡は強かった。桐蔭も高校ラグビーとしてはかなり水準の高いチームと思うが、決定力の差はいかんともしがたかったようだ。


2010年1月4日月曜日

大江健三郎「空の怪物アグイー」

謹賀新年。

今日3日は区の体育館が無料開放されるということで午前中ラケットを振ってきた。年が変われば多少はましになるかとも思ったが、相変わらずのものは相変わらずだ。年が明けだけで上達するのなら、ご高齢の方々はもっと上手くなっているはずだ。
体育館全面に卓球台を配置して、クロスで4人で打ち合ったり、ダブルスのゲーム練習をしたりしていてもなお人が余るという盛況ぶりで、この体育館を見る限り、わが国はまだまだ卓球王国なのだと思う。
今年最初に読んだのは大江健三郎の比較的初期の短編。
先日買った『水死』という小説を読むにあたり、なにせ久しぶりの大江健三郎なので少し肩慣らしのつもりでなにか読もうと思っていたところ、娘が学校で使用している現代文のテキストに全文が取り上げられているということでわざわざ書棚の奥から新潮社版の全作品を引っ張り出すことなく(といってもたいした手間ではないのであるが)読むことができた。
へえ、こんな話だったっけ。30年以上前に読んだ本がいかに記憶にとどまっていないかがよくわかった。ところどころ村上春樹的な比喩を用いる人だったのだ、この作家は、とも思った。逆だ。村上春樹が大江健三郎的なのだ、順番としては。
最後の交通事故の場所は晴海通りと新大橋通りの交差点だろうか。場内の幸軒でラーメンが食べたくなった。茶碗カレーかシューマイ2個を添えて。

今年もよろしくお願いいたします。


2009年12月26日土曜日

齋藤孝『偏愛マップ』

高校の先輩が埼玉で歯科医をしている。
ずっと以前に猛烈な歯痛で駆け込んでからというもの、東武線に乗ってときどき治療に出かける。
先輩である先生はそのころようやくパソコンをいじるようになり、ひょんなことからぼくがパソコンに詳しい後輩だとレッテルを貼ってしまった。それからというものことあるごとに携帯電話が鳴る。エクセルで線を引くにはどうしたらいいのかとか、セルの中で改行するにはどうしたらいいのかとか。ワード、エクセルのヘルプをクリックするとぼくに電話がかかるように設定されてでもいるかのように。
実はぼくも仕事で使うアプリケーションはPhotoshopやIllustratorだったから、正直最初はとまどったのだが、パソコンの画面を見ながら先輩の質問に答えているうちにワードやエクセルの使い方がわかってきた。人に教えるというのはなかなか勉強になる。
先輩はどちらかというと自ら進んでで勉学に励むタイプではなかったと聞いている(聞かなくてもじゅうぶんわかる)。おそらく高校生時代から誰かに聞けばいいや的なお気楽スタイルを貫いていたのだろう。そのせいか、妙に質問が上手い。先輩のわからないことがよくわかるのだ。世の中には質問下手が多くいる。何を訊ねたいのかわからない人。その点先輩先生はなかなかの才能の持ち主である。

齋藤孝は教育学者であり、かつコミュニケーションの発明家である。
読書論あり、日本語論あり、思考法ありとその著作は多岐にわたるが、基本は身体論をベースにした教育方法論とでもいうべきか。
ぼくが学生時代(恥ずかしながら教育学部だった)にはこんな先生はどこを探してもいなくて、それだけでも今の学生さんたちは楽しいだろうと思ってしまう。もちろん同じようなテーマで教育学やコミュニケーション論に取り組んでいた先生もいたのだろうが、齋藤孝ほど明快な主張を展開できるものはいなかったのではないか。氏の優れた点はネーミングだったり、キャッチフレーズだったり、言葉を支配していることだと思う。
礎となる理論と言葉をあやつれる自在性があって、はじめて発明ができる。才能と汗だけではないと思う。

今年の本読みはこれでおしまい。
年末年始はあわただしいから読んでもあまり身にならない。ふだん読んでるものが身になっているかといえば、そうでもなく、たぶんあわただしいから読まないんじゃなくて、あわただしいから人は本を読むのではないかとも思う。
あわただしくないときは列車に乗って旅をするに限る。
では、よいお年を。

2009年12月21日月曜日

内田百閒『第一阿房列車』

この本も関川夏央の『汽車旅放浪記』に登場した一冊。
汽車旅ができないものだから、この手の本がすっと身体の中に入ってくる。今の精神状態の浸透圧に非常に合っているのだろう。
内田百閒は根強いファンに支えられている作家のひとりとは知っていたが、ぼく自身手に取ることはなかった。まさかこんな痛快なおじさんだとはつゆも知らなかった。
本書で紹介されている御殿場線はいつだったかぼくも興味があったので乗り潰しに行ったことがある。御殿場線はもともと複線化していた東海道本線が丹那トンネル開通にともないローカル線に格下げされ、単線化された路線でいまだに複線時代のトンネルの跡があったりして興味深い。SLの主役はぼくの好きなD52だった。
先週25日朝9時納品の仕事が決定。24日は遅くまで作業に追われそうだ。こんなことでは『第二阿房列車』も読んでしまいそうだ。


2009年12月18日金曜日

夏目漱石『三四郎』

今年も残りあとわずか。区内体育館の卓球の一般開放もあと2回。
今年は1月から週イチペースでラケットを振ることができた。3月にわき腹の肉離れにおそわれたが、それ以外は大きなけがもなく無事過ごせたことはなによりである。
最近ときどき上級者の方とフォア打ちをすることがある。ボールを当てるだけじゃだめで、打ち抜かなければいけないとよく指摘される。ただ相手に合わせて当てて返しているだけらしい。
なんとなく仕事と卓球は似ている、ぼくの場合。
関川夏央の『汽車旅放浪記』に触発されて、いまさらだけどまた夏目漱石を読んでみることにした。
漱石に限らず、日本の近代文学にあまり興味を持たないぼくであるが、漱石を読んでみると彼がすぐれたストーリーテラーであることがよくわかる。難しくなく深い文章技術がそのおもしろさをささえているのだろう。これは明治の青春小説だいわれるとなるほどと合点がいくし、どんな本かと問われたら誰もがそのようにこたえるだろう。それくらい現代人にも通じる共通感覚を内包する作品だ。


2009年12月13日日曜日

糸井重里編『いいまつがい』

子どもの頃は、湿疹がひどかったらしい。
「らしい」というのは記憶にない頃の話だからなのだが、とにかく赤ん坊のときはものすごい湿疹でいろんな薬を塗られていたという。母親は手が自由になると掻いてしまうからと寝巻きをシーツに縫いつけたりしたそうだ。が、敵もさるもの、不自由な手はそのままに首をまわしてシーツに顔をこすりつけていたという。われながらかしこい子どもだったんだなあ。
そんなわけで今でも千倉の親戚の年寄りたちは、おまえは小さい頃はデーモンチィチィ(湿疹=できものがいっぱいできた子どもという意味の方言であろう)でひどかったけどよくなったなあと会うたびにいう。半世紀もさかのぼる話をよくもよくも繰り返してくれる。
今でいうアトピーともちょっとちがっていたようで、話を聞くとカサカサというよりジクジクしていてまさに“湿疹”という語が適切な感じだったらしい。今はすっかりそんなものはできなくなって、強いていえば夏場にひざの裏とかひじの裏辺りにあせもができやすい。乳幼児期のなごりだと思っている。
この本が世に出たときは少し話題になったし、書店で立ち読みもして、思わず笑ってしまったものだ。でも、まさか今日まで生きながらえて新潮文庫の一冊になるとは思いもよらなかった。
立ち読みしかしていなかったし、文庫化されたと聞いたのでこれはきっとちゃんと読んでみる価値ありと踏んで先日購入一気に読破した。
やっぱりこういう本は立ち読みに限る。


2009年12月9日水曜日

関川夏央『汽車旅放浪記』

仕事に疲れると旅に出たくなる。
別段、温泉に浸かりたいとか、楽しみを見出す旅ではない。列車に乗れればそれでいい。
昨日仕事で名古屋に行く用事ができた。打ち合わせは夕方から。こんなチャンスは滅多にないと思って、時刻表をめくる。
東京駅発10時33分発の快速アクティー熱海行きに乗り、以後、沼津行き、島田行き、浜松行き、豊橋行き、大垣行きと乗り継げば名古屋着16時58分。こんな理想的な旅はない。
が、現実には昼前から別の打ち合わせを組まれて、あえなく計画は未遂に終わった。

以前『砂のように眠る』という作品を読んで、関川夏央という作家は本格派のノンフィクションライターだという印象を持った。
この本は鉄道マニアを自称する作者が自身の思い出をほどよい味付けにして、文学上描かれた鉄道旅行を追体験するといった内容だ。漱石あり、清張あり、主要幹線あり、ローカル線あり、市電あり、鉄道好き(時刻表好き)にはたまらない一冊。
単なる鉄道マニアと作者の異なるところは精密な調査と文学作品の読み込みがベースになっているところで、ここらへんがプロフェッショナルなんだなあと感心せざるを得ない。
関川夏央はやはり骨太の作家なのだ。

結局、名古屋はのぞみで往復した。時間や利便性を金で買うほど貧しい旅はないと思う。


2009年12月3日木曜日

津原泰水『ブラバン』

なんだかんだ言っているうちに12月だ。
先行き不安のままスタートした2009年がもう最後の直線を迎えている。なんだかんだ言って、それなりに仕事も忙しかったし、やはり一年というのはなんだかんだ言っても過ぎていく。
先週、もともと腰痛持ちの家内が激痛に襲われて、寝込んでしまい、家事やらなにやらいつもまかせっきりのぼくも子どもたちもちょっとあたふたした。いつもうちのことなどこれっぽっちもしない下の娘が夕食の支度を手伝ったり、洗いものなんぞしてくれたようで、こっちのほうが驚かされた。
さいわい、痛みはひいて、なんとかふつうの生活に戻ったが、子どもたちも怠惰な日常に戻ってしまった。
ここのところ、“広島もの”が多い気がするが、偶然だ。
この本は高校時代の吹奏楽の仲間たちが25年後もういちど演奏をしようと再会する話。ありがちな話だが、青春をふりかえる物語にはずれはない。ただ帯にプリントされていたようには感動はしなかった。


2009年11月27日金曜日

井伏鱒二『黒い雨』

早稲田大学野球部の新主将が斎藤祐樹だそうだ。
彼の同期にあれだけ優秀な野手がいるなか、投手を主将にするとははなはだ意外に思った。ぼくの予想では宇高か山田だった。松永は打撃でチームを引っぱる感じじゃないし、原は土生にポジションを奪われそうだし、早実時代の主将後藤も大学野球の主将の器にまでは育っていない気がする。斎藤の世代が入学してからも早稲田が強かったのは、ひとえに田中幸長、松本啓二郎ら先輩たちの力が大きい。この世代は一見強そうだが、ポジションや打順が固まっていなかったり、軸になる選手がいなかったりして、結局自慢の投手陣に負担をかけるかたちで斎藤にお鉢が回ってきたのだろう。上本、細山田、松本みたいなしっかりしたセンターラインが組めていない来年は相当苦戦するのではないかと思っている。
いい選手を育てるのは、いい選手を集めるより難しいということか。

30年以上前、大学を受験するために広島に行った。
3日目の試験を終え、大学のある東千田町から平和記念公園や県庁のある市の中心部を散策した。原爆ドームや市民球場のあたりを歩いて、大手町、八丁堀、京橋町など東京の地名のような町を抜けて広島駅にたどり着いた。途中、紙屋町の本屋で『試験に出る英単語』を買った。来るべき浪人生活にために。
井伏鱒二の『黒い雨』はいわゆる名著のひとつで、学校の推薦図書だったり、夏休みの課題図書としても定評があるが、なにがすごいって、淡々とストーリーが展開し、あたかもドキュメンタリーのような視点で閑間重松家族の終戦を描いているところだ。そこには戦争に対する、原爆に対する表面的な憤りや感情的な高ぶりが見られない。文章の奥のほうにじっとおさえこまれたように静かにくすぶっているのだろうが、あえてそのような描写を避けているかのようだ。怒り高ぶり、先の戦争に思いをめぐらす作業は読者に委ねている。すぐれた作品だと思う。
重松家族とともに千田町から古市までたどり着く間、ささやかながらぼくの広島散策の思い出が役に立った。帰京後受けた別の大学になんとか合格できたので、『出る単』はカバーをかけられたまま動態保存されている。



2009年11月20日金曜日

ジェームス・ジョイス『ダブリナーズ』

明治神宮野球大会が終わると今年も終わりという感じがする。
この大会は学生野球の一年のしめくくりではあるが、高校生にとっては新チーム最初の全国大会ということになる。今年は東海地区代表の大垣日大が関東地区代表の東海大相模を破って、まずは追われる立場に立った。
両校とも激戦地区を勝ち進んできただけにそれなりに力はあるだろうが、まだまだチームが若い。失点に結びつく失策が多い。来春、おそらく選抜大会に出場するだろうが、鍛え上げて勝ち上がってもらいたいものだ。
『ダブリナーズ』はその昔、『ダブリン市民』というタイトルだったが改題されたのだそうだ。
ダブリナーズのほうがなんかかっこいい。
ジョイスというと文学的にすぐれているにもかかわらず、それゆえに大衆的に陽の目を見ない作家のひとりだろう。ぼく自身、なんだかんだ読むのははじめて、である。先日柳瀬尚樹を読まなければ手に取る機会もなかったろう。ひとつひとつの物語がこじんまりとして、ささいな市民の日常であるけれど、そのひとつひとつがずいぶん奥深い感じがする短編集だ。
それにしても今日は寒い。

2009年11月14日土曜日

なかにし礼『不滅の歌謡曲』

ぼくは眼鏡をかけている。
朝、最寄りの駅に行くと、どこかの店員とおぼしき若者がティッシュを配っている。できればもらってください、いらなければ、少しだけ意思表示してください、すぐに引っ込めますから、というすばやい身のこなしで道行く人たちにティッシュを手渡す人たちだ。
このあいだ考えごとをしていて(あるいは何も考えていなかったのか、要は今となっては何も憶えていないのだが)不意打ちをくわされたかのようにティッシュを受け取ってしまった。ふだんはよほど風邪で鼻水がすごいということでもない限り手にはしないのだが。
そのまま地下鉄に乗って、ポケットにしまったティッシュを見たら、駅近くのコンタクトレンズの店のティッシュだった。
なんでぼくなんかにティッシュをくれたんだろう。不思議に思った。ぼくはどこからどう見ても眼鏡の人だし、眼鏡をかけていればコンタクトレンズは必要ない。なんでそんなことがわからないのだろう。阿呆か、あいつは。
そんな話を娘にしたら、だから配ったんだという。コンタクトレンズの人は見た目じゃわからないけど、眼鏡の人は目がよくないってひと目でわかる。そういう人はいつかコンタクトレンズにする可能性がまったくのゼロじゃない。
なるほど、そういうことだったのか。

8~9月、NHK教育テレビで放映していた「知る楽 探求この世界」という番組で取り上げられていたテーマのテキスト。
ぼくの中では、なかにし礼は阿久悠と並ぶ昭和歌謡のヒットメーカーだと思っている。どちらかといえば阿久悠は詩情豊かなスケール感があり、なかにし礼は洋楽的な洗練を持っているというのがぼくの印象だ。
で、この番組は昭和のヒット歌謡を支えてきたひとりの作詩家としての筆者が歌謡曲の歴史を振り返りながら、ヒット曲はなぜ生まれたのか、なぜいま生まれないのかという今日的なテーマと根源的に歌の持つ不思議な力を解き明かそうという試みである。
実をいうと、小さい頃、テレビで視るなかにし礼にぼくはあまりいい印象を持たなかった。怖そうな顔をして、挑発的で、生意気そうで、子どもながらに鼻持ちならないやつだと思っていた、たいへん失礼ではあるが。大人になってその印象はガラッと変わった。高校の先輩であると知ったせいもあるかもしれない。そしてこの番組、そしてこのテキストを通じて、心底リスペクトすべき偉大な才能であることをあらためて確信した。

2009年11月7日土曜日

柳瀬尚紀『日本語は天才である』

今月は月初めが日曜日なので、この土日に卓球の一般開放がない。そのぶん来週の第2土曜と第3日曜と二日続きになる。卓球のない週末はやることがなく、そういうときは読書もあまりすすまない。精神と身体はやはり緊密に結びついているのだろうか。
ただでさえ、仕事でごちゃごちゃしていて、読みすすめない日々が続いているのに。
柳瀬尚紀と聞くとエリカ・ジョングを思い出す。
が、エリカ・ジョングについては何も思い出せない。買うだけ買って読まなかったのかもしれない。
著者は英米文学の名作を数多く世に出した名うての名翻訳家。いままでそんなに意識したことはなかったけれど、翻訳という仕事は外国語に堪能なだけではだめで、日本語を熟知してければならないはずだ。そうした日本語のエキスパートが語る日本語論。
日本語はもともと外国語を受け容れ、ともに育ってきた言語であるせいか、とても柔軟で翻訳に適している。そのことを著者流の言い回しで、「日本語は天才」といっているわけだ。何が素晴らしいって、この言葉に対する謙虚さが素晴らしい。天才なのは、どう見たってジェームス・ジョイスらの翻訳で知られる著者であるのに、そんな素振りをこれっぽっちも見せることなく、日本語賛美に徹するスタンス。翻訳とは語学力だけではなく、諸外国の歴史や風土に通じているということだけでもない。さりとて日本語をたくみに駆使できる能力だけでもない。母語に対する客観的な視線と、謙虚に向き合う姿勢なのだ。

2009年10月28日水曜日

チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』

結局、VAIOは起ち上がらず、さりとて、リカバリディスクもなく、fedoraというLinuxをインストールして現在に至っている。
買い換えるにも先立つものがなく、Windows7なるものがどうなのかもいまだつかめず、Macintoshに戻るのも悪くないなあとも思ったりして、現時点で確たるコンピュータ環境が構築できないでいる。
まあ、fedoraでメールのやりとりやwebの閲覧はできるし、Word、Excel、Powerpointのデータも開けるし、編集もできる。使ったことはないが、Photoshopの代わりになるgimpもある。Windowsでもない、MacOSでもないOSが入っているだけだと思えば、さほど苦にならないのだが、そのうちなにか起こりそうな気がしている。ああ、やっぱりWindowsじゃなきゃだめじゃん!みたいな状況が…。
PCに関しては不安な状況が続くが、ディケンズの小説は最終的にハッピーエンドなので、安心できる読み物だと思っている。
『オリバー・ツイスト』は長編と言われているが、たいていのディケンズ作品は長いので読んでいてもさほど苦にはならない。しかもどんなにつらい日々の連続であろうと、最後はやっぱりディケンズだぜ!と思うと希望の光も射し込んでくる。
当時の人気を博した若手作家ディケンズにとってはこの程度の無理矢理なストーリーは当たり前のことだろうが、現代の韓流ドラマも実はかなり、彼の影響を受けているんではないだろうか。
なんて思ったりして。

2009年10月25日日曜日

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

昭和40年代、姉が高校生の頃本棚にあった一冊。
いっとき庄司薫は、今の言葉で言えばかなり“ブレーク”した存在だが、何ヶ月か前に毎日新聞の夕刊で取り上げられていたのがきっかけで読んでみることにした。
著者は1937年生まれだから、高校在学期間は53年から57年。それに対し、主人公の“庄司薫”は学校群制度の直前の日比谷高生だから、66年から69年にかけて在学していたということだ。それなりに齢を重ねて、青春時代を回顧しつつ、当時の若者に自分を投影したということだろう。
多くの指摘があるようにサリンジャーの“The Catcher In The Rye”に似た語り口になっていて、当時の習俗とか若者たちのものの考え方がよく描かれている。
ただ、いかんせん、頭のいいやつ、という印象はぬぐいきれない。勉学のかたわら、軽く小説のひとつふたつはさらさらっと書き上げるくらいの能力のあった人なんだろうなと思う。
それにしても学校群制度の全盛期に育ったぼくらの世代にとって、本書は日比谷高校の恰好のガイド本であっただろうと思う。「サアカスの馬」が九段高校(現千代田区立九段中等教育学校)のガイド本だったように(なことないか)。


2009年10月20日火曜日

重松清『リビング』

さて、起ち上がらなくなったパソコンだが、ハードディスクが壊れてしまったのか、起動するためのソフトが壊れてしまったのか判別しがたい。なにしろセーフモードでも起ち上がらないのだから。ただなんとなく直感的にはハードディスクのデータ類はやられていないはずという思いがあった。たとえばCDドライブからOSを起動できれば、ネットワーク経由でデータを別のパソコンに移せるのではないか、あるいはUSB接続した外付けハードディスクに。
リカバリして初期状態に戻すのは簡単だ。ただスペックの落ちたハードウェアの復旧より、中のデータが最優先だ。別パソコンでいろいろ調べてみたら、CDROMから起動するLinuxがあるという。その名はknoppix、クノーピクスと読むらしい。Debian系Linuxの進化系か。
ものは試しと最新版(6.0.1)をダウンロードして、isoファイルをCDRに焼いて、VAIOのドライブから起ち上げてみる。おなじみのペンギンがあらわれ、なんなくGNOMEの画面が登場。ファイルユーティリティソフトを起動して、ハードディスクにアクセスする。画面にはWindows のCドライブ、Dドライブに相当する/media/hda2、/media/hda5が表示されている。コンソールからroot権限で“mount -r /media/hda2”と打ち込んでもerrorらしきメッセージが帰ってくる。せっかくここまでたどりついたっていうのに。ただLinux上ではハードディスクのパーテーションが認識されていることがわかった。しかもVAIOのリカバリー領域である/media/hda1というドライブはなぜか自動でマウントされている。ハードディスクそのものが損傷を受けているという可能性は低い。なんらかの理由でマウントできないだけなのではないだろうか。
翌日、またネット上であれこれ調べてみた。マウントできない原因のひとつとしてLinuxがハードディスクの一部をswap(システムが落ちないようにハードディスクを部分的にメモリに割り当てるもの)に使っているからではないかと思い至った。どうやら起動の際、“boot:”のあとに“knoppix noswap”とオプション指定するといいらしいとどこかに書いてあった。さっそく試して、マウントすると今度はエラーが出ない。ファイラーで開くとなんとドライブの中身が無事残っている。knoppixCD版にはOfficeに相当するアプリケーションが入っているのでパワーポイントやワードで作成したデータをふたつみっつ開いて確認。画像データもgimp(Linux定番のPhotoshopみたいなアプリケーション)で確認。動画ファイルも生きていた。
ネットワーク経由の移送は設定がよくわからなかったので外付けHDDをUSBにつないでマウント。ほぼ全データをバックアップすることができた。
長生きはしてみるもんである。
あ、そうそう重松清。『リビング』。ずいぶん前に読んだ単行本をぱらぱらと読み返したんだっけ。
パソコンが飛んで、すっかり忘れっちゃったよ。



2009年10月17日土曜日

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『絵のない絵本』

仕事場のすぐ近くに平河天満宮という社がある。
小ぶりではあるが、歴史があるらしく、正月初詣に来る人も少なくないようだ。
ご近所のよしみということもあって、ときどきお参りに行く。たいていは仕事がうまくいきますようにとか、家族の無事や健康をお願いするのである。ご利益があるかといえば、案外(といってはとても失礼であるが)ある。なんとなくうまくいく、のである。
その神社の神様というのがどのような方なのか、お目にかかったこともなく、そのプロフィールなども存じ上げないのだが、想像するに、とてもいいお方なのだろうと思っている。とても感謝している。
アンデルセンというとパン屋さんな感じがするのだが、Andersenをアンデルセンと読むのは日本独自のものであってデンマーク流に読むとアナスンとかアネルセンに近いという(訳者解説より)。アンデルセンがアナスンだったら、はたしてこれほどまでに日本で愛される小説家になっていたかどうか。あのパン屋の名前はどうなっていたのだろうか。
つまらないことを考えてしまった。
夜空に浮かぶ月目線、その月が見つめ、見守る、世界の人々の小ドラマがこの小編の持ち味だ。ちょっと日本的な神様を髣髴とさせる。
とても想像力豊かな仕立てにもかかわらず、ひとつひとつのストーリーは簡潔で、あっさりしている。悪く言えば物足りない。この枠組みで世界紀行的な大長編が編まれてもいいのに、と思った。
先日長年使っていたパソコン(VAIOのtypeT90)が起動しなくなった。たまたまだいじな書類をメールで送った直後だったので大きな被害を被ったわけではなかったが、その後その書類の修正を求められ、別のパソコンで一からつくりなおさなければならなかった。
それにしてもパソコンが起ち上がらないということがこんな悲劇的な思いをともなうとは、なんとも嫌な世の中になったものだ。
真っ青な画面だけしか映し出さないディスプレイを眺めているうちに、ふとこうしてはいられないと思い、急いで平河天満宮に行った。


2009年10月14日水曜日

椎根和『平凡パンチと三島由紀夫』

頼まれると断れない性格、といえば聞こえはいいが、実際のところ臆病なだけだったりする。
臆病なだけなら、まだいいが、これは君にしか頼めない仕事なんだ、などと言われようものなら、もうたいていのことをほったらかして、取り組んでしまう。やっている仕事のできばえはともかく、期待されることがきらいじゃない。これは性格というより、そう育てられたからなんだろうと思う。
何が言いたいかっていうと要は小さいながらも仕事が重なり、人から見ればそんなものは気球にのせたわたがしのようなごく軽い期待を重圧と解している情けない自分に今、直面しているということだ。仕事が楽しくないわけではない。ただそれより重圧の方が大きくなっているだけのことだ。もしかしたらそんなお年頃なのかも、そろそろ。
椎根和は往年の平凡パンチ誌の編集者。三島由紀夫とは出会いは、いわゆる作家と編集者という関係ではなく、文学者としての三島というより、当世の文化人、スーパースターとしての三島に接していたというのだからおもしろい。けっしてさげすんだものの言い方ではなく、いわゆる週刊誌の記者だったんだなと思わせる、日常的な三島観がおもしろいのだ。
とはいえ、三島の、俗な部分にもっと徹底的に光を当てるという書き方もあったのではないかと思う。ベルクソンやサルトルは異様な登場の仕方だと思うし、キリスト教的な話や横尾忠則やらビートたけしやら、あまりに多方面から切ってくるので焦点が定まらない気もする。専門書には短く、エッセーには長い、そんな印象の不思議な本だ。
そういえばしばらく三島由紀夫を読んでいない(『三島由紀夫のレター教室』ってのは最近読んだけど)。
読んでみるかな、久々に。

2009年10月10日土曜日

谷川俊太郎+和田誠『ナンセンス・カタログ』

最近、はまっているテレビ番組は早朝7時からNHK教育テレビで放映している"シャキーン"だ。
ここ何年か、教育テレビでおもしろいコンテンツが制作、放映されている。
"ハッチポッチステーション"や"クインテット"など大人が見てもじゅうぶん楽しい。
それにしても"シャキーン"は秀逸だ。ターゲットである小学生たちにはちょっともったいない。
"シャキーン"に関してはへたな説明をするより、いちど視てもらったほうがいいと思うので、これ以上深入りして解説はしない。

和田誠のすぐれたところは一見つまらなそうなことでも楽しく愉快なイメージにしてくれるところだと思う。
彼の装丁した本はどれも面白そうに見えてしまう。
谷川俊太郎も同様のことが言える。日常の些細なできごとにぐーんとひろがりと奥行きが与えられる。
マザーグースなども英語で読んだらかなり難解だ。そのことばのひとつひとつを単に日本語に嵌め換えるのではなく、そのわらべ歌的世界を日本語で新たに構築しているところがおもしろいのだろう。
まあ、そんなふたりの書いた本がおもしろくないはずがない。

2009年10月6日火曜日

川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』

地下鉄麹町駅の近くに昔ながらのボタン屋がある。
母親が洋裁の心得があって、布やボタンを買いに行くのに付き合わされた。たいていは大井町の駅周辺のお店で、ゴンゲンチョウとかミツマタと呼ばれていた商店街にあった。
子どもの頃からボタン屋だけはなぜか好きで、はがきが入るくらいの箱に同じデザインのボタンがしまってあって、その短い辺の側面に大きいのから順番に“これだけのサイズがございます”然として見本のボタンが貼り付けてあった。その側面が店内ところ狭しと積み上げられている。
おそらくはこのボタンという、洋裁の材料にしては模型工作パーツ的な硬質感とバラエティに富んでいる色、形が少年の創作的興味を刺激したのだろう、と思っている。
麹町のボタン屋の前を通るたびにそんなことを思い出す。

川上弘美は案外、好きだ。
言葉がとてもだいじにされていて、文章を慈しんでいる感じがいい。
この本は西野幸彦というしょうもない男をめぐる女性たちの一人称による連作だが、男性の目で読んでみると主人公は西野ではなく、それぞれの短編に登場する女性たちだ。ひとりの男を軸にはしているが、ぼくにしてみればひとつの旅先をいろんな人が好き勝手に論評している紀行文ように思える。それって読み手であるぼくが男だからだろうか。


2009年10月2日金曜日

トルーマン・カポーティ『叶えられた祈り』

夏がフェードアウトして、冬がフェードインしてくる。
季節のオーバーラップの中間点が秋というわけだ。10月は毎年そんなふうに、冬のように晴れたり、夏のように雨が降ったりする。
カポーティに関していえば、ぼくは初期の、いわゆるイノセンスものが好きで、よく読んだ。
この『叶えられた祈り』はセンセーショナルな未完の傑作だという。そこらへんの知識はまったくなく、ただ本屋の棚の中に見慣れないカポーティの文庫を見つけたというだけで手にとった。
当初、この本の一章として書かれた「モハーベ砂漠」は『カメレオンのための音楽』に短編として収録された。たしかにそんなタイトルの小編が収められていたという記憶がある。なんなんだ、これは、と思った記憶もある。が、それ以外のことは全然思い出せない。もういちど読んでみようか。たしかまだ捨ててはいないはずだ。
タイトルの『叶えられた祈り』は、聖テレサの言葉「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」から来ているという。解説の川本三郎は、正確にはその意味はわからないとしながらも、『冷血』の完成と成功によって祈りが叶えられたカポーティに訪れた新たな苦しみをあらわしているのではないかと言っている。
手もとにあるカポーティを片っ端から読み直してみたい。この本の感想はそれからでも遅くはないだろう。



2009年9月28日月曜日

向田邦子『思い出トランプ』

卓球の話。
近所の体育館の一般開放日にスポーツアドバイザーとして月に一度だけやってくるTさん。
各台を見てまわり、ときどき声をかけ、ラリーをして、フォームなど弱点を指摘して修正してくれる。その指導法は至極明快でわかりやすい。
まずフォアならフォア、バックならバックでラリーを続ける。そのうち少し浮いたボールを出してくる。そのボールを強く打ち返しなさいという意図である。そこで強打する。Tさんはいとも簡単にショートやストップで返してくる。その返球はさらに浮いて、手ごろな打ちやすいボールだ。そこをふたたび、みたび強打する。最後、Tさんは台から離れてロビングで返してくる。スマッシュ対ロビングというラリーになる。
そんなラリーになる前にたいていの人は(ぼくももちろんそうだが)打ち損じる。そこでTさんは言う。「強く打つということは力を入れて打つこととは違う」と。いかに自分の、ふだん強打できるポイントで、ふだん打っているフォームで、ボールにラケットがあたる瞬間に的確な角度と力を加えられるかという練習なのだ。たいていの人は(あえて言うまでもなく、ぼくも含めて)ロビングの頂点で打とうと身体が伸び上がってしまい、大振りして、無茶苦茶な角度でボールを叩きつけてしまう。
「強く打つとは小さく振って、打つ瞬間に力を集中させること」とTさんは言う。
その後、ぼくと同じくらいのレベルの初級者とラリーをするとき、Tさんのまねをしてみる。浮いたボール出して強打させ、さらにロビングでスマッシュを打たせる(もちろんTさんのようには何本も続かないが)。打たせる側に立ってみると打つ人がいかに余計な力を入れて打っているかが手にとるようにわかる。おもしろいものだ。なかにはロビングうちの練習なんてまだ無理ですよ、という相手もいる。技術的に高度な練習をしていると思っているらしい。
それは違うんですよ、とぼくは言いたい。いちばん初級者にとってなじみのあるフォアを強く打つ練習を重ねることで、力を抜いて、正しい角度でできるだけ小さなスイングをして、インパクトの瞬間にだけ力を込めるという卓球競技の基本をTさんは教えてくれているのだ。そしてその技術はサーブだろうがレシーブだろうがショートだろうがあらゆる局面で活かせる基本技術なのだ。
「荻村(伊知郎)さんはぼくの大学の3つ上の先輩。長谷川信彦や河野満はぼくの3学年下」というTさんはまさに昭和の卓球ニッポンと歩みを一にしてきた人なのだ。

昭和。
昭和の風景を問われると、銭湯、呼び出し電話、脱脂粉乳、茶色い国電、汲み取り便所、木造校舎、都電、月刊少年誌などが思い浮かぶ。なにぶん昭和は波乱万丈の長い時代だったから、人それぞれ思いは異なることだろう。昭和を貫くキーワードというものがもし存在するとすれば、それは“貧しさ”なんじゃないかと個人的には思っている。
先日、九段下の図書館で雑誌『東京人』をパラパラ見ていた。
“向田邦子 久世光彦 昭和の東京”という特集が組まれていて、両氏のドラマづくりの細部にわたるこだわりに感心した。
向田邦子が航空機事故で他界したのが'81年。"昭和"がその存在感をひっそりと薄れさせてきた頃ではないかと思う。今年は生誕80年ということでドラマが制作されたりしているようだ。
図書館を出て立ち寄った本屋で『思い出トランプ』を買い、ちょっと昭和に寄り道して帰ることにした。
昭和はぼくがはじめて卓球に出会った時代でもある。

2009年9月26日土曜日

『アートディレクションの黄金比』

卓球の関東学生秋季リーグが終わった。
今季は忙しくて観戦する時間がない。もっぱらネットで結果だけを追いかけた。
今の学生リーグの見所といえば、やはり世界ランカーである明治の水谷を至近距離で見られるということだろう。これまで明治の稼ぎ頭としてトップバッターが定位置だったが今季は、必ずしもそうではなく、後半出場だったりもする。続くスターは早稲田の笠原だ。スピード感あふれる両ハンド攻撃と柔軟な守備、そして勝負強さをあわせもつ好選手である。ただ今季は京都東山の先輩足立と組むダブルスで星を落としたが気になった。この後に全日本学生選手権がひかえており、コンディションづくりも難しい時期なのだろう。
早明には及ばないものの安定した力を持っているのが専修。エース徳増を中心に早明のどちらかを崩すかと期待していたのだが、今季も3位。中位から下位はまさに混戦。ぼくはペンホルダーなのでおのずと応援に力の入る筑波の田代、駒澤の桑原勇、埼玉工大の伴がいずれも苦戦。駒澤は来季2部落ちだ。

子どもの頃から絵を描くことは好きだったのが、中学高校はどちらかといえばスポーツに打ち込んだりしていて、いつしか描かなくなった。広告の仕事をはじめてからまた描くようになった。だからぼくの絵は、ぼくの人生同様、基本がなっていない。高校時代、冷静に人生を見つめる機会があれば、美術大学に進むという選択肢も当然あったとは思う。まあ仮に美術系を歩んでも、歩まなくても、さほど大きな影響はなかったような気もする。人生とはそんなもんだ。
この本は広告やエディトリアルなど各方面で活躍しているトップアートディレクター9人のインタビューをまとめたもので誠文堂新光社にありがちな本。
アートディレクターの世界もぼくが社会的に幼少の頃とはずいぶん様変わりして、若い才能が次々にあらわれているようだ。この手のオムニバス形式もいいが、ひとりのADを一冊まるっと追いかけてくれるのもいい。むしろ後者の方が個人的には好みではある。
まあ、いろいろなジャンルでデザイナーやアートディレクターが活躍しているんだということで美大やアート系の職種をめざす若者たちには有意義な一冊かもしれない。

2009年9月22日火曜日

佐藤賢一『カペー朝』

世の中プラチナだシルバーだと連休だけは景気がよさそうだ。
ぼくの連休は今日で終わりで明日から仕事に戻る。週明けにプレゼンテーションがあって、木曜金曜の二日だけでは時間のやりくりができないのである。
この週末は本を読んで、卓球を楽しみ、墓参りに出かけ、充実した連休だった。
その本の副題に“フランス王朝史1”とある。続編があるのだろう。
この本は群雄割拠する西フランク王国の時代に台頭したユーグ・カペーから350年近くにわたってフランス王国を興隆させたカペー朝の歴史を説いている。その長きにわたる歴史を著者の怒涛のような文才をもってコンパクトにまとめた書で、もっと紙幅を問わずに語らせようものならおそらく大部の歴史物語になったであろう。むしろそのほうがありがたかったか。ある意味、歴史の教科書のように箇条書き的に時間が進行し、地図や登場人物のプロフィールなしに読み進めるのはなかなか困難な読者も多かろう。読み手の興味や知識レベルの設定がこの手の本では難しいと思った。

2009年9月19日土曜日

チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』

シャネルの映画が多い。
「ココ・シャネル」、「ココ・アヴァン・シャネル」、「シャネル&ストラヴィンスキー」(これは日本では来年公開)と立て続けに上映される。「ココ・シャネル」はシャーリー・マクレーンが主演だが、若かりしガブリエル・シャネルを演じるバルボラ・ボスローヴァの評判もいいと聞く。「ココ・アヴァン」はオードリー・トトゥが主演だが、それだけでも集客力がありそうだ。
以前新潮文庫で読んだ『クリスマス・カロル』はたしか村岡花子訳だった。で、今回の『クリスマス・キャロル』は光文社の古典新訳文庫。訳者は池央耿。クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』やピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12ヶ月』などでぼくとしてはおなじみの人。調べてみるとノンフィクションから推理、SF、ミステリーなど幅広い翻訳作品を送り出している。
村岡訳がどんな感じだったか思い出せないのだが、池訳はイギリス文学らしい、あるいはディケンズらしい格調ある訳語を流麗にレイアウトし、読み手を一気に夢の世界に引きずり込む力がある。ちょっと高尚な訳語の数々は子ども向けと思われがちだったこれまでのクリスマスキャロルとは一線を画すような気もする。
で、バルボラ・ボスローヴァはチェコの人らしい。

2009年9月15日火曜日

重松清『あの歌が聞こえる』

東京で生まれ育ってそのままなもんだから、ふるさとを後にして都会へ旅立つという経験がなかった。
父親は小学校を卒業し、千葉の白浜町(現南房総市)から親戚を頼って上京し、浜松町にある商業学校に通った。以来ずっと、毎年何度か帰郷したとはいえ、東京で過ごしている。
故郷を捨てて、というと大げさだけど、人生で一度くらい新天地へ出発する日があってもいい。そんなことを考え、とある地方大学を受験した。もう30年も昔の話だ。結果的にはずっと東京である。
重松清はぼくの中では反則すれすれのレスラーだ。限りなくずるい。テーマの持って来方、味付けの仕方など、これをやられたら読んじゃうよなあ、みたいな連続技で畳み掛けてくる。
地方都市、中学~高校、友情、母と息子、父と息子、旅立ち…。これら、多くの読者に共有できる時代体験を、かつて一世を風靡した流行歌にのせてお届けするわけだ。ここまでして人を泣かせたいのか、あなたは、とついその、一歩間違えば反則になる、くさくなる話を、ギリギリのところにとどめる技がすごい。もちろん多少語り過ぎるきらいがないでもないが。
で、この作者は青臭い少年心理より、親父たちの友情や親目線の情愛、情感を描かせるほうが断然うまいと思う。

2009年9月13日日曜日

村上春樹『1Q84』

村上春樹の小説に関して、ぼくの中ではいくつかのルールがある。

(1)発売されたらすぐに買う
(2)一気に読み通す
(3)時間を空けてもう一度読む

もちろん、はじめて『風の歌を聴け』を読んだのが、'84年頃だから(奇しくも1984)、すぐに買って一気に読むのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』以降ということになる。一気に読むのは、暇をもてあましていた学生時代に出会ったせいだろう、読み始めたら、そのまま最後まで読み切らないと気がすまなくなってしまった。それと基本的にこの作家は情景描写に凝らない。ストーリーのエッセンスがスピーディに進行し、伏線となるメタファーが次々にあらわれていくので、息をつく暇がない。また、そういうわけだから中身が濃密で再読に耐えられ、いやむしろ再読を通じて、読みこぼしをすくっていったほうが断然おもしろい。
そういうわけなんだが、今回の新刊に関しては、つい最近購入し、つい最近5日かけて読み終えた。
すぐに読まなかったのは、あまりに話題になり過ぎて、なにも今読まなくてもいいんじゃないかと思ったからだ。書店に平積みされたBook1とBook2はなんだかどこかのお店のカウンターに置かれた《自由におとりください》と書かれたパンフレットみたいだったし、タイトルも現地の文字で書かれたエスニック料理のメニューのようで何がしかの期待を抱かせるものではなかった。
さらにいうなら、その前に読んでおきたい本が多くあったことも理由のひとつだろう。『ねじまき鳥』や『カフカ』を読んだときにうっすら思ったことだが、村上春樹を読むのなら、ディケンズやドストエフスキーは読んでおいたほうがいい。
以前『海辺のカフカ』を読んだとき、これは『不思議の国のアリス』だと思ったのだが、その雰囲気はこの本にもあり、さらには言及もされている。総じて印象は未完のストーリーといったところだが、果たして続編はあるのだろうか。

2009年9月7日月曜日

亀山郁夫『『罪と罰』ノート』

エディット・ピアフのCDを聴きながら、先週末は本を読んでいた。
映画「エディット・ピアフ愛の賛歌」ではマリオン・コティヤールの演技が光っていた、などと思いつつ。
外語大学長の亀山郁夫は光文社の古典新訳シリーズでドストエフスキーをわれわれ庶民に解放した立役者である。その功績は解体新書をわが国に紹介した前野良沢、杉田玄白級といえる。
この本は平凡社新書であるが、新書の特性を活かした比較的自由な枠組みのなかで、紙数の制限はあるものの思う存分『罪と罰』を語っている。ついこのあいだ『罪と罰』を読み終えたばかりの素人のぼくはただただ感服するばかりである。鉄道やアニメやそばうちの世界に卓抜した知識人がいるようにドストエフスキーの世界にもこうした“をたく”が存在するのだ。亀山先生が学問を生業とするプロッフェショナルでなく、そこいらの一市民だったらもっとすごい“をたく”なのになあと思ったりもする。
日曜日は久々、卓球。
気温は高かったが、湿度の低いさわやかなグリコアーモンドチョコレートのような一日だった。



2009年9月4日金曜日

プロスペル・メリメ『カルメン』

今年の1月から3ヶ月にわたって、NHKのラジオフランス語講座で「オペラ『カルメン』を読む」というシリーズを放送していた。メリメの原文にくらべ、オペラの台本は比較的平易なフランス語で初学者にもとっつきやすいらしい(らしいというのは、ただぼんやり聴いていただけでちゃんと学習していないからだが)。
そのときドン・ホセとかリリャス・パスティアの居酒屋とか闘牛士だとかだいたいの物語の輪郭はつかめたつもりだったのだが、どうもオペラと原作は違うらしいと知るに至った。となるとどう違うかくらいは知っておいた方がよいと思い、このたび読んでみることにしたわけだ。
まあ、「カルメン」はともかく、収録されている短編にすばらしい作品が多く、これは読んでみてよかったなと思った。堀口大學訳でありながら…。

2009年9月2日水曜日

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

ちょっと大げさな分類だが、世の中に『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人と読んでいない人がいるすると、ぼくはこの歳になってようやく読んだ人の仲間入りができたというわけだ。
それにしても光文社の古典新訳文庫はいい。
なにが素晴らしいって、おもな登場人物をしおりに印刷してあることが素晴らしい。ロシア文学などとほとんど縁遠い生活をしているわれわれにはアグラフェーナ・スヴェトロワとかカテリーナ・ヴェルホフツェワなどという名前はおいそれとは記憶にとどまらない。ぼくの母は昔から言ってた。外国の小説は登場人物の名前が憶えられなくてねえ、と。ドミートリーだのラスコーリニコフだのスヴィドリガイロフだの片仮名名前が苦手だった読書家にとってこれはまさに蒸気機関並みの画期的なアイデアだ。
もちろん訳者の亀山郁夫が氏のこれまでの研究成果を駆使し、解釈しやすいよう丹念に言葉を選んでくれていることも読みやすさにつながっている。なによりも訳者が自らあとがきで述べているように「リズム」をたいせつに訳されているのだ。
さて今回読破したばかりのぼくはこの本に関する感想などまだ持ち得ない。読みきっただけで精一杯だ。というわけでとりあえずここではこれから『カラマーゾフ』を読む読者のために偉そうにひとつふたつアドバイスをしてみよう。
◆難解なところはさらっと読め
人によってどこが難解かは判断が難しいが、ぼくの場合、宗教的なくだりは不得手である。とりわけイワンの朗読する「大審問官」やゾシマ長老の談話などは無理矢理解釈しようとしても時間の無駄である。おおまかな物語の流れにはさほど影響しないので、わかろうがわかるまいがさらっと読み飛ばしてしまおう。後で気になったら読み返せばいいのだ。
◆あとがきを活用する
1巻のあらすじは2巻のあとがきに、2巻のあらすじは3巻のあとがきにある。訳者のちょっとした心遣いだ。先にあらすじを読んでから読むと読書のスピードはアップする。もちろん、映画の結末を聞いてから映画館に行くのは絶対いやだという人にはおすすめしない。
◆4巻は厚い
1~3巻にくらべ4巻は厚い。それまでポケットに入れても苦にならなかった文庫が急に厚くなって重くなる。その頁数にめげてしまう読者もいるかもしれないが、3巻を突破したら4巻は読まざるを得なくなる。気持ち的には1~3巻が上巻、4巻が下巻と考えればいい。5巻(第5部)は数十頁しかないのでおまけと思えばいい。
◆本当は続編があった
ドストエフスキーは続編的なもうひとつの小説を構想していたという。ドミートリーとイワンの物語はこれで完結し、それに続くアレクセイの物語を書く予定だったという。読んだ後でそのことを知ると、なるほどそうだったのかと思えるところは多々あるのだが、あらかじめ『カラマーゾフ』は未完の小説だという先入観を持って読んでみるのもおもしろいはず。

昔読んだ小説で古典新訳文庫に加えられている本をこんど読んでみることしよう。翻訳のちがいがわかるかも知れない。
っていうか、たぶんもう憶えてもいないだろうなあ。